私が定期購読している雑誌の6月号の読者投稿欄に、某府の現職副知事からの投稿が載っていました。
そのタイトルは「肩書きは仕事をするためにある」というもので、大変興味を深め拝読した次第です。
その記事を読んで今夏の知事選を前にまつわるであろうと感じた私の思いを「応援ブログ」に投稿します。
その前に記事の内容をかいつまんで記します。
その副知事は、40余年前に入庁し主に土木畑等を長く努めた後、平成19年に退職し公務員生活を終える予定でしたが、前知事に抜擢され副知事になられたそうです。
現知事に代わられても現在までその職に就いているそうです。
そして今年の7月で4年の任期を迎えるそうです。
その事実だけをもってしてもその副知事が、人間的に実に立派な方であることは察知できると思います。
そしてタイトルが意味するその知事の思いを記事から引用します。
部長として出向くのと副知事として出向くのとでは、大きな違いを感じたそうです。
副知事として現場へ伺うと「副知事さんが来てくれたのだから来年も頑張ろう」とか「府から認めてもらっている」とかで、大変喜ばれるそうです。
そしてそのことは「私という人間より、私の肩書きに喜んでくれている」との思いに至り、「肩書きは仕事をするためにある」と肝に銘じたそうです。
そこを勘違いしてしまうと「そんな小さな会合、俺が行かなくてもいいだろう」となり兼ねないと記しています。
また、「肩書きはけっして威張るためのものではない」とも述べています。
さすが副知事に抜擢されるだけの人物と思った次第です。
そしてこの投稿文から私が感じた今夏の知事選に関してですが、過日の新聞に、現知事の後援会組織に関する記事が掲載されました。
そこから察した私の感想は、というと、現職有利といわれる中、形だけの無所属だけでなく「肩書きを眼いっぱい利用している」という思いに至ります。
なぜならば、県政と深く関わっている各種団体のトップの方々を選対組織に据えた上、選出自民党県会議員の地盤までも利用しようとしています。
これは昔の選挙そのものであり、世相の変化、新時代の到来はどうあれ皮肉にも「勝てば官軍」そのものと言った感がします。
無所属でありながら、過去にこれだけ自民党組織に依存した選挙があったでしょうか?そんな気がしています。
このことから現知事は、御自分の肩書きを別な事にも最大限使っている訳で、逆に言えば御自分の肩書きに頼りきっている事でもある、と解釈できるわけです。
またそこに群がる古い考えを旧態依然と大切にしている団体トップの方々が居て、その事を知ってか知らずかは脇に置くとして、その事が群馬の発展をこれまで阻害してきた源ではないか、とも感じてしまいます。
その他の読者の方々は、この事実をどの様に捉えたでしょうか?
後藤候補も亡き小寺さんが知事の時、副知事に推挙され議会に提案されましたが、自民党王国の一部派閥に反対された経緯があります。
群馬県のイメージは多分その頃から下降曲線をたどっている様な気がしてなりません。
By 高崎在住支援者