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日米開戦、東久邇宮稔彦,東条英機,クレマンソー,ウィキペディアの信憑性

新潮社「波」H20年5月号、「パリの日本人」鹿島茂、第3回より。「やんちゃ孤独」(東久邇稔彦著、1955、読売文庫)が出典。

東久邇宮稔彦は1920年からフランスに留学し、フランス陸軍大学を卒業した。フランスに行った最初の頃、ペタン元帥に会った。いきなり「日本は日米戦争をやるのか」と聞いてきたのでびっくりした。「日本では対米戦争などまったく想定さえされていない」と答えると、ペタンは「それはウソだ」といって笑った。2回目の会見でも「アメリカは。お前の国をうつかも知れないからよほど用心しなければならない」と力説した。

クレマンソー元首相に率直に疑問をぶつけると「アメリカが太平洋へ発展するためには、日本はじゃまなんだ。太平洋や中国大陸でアメリカが発展するために、日本の勢力を取り除かなければならぬのは当たり前だ。フランスへ来ているアメリカの軍部の高官連中は、みんなこういっている。

アメリカはまず外交で、日本を苦しめてゆくだろう。日本は外交がへただから、アメリカにギュウギュウいわされるに違いない。その上日本人は短気だから、きっとけんかを買うだろう。つまり、日本の方から戦争をしかけるように外交を持ってゆく。そこで日本が短気を起して戦争に訴えたら、日本は必ず負ける。アメリカの兵隊は強い。軍需品の生産は日本と比較にならないほど大きいのだから、戦争をしたら日本が負けるのは当り前だ。だからどんなことがあっても、日本は我慢して戦争してはいけない。」

クレマンソーの予言を聞いて日本の将来に不安を覚えた東久邇宮は、日本に戻ると陸軍首脳部に話したが相手にされなかった。昭和16年ハルノートが突き付けられたとき、東久邇宮は首相の東条英機に面会し、説得を試みた。「クレマンソーからアメリカは第一次大戦後日米戦争の準備をしている。外交上日本は短気を起して大変なことになると聞いた」話をして反省を促した。

東条は「それはよくわかっています。しかし、米・英・シナ・オランダの包囲網ができて、日本はじりじり首をしめられている。このままゆけば自滅するほかはない」という。東久邇宮は「それがアメリカの外交の手ではないか、それにだまされずに、ここで隠忍自重して、向こうの手に乗らないようにすべきだ」と力説した。

東条は「坐して亡国となるより、日本が出てゆけば、戦争は勝つか負けるか二つに一つである。少なくとも勝利の公算は二分の一である。このまま引き下がることは断じてできない。総理大臣として、陸軍大臣としてこのまま見逃すことは断じてできない。戦うほかに方法はない。見解の相違である。」といった。

東久邇宮は「全く残念至極に今でも思っているが、日本人がいかに国際情勢にうといか、外交がへたか、日本人は独善主義者であるか、ということをつくづくと感じた」と述べている。

<感想>
まず、ウィキペディアの記述が全く逆のニュアンスになっていることに驚き、うかつに信用できないと思った。その記述とは

フランス留学中に、クレマンソーを紹介され親交を深めた。ペタン元帥やクレマンソーと会見した時に、両人より「アメリカが日本を撃つ用意をしている」との忠言を受け、帰国後、各方面に日米戦争不可避論を説いて回ったが、西園寺公望以外は誰も耳を傾ける者はいなかった。日米交渉も大詰めを迎えた昭和16年12月、稔彦王は東條英樹陸軍大臣にこのクレマンソーの忠言を披露した。東條も「坐して亡国になるよりは、戦うほかない」とこれに同調。日本が米国と開戦したのはそれから間もなくのことだった。

というもの。西園寺公望は日米戦争を避けようとしていたので、東久邇宮の話に耳を傾けたはずで、まして東久邇宮が日米戦争不可避を説いて同調した東條が開戦したというのはありえない話だ。

大事なことは東久邇宮が「日本人がいかに国際情勢にうといか、外交がへたか、日本人は独善主義者であるか」としたことで、私も同感である。東久邇宮は陸軍なので、留学前はロシア主敵論しか知らなかったと思われる。他の陸軍首脳部もロシアを仮想敵国として満州軍に精鋭を配置した思考方法を墨守した。海軍は当然、アメリカを仮想敵国にして研究しており、アメリカもオレンジ計画により対日戦を想定していたのだが、陸海軍の反目により、日中戦争を主導した陸軍は対米関係を等閑視してしまった。つまり、東条の賭けに日本国民は利用され犠牲にされたということ。

フランスに留学した東久邇宮稔彦が西園寺公望同様、社会主義の一端に触れ、自由主義の雰囲気を味わったことは、フランスの魔力として興味深い。アナーキーな面が終戦後の一時期に現われたのはその影響だろうか。もっとも、不遇の久邇宮家に生まれた時から、青年期も含め、自由奔放な面があったので性格的なものだろうか。ただ、終戦時の首相として、日本が流血の惨事なく収まったことは評価されている。

アメリカは日本の頭ごしに、ニクソンショックにより、国交回復をし、現在は中国大陸に何を望んでいるのか興味深い。

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奥田晴樹氏の幕末開港史では、米国は中国大陸をターゲットにし、日本の安全保障を約束する外交政策は、現在まで続いていると指摘。同感である。フランスとドイツの留学経験の差は、自由主義と国家主義の差をもたらしている。西園寺と近衛文麿の父の例あり。 削除

2009/8/30(日) 午前 7:38 [ 博光 ]

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詳しい記述ですね。勉強になりました。
西園寺公望は「教育勅語」を改訂しようとしたけれど、伊藤内閣が終わり断念せざる得なかったということを学びました。
国際性もありリベラル(自由主義)であり、また皇室を存続してゆくことも重視し。国家の中枢と軍部の勢いとの回り合わせで歯車が悪い方へと向かってしまった・・・。国際情勢と他国との価値観の相違に鈍感なのは、今も同じに思えて、心配です。
お気に入りに登録させて頂きました。
宜しくお願いします。
傑作。

2009/12/9(水) 午後 8:16 [ 結美yuubi ]

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<感想>の「西園寺公望は日米戦争を避けようとしていたので、東久邇宮の話に耳を傾けたはずで、
まして東久邇宮が日米戦争不可避を説いて同調した東條が開戦したというのはありえない話だ。」
というのは変だぞ。
東久邇宮は「日米戦争不可避」を説いたのではなく、「クレマンソーらが日米戦争の危険を論じたこと」
を帰国後に日本で説いて回ったんだろ。
西園寺は「日米戦争の恐れがあり、回避に努力すべきだ」という忠言に同調したが、
東条は同調しなかった。 削除

2011/5/28(土) 午前 6:12 [ ]

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