2011年5月29日3時5分
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、日本が海外から巨額の賠償を負わされる恐れがあることがわかった。国境を越えた被害の損害賠償訴訟を事故発生国で行うことを定めた国際条約に加盟しておらず、外国人から提訴されれば日本国内で裁判ができないためだ。菅政権は危機感を強め、条約加盟の本格検討に着手した。
原発事故の損害賠償訴訟を発生国で行うことを定める条約は、国際原子力機関(IAEA)が採択した「原子力損害の補完的補償に関する条約」(CSC)など三つある。日本は米国からCSC加盟を要請されて検討してきたが、日本では事故が起きない「安全神話」を前提とする一方、近隣国の事故で日本に被害が及ぶ場合を想定し、国内の被害者が他国で裁判を行わなければならなくなる制約を恐れて加盟を見送ってきた。
このため、福島第一原発の事故で海に流れた汚染水が他国の漁業に被害を与えたり、津波で流された大量のがれきに放射性物質が付着した状態で他国に流れついたりして被害者から提訴されれば、原告の国で裁判が行われる。賠償金の算定基準もその国の基準が採用され、賠償額が膨らむ可能性がある。
日本には他国の判決を国内で認める民事訴訟法の規定があり、米国の損害賠償訴訟で日本企業が高額を要求される事例が増えている。菅政権は東電の賠償を支援するが、海外で訴訟が相次げば、国内だけで数兆円と見られる賠償負担がさらに増す恐れがある。
国際私法の専門家は、事故発生後でも提訴される前に条約に加盟すれば「相手国との交渉次第で、裁判管轄権を日本に置くことができる」と指摘する。今後の余震で被害が広がる恐れもあり、「提訴前にCSC加盟を急ぐべきだ」(官邸関係者)との声が出始めた。
賠償制度を所管する文部科学省の藤木完治研究開発局長は「今回の事故でより真剣に加盟を考えている」と話す。ただ、加盟には国内法の整備が必要な上、事故後の加盟には他の加盟国からの反発も予想される。
原発事故を受けて国際条約が適用された例はないが、フランスで開かれた主要国首脳会議(G8サミット)はIAEAの機能強化を提案する首脳宣言を採択。国際的な原発の安全管理や事故被害の救済を求める流れは強まっている。
1954年に米国の水爆実験で第五福竜丸の乗組員が被曝(ひばく)した事件で、米政府は日本に慰謝料7億2千万円を支払って政治決着させた。冷戦下の旧ソ連は86年のチェルノブイリ原発事故で、放射能汚染を受けた西側諸国の酪農家に賠償しなかった。(松田京平)