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福島第1原発:ブランド米危機 風評被害の長期化懸念も

ブランド米の袋を手にする佐藤良一さん=福島県二本松市の県合同庁舎で2011年5月23日午後4時26分、田中裕之撮影
ブランド米の袋を手にする佐藤良一さん=福島県二本松市の県合同庁舎で2011年5月23日午後4時26分、田中裕之撮影

 東京電力福島第1原発事故で今季のコメ作付けが制限された福島県浜通り北部では、東日本大震災発生前、地域を挙げてブランド米を育てる試みが実を結び始めていた。だが水田の多くが放射性物質や津波による塩害を受け、復元のめどはつかない。風評被害の長期化も懸念され、農家に落胆が広がっている。

 「最高ランクの特Aに限りなく近い食味」。震災前の2月、そうま農業協同組合(南相馬市)の農家2432戸が栽培するコシヒカリが日本穀物検定協会に称賛された。「みんなでやってきたことは間違ってなかった」。南相馬市小高区の稲作農家9代目、佐藤良一さん(58)は感無量だった。農協の稲作部会役員として、約7年前からブランド化に力を注いできた。

 そうま農協のブランド米は南相馬市、相馬市、新地町、飯舘村で生産。農薬や化学肥料を通常の半分以下に減らすなど厳しい基準を設け、甘さと粘りが特徴だ。地元では「浜ちゃん」、全国には「特別栽培米 JAそうま コシヒカリ」などの名前で売り出し、10年度産は1万1400トンを出荷した。

 小高区の一部農家は80年ごろから有機栽培を始め、首都圏を中心に販路を広げていた。「浜通りは泥炭が多く、コメの味が劣る」とも言われたが、佐藤さんには「もっと売れる」との確信があった。農協として取り組みを広げ、ブランド化に乗り出すことを決めた。

 道のりは平たんでなかった。種子を消毒する薬剤を減らすと、苗の病気が多発。「手間がかかり過ぎる」と不満を漏らす農家もあった。佐藤さんらは各地に足を運び、営農指導に力を入れた。収穫したコメは全農を通さず卸業者に直接販売。農家の手取りは1俵(60キロ)当たり500円増えた。

 みんなが手応えを感じ始めた中での原発事故だった。政府は警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域での今季の作付けを制限し、ブランド米を作ってきた水田は約2割の1500ヘクタールに減少。作付けできたコメも、取引先から「放射能は大丈夫か」と聞かれる。同農協の菊地洋一米穀課長は「地元の名で売るのはもう無理なのか」と漏らす。

 小高区が警戒区域に指定されてから、佐藤さんは約50キロ離れた二本松市の県合同庁舎で避難生活を送る。「幻のブランド米にはしたくない。でも、どうしていいか分からない」。例年なら30ヘクタールの水田で苗が背を伸ばし始める季節に、悔しさばかりが募る。【田中裕之】

毎日新聞 2011年5月29日 18時50分(最終更新 5月29日 20時13分)

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