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【プロ野球】

与那嶺さんお別れの会 ON、星野監督ら400人参列

2011年5月28日 紙面から

 米・ハワイで2月28日(日本時間3月1日)に前立腺がんのため85歳で亡くなった与那嶺要氏のお別れの会が27日、東京都港区の六本木教会で営まれた。長嶋茂雄巨人終身名誉監督(75)、王貞治ソフトバンク球団会長(71)、星野仙一楽天監督(64)ら球界関係者を中心に400人が参列。中日監督として1974年に巨人の10連覇を阻むセ・リーグ優勝を果たし、巨人の現役時代は首位打者を3度獲得するなど活躍した故人をしのんだ。

 日本野球を変えたウォーリーを心から悼んだ。東日本大震災のため、当初予定されていた3月22日からこの日まで延期されたお別れの会。祭壇にはトレードマークの笑顔をみせる与那嶺氏の遺影が置かれ、祈りをささげた後には、王会長や権藤博氏、星野監督が別れのスピーチを行った。

 2年間、巨人でともに戦った王会長は「与那嶺さんにすべてを教わり、その後の野球人生が大きく変わった」と感謝。「プロ野球の発展の節目として与那嶺さんの加入があったのではないでしょうか。与那嶺スタイルが浸透し、影響を与えていると思う」と激しいスライディングなどで日本野球を変えたといわれる故人をたたえた。

 一方、正月をハワイで一緒に過ごしていた権藤氏は「一番教わったのは戦い方。『やるか、やられるかよ』と言われました」とスピーチ。時折、声をつまらせながら「ウォーリー、お疲れさまでした。ありがとう」と感謝の言葉を贈った。

 会の最後で、野球人は球場と同じような拍手で送るのが最もふさわしいと出席者の一人が提案。ハワイ・ホノルルで3月5日に営まれた葬儀の時と同じように出席者が立ち上がり、万雷のスタンディングオベーションと歓声をささげた。

 教会に響いた拍手は現役時代にプレーした後楽園球場、竜の指揮官として宙に舞った中日球場のよう。喪主で長男のポールさんは「父は『日本に来て、よかった。友達がたくさんいるから』と話していた」と語ったが、その仲間たちによる拍手は、天国の与那嶺さんに届いたことだろう。 (川越亮太)

 

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