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【コラム】

中日春秋

2011年5月24日

 例えば、どこかの組織で不祥事が起きる。そういう際の釈明のコメントで頻出するのが「あってはならないこと」という台詞(せりふ)だ

▼まったく想定外の出来事だ、と強調する表現だが、その意識こそが不都合な事象を隠す、いや、見ないようにさせてしまう面がある。人は「存在してはいけない」ものは存在していない、と思いたがる

▼愛知県の女子高生の自殺をめぐる損害賠償訴訟で、名古屋地裁が最近、彼女が中学時代に受けたいじめと、四年後の自殺との因果関係を認める判断を示した。それを訴え続けてきた原告の母親の思いが実った形である

▼判決は、いじめの事実を認め、学校側がそれを「いたずら」としか見ていなかったとすれば、いじめ問題に対する認識不足だと断じた。中学校側は控訴したが、あらゆる学校に、いじめなど「あってはならない」の意識が強いのは確かだ。その“呪縛”が見えなくさせているかもしれぬ悲劇を思う

▼原発にも通じる。原発推進の旗の下、地震や津波で電源が喪失し、炉心溶融が起こるといった想定は不都合の極みだ。「あってはならない」の意識が、あり得るはずの危険性を見ないようにさせてきた気がする

▼もし、福島の事故のような危険性が“見えて”いたら、原発推進の前提など翻っただろう。そして、それは「あるかもしれない」という目で見ていたら見えたはずだ。

 

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