オッショイ!九州

フォトジャーナル

文字サイズ変更

記憶遺産:世界が認めた作兵衛絵画 炭坑生活の明暗 克明に

山本作兵衛作「入浴」(64~67年)。筑豊の小ヤマでは昭和時代まで混浴があったという=田川市石炭・歴史博物館所蔵
山本作兵衛作「入浴」(64~67年)。筑豊の小ヤマでは昭和時代まで混浴があったという=田川市石炭・歴史博物館所蔵

 「炭坑生活の実態が明らかになるのを嫌う声もあったが、父の残した物が世界に認められたと思うと、とてもうれしい」。炭坑画家、山本作兵衛(1892~1984年)の絵画や日記などが国内初の「世界記憶遺産」に決まり、三男の照雄さん(75)=福岡県飯塚市相田=はしみじみと語った。

 作兵衛は7歳から父の炭坑労働を手伝い、63歳まで採炭夫や鍛冶工として働いた。残された日記には21歳から周囲の出来事が克明に記され、これが65歳から描き始めた記録画の下敷きとなった。

 題材は坑内労働や生活ぶりに加え、労働争議やリンチ、外国人労働者問題など「暗部」にも切り込み、作風には関係者から異論も聞かれた。ただ照雄さんから見た作兵衛は「絵と酒をこよなく愛し、寡黙だがとても優しい父だった」。

 絵を描く時は必ずそばに一升瓶があり、親しい人が酒を持参するとしばしば絵を描いて渡したという。福岡県立大が保管する死の1カ月前の日記には「酒1級 白鹿2 月桂冠2 松竹梅1」と、差し入れと思われる記述も。だが照雄さんは「決して酒には飲まれず、どんなに酒が入っても絵を描く時は『よし、描くぞ』と真剣そのものだった」と語る。

 一方、照雄さんの長女、緒方恵美さん(50)は「とても手先が器用で、玩具や額縁、小さなタンスまで作っていた。タンスには製作年月日も記されていた」ときちょうめんな祖父を懐かしんだ。

 緒方さん方に残る、スケッチブックの60年4月のページには「蛇足迷語」と題してこうある。「地球の上に軍人あり武器がある以上絶対戦争、人殺しが起こらないと予言できませうか文明を誇る先進国ほど原爆実験に大童(おおわらわ)ではありませんか」。緒方さんは「祖父の発想には、いまだにいろいろ考えさせられる」と話していた。【荒木俊雄】

2011年5月26日

 
地域体験イベント検索

おすすめ情報

注目ブランド

毎日jp共同企画