クイズ番組が「学校」だった
筒井です。こんにちは。
児玉清さんが亡くなりました。「パネルクイズ アタック25」の司会、36年間も務めていたんですね。大阪ではボクらの少年時代、「あっちこっち丁稚」→「新婚さんいらっしゃい」→「アタック25」のABCテレビ3連発が日曜昼の黄金パターン(中学時代はさらに毎日テレビの「マクロス」「アニメ・レインボーマン」へと続く)。番組でいつも紹介されていた商品「スイスの高級腕時計テクノス」が醸し出す大人のムードにあこがれました。児玉さん、楽しい時間をありがとうございました! ご冥福をお祈りいたします。
もう、あの名司会ぶりは見られないのか~、と考えていると、ふと頭に記憶がよみがえり、自宅のゲームソフト置き場を探ってみたが…。プレステ2用の「アタック25」、やはり中古で売ってしまったようです。残念。「お見事!」「立ってしまわれたっ!」という、あの名口調が流れ、実写の「アタックチャ~ンス!」も楽しめたんですが。このゲームをプレーすると、クイズより、パネルの取り方が重要なことがよく分かります。シンプルながら奥が深い。長寿番組でいられるポイントですね。児玉さんの無念の分も含め、まだまだ続いてほしいです。
ボクらの世代は一般参加系、芸能人系も含め、クイズ番組、ゲーム番組がホントたくさんありました。 「アップダウンクイズ」「クイズダービー」「ドレミファドン」「ヒントでピント」「100人に聞きました」「SHOW by ショーバイ」などメジャーどころは言わずもがな、ですが、特に印象的だった番組を個人的に挙げてみると…。
◇「霊感ヤマカン第六感」(74~84年)
これもメジャー番組なんでしょうか? フランキー堺といえば、年配の方なら、ドラマ「私は貝になりたい」か喜劇映画でしょうが、ボクにとっての代表的仕事はこの司会業。クイズ番組なのにやたらに長いオープニングと独特のテーマ曲が印象的でしたね。芸能人チームが4対4で向かい合い、頭上にある互いのモニターを見て、自分の上の言葉を当てる「霊感ゲーム」が楽しかった。こちら視聴者側が頭を使う必要はないのが、気軽に見られて楽しかったのかも。
◇「人生ゲーム ハイ&ロー」(79~82年)
キンキンこと愛川欣也司会の人生スゴロク風クイズ&ゲーム。伏せたトランプを順にめくって、前の数字より上か下かを当てるゲームがシンプルながら大興奮。おもちゃのボードゲーム、もちろん買ってもらいました(もちろん専用トランプ付き)。あのころは「日本特急旅行ゲーム」とか、ボードゲームも充実しまくってましたね。
◇「三枝の国盗りゲーム」(77~86年)
日本の都道府県の名前、位置は、この番組でボクの頭の中に定着しました。クイズで正解し、陣地を奪っていくシンプルスタイルながら、最後の「坊主めくりゲーム」まで気が抜けません。同様に、世界各国は「世界一周双六ゲーム」(80~86年)で学びました。ABCテレビの朝日放送は、名番組が多いわ。
◇「アイ・アイゲーム」(79~85年)
こちらも、ボクら世代の山城新伍の代表的仕事。言葉当てクイズで、あの有名フレーズ「チョメチョメ」が醸し出すイヤラしい雰囲気が、ちょっと背伸びの年頃にはワクワクものでした。9時から見る「花王名人劇場」の漫才を見て、そのまま「アイアイ」に流れ、読売テレビの「おもしろサンデー」につなぐのが大阪人的王道パターン?
◇「どんなモンダイQテレビ」(84~86年)
夕方18時台の番組なので、大人世代はほとんど見てなかったはず。NHKの帯番組で、中学時代は晩ご飯までこれを見て過ごすのが定番でした。頭の上で腕で大きな丸を作り、右手をQの波棒に見立てる「ど~ん、Q~」のポーズは学校でも流行りましたよ。解答者で出演していた森宙太さんが、人を食ったような名前のおかげもあって結構人気で(しかも結構男前)。あと、ボクと同い年だったアイドル・志賀真理子ちゃんも、正統派のキュートさが魅力的でした。ただ、志賀さんは残念なことに89年に事故死。それもあって今も心に残っているのかも。宙太さんも若くして亡くなったそうですし。
どれも多種多様。子どもたちにとって、クイズやゲーム番組が、知識だけでなく、ユーモアセンス、運や勘の大切さ(これが一番大事?)など、いろいろなことを教えてくれる「学校」だった時代ですね。児玉さんも生前、俳優・谷原章介にバラエティー番組司会についてを相談を受け、「子どもたちも見る番組は大切にやりなさい」といった旨のアドバイスをしたといいます。博学自慢はともかく、おバカ自慢の番組を見せられている今どきの小中学生って、かわいそうな気がしますね。
筒井政也略歴
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