40 AM)

06 AM)

59 AM)

2011年5月15日(日)、NHK教育テレビで放送された番組「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」は福島原発事故後2ヶ月経過する状況を描くドキュメンタリだ。ちなみに再放送は、5月20日(木)午前1:30~(総合テレビ)。これを5回にわけて文字に起こしていく。

第3回目は、3月末の20キロから30キロ圏内の調査。業者からエサが来ない養鶏場では3万羽の鶏が餓死。赤宇木集会所では、飯舘村の3倍の放射線量が検出され、放射線衛生学を専門とする木村真三さんの情報提供により、自主的に避難が行なわれた。

このエントリーは、以下のエントリーの続きです。

文字おこし(2)『NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」〜福島原発事故から2ヶ月〜』

(文字おこし、続き)

43 AM)

「追いかけてくれたらこまるからねえー。「私も、原発に前勤めてた時もありましたねえ。30代の時に。その時はまあねえ、勤め口があって、みんな、意気揚々としてましたけど。」

04 AM)

「今このような生活を送って、毎日が、夜寝る時も朝起きても虚しくて、悔しくて、原発東電がすんごく憎く思ってます。」

24 AM)

「電気がなくとも夜暗くとも、そういう生活でもいいから原発は絶対欲しくないですね。」

48 AM)

「津島支所の遠藤といいます。あのー。今日の夜7時で、あとは、ここ、いちおう、閉鎖するっていう指示がきておるものですから。」

「どこですか?」

「役場の支所」

「ですから後は連絡こちらにお願いしたいと思いまして」

「わかりました」

「宜しく御願いたします」

「ご苦労様でした」

37 AM)

最寄りの役場の支所が閉鎖されるという知らせでした。

「そこのあれが今日7時で閉鎖するっていうことで」

「最寄りの役場も閉じられちゃうってことですね。」

「そうですね。」

35 AM)

「また不安ですね。」

「困ったね。うーん」

07 AM)

文字「浪江町役場 津島支所」

翌日、浪江町役場津島支所を訪ねてみました。

36 AM)

閉鎖された役場にはまだ職員がいました。避難先の二本松市から日中だけここに通うことにしたのだそうです。

57 AM)

文字「支所駐在 宇佐美和美さん」

「ここはどれくらいの線量ですか」

「えーとですね、今のところはですね、ただ山際のほうが線量は出てたんですが、ちょっと今んところ私もそのへんは今日は持ってこなかったです。今日ちょっと朝きたもんで。代わってきましたから。」

35 AM)

「あのこのへん結構、線量高いって聞いてるんですけど」

「どんだけ???高いか。その結局拡散して、高くなってると思うんですよね。まあその辺は、情報とかなにか聞かなくちゃいけないかと思うんですけども。」

53 AM)

集会場の人々の情報源はテレビだけでした。

44 AM)

インターネットはおろか携帯電話も不通になっていました。

02 AM)

役場が避難所として認可していないため、支援物資もありません。食料は農家から分けてもらったり自分たちで持ち寄ったもので凌いできました。

32 AM)

「これは野菜なんですか?」

「ええー、これはじゃがいもで」

「じゃがいも」

「大根で、ネギ、これみんなあの」

10 AM)

玉子は近くの養鶏場が人手不足で困っていると聞き、手伝いに行ったときもらったものです。

39 AM)

その養鶏場を訪ねてみることにしました。

「そのトラックが止まっているところがそうなんですよ」

14 AM)

「こんにちわ」

「あのねーNHKのかたね」

文字「高橋清重さん」

「どうもNHKです、こんにちわ」

41 AM)

高橋清重さんは4万羽の鶏を飼育しています。一日3万個の卵を出荷してきました。しかし、原発事故が怒ってから養鶏場は危機にひんしてきました。鳥の餌が届かないのです。

32 AM)

「エサ運ぶ人も放射能おっかなくてここさこねえんだわ」

「あー放射能ですかやっぱり」

「ああ。」

「こわいと」

「ああ」

49 AM)

「えさなくてだー、指くわえて見てんのが切ねえ!」

「つらいねえ」

「夜眠れなくなっちまう」

22 AM)

「餌がほしいから首突っ込んでますねえ、みんな」

10 AM)

餓死する鳥も出始めていました。

23 AM)

「トサカがドン黒くなったものは、死ぬー間近なんだ、これ。」

34 AM)

「明日ー、あさってあたりにエサくんねえとこの連中は……」

47 AM)

数日後、再び養鶏場を訪ねました。

04 AM)

25 AM)

鳥の声が聞こえません。

40 AM)

三万羽が餓死していました。

56 AM)

「こうやってだんだん増やしてここまでもってきたのさ……この姿だから……」

06 AM)

高橋さんがこの養鶏場を開いたのは1950年。シベリア抑留から生還し50羽の鳥から始めました。

原発事故はそのすべてを奪いました。

20 AM)

文字「3月28日」

43 AM)

文字「木村真三さん」

赤宇木の集会所の放射線汚染がどのようなレベルなのか。木村真三さんが調査にやって来ました。

59 AM)

「80マイクロシーベルト毎時」

「80?」

27 AM)

「下のほうがちょっと高いぐらいです。要はこっちの方はちょっと低いくらいですね」

「こんにちわー」

「こんにちわー」

27 AM)

集会所の脇の土壌を採取したところ、高濃度の放射能が検出されました。

48 AM)

セシウムだけで400万ベクレル。

59 AM)

ヨウ素131は2320万ベクレル。

原発から4キロの山田市の数値に継ぐ濃度です。

57 AM)

集会所の裏手にある畑で、きのこを採取しました。きのこはセシウムを吸収し濃縮することが知られています。

08 AM)

1kgあたりのセシウムは、42万ベクレル。食用のしいたけなどの基準値の840倍の量でした。

54 AM)

「これでですね、20マイクロシーベルト毎時ぐらいですね。1時間あたり20マイクロシーベルトという値ですね。」

「この部屋に入る前に外では計ってみましたか?」

「測ってます。計ってて、あの今皆さんが車を置かれているところで80マイクロシーベルト毎時。」

「ぜんぜん違うんですね」

「はい。家の中はもちろん遮蔽というものが出来てますから、うん、それは幾分かは下がる。3分の1ぐらいに下がったりとかするんですが、汚染が、ありますね」

45 AM)

「それにしてもこの放射線量というのはどれくらいかというのが、普通に我々が暮らしてても、1時間あたり、えーっと、大体0.06マイクロシーベルト毎時という値です。」

35 AM)

「ということは少なくとも、外では、1000倍強1200倍あるというところに皆さんがお住いになられているということなんです。」

28 AM)

「避難されているということなんです。」

21 AM)

「飯舘が近いからどうかなーなんては思ってたんですけどね」

「飯舘ーの3倍くらいですかね。」

49 AM)

「え? ここ?」

「はい。」

「ええ?」

「飯舘より高いんすか」

「はい」

「ええ?」

56 AM)

「3倍ぐらいですかね、こっちのほうが高いです」

「それ誰も知らんないよね、この???」

「はい」

13 AM)

「はぁー、どうしよっかな……ショックだね、知らないでいたこと」

「そうですよね」

「ぜんーぜん、知らないよねそういうことね」

「でここは高いというお話も……」

「知らない」

「知らなかったんですか……」

32 AM)

「ここ安全てね」

「安全ということは聞いてたからねえ」

「27キロだから30キロに満たないけど」

「昨日午後にはこれまでで最も高い基準値の……」

35 AM)

木村真三さんが赤宇木の危険性に話した2日後の3月30日、集会所の人々はこの場所を去ることにしました。

23 AM)

「木村さんって方がきて教えていただかなければ」

36 AM)

「まだまだ私たちずっと個々にしらずにいましたね」

56 AM)

赤宇木が計画的避難区域に設定されたのは、彼等がさってから12日後のことです。年間の被曝線量が、20ミリシーベルトを越えることが予想され、退避が求められる区域です。

32 AM)

赤宇木はその中でも突出した汚染地域でした。

33 AM)

集会所の人たちは、それを知ることが出来ずにいました。

実は、文部科学省は、2号機が爆発した3月15日から、放射線量の計測を始めホームページに公開していました。

37 AM)

15日の計測ポイントは3箇所。いずれも高い数値を示していますが地名は伏せられています。

01 AM)

計測値3は1時間あたり330マイクロシーベルト。日本の平常値の5500倍です。

22 AM)

添付された地図を見ると、計測ポイントは原発から北西の方向が選ばれていました。

41 AM)

計測値3は浪江町赤宇木付近でした。

45 AM)

文部科学省はこの地域に既に注目していました。データは官邸にあげられていました。

14 AM)

文字「枝野幸男 官房長官」

「本日文部科学省において、モニタリングをいただき文部科学省から公表される数字について、専門家の皆さんのまずは概略的な、あー、分析の報告に基づきますと、」

30 AM)

「直ちに人体に影響をあたえるような数値ではないと」

屋内退避地域にある、赤宇木が特別な扱いになることはありませんでした。文部科学省は、3月23日からは放射線の積算量についても計測を始めています。

47 AM)

赤宇木でそのモニタリングポストを見つけました。

03 AM)

23日以前を考慮に入れると、積算量は集会所の人々が脱出した30日までに25ミリシーベルトを超えていました。

24 AM)

屋内にいる時間を考慮に入れても赤宇木集会所に居続ければ、原子力安全委員会が避難の基準としている年間50ミリシーベルトを数カ月で超えてしまうことは明らかでした。

50 AM)

文部科学省の計測データは浪江町にはどう伝わっていたのでしょうか。

06 AM)

文字「浪江町 馬場有 町長」

36 AM)

「この32番というのが赤宇木の検出量になるんですけどね。もう…」

49 AM)

「突出してるっというのが…」

07 AM)

町はデータの存在を知っていました。しかし、地名が伏せられたデータを町は重要視していませんでした。

21 AM)

「そのデータはもうちょっと早くお伝えするっていう……」

「いやだから、正確な数字であればね、正確な数字であればいいんですけども、」

53 AM)

「それは文科省からでてるやつをホームページで、あのー、とってきたものを私に報告があったっていう……ことであって、あの正確、正式ではないんですよ」

「なるほど」

「はい」

「なるほど」

「はい」

「逆にその文科省の方からパソコンでアップっていう形ではなくて、町と町のほうにですね、こういうデータについて正確な報告がなかったわけですか」

59 AM)

「ないですね」

(文字おこし、ここまで。下記のエントリーに続く)

文字おこし(4)『NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」〜福島原発事故から2ヶ月〜』

(関連エントリー)

35 AM)

【動画全まとめ】NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」~福島原発事故から2ヶ月~

(参考動画)

houshanouosen

Amazon「原発」関連書籍

この記事をお気に入りましたら、あなたのフォロワーに伝えてくださいまし。

リツイート&はてブはこちらから。

フォローはこちらから。
Twitter

原発関連ドキュメンタリ(文字おこし)ラインナップ(右にスクロールして下さい)
関連記事は、もう少し下にもございます。ごゆっくりご覧くださいまし。