大津波で役場ごと流された宮城県南三陸町。仮庁舎の建つ高台の総合体育館「ベイサイドアリーナ」を、オレンジ色のジャケットを着た女性たちが行き交う。背中には「兵庫県 保健師」の大きな白いプリント文字。「関西広域連合」の支援隊として阪神大震災の被災地、兵庫県から派遣された保健師たちだ。
その一人、田中智美さん(38)は、避難所からの2次避難で町内のホテルに移った町民の健康管理について、同町の保健師、佐藤奈央子さん(40)と話し合っていた。佐藤さんが「場所が変わると体調を崩すかもしれないから一人一人回った方がいいかな」と尋ねると、田中さんは「部屋ごとに表札を付けてもらうと回りやすくなりますよ」とアドバイス。佐藤さんは「震災経験がある兵庫県が即座に入って道しるべとなってくれた」と語る。
同町では約240人いた職員のうち36人が死亡または行方不明となっている。応援職員の派遣は被災自治体の要請を受け都道府県や総務省が市長会や町村会と調整するが、震災直後の役場は避難所運営にかかり切り。遠藤健治副町長は「総務も人事もないような組織の状況で、何をやらなきゃいけないかも分からないときにドンドン人を送られても混乱するだけだ」。佐藤徳憲総務課長も「『欲しい人材は?』とか『何人必要か?』と聞かれても答えようがなかった」と振り返る。
そこへ半ば押しかけるような形で支援隊を派遣したのが関西広域連合だ。大阪府など2府5県が国の権限移譲の受け皿になろうと、防災や医療、産業振興などで連携するため昨年12月に発足させた特別地方公共団体。震災2日後の3月13日、連合長の井戸敏三兵庫県知事らは神戸市の兵庫県災害対策センターに緊急参集し、直ちに岩手、宮城、福島の3県に対し、それぞれ担当する府県を固定する「カウンターパート方式」で支援することを決めた。
宮城県の担当となった兵庫、徳島、鳥取の3県は、派遣先の重荷にならないよう独自に被災現場のニーズを分析し、被害の大きい南三陸町と石巻市、気仙沼市に3月23日から現地支援本部を設置した。3県と県内市町村から避難所の運営ノウハウを持つ職員や建物の危険度判定士、保健師ら30~40人を10日交代で南三陸町に送る態勢を整えた。
佐藤仁町長の携帯電話に、ある日、井戸知事から直接連絡が入った。「現場からの報告を聞いていると、南三陸では保健師が足りないようだから、増派しますよ」。最初は戸惑い気味だった町長は「これはすごい」と感心したという。関西広域連合の村田昌彦防災課長(兵庫県職員)は「阪神大震災の教訓から『待ち』の姿勢ではダメだと分かっていた。行政機能がひっくり返り、何がどれぐらい必要かさえ分からない状態。カウンターパート方式なら信頼感が生まれるし、集中して迅速な支援ができる」と説明する。
被災者に寄り添って活動する姿勢が受け入れられ、関西広域連合は今、南三陸町の災害対策本部会議の正式メンバーになっている。「関西広域連合のような支援の仕組みを広めるべきだ」と佐藤町長。そしてこう加えた。「でも国がやってもスピード感が出ないから、やめた方がいい。九州、東北と小分けに作り、機動力ある支援の形を作っていくべきだ」【横田愛】
毎日新聞 2011年5月24日 東京朝刊