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「私は『反原発』の立場から、この問題を考え始めたわけじゃないんですよ」。神戸市に石橋氏を訪ねると、意外な答えが返ってきた。阪神大震災で、やはり「起きることはない」とされてきた高速道路の倒壊などが現実のものとなり、耐震工学の安全神話が崩れたにもかかわらず、国の原子力安全委員会は「国内の原発の耐震安全性は損なわれない」とした。「原子力関係者は地震への危機感がなさ過ぎるのではないか」。素朴な疑問がわいた。
「少し調べたら、あまりにいいかげんで驚きました。調べるほどに心配の種が増える。地震学の専門家として積極的に情報発信すべきだと思って発言したが原発至上主義の時代にあっては、『反原発』のレッテルを貼られただけ。ほとんどの地震学者は無関心を装い、日本列島に原発を造ることには口をつぐむ。最近1年ほどは正直、徒労感があった。でも、可能性があることは、いずれ必ず起きる。こんなにも早く現実になるとは痛恨の極みです」。石橋氏は無念そうに語る。
50~60年代、「夢の新エネルギー」ともてはやされた原子力。一方、現代の地震学は60年代後半から緒についたばかり。福島第1原発1号機が設置許可された66年は、その足元にプレート境界巨大断層面が存在するなどとは考えられていなかった。くしくも原発建設ラッシュ当時の日本列島は大地震静穏期。激震を経験しないままに原発が増えていった。「95年ごろを境に活動期に入り、鳥取県西部など想定されていなかった地域・規模で地震が発生するようになった。自然は段階を追って、日本人に教えてくれていたのです。07年の中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発で『耐震安全性が実証された』との意見があるが、それは運が良かっただけだ。防災対策で原発震災をなくせないのは明らかで、危険度が高い原子炉から順次止めていくべきです」(石橋氏)
2011年4月18日