フクシマの原発事故は、「安全神話」の番人の権威をも失墜させた。今、批判の矢面に立たされ、原発の安全設計審査指針の見直しを表明した原子力安全委員会。「原子力村」の司令塔的役割を担ってきた専門家集団とは、どのような組織か。そして、どこに問題があったのだろうか。【中澤雄大】
「3・11」以降、「村」の住人たちの顔色はさえない。元日本原子力学会会長で、原子力安全委員会の委員長代理も務めた住田健二・大阪大名誉教授(80)もその一人だ。
16日、大阪府内の自宅を訪ねると、応接間で衆院予算委員会のテレビ中継に目を凝らしていた。「事態をこれ以上悪化させないためにも、わが国の総力を結集すべきなんですよ。どうも原子力安全・保安院や東京電力だけで、事に当たろうとしているように見えて腹立たしいですね」。画面は安全委の班目(まだらめ)春樹委員長(62)の姿を映し出していた。
「班目さんは技術屋として正直に発言している。日本原子力学会が、原子力の安全にかかわる情報の『内部告発』を容認する倫理規定を設けた時、彼は担当の倫理委員長。産業界から圧力がかかったけれど、右往左往しませんでした。『割り切らなければ原発の設計ができない』とか言って誤解されているけれど、できることとできないことをはっきり分けていて人間的には信用できる人です」。住田氏はそう言って元同僚をかばった。
安全委は、74年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故で高まった社会不信の中、原子力の開発・利用を進めるためには安全確保体制の強化が不可欠として、原子力政策を推進する原子力委員会から78年に分離する形で発足した。国会の同意を得て首相が任命した専門家5人が関係行政機関や事業者を指導。首相を通じて行政機関の長への「勧告」もできる独立機関だ。
震災の翌日、班目委員長は福島第1原発について「水素が発生する可能性があるが、大丈夫です」と説明したが、水素爆発は起こり、国会で追及を受けた。住田氏は「彼の専門は熱伝導で、どちらかと言えば実務より理論派。もっとプラクティカル(実地)をたたき上げていれば、対応は違っていたかもしれない。ただ、安全委員長は首相と同じようにすべてを知っている必要はなく、その分野の信頼できる担当者に任せればいい」と指摘する。
98~00年に原子力安全委員長を務めた、原子力安全研究協会研究参与の佐藤一男氏(77)は「原子力に限らずさまざまなリスクは必ず存在する。そうならないようにするのが推進する側の義務なのに、残念ながら一部が現実になった。残念、申し訳ないというのは当然」。こう話す佐藤氏は福島出身でもある。
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では、原子力安全委のあり方のどこが問題だったのか。そう問うと「安全委の設置法を読んだことありますか?」と逆質問された。「実際に安全規制を担当するのは規制官庁ですよ。発電用炉の場合は原子力安全・保安院、研究用施設ならば文部科学省。安全委は、そうした規制方法が適正かどうかを見守り、助言する組織であって、そもそも陣頭に立って旗を振る役目はない。だから、同じ『委員会』という名称でも、執行権限を持つ米原子力規制委員会(NRC)とは全く違う組織なんです。僕自身はこの仕組みが良いとは思わないが」
実は安全委の発足当時、組織形態を公正取引委員会のように執行権限を持つ「行政委員会」にするかどうかで議論があった。行政委員会には明確な権限が付与される一方、権限外の事務ができなくなることなどから、結果的に見送られた経緯がある。
99年には「原子力その他のエネルギーの安全・産業保安を確保」するために、経済産業省の一機関として保安院の設置が決まった。安全委の位置づけは、いよいよ不透明になっていった。佐藤氏が続ける。
「安全委は原子力委員会と同様、口は出すけれども執行権限はないんです。かつては(首相は原子力委と安全委の)決定を十分に尊重しなければならないとした条文(23条)があったが、(99年、中央省庁再編に伴う)行政改革の過程で削られた。意見を尊重しなくてもいい組織はいらない、との論理でした。しかし、仮に保安院と安全委の意見が食い違ったとして、条文がなくても安全委の考えを尊重した結果、それが間違っていたら、誰がどういう責任を取るのか。法律のどこにも書かれていない。そういう点がうやむやで済むのが日本なんだ」
元安全委専門委員の武田邦彦・中部大教授は著書「原発事故 残留汚染の危険性」で安全委と保安院の関係について、「理念的なことをやるところと現実を握っているところでは、現実を握っているほうの力が強くなる」と喝破している。
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こうした権限と責任の所在のあいまいさが、結果的に原発への監視の目を弱めたとは言えないか。
ここ10年余りを振り返ってみても、99年の茨城県東海村のJCO臨界事故や02年の東電検査記録改ざん事件など幾つもの不祥事が明らかになった。その都度、規制官庁が監視・監査機能を強化し、安全委もまた「ダブルチェック」してきたはずだ。けれども原子力村の体質は変えられず、3・11を迎えてしまった。
前出の住田氏や佐藤氏ら日本を代表する原子力学者16人は3月30日、連名で「緊急建言」を出し、政府に専門的な英知と経験を結集した体制の構築を求めた。冒頭には「原子力の平和利用を先頭立って進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします」との重い一文がある。
「僕らは原爆でひどい目に遭った世代だけど、『夢のエネルギー』といわれた原子力を自分たちの幸せにつなげられたらとの思いで、ずっと仕事をしてきた。それだけに本当に申し訳ないという痛切な思いがある」と住田氏は言う。
既に政府は、安全委と保安院を統合するような組織の検討を始めているという。
東大工学部原子力工学科の第1期生ながら、長年「原子力村」の外から放射線や原発の危険性を指摘し続けてきた安斎育郎・立命館大名誉教授(71)は「大事なのは形式ではなく、実質において本当に安全性が確保されるようになるかどうか。原発の運転が続く中、高い専門能力でチェック機能をきちんと果たせる体制が必要です」と語る。
そのためには、行革時の各省庁の縄張り意識などを排除し、後進育成にもつながるような、実効性のある議論が求められている。
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毎日新聞 2011年5月23日 東京夕刊