一眼レフ用交換レンズの世界的メーカーだ。その高倍率ズームレンズは数々の賞を獲得。長身にして筋肉質の頑強そうな体躯、白く美しい歯並び。小野守男社長は高校卒で職安からの途中入社組。その辣腕は同社を高収益会社に立て直す。
−−昨年11月、創立60周年を迎えたそうで
「記念企画で『18−270mm』(B008)、『SP70−300mm』(A005)という2種類の交換レンズを発売し、キャンペーンを展開しています。前者は超ワイド、超望遠、手ブレ補正機構、そして業界初のピエゾモーター使用という、盛りだくさんの特色を備えた高倍率ズームレンズです。1〜3月も計画以上の好調な売れ行きを示しています」
−−高倍率ズームといえば1992年7月、「AF28−200mm」を開発し、タムロンブランドを世界に浸透させている
「私が開発本部長時代のときで、当時の社長からは『この大きさでいけ』とハイライトの箱を提示され、技術者に競作させた。当時交換レンズは大きく重く、カメラファン泣かせでしたので開発できれば売れることは間違いなかった。ただ開発陣からは『タバコの大きさなど無理、無茶』との声が強かったが、無理を承知で開発に取り組ませた」
「当時、バブル崩壊で当社も大きな曲がり角に差し掛かっていたので、何とかヒットが欲しかった。そこで非球面レンズやエンジニアリングプラスチックの採用、そして加工技術などを駆使し、3年かけて『AF28−200mm』を開発した。これは累計ですが、姉妹品の『28−300mm』を合わせ、200万本突破の大ヒットになった」
−−それが救世主になった?
「それ以後、交換レンズ業界をリードするメーカーになった。今回の『18−270mm』もそのシリーズ商品だが、ズーム倍率は『28−200mm』の7・14倍に対し、『B008』は15倍。それだけ進化しているわけです」
−−最近、組織活性化の一環として“トカゲの頭切り”という方針を打ち出されたとか。どのような方針でしょうか
「一般に企業の場合、業績が落ちたり赤字になったりすると、社員の首を切ったりリストラをしたりと、組織の下の方から切っていく。当社は違う。経営責任をもつ取締役、執行役員など上層部から切っていく。そこで一昨年はリーマン・ショックの影響で業績が悪化したので、取締役から10%ずつ賃金をカットし、ボーナスをゼロにした。社員は全然カットしていません。ただ昨年はもうかったので、ボーナスを通常の倍払ってあげた」
−−社長になったとき打ち出した方針が「ニワトリを殺すな」とか。スゴそうな方針ですね
「本田宗一郎さんの言葉です。ニワトリは仲間がけがすると皆で突いて殺してしまう。企業の会議も同じで業績の悪い他部門、他部署を見つけると批判や攻撃をしてやっつける。自部門を良く見せるためです。批判、攻撃するよりも相手に手を貸す、力や知恵を貸せといっています。さもなければ会社は良くならない」
「当社は取締役と執行役員を分け、前者は会社全体や10年先に責任をもち、各部門の利益責任は執行役員がもつ。そんな体制にしています。全体最適、部分最適を志向した組織で、そして『もうかったら払う。もうからなかったら払わない』を原則にしています」
(宮本惇夫)
【会社メモ】1952年創立。「泰成光学機器製作所」の名で浦和市(現さいたま市)で始めた双眼鏡レンズの下請け加工が出発。57年に一眼レフカメラ用レンズを開発。その開発者・田村右兵衛の名を採ってタムロンに。92年世界最小、最軽量の一眼レフ用高倍率ズームレンズ「AF28−200mm」を発売、大ヒットしブランドを確立。84年株式を店頭公開、06年東証1部に上場した。2010年度売上高566億5000万円、経常利益54億7600万円。従業員数7198人(連結)。
■おの・もりお 1948年2月20日生まれ、63歳。東京都出身。66年私立聖橋高校卒業後、自動車部品メーカーを経て、74年タムロンに中途入社。78年取締役。その後常務、専務、副社長を経て2002年3月から現職。
【転職】1974年3月、職業安定所の紹介で入社した。「部長の面接を受けて家に帰ったら、『社長が会う。明日もう一度来てくれ』との連絡。びっくり仰天した。8年間勤めた前の会社では、社長は遠くから眺める存在だった」
面接での新井健之社長(当時)。「君のいた会社からたくさんの人を採用した。全部辞めた。君も3カ月しかもたないだろう」と。「それじゃ意地でも3年いてやる」と。結果的に2年で部長、5年目30歳の時には取締役になっていた。
【栄光と挫折】「明日株主総会に出てこい」と社長。
「私、株主じゃありませんけど」
「いいから出てこい」(社長)。行ってみたら取締役になっていた。
「背丈に合わない着物を着せられ悩みに悩み、苦しみに苦しむ毎日で、あげく胃に穴が開き、唐辛子を飲んで痛みを止め、線路の上を夢遊病者のように歩いたことも」
肩書も次長まで突き落とされ、そこで目がさめた。「社長は何も死ねとは言っていない。いざというときは会社を辞めればいいんだ」
以後、社長の指示、命令を逆手に取り「3割ではなく5割のコストダウン、20%ではなく35%の値下げでは」とこちらから提案した。社長は黙って何も言わなくなった。
受動的から能動的な仕事スタイルに変えることで危機を突破し、2年後取締役に復帰。出世街道を驀進する。
【古銭収集】昭和23(1948)年以降に発行された紙幣、硬貨の収集が端緒。2年で収集が終わり現在は江戸古銭へ。数年前、大判を1枚取得。「大判は殿様が年賀祝いなどに使ったもの。流通してなかったので数が少ない。夢がかなった」
【砂風呂】毎週日曜日は奥さんと砂風呂に。天然放射線入りの風呂で、身体の老廃物、毒素が浮き出してくるのがわかるという。「この砂風呂で難病を治したひとを何人も見ています。10分5000円と高いですが、家内も病気一つしないし、私も皆から『元気だね』とひやかされるほど。毎日が快調です」
【愛読書】吉川英治の「三国志」、「蜀の劉備玄徳が好き。彼は信義に厚く自分が凡人であることを知っていた。だから諸葛孔明のような優秀な部下が集まった。いつ読んでも興味が尽きない」
【座右の銘】花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根はみえねえんだなあ。「相田みつをさんのこの詩が好き。根はいわば社員。私はこれに“根にも光を”の1行を加えたい」
【酒】「普段は一滴もやりませんが、中国政府関係との宴席は別。白酒30杯までのお付き合いをします」