きょうのコラム「時鐘」 2011年5月28日

 利発な子どもを例えて「一を聞いて十を知る」という。日本の秀才はこの形が多く、古い教育の限界だとも言われる

インターネット時代に大切なのは「1を聞いて0を知る」能力である。コンピューターは1と0の組み合わせである。理系の研究者には常識だろうが「0」は、インドの古代数学が発見したと言われ、それ以前には一般化していなかった概念だそうだ

こんな話が空しくなるのが、福島原発の海水注入問題である。55分の注水中断があったというから安全保安院の班目委員長の「(再臨界の)可能性はゼロではない」との言葉が物議をかもし、それが「可能性はゼロという意味だ」と言ってまた困らせる。「ゼロ」の概念がめちゃくちゃだ

今度は、中断はなかったという。班目委員長は「私はいったい何だったのか、何がどうなっているのか教えてほしい」とぼやいていた。真実を教えてほしいのは、科学者の「ゼロ発言」に首をかしげ、翻弄される国民の方だ

フランスで福島原発を凝視している世界の首脳たちがいる。日本への信用度が限りなく「ゼロ」に近くなったのではないか心配だ。