年齢別の死亡率から計算される平均寿命はその国の健康状態、経済発展、社会病理の状況を集約して示す指標である。

 欧米先進国の平均寿命(出生時の平均余命)は80歳前後であるのに対して、ロシアの平均寿命は65歳と10数歳も少なくなっている(図録1620参照)。

 こうした状況に至った推移を示す男女別のロシアの平均寿命を先進国平均(OECD高所得24カ国平均)とともにグラフにした。

 2008年の平均寿命は、男は62歳、女は74歳である。男の平均寿命が60歳前後、すなわち定年年齢以下である点はやはり目を引く。ロシアでは年金問題は生じないとも言われる位である。このように男性の平均寿命が短い点とともに男女差が世界一大きい点もロシアの特徴である(図録1670参照)。

 1950〜60年代には、OECD諸国(高所得国のみ)と同様に平均寿命は改善に向かっていた。当時から男女差は平均以上に開いており、女性の平均寿命はOECD平均並みであったが、男性は数歳OECD平均より低かった。

 その後、ソ連邦下の計画経済期、1991年ソ連邦崩壊後の市場経済期を通じて、起伏はあるが、全体に、男女とも低下傾向をたどるとともに、男性の平均寿命が特に低下した。女性はピーク時より3歳程度、男性はピーク時から7歳程度平均寿命が低下した。OECD諸国が全体として順調に平均寿命を伸ばしているのと比較して、著しく対照的な推移となっていた。

 こうした推移は、死亡率の上昇(特に男性)によるものであり、「1992年から2001年の間までの死者数は、例年より250万人から300万人多かったと推定される。戦争や飢餓、あるいは伝染病がないのに、これほどの規模の人命が失われたことは近年の歴史ではなかったことである」(国連開発計画「人間開発報告書2005」)

 時期別に見ると、経済計画期においても、1970年代に入って、平均寿命が低下する傾向となった。社会主義圏をリードする国威の発揚のため民生が犠牲にされる結果になっていたといえよう。これでは国がもたないということで対策が打たれたのであろうか、1980年代に入って、平均寿命が回復しはじめた。しかし、1985年に就任したゴルバチョフが企業の独立採算制と自主管理制を導入する経済改革などペレストロイカ政策を本格実施しはじめた87年から、再度、平均寿命は低下しはじめ、1991年のソ連邦崩壊後、1994年にかけては、急激な平均寿命の低下をみており、この時期の社会混乱の大きさをうかがわせている。

 その後、いったんは回復に向かうかに見えた平均寿命であるが、1998年以降は、再度、一進一退の状況となった。2006年以降、やっと回復の傾向となった。それでも、過去のピークまでは回復せず、なお、OECD平均にくらべて、女性では9歳程度、男性では、15歳程度も平均寿命が短くなっている。

 ロシアは、社会システムの崩壊がもたらす大変な状況に襲われたと想像されるが、以下に、ロシアの平均寿命の短さについての要因分析を要領よくまとめている国連開発計画UNDPの報告書から引用することとする。

「死因を調べるといくつかの事実が明らかになる。ロシアでは、食事と生活様式の影響で、心血管疾患の発生率が高い。ロシアではこの「先進国病」のほかに感染症が増加しており、結核やHIV/エイズの脅威が増大している。殺人や自殺も、アルコールの過剰摂取と密接に関連している。

 労働市場の改革、1990年代の深刻かつ長期にわたった景気後退、そして社会保障の崩壊が人々の心理的ストレスを増やす結果となったと考えられる。これは、アルコール消費量とアルコールが原因の病気に表れている。同時に、法、秩序および治安を扱う国の制度が崩壊したことに伴い、暴力的な犯罪が増加している。インフォーマルな経済活動や、暴力にものを言わせた取り立ても、平均寿命低下の原因となっている。1990年代前半だけで男性の殺人被害者は2倍に増えた。

 暴力犯罪や心理ストレスだけでなく、予防可能な感染症(とくに結核、急性腸炎、ジフテリア)の蔓延は、保健医療制度に欠陥があることを示している。公共医療支出は、1997年から98年にかけての1年ではGDPの3.5%を占めていたが、1990年から2001年の間には平均2.9%にまで減少した。裕福な世帯の多くは新たな民間の医療サービスに頼るようになっており、多くの貧困世帯にとっては、あらゆるところで賄賂その他の正規外の支払いを求められるために、「無料」の公的医療サービスは手の届かないものになってしまった。

 ロシアは死亡率の動向は、21世紀初頭における人間開発の最も深刻な課題の1つを示している。」(国連開発計画「人間開発報告書2005」)

 また、WHOの報告書は、社会の状況次第で、いかに健康格差が短期間に拡大するかの例として、以下のようなロシアの学歴別寿命の推移の図を掲げている。

 これを見ると市場経済への移行過程の中で高学歴の大卒は男女とも寿命を回復する一方で、初等教育卒は大きく寿命を短くなっており、ロシアの平均寿命が低迷する中で、社会階層による健康格差も急速に広がった状況がうかがわれる。



 ロシアにおける自殺率の高さについては図録277027722774参照。自殺率ばかりでなく他殺率も高い点は図録2775参照。北朝鮮においても平均寿命の低落が見られたことについては図録8902参照。

 旧ソ連諸国の平均寿命の動きを以下に掲げる。男の平均寿命の動きを見ると、ウズベキスタンを除いて、ロシアと多かれ少なかれ似た動きを示している。



 福島第一原発の原子力事故による放射能汚染への不安が高まる中、ロシアの1993〜4年の平均寿命の落ち込みを1986年のチェルノブイリ事故による放射能汚染の影響とする見方から当図録を引用する者が多くなった。チェルノブイリ事故による放射能汚染の影響は、以下のように、ベラルーシで大きい。

チェルノブイリ原発事故の汚染地域の住民数
  データ
集計時
汚染地域
人口(万人)
人口に占め
る割合(%)
2009年人口
(万人)
ロシア 1991.1.1 232.3 1.6 14,185
ベラルーシ 1995 184 19.0 966
ウクライナ 1995.1.1 240.4 5.2 4,601
  656.7 3.3 19,752
(注)汚染地域人口は、セシウム137の汚染レベル(キュリー/平方km)が1以上の地域住民数。人口に占める割合は世銀WDI資料により、当図録で算出。
(資料)京都大学原子炉研(http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/cher-1index.html

 男の平均寿命の動きで、ロシアより影響度の大きい筈のベラルーシでロシアと比較して特に際立った平均寿命の動きとなっていない点、またベラルーシの男女別の平均寿命の動きで、放射能汚染の影響であれば男女に違いがないはずであるが、実際は、女の平均寿命は男のような落ち込みが見られなかった点、この2点から、平均寿命の動きに放射能汚染が影響していると見るのには無理があるだろう。

 またロシアと最も近い平均寿命の動きを示しているのはカザフスタンであるが、チェルノブイリ原発からカザフスタンの首都アスタナまでの距離は、福島第一原発からモンゴルの首都ウランバートルまでの距離に匹敵するので、もしカザフスタンの平均寿命がチェルノブイリ原発事故の影響であるとすると、日本だけでなく中国全体が大きな平均寿命の落ち込みとなると考えなければならない。

(2006年10月11日収録、2007年6月18日更新、2008年5月29日更新、9月1日学歴別寿命推移図追加、2011年3月29日更新、4月10日旧ソ連諸国の平均寿命追加、5月25日カザフスタンコメント)

サイト内検索
関連図録
1173 中国・インド・ロシア・ブラジル・インドネシア・バングラデシュの人口増加率・人口動態
1610 主要先進国の平均寿命の推移
1620 世界の平均寿命ランキング(149カ国比較)
1630 平均寿命世界マップ(192カ国)
1670 平均寿命の男女格差(国際比較)
1700 米国州別の寿命と健康保険加入率
2770 自殺率の国際比較
2772 世界各国の男女別自殺率
2774 主要国の自殺率長期推移(1901年〜)
2775 世界各国の自殺率と他殺率の相関
4653 貧しさのため生活必需品が買えない経験の国際比較
8902 韓国・北朝鮮の平均寿命の推移
8975 ロシア周辺諸国の人口と民族構成
8980 ロシアの人口ピラミッド
図録書籍 内容・目次