2011年5月15日(日)、NHK教育テレビで放送された番組「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」は福島原発事故後2ヶ月経過する状況を描くドキュメンタリだ。ちなみに再放送は、5月20日(木)午前1:30~(総合テレ ビ)。これを5回にわけて文字に起こしていく。
5回目は、飯舘村の農家。子どもを持つ農家の跡取りの先が見えない苦しみ。そして福島市に点在する汚染のホットスポット。教育現場の現状と取り組みを伝えている。このエントリーは、以下のエントリーの続きです。
文字おこし(4)『NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」〜福島原発事故から2ヶ月〜』
(文字おこし、続き)
米や葉タバコ、ブロッコリーなどを作ってきた菅野慎吾さんの一家です。
「それ今何の作業をしてるんすか」
「タバコの苗、葉タバコの」
「それどうするんですか、これ?」
「捨てちゃうんです。生活してんのにどうやって暮らしていいかわがんねえやなあ」
「うん」
「収束してくれればなあ、なんとか、どうにかなるんだけど」
「でも、現にもう、土汚れてるから無理だって。ここへ作物作っても」
「雑草だと思うしかねえだよ」
「自然消滅」
今、家族は決断を迫られていました。
慎吾さんは、幼い子供と妻をいち早く村外へ避難させていました。
母、徳子さんは福島に出て働く準備を進めています。
「ここを出ることに決めたんですか?」
「働かなくっちゃいけねえから。とにかく収入を得ないとやっていけないですよね。苦しくて、生活が。苦しいですよね。うん。働かないと。うん。収入ゼロ。専業農家だからゼロです。何も入ってこないです。」
果たしてこの先、農業を続けることができるのか。親子は考えあぐねていました。
「なあ」
「お母さんの場合は働くと思った。こっから通えっとこ。」
「みんなどうするんだろ。だってそんな事言ったら、ねえ、農業出来ねえ。さあ農業やってる人いっぱいいんだよ。」
「お母さんはそんなのやんないって。やんの?」
「やんのって……別にあっちに住んでこっちに通えばいいんじゃねえの。農業やれってなってね、やりたいってなったら。それでもいいんじゃない? って思ってるよ別に。」「お母さん自分でちゃんとはっきりしてるよ。自分でちゃんと見つける。しんごも見つけろ、自分で」
「みつけんのはわかっけど、農業やるって言ったら戻ってきてやってもいいってことや。だけど、子どもをここに済まして居住を置いてってことは考えてないってこと。わかる?」
「うん、わかるよ……。 」
「原発さえなかったらなあ……こんなことになんねえのになあ……。なんせ原発でなあ、前に進まねえんだ……。進まねえ……。」
「その辺、だいたいっすねえ」
「見えるのが全部くらいですか」
「あと、あっちもあるんですよ。あと結構遠くにおっきい畑があるんすけど。ここから20キロくらい離れたところっすか。そこはもうものすごい汚染なんですけど。」
「実際に被災してるわけじゃないですか。」
「全部失って……。」
「ただ悔しいだけですよね、本当に……。」
「普通にまあここで農業やって、子ども育てて……、今度幼稚園に入れて、小学校入れて、普通の環境で…………」
大地を汚した放射能、人々が描いてきた夢さえも奪おうとしています。
文字「4月22日」
放射能を運んだ風の通り道。
文字「福島市」
国道114号線をたどって、岡野さんと木村さんは福島市内に入りました。ここは、30万人が暮らす県庁所在地です。
市内の放射線レベルは、毎時0.5から1マイクロシーベルト。これまでの地域より1桁以上低いですが、スペクトルには、ハッキリと、セシウム134、137のピークが見られます。
「高いですか」
「そんなでもない。下がってきてますよ」
「むしろ学校の校庭とか公演とかああいうところのほうがね、降ったものがよくわかるんだよね」
「これは、信夫山になるんですよね。信夫山の脇っていうのが高いんじゃないですかね」
市の中心部に近い信夫山。その山裾の地区で放射線量が上がりました。
木村さんは山の上にある公演を訪ねました。
「3.3…4マイクロぐらいですね。3.4マイクロぐらいになりますから。やはり、苔とかそういう沈着しやすいものが多いところっていうのは線量的には高いですね。」
「ちょっとゆっくりいきましょう」
市の南東部にある渡り地区、渡利小学校に近づくと放射線の値が上がり始めました。
「高いですね。2.2有りますよ」
「増えてるね」
「あー、グランド、グランドの部分は、あっ。あ、高い高い。」
文字「渡利中学校」
「ちょっとここらへん、ちょっとストック」
「ぼくので、4〜4.25の間ですね。」
「ちなみにこのレベルっていうのは、チェルノブイリの3キロ圏、今現在の3キロ圏と一緒ですから」
「この正門前って言うのは、ほら地面がアスファルトですから、えー、沈着って言うのが雨とかー、雨風で流れますので、低くなる、訳なんですよ。先程の値よりは下がってますよね。1.47とか」
岡野さんの装置が記録した、福島市内の汚染地図。
赤色の丸は、毎時2マイクロシーベルト以上を表しています。
町の南北にある山のそばや周辺部の農地で比較的濃い汚染が見られます。風に乗って入った放射能が滞留し、雪に乗って地面に沈着したと考えられます。
文字「福島市立渡利中学校」
一人の生徒の姿もない校庭。渡利中学校では原発事故の後から校庭を使っていませんでした。
3月11日。地震が起きたのは卒業式の日でした。続いて降りかかった放射能。
文字「齋藤嘉則校長」
全校生徒458人の安全が、齋藤校長の方にのしかかっています。
「お子様への対応をお願いするってことで、文書で冷静に行動を起こして欲しいっちゅうこと。登下校。外に出るときには、帽子をかぶるなどできるだけ肌の露出を少なくするように心がけて、マスクとか口とか鼻を保護するようにしてください。」
校長のメモからは、生徒を放射能から守るための措置が、逆に子どもの心に負担をかけないか心配していることが伝わってきました。
部活動は校舎の中で、放射能を避けるため窓を閉めきって行なわれます。
新聞紙を固めたボール。春は中体連お大会に向けてチームをしあげる大事な時期です。しかしキャッチボールさえ出来ません。
校庭には生徒の足あとの代わりに、見慣れない印がありました。
福島市などが放射線量を計る目印です。
「毎日来て測ってるので。ポイントを」
「今頃はね、サッカーサッカー、陸上、あそこ野球をやってます。あそこで野球。っもう子供らがね、声出しながら、もうー、汗かいて、やってる状況なんだけどもこれだもんね」
「いやー寂しいですよね。いつもの光景でないんでね」
齋藤校長は今年度で定年を迎えます。放射能に汚染された学校で、子供たちと最後の年を過ごすことになりました。
「自然の景色は素晴らしいんだけどね。この見えない…ものが、我々の活動を邪魔してるんです。毎日戦い。」
4月19日、文部科学省は子どもが1年間に浴びる放射線の限度量を20ミリシーベルトとする基準を発表しました。
そこから、校舎の外の放射線量の上限を毎時3.8マイクロシーベルトとし、
それを上回った学校は、屋外活動を1日1時間に制限しました。
しかし年間20ミリシーベルトは、18歳未満の作業を禁じた放射線管理区域の4倍近い設定です。
「放射能で病気になったりするんじゃないかっていう。」
「やっぱり先がまだこの子たち長いのでー。んー、病気が一番心配ですねえ。」
「どうすることも出来ないですよね、正直もう。うーん。他に移り住むこともできないので。もうここで済むしかないので。避けれるものは少しでも避けてあげたいっていう感じ。」
「でもあまりにも制限し過ぎても、子どももストレスたまってしまうので、やっぱりこう、ちょっとでも、あの体力つけさせたり、動かせたりということは、考えてるんですけど。んー。」
親たちは子どもの被爆量が少しでも下がることを願っていました。
文字「福島県教職員組合」
「3センチ掘れば大丈夫だって言うけど……ほんとかい。」
汚染された校庭の放射線量を下げるという方法があるということを聞きました。
放射能が沈着した福島の土。
ここではおよそ毎時3マイクロシーベルトです。
地表の土を10センチほど取り除きました。
「かわるね?」
「1.3、1.4」
校庭の土を削れば、子ども被曝量を下げることが出来ます。
「3分の1くらいになる」
「あーあーあー下がる下がる」
いち早く対策に乗り出した自治体があらわれました。原発からの距離が60キロの郡山市。
文字「4月27日」
1つの小学校で、汚染…。
(文字おこし、ここまで、以下のエントリーに続く。)
文字おこし(5)『NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」〜福島原発事故から2ヶ月〜』
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【動画全まとめ】NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」~福島原発事故から2ヶ月~
(参考動画)
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