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[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ(しんちゃん×真・恋姫無双)
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/13 07:43
 時は紀元三世紀。日本は卑弥呼の時代。現在の中国はまだ漢王朝が存在していた。その力は衰退し、徐々に乱世の様相を呈し出した頃。大陸にどこからともなく広まった予言があった。

―――世乱れる時、天より御遣い現れり。その者、嵐を呼ぶが乱世を止める者なり。

 この言葉を誰もが聞いたが、ほとんど信じる者はいなかった。しかし、中には信じる者もいた。そう、そんなものにも縋りたい程にこの国を憂いている者達だ。苦しむ者達を救おうと動く者や、己が力の無さに涙する者。優しき故に、彼らは願った。この大陸に平穏を、と。
 その想いは力となり、予言を実現しようと動き出す。外史と呼ばれる世界。本筋ではない歴史。IF―――つまりあったかもしれなかった可能性の世界。そこへ、今まさに救世主が降り立とうとしていた……



 場所は変わって、現代は春日部市。そこにある住宅地のとある一軒家。そこに住む家族達が、実は何気に何度も世界を救った事を知る者は少ない。その家族の名は野原家。そして、主役はそこの長男。

「ふぁ~あ……ヒマだぞ」

 今日は日曜日。彼は寝坊したため、買い物へ出た両親と妹に置いていかれたのだ。仕方ないので、作ってあったおにぎりを食べ、居間で横になりながら普段の格好で寛いでいた。赤い上着に半ズボン。どこかにいそうでいない少年がそこにはいた。
 彼の名は野原しんのすけ。チョコビと綺麗なお姉さんが好きで、納豆にはネギを入れるタイプの五歳児。憧れの人物はアクション仮面にカンタムロボ、そして救いのヒーローぶりぶりざえもんだ。

 しんのすけはおにぎりを食べ終わると、する事がないとばかりにアクビをした。庭には彼の愛犬シロがいる。それを思い出し、散歩でもして暇を潰すかと考えた。

「そうだ。シロの散歩でもするぞ」

 自分一人で留守番にも関らず、家を空けようと考える所が子供、いや彼らしい。更に、本来毎日のようにしなければならない散歩を、暇潰しでしか思い出さないところに彼の彼たる所以がある。ともあれ、彼は玄関へ向かい靴を履こうとした。だが、ある事を思いついて再び居間へと戻った。
 そして、おもちゃ箱を漁ると何かを取り出した。それはアクション仮面のヘルメットとカンタムロボのフィギュアだ。散歩がてらパトロールをしようとでも思ったのだろうか。ともあれ、しんのすけはヘルメットを被り、フィギュアを片手に玄関へ。

「ほっほほ~い。シロ~、散歩に行くぞ~」

「キャ……クゥ~ン?」

 しんのすけの言葉に嬉しそうな声を返そうとしたシロだったが、その姿に疑問を浮かべて首を傾げた。それにしんのすけは自慢げに胸を張る。

「世の中はぶっそ~だから、これで身の安全をほしょ~するぞ。わっはっはっはっ!」

「クゥ~ン……」

 高笑いをするしんのすけを見て、シロは項垂れる。いつものような行動だが、やはり脱力するのは脱力するのだろう。しかし、散歩に連れて行ってもらえるのは嬉しいので、シロはすぐに立ち直る。
 そして、シロの首に紐を結び、それをしっかりと手にしてしんのすけは頷いた。準備は整った。後は行くのみだ。そう言うように、しんのすけはポーズを取った。

「出発おしんこ~!」

「キャン!」

 そうして動き出すしんのすけとシロだったが、何かに気付いたのかその足を止めた。地面に大きな影が出来ていたのだ。それを確認し、しんのすけとシロは視線を影を作っているものがある方向へ向けた。すると、そこには古そうな鏡を持った男性がいた。
 その視線はしんのすけを品定めするかのようだ。それを受け、しんのすけは軽く息を呑んだ。そして……

「そんなに見つめちゃいや~ん」

 身をよじるように変な声を出した。それに相手も虚を突かれたのかやや体勢を崩したものの、即座に建て直し先程とは違った視線をしんのすけに向ける。

「……干吉が言っていた通り、こいつなら確かにあの外史を終わらせそうだ」

「ゆきち? ゆきちなら母ちゃんが大好きだぞ。でも、すぐおサイフからいなくなっちゃうんだって」

「諭吉じゃない! 干吉だ!」

 しんのすけの言い間違いに、男性は怒って返した。その怒声を聞いてもしんのすけは驚くどころか、むしろ納得したというように頷いていた。日ごろから母親に怒鳴られている彼にとって、怒鳴られるのは慣れているのだ。

「ほ~ほ~。で、お兄さんはオラに何かご用? オラ、忙しいんだよね。すけじるが会議で遅刻しそうなんだ」

 先程まで暇だからと言っていたにも関らず、しんのすけは、まるで急いでいるビジネスマンのように腕を指差してそう告げた。当然だが、その腕に時計などはない。それを聞いて怒りを感じる男性だったが、それを何とか押し止める。相手は子供だと、そう言い聞かせていた。
 そして、一度深呼吸をすると手にした鏡を見せて尋ねた。それは、しんのすけの性格を事前に知っていたかのような誘い文句。こう言えば絶対にしんのすけが乗ってくるだろう聞き方。

「なぁ、綺麗なお姉さん達に会いたくないか?」

「会いたいっ!」

 即答だった。思わず尋ねた男性が戸惑う程に。予想はしていたのだろうが、それでもやはり、五歳児が女目当てで行動するなどどこかで信じられなかったのだろう。僅かに沈黙し、男性は気を取り直して咳払い。

「なら、この鏡を割れ。そうすれば、お前の願いは叶う」

「お~、お兄さんはインチキ商売の人?」

「違う! その鏡はただでくれてやる!」

「おぉ、ふともも!」

「それを言うなら太っ腹だ」

 嬉々として鏡を受け取るしんのすけ。そして、それを一通り眺めて叩き割ろうと上に持ち上げた。それを見て密かにほくそ笑む男性。シロはその笑みに何か邪悪なものを感じ取り、しんのすけを止めようと吠えた。

「キャンキャンッ!」

「ちっ! 犬め!」

 シロの声がしんのすけへの注意だと察し、男性はやや焦ったような表情を浮かべた。しんのすけはそんなシロの声に……

「おわっ! も~、いきなり吠えないでよ」

 驚いて鏡から手を離した。その瞬間、シロと男性が揃ってずっこけたのは言うまでもない。鏡は地面に落ちて、見事に割れる。そして、そこから眩い光が溢れ出し、しんのすけとシロを包む。
 その眩しさに目を瞑るシロ。しんのすけは、アクション仮面のヘルメットのおかげで特に強い眩しさを感じなかったが、それでも驚く程の光だった。

「おおっ! これは何かが起きる予感!」

 その言葉を最後にしんのすけとシロの姿は消えた。それを見届け、男性は不敵に笑う。しんのすけが送られた場所は、彼らが手を出せない場所。その基を作りし存在が彼らを排除したために、彼らは手を出す事が出来ない。
 だから、彼らは考えた。その場所を終わらせるために、本来現れるだろう者を排除するように別の者を送ろうと。そして、その相手にはその場所に愛着も縁もなく、守ろうと思っても守れない者を選んだ。

 しかも、ただそれでは面白くないとばかりに、彼らは可能性を抱かせる存在にしたのだ。自分達を排除した場所でのうのうと暮らす人形達を、とことん絶望させるために。故に、彼らはしんのすけを選んだのだ。この世界を何度も救った存在である彼を。

―――精々足掻けよ小僧。お前の力は、絆は、そこにはない。



 どこまでも広がる荒野。見渡す限り何もないそこに、しんのすけとシロはいた。気を失ったまま、仲良く倒れるしんのすけとシロ。そこへ三人組の男達が姿を見せた。長身の男を中心に、両脇には小柄の男と大柄の男がいた。
 三人はしんのすけとシロを見つけ、特にそのしんのすけの格好に驚いた。

「あ、アニキ、あのガキ見た事もない兜つけてますぜ!」

「ほ、ほんとなんだな。あれ、珍しいんだな」

「……そうだな。よし、なら早いとこ奪っちまうぞ。さすがにガキを殺すのは気が引けるしな」

 盗賊の彼らだが、その心にもまだ僅かな良心は残っていたのか、リーダー格の長身の男はそう言ってしんのすけ達に近付いていく。それと同時にまずシロが目を覚ました。複数の足音を聞いて目覚めたのだ。
 そして、まず周囲を確認しそこが自分の知る場所でない事を理解すると、隣のしんのすけに気付いた。倒れている事に多少驚きはしたものの、ただ気を失っているだけと分かったのか、安堵するように息を吐いた。

「クゥ?」

 だが、そこでシロは三人組に気付いた。そして、その嗅覚で彼らから血の匂いがする事を察して、やや不思議そうに首を傾げた。平和な現代日本で生活しているシロにとって、血の匂いがする者は怪我をしている者だった。
 だが、目の前の三人には怪我らしい怪我は見当たらないのだから。しかも、その匂いが強いので余計にシロは疑問を感じていた。そのままシロはしんのすけの傍に立ち、三人を見つめていた。

 やがて、三人がもう後少しと言う所まで来て、やっとシロはその異様な雰囲気に気付いた。更に手にした武器を見たのだから、さあ大変。しんのすけを起こすように、器用に二本足で立ち上がりその体を揺すった。
 その行動に三人組は慌てる前に驚いた。そして、小柄な男が長身の男へある事を思いついたのか、こう提案した。

「アニキ、あの生き物捕まえて見世物にしましょうや!」

「あ、あの芸やらせたらうけそうなんだな」

「それはいいな。じゃあ、あれも頂いていくか」

 その会話を聞き、シロは余計慌ててしんのすけを起こす。その必死さが伝わったのか、しんのすけはやっと起き上がると、大きくアクビをして周囲を見回した。その目に映る光景が先程までとまったく違う事に気付き、彼は一人頷いた。
 そんな暢気なしんのすけへシロは前足で三人を指した。危機が迫ってる。そんな風な表情まで浮かべて。それにしんのすけも気付き、視線を三人へ向けた。そこにいる者達が手に武器を持っている事にしんのすけは驚きを見せる。

「あ~っ! 映画の撮影だ~!」

「「「えいが?」」」

 しんのすけの放った聞いた事もない言葉に、三人は揃って足を止める。シロはその発言に全身の力が抜けた。その間にもしんのすけは走り出して、三人の近くへ向かった。その速さには、三人も驚くぐらいに。
 その手にした武器を見て、どこで買ったのやどんな映画などと尋ねるしんのすけ。三人はそれに困惑するも、普通ならば武器に怯えるはずの子供が、むしろ嬉々としている事に戸惑っていた。

「ど、どうするんだな?」

「アニキぃ、こいつおかしいですぜ」

「かもしれねぇな。おい、坊主」

「な~に?」

 見た目と同じようにおかしな存在かもしれない。そんな風に感じた三人。長身の男は、リーダーらしくしんのすけへ声をかけた。

「これが何か分かってんのか?」

「? 剣だぞ」

「分かってんじゃね~か。なら、大人しくその兜を渡しな」

 男の言葉にしんのすけはやや考え、何かを理解したのか手を叩いた。そして、どこか仕方ないといった表情になり、ヘルメットを外してこう告げた。

「もう、おじさんもアクション仮面ごっこしたいんだな。それならそうと言ってよね」

「あく……何だって?」

「仮面がどうのって言ってました」

「い、いまいちよく分からないんだな」

 しんのすけの言った内容に疑問符しかない男達。それでも、しんのすけが大人しくヘルメットを渡してくれそうなので、黙って受け取ろうとした。だがその時だ。どこからともなく一陣の風が現れた。その風は、ヘルメットを受け取ろうとしていた男の手を跳ね除け、しんのすけを庇うように立ちはだかった。

「そこまでだ! 幼い者から物を奪おうなど、この趙子龍が許さんっ!」

 白い服装の槍の女性は、そう力強く告げる。その威風堂々の声に、愚かにも男達は立ち向かおうとする。互いの力量を測れないその行動に、彼女はどこか哀れむような目を見せる。
 だが、同時に自分の後ろにいるしんのすけの事を思い出したのか、男達へ向けた槍の刃を密かに返した。大柄の男は武器を斬られ、小柄の男は持ち手の部分で強打され、長身の男はそこで力量さを思い知り、慌てて逃げ出した。

 それを見つめる女性。本当なら追い駆けたいが、それが出来ずにいた。それは、先程から自分の服の裾を掴んでいる手があるからだ。

(悪を捨て置く事は出来んが、この幼子を置いて行くのはもっと出来ん。このように寂しがられては……な)

 小さく笑みを浮かべ、女性はしんのすけの方へ向き直った。その視線を合わせると、しんのすけはやや驚いたような顔を見せる。

「お姉さん、びっじん! カッコイイ! オラとお茶しな~い?」

「え、遠慮しておこう……」

「星、賊は追い払ったのですか?」

「おや~? これはまた変わった物を持ってますね~」

 予想だにしないしんのすけの反応。それに女性は普段の飄々さも無くし、微かに動揺した。まさか命を助けた幼子から、いきなり誘いを受けるなどと誰が思うか。そこへ、彼女の旅の連れが現れた。
 眼鏡の女性と頭に妙な物を載せた女性だ。それに女性としんのすけが同時に振り向く。そして、二人を見てしんのすけは、またもや感嘆の声を上げた。二人もまた綺麗なお姉さんだったのだ。

「ヘイヘイそこの眼鏡のおねいさん、ピーマン食べれるぅ?」

「は? ぴーまん?」

「聞いた事のない名前ですね。食べ物のようですが、どこの物でしょ~?」

「私としては、その足元の兜のような物と、その生き物が気になるのだが」

 その言葉に女性達の視線が一気にシロへ向けられた。それにシロは軽く首を傾げた。その仕草の可愛さに女性達に笑みが浮かぶ。中々賢そうだと誰かが言えば、愛嬌もありますと続く。そんな風にシロが三人に構われているのを見て、しんのすけは何かを思い出したかのように周囲を見渡し、三人へ尋ねた。

「ね、カメラはどこ?」

「「「かめら?」」」

 しんのすけの言葉に揃って首を傾げ、眼鏡の女性が代表してしんのすけへ尋ねた。それは、カメラの事やピーマンの事だけではなく、しんのすけ自身の事にまで及んだ。そこでしんのすけは庭で会った男性と、鏡の事を話した。
 その内容は俄かには信じられないものがあったが、しんのすけの存在とヘルメット、そしてフィギュアなどがそれを渋々ながら納得させた。そうして、しんのすけが話し終わった時、ふと気付いたのだ。まだ三人の名前を聞いていないと。

「ねぇ、お姉さん達の名前は? オラは、野原しんのすけ五歳」

「……野が性で、名が原。字がしんのすけでしょうか? この歳で字は珍しいですね」

「性? 名? オラ、苗字が野原だぞ。名前がしんのすけ」

「……どうやら本当に別の場所から来たようだ。では、真名も知らないだろう」

 そう告げて、白い服の女性はしんのすけへ軽く真名の説明をした後、笑顔で名乗る。

「私は性が趙、名は雲、字は子龍だ」

「私は性が程、名は立、字は仲徳ですよ」

「私は、性が郭、名は嘉、字は奉孝です」

 そう眼鏡の女性が名乗った時、他の二人がやや驚いた表情を見せた。そう、彼女は偽名を使っていたはずだったのだ。それを使わなかった事に驚いたのだろうと、彼女も分かったのだろう。やや苦笑しながらこう言った。
 子供相手に名を隠す必要はない。それに、どうも目の前の相手は物覚えがあまりよくなさそうだからと。それに二人も納得。しんのすけは自分が馬鹿にされたと思わず、どこか嬉しそうに手を頭に置いていた。

「あは~、それほどでも~」

「「「誉めてない(ですよ)」」」

「クゥ~ン」

 見事に突っ込みが一致する三人。しかも、普段ならば突っ込みをされる程立まで突っ込むという有様。だが、しんのすけはそれに感心したように頷いた。何故か、郭嘉と程立が仲の良い友人達を思い出させたのだ。

(眼鏡のお姉さんは風間君に似てる気がする。こっちの……飴のお姉さんはボーちゃんだぞ)

 唯一趙雲だけ当てはまる相手が友人ではいないが、ある人物がしんのすけの脳裏をよぎる。それは、彼が好きな正義の味方。颯爽と高笑いと共に現れるヒーロー。

(槍のお姉さんは、アクション仮面だ!)

 先程の出来事を思い出し、しんのすけは一人頷いた。ここがどこかは知らないが、アクション仮面と一緒なら怖いものはないだろうと。だから、しんのすけはシロの体を抱き抱え、三人へ視線を向けた。

「ね、オラ、お姉さん達と一緒にいたい」

 その声には寂しさはなかった。代わりに込められたのは、純粋な願い。それに三人は揃って悩む。確かに子供であるしんのすけを置いて行くのは忍びない。だが、子供を連れて行ける程楽な旅路でもない。
 それに、いつまでこの三人で旅をするかも分からないのだ。正直、趙雲がいなくなれば、しんのすけは完全に邪魔者となる。だが、それでもしんのすけを置いていこうと決断出来る者はいなかった。

 互いに視線で見つめ合い、誰ともなく苦笑混じりに頷いた。この大陸を憂いている三人にとって、子供は次代を築く希望。故に見捨てるなどは有り得ない。更に、自分達の知らない事を知っているしんのすけは、下手をすれば見世物にされる可能性もない訳ではない。

「辛い旅ですよ?」

「オラ、平気」

「怖い思いをするかもしれませんよ~?」

「オラ、男の子だぞ」

「ならば共に行くか、しんのすけ」

「ブッラジャ~」

「キャンキャン」

 こうしてしんのすけは、趙雲達と共に大陸を歩く事になる。これが、後に始まる風雲の幕開けとは知らないまま。多くの出会いと別れ、そして戦いを経験し、少年はまた大人への階段を昇る。かつての様々な思い出を胸に……




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掲示板のネタを見た時、純粋に面白そうと思い、遂に恋姫のクロスに手を出してしまった……

色々と未熟な点が多いかと思いますが、寛大な心で見てやってください。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第二話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/04 05:24
「そうか。しんのすけは妹がいるのだな」

「そうだよ。ひまわりって言って、すっごく元気なんだぞ」

 あれからしばらく経ち、日も暮れ始めた頃、しんのすけ達は森の中の川が流れる場所にいた。野宿するためだ。そこで焚き火を囲みながら、しんのすけの家族の話を聞いていた。最初はシロの事を話していた。そこから派生し、家族の事になっていったのだ。
 父のひろしと母のみさえ。その二人の話を聞いた三人の反応は様々だった。だが、揃って根底には同じ気持ちがあった。それは、しんのすけが愛されているのだろうという思い。どこでも親の気持ちは変わらないのだと、そう感じて三人は微笑みを浮かべたのだから。

 そして、最後は妹であるひまわり。その行動力を話すしんのすけは実にイキイキとしていて、尚且つどこか嬉しそうだった。兄だからなのかもしれないと、三人は思った。しんのすけには、幼くして守りたい者がいる。そんな事を思い、三人は笑みを見せると共に、複雑な表情を見せた。
 そう、しんのすけが元居た場所に戻れるのかと、そう考えていたからだ。聞けば、しんのすけがここへ来たのは妙な鏡のせいらしい。となれば、その鏡を見つけるのが一番早いのだろうが、しんのすけ自身もあまり鏡の詳しい形状や装飾は覚えておらず、手掛かりはないに等しかったのだ。

 だからだろう。そんな不吉な考えを振り払うかのように、郭嘉は笑みを見せて尋ねる事にした。

「それにしても、聞いた事のない名前ですね。何か意味はあるのですか?」

「ひまわりって言うお花があるんだ。お日様みたいな形で、こ~んなに大きいんだぞ」

「おお、太陽の花ですか。それは一度見てみたいですね~」

「成程な。しんのすけの両親は、娘に日輪のような大輪の花を咲かせて欲しいと願ったのだろう」

 しんのすけの世界の名付けにもちゃんとした理由がある。そう感じ取った趙雲。それにしんのすけが驚いた。彼にとっては、ひまわりの名前はただ花の名前と同じでしかなかったのだ。そこにそんな意味が込める事が出来るなど、考えもしなかった。
 そう、ひまわりの名前はしんのすけが名付けたのだから。星のように、ひろしやみさえが思っているのかもしれない。そう考えた。故に感動して、視線を趙雲へと向けた。そこには、驚きと感心、そして尊敬の念が込められている。

「お~、星お姉さんは父ちゃんや母ちゃんみたいな考えが出来るのかぁ」

「いや、そうではないかと思っただけだ」

 しんのすけの言い方に星はどこか違和感を感じるも、笑みと共にそう返した。そう、しんのすけに真名を呼ばれても、星は何も怒りはしない。そう、既に三人はしんのすけへ真名を預けたのだ。それは、時は遡る事数時間前。あの後すぐの事……



 荒野を歩くしんのすけ達。何故か趙雲がヘルメットを被っている。ただし、子供用のためややきつそうではあったが。その理由はただ一つ。そう、しんのすけだ。
 最初、邪魔にならないようにしまうと郭嘉が言ったのだが、しんのすけがそれを嫌がった。その目的は、趙雲にそれを被ってもらうため。

―――これはオラの大好きな正義の味方の仮面だぞ。お姉さんは正義の味方だから、これを被って欲しいんだ!

 そんな風に言われて、趙雲が被らぬはずはない。ならばと、しんのすけからヘルメットを受け取り、それを装着。その光景に何か感動しているようなしんのすけ。そして趙雲へ、しんのすけがあのポーズをして見せる。それはアクション仮面の決めポーズ。勝利の高笑いをする際のもの。
 そして、そのポーズのままこう言ったのだ。正義の味方は、悪を倒したのなら必ず勝利の高笑いをしなければならないと。その際の決まり事として、しんのすけはそのポーズを義務付けた。それを少しも嫌がる素振りもなく、むしろ望むところとばかりに趙雲も真似をした。

「こうか?」

「も少し上だぞ」

 腕の角度を指摘するしんのすけと、それに頷いて腕の位置を変える趙雲。それを見て、頭を抱えたくなる郭嘉と楽しそうに笑う程立。そしてシロは、何となくではあるがしんのすけの影響力を感じて、諦めたように項垂れていた。
 やがて、ポーズが決まり、しんのすけが軽く打ち合わせをする。それに頷き、しんのすけの声を合図にそれは始まった。

「わっはっはっは!」

「わっはっはっは!」

「「わ~っ、はっはっはっはっ!!」」

 最後には共に声を合わせる二人。それに郭嘉は項垂れ、程立は心から笑顔を見せ、シロはノリノリの趙雲の姿に脱力感を感じて地面に伏した。その高笑いはたっぷり一分は続き、それを終えた趙雲は実にイイ笑顔だった。

「うむ、気に入った。しんのすけ、機会があれば是非またやろう」

「いいよ。槍のお姉さんとなら大歓迎だぞ」

 そのやり取りを聞き、郭嘉がやや不思議そうに尋ねた。

「しんのすけ、星の名を呼ばないのはどうしてですか?」

「お姉さん達の名前、難しいぞ。オラ、まだ五歳だし、聞いたの一回だし、そんな期待されても困っちゃう」

 最後にはやや困った表情で告げるしんのすけ。そんな答えに苦笑する趙雲と程立。郭嘉はそれに成程と頷いて、ふと思った事を告げた。それは、しんのすけの真名。確かに色々と違いはあるが、もしかすると真名に似たモノが存在しているかもしれない。
 そう判断し、郭嘉は出来るだけ早くそれを片付けようと思った。自分達からすれば、真名が持つ意味は大きい。それと同じようなものをしんのすけが持っていて、知らずそれを呼ぶ事があったとしたのなら許される事ではないと。

「しんのすけ、一ついいですか?」

「何? しかじかお姉さん」

 しんのすけの言ったしかじかは、郭嘉の名の響きを覚えていたからの呼び方だ。かくかくときたらしかじか。そういう事だ。

「しか……ま、まぁいいでしょう。貴方の国には、真名はないのですよね?」

「まな? まな板胸のみさえならいるよ」

 その答えに今度こそ郭嘉は脱力。趙雲が軽く説明したはずにも関らず、真名の事を綺麗に忘れていたからではない。自分の母を呼び捨てにし、尚且つ手酷い事を言ったからだ。そんな郭嘉に代わり、程立が説明と質問を続け、しんのすけは確かに真名はないと否定した。だが……

「でも……」

「でも?」

 しんのすけのないとの答えに、郭嘉は少し安堵した。しかし、続けてしんのすけが告げた言葉に少しの不安が生まれる。しんのすけはそれに気付かず、こう三人へ告げた。真名はないが、自分の名前は両親が付けた自分だけのもの。ならそれは、三人の真名みたいなものだから、自分にもあると。
 それに三人は、納得すると同時にしんのすけの考えに感じ入った。真名の持つ重さは、しんのすけもおぼろげではあるが理解していた。何せ、郭嘉や程立が趙雲を星と呼んだり、逆に彼女達を稟や風と呼ぶのを聞いても、しんのすけがしたのは、どうして別の名前で呼ぶのかと尋ねる事。しかし、それを直接呼ぶ事は無かったのだから。

「……そうだな。確かにお前の名前には、我らの真名に近いものがあるのかもしれん」

「そうですね。どこでも親がまず直面する難関は名付けです。であれば、しんのすけとの名にも、深い想いや考えがあるはず」

 郭嘉は知らない。彼のしんのすけとの名前は、考えていた名前を書いた紙が雨で濡れて残った文字の組み合わせだと。しかし、だからこそ思い出深い名前とも言えるので、あながち間違ってもいないだろう。
 真名とはその者を表す名。であれば、しんのすけの名は紛れも無く彼を表す名前だ。ともあれ、そんな二人の考えを聞いた程立がどこか意外そうに告げた。

「では~、風達は知らずこの子の真名を呼んでいたと……そう考えるのですか?」

 最後の程立の言葉に二人が黙った。文化が違うと言えばそこまでだが、それでも自分達に置き換えて考えれば、しんのすけ達の態度は実に凄い。本人達にその気はないだろうが、自分の名を誇りに思うからこそ、それを誰にでも呼んで欲しいとしているように思えるのだから。
 それは、真名を許した者以外は呼ぶ事を許さない趙雲達からすれば、賛同は出来ない。しかし、それでも理解は出来る。それに、いつまでも槍のお姉さんやしかじかお姉さんでは呼ばれにくいし、少々気まずい。

「しんのすけ、お前に預かって欲しいものがある」

「何?」

「私の真名だ。受け取ってくれるか?」

「いいの? それ、大切なお名前で、大事な人にしか教えちゃいけないんでしょ?」

 趙雲はそんなしんのすけの深刻そうな声に、小さく苦笑した。五歳でありながら、こうも見知らぬ環境に順応している事と、真名を預かる事の持つ意味を感覚で感じ取っている事に。だからこそ、こう思う。今でこれなら、成長すればどれ程の男になるのかと。
 きっと、優しく他者を思いやる強い男になっていただろうにと。その時であれば、この真名を預けるのもまた違う意味を持っただろうに。そんな風に考え、趙雲は優しく笑みを浮かべてしんのすけへ告げた。

「ああ。お前にならいい。何、この仮面を貸してくれた礼だと思ってくれ。私の真名は星だ」

「お~、キレイなお姉さんにぴったりだぞ。ね、真名を預けた記念にオラとお茶でも……」

「誉めてくれたのは嬉しいが、誘いは受けんぞ?」

 微笑ましくしんのすけを見つめる星。それを眺め、程立が小さく頷きしんのすけへと近付いた。

「では私も預けちゃいますね~。飴のお姉さんは少し恥ずかしいのですよ」

「う~ん……じゃ、眠そうなお姉さん?」

 程立の言葉にしんのすけは少し考え、そう告げた。真名は呼び方に照れるからで預けていいものではない。そう思ったからこその提案だったのだが、それに怒りを見せる者がいた。

「おうおう。誰が居眠りしてるって?」

「おわっ! 飾りが喋った……」

「俺の名は宝譿。以後お見知りおきをってな」

「これ、宝譿。あまりしんちゃんを驚かせていけませんよ」

 どこからどう聞いても程立の一人芝居。しかし、それをしんのすけは指摘する事もなく、感心したように頷いていた。そんなしんのすけの反応に、程立は笑みを見せて告げる。
 何も自分が真名を預けるのは呼ばれ方だけが理由ではない。幼いながらもしっかりと自分の意見を持ち、それで他者を納得させる事が出来たしんのすけだからこそ、自分は真名を預けるのだ。そう言って程立は、その言葉に嬉しそうにしているしんのすけへ真名を名乗った。

「私の真名は風と言うのですよ、しんちゃん」

「風お姉さんかぁ。ん? 今オラの事、しんちゃんって……」

「駄目ですか? その方が呼び易いのですが~」

 風の問いかけに、しんのすけは首を横に振った。益々風が友人に重なったのだ。呼び方や雰囲気、それにどこか只者ではない印象。故にしんのすけは風へこう頼んだ。それは、自分も風の事をちゃん付けで呼んでいいかとのもの。
 それに風はどこか意外そうな表情をするが、構わないと許可を出した。それにしんのすけは喜びを見せて、早速とばかりに風を見つめた。

「風ちゃ~ん」

「は~い」

「お~……何か不思議」

「風もですよ。まさか子供に真名を預けて、尚且つこんな風に呼ばれるとは~」

 弟が出来たようだと、そう思い風は笑う。そして同時にまた一つしんのすけの凄さを再確認していた。それはしんのすけの物怖じの無さ。誰であろうと意見を言う事が出来る。子供だからと、そう言ってしまうのは容易い。しかし、それでも大人へはっきりと自分の言葉で考えを言えるのは、風からすれば凄い事だった。

 そんな事を風が考えている中、郭嘉はしんのすけへ真名を預ける事を躊躇っていた。確かに二人のようにしんのすけの事を買っている部分はある。幼いにも関らず、この状況に途方に暮れるのではなく、あろう事か笑っている。その心の強さと逞しさに、郭嘉は意外と大人物かもしれないと思うぐらいだ。
 だが、それでも真名を預けるに足る相手とは言えない。そんな風に郭嘉が考えていると、しんのすけがそれに気付いて首を傾げた。

「あれ? しかじかお姉さんどうしたの?」

「か・く・か・です! どうしてこれが覚えられないのですか。余計な事は覚えているようなのに」

「いやぁ~、それ程でも~」

「誉めていません!」

 完全に漫才の様相を呈する二人。郭嘉が何か言う度にしんのすけがそれをからかう、或いは本当に間違える。それに郭嘉が反応して……というのを繰り返し、そんな事をたっぷり五分はしていただろうか。
 やがて郭嘉が疲れたのか、もうしんのすけの言葉に取り合わなくなった。無視する事にしたのだ。それに星も風も苦笑する。あの郭嘉が子供相手にある意味で屈したのだ。言葉では止められないと。

「ね~、どうしたの? 何でもうお話してくれないの?」

「…………」

「オラ、何かしかじかお姉さんを怒らせる事した?」

 先程までは必ず修正してきた言葉にも無反応を返す郭嘉。そこにきて、しんのすけもやっと郭嘉を怒らせたのだと理解した。なので、悲しそうな表情を浮かべて郭嘉へ視線を向けた。その目は、見ている者の良心に訴えてくるような眼差しだ。
 ごめんなさい。もう怒らせるような事をしないからお話して。そんな声が聞こえてくるような眼差し攻撃。郭嘉はそれに心を痛める。大人である自分が幼い少年にそんな顔をさせてしまった。その良心の呵責が彼女を襲う。

 しかし、これをしんのすけの母が見たのならこう言ったはずだ。相変わらず嘘が上手いわね、と。そう、これは彼の得意技の一つ。その名も、眼差しキラキラ。見る者の心に訴えかけ、自分の状況を改善するために使われる攻撃だ。
 これに耐性があるのなら、このしんのすけの眼差しを平然と受け止め、逆に、そもそもはお前が悪いと眼差し返しが出来る。だが生憎とそれが可能なのは彼の母であるみさえのみ。

「……っ! 分かりました、分かりましたから! 許してあげますので、もうそんな顔をしないでください」

「ホント?」

「ええ。本当です」

 しんのすけの窺うような言葉に、郭嘉は苦笑混じりに頷いた。どこかで、しんのすけの態度は偽りだと感じているのだろう。その証拠に、それを見た瞬間、しんのすけの表情は喜色満面になる。

「ほっほ~い! お姉さんがお話してくれたぞ~」

 そんな豹変振りに、郭嘉は先程のしんのすけがやはり演技していたと理解するも、そこに怒りや悔しさはない。むしろ微笑ましかったのだ。自分と話すためにそこまでする事に。
 そして、郭嘉は自分からある意味で一本取ったしんのすけへ、褒美を与える事にした。そう、それは真名を預ける事。考えてみれば、自分もしんのすけの真名を呼んだようなもの。それに、しんのすけは真名の持つ重さを理解している。

(初めて真名を預ける異性は誰だろうと思っていましたが、まさか子供になるとは……ふふっ、不思議なものですね)

 内心で微笑みながら、郭嘉は視線の先で喜びを爆発させているしんのすけを見つめた。そして、しんのすけを手招きし、真名を預けると告げた。それにしんのすけは驚くも、それに郭嘉が嫌ならいいと言って預けるのを取り消そうとしたので、慌ててそれを引き止める。
 無論、それは郭嘉のちょっとした反撃だ。それにしんのすけは気付かず、郭嘉が預ける事を止めないでくれた事に、心から安堵したように息を吐いた。

「えっと……じゃ、稟お姉さんだね」

「ええ。お願いですから、もうしかじかと呼ばないでくださいね、しんのすけ」

 姉の如き笑みを見せる稟。その美しさにしんのすけは軽く魅入る。だが、頼まれ事をされたと気付いてしっかりと頷き、小指を差し出した。それに首を傾げる稟。だが逆にしんのすけは、稟が小指を出してこない事に疑問を浮かべた。

「? 稟お姉さん、指きりしてくれないの? お約束でしょ?」

「指きり? ああ、こうすればいいのでしょうか」

 しんのすけの小指に自分の小指を絡ませる稟。それにしんのすけが嬉しそうににやけた。

「あは~、稟おねいさんの指、スベスベ~」

 だらしなく顔を緩めるしんのすけに、稟はやや呆れながらため息を吐いた。しんのすけがこの歳にして女好きなのは理解していたが、それでも未だに違和感が拭えない。誰が五歳で異性に興味を持ち、尚且つ積極的に交渉してくると考えるものか。
 稟はしんのすけの異常性の一つに、この異性への関心を挙げていた。しかも、どこで知ったのか知らないが、どうやら口説き文句なども使っているのだから。

「……はぁ~、それでしんのすけ、これでいいのですか?」

「駄目だぞ。ちゃんとお約束しないと。指きりげんまん、嘘吐いたら針千本の~ます」

 指きりの歌を口ずさむしんのすけ。対する三人はその内容にやや驚いたような表情。約束を破った時は針を千本も飲まねばならない。そんな厳しい掟を自らと相手に課す。そう捉えたのだろう。
 そしてしんのすけが指を離そうとしたのを感じ取り、稟もそれに合わせて指を離した。直後に稟は少し戸惑うようにしんのすけへ尋ねた。今の言葉は本当なのかと。それにしんのすけが若干不思議そうに首を傾げた。

 しんのすけにとって、これはある意味での恒例行事。約束をした際、守って欲しい時や守りたい時はするだけの事。そう告げると、三人が一様に息を吐いた。本当に針千本飲むのかと思ったと、そう星が楽しそうに告げると、風はそれぐらい真剣に考えてくれという事だろうと返す。
 稟はしんのすけへ視線を向け、風の言った通りなのかと尋ねると、しんのすけは力強く頷いた。綺麗なお姉さんとの約束は絶対だ。そう断言してみせたのだから。

「綺麗、ですか……本当に貴方は単純ですね」

「え~? キレイな人にキレイって言っちゃ駄目~?」

「いえいえ、違うのですよしんちゃん。稟ちゃんは照れているのです」

「ふ、風?!」

「成程。確かに、女に面と向かって綺麗と言える男は多いが、それを下心も無しに言える男は少ないだろうからな」

 しんのすけの言葉にやや嬉しそうに笑う稟だったが、それに対して風が告げた内容にやや慌てる。そこへ追い打ちをかけるように星がそう言うと、稟は返す言葉を無くした。しんのすけの言葉には、確かに下心がない。
 子供らしい純粋さ。どこかマセているのだろうが、その行動に下衆な感情はない。綺麗な女性にすぐデレデレするのは些か問題かもしれないが、それもしんのすけとしては正しい姿なのかもしれない。少なくても、邪なものを隠して近付く大人達よりも、人としては好ましい。

「もう勝手に言ってください。とにかく、これでもう真名の事も片付きましたね」

 そう稟が周囲の空気を変えるように告げる。すると、それにシロが一声鳴いた。

「キャン」

「シロが、自分もお姉さん達を真名で呼んでもいいかって聞いてるぞ?」

「ふっ、そうか。そういえばシロの名も真名だったな」

「そうですね~。まさにシロちゃんの名は真名なのですよ」

「ふふっ、確かにこれ程まで自身を表した名もないでしょう」

 しんのすけの言葉に三人は微笑むと、口々にそう告げていく。誰もしんのすけの言葉にそんな馬鹿なとは言わない。子供故の解釈の仕方だが、意外と本当にシロもそう言っている気がしたのだ。だから、三人はシロへも真名を預ける。犬相手にと思う事は無かった。
 それは、しんのすけがシロを家族のように接しているから。単なる飼い犬ではないだろう関係。それを三人はそこはかとなく感じていた。こうして、しんのすけとシロは三人の真名を預かる事になったのだ。



 日も完全に暮れ、辺りを闇が包む。その暗さにしんのすけは秋田の祖父の家に遊びに行った事を思い出した。周囲に灯りが少ない田舎暮らしの祖父達。そこで泊まった時経験した夜。それに近いものを感じたために。
 そして、そこから付随して思い出されるは愛する家族達の顔や友人達の顔。その笑顔と声を思い出し、しんのすけは何かこみ上げてくるものを感じた。しかし、それを何とか抑え付け呟く。

「父ちゃん達、元気かな?」

「くぅ?」

 シロをカイロのように抱き抱え、しんのすけはそう呟いた。この世界がどこかをしんのすけは知らない。古代中国は漢王朝の時代。しかし、稟や風からそんな説明を聞いても、五歳のしんのすけがそれを理解出来るはずもなく、ただ自分の知る様々な物がない事から、どことなくここが昔だとは思っていた。
 かつて行った事がある戦国時代。それに似た雰囲気を感じたのもある。なのでしんのすけとしては、ここから元の時代に戻る事が難しいだろうと察していた。あの時も不思議な力や未来人の手を借りて帰還したのだから。

 そう考えた途端、しんのすけの心を強烈な恐怖が襲った。いつもより暗い夜の闇もそれを助長したのかもしれない。腕の中のシロを強く抱きしめ、しんのすけは震える声で問いかけた。

―――オラ、お家に帰れるかな……?

 何か暖かいものがしんのすけの頬を流れていく。そして、しんのすけの不安感を感じ取ったように、それをシロが舐める。その瞬間、しんのすけに何かが聞こえた気がした。大丈夫、一人じゃないよ。僕もここにいる。だから元気を出してしんちゃん。そんな風に、いつか聞いた声で言われた気がして、しんのすけはシロを優しく抱きしめる。それにシロも応じるようにしんのすけの頬へ顔を摺り寄せる。
 そんなしんのすけとシロの横で、星達は何も言えなかった。辺りは静かで、しんのすけの涙ながらの呟きさえはっきり聞こえたからだ。いくら普通の子供とは違う性格とはいえ、まだ五歳の子供には変わらない。それが突然見知らぬ場所に現れ、こんな風に夜を過ごす。その不安感はいかほどだろう。

 そんな風に思い、三人はそれぞれにしんのすけへと視線を向けた。そこには、泣いた事で疲れが一気に出たのか、背中を向けて眠るしんのすけの姿がある。

「……何とかして帰れるようにしてやりたいな」

「ええ。情報は少ないですが、諦める訳にはいきません。子供一人助ける事出来ずして、救国など出来ましょうか」

「風達はまだ未熟ですが、しんちゃんとシロちゃんぐらいは守れるはずです。星ちゃんは力で、風と稟ちゃんは知恵で」

 互いに抱くは決意。大陸の情勢を憂う三人にとって、子供一人助けてやれないようでは、とてもではないがこの難局を乗り越えるなど無理だ。そう思うからこその言葉。しかしその根底には、出会ってから今までの時間、気丈にも笑って話をしていたしんのすけへの思いもある。
 大人であろうと混乱し、取り乱してもおかしくない状況。それに僅か五歳の少年は適応しようとした。見知らぬ場所、聞き覚えのない文化。それを子供ならではの柔軟性で受け止めた。だからこそ、三人はしんのすけを助けたかった。

(芯の強い子だ。最初会った時は些か面食らったが、やはり子供なのだな。平和な時代に生まれ、暖かな時間を家族と過ごしていたのだろう。出来るならば、早めに帰してやりたいものだ)

(頭の回転が鈍い訳ではなく、理解力がない訳でもない。それが本人の才能なのか両親の教育の賜物かは知りませんが、一つ言えるのは、彼のいた環境こそ私達が目指すもの。しんのすけは私に希望をくれた。いつか、人はそんな時代を築けるのだと。そのお礼に、必ず帰れるように手を尽くしますよ)

(お家が恋しいのですよね。確かひまわりちゃんはまだ立つ事も出来ないとか。それに、ご両親も心配されているでしょう。しんちゃんもシロちゃんも安心してください。風達がいる間は、絶対守ってあげます。それが先に生まれた者の務めなのですよ)

 しんのすけとの会話で、三人もまた彼が天から来た者、つまり未来の人間だと察していた。あまりにも多くの聞いた事のない言葉や物の名前を知っているのだ。更に、彼が告げた平成との年号に日本にアメリカなど国の名もそう。しんのすけが挙げた国の名は、一つとして聞き覚えのないものだったのだから。
 故に、彼らは揃って希望を得た。いつか人は争いのない平和な時代を築いていけるのだと。この乱世もいつか終わりがきて、誰もが笑えるそんな時代に出来る。しんのすけの語る話とその存在は、三人にとって大志を強くする要素となった。そして、それと同時に思い出す事があった。それは、あの予言。

「やはり……しんのすけが天の御遣いなのだろうか」

「有り得ない、と言いたいですが、やりようによっては彼の異常性は誰でも分かります」

「あの兜。へるめっとでしたか? あれは確かにそれを示す一つの道具ですね~」

「そしてあのからくりを模した人形」

「更には、まったく聞いた事のない名前の物や考え。これだけ揃えば、人によっては民達にそう信じ込ませる事は可能でしょう」

 稟の締め括りに、誰も言葉を発しない。信じる者は少ない予言だったが、それでもどこかで期待している者は多い。その御遣いがまさか子供だとは誰も思うまい。だからこそ、それを話せば揃って誰もが希望を無くす。しかしそれは、しんのすけの話をただ聞かせるだけではだ。普通に聞いても理解出来ない者や信じない者達もいる。だが、その者達にも分かるように話せば、しんのすけの話は大きな希望だ。
 それを誰よりも理解している三人だからこそ、どうするか迷っていた。この広い大陸には聡明な者もいる。そういう相手ならばしんのすけの言葉から真実を見抜き、希望を強くするだろう。今の三人のように。

 それは必ずこの乱世を終わらせる力になる。だが、それはしんのすけを利用する事になる。更に、元の場所へ帰してやる事を遅らせる事にもなりかねない。それは、出来ない。確かにこの乱世を正す事は大切だが、そのために子供を利用するなど、三人には出来るはずがない。

「仮に天の御遣いがしんのすけとして、私には一つだけ言える事がある」

 星の言葉に二人は視線を向けた。星は傍に置いてあった槍を手にし、立ち上がった。そしてそれを天へと突き上げ、静かに、だが力強く告げる。

―――何者であろうと、しんのすけを利用しようとするのなら、この槍で貫こう。

 星の言葉に稟と風は互いを見つめ合い、頷いた。そして、立ち上がって星の両脇へ近付き、その槍を掲げる手に自分達の手を重ねた。

―――ならば、私はこの知恵を以って、しんのすけを助けましょう。

―――風も同じなのです。必ずお家に帰してあげましょうね~。

 三人は静かに誓う。安らかな寝息を立てる少年を起こさぬように。その寝顔を失わぬように。例え、いつか自分達が別れる事があっても、この誓いは消えないとばかりに。幼い命。それを利用などさせたくない。故に誓った。誰にも、そう、天であろうとそうはさせないと。
 そして三人はそのまま視線を眠るしんのすけへと向けた。丁度寝返りを打ったため、その顔が焚き火に照らし出される。その微笑ましさに三人は笑みを浮かべた。しんのすけとシロは揃って幸せそうな寝顔だったのだ。

 それを見つめ、三人もまた幸せそうに笑顔をみせる。願わくば、この安らぎが永久に続けと思いながら……




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真名回。思いのほか感想が多く、かなり驚いています。地味にしんちゃんの再現とシロの出し方が難しい。

これ、最終的にどのルートになるか決めかねてます。星繋がりで蜀。稟や風繋がりで魏。呉は……思いつかないので保留です。いっそ、オリジナルにするしか……でもそんな構成力がない……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第三話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/03/30 06:50
「んっ……?」

 その朝、稟は妙な手触りを感じて目を覚ました。寝惚ける頭で眼鏡を手に取り、それをかけて周囲を見渡す。風はまだ安らかに寝息を立て、星は姿が見えないので、おそらくいつものようにどこかで体を動かしているのだろう。
 そして、昨日から増えた旅の連れである少年と犬が寝ていた位置には、何故か白い犬しかいなかった。それを確認し、稟は何となくだが自分の手が感じているものの正体を察した。

(……寝相が悪いのですね、しんのすけは)

 見れば、しんのすけが自分の腕にくっついている。それにため息を吐きつつも、どこか嬉しそうに稟は笑みを見せる。

「まったく……これでは今後が思いやられます」

 そう呟きながら、稟はしんのすけの頭を優しく撫でた。

「う~ん……母ちゃ~ん……」

 その感触に、しんのすけがくすぐったそうに微笑みを浮かべて寝言を返す。稟はその言葉と反応に優しい笑みを見せる。そして、視線を上へ向けた。そこには気持ちのいい青空がある。それに頷き、稟は小さく思う。今日もいい日でありますようにと……



 それから少しして全員が起床し、食事をする事になった。そのため、星が川から魚を取るため槍を構えている。その横で、しんのすけは期待に満ちた眼差しを星に送っていた。稟は魚を焼くための火を熾そうとしていて、風はシロと共に魚を刺すための枝を集めていた。

「はっ!」

 魚影を見つめ、星は槍を突き出した。それが見事に魚を捕らえ、槍先に刺さっている。それにしんのすけが感動し、自分もやりたいと言い出した。星はそれに苦笑して、試しにと手にした槍を持たせてみた。
 その重量にしんのすけは案の定ふらつく。それに星は楽しそうに笑うが、仕方ないとばかりにその手を支えてやる事にした。そして、星の助けを受けながらしんのすけは川へ視線を向ける。そこに見える動く影目掛けて、しんのすけは槍を突き出した。

 そのタイミングに星は内心驚いた。実に見事な見極めだったのだ。自分でもそこで槍を突き出すと感じたのだから。槍に刺さる魚を見て、しんのすけは喜びを表情で表した。

「わ~い! オラにも出来たぞ~!」

「キャン!」

「お~、しんちゃんもやりますね~」

 シロと風は驚きと共に笑みを返す。それに稟も視線を向けて柔らかく笑みを浮かべる。だが、それと同時に思う事もあるので、そのまま視線を星へと移した。

「武術の才があるかもしれませんね。星、どうです?」

「ふむ、確かに可能性はあるな。少し試してみるか」

「ふぅ……お?」

 槍から魚を外すしんのすけ。まだ少し跳ねる魚におっかなびっくりしながら、それを風へと手渡した。そこで星と稟の会話に気付いたのか、視線をそちらへ向けて小さく首を傾げた。その微笑ましさに三人が笑みを浮かべる。
 そして、星がしんのすけを手招きして自分の前に立たせた。何をするのかと不思議そうなしんのすけへ、星は軽く攻撃するから避けてみて欲しいと告げた。当たってもいいように、槍の持ち手部分を突き出すと。

「ではいくぞ?」

「ほ~い」

 どこか互いに適度な脱力感を見せつつ、それは始まった。星の繰り出す突きをしんのすけは軽々とかわした。その動きに星は若干目を細め、やや突きの速度を上げた。それは流石に軽々とはいかないが、それでもしんのすけは避けてみせた。
 それに風や稟さえ驚きを見せた。シロはどこかそれを信じていたのか、しんのすけを応援するように声をかけていた。星は少しずつ突きの速度を上げていく。最初は余裕が見えたしんのすけも、その顔に焦りが混じり出す。そして、星がその限界を見極めたのか、それ程までとは違う鋭さの突きを繰り出した。

(これならば避けれまい)

 しんのすけの動きを見切り、星はやや本気を見せた。それは、しんのすけに対する賞賛を込めたもの。予想以上の才を見せた事に喜びを感じた故の、返礼。趙子龍の真髄。その一端を見せる事こそ、武人としての彼女の最大の賛辞だった。無論、それは掠らせる程度に済ませるつもりだった。しんのすけが避ければ、だ。
 しかし、その突きが繰り出された時、しんのすけは疲れから動きを止めて星から視線を逸らしていた。つまり、その突きを見ていなかったのだ。それに稟と風の表情が焦りに変わる。星もさすがにこのタイミングでとは思わなかったのか、その顔には驚きが浮かんでいる。

「「「しんのすけ(しんちゃん)っ!」」」

「もう駄目だぞ~」

 気付いてくれと、切迫した声で叫ぶ三人。それにしんのすけは反応しようとするも、やはり疲れていたのかぐったりと体を地面に横たわらせた。そこに迫る星の突きだったが、しんのすけが地面に伏したため呆気なくかわされる。

「「「は……?」」」

 想像の斜め上を行くしんのすけの動き。某宇宙一ラッキーな正義の味方ばりの避け方に、三人は揃って固まった。それを見て、しんのすけは状況が理解出来なかった。ただ自分は、疲れて倒れただけなのだから。

(お? 何を風ちゃん達は驚いてるんだろ……?)

 自分がかなりの運の良さを見せた事に気付かないしんのすけだった……



 あの後食事を済ませ、簡単な身支度を整えたしんのすけ達は歩き出した。星はしんのすけの動きには才があると告げ、少しずつだが鍛えていく事にした。しんのすけも強くなれる事は嬉しいのか、喜んでそれに応じた。
 そこに込められた星と稟の狙いはしんのすけの安全性を向上させる事。いざとなった時、しんのすけが戦う事は出来ずとも逃げる事は出来るようにと。そう考えての鍛錬なのだ。

 そして、その道中で話した内容の一部に、昨夜三人が水浴びをした事が出た。すると案の定、しんのすけがどうして起こしてくれなかったのかと文句を言って、三人が苦笑する場面があった。拗ねるしんのすけに三人が揃って微笑みながらも、その機嫌を直す事に意外と苦労したりという事があった以外は、概ね何事もなく時間は過ぎていった。
 やがて日も高くなった頃、しんのすけ達の視界に村が見えてくる。そこで今日は泊まり、糧食などを確保しようと考えていたのだ。しんのすけはその村の外観に、やはりここが時代劇のような世界と確信する。だが、それよりも彼には気になる事があった。

「ね、どうしてあそこから煙が出てるの?」

 その言葉に星達が足を止めた。しんのすけが指差す方向。それは村からそこまで離れていない場所。そこへ視線を向けると、確かに土煙が見える。それは多くの者達が動いているだろう証拠。その数は百もないだろうが、それでも数十は下らないだろうと感じるものだ。

「……不味いっ! 盗賊だ!」

 そう叫ぶや否や星はその場から走り出す。見えたのだ、何か光る物を。あれが軍であれば、こんな場所で抜刀しているはずがない。であれば残る可能性は一つだったのだから。まだ間に合うかと思いながら、星が向かうは土煙ではなく村。その入口目指して走り出したのだ。それに続けと風と稟も走り出す。星が何を考え村の入口へ向かったのかを理解したからだ。
 しんのすけはそんな三人の動きに疑問を感じるも、置いていかれてはいけないと思い急いで追い駆ける。シロもその後を追う。星は入口に到着すると村の者達へ盗賊が近付いている事を告げ、念のために身を守る物を持って隠れるよう指示を出す。そして自身はそのままそこに残った。そう、村に来る賊を相手取るためだ。

 風と稟が星に遅れて入口に到着する。しんのすけとシロは、その俊敏性で二人よりも微かに遅れただけで済んだ。全員来たのを確認すると、星は手にした槍を構える。そして視線で風と稟へしんのすけの事を託すと、一人迫る土煙を睨む。
 その雰囲気から、しんのすけは何か只事ではないと感じ、自分の事を抱きしめている風へ尋ねた。

「ねぇ、何か来るの?」

「盗賊ですよ」

「自分達の事しか頭にない者達です」

 風の声にも稟の声にも怒りが滲んでいる。そう、盗賊達の多くは元は農民だ。朝廷の腐敗によって貧しく苦しい暮らしを強いられ、止むに止まれず卑しい行いに手を出した者達。だが、最初はあっただろう罪悪感を無くした時点で彼らは人ではない。そう稟も風も考えていた。
 何せ、彼らが襲うのはかつての自分達と同じような弱者なのだから。弱い者が束になり、より弱い者を叩く。それが乱世を形作る一つの要因だ。しんのすけは二人の言い方から何かを感じ取ったのか、何度か無言で頷くと視線を遠くなった星へと向けた。

「……じゃ、悪い人達なの?」

「ええ」

「そっか。だから星お姉さんは、それを懲らしめるんだ」

「そうですね。まぁ、あの数ならば平気でしょ~」

 懲らしめる。その言葉の意味する事が、自分と星達では大きく違う事をしんのすけが知るのは、この後の事だ。どれ程待ったかはしんのすけには分からない。だが、その間稟や風が話をしてくれたおかげで、しんのすけは恐怖を感じる事も退屈する事もなかった。
 本当ならば隠れるべきなのだろうが、風も稟も星の実力を知っている。それに、この村人には悪いが、いざとなったら自分達だけでも逃げるために入口に残っているのだから。

 三人の足元にいるシロも、その落ち着きを感じ取ったのか、あまり不安を表す事もなく、ただひたすらに星が向かった先へと視線を向けていた。そして、その目が星を捉えると、嬉しそうに声と共に走り出した。それに気付き、しんのすけもそちらへ視線を向ける。
 そこには無事な姿の星がいた。しかし何故かシロは、その傍に近寄ろうとしない。それどころか、星に怯えるように距離を取っている。それに疑問を感じながらも、しんのすけは星へ手を振って出迎えた。

「お~、おかえりんごジュースは百パーセント~」

「? りんごじゅーすとは何だ?」

 聞き覚えのない単語に星は足を止める。それと同時に手にした槍を地面に突き立てた。それにしんのすけの視線が動く。何故ならば、その槍から地面へ血が流れたのだ。

「星お姉さん、お怪我でもしたの?」

「ん? いや、この通り無事だ」

「じゃ、この血は?」

 不思議そうに首を傾げるしんのすけ。それに星は平然と答えた。

―――盗賊のものに決まっているだろう?

―――な~んだ、盗賊さんの……え?

 その言葉を聞いて、しんのすけは笑って答えようとした。しかし、その内容を理解した途端、その表情が固まった。それに気付かず星は稟と風にもう盗賊は全滅させたから心配はないと告げていた。
 それに二人も安堵の表情をみせる。そんな二人にもしんのすけは言葉が無かった。彼が知っている正義の味方とその仲間は、決して人を殺す事はしなかった。どんな悪人であろうと、命を取らずに改心させていたのだから。そう、しんのすけにとって懲らしめるとはそういう事。

 だが、しんのすけは星が告げた全滅との言葉から、ある事を想像した。故に、それを否定するために急いで村の外へ向かう。それに三人が気付き後を追う。震えるシロが見つめる先を見て、しんのすけは愕然となった。
 そこには、物言わぬ存在となった多くの男達が倒れていた。一面を赤く染める血。あちこちに残る武器の数々。あの戦国世界でしんのすけが見る事の無かった乱世の現実がそこにはあった。

 そんな惨状を眺め無言のしんのすけ。そこへ三人が追いつき、同じ光景を見る。そして、子供に見せるものではないと考えた風がしんのすけを連れ戻そうと近付くと、しんのすけは星も来た事に気付いたのだろう。そのまま振り向かずに後ろの星へ向かって問いかけた。

「……これ、星お姉さんがやったの?」

「そうだが?」

 心なしかしんのすけの声がくぐもっているような気がして、星は不思議そうに声を返す。それにしんのすけが手を握り締め、一度だけしゃくり上げたかと思うと、勢い良く振り返り、叫んだ。

―――どうして殺したの!? 死んだら、ごめんなさいだって出来ないんだぞっ!!

 その涙ながらの叫びに、誰も言葉が返せなかった。正論を告げ、しんのすけを黙らせる事は出来る。しかし、しんのすけの訴えは三人の心に強く響いていた。死んでは何も出来ない。例え改心したくても、後悔しやり直そうとしてもそれは叶わない。そんな風に聞こえたのだ。
 無論、非情にならなければ危ない事を星達は知っている。故に星は盗賊の頭らしき者と対峙した際、最後に確認したのだ。仲間はいないかと。それに相手はいないと答えた。だが、念のために仲間がいても連絡出来ないように、そして二度と悪事を出来ないようにしたのだから。

 平和な時代を生きていたしんのすけ。だが、彼も幾度にも渡る冒険で知っている。平和ではない場所があり、そこでは自分が話の中でしか知らないような恐ろしい現実が存在する事を。それ故に、時には誰かの命を奪う事さえある事も……
 それでも、それでもしんのすけは星達だけは違うと思っていた。友人達や憧れのヒーローのような三人なら、きっとどんな相手だろうと勝利して許し、更生させると。それを裏切られたように思いながらも、しんのすけは想いよ届けと告げる。

「父ちゃんが言ってた! 本当はみんな優しいんだぞ! 母ちゃんはいつもお便秘で怒ると凄く怖いけど、買い物行くとチョコビ買ってくれるし、ひまも時々イタズラしてオラのせいにするけど、大切なビー玉くれたりするし、父ちゃんは足臭くてなさけないけど、オラ達のためにいっしょ~けんめい働いてくれてるんだぞ!」

 涙を流し、しんのすけは叫んだ。誰だって本当は優しい心を持っている。悪い事をしたからといって殺すのは間違っていると。それは、彼もまた問題児だからこその言葉。しんのすけ自身、何度も悪い事をしては注意され直すようにと言われ続けている。
 それにしんのすけは応える事が中々出来ないが、それでも素直にその時は謝り、改善すると言って許しを得ている。悪い事をしたら謝る。そして同じ過ちをしないようにする。それで解決してきた生活しか知らないしんのすけ。それは、この時代では甘い。だが、甘いからこそ理想になる。

「……しんちゃん。しんちゃんの言いたい事はよく分かるのですよ。でも、この人達が同じように何度も人を殺してるとしても、しんちゃんはそう言えますか?」

 しんのすけの言葉の意味を感じ取り、風は優しく抱きしめて声をかけた。それはまさに姉が弟を諭すような雰囲気がある。

「それは……」

「言えないですよね? なら分かってください。星ちゃんは、風達の事を守るために戦ってくれたのですよ」

 それでしんのすけが納得してくれた。そう風は思った。すると、しんのすけが真剣な眼差しでこう答えた。

―――でもそれじゃ……いつか誰もいなくなっちゃうぞ……

 風の言葉を理解し、しんのすけはそう返した。殺したから殺してもいい。守るためなら仕方ない。そんな理論をしんのすけはそう解釈した。殺し殺されが拡大すれば、待っているのは人の滅び。その感受性と想像力に風は思わず声を失った。
 子供だからこれで納得するだろうと、そう考えていた。しかし、しんのすけは理解した上で更に言葉を返してきた。極論だが、可能性がない訳ではない。無論、風も稟もこれを否定する事は出来る。それでも、これは子供が辿り着く考えではなかった。

 風が驚きから沈黙したように、稟と星もまた沈黙した。平和な世界にいたから、子供だからという事で、しんのすけの言葉を処理しようとしていた事に気付いたからだ。彼は決して平和な世界しか知らない訳ではない。多くの困難や試練を乗り越え、その上で笑っているのだ。
 幾多もの冒険で彼が知った現実。とても五歳の子供が見るような光景や聞くような事実ではないそれら。しかし、それでもしんのすけは変わらない。いや、本質は、だろう。だらしなく、スケベでマセているが、優しく素直で勇気を持っている少年。彼はもう”本当の強さ”の意味を感じ取っているのだから。

 しんのすけは風の腕からすり抜けると、何も言わない三人に再び背を向けて、盗賊達の遺体に近付いた。そしてしゃがむと、その手を合わせた。その口からは、安らかに眠ってくれるようにとの願いを述べて。

(死者には、もう何の罪もない。故に、死後は静かに眠れ……か。本当に平和な時代、いや良き時代に生まれたのだな、しんのすけは)

(ごめんなさい……ですか。どうしてそんな言葉を……? そうか。しんのすけはきっと、改心の機会を与えたかったのでしょう)

 揃って考える事は違えども、抱く気持ちは同じ。しんのすけの考えは、この乱世では中々抱いても貫けぬ想い。悪人であろうと、改心しようとするのなら許そうとする気持ちだと。そう星も稟も考え、しんのすけへ視線を向けて思う。どこまで優しい子なのだろうと。
 何故ならその足元には、いくつかの水滴が落ちている。それを見て、二人だけでなく風も思う。しんのすけは、誰であろうと他者の死を悼む事が出来る優しさを持っていると。三人が揃ってしんのすけの背中を見つめる。それに気付いたシロがしんのすけへ近付いて、その顔をすり寄せた。
 その温もりにしんのすけは目元を拭い、頷いて立ち上がる。それを見て、三人はしんのすけの言葉を待った。何かが先程までと違う。そう感じたからだ。

「……ね、ここに悪い人達は沢山いるの?」

「ああ、あちこちにいる。もっと多くの者達を擁する盗賊や山賊もいるだろう」

「何でみんな、それをどうにかしないの?」

「残念ながら、賊を増やさぬようにする事が今の朝廷……国には出来ません」

「じゃあ、どうするの?」

「ですから、風達はそんな世の中をどうにか出来て、お助けしたくなる相手を捜しているのですよ」

 しんのすけにも分かるようにと、稟と風は難しい表現を避けるように告げた。それを聞いて、しんのすけは振り向いた。その目は赤く腫れているものの、表情は真剣なもの。何かを決意した男の顔だ。それに三人は小さく驚くも、次のしんのすけの言葉に心から驚く事になる。

―――なら、オラもお助けするぞ。もうお姉さん達がこんな事しないでいいように。誰かが悪い人にならなくていいように。

 それに込められたのは、紛れもない覚悟。ただ共に居るのではなく、星達を、ひいてはこの世界を助けたいという言葉。帰る事が難しいとしんのすけは感じているからだけではなく、この星達が住む世界をどうにかしたかった。いつか帰る方法が見つかるとしても、その時まで自分が無事でいられるか分からない可能性もあるし、星達に助けてもらうだけは嫌だったのだ。
 しかし、そのための方法をしんのすけが知るはずもない。だから決めたのだ。星達の手伝いをしようと。それが一番の方法だと。そして何よりも、自分の恩人で正義の味方である三人に、これ以上悪人であれ誰かの命を奪って欲しくはなかったのだ。

 そんなしんのすけの宣言を聞いて、三人は揃って予言は本当だったと感じていた。しんのすけには大きな力はない。しかし、その存在が与える影響力は馬鹿に出来ないものがあると。そう、三人は揃って今のしんのすけから”何か”を感じていたのだから。
 幼く、この国に何の縁もないしんのすけ。それがここまで言ってくれた。子供でさえこの状況を憂いている。そして、その微々たる力でも役に立てたいと思ってくれた事に、三人はこみ上げるものがあった。

「いいのか? 帰る方法を探さないでも」

「それも探すぞ。でも、まずオラがご無事じゃないと意味ないぞ」

「風達と一緒にいる間は大丈夫ですよ~?」

「でも、ゼッタイじゃないぞ」

「では、しんのすけは本当にこの大陸を助けたいと?」

「たいりくじゃなくて、みんなだぞ。悪い事した人達も、ちゃんと謝ったら笑って暮らせるようにするんだ」

 しんのすけはそう告げると、片手を空に突き上げて叫ぶ。

―――かすかべ防衛隊、ファイヤ~っ!!

 それは彼と友人達の合言葉。弱気な自分を励まし、押し寄せる苦難を乗り越えるための鼓舞だ。故に、これを口にした後の行動が世界を救うキッカケになった事は多い。もう一つ、彼には同じように逆境を跳ね除ける言葉があるのだが、それはここには相応しくない。それは、彼の家族と共に叫ぶものだから。
 しんのすけにとって、星達は家族ではなく友人。ならば、ここで叫ぶのはこちらだと。そう思ったからの叫び。そんなしんのすけの叫びに、星達はどこか圧倒される。

「……しんのすけ、それは?」

「合言葉だぞ。これをみんなで言うと、ピンチを乗り越える事が出来るんだ」

「ぴんち?」

「雰囲気から察すると、危機とか危険ですかね~?」

 しんのすけの言い方からその意味を察する風。しんのすけもそれに頷いたので、稟も星もそういう言葉なのかと理解した。そして、しんのすけが星達に言った。全員で力を合わせて頑張るために、一緒にこれを言って欲しいと。
 それに星は即座に応じ、風も構わないと告げた。稟はやや躊躇いがあったが、しんのすけの考えは分かるので頷いた。この難局を乗り越えるために一致団結したい。その思いは、痛い程分かるのだから。

「さ、ではやるか」

「いいですよ~」

「号令はしんのすけがお願いしますね」

「ブッ、ラジャ~」

 全員で手を重ね合わせる。シロもそこにはいる。掛け声に関して稟からある変更要請があったが、それをしんのすけは快く同意し、星と風にもその事を伝え、もう準備完了していた。そして、しんのすけが大きく息を吸い込み……

―――たいりく防衛隊、ファイヤ~っ!!

―――ふぁいや~っ!

―――キャンキャ~ンっ!

 青空に響き渡る五つの大きな声。その力は、あまりにも小さい。しかし、その絆はもう小さくはない。あの男性が呟いた言葉。この世界には、しんのすけの力も絆もない。それは確かにそうだっただろう。ここには、彼の家族も友人もいないのだから。
 だが、あの男性も一つ肝心な事を見落としていた。しんのすけの力とは、人との絆。そして絆とは、誰かと心を通わせる事なのだ。絆はないのではなく、結ばれていないだけ。現に、彼はもう三人の英傑と心を繋ぎ出しているのだから。

今、大陸に静かな風が吹く。それはまだ、そよ風でしかない。その勢いが激しくなり、嵐となって大陸に吹き荒れる時、彼らは知る。
本当の英雄とは、どういう意味かを……




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覚悟回。しんちゃんならこういう結論かなと思って書きました。

正直、今回の話はかなり迷いました。まだ早いのではないかとか、しんちゃんの歳では耐え切れないのではないかと。

でも、優しい彼だからこそ、そしてあの冒険を乗り越えてきた彼だからこそ、ここの現実からも目を逸らす事はしないと思いました。故に、ここで乱世の現実を見てもらいました。

……大人帝国やアッパレで見せた、子供らしくも大人のような雰囲気は絶対忘れません。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 幕間 星編
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/01 05:58
 鋭い突きがしんのすけを襲う。それをしんのすけはかわし切れず、軽く飛ばされ地面を転がる。しかし、それでもすぐに立ち上がり、正面を見据えて叫ぶ。

「まだまだぁ!」

「その意気や良し。ならば、次はもっと速くするぞ!」

「ほいっ!」

 しんのすけの声が死んでいない事に星は笑みを見せるが、それを一瞬で引っ込めると再び厳しい表情で槍を構える。その周囲には、稟も風もシロさえもいない。今二人が行なっているのは、しんのすけの鍛錬だ。
 あの宣言を受け、星は鍛錬でのしんのすけへの加減を必要最低限にする事に決めた。それは、しんのすけが守られるだけの存在ではなく、守れる存在になりたいと告げたため。少しでもいいから役に立てるようになりたい。そんな純粋な願いを聞き、星は決断したのだ。心を鬼にして、しんのすけを鍛えようと。

 時刻は早朝。場所は村の中央の広場。あの盗賊の襲撃があったものの、戦場は村の外だったため、村は何事もなく無事で済んだ。故に、星は村人達から感謝されて今に至る。更には、宿代は要らぬと言われ、食料も無料で渡されそうだったのだが、それはさすがに断った。
 農村の暮らしが苦しい事を知っている星達だからこそ、収入源である食料をタダで受け取る訳にはいかなかったのだ。しかし、村長達もお礼がそれぐらいでしか出来ないと中々譲らず、結局格安で手に入れる事で折り合いを付けたのだ。

「はっ!」

「キャイン!」

 星の攻撃が素早く動く体を捉え、再び地面を転がるしんのすけ。星がしんのすけに望んだのは、どんな相手からも決して目を逸らさずに動く事。俊敏性は正直星でさえ目を見張るものがある。それを伸ばしてやれば、回避に関してしんのすけは強く光ると踏んだのだ。

(攻撃に関しては、今はまだ早いしな……)

 しんのすけが元居た世界で剣術、つまり剣道をやっていた事を昨夜星は聞いた。それは、一度しんのすけの武術関係を知っておこうとなったため。
 しかし、星は剣は専門外なので詳しい事は教える事は出来ない。だが、それでも基本的な事は教えてやれる。だから、まずはしんのすけの身を守るために必要な事を、重点的に鍛えようと思っていたのだ。
 今朝、しんのすけは星が避け方の訓練すると告げた時、不満を口にした。しんのすけも男の子。やはり逃げるよりも戦う方に憧れるのだ。しかし、そんな彼に星は諭すように告げた。

―――今は、しんのすけが自分を守る事が、私達を守る事になるのだぞ?

 それにしんのすけは困惑。頭の横に指を当て、軽く傾げて考える。そんな姿に星は微笑み、答えを教えてやった。しんのすけが傷付けば、自分達が傷付くよりも辛いのだと。そう、今やしんのすけは星達の希望。乱世を正すだけではない。人とは、ここまで優しく強くあれるのだ。そう思わせてくれた存在なのだから。
 星の告げた答えを聞いても、しんのすけはまだ少し考えていたのだが、何かを納得したのか感心したように頷いた。

―――そっか。オラが星お姉さん達に、お怪我して欲しくないって思うのと同じだね。

 その言葉に星は一瞬声に詰まりそうになるものの、何でもないように頷き返した。いや、頷き返すしか出来なかった。不覚にも感情が昂ってしまったのだ。まだ自分の半分も生きていない相手が無邪気に告げる言葉。そこに込められた純粋な想い。
 これからも戦いに関る事があるだろう自分だけでなく、稟や風の事まで心配し、その無事と安全を願っている。これが、自分の家族や親しい友人などであれば理解は出来る。しかし、しんのすけは昨日今日出会ったような子供なのだ。

 それが他人の自分達を心から思ってくれている。それに思い当たり、星は激しく心を揺さぶられてしまったのだ。故に、流れそうになる涙を堪え、星は背を向けてしんのすけへ鍛錬の開始を告げた。そして、距離を取ろうと離れる足音を聞きながら、密かに目元を拭ったのだから。

 そんな事を思い出す星の目の前で、地面を転がったしんのすけがゆっくりと立ち上がった。服は汚れ、膝は擦り剥け、顔には土を付けながらも、その表情は凛々しいままに。更に眼差しは、力強く正面の星を見つめていた。その異様な迫力に星は微かに息を呑むが、頷いて槍を地面に突き立てた。

「今日はここまでだ……中々やるな、しんのすけ」

「いやいや、星お姉さんこそスゴイぞ。オラ、結構自信あったけど、全然避けれなかったや」

「当然だ。だが、お前も胸を張れ。お前の相手は大陸屈指の槍使いなのだからな」

 手にした槍を放した途端、星の表情が一変した。優しく自慢の弟子を誉めるような表情へと。服についた土や砂を払ってやりながら、星はしんのすけの健闘を讃えた。それに嬉しく思いながら、しんのすけは素直な感心を込めて答える。
 そんな子供らしさに星は微笑ましく思い、笑みと共にその頭を撫でる。訓練で見せた負けん気の強さは大したものだと思いながら。そして、しんのすけを連れて井戸へ向かい、そこの水でその足を洗って傷を見る。軽い擦り傷だが、しんのすけは水が染みるのか時折変な声を上げていた。

「くぅ~、染みるぅ! けど……それがいい~」

「相変わらず妙な奴だ」

「いやぁ~、星お姉さんには勝てないぞ」

「む、言うではないか」

「む、言うではないか」

 最後にしんのすけがやってみせた星の真似。それに一瞬の間が生じ、その直後二人揃って笑い出す。流れるようなやり取り。そこにあるのは互いの笑顔だ。まるで、昔からそんなやり取りをしてきたかのような雰囲気。
 それをどこか不思議に思いつつ、二人は宿へと戻るために歩き出す。そして歩きながら、しんのすけはふと思った事を聞く事にした。それは、星の事。

「ねぇねぇ、星お姉さん」

「ん?」

「どうやって星お姉さんは強くなったの?」

「ふむ……中々答え難い事を聞くな。正直に言えば、まだ強くなどないのだが……」

 そう言って星は足を止めた。それにしんのすけも足を止めた。見れば星は視線を上へ向けている。しんのすけもそれに倣い、視線を上へと向けた。そこには柔らかな日差しの太陽と白い雲が見える。
 星はそれを遠い目で見つめ、手にした槍を一度だけ振って太陽目掛けてそれを突き出した。その動きの速さにしんのすけが驚きを見せるが、星はそれにどこか不満そうな表情を浮かべた。

「……まだ足りん、な。いや、そもそも果てなどないか」

 星の言葉の意味が分からず、しんのすけは首を傾げるのみ。そんな彼に苦笑し、星は告げた。ただ力をつけるのなら鍛錬でいいが、自分は強さをまだ身に着けていないと。それに、強くなったと思ったら、そこで弱くなるのだから。そんなナゾナゾのような内容に、しんのすけは益々混乱する。
 しかし、星はそんなしんのすけへ優しく諭すように告げる。無敵の強さなどどこにもない。命ある限り、誰もがどこかに弱さを持っているのだからと。それにしんのすけは理解出来ないまま頷くも、アクション仮面もそうなのかと返す。さすがに星もそれは予想外だったのか、やや考えるが正義の味方ならばそうだと答えた。

「覚えておけしんのすけ。正義こそ一番強く、一番弱いものだとな」

「強いのに弱いの?」

「そうだ。だからこそ、私は”正義”の味方になりたいのだ」

 しんのすけの言葉に答える星。その目は、再び遠くを見つめていた。しんのすけがこの時の問いかけの答えを知るのは、まだかなり先の事だった……



 宿に戻り、出発の準備をする星とそれを手伝うしんのすけ。とは言っても、しんのすけの行動はどちらかと言えば邪魔なのだが。そこへ稟と風が現れ、出発の準備を先延ばしするように告げた。
 何でも空の雲行きが怪しいため、雨に降られぬよう出発を一日遅らせようと思うとの事。それに宿の主人も、今日の分も御代は要らないと言ってくれているし、何よりもしんのすけの服装の事も何とかしなければならないからと。
 そう、今日の早朝鍛錬の結果、彼の服は少々擦り切れてしまい、それを補修しなければならなかったのだ。その間の代わりになる服も合わせて見てくるからと、そう告げて稟は外出していった。

「では行ってきますので」

 それに続くように、今度は風がシロを散歩させると言って連れ出した。

「さ、行きますよシロちゃん」

「キャン」

 次々と去って行く背中を見送るしんのすけと星。そして、静けさが部屋に訪れる。こうして留守番のように残される形となったしんのすけと星。だからだろう。星は仕方ないかと思い、しんのすけと話でもしようと顔を向けた。丁度しんのすけも同じ事を思ったのか、同じような表情で星の方を見た。
 しばらく互いの顔を見つめ合う二人。そして、その行動理由が同じだと分かるや否や、互いがおかしく思って笑い出す。そうやってしばらく笑い合ってから、星はしんのすけへ天の話を聞かせて欲しいと告げる。それにしんのすけは元気良く頷いて話し出した。

「オラの住んでるとこは、かすかべって言って、とってもいいとこだぞ」

「ほう、どのように良い所なのだ?」

「えっとね、えっとね…………あ~、い~、う~、え~、お~?」

 何かを提示しようと考えるしんのすけだったが、中々思いつかず悪戦苦闘。だが、その唸り声はどこか遊んでいる。それに星は内心苦笑するが、表情はややからかうような笑みで尋ねた。

「どうした? 良い所が無いのか?」

「大人が細かい事気にしないの! とにかくいいとこなんだから!」

 結局具体例が思いつかず、しんのすけは誤魔化すようにそう告げる。それに星は可愛らしくて仕方ないとばかりに苦笑する。

「ふふっ、分かった分かった。それで?」

「で、オラはようちえんに通ってるんだけど……」

 そこから始まる幼稚園での思い出話。その内容に星は驚くやら笑うやらと忙しい。特にしんのすけがよく話題に出した友人達との話は、星も思わず感心するぐらいのちょっとした冒険譚だった。その中の風間君は、聞いているとどこか稟を思い起こさせるものがあったし、ボーちゃんの話は風を連想させるも、しんのすけが変わった趣味を持っていると告げる。そしてその内容に、星は風よりも変わり者かもしれないと思った。

 幼稚園の話で星が考えさせられたのは、園長先生の話だった。しんのすけが似ていない顔真似を交えながら語る園長は、強面だが優しく子供が好きな性格がよく分かったからだ。星は人は見かけではないのだと、その話に改めて感じたのだから。
 そんな風にしんのすけの語る話を聞きながら、星はその異常性に気付く。それは、最後を飾るかの如く語られる幾多もの冒険談。その内容もさることながら、しんのすけ達が、それらの問題に巻き込まれる頻度に疑問を抱いたのだ。

(まるでしんのすけを狙ったかのように問題が起きるのだな……)

 しかし、それでもしんのすけとその家族は、絆を力にそれらの危機を乗り越えていった。しんのすけもその時の事を思い出して、話に熱を込めていく。子供ならではの誇張や脱線はあったものの、星はしんのすけの芯の強さが培われた原点を知った。
 有り得ないような、そう、今回のような出来事。それを前にして、しんのすけやその家族達や友人達は逃げる事無く立ち向かっていったのだ。確かに恐怖や不安はあっただろう。だが、それを上回る程の思いがあったのだと星は気付いた。

 それは、一言で表せば希望。未来は明るいと考え、明日は必ず来ると信じ、自分達はきっとこの状況を変える事が出来るだろうとの気持ち。そう、何気ない平和な日常は、絶対に取り戻せるとの思いだ。それが負の感情を吹き飛ばし、困難を乗り越える原動力となったのだろうと。
 しかも、しんのすけ達はそんな中で敵対していた者達の一部と和解し、手を取り合った事もあるのだ。それを聞いて思い出すのは、あの盗賊達の遺体の前でしんのすけの語った言葉の一部。それを星は、決して忘れる事はない。肝に銘じる言葉とは、あれを指すのだろうと心から思えたあの言葉。

―――悪い事をしてる人がいるなら、どうしてそれを注意してあげないの!? やめたいって、そう思ってる人だっているかもしれないぞ!

 その言葉を聞いた瞬間、星は気付いたのだ。いつの間にか自分は、賊を人として見なくなっていたと。犬畜生にも劣る存在。そんな風に決め付けていた。しんのすけの言葉通り、彼らの中にも、最初から盗みや略奪をしたかった訳ではない者がいる可能性がある。どこかで助けを求めながら、同じように助けを求める者を殺すしかなかった者が。
 そう考えた瞬間、星は自分を恥じた。賊だからと全てを一括りに考え、相手を殺す事に躊躇いも感じなかった事を。もしかすればその中には、やめる事が出来た者もいたかもしれないのだ。自分が少し背中を押してやる事で、自らの行いを恥じ、更生出来た者が……

 もしそうだとすれば、自分はただの人殺しをした事になる。義もなく、勇でもないただの殺人。故にしんのすけの言葉は、星の中で強く残った。もう二度と可能性を無くすものかと。一人でも、自分が声を掛ける事で抜け出せる者がいるかもしれないのだ。
 もしそれが続いていくのなら、それこそ理想の正義の味方だろう。犠牲にする事無く、悪人を正す。しんのすけの語る正義のヒーロー。それと同じ存在へとなれるのだから。

 星がそんな事を想像し、しんのすけの言葉に思い馳せている内にも話は進み、話題はいつの間にか冒険からしんのすけの特技の話になっていた。それを聞き、星はふと我に返る。気になる事があったのだ。だから、こう尋ねた。

「ちょっといいか、しんのすけ」

「お?」

「いや、今言ったぞうさんとは何だ?」

「え~っ、ぞうさん知らないの? 星お姉さん、遅れてるぅ」

 遅れてるも何も時代が違うのだから、ある意味それは当然だ。しかし、それをしんのすけが気付けるはずもなく、星はその言葉にもったいぶらずに教えて欲しいと告げる。それにしんのすけも象の事を話し出す。
 鼻が長くて大きな体。性格は優しく力持ち。そんな動物園で見た象の印象をありのままに。星は天にはそんな生き物がいるのかと感心するが、彼女は知らない。実は、この大陸から行ける場所に、それが生息しているなどと。

「それで、どうしてその生き物がお前の特技なのだ?」

 そんな事を知らない星は、何故それがしんのすけの得意技なのかが疑問だった。その星の言葉を聞いて、しんのすけが確認を取るように尋ねる。

「見たいの?」

「ああ」

「もぅ、しょうがないな~」

 星の言葉にどこか嬉しそうなしんのすけ。そして手をズボンにかけたところで、一端手を止め、興味津々で自分を見つめる星へ視線を向けた。それに星が不思議顔を返す。

「何だ?」

「星お姉さんのエッチ。オラがいいよって言うまでの間、後ろむ・い・て・て」

 何故かオカマ口調で告げるしんのすけ。その声色に星はやや気味の悪い印象を受けるが、言われた通りに後ろを向いた。すると、微かに聞こえる布ずれの音。そして聞こえるしんのすけの「あ、マジックないや」との呟き。
 それらが何を意味するのか、星にはまったく想像もつかず、ただしんのすけの言葉を待った。一方、しんのすけは何かマジックの代わりになるものを探し、風達の荷物から墨を見つけた。そしてそれで器用に自分の股間周辺に何かを書いていき、頷いた。

「いいよ~」

「やれやれ……一体何を……」

 しんのすけの許可に星は待ちくたびれたとばかりに振り向く。だが、その言葉は途中で止まった。振り向いた先には、下半身を丸出しにしたしんのすけの姿があったからだ。
 しかも、よく見ればその股間周辺には何かが描かれているではないか。星はそれに気付くも、それが象の耳を意図して書かれたものとは分からず、ただ呆然としんのすけを見つめた。すると……

「ぞ~さん、ぞ~さん」

 しんのすけは腰を揺らして前後に動き出す。その光景を眺め、星は呆気に取られる。だが、その揺れるものを象の鼻に見立てていると理解し、徐々にそれがおかしくなってきたのか、笑い出した。しんのすけの想像力と発想力。それに感心と呆れる程のくだらなさを感じたために。
 一方のしんのすけは星が楽しんでくれたと思い、その動きにやや熱が入る。更に、初めて女性から見せて欲しいと頼まれた事もあり、その動きはいつもに増して嬉しそうだった。
 そんな事をたっぷり三分はしていただろうか。やがてしんのすけも疲れたのか、それとも飽きたのか、動きを止めて星を見た。星はしんのすけの行動に笑っていたのだが、今は笑い疲れて寝台に伏していた。

 そんな姿を見て、しんのすけはズボンを穿くと、星へ近付き声を掛けた。

「星お姉さん、どうしたの? 眠くなったの?」

「い、いや……くくっ、お前の動きが何やら舞にも思えてな」

「ほ~ほ~。オラのぞうさんは気に入ってもらえましたかな?」

「ああ、気に入った。今度は……そうだな、稟にでも見せてやれ」

 そう言うと、星はそれを見た稟の姿を想像したのだろう。また笑い出した。それを眺め、しんのすけも笑う。そしてしんのすけはそのまま星の隣へ寝転んで、大きくアクビをした。今朝は鍛錬のために、彼としては有り得ない時間に起こされた。
 更に鍛錬での疲労や長話の疲れもあり、睡眠時間が足りなかったのだ。そのカバのようなアクビに星は微笑みを見せると、その頭を優しく撫でて告げた。

―――しんのすけ、先程の舞の礼だ。私が添い寝してやろう。

―――ホント……?

―――ふふっ。ああ、本当だ……

 しんのすけも眠気が強いのか、いつもならば目を見開いて興奮するような申し出に、素直な反応しか返せない。星は、寝惚けた顔をしたしんのすけに愛おしさを感じると、優しくその体を抱き寄せる。
 少し悪戯心でその胸に顔を軽く埋めさせるも、しんのすけは嬉しそうにするだけ。星は、そんなしんのすけの予想と違う反応に意外そうな表情を見せるも、それでもいいかと小さく笑みを零す。そして星は、しんのすけの背中を黙って優しく叩き始めた。そう、自分が幼い頃母にしてもらったように。

 すると、すぐにしんのすけから寝息が聞こえ始める。それに星は母の如き顔を見せるも、しんのすけの寝顔にアクビをして、自分も仮眠を取ろうと思い、目を閉じた。

(いつか私も母になるとしたら……子の真名はしんのすけにでもするか)

 そんな事を考え、星は静かに笑う。まずは相手が先かと、そう苦笑して。そして、程なくして部屋に二つの寝息が聞こえ出す。そこへ、長めの散歩を終えた風がシロと共に現れて、寝台を見て小さく笑う。
 しんのすけと星が親子のように寄り添っていたからだ。故に邪魔しないようにと、再び風とシロは静かに部屋を出る。昼食までは寝かせてやろう。そう言って、風はシロへ視線を向ける。それにシロも小声で返事を返し、風はまた微笑みを浮かべた。

―――稟ちゃんに会って、お昼ご飯までは部屋に入らないように言わないといけませんね~。

―――キャン。

 遠ざかるそんな声を聞いているかのように、しんのすけと星はどこか嬉しそうな寝顔を浮かべるのだった……




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拠点フェイズとでも言えばいいのか。お分かりの通り、星メイン回です。個別編はギャグ要素というか、中々入れられないおバカ要素をどこかに入れていこうかと思います。

というか、そうでもしないと自分は出来そうにないんで……

ほのぼの系はそういうものばかり書いているせいかまだいいのですが、ギャグが不得意なので困ってます。

……このしんちゃんはかなり大人しくなるかも……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 幕間 稟編
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/02 17:58
「ふぅ、もう食べれないぞ」

「それだけ食べれば十分だ」

 お腹を軽く擦りながら、しんのすけは満足そうにそう言った。その言葉に星が笑みと共にそう返し、それを聞いて苦笑しながら稟が頷く。風は店の主人から貰った骨をシロへ渡して、その様子を見て微笑んでいる。
 今彼らがいるのは村の食事処だ。仮眠を取ったしんのすけと星を起こし、全員で昼食を取ろうとやってきたのだ。実は昨夜はここではなく、あの盗賊討伐の感謝も兼ねた歓迎会を村長宅で受けたため、ここを使う事は無かったのだ。

「でも、ここ中華のお店だったんだね。オラ、最初気付かなかったぞ」

「ちゅうか? これはこの辺りの家庭料理ですよ」

「え?」

「……稟ちゃん、どうやらしんちゃんにとっては、風達の国の食べ物には別の呼び方があるようですよ」

 しんのすけの反応から風が気付いた事。それが、しんのすけに自分がいる場所の国名を気付かせる事になる。それは、この後宿に戻っての話し合いで判明した。
 風が尋ねた中華の意味。それをキッカケにしんのすけが話す中国の事。一部は星達にも理解出来ない箇所もあったが、大体の部分で自分達の知る物と合致した。そのため、しんのすけにもここが昔の中国と理解出来たのだ。

 昨夜の村長宅でも料理は中国料理だった。しかし、しんのすけはそれが普通ではなく、偶々それを出されたと思った。故に、昼食を出されても、それがここの普通だとは気付かなかったのだ。そして、ここが中国だと知ったしんのすけは、是非見たいものがあった。それは……

「ね、パンダはどこにいるの?」

「「「ぱんだ?」」」

 しんのすけの語るパンダの特徴を聞き、稟がそれは自分達で言うところの熊猫を指すと気付いた。そして、自分達でさえあまり馴染みのある生き物でないそれを、しんのすけが特徴を詳しく言える事に疑問を抱いた稟と風。それを尋ねられ、しんのすけは動物園の事を話す。
 星も先程聞いた象の話も出た事もあり、三人はしんのすけの話を興味深く聞いた。世界中の生き物を集め、その生態などを勉強する。しんのすけの説明からそんな風に捉える稟と風。一方で星は見世物小屋の発展先と考えるも、三人はそれぞれにしんのすけ達の世界の凄さを知った。

 そう、遠くの国の生き物を知る機会を身近に与えられ、安全にそれを見学する事が出来る。それは、稟達にとっては凄い事だった。虎や獅子などさえ間近で見られると聞くと、揃って感心したのだから。
 そこから発展するのは、遊園地の話。しんのすけが話すそれは、三人に人の豊かさと平和が繋がっている事を強く感じさせた。ただ楽しむためだけに多くの資材や資金を使える。しかも、そこに来る者達も遊ぶためだけに金を使える。それは、幼い頃は野を駆け回ったり山や川で遊ぶのが常である星達からすれば、そういう風に思えた。

 だが、しんのすけにとってはそうではない。逆にしんのすけは星達の方が羨ましかった。遊び回れる場所があり、豊かな自然が当たり前にある方がいいと。秋田の祖父の下で過ごした時、しんのすけはどこかでそう感じたのだから。
 そうしんのすけが言うと、星達はその言い方からある事を悟った。なので、その確認を兼ねて風が尋ねる事にした。

「ちょっといいですか~」

「どうしたの? 風ちゃん」

「しんちゃんの住んでいる場所には、山も川もないのですか?」

「あるよ。でも、近くにはないぞ。電車に乗ったり、お車で行かないと駄目なぐらい遠いんだ」

 その答えに、三人はやはりと頷いた。しんのすけの周りには自然があまり残されていない。そう、開発されているのではと感じ取ったのだ。星達が知る大きな都市なども、元は誰も住まない荒野だった。そこを開発する事で今の形になった事を知っていれば、自分達よりも進んだ技術を持っているだろう者達が、どこをどうするかは想像出来たのだ。

(天では山や川さえ切り開き、街を作っているのか。それは凄いのだが、しんのすけの反応から察すると、あまり良い事だけでもなさそうだ)

(でんしゃ……はともかく、くるまですか……どうやら両者とも乗り物のようですね。響きからして馬車と同じような物なのでしょうが、おそらく速度などは比べ物にならないのでしょう。しんのすけの世界では、色々な物が想像を超える進化を遂げていそうです)

(遊ぶ場所が少ないのでしょうか? 豊かなのはいいのですが、子供が遊び場所に困るのはどうかと思うのですよ~。子供がのびのびと過ごせる事は大切ですからね~。しんちゃんの世界は、次代の事を考えているのでしょうか?)

 星は純粋にしんのすけの反応を、稟はしんのすけの語った内容に、風はしんのすけの世界の行く末に、それぞれが考えを巡らしていた。すると、外から何か音が聞こえ始めた。それに全員が視線を窓へと向けた。
 雨が降ってきたのだ。それを見て、出発を遅らせて正解だったと告げる稟。風も星もそれに同意し、シロはただお座りの姿勢で三人を見上げていた。一方しんのすけは降り注ぐ雨を見つめ、ある歌を思い出していた。そして、何となしにそれを口ずさむ。

「そぼふる~雨にぬれているぅ、お前の背中がぁさみぃしくて~」

 それは北埼玉ブルース。いつかのお遊戯会の練習で、彼の担任であるよしなが先生が間違えて聞かせてしまった歌だ。本来やるはずだった歌を変更する程しんのすけ達が気に入り、見学に来た父兄達が揃って疑問符を浮かべる事になった原因である。
 ともあれ、そんな歌を聞き、三人が揃って視線をしんのすけへ向けた。それに気付き、しんのすけも歌を中断して視線を向けた。そして三人が揃ってしんのすけの歌について尋ねる。こうして、しんのすけは三人へ北埼玉ブルースを聞かせる事になる。そして、それをキッカケに他の様々な歌を教える事になって、歌好きの稟が密かにいくつか覚えてしまうのだった……



 時刻は現代で言うところの午後三時。外ではまだ雨が降っている。星は部屋にこもりきりになるのが億劫と言って、仕方ないとシロの相手をするために部屋を出て行った。風は稟が用意した布を使って、しんのすけの服の修繕をするために隣室へと移動した。
 そう、宿は小さく一つの部屋には二人分しか寝台がない。そのため、二つ部屋を使っていたのだ。部屋に残されるのはしんのすけと稟。残された二人は、自然と会話をしようとするのだが……

「でね、オラがおトイレに入っているとバスが来ちゃって、いつも乗れなかったんだぞ」

「といれ? ばすは、先程言っていたでんしゃと同じで、乗り物の一種でしょうか?」

「ええっと、バスはお車の大きなやつだぞ。おトイレは……あれ? 何て言うんだっけ?」

 このようにしんのすけが使う現代語に稟が意味を尋ねるため、会話が中々弾まずにいたのだ。分かり易く言おうとするしんのすけ。それを助けようと稟はその言葉の雰囲気や意味合いから様々な意見を出し、それを補助する。
 なんだかんだで会話は弾まぬものの、二人はそれに不快感を感じる事はなかった。しんのすけは稟の博学ぶりを知って、しきりに感心していたし、稟はしんのすけの理解力の高さに内心感心していたのだから。

「といれは厠の事で、ばすは大勢が乗れるからくりの乗り物。これでいいですか?」

「うん。でも、稟お姉さんスゴイぞ。オラの言葉だけで全部分かっちゃうんだもん」

「いえ、しんのすけがちゃんと物の特徴を覚えているからですよ。大したものです」

「いや~、それ程でも」

 稟に誉められ、しんのすけは満足そうに返す。それに稟は小さく笑みを浮かべる。誰かに物を教える事を稟は経験した事がない。だが、しんのすけと話していると、どうしてもそんな事になってしまうのだ。
 しかし、その時強く感じたのは、子供が自分の言いたい事を理解し、成長してくれる事の嬉しさだ。しんのすけは理解力は高い。しかしそれにも限度がある。故にどうしても理解出来ない言葉や意味がある。それをどうやって伝えるか。そんな事に頭を使いながら、稟は気付いた事があった。

(私は、今まで誰に対してもこうしていたでしょうか。自分の考えを分かり易く……そう、子供でさえ分かるようになどと)

 自分の言葉を理解出来ない相手に出会った時、自分は相手の程度が低いと判断していた。だが、それだけではなかったのだ。自分もどこかで驕り高ぶっていたのではないか。今のしんのすけのように、相手に伝わるようにと心を砕く事も必要だったのだ。
 そう、本当に程度が低いのは、誰にでも分かるようにと心砕いた事を理解出来ない事なのだ。稟はそう考え、しんのすけへ視線を向けた。今は自分の日常を話しているしんのすけ。その内容はくすりと笑ってしまうようなものから、みさえやひろしに同情してしまうものまで様々だ。

 だが、それは自分にもあると稟は思う。両親との日々や幼い頃の思い出。それらは誰にでもある宝物。戻りたいと思う時さえある、かけがえのない時間なのだ。

「……さん。稟お姉さん」

「はい?」

「も~、オラが質問してるのに聞いてないなんてヒドイぞ」

 昔を思い出していたせいか、稟はしんのすけの問いかけに気付かずにいたようだ。しんのすけのやや怒るような声に稟は謝罪し、もう一度質問をして欲しいと告げた。それにしんのすけはジト目を向けて尋ねた。

「もう無視しない?」

「ええ。ちゃんと聞いています」

「本当に?」

「ええ」

 まるで誓約でもさせられそうだ。そんな風に稟は思うも、そこでしんのすけはジト目を止めて頷いた。そして、先程稟が聞いていなかった質問を告げる。それは、どうして稟は色々な事を知っているのかという事。
 それに稟は少し考え、苦笑して答えた。まだ自分は未熟だと。確かに、並の者達よりも知っている事は多い。だが、まだ知らない事の方が多きのも現実。そう告げて、稟はやや楽しそうに告げた。

「それに、下手をしたらしんのすけの方が物知りかもしれませんよ」

「どうして?」

「貴方の世界については、私は無知に……いえ何も知らないに近いのです。先程も貴方が何気なく使っている言葉が分からなかったでしょう?」

「おおっ! なら、オラって稟お姉さんよりも頭いいかも!?」

「それはないです」

 調子に乗ったしんのすけに、稟ははっきりとそう断言した。その表情は真面目なもの。そんな反応を予想していたのか、しんのすけはやっぱりと言って楽しそうに笑っている。その反応に、今度は稟が息を吐く。しかし、その表情は呆れながらも楽しそうだ。
 そして、再び始まるしんのすけの日常話。それに稟は聞き入りながら、ふと思うのだ。今の自分達と過ごす時間は、しんのすけにとってはやはり非日常だろうかと。そしてしんのすけの話が一旦終わるのを見計らって、稟がその旨を尋ねた。

 しんのすけはそれに不思議そうな表情を返す。そう、彼にとってはこの時間はある意味非日常ではないのだ。彼にとっての非日常。それは、常に起きている。些細な変化、見逃してしまいそうな違い。それがない事などない。
 日常は非日常であり、非日常は日常。しんのすけはそんな風に稟へ話す。それに稟が驚きと納得をする中、しんのすけは最後にこう言った。

「でも、稟お姉さん達といるのは、オラ的にはい~じゃんじだいだぞ」

「……それを言うなら異常事態でしょう」

「お~、そうともゆ~」

「はいはい……」

 しんのすけの告げた言葉から伝えたい意味合いを悟り、稟はそうため息混じりに指摘する。それにしんのすけは平然とそう返した。そんなしんのすけのマイペース加減に、稟も慣れたのか冷たくあしらう。
 それにしんのすけが冷たいと反論し、稟がならもっと言葉を正しく覚えなさいと返す。そこから始まる稟の軽い説教。ちゃんと言葉を使わないと碌な大人になれない。そんな風にしんのすけへ語るのだが、それを聞いて彼はこう返す。言葉遣いが悪くても、いい大人はいると。

 彼が具体例に挙げたのは、上尾先生だ。眼鏡を外すと別人のように豹変する彼女。その話を聞いて、稟はどう反論すべきかを大いに悩む。しんのすけは言葉を正しく使うという意味を勘違いしていたのだ。
 稟は、言い間違いをしないで言葉を使う事を告げていたのだから。故に、しんのすけの反論は的外れ。しかし、それをどう指摘すればいいのかを稟は考えていた。ただそれを間違っていると告げるだけでは駄目だ。しんのすけへ自分の伝えたい事を理解してもらわなければ。そんな風に考え、稟はこう語り出した。

「しんのすけ……」

「なぁに?」

「もし名前を間違えられたら、どう思いますか?」

「? ちゃんと呼んで欲しいって思うぞ?」

「そうですよね。なら、どうして物の名前をちゃんと呼んであげないのですか?」

 稟の優しい声にしんのすけはハッとした。自分が言い間違えを直そうとしない事は、物の名前を間違えたままで良いと言っている事と同じと気付いたのだ。

(オラ、色んなもののお名前を間違えて呼んでたんだ。これからは気をつけないと)

(この様子では気付いてくれたようですね。やはり感受性は豊かのようです。物を人と同じに例えて考える事が出来るとは……)

 しんのすけの反応を見て、その発想力に感心し笑みを浮かべる稟。しんのすけは稟の言いたい事が分かったと告げ、これからは出来るだけ気をつける事を約束した。それと同時に、しんのすけは稟へある頼み事をした。それは、自分の先生だ。
 自分が間違えて覚えている事を正しく教えて欲しい。そして、知らない事を少しずつ教えて欲しい。その申し出に稟は軽く意外に思い、どうしてかを尋ねた。それにしんのすけはこう答えた。

―――オラ、ひまのお兄ちゃんだから、帰ったら色んな事を教えてあげたいんだ。

―――そうですか。分かりました。では、早速今から始めましょうか。

―――え~、せめて明日からにしようよ。

―――善は急げと言います。さ、覚悟はいいですか?

 その稟の言葉にしんのすけは慌てた。そして、ふと思いついた事を理由に逃げ出そうとする。

「あ、オラをシロが呼んでる。行かなきゃ」

「こら、待ちなさい。そんなはずはないでしょう」

「ずんは急げだぞ」

 稟の言った諺を真似するしんのすけ。素早く扉へと駆け寄り、部屋から逃げ出そうとする。だが、その動きをぴたりと止めて稟の方を向いた。そう、稟の強烈な視線を感じたからだ。
 そして、その視線の原因が自分の行動へ対してではないと察し、しんのすけは考える。何故なら、稟はしんのすけを追い駆けようとはしていなかったのだ。寝台に腰掛けたまま、自分を注視する稟。その理由を考え、しんのすけは理解した。

―――ぜんは急げ、だぞ。

―――はい、よく出来ました。ご褒美に今日は免除してあげます。

 しんのすけの言葉に微笑む稟。その表情にしんのすけは嬉しそうに頷きを返し、部屋を後にした。遠ざかる足音を聞きながら、稟は視線を窓へと向けた。雨がいつの間にか止み、どんよりとした空には少しだけ日が差し込んでいたのだ。
 まるで、それが自分の思考の変化を意味しているように思え、稟は小さく笑う。まだ会って二日。それでここまで影響を受けている自分に驚き、そして影響を与えているしんのすけに敬意を抱いた。

 意外と世界を変える人物とは、しんのすけのような者かもしれない。そんな風に思いながら稟は窓を開けた。雨上がり特有のにおいを感じる稟。そこへ心地良い風が吹く。
 それに目を少しだけ細めながら、稟は呟く。将来が楽しみだ、と。それが自分の事を指しているのか、それともしんのすけの事を指しているのかは分からない。もしくは、この大陸を指しているのかもしれない。何にせよ、言える事は一つ。それには、しんのすけが必ず関るだろうと言う事。

 そして、稟は何かに気付き、下を見つめて笑みを浮かべた。そこには、晴れた事を喜び地面を走り回るシロとそれを追い駆けるしんのすけの姿があった……




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稟メイン回。おバカ要素、入れる事叶わず……申し訳ないです。

精々入れれて言い間違いがやっと。しかも、無理矢理感が強いかも……

次回は風を予定。でも、今回言っていた事が出来ず、軽く凹み気味だったり……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 幕間 風編&第四話序章
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/04 05:30
「ね~、どれぐらいで出来そう?」

「もう少し待っててくださいね~」

 外でシロと走り回ったしんのすけは、疲れた事もあり宿の部屋へと戻った。その相手であったシロは、今は星に散歩をしてもらっていて、そのままその鍛錬を見学する事になるだろう。稟は隣室で今後の予定を立てている。服を買った商人から色々と聞いたらしく、やや難しい顔をしていた。当然のように、部屋に戻ったしんのすけは稟の邪魔をしたため、追い出される形で修繕をしている風の元を訪れたのだ。

 実は服の修繕自体はもう終わっている。今はしんのすけがある要望を提示したため、それを叶えるべく風が針と糸を使っているのだ。その作業を寝台に寝そべって眺めるしんのすけ。向かいの寝台に座り、黙々と手を動かす風。
 特に会話はない。だが、不思議としんのすけにはこの時間が退屈ではなかった。普段であれば、話をしてくれない事に文句の一つでも言うのだろうが、今はこの沈黙が心地良かった。

「……風ちゃんは器用なんだね」

「そうですか? これぐらいは誰でも出来るはずですよ~」

「オラだったら、指中から血が出るぐらい針で刺しちゃうぞ」

「おやおや、それは大変なのですよ。では、しんちゃんには針を持たせないようにしないといけませんね~」

「お~、ならオラの縫い物は風ちゃんに頼むぞ」

「ふふっ、いいですよ~」

 しんのすけの言葉がまるで求婚のようにも思え、風は面白くなって笑ってしまう。それに不思議そうな反応を示すしんのすけだが、自分が面倒事を丸投げしたのが面白かったのだろうと思い、同じように笑った。
 だが、やはりこのままではつまらないと思ったのか、急に立ち上がると部屋を出る。それに風が疑問を感じるものの、特に気にしないように針を動かし始める。すると、しばらくしてしんのすけが戻ってきた。手には小さな木の板らしきものを持っている。外で拾ってきたのだろう。そして、もう片方には墨を持っていた。

 何をするつもりなのだろうと風が見つめていると、しんのすけは墨を使って木の板に何かを描いていく。それが少し気になった風は、手を止めてそれを見つめた。やがて描き終えたのか、しんのすけは満足そうに頷いて、その板を持ち上げた。

「出来たぞ~」

「しんちゃん、それは何なのですか? 豚のようにも見えますが~」

「これはぶりぶりざえもんって言って、救いのヒーローだぞ」

 そう、それは豚のような顔をした侍。しんのすけが考え出した存在であるぶりぶりざえもんだ。しんのすけは、理解出来ないといった雰囲気の風へ、その誕生秘話から活躍を話していく。
 そう、しんのすけとぶりぶりざえもんには、実は少なからず因縁というか絆がある。空想の存在でしかなかった彼は、様々な力や環境で実在となり、しんのすけと共に戦ったり、時にある物の大きさを競った事もあったのだから。

 あの電脳空間での出来事や、魔法のトランプを使った時の事を思い出すしんのすけ。実に様々な状況で出会った相手。それが、ぶりぶりざえもん。弱きを挫き強きを助ける。そんな事を地でやる臆病者ではあるが、それでも最後にはしんのすけの味方になってくれる。
 非力で情けないが、根底には優しさと勇気を持っている。そう、まさに彼もヒーローなのだ。少なくとも、しんのすけはそう考えているのだから。その思いを込めて話したしんのすけ。風はその話に感心したり、時に呆れたりと反応を返したが、しんのすけの思いは伝わったのか終始黙って聞き入った。

「しんちゃんが考え、そして生まれた存在なのですね、この豚さんは」

「ブタじゃないぞ。ぶりぶりざえもんだぞ」

「そうでしたね~。にしても、しんちゃんはぶりぶりざえもんが大好きなのですね」

 話をしている間中、しんのすけは表情を輝かせていた。それは、どこか憧れだけではなく、自分の大切な親友を語るようにも見えたのだ。だから風はそう思った。しんのすけはぶりぶりざえもんの事が好きなのだろうと。
 案の定、しんのすけはその風の言葉に力強く頷いた。アクション仮面やカンタムロボとは違う関係性。それがぶりぶりざえもんにはある。前者二人は憧れのヒーローで尊敬出来る者達だが、ぶりぶりざえもんは違う。彼とは、友人でもあるのだ。

 あの飛行船の中で体験した出来事。爆発する基地、吹き上がる炎、それを前に叫んだ自分の声。それに応えるように、危機に陥った自分達を助けてくれたのは、消滅したはずのぶりぶりざえもんだと、そうしんのすけは今でも思っている。
 周囲は運良く爆風に乗ったと考えている者が多かったが、しんのすけはそう考えているのだ。自分の助けを呼ぶ声に呼応し、救いのヒーローとして彼が助けてくれたのだろうと。

(あの時、オラは見た気がする。オラ達を助けようと、ぶりぶりざえもんが炎の中から走ってきたのを……)

 あの電脳空間での出会いと別れ。その際、彼は救いのヒーローとして人助けをしたいと言っていたのを、しんのすけは忘れていない。だからこそ、信じているのだ。あの時、自分達を助けてくれたのはぶりぶりざえもんだと。
 そんな事を考え、しんのすけは息を吐く。それに風は疑問符を浮かべるものの、もう話は終わったかと思い作業を再開した。再び部屋の中を沈黙が訪れる。だが、しんのすけは自分の描いたぶりぶりざえもんを眺め、どこか泣きそうな顔をしているのだった……



 やがて日も暮れ、夕闇が辺りを覆い出す。その様子を窓から眺め、しんのすけはある言葉を待っていた。

「しんちゃ~ん」

「ほ~い」

 風の声に振り向くしんのすけ。そこには風と見慣れた自分の服があった。修繕が完了し、尚且つしんのすけが頼んだ刺繍も風がやってのけてくれたのだ。それは、上着の裏に黒い糸を使って施されたある文字。

「どうですか?」

「お~! 風ちゃんスゴ~イ!」

 その文字は平仮名でこう刺繍されていた。しんのすけ。そう、しんのすけの名前だ。ただ、風は平仮名を知らないため、しんのすけが汚いながらも書いたものを模したもの。故に、その字はどこか粗い部分もあるが、それを平仮名を知らない者が縫ったとは思えないだろう出来だ。
 そう、自分の物として名前を入れて欲しいと、そうしんのすけは風に頼んでいたのだ。理由は一つ。あの忘れられない戦国時代で見た青空の旗印。それをイメージしての事だ。それが意味する事はあの後ひろしから教えてもらった。戦いの際、自分がどこにいるかを味方に教えるもの。そして、敵に自分がいると分からせるための物だと。

 それを思い出し、しんのすけは自分も同じような物が欲しいと考えた。ここは戦国時代と同じ。ならば、自分もあの侍のようにありたいと。だが、旗などは当然ながら用意出来るはずもない。そして、赤い服に青空を描く事も出来ない。なので、せめて上着に自分の名を入れる事で、それに見立てようと考えたのだ。

 しんのすけは生まれ変わった上着を見つめ、早速とばかりに着替えようと頷いたのだが……

「……どうしたのですか、しんちゃん。着替えないのですか?」

 何故か着替えるのを止めたのだ。それに風は不思議顔。そんな風へしんのすけは上着を渡してこう告げた。これを着るのは、今じゃないと。それに風は益々疑問を強める。それにしんのすけは気付いたのだろう。
 不思議そうな風へ、上着に自分が込めた意味を話し出したのだ。それは、あの優しくも不器用だった侍の事を、そして星と同じく女性でありながら、剣を振るって自分達を守ってくれた剣士の事をも語る事になった……



 どれだけの時間が経っただろう。しんのすけの語った二つの戦国時代の話は、風に彼があの惨状を見ても、どうして大きく取り乱す事が無かったのかを理解させた。既にしんのすけは乱世を少しではあるが経験している。
 そこにある理不尽や、やるせなさを知っていたのだと。そう、しんのすけの語った侍の死。それがしんのすけの中で大きな成長を促した事を、風は感じ取ったからだ。

 そして、風はしんのすけの話を聞いて、上着の意味を知った。旗印自体はこの時代にもある。つまり、しんのすけはこれを戦いの場に赴くための勝負服にしたいのだろう。故に、今は着る時ではないと告げたのだ。
 しんのすけは、あの二人のように戦いたいと思っていた。だが、しんのすけは自分の事を知っている。そう、自分にはあの二人のような力がない事を。だから、せめて気持ちだけでも同じようになりたいと思ったのだ。

 実は、風にはただ一つ妙に気になる事があった。だが、それを問い質すよりも先にしんのすけが口を開いたため、それが出来ずに終わる。

「オマタのおじさんも、吹雪丸も強かったんだぞ。オラ、二人みたいになって戦いたい。でも、オラは子供だから無理なんだ」

「しんちゃん……」

「だけど、気持ちだけは二人みたいになれると思ったんだ。誰が来ても風ちゃん達をお守り出来るようにって」

 又兵衛の死に際を思い出し、どこか悲しむもそれを出さぬようにし、しんのすけはそう告げた。それに風は柔らかく笑みを浮かべて、しんのすけの事を抱きしめた。その温もりについ耐え切れなくなったのか、しんのすけが軽く涙を流した。それに気付かぬ振りをし、風はしんのすけの頭を撫でてこう言った。
 その言葉が言えるだけで十分しんのすけは強い。きっとその二人も今のしんのすけの言葉を聞けば、そう断言してくれるだろうからと。それにしんのすけは軽く疑問を抱いた。言うだけなら誰でも出来ると思ったからだ。

 その旨を伝えると、風はしんのすけから少し離れて、静かに首を横に振る。確かに言うだけなら誰にでも出来る。だが、そこに自分の信念や決意を込めて言う事は中々出来る事ではないと。それをしんのすけはこう捉えた。
 ちゃんと言った事を成し遂げようとする気持ちを感じる事が出来たと。つまり、風が自分の言った事を信じてくれた。そう考えたのだ。故に、しんのすけは嬉しそうに頷いて告げた。

「オラ、絶対嘘つかないぞ」

「勿論、風には分かってますよ~」

 しんのすけの表情に悲しさがなくなった事を確認し、風は嬉しそうに笑う。そうだ。子供が悲しむ事の無いようにしないといけない。そう改めて思い、風は視線をしんのすけへ向ける。それにしんのすけも視線を返す。
 そして見つめ合う事少し。すると、若干の間を置いてしんのすけが笑い出す。あのアクション仮面の高笑いだ。それが、しんのすけがこの雰囲気を変えようとしている事だと気付き、風は何も言わずそれを見つめた。

(急に恥ずかしくなったのでしょうか? だとしたら……やはり面白い子なのですよ~)

 自分の言動が真面目過ぎて照れくさくなったのかもしれない。そう思い、風も笑う。その視線の先で、しんのすけはやや顔を赤めながらも笑い続けるのだった……



 夕食を終え、しんのすけ達は一つの部屋に集まり、蝋燭の薄明かりの中で今後の事を話し合った。というのも、稟が困った事になったと言い出したのだ。しんのすけの服を買った事。そして、人数が一人増えたために食事代が若干だが上がり、路銀がやや心許無くなってきたのだ。
 そのため、次の街ではそれをどうにかしないといけない。だが、村に来ていた商人の話では、大陸の情勢がやや怪しさを増してきているため、あまり路銀を調達するのに時間を割くと、旅自体の危険性が上がってしまうのだ。

「私達の選択肢は二つあります。一つは路銀を稼ぐのではなく、旅に見切りをつけどこかに仕官する事。もう一つは、路銀を稼ぎ、危険を承知で旅を続ける事。どちらも共通する目的は、しんのすけを帰す方法を探す事です」

 稟の言葉に星も風も考え込む。しんのすけは稟の言っている事が所々理解出来ず、不思議そうに三人を見つめていた。しんのすけに分かったのは、旅を続けるためのお金が無くなってきている事。それを得ようとすると、旅する事が危なくなる事だけだった。
 星と風が悩む理由は言うまでもなくしんのすけだ。仕官する事はいい。だが、それではしんのすけの帰る方法を探す事が難しくなる。かと言って旅を続ける事も、このままでは厳しい。しんのすけの安全を考えれば、今よりも危険になると分かっていて連れて歩く訳にはいかないからだ。

 それを星が告げると、稟はそれにこう返した。士官しても効率よく方法を探す事は出来ると。そう、情報を得る手段は何も自分で歩くだけではない、今回のように商人達から聞く事でも手に入る。しかも、しんのすけが来た原因である鏡は高級品。であれば、複数の商人に話をしておけば、後は彼らがそれを探してくれる。そう、代金はいくらでもいいから是非探して欲しい物があると、そう言って探させる。

 そして、手に入った情報から厳選し、実物を誰かがしんのすけと共に見に行き、判断してもらえばいいのだ。そう稟は告げた。しかし、風はそれに反論した。その話の前提条件には、ある問題点がある。それは自分達の状況だ。どう見ても裕福そうには見えないし、手付けを渡せるような状態でもない。つまり、稟の話は仕官してそれなりの身分にならないと出来ない話なのだ。

「しかし、私はわざわざ危険と分かっている状況の旅に連れて行くのは反対です」

「でも、必要以上に時間を掛けるのもどうかと思うのですよ~」

 しんのすけの事を考えるからこそ、稟も風も譲れないものがある。出来る限り早く家に帰してやりたい。その思いは同じ。だが、稟はしんのすけの安全を、風は掛かる時間を第一に考えていた。
 稟としては、無事であれば多少時間が掛かっても構わないと思い、風は逆に、時間を掛けると想像も出来ないような状況になるかもと思い、互いの意見を受け入れる事が出来ないでいた。そんな二人を見て、星はある決断を下す。

「まぁ、待て。二人の言い分には、どちらも理がある事は分かった。ならば、こうしよう。私が仕官する。この時勢だ。文官よりも武官の方がすぐに出世出来る。それで稟の考えた方法で情報を得よう。それとは別に、稟と風は旅を続けて方法を探す。これでどうだ?」

「それは……」

「構わないのですが~……」

「お?」

 星の言い分に二人はどこか苦い顔をする。そして、視線をしんのすけへ向けた。実は星の考えは二人も考えた。だが、それを言い出す事が出来なかったのだ。そう、何故ならそれは……

「その場合、しんのすけは星が連れて行く事になりますよ」

「大丈夫なのですか?」

 しんのすけとの別れを意味する。助けると決めた少年から離れ、助けを求められてもそれに応える事が出来ない。それを稟も風も忌避したかった。最善を取るのなら、確かに星の考えが一番だ。危険な状況になるとは言え、稟も風も旅慣れているし、頭も回る。故に二人であればそこまで危険ではない。
 だが、それが分かっているからこそ言い出したくなかった。言えば、それを選ばざるを得なくなる。無論、星がどうしてこの方法を言い出したかを二人も理解している。一番しんのすけのためになる方法を。そう考えての事だと。

 しんのすけは三人の話から、何となくだが事情を察した。この四人での旅の終わり。それがどうやら近いと。そして、どうもその原因は他でもない自分だろうとも。星が心配されているのは、自分の事だろう。そこまで判断し、しんのすけは少し申し訳なさそうに三人を見上げた。

「……オラ、お姉さん達にめいわくかけたの?」

「そんな事はない。だから気にするな、しんのすけ」

「そうです。むしろ、貴方は私達に希望をくれたのですよ。胸を張ってください」

「迷惑なんて思ってませんし、しんちゃんは何も悪くないのですよ~」

 しんのすけの言葉に三人はそう告げる。心からの言葉を。故に決意する。これ以上この話で揉めれば、しんのすけの心に悲しみを刻み付ける事になりかねない。故に、もう稟にも風にも迷いは無かった。
 あの星空の下で誓った想い。それは例え離れても消える事はないのだから。それに、別れが決まったとは言え、それはもう少しだけ先の話。ならば、悲しむのはまだ早い。今は、それを忘れて笑おう。幼くも強い心を持った少年に笑顔でいてもらうために。

 そう考えた稟は、意図的に少しだけ声を大きく、そして明るくして周囲へ告げる。

「とにかく、これで大体の方針は決まりました。細かい事はまた後日にして、今日はもう寝ましょう」

「そうですね~。明日はここを出発しますし~」

「明日も鍛錬はあるからな、しんのすけ」

「ブッ、ラジャー」

 先程まであった微かな悲愴感を振り払うようにと、そう稟が意識したのを受け、それに続けと風が、星が笑顔で告げていく。しんのすけはその雰囲気にどこか安堵して、普段通りの声を返す。そしてしんのすけは星と共に部屋を出る。隣室へ向かうためだ。
 そして、しんのすけは部屋に入りながら星へ尋ねる。どうして稟と風が星の意見に迷ったのかと。二人が賢いのをしんのすけは理解している。だからこそ、おかしく思ったのだ。星でさえ思いつく事を二人が言い出さなかったことに。

 星はそんなしんのすけの言葉に何と答えればいいかと困った。稟と風の思いは分かる。だが、それはしんのすけへ自分が伝えていいものではない。そんな風に星が悩むのを見て、しんのすけはただ答えを待った。
 催促する事もなく、ただひたすらに待った。そうして、星が告げたのはたった一言。きっと、その答えはいずれ分かる。ただそれだけだった。それにしんのすけは文句を言うでもなく、納得するように頷いた。

 何となくだが気付いたのだろう。稟と風の迷いの理由。それは簡単に言える事ではないのだと。そう思い、しんのすけは寝台へ登り、倒れこんだ。明日も早朝には鍛錬が待っている。そのために早く寝ておこうと、そう考えて。
 だが、その前にもう一度だけ体を起こして、窓を見つめる。そこから見える星空。そこへ視線を向けて、しんのすけは心の中で告げる。

(父ちゃん、母ちゃん、ひま……オラ、今日からたんれん始めたぞ。帰ったら、ビックリするぐらい強くなってるから、楽しみに待ってて欲しいぞ)

 それは届かぬ祈り。それでもいいと、告げられる言葉。あの涙の夜の後からしんのすけが決めた日課。毎晩の家族への報告だ。例え届かぬとしても、無駄だとしても、しんのすけはしようと決めたのだ。
 そんな報告を終え、しんのすけは再び寝台に横たわる。仮眠をしたにも関らず、やはり疲れが残っていたのかすぐ眠りに落ちるしんのすけ。彼は知らない。無駄だと、届かぬと、そう思われた祈りが自分を呼び寄せた事を。

しんのすけと三人の絆が導くもの。それは希望の未来か、それとも悲しき結末か。
ともあれ、時は流れる。時に優しく、時に残酷に。
緩やかにだが、確実に変わっていく情勢の中、しんのすけの運命がまた静かに動き出す。
次なる出会いを……手繰り寄せるように……




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風メイン回。そして次への序章。ルートについては、迷いましたが当面はオリジナルで行こうと思います。

最終的にはどこへ行くか決めていませんが、とりあえずしばらく(反董卓連合結成ぐらいまで)はオリジナルです。

……終わり方だけは決めてるんですが、陣営だけが決められないんです。各陣営毎に描きたい描写があるもので……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第四話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/06 06:22
 木々の中を歩くしんのすけ達。星を先頭に、次の目的地目指してただひたすらに歩く。あの村を発ってもう数日経つが、しんのすけにとってはつい昨日の事のように感じていた。野宿にも慣れ、食べられる木の実やきのこなどを稟や風から教えてもらったり、星との鍛錬は少しずつではあるが確実に動きを良くさせていた。
 朝は星との鍛錬。昼は旅を進めつつ、自分の世界の事や星達の世界の事を話し合い、夕方は稟や風を先生に、簡単な読み書きや雑学などを教わる。夜は家族達への報告をし、翌日に備えて眠る。そんな生活にも慣れ、しんのすけは微かにではあるが、逞しくなっていた。

「……で、そこでオラが風間君の耳にはむってしたんだ。そしたら、風間君があは~ってなって……」

「お前は男色の気もあるのか?」

「だんしゃく? オラ、おイモじゃないぞ」

「しんのすけ、星は男の人も好きなのかと言っているのです」

 星の言い方が難しく、聞き間違いをするしんのすけ。それに気付き、稟が分かり易く言い直す。それを聞いて、しんのすけは理解したと頷いて、首を横に振った。確かに風間の事は好きだが、それは友人としてであってそういう対象ではないと。
 自分としては、ちょっとしたからかいと触れ合いのつもりなのだから。だが、しんのすけの行動を聞いていると、そう取られてもおかしくない。そう判断し、風があまりそういう事をしない方がいいと告げた。せめて、それは女性―――しかも自分と思いを通じ合わせた相手にするべきだと。

「まぁ、しんちゃんの性格なら、そういう相手にこそ奥手になりそうですが~」

「どうしてです?」

 風の発言が信じられず、稟は聞き返す。しんのすけは女性関係に滅法強い印象があったからだ。それが、自分を好きでいる相手に対して奥手になる事は想像出来ないと。そう思ったからの言葉。どうも星も同じ事を思ったようで、その表情は疑問を浮かべている。それに風は、ならばと思い、しんのすけへ問いかけた。

「しんちゃんは今のような事を風達に出来ますか?」

「えっ?! えっと……その……」

 風の言葉にしんのすけは驚き、どこかもじもじしながら三人を見る。それに星も稟も軽く驚いた。きっと出来ると即答すると思ったのだ。だが、実際は戸惑いと躊躇いを表情に出し、やや恥ずかしがってさえいるのだ。
 そんなしんのすけを見て、風は言った通りだろうといわんばかりの視線を二人へ向けた。それに二人も意外そうに頷き返す。一方、しんのすけは風の言葉に考え込んでいた。

(オラにはななこお姉さんがいるし……でもぉ~風ちゃん達も美人だし……あ~っ! 決められないぞ~!!)

 真剣な表情でいたかと思えば、次にはにやけた顔になり、最後は自分の頭を強く手で押さえるようにしながら、苦渋の決断を迫られている表情になるしんのすけ。そんな百面相に三人は驚き、呆れ、そして笑う。
 シロはそんな雰囲気に嬉しそうな声を出す。どこから見ても楽しげな光景。とても乱世の旅路とは思えぬやり取りがそこにはあった。絶えず起こる笑み。それは全てしんのすけが原因。きっと三人では、ここまで笑う事はなかっただろうと星達は感じていた。

 こうしてこの日も危なげなく時は過ぎていく。日が暮れたのをキッカケに、野宿の準備をし始めるしんのすけ達。昨日とは違い、今日は近くに川がないため、星が一人で水を探しに出て、しんのすけと風は周辺から枝を集めてながら、何か食べられる物はないかを探す。稟はシロが見つめる中、火を熾す。
 そうして色々と準備を終え、稟が荷物から食料を取り出し、それをそれぞれに手渡していく。シロには骨が与えられ、それに嬉しそうに駆け寄った。そこへ星が戻り、比較的水源が近くにあったと嬉しそうに告げる。

 火を囲んで食事をした後は、しんのすけの勉強が始まる。平仮名や片仮名の読み書きしか出来ないしんのすけだったが、漢字自体は知っていた。そのため、稟と風は最初凄く驚いたのだ。五歳にも関らず漢字の存在を知り、平仮名などの文字の読み書きが出来、指を使ってだが簡単な計算も出来る事に。
 しんのすけはそれに対し、大抵は自分と同じ事が出来て、更に風間などのように別の国の言葉さえ勉強している者もいると告げると、もう三人には言葉がなかった。この時代、大人であっても読み書きが出来ない者が多い。ましてや子供などは文字がある事さえ知らない事もある。そんな事が常識の三人からすれば、しんのすけの語った事は大きな衝撃となったのだから。

「そう、これで……こう読むのです」

「お~、ナルホド」

 稟が地面に書いた文字を指差しながら、その読む順番を教える。それを聞いて、しんのすけは頷いた。漢文を知らないしんのすけだが、それが自分の知る文章の書き方とはまったく違う事は理解出来た。それをしんのすけから聞いた稟と風は、今はそれを習得させるのではなく、基本的な事を知ってもらおうとしていた。つまり、読み方と文法だ。
 しんのすけは、それをスポンジが水を吸うように吸収していった。まだ学校教育を受けていない事もあり、その頭は知識が全然詰め込まれていない。そのため、しんのすけ自身の気持ちや稟と風という稀代の名軍師達の教えも相まって、その容量を珍しく常識的な事に使っていたのだ。

「じゃ~、次は書いてみてくださ~い」

「ほ~い」

 地面をノート代わりに使うのは、しんのすけとしてはよくある事。ただ、いつもと違い、そこに書くのは汚いものの漢字だ。

「……最初に比べれば、まだ読めるようになりました」

「ですね~」

 しんのすけの書く文字を見ながら、稟と風は感心する。たった数日でもその成長が窺える。それがしんのすけの才能なのか、それとも普通なのかは分からない。何故なら二人は子供に物を教えた事がないからだ。一方、当の本人は慣れない事をしているので、やや真剣な表情だ。
 やがて書き終え、額を拭いながら息を吐くしんのすけ。それに大袈裟なと笑う星達。シロもそれに同調するように声を出す。そんな夕暮れの勉強会。しんのすけが楽しくもやや疲れると感じる時間。それでも、そこには笑顔が溢れていた。

 しんのすけは、何も教わるばかりではない。自分の知る言葉などを稟達へ教える事もしていた。稟や風からすれば、しんのすけから断片的にではあるが手に入る未来の知識は、何物にも代え難い情報。そこから何か帰還の役に立つ事はないかと、そう考えての事だ。
 だが、しんのすけは五歳。しかもあまり熱心に色々な事を覚えた訳ではないため、そうそう役立つ事はなかった。しかしこの日、彼の話していたのは普段の事ではなく……

「待ってください」

「お?」

 しんのすけがしていた話を中断するように、稟がやや慌てるように声を出した。それにしんのすけと星は不思議そうに視線を向ける。シロも稟のそんな様子に不思議そうに小首を傾げる。ただ、風だけは稟が遮った理由に気付いたようで、どこか納得していた。
 しんのすけがしていたのは、あの侍の時代へ行った時の事。同じように不思議な力で過去に飛ばされてしまった思い出。それを話していたのだ。だが、稟はしんのすけ達が戦国時代から現代に戻った所までを聞いて、その表情を変えた。

「しんのすけ、今何と言いました?」

「え? えっと、庭からお車戻すのが大変だったんだぞって……」

「違います。その前です。貴方の父親は何と言ったんですか」

 何か手掛かりを見つけたと、そんな印象を与える稟の声。それにしんのすけはやや気圧されるも、もう一度思い出して告げる。

―――俺達がしなきゃいけない事を終わらせたから、本当に戻ってこれたのか。

 あの青空を見上げながら、ひろしがどこか噛み締めるように言っていた事を思い出しながら、しんのすけはそう告げた。それに稟は小さく「では……もしかしたら」と呟いた。それに星も何かを感じ取ったのか、風へ視線を向ける。

 そう、しんのすけが天の御遣いであると三人は確信している。であれば、あの予言にあった乱世を止める者はしんのすけだ。つまり稟は、しんのすけが元の世界に帰るには、乱世を止める必要があるのではと、そう考えたのだ。
 風もあの時しんのすけの話を聞いて、薄々そんな事を考えていた。過去に行ったのも突然なら、戻ったのも突然。そこに明確なキッカケが見えなかったのだから。しかも、後からきたひろし達は、来た時と同じように戻れと願ったにも関らず、現代へ戻れなかったのだ。

 それこそが、あの時風がしんのすけに問い質したかった事。だが、風は稟の考えを読んでこう注意した。それは、今回とその話とで違う明確な点。

「稟ちゃん、それが本当だとしても、鏡を探すのは止めてはいけない気がするのですよ」

 そう、今回は鏡という明確な原因がある。それが無ければ帰還は叶わないような気が、風にはしたのだ。それは稟も同じなのか、理解している表情でこう返す。

「分かっています。私は、帰すためには鏡だけではなく、乱世を止める事も必要ではないかと考えただけです」

「ね~、ムズカシイけど、何のお話?」

「お前を家へ帰すための話だ。少々厄介な事になりそうだが……な」

 風もそれに頷き、そこから二人はしんのすけ帰還の方法の見当をつけるべく、意見を出し合う。そんな二人を見つめ、しんのすけは星へ問いかけた。二人が何を話しているのだろうと。それに星はやや困った表情を浮かべて答えるのだった……



 焚き火が爆ぜる音が静かに響く中、しんのすけは野宿の際、いつものようにシロを抱き抱えて眠る。この日もそうやって、彼は眠りについた。それを見届け、星達三人は相談を始めた。そう、あの村を発った日から始めた相談。それは、あの時決める事が出来なかった細かな事を決めるためだ。

「では、連絡は特定の商人を通じて……」

「ああ。それと、私も出来るだけ調べては見るが、期待はせんでくれ」

「せめて、風か稟ちゃんのどちらかでも残りましょうか?」

「いや、気持ちは嬉しいが二人は一緒の方がいい。お前達は互いに補い合う事で、その知恵を更に高めているように思う」

 今、三人は別れた後の連絡手段を話していた。大商人になればその商い先は多い。そのため、それを通じてやり取りする事は可能。星はもうどこに仮仕官するかを決めているが、いつまでそこにいるかは分からない。
 そう、そこの人物が器の小さい者ならば、ある程度蓄えが出来たのなら去る事を考えているからだ。しんのすけのためにと、星は仮士官する事にはしたが、相手によってはあまり長くはいない気でいたのだ。それを稟も風も分かっているため、それをどうにかしようとはしない。そもそもこの旅も、本来はそれぞれが大陸を見聞し、仕官したいと思えるような者を捜そうと思っての結果だったのだから。

 星の言葉に稟と風は納得し、それ以上何も言わない。正直三人で仕官し、情報を得る方法も考えた。だが、やはり時間が掛かりすぎる事は明白なため、それを選ぶ事は出来なかった。しんのすけの傍に居てやりたい。その想いは誰もが同じ。
 しかし、そのためにしんのすけの帰りを遅くする事は出来ない。だからこそ、稟も風も星に託して行く事にしたのだから。そして、三人は揃って視線を眠るしんのすけとシロへ向けた。

「それに……しんのすけにはシロがいる」

「そうでしたね。シロは、私達よりもしんのすけを思っているでしょうから」

「賢いですし、頼りになりますね~」

 この数日間でシロの事も三人は理解していた。真面目で賢いまさしく忠犬。しんのすけの良き友にして、家族。優しく温和な性格で、人の言う事を理解している節さえある。故に、三人はシロをどこかで頼りにしている。
 しんのすけの心の支え。それにはシロも含まれているだろうと。何せ、この世界に来た時からずっと傍にいるのだ。しんのすけとの絆は、見ているだけでも分かるというもの。

 そこまで考え、星はふと小さく笑うと、二人へ手を差し出して告げた。

―――それに、大陸防衛隊は不滅だろう?

―――……ええ、勿論です。

―――当然ですよ~。

 星の手に自分達の手を重ねる稟と風。互いに浮かべるは微笑み。真名を預けあったとは言え、どこか他人だった自分達。それをここまで強く結び付けた言葉。それに感慨を込めて、三人は笑う。もしかしたらしんのすけは、こうして誰かと誰かを強く結び付ける力の持ち主なのではないかと。
 それを大陸全土に広める事が出来れば、確かに乱世を止める事が出来るかもしれない。そう考え、誰とも無しに苦笑する。有り得ないと一蹴されそうな事をどこかで信じている自分に。そんな風に三人が過ごす横で、しんのすけは静かに寝息を立てているのだった……



 それから更に時間が経ち、遂にその時がやって来た。二又の分かれ道。一方は、公孫賛のいる場所へ。もう一方は、袁紹のいる場所へ向かう道になる。ここで二手に別れるのだ。

 星は公孫賛の下へ向かい、仕官する事にしている。その理由はまず現在地より近い事。そして、話を聞く限りどうやら野心家ではない事。最後に、公孫賛は強い者を集めている。しかも、ふるい目的の武術大会まで開催して。それに星は出る事で、早めの出世も狙おうとしていた。
 稟と風は袁紹の下へ向かい、当面調べ物をする事にしている。袁紹は四世三公の名門袁家の出。そのため、その街は賑わっていて、情報なども多く手に入るからだ。その後は、そこから足を伸ばし、最近名を上げてきた曹操が治める陳留へも行くつもりであった。

 星達はそこで足を止めるとしばらく何も言わなくなった。しんのすけはそんな雰囲気から別離を悟り、寂しげな視線を三人へ向けた。シロも同様に星達を見て、尻尾を萎れさせている。

 そんなしんのすけとシロの姿に、稟も風も言葉がない。だが、そのままではいけないと思ったのだろう。優しい笑みを浮かべて二人はしんのすけとシロへ語りかけた。

「そんな顔をしないでください。また、必ず会えますから」

「そうですよ~。風達はしばらく会えなくなりますが、きっとしんちゃんの前に戻ってきますから~」

 それにしんのすけは声を出さず、しっかりと頷いた。その顔は今にも泣きそうだ。それに二人もつられそうになるが、努めて笑顔を返す。不安にさせないように、安心出来るようにと。だが、そんな二人へしんのすけが飛びついた。
 それを慌てて受け止める二人。すると、しんのすけはしばらくそうしていたかと思うと、勢い良く顔を上げて……

―――またね! 稟おねいさん、風ちゃん。それと、オラは行ってきますで、二人には行ってらっしゃいだぞっ!

 そう元気良く告げて走り去った。シロも二人へ何度か鳴き、しんのすけの後を追うように走り出す。星もそんな姿を見つめながら歩き出した。一度として後ろを振り返ろうとはせずに。だが、去り際に一言だけ告げる。

―――次に会う時が楽しみだ。

 その言葉に二人も同じ言葉を返し、しんのすけ達と違う道を歩き出す。離れて行く互いの距離。向け合う背中と背中。徐々に遠くなる足音を耳にしながら、稟は自分が泣いている事に気付いた。だが、自分に言い訳したかったのか、こんな風に稟は呟いた。

―――おかしいですね。雨でも降ってきたのでしょうか?

―――みたいですよ~。今日は変な天気なのです。

 その呟きに風も応じるような言葉を返す。互いの声が涙ぐんでいるのは気のせいだ。そう言わんばかりに二人は歩く。しかし、一度として横を見ようとはしない。その理由を考える事もせず、ただ二人は歩く。
 しんのすけが去り際に告げたのは、再会を信じる言葉だった。そう、彼はさよならともバイバイとも言わなかったのだ。そして、最後の表情。あれが自分達への気遣いだと分からぬ程、二人は愚かではない。故に涙が流れる。その優しさに、その心と強さに。

(必ず、必ずしんのすけの元に帰りましょう。鏡の手掛かり、それをきっと手にして……っ!)

(待っててくださいね、しんちゃん。風達は鏡の手掛かりを見つけてみせますからね~)

 決意を新たに歩く二人。胸に抱くは、強く優しい心の少年との再会の約束。こうして稟と風はしんのすけの元を去る。この後、彼らがしんのすけと再会するのは想像も出来ない場所となるのだが、それはまだ先の話……



「いやぁ~、次の街は大きいらしいから楽しみだぞ。でも、かすかべよりも大きいとは思えないなぁ。シロ、どう思う?」

 シロと共に歩くしんのすけ。その隣を星が歩く。先程からしんのすけはやたらと喋っていた。まるで喋っていないと何か我慢出来なくなるように。だからこそ、星は足を止めてしんのすけを呼び止め、その目線の高さまでしゃがんだ。
 それにしんのすけが足を止める。すると、星は黙ってしんのすけを抱きしめた。それに驚くしんのすけだったが、その表情はいつものようににやけている。だが、星には分かった。それにどこか影があると。

「星おねいさんだいたんだぞ。こんなトコでそんな……オラ、心の準備が」

「……しんのすけ、もういい。お前の気持ちはきっと二人にも届いた。だから……もう、いいんだ」

「もういいって何が? オラ、何の事だか……」

「我慢するのは明日からでいい。今は……涙枯れるまで泣け」

 しんのすけの言葉を遮り、星はそう告げた。その言葉にしんのすけの表情が変わる。しかし、それを何とか抑え付けるように目を強く閉じ、しんのすけは告げた。

―――オラ……泣かないぞっ!

 それに星がどこか驚く中、しんのすけは語った。確かに別れは辛いが、もう会えなくなる訳じゃない。泣いたら、それが今生の別れになるような気がする。だから泣かない。泣くのは、再会した時にとっておくと。
 そんな内容を告げ、しんのすけはどこか呆然とする星を見つめた。しかし、ふと視界に入った物に視線が動く。それは、星の手にした槍だ。そして、それを見てしんのすけは、今の自分の言葉を強く誓おうと決意した。

「星お姉さん、オラに少しだけ槍を貸して」

「何をするつもりだ?」

「お願いだぞ」

 しんのすけの突然の申し出に星は戸惑いを感じるも、その目の輝きを見て槍を手渡そうとする。だが、しんのすけはそれを地面に刺して欲しいと告げた。それに益々疑問を感じる星だったが、その言葉に従い、槍を地面に突き刺した。それにやや緊張するしんのすけだが、槍を前にして地面に正座し、槍の持ち手部分に両手を添えて、それを少し持ち上げた。
 見る者が見ても、それが何かは分からなかっただろうそれを、星は黙って見守る。何故か、今のしんのすけを邪魔してはいけない気がしたからだ。しんのすけは、持ち上げた槍を再び地面に下ろすと同時に小さく呟く。きんちょう、と。

 それは、彼の心に大きな影響を与えた侍が教えてくれた事。本来は刀でやるものだが、生憎ここにはそんな物はない。故に、しんのすけは侍と同じく武人である星が使う槍で代用した。地面を鞘に、槍を刀に見立てて。
 本来このきんちょうとは、刀を手にし、片手を鞘に、もう片手を柄に添えて、少しだけその刃を持ち上げて見せ、きんちょうの言葉と共にそれを下ろす単純な動作。しかし、そこに込められた意味合いは武士にとっては重い。
 それを知るからこそ、しんのすけはそれを以って誓った。二人に再会するまで泣かないと。何があっても泣かずにいる。そう彼は一人誓った。

(稟おねいさん……風ちゃん……オラ、信じて待ってるぞ。ゼッタイ二人とまた会えるって)

 視線を上げた先には、目の覚めるような青空がある。その青さに一点だけ白い雲が浮かんでいた。それにしんのすけは軽い驚きを見せるが、頷いて立ち上がり、星へ槍の礼を述べて歩き出す。それを見つめ、星は小さく呟いた。

―――あれは……既に小さな武人やもしれん。

 先程の所作から感じた風格。その見事さに星は思う。やはりもっと後に会ってみたかったと。成長したしんのすけはどれ程の男になっているのか。そんな事を考え、星も行く。向かう先は幽州は公孫賛領。そこでしばらく滞在し、情報を得るために。

 道を歩くしんのすけと星、そしてシロ。もうそこには悲しみはない。あるのは、再会を信じる気持ちだけ。

「今夜から当分勉学は出来んが、今までの事を忘れないようにな、しんのすけ」

「トーゼンだぞ。二人が帰ってきた時に怒られたくないもん」

「ふむ、確かにな。特に稟は手酷く言うだろう」

「そうなんだよね~。風ちゃんはまだ優しいんだけど、稟お姉さんはキビシ~ぞ……」

「キャンキャン」

 軽く愚痴るようなしんのすけに、シロは反論するかのように声を出す。それを聞いて、星は面白そうに笑みを浮かべて告げた。

「おや? シロはしんのすけが悪いと言っているようだぞ?」

「なんですと~?! シロ、オラのどこが悪いのか言ってみろ~!」

 そう言ってシロへ襲い掛かるしんのすけ。それから逃げるように走り出すシロ。それを捕まえようと追い駆けるしんのすけを見て、星はあまり離れるなと注意する。逃げるシロ。追うしんのすけ。見つめる星。だが、三人は揃って楽しそうだ。そんな三人を、天だけが見つめていた……




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別離回。戦国大合戦の影響が濃く出てしまうのは、やはり恋姫の世界観故にマッチしてしまうからです。

次回は遂にあの人が登場です。しんのすけに完全に翻弄されるだろうキャラは初ですので、ちょっと緊張しています。

……上手く再現出来るかな、普通の人。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第五話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/08 06:30
 大男の一撃が星を襲う。だが、それを星はどこか退屈だと言わんばかりの表情で、実にあっさりとかわしてみせる。それで体勢を崩す相手へ、星は手にした訓練用の刃を潰した槍で、その首筋を軽く突く。
 そして、声には出さないが視線はこう問うていた。続けるか、と。それに相手が悔しそうに肩を落とした。しかし、それでも星は槍を引こうとしない。それに疑問を浮かべる周囲へ、星はこう告げた。

―――はっきりと己が未熟を認めろ。でなければ、いつまでも先には進めんぞ。

 それは勝ち誇るのではなく、相手の更なる精進を望むからのもの。それを感じ取ったのか、大男は審判へ降参を告げ、星へ一礼した。それを受け、星の勝利を告げる審判。それと同時に沸き起こる歓声。それに星はさして反応する事もなく、ただ大男にだけは頷きを返し、周囲へ儀礼的に一礼して試合会場から控え場所へと向かって歩き出した。

 ここは幽州。星は現在、公孫賛が主催する武術大会に出場していた。目指すは優勝。だが、今星はやや不機嫌だった。腕試しにもなるとどこかで期待していたのだが、出場している者の力量が低いのだ。
 先程の相手も幽州一の力自慢との事だったのだが、それだけ。確かに力は強いのだろう。だが、力だけで勝てるのは精々自分よりも動きが悪いか、同等程度の相手だけだ。速度、技量などの全体のバランスで考えれば、星からすれば恐ろしい相手ではなかった。

(あれならば、しんのすけの方が余程手強い)

 既に回避に関しては、星を唸らせるぐらいになってきたしんのすけ。その動きを思い出し、控え場所へ着いた星は、そこを見て小さく呟いた。

「しんのすけめ、あれ程動くなと言っておいたのだが……」

 この大会に出る際、星は最初宿の部屋で留守番をしていろと言ったのだが、それに絶対に大人しくしていると答えたしんのすけ。それをどこかで疑いながらも信じる事にしたのだが、やはり宿に置いてくるのだったと思い、どこか苦笑しながら星は椅子へ座る。そこに本来いるはずの少年の事を考えながら……



「先程の者、良い動きをしていたと思うが、どうだ?」

 赤い髪の女性が星の動きを思い出して、周囲の者へ尋ねる。それにやや白髪の混じった男が頷いた。確かに目を惹くものがある。そう告げると、次々に他の者達も同調する。それを聞いて、女性も頷いて自分の目に狂いはないと嬉しそうにしていた。

「では、あの者は確定ですか? 公孫賛様」

 そんな彼女へ、傍に控えていた男性が一歩前に出て尋ねる。それに視線を向け、赤い髪の女性―――公孫賛は少し考え、頷いた。

「そうだな。あれならばおそらく優勝するだろうが、例え負けたとしても捨て置くのはもったいない。どちらにしても、声を掛ける」

「御意」

 公孫賛の言葉に頷き、男性はまた一歩下がる。それから視線を外し、公孫賛はもう一度視線を会場へ向けた。既に次の試合が始まっているが、その戦っている両者は悪くはないのだが、やはり先程の星のものに比べるとどこか見劣りする。
 それに公孫賛は小さくため息を吐き、中々目を惹く者はいないのだなと思った。そして、少し外すから後を頼むと告げて席を立つ。それに誰も声を発せず、道を開ける。

(朝廷の力はどんどん失われている。まだここは中央の影響が出ていないが、それでもやはり五胡の動きを見れば分かる。あいつらも分かっているんだ。今は派手に動かずいた方が得策だって)

 このところの五胡の襲撃回数を思い出し、公孫賛はため息を吐いた。ここ幽州は北に住む遊牧民族の五胡―――つまり今のモンゴル辺りの事―――と大陸の防衛線でもある。そのため、必然的に五胡が得意とする騎馬戦を身に付け、それを主体に戦い、漢王朝の領土に侵攻出来ないように何度となく撃退しているのだが、その出撃回数がこのところ減っているのだ。
 それが狙っている事を考え、もう一度ため息。今は、下手に自分達が手を出して、王朝の結束力を高めたくないのだろうと考えたのだ。頭の回る連中だ。そう思い、公孫賛は歩き続ける。今、大陸の情勢は極めて不安定だ。最北端といってもいい自分の所でそう感じるのだから、中央に近ければ余計にそうなのだろうと公孫賛は考えた。

 だからこそ、こうして自分は力をつけようとしている。勿論、第一の目的は領地に住む民達のためだ。それを守るための力を得るために。だが、もう一つはこれから来るだろう戦乱の時代を見据えての事だ。
 公孫賛には、大きな野望がある訳ではない。ただ、今の漢王朝ではもう駄目だろうともどこかで思っている。故に、出来るなら自分がかつての劉邦のようにこの大陸を統一し、再び強力な一つの国に戻したいとは思っている。そのためにも、人が必要なのだ。優秀な人材が。

「私のとこには、優秀な者がいないに等しいからなぁ……」

 つい本音を零してしまう。自慢ではないが、自分は色々な事が出来る方だとは思っている。周囲の者も無能ではない。だがしかし、凄い才覚の持ち主とは言えない。それがこの幽州の太守や重鎮に就いている事から分かるように、ここには優秀な人物がいないのだ。自分が下手をすると頂点になるかもしれないぐらいに。
 なので、今公孫賛は欲していた。自分を凌ぐ優秀な人物を。もしその者が仕えるに値する人物ならば、太守を譲ってもいいと思う程に。しかし、そんな相手はそうそういないと考えて、公孫賛は何かに気付いて足を止めた。

「ん?」

 その視線の先には、大きな綿のような物を頭に乗せたしんのすけがいた。その光景の奇妙さに言葉を失い、次にここに子供がいる事に頭を抱え、公孫賛は呟いた。何故こんな場所に子供が、と。
 そんな彼女の前で、しんのすけは頭の上の物を落とさないようバランスを取りながら歩く。そして、ゆっくりと公孫賛の前まで近付いてきた。それに気付き、公孫賛は沸き起こるいくつもの疑問の中から、一番気になる事を尋ねた。

「なぁ……」

「な~に~?」

「その頭に乗せているのは……何だ?」

 その言葉にしんのすけは動きを止め、初めて視線を公孫賛へ向けた。その相手の顔立ちにやや嬉しそうになるも、しんのすけはどこか疑問を感じたのか、最後には首を傾げる事になる。

「お~、おねいさん結構美人さんだ。でも、なんだろ……どこか残念?」

「誉めておいて落とす!? しかも、残念って何だ!? いきなり言う事か、それ!」

 しんのすけの美人との一言に喜ぶ公孫賛だったが、直後に告げられた内容に、相手が子供である事も忘れて怒りを爆発させる。そんな公孫賛にしんのすけは驚きもせず、頭に乗せていた綿らしきものを床に下ろし、頷いた。

「お姉さん、いいツッコミだね。芸人さん?」

「んな訳あるかっ!」

「お~、お見事ですな」

「そ、そうか? ……って、ちが~う!」

「おおっ! ノリツッコミまでとは……やりますなぁ」

 しんのすけのペースに乗せられる公孫賛。完全にその様子は漫才だ。そんな事をしばし続け、息を切らしたところで公孫賛は気付いた。

「……何で私はこんな子供に乗せられてるんだ?」

「お? やっとオチついた?」

「意味が違うだろ! って、駄目だ。どうしても指摘してしまう……」

 しんのすけの言い方に気付き、それを注意するも、またそれに自己嫌悪してしまう公孫賛。この流れの作り方に、旧知の相手である名門家の金髪女性を思い出すも、そんなはずはないと彼女は首を振った。それを横目に、しんのすけが足元の綿らしき物へ声を掛ける。

「シロ、もういいよ」

「へ?」

 それに視線を上げる公孫賛。すると、綿らしきものは白い犬へと変わる。いや、戻ったと言うべきだろう。シロは普段の状態に戻ると、驚いたような公孫賛へ一声鳴いた。それがどこか、元気出してと労わってくれたように聞こえ、公孫賛はシロの頭を優しく撫でた。
 それにシロも嬉しそうな反応を返し、お返しにと公孫賛の手を舐める。そのくすぐったさに笑みを見せる公孫賛。その何気ない表情が美しく、しんのすけは見とれる。

 それに気付かず、公孫賛はシロに手を舐められ続けていた。その感触に笑みを浮かべながら、公孫賛はその体を軽く持ち上げる。

「あはは、もういいから。まったく、人懐っこい奴だ」

「キャンキャン」

 そう言って、微笑みながらシロをもう一度撫でてやる公孫賛。それに嬉しそうに声を返すシロ。しんのすけはその声に我に返り、公孫賛を見て尋ねた。

「ね、お姉さんのお名前は? オラ、野原しんのすけ」

「ん? ああ……私は公孫賛。字は伯珪だ」

 しんのすけが意外としっかり名乗るのを珍しく思いながらも、公孫賛はそう答えた。だが、そこで公孫賛は何かを思い出したのか、少し慌てて立ち上がる。そう、何のために席を立ったのかを思い出したからだ。
 急いで立ち去ろうとする公孫賛へ、しんのすけはどうしたのかを尋ねる。だが、それに公孫賛は何故か答えにくそうな表情を浮かべた。それからしんのすけはその理由に思い当たり、顔をにやけさせる。

「はは~ん、さてはおトイレですな」

「? といれ?」

「あ、かわやって言わないとダメだったっけ?」

「っ!? で、では私は用があるからな」

 しんのすけの言葉に公孫賛は顔を赤めると、そう言って早足で立ち去った。来た方へ戻って行くのは、このままではしんのすけの相手を続ける事になりかねないと思ったからだろう。その後姿を見送り、しんのすけは手を振った。

「バイバ~イ、残念さ~ん」

「公孫賛だっ!」

 去り際まで律儀に突っ込む公孫賛。それを聞いて、しんのすけは絶対お笑いの人だと思い、来た道を戻って行く。そろそろ戻らないと星に怒られるだろうと、そう思って。シロを再び綿のような状態に戻し、頭に乗せて歩き出すしんのすけ。
 面白いお姉さんだったとしんのすけは呟いて、はたと立ち止まる。そして公孫賛の歩いて行った方向へ振り向いて、小さく首を傾げた。どこかで聞いたような名前だった気がしたのだ。だが、思い出せず、しんのすけはまあいいかと歩みを再開する。

 そして、控え場所に戻ったしんのすけは、次の試合を終えたばかりの星と出くわし、軽く注意を受けるのだった……



 その後、星が決勝も勝利して大会は終わりを迎えた。当然星はお呼びがかかり、公孫賛の前へと行く事となるのだが、そこへしんのすけも連れて行く事にした。目を離すと何をするか分からないのもあるし、星には公孫賛相手に確かめておきたい事があったのだ。
 案内の者はしんのすけを連れて行く事にやや難色を示すも、それが受け入れられないのなら立ち去ると星が告げると、少し待たせてその場を去った。そして少しして戻り、構わないと告げて星を案内した。

 現在、二人は案内されるまま廊下を歩いていた。向かうは、公孫賛が待つ部屋だ。最初は黙って歩いていたしんのすけだが、やはり黙ってられなくなったのか、星へ視線を向けて問いかけた。

「ね、これから誰に会うの?」

「大会の主催者で、ここの太守をしている公孫賛殿だ」

 星の告げた名前に頷いたしんのすけだったが、その響きにどこか聞き覚えがあるため、不思議そうに首を傾げた。それに星が気付き、どうかしたのかと尋ねるのだが、それにしんのすけが答えるよりも前に、案内の者がある部屋の前で立ち止まる。
 そして、星は会話はここまでと告げ、しんのすけと共にその中へと入り、公孫賛と対面を果たす。星は一応礼儀として膝を付くが、しんのすけはそんな事はしない。それどころか、しんのすけは公孫賛を指差し、相手は同じようにしんのすけを指差していた。それと同時に揃って声を上げたのだから。

「「あ~!」」

 それに二人以外は何が何だか分からず、疑問符を浮かべるのみ。しかし、星は何となくだが事情を察した。しんのすけが公孫賛と既に出会って何か事を起こしたのだろうと。

(まったく、本当に人との縁の作り方が上手い奴だ)

 そう思って苦笑する星の眼前では、公孫賛に軽い口の聞き方をして、周囲から驚かれて注意を受けるしんのすけと、それを気にもせず、しんのすけに名前を言わせないようにと、星に話をしようとする公孫賛の姿があった。

「よ! また会いましたな」

「この小童、公孫賛様に何て口を……」

「いや、子供の言う事だ。許してやれ。それよりもまず……」

「お~! そっか。どこかで聞いたと思ったら、残念さんのお姉さんか~!」

 その甲斐もなく、公孫賛を残念さんとしんのすけが呼び、周囲の者達が笑いを堪えようとするのを見て、恥ずかしさと怒りを表情に出して呼び方を指摘する公孫賛。そんな公孫賛にやっぱり見事な突っ込みだと誉めるしんのすけ。
 その光景を見つめ、星は気付かれぬよう静かに笑う。そんな漫才は、星がしんのすけを抑えるまで続くのだった……



 あの再会騒動も落ち着き、星は公孫賛から自分の配下になって欲しいと告げられる。それに星は客将という形で受けた。その理由を星はこう告げた。まだ公孫賛が仕えるに相応しい人物か完全には分からない。そのため、見極めさせて欲しいと。
 その言葉に周囲が怒りを見せたが、それを公孫賛は嗜めた。自分が逆の立場なら同じ事を考える。それにこんな時勢では、それぐらいの気構えがないといけないと。その言葉に、星は軽く驚いたように公孫賛へ向けた視線を目を細めた。こうして、星は公孫賛の客将となったのだが、まだ話があると告げて人払いを頼んだ。それに疑問を感じる公孫賛だったが、自分を暗殺するようには思えなかった事や、星の目が真剣なものだった事もあり、その要望を聞き入れた。

「……で、一体何の話だ?」

「公孫賛殿は天の御遣いの予言をご存知か」

「ああ、あれか。知っているさ。知らない方が珍しいんじゃないか? 良くも悪くも平和の予言だからな」

 星の告げた内容に公孫賛は苦笑して答えた。その反応に、星はやはりそうだろうと納得していた。誰でも知っていながら、それを信じてはいない。そう感じたのだ。良くも悪くもとは、それを意味しているように聞こえた。
 だが星は、部屋の隅で服の中に忍ばせていたシロと遊ぶしんのすけを横目で見てから、その視線を公孫賛へ向けた。そして、こう告げたのだ。その御遣いが本当にいるとしたらどうするのか、と。

 それに公孫賛はどういう事だと不思議そうな表情を返す。疑うのでも信じるのでもないその反応に、星は内心で人間としての公孫賛の評価を高くした。そこに欲が見えなかったからだ。純粋な興味。それだけしか感じる事の出来ない公孫賛の反応。故に、星は気付かれないよう小さく笑みを浮かべ、しんのすけへ視線を動かした。

「……実は、しんのすけは天より来たのです」

 どうでる。そんな風に思いながら星は公孫賛へ視線を戻して見つめた。公孫賛は星の言葉を聞いて、軽く驚きを浮かべる。そして、何かを思い出して納得するように頷いた。その様子を見て、星は不思議顔。何か尋ねられるなり、疑われるだろうと思っていたのだ。それが、何も言わず納得したように反応され、拍子抜けにも近い。

 そんな風に星が思っていると、公孫賛はこう告げた。だから聞き覚えのない言葉を使っていたのか、と。そう、あの時聞いたトイレとの単語を公孫賛は覚えていたのだ。それを星へ告げ、公孫賛はしんのすけを見つめてこう言った。

「それに、あの年頃にしては妙にしっかりしてる。礼儀はなっちゃいないが、それでも不思議と不快にさせる事はない。そうか……天の人間だったからか」

「……それで、公孫賛殿。しんのすけをどうするおつもりかな」

「ん? そうだな……」

 星の言葉に公孫賛は少し悩んだ。だが、直ぐに答えが出たのか、しんのすけの近くまで歩み寄り、その視線の高さまでしゃがんでみせた。それに星が軽い感嘆の声を上げ、その言動を見守る。
 しんのすけも公孫賛が近くに来た事に気付き、視線を向ける。そして、公孫賛はしんのすけへ自然に尋ねた。

「しんのすけ、と言ったな。お前はどうしたい?」

「お? 何を?」

「趙雲は、私の所でしばらく将として働いてくれる事になった。お前はどうする?」

「お~、ならオラはそのお手伝いをするぞ」

 しんのすけの答えを聞いて、公孫賛は苦笑して頷き、立ち上がって星の方へ視線を向ける。それに星が視線を返す。

「だとさ。私の手伝いじゃなくお前の手伝いをするそうだ。じゃあ、私は何もしないよ」

「……そうですか」

「正直、最初から天の御遣いなんて当てにしてないさ。それに……」

 星の微かな安堵の声に、公孫賛は苦笑した。おそらく、自分の答えによっては何か事を起こすつもりだったのだろうと。そこから、子供ながらに星程の者にそこまでさせるしんのすけの凄さを考え、公孫賛は天の御遣いは伊達ではないと思った。
 そして、視線をしんのすけへ戻す。そこには、再びシロと遊び始めたしんのすけがいる。その光景を見て、公孫賛は噛み締めるように告げた。

―――それに、子供に大人がした事の後始末を押し付ける気はない。そうだろ?

―――はっ。この趙子龍、貴殿がその気持ちを失わぬ限り、この槍を向けないと誓いましょう。

 今度は心からの臣下の礼を取る星。だがそれは、家臣となった事を示すのではなく、公孫賛の言葉に感じ入った事を表すもの。それを公孫賛もどこかで感じ取っているのだろう。それに苦笑し、自分も向かない事を願うと返す。
 そして、二人は揃って視線をしんのすけへ向け、柔らかく微笑んだ。そこでは、しんのすけがシロを綿のようにさせて頭に乗せ、器用にバランスを取って遊んでいるのだった……




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黄巾編序章。というか、白蓮との出会い編。ここにきて、やっと普段のしんちゃんらしさが出せた気がします。

今後はこの三人をメインにします。でも、近い内にもう三人増えるんだよなぁ……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第六話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/10 07:11
「なぁ、星、しんのすけ……」

「なんです? 伯珪殿」

「何? 残念さん」

 城の中庭。そこにあるちょっとした休憩場所。つまり、椅子と卓がおいてある場所なのだが、そこに座って公孫賛と星はお茶を飲んでいた。無論、そこにはしんのすけとシロの姿もある。シロは静かに公孫賛の傍に控えているのだが、珍しくしんのすけも大人しく椅子に座っていた。
 公孫賛は二人の呼び方に少しだけこめかみを動かす。星に対しては浮かぶは疑問で、しんのすけに対しては怒りだ。その理由は、他でもないだろう。真名を預けたにも関らず、星は字で呼び、しんのすけに限っては、何度となく注意しているにも関らず、残念さんと呼ぶ事だ。

「どうして二人して真名で呼ばないんだ!?」

「どうしてと言われましても」

「ね~」

「何でだ!? 理由を教えろ」

 公孫賛はあの後、星から真名を預かった。その理由は、やはり仮初とはいえ主君に当たる事と、しんのすけへの対応に感謝してだ。その返礼として公孫賛も真名を星へ預けた。礼には礼を以って応える。そう公孫賛は告げ、それに星は律儀な方だと苦笑しつつ、有難く受け取ったのだ。
 一方しんのすけへは、公孫賛は当初真名を預けるつもりがなかった。だが、会う度に残念さんと呼ばれるため、次第に家臣達の中にもそれが浸透し始めた。それはそう呼ぶ事ではなく、周囲がそれを聞く度に最初は怒ったりしていたのが、最近では苦笑するようになった事。

 それを見て公孫賛は行動を起こした。最初こそ字で呼んでもらおうとしたのだが、しんのすけは伯珪が難しいと言って、ひたすら名で呼び続けた。なので、断腸の思いで真名を預けたのだ。そこには、しんのすけの名前が自分達の真名に近いとの話も関係していたが、星は知っている。
 それを聞いた時、公孫賛がどこか小さく「これで名目が出来た」と呟いたのを。真名の持つ重さ。それを重々承知していた公孫賛だからこそ、その預ける理由を欲していたのだ。自分がどこかで納得出来る理由を。

 故に、星と同じくしんのすけへ真名には真名と告げ、真名を預けた。しんのすけは一応それを受け取った。しかし、今のしんのすけとしてはそれを呼ぶ気はない。それは星もまた同様に。その訳は二人して同じだったりする。

「「認められた訳でもないのに、呼ぶつもりはないぞ(ですぞ)」」

 そう二人は声を揃えて告げた。それに公孫賛は一瞬呆気に取られ、すぐに我に返る。

「へ? ……私は認めているぞ?」

「伯珪殿の中ではそうなのでしょうが……」

「オラ達は納得出来てないんだぞ」

 星もしんのすけも、まだ自分達は公孫賛を真名で呼ぶ資格がないと思っていた。確かに礼には礼をとの言葉や考えは理解出来る。しかし、やはり本人が心から預けたいと思わぬ限り、それを呼ぶ事は出来ない。そう二人は考えていた。
 公孫賛も二人の言い方からそれを悟ったのか、やや難しい顔をして考え込んだ。しんのすけ達の考えがよく分かったからだ。真名とは預けられたからといって、すぐに呼べるものではない。そう、そこには互いの理解と納得がなければいけない。そう感じたのだ。

「はぁ~……分かった。なら、二人が自分に納得出来るまで待つさ」

「申し訳ない」

「ごめんくさい」

「いいさ。それとしんのすけ、それを言うならごめんなさいだろ」

 公孫賛の声に軽い落胆と理解を感じ取り、二人は揃って頭を下げる。それに気にしなくていいと手を振る公孫賛だったが、しんのすけの言葉にちゃんと指摘を入れるのを忘れない。
 だが、それを聞いてしんのすけは何故か悔しそうな表情を返した。その反応に疑問符を浮かべる公孫賛。すると、しんのすけはそにお表情のままこう告げた。

「う~ん……いつもはキレがあるのに、今のツッコミには……いまいちキレがないですからっ! ざんね~ん!」

「だから! 一々残念って言うな!」

 一時流行ったギターを使う芸人のモノマネをするしんのすけ。それに公孫賛が鋭く突っ込んだ。それを聞いて星は心から楽しそうに笑う。そんな、いつもの光景になりつつある、とある日の昼休みだった……



 公孫賛の客将となった星は、最初こそ兵を率いて周辺の賊の鎮圧などをしていたが、すぐに騎馬隊を任された。白馬で構成された公孫賛自慢の部隊だ。それを初めて見た星は、素直にその見事さに感心した。その時の公孫賛は、普段見られないぐらい嬉しそうだったとは、星の言。
 なので、星は昼間は部隊の調練で忙しい。その間しんのすけはと言うと……

「こっちは終わったよ~」

「そうか。なら、少し休んでいいぞ」

「ほ~い」

 城の中庭。そこの一角の草むしりを終えたしんのすけ。それを公孫賛に伝えると、休んでいいとの声が返ってくる。それに普段の声で返事を返し、しんのすけは庭に腰を下ろした。そこへシロが走ってくる。そう、彼は雑用をこなしていた。とはいえ、出来る事は本当にささいな事だった。庭の掃除や草むしり、公孫賛へのお茶酌みなどだ。それでも、しんのすけは文句も言わずにそれを引き受けた。働かざる者食うべからず。その教えをしんのすけは稟に口煩く言われていたのだ。
 そう、あの短い旅の中でも、しんのすけは何かしらの仕事を与えられた。薪拾いや水汲み、時には木の実探しなどを。その時、しんのすけは言われたのだ。何もせず食事を食べる事は出来ないと。しんのすけはその言葉に現代での暮らしを思い出して反論しようとしたが、それをする事は出来なかった。

 それは、現代での一コマ。家の手伝いをしないしんのすけへ、みさえが怒りをぶつけた時の事。その説教にしんのすけが参っているのを見たひろしが告げた言葉。それが脳裏に甦ったのだ。

―――いいじゃないか、みさえ。子供は遊ぶのが仕事なんだから。

 つまり、現代でも自分は仕事をしていた。ただ、こちらでは遊ぶだけでなく、ちゃんと役に立つ事もしないといけないのだろうと思い、しんのすけは稟の言葉に頷いたのだから。

 実は、しんのすけが簡単ではあるが仕事をしているのには、理由がある。星は公孫賛にしんのすけの事情を話した。そして、元居た場所に帰るには高級品である鏡が必要だと。それらを聞いた公孫賛は、幼いにも関らず乱世へ来てしまったしんのすけに同情し、その帰還への手伝いを決めた。
 そして、現状に至るのだ。そう、これをする事で、雀の涙ではあるがしんのすけは給金をもらっている。しんのすけはその理由をどことなく感じ取っているのだ。だからこそ、どんな事でも懸命にやっている。お金の大切さが、今のしんのすけにはよく分かっているからだ。

(あの時、おかねが少なかったから、稟お姉さんや風ちゃんと別れる事になったんだ。だから、出来るだけおかねは大切にしよっと……)

 それは、現代では中々出来ない経験。それを通して社会の厳しさと同時に、しんのすけは仕事の遣り甲斐やお金を稼ぐ事の難しさを知っていった。掃除を全力でした時には、それを感じ取った公孫賛が誉めてくれたし、手を抜いた時はそれを叱られ、その日の分は給金をもらえなかった。
 それを通じて、しんのすけは精神的にも成長していた。そして、現代がいかに恵まれていて、尚且つ自分がどれだけ楽をしていたのかも痛感していたのだから。

 庭を走るシロを眺めながら、しんのすけはそんな事をぼんやりと考えていた。そんなしんのすけを公孫賛は見つめ、小さく苦笑した。彼女は、しんのすけが働くようになってから、晴れた日は仕事を執務室ではなく中庭でやるようにした。
 周囲にはその方がはかどると言っているが、実際はしんのすけの監視役も兼ねている。さすがに雨の日は出来ないが、それでもその時はしんのすけを執務室に入れ、簡単な掃除や竹簡の運搬などをさせようと考えていた。

「あいつ……偉いよなぁ」

 働き出してまだ数日。しかし、一度としてしんのすけは仕事を投げ出した事がない。無論、そこまでなるような内容ではないというのもあるが、遊びたい盛りの子供が、日がな一日庭掃除や草むしりを黙々とこなすのは、容易な事ではない。
 確かに適度な休憩などを設けているが、公孫賛から見ても、普段からは考えられないぐらいに働き者に見えるのだ。その根底にあるものを知らない公孫賛ではあるが、その懸命さには尊敬出来る部分もあった。

 そこまで考え、公孫賛はお茶を飲もうとするが、もう器は空。お代わりを注ごうにも、茶瓶自体にお茶が残っていない。やれやれと思い、公孫賛はしんのすけへ空になった茶瓶を見せて告げた。

「お~い、しんのすけ。悪いが茶をもらってきてくれるか~?」

「ほ~い」

 こんな雑用にも元気良く返事をし、立ち上がって公孫賛から茶瓶を受け取るしんのすけ。そして、そのまま食堂辺りへ行きお茶をもらってこようと動き出す。そんな素直さに公孫賛は嬉しそうに頷いて、シロを呼び寄せる。そして、その頭を優しく撫でながら、心から呟く。

―――お前の主人は、本当に良い奴だな。

―――キャン!



 時刻は昼。しんのすけは中庭の草むしりを一時中断し、星を待っていた。共に昼食を食べるためだ。公孫賛も誘ったのだが、丁度何か知らせが入ったため、断られてしまったのだ。
 訓練場の方を見つめ、星を待つしんのすけ。その隣にはシロもいる。やがて、視界に星の姿が見えてきて、しんのすけは大きく手を振った。シロも何度となく声を掛ける。

「すまんな、待たせた」

「気にしてないぞ」

「キャン」

 合流し、揃って歩き出すしんのすけ達。今日の調練を話題にする星。それに感心したり、驚いたりするしんのすけ。シロはそんなしんのすけの隣を歩きながら、時折相槌のように声を出していた。
 そして、食堂で食事をした後は決まり事のように中庭へ。晴れた日はそこで公孫賛と共にお茶を飲みながら、主にしんのすけの世界の話を聞くのがもう日課になりつつあった。

 この日も既に公孫賛がそこで待っていた。だが、どうもその様子がいつもと違う事に星が気付いた。

(む? 伯珪殿の様子が……あの表情……まさか)

 星が公孫賛の表情から何かを感じ取ったのと同時に、しんのすけがその横の椅子に座った。

「よいしょっと……あれ? 残念さん、どうしたの?」

 いつもなら、遅いとか今日は何を話してくれるのかと尋ねてくるはずの相手。それが自分が椅子に座っても何も言わなかった事に、疑問を浮かべるしんのすけ。すると、その言葉に指摘もせず、公孫賛はやや困った表情を浮かべた。

「ん……実はな……」

「何か嫌な動きでも?」

 公孫賛の言葉を遮るように星が口を出した。それに公孫賛は力なく頷いた。また周辺の村を襲う賊が現れたのだ。しかも、それらは徒党を組んでいて、厄介にもそれなりに統率が取れているとの事。
 それを先程聞かされ、更にそれと同じような事が、最近大陸のあちこちでも少しずつではあるが起きているとまで聞いた。今までのような単なる盗賊騒ぎではない。それから諸侯は何かを感じ取り、独自に動き出しているとも言って、公孫賛はため息を吐いた。

「にも関らず、朝廷は何も動こうとしない」

「どこかで大丈夫と考えているのでしょうな」

「だと思う。でも、私でさえこの事は不味いって感じるんだ。なのにな……」

「それで、どうして困ってるの?」

 しんのすけの言葉に、公孫賛はこう答えた。領地を、民を守る事に何ら迷いはない。だが、おそらくこの騒動は大本がある。それをどうにかする事は自分だけでは出来ないのだ。そんな風に公孫賛は告げた。
 それを聞いて、しんのすけは直感的に感じ取った。公孫賛が何かを諦めていると。故に、しんのすけは星へ視線を向けた。その視線の意味合いを悟り、星は不敵に笑う。それにしんのすけも頷き、視線を公孫賛へ向けた。

「こうそんさんのお姉さん」

「だから残念さんだと……あれ? 今、お前……」

「諦めちゃダメだぞ。それに何があっても、オラ達たいりく防衛隊がいればダイジョ~ブ」

 しんのすけの言葉に公孫賛は小さく疑問を抱く。たいりく防衛隊との言葉だ。それを尋ね、星がその意味を話す。それを聞いて、公孫賛は納得すると同時に、その気持ちに驚いた。
 幼いしんのすけ。その天の人間が心から大陸の未来を案じている。その小さな力さえ何かに役立てたいとしている。そう考えた時、公孫賛は自分を叱咤した。

(私は何を迷っていたんだ。この大陸の平和、それを願っていたんじゃないのか? なら、立ち上がる時だ。この幽州だけじゃなく、大陸そのものを守るために! しんのすけだって平和を守りたいと思っているんだ! 私が立たずにどうするっ!)

「星! しんのすけ! 悪いが、私にはやる事が出来た。今日は雑談はなしだ」

「おや? 伯珪殿、私を置いていかれる気か?」

「そんな訳ないだろ。軍議を開く。しんのすけは主だった者を玉座の間に呼ぶよう、誰かに伝えてくれ。星は一緒に来てほしい」

「はっ!」

 そんな風に告げ、走り去る公孫賛。それに続けと星も走り出す。しんのすけはそれを見送り、シロへ視線を向けて告げた。

「何か、残念さん嬉しそうだったね」

「キャンキャン」

 そして、視線を再び公孫賛達が走り去った方へ向け、しんのすけもそちらへ向かって走り出した。それにシロもついていく。そして、近くにいた兵士に公孫賛から頼まれた事を告げ、急いで星が与えられている部屋へ向かう。そこからカンタムロボのフィギュアを持ち出し、自分も玉座の間へ向かう。

 だが途中で足を止め、シロと共に隠れる。玉座の間の前には兵士が見張りとして立っているからだ。そして、やってきた重臣達が次々と扉の奥へと入っていく。それを見つめ、しんのすけは考えた。どうすれば中に入れるかを。

「シロ、あのおじさんを扉から離す事出来る?」

「クゥ~ン…………キャン」

「お~、さすがシロ。じゃ、そういう事で」

 しんのすけの言葉に考えるシロ。だが、何か思いついたのか任せろと言うように声を出した。それにしんのすけが感心した声を出すが、最後には後は任せたとばかりに手を上げる。それにシロが軽く脱力するも、気を取り直して動き出す。
 シロは丸まって見張りの前まで転がっていく。それに見張りの兵士の視線が向いた。大きな綿だとでも思ったのだろう。やや驚きがその顔には浮かんでいる。しかし、それをそのままには出来ないと思ったのか、ゆっくりと近付いていく。そして、その手がシロに触れようとした瞬間……

「キャン」

「なっ?! 生きてる?!」

 その体勢のまま声を出し、再び転がり出すシロ。綿が喋ったと思い、怪しいと思ったのだろうか。見張りはそのまま転がるシロを追いかけていく。それを見送り、しんのすけはシロへ親指を立ててみせる。そして、誰もいなくなった扉まで近付き、玉座の間に密かに侵入するのだった……



 軍議は揉めていた。それは柱に隠れて見ているしんのすけでも分かる程に。原因は公孫賛が告げた内容にある。

―――周辺の賊を討伐し、同様の事に悩まされている大陸全体への対処を朝廷に申し出る。

 それは、朝廷の腰の重さを非難するにも近い内容だった。それに重臣達の意見も真っ二つに割れた。一方は朝廷を煽るような事はするべきではないとする者達。もう一方は公孫賛の意見に賛同し、朝廷を動かすべきだとする者達。
 しかし、それを聞いて公孫賛も星もある事に気付いていた。どちらにも共通している事があると。それは、保身。反対者は朝廷を怒らせる事を嫌がり、賛成者は公孫賛を怒らせる事を嫌がっているのだ。

(気骨のある奴は星だけだとは思っていたが、実際そう分かると……ため息も出ないな)

(どいつもこいつも他者の顔色ばかり窺いおって……伯珪殿は家臣に恵まれてはおらんな)

 二人は激しく言い合う重臣達を見つめ、そんな風に思う。表情は共にどこか呆れが見える。

 そして、結論が出ないまましばらく口論が続いた。それに公孫賛がおそらく決まらないと判断した。仕方ないか。そう思い、自分が無理矢理にでも取りまとめようとした時だ。

―――いつまでケンカしてるの? 困ってる人達がいるなら、早くお助けしないとだぞ。

 そう言ってしんのすけが柱の影から姿を見せた。それに全員の視線が向く。浮かぶのは驚きや戸惑い。しかし、それは一瞬だった。すぐさま我に返ると、重臣達は揃って子供が口を出す事ではないと言い始める。
 それにしんのすけは軽く怯みながらも、カンタムロボのフィギュアを握り締め、一歩も退かずに大きな声で告げる。今もこうして言い合っている間に、苦しんだり助けを呼んでいる者がいる。それを助ける事が出来るのなら、動かないでどうするのだと。しんのすけはそう返した。

 それに公孫賛や星だけでなく、重臣達も言葉がない。五歳の子供が告げる言葉。それが誰が聞いても正論だったからだ。言い争いをしている間にも、どこかで誰かが傷付いている。困り、苦しみ、助けを求めている。
 それをしんのすけは我が事のように捉え、思いの丈をぶつけたのだ。そして、しんのすけはカンタムロボのフィギュアを見せて告げた。

「カンタムだって、困ってる人をお助けするために戦ってくれたんだぞ! 自分がボロボロになっても、諦めなかったんだっ!」

 思い出すは、あの最終回の雄姿。自分の親戚や兄を相手にしても、平和のためにと涙を呑んで戦い、最後にはギルギロス大統領と共にどこかへ消えた初代カンタムロボ。その戦いはいつでも力無き者達を守るためだった。
 決して諦めず、いつも正義と優しさを胸に戦う事の大切さを教えてくれた無敵のヒーロー。その姿がしんのすけに、両親以上の歳の大人達を前にしても意見を言う勇気を与えていた。

 カンタムが何かを知らぬ星達ではあったが、それがしんのすけに今の勇気を与えているのは理解出来たのだろう。黙ってしんのすけの言葉を聞いていた。

「おじさん達は大人なんでしょ!? オラよりも大きいし、強いはずだぞ! なら、オラの分まで……困ってる人をお助けして欲しいんだ……」

 その最後の悔しそうな言葉に誰もが沈黙した。重臣達は揃って項垂れ、公孫賛と星はしんのすけの気持ちを思い、湧き上がる感情を込めるように拳を握る。そんな中、反対派だった初老の文官がぽつりと告げる。

「……皆の者、今は後の事は置いておこうではないか。まずはあの幼子の言う通り、幽州の民を、暮らしを守ろうぞ」

 その声に周囲が反応する。武官も文官もなく、反対派も賛成派も口々にそれに同調するように声を出し、全員が視線を公孫賛へ向ける。それに込められたものに気付き、公孫賛は力強く頷いた。

「よし、出撃準備に取り掛かれ! 終わり次第、討伐に出るぞっ!」

『御意!』

 一斉に声を返し、全員が慌しく動き出す。それをしんのすけは見送り、どこか呆気に取られたように立ち尽くす。そんなしんのすけへ星と公孫賛が近付き、同時にその頭に手を置いた。

「しんのすけ、お前は凄い奴だよ。言を以って納得させ、人を動かす事は難しいのにな」

「お?」

「伯珪殿は、お前の言葉が皆を動かしたと言ったのだ。言言肺腑を衝くと言うが……お前は大した者と言う事だ」

 公孫賛と星の言葉にしんのすけは何かを考えるが、誉められた事だけは分かった。故にその顔を嬉しそうににやけさせる。そんないつもの反応に小さく笑みを浮かべる二人。そして、公孫賛はそこで改めてしんのすけへ真名を告げた。
 自分が無理矢理纏めようとしていた重臣達。それを言葉で納得させ動かすという、心から尊敬出来るような行動を取ったしんのすけ。それに感じ入った故に。それを告げると、しんのすけも納得したのか頷いた。

「私の真名は白蓮。今度こそ呼んでくれるな、しんのすけ」

「う~ん……白蓮ちゃんって呼んでもいい?」

「うっ……まぁいいか。理由は……何となく分かるけど、帰ったら聞かせてもらうぞ」

「ブッ、ラジャ~」

 しんのすけの返事に苦笑する星とどこか苦い顔をする白蓮。そして、二人もまた出撃準備のためにそこを後にする。それを手を振って見送るしんのすけ。するとそこへ入れ代わるように疲れ果てたシロが現れる。
 今までずっと見張り相手に逃げ続けていたのだ。それを気付いたのか、その働きを労うようにしんのすけはシロを優しく撫でた。そして、それにシロが少し元気になったのを見て小さく呟いた。

―――オラ、スゴくて大したモンらしいぞ、シロ。

 それにシロはやや疑問符を浮かべるものの、肯定するように声を出し、扉へ向かって歩き出す。それにしんのすけも続くように動き出し、そのまま玉座の間を後にする。しんのすけが星達の見送りをしないといけないと言えば、シロもそれに頷くように声を返す。
 カンタムロボのフィギュアを片手に軽く走り出すしんのすけ。それを追うシロ。こうしてしんのすけは、また一つ新たな絆を結ぶのだった……

徐々に見え出した乱世の顔。だが、それを治めるには、まだしんのすけの力は足りない。
しかし、今、幽州で風が吹いた。小さな、しかし確かな希望の風が……




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真名回。今回は白蓮。しんのすけと関ると、大抵残念になってしまう彼女ですが、おかげでしんちゃんらしさを出す事が出来て助かってます。

次回はそんな白蓮メインを予定。そして、あの三人との出会いも間近に……?



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 幕間 白蓮編
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/13 07:45
「雨だな……」

「雨ですな~」

「キャン」

 執務室の窓から外を眺める白蓮としんのすけ。シロはそんな二人の足元で大人しく座っている。今日の天気は雨。それも中々の激しさだ。

 あの後行なわれた討伐戦は、星の活躍と白蓮の気合に率いる武官達の気迫も重なって、見事な勝利を収めた。しかし、賊を統率していた男を捕らえて詳しい話を聞くと、決起した元々の理由は世直しだったらしい。だが、人数が増えだしたために自分でも制御出来ない部分が出て、気がつけば一部が暴走し、賊のようになってしまっていたとの事。それを止めようにも止められずいたところを、白蓮達に叩きのめされたのだ。

 男は自分が招いた結果だとして、白蓮に殺してくれと告げた。それに白蓮が下した処分は、自軍に入り償って生きるか首を刎ねられるかを選ばせる事だった。それは、決して温情ではない。そう、男は既に周囲から賊の頭領と見られているのだから、そんな中で生きるのは辛いに決まっている。

 だが、白蓮はだからこそそうした。安易に殺して責任を取らせるのではなく、自分のした事の重さと結果を突き付け、それと向かい合って生きていく気があるのなら、生かしてやろうとしたのだから。
 無論、その処分の裏には星の具申があった。星は話を聞いて、白蓮に告げたのだ。簡単に斬首するよりも、罪を償わせてやるべきだと。周囲から白い目で見られようと、更生しようと強く思う心があれば必ずやいつか報われる。それを男が成した時こそ、本当の勝利だと。

―――白蓮殿、これは情けではなく報いです。死んだ方がましだと思う状況での生活。それを選ぶか死を選ぶか。それをこの者に決めさせてはどうでしょう。

―――……そう、だな。それも一つの手か。しかし、星はやっぱりえげつないな……

 その問いかけに男は驚きを見せたが、即座に償って生きる道を選んだ。自分の未熟さ故に死なせてしまった多くの者達。それを無駄にしないように、そして忘れないためにと。それを聞いた時の星の顔はどこか晴れやかだったのを、白蓮ははっきりと覚えている。
 星も白蓮がしんのすけと別れた後、真名を呼ぶようになった。それは、しんのすけを心から認めた白蓮を仲間と思ったからだと、本人は語った。白蓮はそれにやや呆れたが、たいりく防衛隊の事を聞いていたのでそこまで強くは思わなかった。

(しかし、まさか私が星から仲間扱いを受けるとはな……)

 そう聞いた時はどこか驚いたものだ。そして帰ってきた後、様々な雑務を文官達に押し付け、白蓮はしんのすけにちゃん付けの理由を尋ねた。それにしんのすけは予想通りの答えを返した。

―――だって、何か白蓮お姉さんって言うより、白蓮ちゃんって感じがするぞ。

―――私はそんなに威厳がないかっ!? 年上にも見られないのか!?

 そんな漫才のようなやり取りを経て、結局白蓮はちゃん付けを撤回する事は出来なかった。まぁ、白蓮自身もしんのすけが親しみを持ってくれているのは分かっていたので、あまり煩く言うつもりが無かったのもそこにはある。
 そんなこんなで、今日もしんのすけと白蓮は仲良く共に過ごしていたのだった。生憎の雨のため、今日は庭ではなく執務室での仕事。しんのすけに与えられたのは、他の部屋への竹簡の運搬とお茶酌み。それに簡単な掃除だ。シロは基本白蓮の傍で待機し、時折気分転換に頭を撫でられるのが仕事と言えば仕事だったりする。

「さ、じゃあ頼むなしんのすけ」

「ほ~い」

 両手で箒を持ち、しんのすけはまずは執務室の掃除を開始する。大人用のため、やや扱い辛そうではあるが、それでも何とか床のゴミを掃いていく。それを隅の方へ集め、前もって用意していたちりとりをシロが持って、そこへゴミを載せて捨てる。
 そんな光景を見ても、白蓮は何も言わない。もう慣れたのだ。しんのすけの言動ではなく、シロの曲芸じみた行動にだ。最初に見た”わたあめ”に始まるシロの芸。それは一般的なものから想像も出来ないものまで実に多彩だった。

 お手や伏せ。これは白蓮も予想出来た。お回り。これも普通。だが、チンチンカイカイはない。白蓮はその意味が最初は分からなかったが、しんのすけの説明を聞いて理解した。それと同時に白蓮は顔を赤くしたのだが、それを見てしんのすけがカワイイと言って、違った意味で顔を赤くする一幕があった。
 更に二本足で立ったり、今のような人間かと思うような動きの数々。それに白蓮は呆然となったのだ。星も一部は知っていたようだが、中には初めて見るものもあったので、感心するように見ていたのを白蓮は知っている。

(もう指摘しないぞ。何をシロがやっても……私は指摘しないからな!)

 視界の隅に見える光景から意識を逸らし、白蓮は眼前の竹簡に集中する。太守である白蓮の仕事は地味に多い。これでも他の文官達がやっているので減ってはいるのだが、それでも多いと白蓮は感じている。
 どこかに優秀な文官はいないだろうかと、そう心から思いながら仕事をこなしていく白蓮。しんのすけや星から聞いた稟と風の事を思い出し、その二人を今すぐにでも雇いたいぐらいに、白蓮は文官も求めていた。

(しんのすけや星の話じゃ、郭嘉も程立もかなりの知恵者らしいし……何とか私の下に……)

 そこまで考え、白蓮はそんな事は出来ないと首を横に振った。そう、その二人がどうしてしんのすけ達と別れたのかを聞いたからだ。しんのすけを元の世界に返すための方法。その手掛かりを探していると。そこに至る経緯も、星から簡単に聞いている白蓮としては、二人が自分の下には来ないだろう事も分かっていた。
 それだけではない。二人が、どうしてそこまでしんのすけのために動いているかも、何となくだが察していたからだ。何も知らず、自分がいた場所とはまったく違う場所へ連れて来られたしんのすけ。そこはお世辞にも安全とは言えない世界。

 そこで幼い子供に暮らせと言う事は出来ない。一刻も早く元の場所へ帰してやりたい。その想いがあればこそだ。白蓮も同じように感じたからこそ、僅かではあるがしんのすけの力になっているのだから。
 今、白蓮は星の頼みで商人達を使って鏡の事を調べさせている。不思議な言い伝えや伝説が残る鏡。その情報を求めていると言って。星は自分がと言ったのだが、客将の星よりも太守の自分の方が商人達も動くだろうと判断したのだ。

「白蓮ちゃん、足どけて」

「ん……? ああ、悪い」

 しんのすけの声で思考を中断する白蓮。そして、足を軽く上げると、しんのすけが足元のゴミを箒で掃いて、部屋の隅へ運んでいく。

「もういいぞ~」

「分かった」

 いつも通りの感じで声を掛けるしんのすけ。それは、太守を相手にしているとは思えない軽さだ。しかし、それでいいのだと白蓮は思う。しんのすけの国には、太守はいないらしい。それどころか皇帝さえいないのだ。
 それを聞いた時、白蓮も星も言葉を失った。何せ、しんのすけがその後告げた言葉には、それだけの衝撃が秘められていたのだから。そう、国を動かす者をそこに住む者達が自分の手で決める。そうしんのすけは告げたのだ。更に……

―――ぞうりだいまじんっていう人が……がいかくだったっけ? それを作って色々な事を決めるはずだぞ……たぶん。

 そう言ったのだから。そこから先の詳しい事はしんのすけも分かっていなかったが、天の国の政治と自分達の政治が大きく違う事だけは白蓮や星にもよく分かった。
 天の世界には帝もなく、全ての者が同じような権利を有している。そして、その中から国を動かす者を自分達で決め、その者が何かの組織を作り、国を運営していく。そんな風に白蓮は解釈した。

 こう見えて白蓮は廬植先生の下で学んだ身。多少なりとも政治の事も理解している。だからしんのすけの話から何とかそう考える事が出来た。だが、これは考える事が出来ただけで、理解は出来ていない。
 どうやればそんな風に出来るのか。そんな政治体制で本当に国を動かしていけるのか。挙げればきりがないぐらいに疑問は尽きない。だが、それにしんのすけが答えられるはずもない。そう判断し、白蓮はその事を深く聞く事はしなかった。

 今、そんな事を思い出している白蓮の前には、掃除をある程度終えたしんのすけとシロがいる。それを見て、白蓮は小さく笑うと少し休んでいいそと告げる。それに嬉しそうな声を返すしんのすけとシロ。
 それを聞いて白蓮も嬉しく思い、笑顔を浮かべて意識を竹簡に向けた。今は仕事を少しでも片付けよう。そう思ったのだ。今日は昼食をしんのすけと共に取る事にしている。だから、出来るだけ仕事はキリを着け易くする方がいい。

(そういえば、星の奴は槍の手入れをすると言っていたな。私の仕事、少しやらせれば良かった)

 今頃は部屋でのうのうと槍の手入れをしているだろう姿を想像し、白蓮は少しだけ悔やむように表情を歪める。すると、想像の中の星がくしゃみをしたような気がして、白蓮は小さく笑った。
 そんな白蓮を見つめ、しんのすけとシロは揃って小首を傾げる。何かおかしな事でもあったのだろうかと。不思議そうにしんのすけとシロが見つめる中、白蓮は未処理の竹簡を次々と減らしていくのだった……



 ある程度の量を片付け、白蓮はお茶を飲んでいた。やや熱めだが、それが雨の寒さには心地良い。しんのすけは、その熱さに舌を火傷するかもと言って息を吹きかけ、冷ましている。そんなしんのすけが微笑ましくて、白蓮は小さく笑みを浮かべると自分のお茶を手渡した。

「ほら」

「お?」

「私のはもう幾分が冷めた。少しも減っていないお前のよりも飲み易いはずだ」

 白蓮の言葉にしんのすけは頷いて、自分の持っていた茶器と相手の茶器を交換する。そして、その茶器から伝わる熱からその言葉が事実だと気付いたのか、軽くそれを口に当てる。
 お茶の味がしんのすけの口の中に広がる。日本茶とは違う旨味を感じ、その温かさと味にしんのすけは息を吐いた。その幸せそうな表情に白蓮も笑う。そして、白蓮が手にしたお茶を飲もうとした時だ。

「あ、これって白蓮ちゃんと間接キスだ」

「?」

 しんのすけの言ったキスとの言葉が分からず、白蓮はお茶を口に含んだまま視線で問いかける。何が間接なんだと。それを見て、しんのすけはキスの意味を尋ねていると思い、はっきりと告げた。

「えっと……お口とお口を合わせる事」

「ブッ!」

 その答えに白蓮は口に含んでいたお茶を噴き出した。それが丁度前にいたしんのすけへ降り注ぐのだが、咄嗟にしんのすけは手元にあったお盆を盾にし、それを防ぐ。

「アクションバリア!」

「ケホケホ……間接の口付けだって!? どういう事だ?」

「だって、白蓮ちゃんが飲んだおチャチャだぞ。白蓮ちゃんが口をつけた物を、オラが口をつけて飲む。ほら、間接だぞ」

 しんのすけの説明を聞いて、白蓮は考える。自分が口をつけて飲んだ茶器でしんのすけが飲む。確かによく考えてみれば、それは間接的に口を合わせていると言えなくもない。そこまで考え、白蓮はやや呆れた。
 よくもまぁそんな事をすぐ考えるなと思ったのだ。それを伝えると、しんのすけは頭に手を置いて嬉しそうに笑う。

「いや~、それほどでも~」

「誉めてない!」

「よっ! ナイスツッコミ!」

「嬉しくないっ!」

「さすが残念さん!」

「公・孫・賛っ!」

「……子供相手にムキになって恥ずかしくない?」

「お前、時々本気で心抉る事言うよな……」

 急に冷めたようなしんのすけの声に、白蓮は疲れた顔をして項垂れた。そんな風に過ぎる時間、だが、白蓮はしんのすけの対応を概ね好ましく思っていた。相手の立場などで態度を変える事もなく、誰に対しても素直で純粋。それは、礼儀などを重んじる儒教の教えからすれば問題がある。
 それでも、子供ならではと思えば納得も出来る。それに、天から来たしんのすけはある意味で天子と同じ。ならば、むしろ自分の方が下の扱いを受ける事になってもおかしくない。しかし、きっとそう伝えても、しんのすけはそんな事はしないと白蓮は確信していた。

(きっとこいつはどうなっても変わらないはずだ。もしくは、権力を持ったとしても、それを振りかざしたりは絶対しない)

 しんのすけの性格は、この数日間で白蓮も理解していた。お世辞にも真面目とは言えない部分もあるが、真っ直ぐで素直で優しい心の持ち主だと。変なところは大人じみた知識を持っていたりするが、それも愛嬌と思えば不思議と笑えるのだから。
 いつでもどこでも全力で事に当たる。仕事からは逃げたがるが、それが美人や遊び関係なら尚の事力を注ぐ。そんなしんのすけだからこそ、星達も全力で助けようと思えるのだろう。そう考えて、白蓮は密かに苦笑した。自分も同じだと気付いたのだ。

(あ~あ、いつの間にか私もこいつに感化されたのか。まぁ、いいさ。しんのすけなら、きっと誰にでも影響を与えるだろうし……)

 そう思って、白蓮は顔を上げると声を出して笑った。そこには、項垂れた白蓮を励まそうと、シロを頭に乗せてフラダンスをするしんのすけの姿があった……



 星も加えた昼食を終え、白蓮は残りの竹簡を片付けようと執務室で意気込んでいた。しんのすけは白蓮が片付けた竹簡を少しずつではあるが、文官達のいる部屋へ運び出している。精々五つが限度だが、それを何度も繰り返して運んでいる様は、少し微笑ましいものがある。
 シロはそんなしんのすけを邪魔しないようにと、白蓮の足元で大人しくしていた。白蓮はそんなシロにも笑みを浮かべて、優しく一撫ですると仕事を再開し始める。

「う~……兵数の増加方法と錬度の上昇方法かぁ」

 今は軍事面の提案竹簡を見ている白蓮。武術大会を定期的に開き、それを使ってとある。悪くはないのだが、早々何度も出来る事ではないのだ。大会を開く場所は城の訓練場を使えばいい。だが、出場者が優勝した場合に出す褒美などが問題だった。
 星は仕官目的だったので良かったが、もしこれが他の者達ならばどうなっていたか分からない。賞金だけを受け取り、立ち去られては白蓮としては痛手にしかならないのだ。それに、兵達の中から見込みのある者を出場させるのも、少々問題がある。

「これ……結局全体の底上げにならないよなぁ」

 一部はそれで鍛えられるだろう。だが、一部では駄目なのだ。軍は組織。いくら優秀な者が率いるとはいえ、基本は全体で動く。その全体をどうにかしなければいけないのに、一部だけしか対象にならないのでは意味がないのだ。

(星の部隊が一番錬度が高いのは、星の実力が高いからだ。その厳しさと強さに兵達が心酔し、鍛えられている。優秀な将がもっと居ればなぁ。せめて後一人……いや二人か)

 そんな風にない物強請りを考えてしまう白蓮。兵の数も問題だが、将の少なさも問題の一つだったのだ。近隣の袁紹は顔良と文醜という懐刀がいる。白蓮は、自分にもそんな人物が欲しいと思っているのだから。
 だが、現状ではそう言えるのは誰もいない。星は確かに名将だろうが、自分の家臣ではない。おそらくだが、星はしんのすけをどこかで主にも近い感覚で見ている気がするのだ。少なくても白蓮はそう感じている。

「……何か良い方法ないかなぁ」

「ほ~ほ~。お悩みですな」

 白蓮がそんな事を考えながら、呟いた言葉。それにしんのすけが机から顔を半分だけ出して、口を開いた。その眉毛をぴくぴくと動かしながら。

「お前に何か良い方法があるのか?」

「ないよ」

 淡い期待を込めた言葉にしんのすけはあっさり答えた。それに白蓮はがくっと椅子から落ちそうになった。その答えを予想しなかった訳ではないが、どこか期待していたのも事実。しかし、それをさらりと砕かれればそうもなるというものだ。
 そんな風に思い、ため息を吐く白蓮を見てしんのすけはこう言った。でも、誰かにはあるかもしれないぞ、と。それに白蓮が視線を上げる。

「どういう事だ?」

「みんなに聞いてみればいいんだぞ。何かいいホーホーないかって」

「……あのな、城の中の者達にもないからこうして……」

「街の人達は?」

「いや、民達に……ん?」

 そんなしんのすけの言葉に白蓮は反論しようとして、ふと考えた。自分はただの子供であるしんのすけの言動から、気付いたり考えたりする事がある。つまり、どんな者の意見であれ無駄ではない。そこから何か良い案や発想が生まれたり、思いつく事もあるかもしれない。
 そんな風に結論が出て来たのだ。しんのすけの言う事も一理あるかもしれない。かえって何も知らない方が奇抜な考えが生まれたりする可能性もあると。

「……そうか。何も政治や軍の事を知っている必要はないんだ。固定概念の無い者の方が、案外良い案を思いつくかもしれない」

「え? こってりがいいね?」

「よし、なら早速意見を集めてみるか。いっそこの際、何でもいいから意見を出させてみるのもいいかもな」

 しんのすけの疑問に気付かず、白蓮は一人盛り上がっている。それにしんのすけは無視されたと思い、少し膨れた顔をするが、そこへ白蓮が上機嫌で告げた。

「しんのすけ、お前は本当に大した奴だよ。いや、私もまだまだだなぁ」

 そんな風に白蓮が嬉しそうなのを見て、まぁいいかと思ってしんのすけも普段の顔に戻る。

―――白蓮ちゃん、何かいい事あったのかな?

―――キャンキャン。

 足元で自分を見つめるシロへそう問いかけ、しんのすけは不思議そうに視線を白蓮へ戻す。そこでは、笑顔でお茶を飲む白蓮がいる。それを見て、しんのすけは自分もお茶が欲しいと言って、茶器を手に取ろうとする。
 それを白蓮が笑みをみせながら手渡し、それを受け取りしんのすけは礼を述べる。そんな他愛もないやり取りが何故か愛おしく思え、白蓮は小さく呟く。こんな時間がずっと続けばいいのにな、と。

 そんな中、激しかった雨はもうその勢いを弱めているのだった……



 その頃、白蓮のいる城目指して幽州の地を歩く三人組がいた。彼らはこの乱世を憂い、か弱き民達を救わんと立ち上がった者達だ。しかし、既に世相は変化していて、三人だけではもう手の施しようがない情勢となってしまった。
 そのため、幽州の太守をしている白蓮を頼り、もっと力をつけようとしていたのだ。そう、彼らは後に大陸に名を轟かせる事になる”桃園の三姉妹”なのだ。

「桃香お姉ちゃん、本当に大丈夫?」

「うん。白蓮ちゃんは同じ先生の所で学んだ仲だもん。きっと力になってくれるよ」

「それならいいのですが……些か不安もあります」

 桃香と呼ばれた女性は、黒髪の女性が告げた不安との部分に不思議そうな表情を返す。

「不安って?」

「いえ、私と鈴々を受け入れてくれるでしょうか? 桃香様はともかく、私達は迷惑では……」

「う~……難しいのだ~。桃香お姉ちゃんはいいとしても、鈴々達は他人だし……」

 鈴々と名乗った少女はその言葉と共に肩を落とす。黒髪の女性も同じように感じているのか困り顔だ。しかし、桃香はそんな二人に笑顔で言い切った。心配しらないと。白蓮の性格は良く知っているし、自分の義姉妹なのだから決して悪いようにしないはずと。
 そこまで言い切って、桃香は力強く視線を空に向ける。そこには、未だ曇天が広がっていた。だが、所々切れ間があり、そこからは太陽の光が差し込んでいる。

「それに……あの予言の通り、どこかに天の御遣い様が現れてるかもしれないし、それを捜す事もしないとね」

「あの信憑性に欠けるものですか?」

「でも、あれが本当なら嬉しいのだ。御遣いを見つけて、平和にしてくださいって言えばいいのだ~」

 鈴々はそう言って笑顔を見せる。そんな簡単にはいかないとどこかで分かってはいる。でも、そうであったらいいなと思っている。そんな気持ちが見ている者にも分かるような笑みだ。故に、桃香も黒髪の女性もそれに笑みを返す。
 三人は揃って大陸の平和を願っている。だから、あの予言をどこかで信じているのだ。特に、桃香は強くそれを信じている。力のない自分だが、平和を願う想いだけなら誰にも負けない自信があるのだから。

―――うん。きっとそうしてくれるよ。天の御遣い様がいるのなら、絶対に!

 そう桃香は笑みと共に締め括る。それを聞き、二人もその言葉から何か感じ取ったのか苦笑し、頷いた。その言葉を信じると。その表情は心からの信頼を浮かべていた……

止まない雨はないし、明けない夜もない。そう、誰かが言った。
ならば、乱世が雨ならば、晴れるのを待てばいいのか? 乱世が夜ならば、明けるのを待てばいいのか?
否、そうではない。待つのではなく、行動を起こす事や自分達の想いが必要なのだ。
そう強く信じる者達、それがこの世界を動かしていく。

しんのすけを呼んだように……




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幕間。白蓮メイン。そして、もうあの三人の登場です。黄巾の乱へ突入するためには、この三人との出会いは欠かせませんから。

……何となく美髪公は白蓮と同じでしんのすけに翻弄される気がする……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第七話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/15 18:49
「客が来ている?」

 いつものように中庭で執務を始めようとした白蓮だったが、そこへ兵が現れそう告げた。

「はっ、公孫賛様に会いたいと申している者が来ております。名を劉備と……」

「劉備? ……ああっ! 桃香か!」

 最初は名を聞いても分からない顔をした白蓮だったが、思い出したのか大きな声を出して立ち上がった。どうも真名で呼び合っていたせいで、名を忘れていたようだ。その声を聞いて、庭の草むしりを始めていたしんのすけが顔を上げた。
 その表情は疑問符を浮かべている。シロは白蓮の突然の大声に驚いたのか、耳を前足で押さえていた。

「え? ほうか? どこに火をつけるの?」

「違う。桃香だ。あ、でも真名だから気軽に口に出すなよ」

「ほ~ほ~。でも、オラ思うんだけどさ」

 白蓮の説明に頷くしんのすけ。だが、その言葉から何かを感じたのかやや不満そうな表情を浮かべる。それに白蓮も気付き、どうしたのだろうと疑問を抱いた。なので、視線で続きを促す。するとしんのすけは……

「真名ってお大事なんだから、知らない人が聞いてもいいようにして欲しいぞ。今から言うのは真名ですって」

「……あ~、確かにそうだよな。知らない人間からすれば、それが名なのか真名なのかは判別付かない時もあるよなぁ」

 しんのすけの指摘ももっともだと思い、白蓮は苦笑。いかに自分達が常識というものに囚われているのかを悟ったのだ。真名の事を知っていて当たり前。聞けば真名か名かを判断出来る。それが少し違う国の者達には通用しない。
 なら、そういう時の事を考えておく必要もある。特にしんのすけ相手には。彼は素直だ。ならば、もしかすると聞いた真名を普通に呼ぶ事もあるかもしれない。そうなった時、しんのすけが困る事になるのだ。きっとしんのすけもどこかで気をつけてはいるだろうが、ついうっかりをする可能性はない訳ではないのだから。

 そう考え、白蓮は待たせている旧友と会うために動き出す。しんのすけへそこで大人しく仕事を続けてくれと言い残して。それを見送るしんのすけ。だが、白蓮が見えなくなったところで、来客を伝えに来た兵士へ視線を向ける。
 そして、それに気付いて兵士が不思議そうな顔をした瞬間、その傍に近付き尋ねた。相手はどんな人だったかと。それに兵士が、見目麗しい女性で、と言った時にはしんのすけはそこからいなくなっていた。シロはそんなしんのすけの反応に項垂れ、兵士は消えたしんのすけに驚き、周囲を軽く捜し始めるのだった……



(ほっほ~い、また美人のおねいさんが来たぞ~)

 しんのすけは感覚的に、この世界で出会う女性は基本美人だと理解し始めていた。その理由の根底には、あのキッカケの男性が言った綺麗なお姉さんに会わせてやるとの言葉がある。ともあれ、しんのすけは白蓮が向かった応接室へと向かっていた。
 だが、その部屋の近くでその歩みを止める。何となくだが、走っては気付かれてしまうと思ったのだ。白蓮は仕事を続けろと言っていたし、本当ならこうしているのはいけないと分かっている。だが、それだけではない何かをしんのすけは感じていた。

(なんだろ? 白蓮ちゃんとお客さんだけじゃないぞ……まだ誰かいるみたいだ。お客さん、一人じゃないのかな?)

 静かに歩きながら、しんのすけは室内から聞こえる声にそう判断した。聞こえてくる優しそうな声と凛々しい声。そして、どこか幼い感じを残した声。それはしんのすけが知らないものだったからだ。
 その声を聞いてしんのすけが思うのは、可愛い声と凛々しい声はお姉さんだと感じ、幼さを残した声は自分と同じぐらいと感じた事。ここに来て初めて同年齢の友人が出来るのかと、しんのすけはどこか嬉しく思いながら部屋に近付いていく。すると、急に足が地面から離れた。

「お? オラ、宙に浮いてる。ついにエスパーになったのかぁ……」

「えすぱぁ? 何だ、それは?」

 そんなしんのすけの言葉に疑問符を浮かべる星。そう、しんのすけの襟首を掴んで、星が持ち上げていたのだ。その声にしんのすけが視線を後ろへ向け、軽く片手を上げて挨拶。それに星は苦笑し、驚かない事を指摘する。
 これぐらいじゃ自分は驚かないとしんのすけ。それに星は軽い感嘆の声を返し、ならばと手にしたしんのすけを掴んだまま部屋の扉を開ける。そこには、白蓮とその手を握って喜ぶ女性の姿と、その傍に控える黒髪の女性と赤髪の少女の姿があった。

 それら全ての視線が星に向き、すぐにその手に掴んだしんのすけへ移る。そして、白蓮以外の三人が首を傾げた。

「「「……子供?」」」

「何でしんのすけが……?」

「白蓮殿、客人が来ていると聞いて様子を見に来たのですが、しんのすけは呼ばれたのですかな?」

 星は白蓮が客人と接見していると聞きつけ、調練を自主訓練にして応接室に向かっていたのだ。無論、相手が誰かと気になったためだ。そして、その途中で静かに歩くしんのすけを見つけたという訳だ。
 その様子から大体の見当をつけた星だったが、念のためと確認も兼ねてしんのすけを確保して部屋へ入ったのだ。

「いや、呼んでないぞ。と言うか、星、しんのすけ、二人して仕事はどうしたんだ?」

 そんな星の言葉に白蓮はそう返し、やや呆れたようにしんのすけと星へ問いかける。それに星はあっさり、念のための護衛と答える。それに白蓮は訝しむような視線を向けるが、星が真剣な表情を返すので言っても無駄と思い諦めた。
 一方、しんのすけは少し困った顔を浮かべていた。何も言い訳が思いつかなかったからだ。だがそれでも、星と白蓮が話している間に言い訳を考えているのだから侮れない。そして、その頭に電球が浮かんだ。

「いやぁ~、シロがどうしても草むしりしたいって言うもんですから。オラの仕事だぞって言ったんだけど、お願いって……」

「言うか! シロは犬だろ!」

「まぁ、確かにシロならばやれそうではありますが」

「そうだなぁ……ってちが~う!」

 しんのすけの言い訳を一蹴する白蓮。だが、それを聞いた星がやや納得するように頷いて告げた内容に、白蓮も同意しそうになって否定する。そんな三人を見つめ、女性達はやや呆気に取られていた。
 太守である白蓮に平然と軽い口を聞けるしんのすけや星。それを気にもしていない白蓮。そんな少し普通ではない関係に。何よりもしんのすけが言った、どう考えても有り得ない言い訳を星が肯定してみせたのもある。兎にも角にも、自分達の中では有り得ない光景がそこにはあったのだ。

「……白蓮ちゃん、楽しそうだね~」

「いや、私には翻弄されているようにしか見えないのですが……」

「うにゃ~、あのちっちゃいの、時々何言ってるか分からないのだ」

 目の前で繰り広げられる光景を眺め、のほほんと笑う女性。それに黒髪の女性が軽く苦い表情で答える。そんな二人に赤髪の少女はやや難しい顔でしんのすけを見つめ、そう告げる。それに二人も意識を向けてしんのすけの言葉に耳を傾ける。

―――それで、どうしてここに来たんだ?

―――オラのおねいさんレーダーが反応したんだぞ。

―――れいだぁ? また天の言葉か。

―――しんのすけ、意味は何だ?

―――えっと……色んなものを見つける事が出来るキカイ……じゃなくてからくりだぞ。

 その話を聞いて、二人も頷いた。星や白蓮が尋ねたように、自分達もさっぱり分からなかったのだ。だが、そこまで考えて同時に二人は気付いた。しんのすけが言った聞き覚えのない言葉に対し、白蓮が告げた一言を。
 天の言葉。それが意味する事を悟り、二人は互いを見合わせる。そして、その視線で互いに同じ結論を出したと確信し、頷いて視線をしんのすけ達へ向けた。自分達がどこかで望んでいた天の御遣い。それが本当に、この目の前の少年なのか確かめるために。

「ね、白蓮ちゃん……」

「ん? あ、すまん。忘れてた訳じゃないんだが……」

「あ、違うの。それはいいんだ。それより、その子なんだけど」

 自分達を無視して話していた事を怒ったと思ったのだろうか。そう捉え、女性はやや慌てるように白蓮へ手を横に振った。それよりも自分には聞きたい事がある。そんな風に女性が思った事を白蓮も感じ取ったのだろう。
 やや不思議そうに視線を向けた。それに女性は少し真剣な眼差しで問いかけた。その子は天の御遣いなのか、と。それに星の表情が少し険しくなる。それを感じ取り、黒髪の女性と赤髪の少女も表情に険しさをみせる。

 微かな緊張感が生まれる室内。それを感じ、しんのすけは疑問符を浮かべた。何故こんな妙な空気になっているのだろうと。そう思って原因を尋ねようと自分を掴んでいる星へ視線を向けた。だが、星はいつもと違い、やや怖い顔をしていた。
 それは毎朝の鍛錬の時に見せるものに近いものがある。そう思ったしんのすけは、余計混乱した。星がそんな顔をする事などあったとは思えなかったからだ。

(あれ? 星お姉さん、ちょっと怒ってるぞ。オラ、何かいけない事言ったかな?)

 見当違いの事を考えるしんのすけ。そんな彼の前では、白蓮が女性の言葉に、どこか困った表情を浮かべながらも頷いている。そして、それに女性達三人が驚きを見せる。すると、三人の代表らしい女性が、その視線をしんのすけへ向けてこう頼んできた。

―――お願いです、御遣い様。どうか、この大陸に住む人達を助ける力を貸してください。私達だけじゃもう……守れないんですっ!

 それは心からの願い。しんのすけでさえその真剣さに思わず黙ってしまった程の、強い想い。全てを頼るのではなく、その力を貸して欲しいと協力を願い出るのは、全てを任せるのは恐れ多いと思っているのか。或いは自分達で出来る事はやりたいと考えているからなのか。
 どちらにせよ、その言葉に星から険しさが消えた。理解したのだ。目の前の相手はしんのすけを利用しようなどと考えていないのを。ただ、その存在が不思議な力でも持っていると勘違いしている。だが、その言葉に込められた想いの強さに星は感心していた。

(自分達が弱いと理解して尚、それでも人々のために立ち上がるか。しんのすけと同じなのかもしれんな、この方は)

 星が抱いた感想をしんのすけも抱いていた。女性の目の輝き。それがどこか泣いているように見えたのだ。この世界をどうにかしたい。でも、自分にはそんな力がない。それでも何とかしたい。そんな言葉が聞こえてくるような気がするぐらいに。
 だからだろう。しんのすけは自分の事実を話す事にした。それは、決して自分には大きな力がない事。ただ別の場所からやってきただけ。そうしんのすけは話した。それに女性は言葉を失うが、白蓮も星もそれを肯定した事を受け、呆然と崩れ落ちた。

 冷静に考えれば、しんのすけがただの子供だと思いそうなものだ。だが、それでも女性は万が一に賭けた。天の人間ならば自分達の常識が通用しないかもしれないと。そうどこかで自分を無理矢理に納得させたのだ。
 しかし、現実は残酷だった。女性の期待は粉々に打ち砕かれた。天の御遣いはただの子供。とてもではないが乱世を止める力などない。そう本人が告げたのだから。しんのすけは、そんな事を思い知り沈黙する女性を励ましたくて、何とか方法を考える。

 そして、思いついたのは単純なもの。それには、まず自由に動けるようにならないといけない。そう思い、するりと上着を脱いで星から脱出するしんのすけ。その行動に全員の視線が向く。
 だが、それに構わず、しんのすけは呆然と自分を見つめる女性の前まで歩き、こう問いかけた。

「お姉さんは一人?」

「え? ……ううん」

「なら、オラと同じだぞ。オラもみんなをお助けしたいって言ったんだ。そうしたら、星お姉さん達や白蓮ちゃんがお助けしてくれるって言ってくれたよ。お姉さんもみんなをお助けしたいなら、オラとおんなじだぞ。だから、一緒にがんばろ?」

 しんのすけの言葉に女性はハッとして、後ろを振り向く。そこには、義姉妹となった二人の義妹の姿がある。その表情は共に笑み。しんのすけの言葉に同意しているのだ。もう既に貴方にも自分達がいる。そんな風に聞こえるような笑み。
 それを見て女性は嬉しく思い、頷き返す。そして、視線を再びしんのすけへ戻した。その表情が明るくなったのを見て、しんのすけも笑みを浮かべた。

「ありがとう、御遣い様。そうですね……私は一人じゃなかったんだ……うん、おかげで元気が出てきました」

「それは何よりですな~。あ、それと……」

 女性の言葉にうむうむと頷くしんのすけ。だが、何かを思い出したのか女性の目をしっかり見つめ、こう告げた。

―――オラもお元気なくなったら、励まして欲しいぞ。

 それに女性は一瞬言葉を失うも、すぐに嬉しそうに頷いた。無垢な言葉。そこには何の思惑もない。純粋に頼りにしたいという気持ち。それを感じ取って、女性は告げる。その時は任せてください。そう笑顔で告げて。

 それにしんのすけが頷こうとする。だが、その瞬間くしゃみをした。それに星が手にした上着の事を思い出し、しんのすけへ渡す。それを着直し、しんのすけは息を吐く。風邪を引くかと思った。そうため息混じりで告げながら。それに星は、自分が上着を脱ぐからだと返すと、そうしないと動けなかったとしんのすけが返す。
 それに白蓮が苦笑混じりに、元々は自分が原因だろうと返し、それに女性達も苦笑した。星が相変わらず責任転嫁をすると告げると、しんのすけはそれに胸を張った。

「それほどでもないぞ」

「「「「「威張る事じゃない(ですよ)(ではないかと)(なのだ)」」」」」

「お~、見事なタモリですな~」

「「「「「たもり?」」」」」

 しんのすけの言う言葉に五人が揃って同じ反応を返す。それにしんのすけが感心して告げた言葉に、再び五人の声が重なる。そこにきて五人もそれがおかしく思えたのだろう。誰ともなくクスクスと笑い声を漏らしだした。
 それを聞いてしんのすけがあのにやけた笑いを上げて、余計に五人の笑い声が大きくなる。何だその笑いはと星が言えば、白蓮が不気味だぞと告げる。女性は不思議な笑い声だねと楽しそうに、黒髪の女性は天の者はこう笑うのでしょうかと苦笑する。赤髪の少女はしんのすけの顔を見て面白いと言って指を指していた。

 そんな中、しんのすけがある事を思い出した。そう、三人の名前を聞いていないという事を。なので笑うのを止めて、視線を初めて会う三人へ向けた。

「ね、お姉さん達のお名前は? オラ、野原しんのすけ五歳」

「あ、そういえばまだ名乗ってなかったや。私は劉備。字は玄徳です」

「私は関羽。字は雲長と申します」

「鈴々は張飛。字は翼徳なのだ~」

 その名前に頷くしんのすけ。劉備と関羽が丁寧な言葉遣いなのは、しんのすけを天の御遣いとして扱っているからだろう。張飛はそんな事はお構いなしで喋っているようだが。
 そんな三人へ、ならばと星も名前を告げる。そして、視線を関羽と張飛へ向け、どこか嬉しそうに笑みを見せる。それに二人も同じような笑みを返した。

「中々出来るようだな、二人共」

「そういう趙雲殿もな」

「うにゃ~、強そうなのだ」

 そんな風に武人三人が話してるのを見て、しんのすけは劉備へ尋ねる。二人は、特に張飛は自分とあまり変わらないようなのに強いのかと。それに劉備は笑顔で肯定した。自分では手も足も出ない程強いのだと、嬉しそうに答えて。
 それにしんのすけは頷くも、劉備の話し方に違和感を抱いた。そう、敬語なのだ。その理由を尋ねると、劉備は不思議そうに尋ね返す。天の御遣いだから敬語を使うのは当然だからと。その言葉にしんのすけはやや嫌そうな顔をした。

「え~、オラ子供だし、お姉さんの方が大人だから普通に喋って欲しいぞ」

「で、でも……天の御遣い様だし……」

「桃香、気にするな。しんのすけはそんな事意識してないんだよ。普通の子供と同じように接してやった方がいい。本人もそれを望んでるんだ」

 白蓮が困惑する劉備へそう苦笑混じりで告げる。それにしんのすけも元気良く頷いて、劉備を見る。それに劉備も観念したのか、小さく息を吐いてしんのすけを見つめる。

「じゃ……しんちゃん、って呼んでいい?」

「おおっ! ならオラは、りゅうちゃんって呼んでい~い?」

「りゅうちゃん?」

 しんのすけの呼び方に疑問符を浮かべる劉備。だが、白蓮はその理由を悟り、笑って答えた。しんのすけには自分達の名前は難しく、覚えにくい。だから、簡単に呼べる呼び方にしたいんだろう。そう告げたのだ。
 それに劉備も納得。そこへ更にと、話を聞いていた星がしんのすけには真名がない事を告げる。それに劉備達は驚き、しんのすけを見つめる。その視線がそれの真偽を問いかけていると感じたしんのすけは、あっさりと頷いてみせる。

 それに驚きを隠せない劉備達。そんな三人へしんのすけは気軽に名前を呼んで欲しいと告げた。特に同い年に見える張飛には。

「分かったのだ。なら、しんのすけって呼ぶのだ」

「分かったぞ。じゃ、オラは……お名前何だっけ?」

 しんのすけの言葉に体勢を崩す張飛。だがすぐに建て直し、やや怒るように両手を上げて告げた。

「鈴々は、張飛なのだ~!」

「ちょうひ? ……覚えにくいや。なのちゃんでもいい?」

「にゃ? なのちゃん、なのだ?」

 理解しかねるといった雰囲気の張飛。それにしんのすけは語尾に”なのだ”とつけるからだと説明。それに張飛はやや考え込んだが、星が毎回名前を名乗るか、変な呼び名を付けられるはめになるかもしれないと言うと、仕方ないと許可を出した。
 最後は関羽となり、自分はかんちゃんだろうかと、そんな風に考え、どこか苦笑気味だ。そんな関羽へしんのすけは視線を向け、その名を呼んだ。

「で、かんうお姉さんだね」

「ああ、それでも……は?」

「お? だから、かんうお姉さんでいいよね?」

「あ、ああ……」

 予想に反して普通に名を呼ばれ、安堵したようなどこか肩透かしを喰らったような複雑な心境の関羽だった。そう、劉備や張飛はあまり日本では馴染みのない響き。だが、関羽はそこまで難しい響きではなかった事に加え、他二人と違い大人らしい雰囲気が強い事もあり、しんのすけは名前をちゃんと覚えようとした。ちゃんと呼ばないと怒りそうだと感じ取ったのだろう。
 一方、劉備と張飛は、関羽だけきちんと名前を呼ばれた事に色々と文句を言い出す始末。だが、その矛先がしんのすけではなく関羽なのは、やはり子供よりも大人の方が言い易いのだろうか。

 やや困り顔で二人の相手をする関羽。それを眺め、星と白蓮はちらりと視線を足元のしんのすけへ向ける。しんのすけは三人を見つめ、ニヤニヤと笑っていたのだ。そこから二人はしんのすけが関羽の名前をちゃんと呼んだ理由を勘違いした。

(しんのすけめ、敢えて関羽殿の名を覚えたか。ふむ、確かにからかい甲斐がありそうな相手だ)

(こいつ、桃香達を揉めさせて楽しんでるのか? ……いい趣味してるよ)

(あは~、りゅうちゃん、そんなに動いたらスカートの中見えちゃうぞ。おおっ、かんうおねいさんのも見えそう……)

 だが、しんのすけがにやけているのは、ただ劉備と関羽の下着が見えそうだったからだ。そんな事とは知らず、しんのすけの目の前で劉備達の言い争いは続くのだった……



 その後、劉備達はしばらく白蓮の下で働く事となる。このすぐ後、関羽と星は手合わせをし、互角以上に渡り合う実力者と分かった。しかも、その関羽が張飛も自分と同等程度の実力があると告げたため、二人は将として軍事関係を担当し、星と関羽達は互いを認め合った証として真名を預け合った。
 劉備は白蓮の補佐をする事となる。だが、現役で太守の仕事をしていた白蓮と違い、劉備は頭を使う事から離れていたため、勘を取り戻すのに時間がある程度必要だった。そのため、結局白蓮の仕事が若干増える事になったのは言うまでもない。

 そんな三人のしんのすけに対する第一印象は、変な子供の天の御遣い。しんのすけはそんな事を知らず、相も変わらず庭仕事を中心に働く。だが、それでも三人との関係をゆっくりとだが改善していく。そう、何気ない日常での関りの中で。

 星との早朝鍛錬を知って、関羽が試しにと参加しその驚異的な回避能力に言葉を失ったり、その根底にある芯の強さを何度もめげずに立ち上がるところから感じた。
 張飛とは背丈が近い事もあり、遊び相手になった。最初は嫌がっていた感があったなのちゃんとの呼び方も、気がつけば平然と受け入れるようになるぐらいには。
 そして、劉備には白蓮と同じくちゃん付けの理由を聞かれ、こちらには”しんちゃん”と呼ぶからだと答えた。そこには、風との思い出が関係しているのだが、それをしんのすけは言うつもりもないし、劉備がそれに気付くはずもない。ただ、劉備は自分がしんちゃんと呼ぶ度に、しんのすけがどこか懐かしそうにするのには気付いた。それでも、それを尋ねる事はしなかったが。

ゆるゆると流れる時間。その中で、確かにまた絆が結ばれようとしていた……




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桃園の三姉妹との出会い編。また幕間を挟んで、ついに黄巾の乱へと向かっていきます。

ちらほらとひろしやみさえの登場を待っている方達がいるようですが、自分としてはちょっと考えてなかったりします。

いや、登場はさせます。でも、きっとそれは皆さんが望む形ではないと思いますので……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 幕間 鈴々編
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/17 06:18
「しんのすけ~」

「お、なのちゃんだ」

「キャン」

 いつものようにしんのすけが庭仕事をしていると、元気な声が聞こえてくる。張飛の声だ。ちなみに、劉備達が来てから白蓮は仕事場を執務室へ戻した。劉備の面倒を見るため、しんのすけにまで注意を向ける事が出来なくなった事と、庭に劉備がいるとしんのすけが作業そっちのけでちょっかいを出すからだ。

 しんのすけが視線を声の方へ向けると、そこには蛇矛を振り回しながら歩いてくる張飛の姿があった。
 それにしんのすけも手を振る事で応え、シロは声を何度も上げる事で応じる。それに張飛も嬉しそうに笑みを見せ、しんのすけの前へ到着。そして、蛇矛を地面に突き刺そうとして、何かを思い出してそれを留まった。

「お、今日は刺さないんだね?」

「ふふ~ん。もう鈴々はそんな事しないのだ」

 そう、しんのすけが庭仕事をしているため、張飛が地面に蛇矛を突き刺すと、後でその穴を塞ぐ事が増えてしまうのだ。それをしんのすけは張飛に言う事は無かったのだが、ある時それを知った関羽が張飛へ指摘したのだ。
 しんのすけは、その行いが悪気があってしている訳ではないと気付いている。だから気にしていなかった。それに、無邪気に遊べる相手の張飛には感謝もしているのだ。だが、関羽はこう思った。張飛と外見がそこまで違わないしんのすけ。それが他者の気持ちや心情を理解して動いていると。だから、心から感心したのだ。故に、義妹である張飛にこう告げた。

―――しんのすけは、中身だけならお前よりも大きい。

 それに張飛が理解出来なかったのを見て、関羽がならばと思い、いつものように張飛がしんのすけと遊んだ後、それを捕まえた。そして、見せたのだ。しんのすけが平然と蛇矛によって作られた穴を塞いでいるのを。
 それを見て、張飛は言葉が無かった。それにどうして文句を言ってこないのか。そんな風に張飛が考えたのを関羽も悟ったのだろう。小さく笑みを浮かべて告げた。

―――お前がわざとやっている訳ではないと知っているのだ。だから、文句はないのだろう。

―――鈴々は、しんのすけに迷惑をかけてるのか?

―――どうだろうな。意外とあっちは気にしていないやもしれん。

 その微笑みと共に告げられた言葉に、張飛は打ちのめされた。自分が逆ならば、絶対に文句を言っている。だが、しんのすけはそれをしない。それどころか、それを迷惑にも感じてないかもしれないのだ。
 そう思った時、張飛は理解した。何故関羽が中身だけなら自分よりも大きいと言ったのかを。その日以来、張飛はしんのすけを凄い奴だと思う事になったのだ。

「で、もう仕事は終わったのか?」

「ううん、まだだよ。でも、あと少しでここは終わるから、お昼に行けるぞ」

「分かったのだ。なら、鈴々も手伝うのだ。それなら早く終わるのだ」

「お~、さすがなのちゃん。じゃ、ついて来て」

「了解なのだ」

 しんのすけの後をついていく張飛。そして、手分けして草むしりを始める。しんのすけから、ちゃんと根から抜かないといけない事や土をなるべく落とす事を注意され、張飛はその理由を尋ねる。
 それにしんのすけは白蓮から言われた事をそのまま伝える。根が残るとすぐに生えてくる事。土を落とさないと、庭の土が少なくなってしまい、また補充しなければならなくなる事を。それに張飛も納得し、それに従って作業を再開する。

 残った箇所が少なかった事に加え、二人でした事もあり、始めて五分も経たずにその場所は終了した。そして、しんのすけは執務室へ向かい、白蓮達へ一応の区切りをつけた事を伝え、そのまま張飛と共に食堂へ歩き出す。

「お腹空いたね~」

「にゃ~、ほんとなのだ~」

「クゥ~ン」

 揃ってよろよろと歩くしんのすけ達。張飛としんのすけが仲良くなってからは、星は食事時を無理に合わせる事はしなくなった。調練が長引く事もあるし、何よりも同年代のような二人の方が色々と過ごし易いだろうと考えたのだ。
 関羽や劉備もそれは同じ。時間が合えば共にするが、決して無理に付き合おうとはしない。そう、張飛の調練は一番早く終わる。それは彼女がいい加減だからではない。むしろ、全力だからこそ早く終わるのだ。

 星や関羽は兵達の疲労や状態を見て、適度に休ませたり加減をする。だが、張飛はそれがない。気付かないのだ。自分が出来る事は相手も出来るようになる。そんな考えがどこかにあるのだ。
 故に、張飛の調練はいつも決まった終わりを迎える。兵達が疲れ果てて、もう無理となる事。それでも、徐々に体力がついているのだから、意外と侮れないものはあるのだが。

 とにかく、しんのすけ達は食堂に到着すると、いつものように食事を頼み、話し出す。話題はいつも決まって食べ終わった後の事。午後の仕事開始までの僅かな空き時間に何して遊ぶのか、またどこで遊ぶのかだ。既に張飛は、しんのすけから現代の遊びを少しではあるが教えてもらっている。
 ジャンケンにダルマさんが転んだなどの普通のものから、死体ごっこやアクション仮面ごっこなどの特殊なものまで。さすがに死体ごっこは何が楽しいのか分からなかったが、長時間身動きもしないしんのすけの忍耐力に、張飛は密かに感心したのはここだけの話。

「……じゃ、今日はあっち向いてホイやろ」

「にゃ? なんなのだ、それ」

 しんのすけの言った言葉に疑問符を浮かべる張飛。それにしんのすけが簡単な説明をしようとしたところで、二人の前に料理が運ばれてくる。それに意識が揃って向いて、その事は軽く忘れ去られた。
 凄まじい勢いで食べていく張飛。しんのすけはマイペースで食べていく。今日はラーメン。しんのすけは、最初その味が慣れ親しんだものでなかった事に驚いた。だが、本場の味はこうなのだろうと納得し、今ではそれに慣れていた。

 シロへ入っていたチャーシューを分けてやるしんのすけ。それを食べ、シロが嬉しそうな声を返す。それにしんのすけは頷いて、小さく尋ねる。

「おいしい?」

「キャン」

「そっか。でも、一枚だけね。後はオラのだから」

「ハフハフ……ん? シロもこれが好きなのか~?」

 しんのすけとシロの様子を眺め、張飛はそう問いかける。それにしんのすけではなく、シロが声を上げる事で答えた。すると、張飛は自分の分のチャーシューを一枚取り、シロへ差し出した。
 それにシロがいいのかというように小さく首を傾げる。それに張飛は笑って頷いた。まだ残っているし、美味しい物は皆で食べた方が楽しい。そう張飛が言うと、シロは嬉しそうに声を返し、それを口にした。しんのすけはそんなシロに良かったなぁと声を掛けている。

「なのちゃん、ありがと。シロ、すごく喜んでるぞ」

「にゃはは、それならいいのだ。シロは鈴々にとっても大切な仲間なのだ」

「お~っ、シロ聞いたか? なのちゃんがシロの事をお仲間って言ってくれたぞ」

 しんのすけがどこか嬉しそうにそう言うと、シロがそれに同じような声を返す。それを聞いて張飛も嬉しく思い、笑顔を浮かべる。こんな風にいつもしんのすけと張飛は仲良く過ごしていた……



 食事を終え、先程は忘れていたあっち向いてホイの事を話し出す張飛。それを聞いて、しんのすけは説明するよりやる方が早いとばかりにシロへ向き直り、ジャンケンを始めた。とはいえ、シロは犬のため出せるのはパーか精々グーだ。
 それを熟知しているしんのすけは延々パーを出す。やがてシロが空気を読みグーを出す。そして、その瞬間しんのすけが指をあっち向いての言葉と共にシロ向かって指し、ホイの声で動かした。

「おっ?」

「……避けたのだ」

 シロはしんのすけが指した方向とは違う方へ顔を動かした。それを見て張飛も大体のルールを理解したのだろう。自分もやると言って、しんのすけと対峙した。ジャンケンを開始する二人。しんのすけが勝利。と同時に緊張感が生まれる。故に……

「あっち向いて……」

「来いなのだ……」

「ホイ!」

「はっ!」

 しんのすけは右を、張飛は上を向いていた。そのまま少し停止する二人。そして、ゆっくりと元の状態へ戻っていく。

「……どうだ、なのだ!」

「……やるね」

「さ、次なのだ」

「ほ~い。ジャ~ンケ~ン」

「「ポン」」

 次もしんのすけが勝利。若干張飛に悔しさが見えるが、それでもまだまだと思い、身構える。再び張り詰める互いの空気。そして……

「あっち向いてホイ!」

「にゃっ!?」

 しんのすけは再び右を、張飛は間合いをずらされ、反射的にそれと同じように動いてしまった。そして、また停止する二人。だが、浮かぶ表情は正反対だ。ニヤニヤと勝ち誇るしんのすけ。拳を握って悔しさを前面に押し出す張飛。
 だが、それで張飛の負けず嫌いが発動した。もう一丁と力強く告げ、それにしんのすけも受けて立った。こうして、二人はそのまま時間も忘れて遊び続ける。張飛のフェイントに、しんのすけが驚異的な反応速度で対処すれば、しんのすけの間を外す動きに、張飛が直感で対抗する。

「ホイ!」

「ホイ、なのだ!」

「ホイっ!」

「にゃ~……ホイなのだ!」

 シロは最初こそそんな二人の熱戦を眺めていたのだが、次第に退屈したのかその場に伏せ、最終的には眠り出した。それに気付かず、二人はひたすらあっち向いてホイに興じるのだった。午後の仕事の事を完全に忘れて……



 日も暮れ、辺りを夕闇が包みだす。そんな中、中庭には肩で息をするしんのすけと張飛の姿があった。激戦を繰り広げたかのような表情で、二人は互いを見つめている。シロはそんな二人に見切りをつけたのか、ゆっくりとアクビをしながら、中庭から執務室へ続く廊下向かって歩き出していた。
 それに構わず、二人はゆっくりと手を上げる。それは互いにグーの形をしていた。だが、そこでしんのすけが噛み締めるように張飛へ告げる。

「これで最後だそ……」

「分かったのだ……」

 夕日を背景に、無言で頷き合う二人。その表情はかなり真剣だ。

「「さ~いしょ~は……」」

 互いの手がゆっくりと揺れる。リズムを取りながら、相手の出す手を予想し合う。視線は相手の目をしっかりと見つめ、些細な事も見逃さないようにしている。

「「ぐー……」」

 手や額だけでなく、背中にも汗がじっとりと滲む。その嫌な感触を振り払うように、互いが一度だけ反対の手で額を拭う。この一回に全てが掛かっている。そんな想いを込め、二人は揺らしていた手を止めた。
 静寂が訪れる。だが、それは嵐の前の静けさに過ぎない。ここからだ。そんな風に思い、どちらともなく唾を飲む。果てしなく長いようで短い間が流れる。そして、互いの視線が交差した瞬間―――っ!

「ジャン!」

「けん!」

 一度だけ後ろ手にし、電光石火のようにそれを動かした。

「「ポンっ!」」

 そして次の瞬間、両者に電流走る。互いの手は同じ形。つまり、あいこだったのだ。それにある種の安堵と疲れの息を吐き、再び二人に緊張が戻る。
 そして、ゆっくりと語り合う。そう、悟ったのだ。このままではジャンケンだけで互いが疲れ果ててしまうと。だから、張飛がある提案を持ちかけた。

―――このままではジリジリと消耗するだけなのだ。

―――ならどうするの?

―――最初、しんのすけがホイする方だったから、最後は鈴々がホイするのだ。

―――いいぞ。向かせたらなのちゃんの勝ち。避けたらオラの勝ちね?

―――そうなのだ。

 この間、視線と表情で二人は互いの気持ちを感じ合った。そして頷き合い、張飛が攻撃になり、しんのすけが回避となった。
 再び高まる緊張感。張飛はしんのすけへ向ける指へ全神経を集中させ、しんのすけはその動きを凌駕してみせるとばかりに、全ての力をその動体視力に注ぐ。高まる緊迫感とは正反対に静まり返る中庭。ただ静寂だけがそこを支配している。聞こえるのは、互いの呼吸音のみ。

 そして、遂に決着の刻は来た。張飛の指が動く。それにしんのすけも反応し、その首を動かした。何故かその時の顔は劇画調になっていたが。張飛が指し示したのは廊下の方向。つまり横。そう読んだしんのすけは顔を上へ向ける。一方で張飛は、しんのすけが自分の指差した方向とは違う方へ顔を向けようとしている事に気付いた。
 だが、もうそれを直す事は出来ない。ここに来て反則負けだけはしたくない。その思いが張飛の指を変えさせなかった。どうせ負けるのなら潔く。武将である彼女も、幼く見える外見であっても心はまさに武人だったのだ。

 だが、そこに思わぬ事が起きる。シロを抱き抱えて劉備がそこへ姿を見せたのだ。シロがどこか寂しそうに見えたため、しんのすけの様子を見に来たという訳だった。そして、彼女が廊下から中庭に足を踏み入れた時だ。
 突風が中庭に吹いた。それが劉備のスカートをめくり上げる。それを視界の隅で捉えたしんのすけは本能のままにそちらへ顔を動かした。視線だけでは見えないと判断したのだろう。

「キャッ!」

(あは~……って、シロが邪魔で見えないぞぉぉぉぉ!)

 そう、劉備は咄嗟にシロを下へ動かした。それに応えるようにシロがスカートを押さえ、尚且つしんのすけの視界を塞いだのだ。その衝撃に崩れ落ち、心の中で叫ぶしんのすけ。だが、そんな事には構わず、一人喜ぶ者がいた。

「あ~っ! 向いたのだ~っ!!」

 張飛は、しんのすけが崩れ落ちたのは自分に負けたためと勘違いしていた。だから、嬉しそうにしていたのは最初だけ。すぐに崩れ落ちたしんのすけへ近付いた。そして、その肩に手を置いて告げたのだ。この激戦を戦い抜いた相手に、敬意を伝えるために。

―――しんのすけ、お前はよく頑張ったのだ。鈴々をここまで追い詰めるとは思わなかったのだ。

―――……それほどでも。

 いつもの返しにもやはりキレがない。そう感じた張飛は、何とかしてしんのすけに元気になってもらおうと思った。同時に、どうしたら自分がしんのすけを認めたかを分かってもらえるかと考えた。
 そして、出た結論は至ってシンプルだ。そう、この世界で信頼する事や認めたという事を理解させる一番の方法は、一つなのだから。

「しんのすけ、今から鈴々の事を鈴々って呼んでいいのだ」

「……え?」

「今日の対決は面白かったのだ。最後は鈴々が勝ったけど、しんのすけが勝ってもおかしくなかったし……だから、真名を預けるのだ」

 そう言って鈴々は笑顔を見せる。それにしんのすけは、自分と相手にあった最後の壁が今日の事で無くなったのだと感じ取った。だから、立ち上がって鈴々へ手を差し出す。それに軽く首を傾げる鈴々。

―――なら、これでオラと鈴々ちゃんはしんゆーだぞ。

―――……うんっ!

 しんのすけの言葉に一瞬驚く鈴々だったが、すぐに満面の笑みを浮かべてその手を握る。そんな二人を眺め、劉備は不思議そうに首を傾げるが、その光景に心温まるものを感じたのか、優しく笑みを見せた。
 そして、シロへ小さく先程の礼を告げて、その耳元に笑顔で呟く。

―――しんちゃんと鈴々ちゃん、これでもっと仲良くなったね。

―――キャン。

 その声に合わせ、シロも返事を小さめに返す。その賢さに微笑み、劉備は視線を戻して苦笑した。そこでは、しんのすけと鈴々が揃って疲れから座り込んでいたのだ。しかも、互いの背を合わせるように。
 その後、二人は白蓮と関羽からお説教を受ける。しんのすけは、庭仕事を全て終わらせる事が出来なかった事を白蓮から。鈴々は、午後の調練を完全に忘れていた事を関羽からだ。だが、怒られて項垂れながらも、二人は横目を向けて密かに笑みを浮かべ合うのだった……




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幕間。鈴々メイン。この三人の話は、大抵真名関係になるのは仕方ないと諦めてください。

今回は自分としてはかなりギャグ色を強めてみましたが……いかがでしたでしょうか?



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 幕間 桃香編
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/19 07:17
 劉備の朝は早い―――ようで遅い。

「う~……えへへ、もう無理だよ~」

 そう言って劉備は寝台で寝返りを打つ。その口元からはだらしなく涎が流れている。どうやら何か食べている夢でも見ているようだ。そんな劉備の部屋へ、静かに侵入してくる者がいる。普段ならば、関羽が彼女を起こしに来るのだが、今日は彼女が星と手合わせを始めてしまったので、代わりの者が任命されたのだ。
 とはいえ、それはその者が勝手に立候補したに過ぎない。よって、関羽はこの事を知らないのだ。そう、夢にも思わないだろう。義姉の部屋に彼が侵入しているなどと。

「りゅうちゃん、朝だぞ……」

「うん、もう少し……」

「ほ~ほ~……じゃ、もう少しね」

 劉備の寝言に頷くしんのすけ。そして、心の中で十秒数える。

「……りゅうちゃん、少し経ったよ」

「む~……もうちょっと」

「んもぅ、しょうがないなぁ」

 やれやれと首を振って、しんのすけは寝台を登り劉備の横へと座る。そして、頬を突き出す。それに劉備が少し嫌そうな反応を返すのを見て、しんのすけは一人頷き、再び突き出す。そんな事を続けても劉備が起きないので、しんのすけは仕方ないと思い、起きない事をいい事にある事を試そうとにやりと笑った。

 そして、しんのすけが何かごそごそと動き出した音を聞いて、やっと劉備が目を覚ました。ゆっくりと目を開ける劉備。微かに聞こえる音に不思議そうな表情を浮かべながら、目を擦り静かに体を起こす。
 そして、視線を周囲へ向けるとそこにはしんのすけがいた。いたのだが、劉備はその姿を見て呆気に取られた。何故ならば、しんのすけは……

「静かなるケツだけ星人」

 しんのすけはそう呟いて、動く事もなくただそこで尻を出して留まるだけ。しかも、その尻は劉備へ向いている。そのあまりの光景に劉備は眠気が綺麗に飛ぶのを感じた。そのまま、互いに動きもなく佇む事たっぷり一分。
 やがてしんのすけがそれに飽きたのか、ゆっくりと体を起こし、次は何をしようかと考えながら尻をしまう。そこでやっと劉備も我に返った。そして、小さく笑い出す。その声でしんのすけが劉備の方を振り向いた。

「お? りゅうちゃん、起きたの?」

「う、うん。ぷくっ……」

「どうしたの?」

「も~、しんちゃん脅かさないでよ。本当にお尻だけになったのかと思ったんだから」

 劉備はそう言うと、先程の光景を思い出したのか声を上げて笑い出した。その笑いにしんのすけも笑う。そんな風に少し笑い合って、劉備は何故ここにしんのすけがいるのかを尋ねた。
 それにしんのすけは関羽が手合わせをしている事と、自分が劉備を起こそうと思った事を伝えた。それに劉備は納得し、しんのすけへ笑みを向けた。

「ありがとう、しんちゃん。でも、どうせなら普通に起こして欲しかったな」

「最初はちゃんと声を掛けて起こそうとしたよ。でも、りゅうちゃんがもう少しって言ったから」

「……えっと、今度からはそう言っても大きな声出したり、体揺すったりしていいよ」

「お~、おさわりOKですな」

「おけ? どうして桶なんて触るの?」

「あ、うんと……さわってもいいんだねって事だぞ」

 しんのすけは劉備の言葉に自分がまだ現代語を使った事に気付き、説明する。そのように正しい意味を知らぬでも、感覚的にそれを捉えている言葉は説明出来るのだが、これが意味も分からず使っているものはしんのすけも説明出来ず、いかに自分が深く考えずに言葉を使っているのだと彼に思い知らせる事になっていたりする。

 劉備はしんのすけの説明に頷き、天の言葉は難しいと言って苦笑した。そして、劉備は着替えるからと告げ、しんのすけを部屋から出るように促した。しんのすけは少しだけ抵抗したが、劉備が軽く冗談めかして、出て行かないと口を利いてあげないと言うと素早く出て行った。
 それに劉備は楽しそうに笑い、部屋の戸を閉めた。それを見つめ、しんのすけは残念そうにため息を吐き、仕方ないと視線を空へ向ける。そこには白い雲と青い空が見えた。

「……わたあめ食べたいぞ」

 そんな事を呟くしんのすけ。そこへ手合わせを終えた関羽が現れ、劉備と同じようにどうしてここに居るのかを尋ねるのだった……



「はい、白蓮ちゃん」

「ん……よし。もう桃香も結構出来るようになってきたなぁ」

「でもぉ、やっぱりまだまだだよ。今だって白蓮ちゃんにかなり助けてもらってるし……」

 執務室で仕事をしながら、会話する二人。最近になって、やっと劉備も一人である程度の仕事を処理出来るようになり、白蓮としても肩の荷が少し軽くなったと感じていた。しかし、まだ不安な面も多いため、念のために白蓮が最終確認を行なっているのだが。
 本音を言えば、白蓮はもう劉備の確認は必要ないと思っている。しかし、そうしないと本人が納得しないのだ。それに、劉備に言われた事が白蓮へ最終確認をさせる気持ちを失わせずにいた。

―――失敗して私が困るだけならいいけど、この幽州の人達が困る事になるのは嫌なんだ。

 だから、白蓮も劉備も必ず一度見直してから処理した竹簡を片付ける。幽州を預かる者としてだけではなく、一人の人として他者を困らせる事はしたくないのだ。それを心に留め置いて、二人は仕事に励んでいるのだから。
 そんな風に仕事を片付けていく二人だったが、ふと劉備が今朝の事を白蓮に話した。それを聞いて白蓮は驚きもせずため息を吐いた。そう、彼女も既に経験したのだ。しかも、本来のケツだけ星人を。

「あれな、本当は激しく動き回るんだぞ。しかも、かなりの速度で」

「そうなの?」

「ああ。私が見たのは星との早朝鍛錬の時だな。あいつ、星の神速の槍捌きにそれで対抗したんだから」

「……すご~い」

 そう、しんのすけは星との鍛錬でケツだけ星人を初披露したのだ。その素早さに星だけでなく、見学していた白蓮も言葉を無くした。それでも気を取り直して星が攻撃を繰り出すと、それを見事にかわし続け、最後にはその尻で攻撃を止めてみせたのだから。
 その話を聞かせる白蓮。あの時は自分も星も心から驚いて大笑いしたんだ。そんな風に呆れつつも楽しそうに話す白蓮。それに劉備も笑みを返し、ちょっと見てみたかったと告げた。

 そこから仕事を一時中断して、白蓮によるしんのすけ話が始まる。もっとも、半分は星や本人から聞いたものなのだが。しんのすけと星達の出会いやたいりく防衛隊の話など、劉備はそれを興味深く聞きながら、しんのすけと自分の考えが似ている事に気付いた。

(同じだ。しんちゃんも私も。悪い事をしたからって殺したくないって思ってるのは……)

 それが甘い事は劉備も身に染みて理解している。だが、それでも可能ならば助けたい。そんな風に思っているのだ。悪事をした者達も、最初からそうしたいと思っている者ばかりではない。止むに止まれず手を染めてしまった者達だって大勢いる。
 そう劉備は思っているし、知っている。だが、それを改心させる事が出来る程の余裕が今の大陸にはない。そして、自分達にも。今は自分達の身の安全を確保する事だけで精一杯なのだ。関羽や鈴々だけならいい。余程の相手でない限り、二人は遅れを取らない。

(私にも力があれば……せめて自分を守るぐらいには)

 そう、劉備は二人のような武勇がない。自分の身を守る事さえ少々危ういのだ。故に賊との戦いで関羽達は容赦出来ない。油断すれば劉備が危ないからだ。それを痛感しているからこそ、劉備は自分の無力を悔やんでいた。
 そんな事を考えていたからだろう。その表情は暗くなっていた。それに白蓮は気付き、小さく息を吐くと劉備へ告げた。しんのすけは、自分の無力さを知って、星から生き残る術を教えてもらい、身に着けようとしているのだと。

 それを聞いて、劉備は驚いた。てっきりしんのすけの鍛錬は、星から働きかけたものだと思っていたからだ。しかし、そう劉備が言うと、それに白蓮は首を横に振った。最終的にはしんのすけ自身が望んだ結果だと。
 その言葉に劉備は黙った。自分は無力と知っていたにも関らず、関羽や鈴々から鍛錬をしてもらおうと考えたか。自分の力を少しでも磨こうと思ったか。そんな風に考えたのだ。

「……しんちゃんって、意外と真面目?」

「たまに、な。あいつの凄いとこは、ちゃんと真面目にしなきゃいけない時を分かってる事だ」

 白蓮の言葉に劉備は納得するように頷いた。しんのすけは確かに真面目ではない。それでも、感覚的にしっかりしないといけない時を理解しているのか、ふざけてはいけない時は大人しくするか真面目になる。
 それを劉備もどことなく感じていたので、白蓮の言葉に素直に頷く事が出来たのだから。そうして話は終わり、二人は再び仕事に戻る。だが、劉備の中にはある決意が生まれていたのだった……



 次の日の朝。しんのすけはいつものように星に起こされた。眠い目を擦りつつ、着替えを終えて揃って部屋を出る。向かうは中庭。そこで日課の鍛錬を行なうためだ。だが、今日はそこに関羽だけではなく、想像もしなかった人物もいた。

「あれ?」

「む? 劉備殿ではないか」

「おはよう、しんちゃん、趙雲さん」

「おはよう、星、しんのすけ」

 笑顔で挨拶する劉備とやや困った表情で挨拶する関羽。それにしんのすけと星は互いの顔を見合わせ、小さく首を傾げる。だが、二人がその抱いた疑問を口にする前に関羽がそれを説明した。
 劉備も今日から早朝鍛錬に参加したいと言い出したのだと。それに星は驚き、しんのすけは感心したように頷いた。だが、関羽はどこか不安そうな視線を劉備へ向ける。それを見て、劉備が少し不満そうな顔を見せる。

「愛紗ちゃん、何か言いたいの?」

「いえ……ただ参加するのはいいのですが、何をするつもりですか?」

「それは……」

 そう言って劉備は視線をしんのすけへ向けた。それにしんのすけも視線を返す。見つめ合う二人。だが、劉備は真剣なもの。対するしんのすけは普段通りの眼差しだ。そんな風に少し見つめ合い、しんのすけが無言でにやけた。
 それに星と関羽は軽く脱力した。しかし、劉備はそれを見ても表情を変えない。真剣なままでしんのすけへある事を頼んだ。その内容に星も関羽も思わず声を漏らしてしまう。

「しんちゃん、私に避け方を教えて」

「「は?」」

「避け方?」

「そう。立ち向かう事が出来るようにしたいけど、それよりもまず自分を守る事を出来るようにしようと思って。でも、愛紗ちゃん達は動きから違い過ぎるんだ。けど、しんちゃんならまだ私と近いと思うの」

 劉備の言葉に星と関羽はやや考え込む。しんのすけの動きも常人離れしている部分がある。だが、確かにまだ自分達よりかは劉備にもついていけるかもしれない。そんな風に考えていたのだ。
 一方のしんのすけは劉備の申し出に素直に頷いた。教えるという気持ちというよりも、劉備と一緒に鍛錬出来るという気持ちしかなかったのだ。その嬉しさから、しんのすけは劉備の手を取って中庭の中央へと歩き出す。

 それを星も関羽も黙って見守る事にした。星としてはしんのすけが何を教えるのかが気になったし、関羽としては劉備がやる気になってくれた事を邪魔したくなかったのだ。

「じゃ、まずはオラの動く通りにやってね」

「う、うん……」

 ごくり、と星と関羽が息を呑む。劉備はやや緊張気味だ。そんな周囲に気付かず、しんのすけは屈伸を始めた。それに三人が虚を突かれたのか、やや体勢を崩す。

「お?」

「え、えっと……それは何かな、しんちゃん」

「じゅんびうんどーだぞ。まずはお体を柔らかくするんだ」

 その言葉に納得したのは星と関羽だった。確かにいきなり体を激しく動かすのはあまり良くない。特に劉備のように普段から運動をしていない者は。そう思い至り、二人は揃ってしんのすけの言葉に感心した。

(ふむ、ますは劉備殿の体を気遣うか。それにこれで緊張も少しは消えるだろう。しんのすけらしいな)

(急激な運動で大事があってはならんと、そう考えたか。やはり気遣いが出来るようだな、しんのすけは)

 勿論、しんのすけはそこまで考えていない。ただ、幼稚園でも何か運動をする前はこうしていた。なので、やろうと思っただけの思いつきだったのだから。しかし、それが劉備に良い方向へ働いた。
 しんのすけの動きを真似て屈伸を始める劉備。そこから伸脚などへ移行するしんのすけ。それに倣って劉備も姿勢を変える。そんな単純な準備運動。それは当然ながら星や関羽から見れば無駄のない動きに見える。

(なんと……全体を無駄なく動かしているではないか。もしや、あれは天の動きなのだろうか?)

(ほう、楽なものから、徐々にではあるが辛い動きに移って行くのだな。成程、あれが天のやり方か)

 現代の医学などから考案された準備運動。それは、感覚的に体の理想的な動かし方などを理解している星達には、驚きと感心を与える事となる。しかも、しんのすけが覚えているのは、子供が教わるもの。つまり、体への負担も少ない。
 劉備も最初こそよく分からずやってきたが、当然のように体が温まり、少しではあるが柔軟性も生まれ始めた事に気付き、内心驚いていた。しんのすけの動きを真似ているだけで、ゆっくりと体が動かし易くなっているのだから。

(すごい……しんちゃんはいつもこうやって鍛錬に備えているんだ。私もこれから毎日やろっと)

 そんな準備運動も最後を迎え、それを終えたしんのすけは劉備へ尋ねた。

「りゅうちゃん、お体柔らかくなった?」

「うん! それにぽかぽかしてきたよ」

「そっか。ん? さっきよりもお顔も楽しそうだね」

「え?」

「いやぁ、最初りゅうちゃん少しお顔怖かったから。でも、今は優しいお顔してる。オラ、そっちのりゅうちゃんの方が好きだぞ」

 その言葉に劉備は小さく驚き、同時に心から笑顔を返した。しんのすけの言葉が嬉しかったのと、結果的にとはいえ、自分の緊張を解してくれたと思ったからだ。

「……どうもありがとう、しんちゃん」

「どういたまして~」

 劉備の感謝の言葉にも普段の調子で答えるしんのすけ。そして、劉備へしんのすけは避け方を教える事になったのだが……

「まずは……鬼ごっこしよ」

「鬼ごっこ?」

「そ。何をするにも体力だって父ちゃん言ってたぞ」

 しんのすけの言葉に劉備も成程と頷いた。避け方を教わる以前に、自分の体力を知りたい。そうしんのすけが言ったと捉えたのだ。それは、星や関羽も同じ。意外と考えている。そんな風に思う三人だったが、しんのすけは思いつく事が無かったので、なら逃げ続ける鬼ごっこならいいかと思っただけ。
 そして、当然ながら鬼はしんのすけとなり、劉備が逃げる事となったのだが、そこに星と関羽も参加した。本当ならば、二人は二人で手合わせでもしようと考えていたのだが、しんのすけがあまりにも的確な事をするので、興味が湧いたのだ。

 こうして、しんのすけ対三人の鬼ごっこが始まったのだが……

「はぁ……はぁ……」

「りゅうちゃん、だらしないぞ」

「桃香様、さすがに捕まるのが早すぎます」

「そう言うな愛紗。しんのすけはすばしっこいからな。逃げるのも避けるのも中々簡単にはいかんさ」

 劉備が開始早々しんのすけにタッチされ、終了となったのだ。全員捕まえてもよかったのだが、しんのすけとしては、これは劉備のためにしているようなもの。よって、彼女を捕まえたら一旦終了なのだ。
 劉備は息を切らしながらも、しんのすけへ視線を向けてもう一回と申し出た。それにしんのすけは嬉しそうに返事を返し、関羽は軽い驚きを、星はやや感心するような視線を向けた。

「じゃ、今度は全員捕まえるまで続けるぞ」

「はぁ……はぁ……うん、お願い」

「しんのすけ、今度は我らを先に追い駆けろ」

「そうだな。劉備殿はまだ息が整っていない。それが整うまではこちらを狙え」

「ほ~い」

 劉備を残し、走り出す星と関羽。それを少し間を置いて追い駆けるしんのすけ。それを見つめ、劉備はゆっくりと息を整える。その間も視線はしんのすけから逸らさない。その素早い動きや時折見せるフェイントや行動を見て、自分に活かせないかと考える。
 後ろから追い駆けるだけではなく、時に庭木の影等に隠れて、関羽達へ追ってこない事に疑問を抱かせ、自分の方へ誘うようにする事や、転んで倒れた後、そのまま動かなくなって心配させ、近寄ってきたところを狙う事を見て、劉備は笑いながらもその発想に感心していた。

 ただ追い駆けるのではなく、どうしたら相手を油断させる事が出来るか。また、どうすれば捕まえる事が出来るか。それは幾多の面で劣るからこその知恵。しんのすけがそれを意識的にやっているのか思いつきでやっているかは定かではない。
 それでも、劉備には感心出来る行動だった。遊びのように見える事でも全力で挑み、持てる力を全て出し切ろうとする姿勢。それは、何にでも共通する大事な事だったのだから。

(しんちゃんはただ鍛錬するだけじゃない。自分を少しでも成長させようと頑張ってるんだ。私も、ただ鍛錬するだけじゃ駄目だね。ちゃんと目標を持ってやらないと!)

 そう思って立ち上がる劉備。息はもう落ち着いている。それを確認し、劉備は一度大きく息を吸い込んで……

―――しんちゃ~ん! こっちだよ~!

―――お? りゅうちゃんがふっかつしたのか……よ~し、また捕まえるぞ~!

 劉備の声に振り向き、しんのすけは楽しそうに方向転換して走り出す。それを見て劉備も走り出した。庭を必死に走る劉備。それを追うしんのすけ。だが、しんのすけの追走は少しずつ速度を落としていく。
 星や関羽との追いかけっこで疲れ始めていたからだ。それでも追い駆けるしんのすけ。劉備は息を切らしながらも、それから逃げる。そんな二人を眺め、星と関羽は小さく笑みを浮かべていた。

「星、これが鍛錬か?」

「どうだろうな? ……だが、本人達にはそうと言えるのだろう」

 視線の先では、へろへろになったしんのすけが地面に倒れこみ、ぴくりとも動かなくなっていた。それに気付いた劉備だったが、既に疲れていたため、地面に座り込んで動かなくなる。

「はぁ……しんちゃん……はぁ……っ大丈夫?」

「りゅうちゃん……オラ、もう死にそうだぞ……」

「ええっ!?」

「嘘」

 しんのすけの告げた言葉に大きな声を出す劉備。それにしんのすけは顔を一度だけ上げてあっさり答える。だが、すぐに顔を地面につけるように戻す。それに劉備は安堵したように息を吐くが、軽く怒り出した。
 そんな事は冗談でも言わないで欲しいと、そう告げたのだ。それにしんのすけは再び顔を上げた。その表情はにやけたもの。自分を心配してくれるのかと、そう尋ねたのだ。それに劉備はやや呆れるものの、頷いて立ち上がった。

「私はね、誰も死んで欲しくないの。悪い事した人だって、最初から悪人だった訳じゃない。なら、ちゃんと話せば分かってくれると思うんだ」

「でも、それはムズカシイって風ちゃんが言ってた」

「そうだね。でも、だからって諦めちゃ駄目だと思うんだ。だって……」

「だって?」

 劉備の声が真剣なものと感じ取り、しんのすけは体を起こした。そして、視線を問いかけるように劉備へと向ける。それをしっかりと受け止め、劉備は断言した。

―――それじゃ、何も変わらないから。

 それに星は衝撃を受けた。劉備の語った言葉は、言い方の差異さえあれしんのすけと同じだったのだから。初めて会った時からどこか似ているとは思った。しかし、まさかここまでとは思わなかったのだ。
 乱世にありながら、貫く事が一番難しい信念を抱いている劉備。それを告げる眼差しは決して弱々しくはない。力強くどこまでも先を見つめているのだ。そう感じた星は、自分が仕えるべき相手を見出したと思った。劉備こそ、自分の槍を捧げるに相応しい相手だと。

 だが、それをここで言うつもりはなかった。そう、それはしんのすけを元の世界に返すまでは出来ないのだから。
 自分が立てた誓い。それを守る事。それこそが星にとっての一番の目的。それに、まだ理由はある。

(劉備殿はこの乱世を止めようと強く願っている……いや、それだけではない。目指す先がしんのすけと同じだ。私は……見つけたのかもしれんな。だが、まだ決めるには早い。この大陸にはまだ、仕えるに相応しい英雄がいるかもしれんのだから……)

 劉備は現状の最有力候補として考えておこう。そう結論付け、星は一人頷いた。関羽はそんな星に小首を傾げるが、表情から何かを悟ったのか小さく笑みを浮かべて頷くのだった。
 そんな二人の前では、しんのすけが劉備の言葉に拍手を送っていた。自分と同じ気持ちだと察した訳ではない。だが、その力強さには感じるものがあったのだろう。

「お~、りゅうちゃんカッコイイ。オラも諦めないで頑張るぞ」

「えへへ……でも、これはしんちゃんが教えてくれたんだよ?」

「え? オラが?」

「うん。自分が出来る事を一生懸命やる事。それが自分や周りを変えていくんだって。さっきも愛紗ちゃん達を諦めないで追い続けたよね。あれ見て思ったんだ。私も頑張らなきゃ! ……って」

 両手で握りこぶしを作り、意気込む劉備。その姿にしんのすけは何度も細かに頷く。そんなしんのすけへ劉備は微笑んで告げた。見ている自分に変わらないといけないと思わせたしんのすけ。その姿があったから自分は今の気持ちになれたのだと。
 それにしんのすけが感嘆の声を上げ、腕を腰に当てて胸を張った。表情は自慢するようにし、周囲へ告げた。

―――えっへん! オラ、スゴイんだぞ!

 それに三人が揃って苦笑。だが、劉備はそんなしんのすけに近付き、その前にしゃがみ込んだ。その動きにしんのすけが視線を劉備へ向ける。

「しんちゃん、これからは鍛錬の先生としてもよろしくね」

「おおっ! オラ先生になったの?」

「うん。お世話になります、しんちゃん先生」

「うむ、心をめにして頑張るように」

「えっと、それを言うなら無じゃないかな?」

「お~、そうともゆ~」

 そんなしんのすけの返しに小さく笑みを零し、劉備はしんのすけへアレを預ける事にした。それは、自分の中の大きな指針を固めてくれたしんのすけへの礼と、感謝を込めて。そして、自分の中の小さな先生への尊敬の証として。

「しんちゃん、私の真名は桃香って言うんだ。色々と教えてもらう代わりに、お礼として受け取ってくれる?」

「いいの?」

「勿論だよ。あ、桃香ちゃんでいいからね」

「ほ~ほ~……なら、桃香ちゃん」

「は~い」

 しんのすけの呼びかけに笑顔で答える桃香。だが、その反応にしんのすけが微かに驚く。
 それに気付けたのはそれを正面で見た桃香と、そのやり取りからある事を思い出した星だけ。無論、しんのすけが驚いた理由は一つ。風の真名を預かった時と似ていたからだ。
 しかし、それを桃香は気付かぬ振りをし、星は敢えて指摘する事でもないと思い黙る。一人関羽だけはこの場の空気が少し変わった事を感じたが、星も桃香も何も言わないのでそれを口に出す事はしなかった。

 この後、星も桃香へ真名を預けた。彼女の事を心から認めたからなのだが、桃香がそれを知るはずもなく、ただ星が預けてくれた事に感謝し、自分も真名を預けた。こうして、この日の鍛錬は終わりを告げる。
 劉備は久しぶりに体を動かしたためか、仕事中に何度も居眠りをしてしまい、白蓮に何度も怒鳴られる。しんのすけは眠気が襲い掛かるものの、シロがその度に体を揺さぶる事で午前中は仕事をする事が出来た。しかし、午後はしんのすけも桃香も食事をしたせいもあって完全熟睡。よって、揃って関羽からお説教を喰らうはめになるのだが、それはまた別の話……




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真名回。桃香メイン。どこか預け方がパターンになっている気がしますが、ご容赦を。

次回は愛紗。さ、どうやって書こうか……?



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 幕間 愛紗編
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/21 07:28
「はっ!」

 関羽の青龍偃月刀が鋭く振り下ろされる。それは一度ではなく、流れるように右に、左に、上へ、下へ縦横無尽に動いていく。それはある種の演武。舞にも似た光景だ。それを見つめるは星と桃香、それにしんのすけだ。
 その発端は星がしんのすけへ見せた槍捌き。それも見事な演武だったのだ。しかし、それを見たしんのすけが関羽へ問いかけたのだ。同じような事が出来るのかと。関羽は、それを馬鹿にされたとは捉えなかったが、自分が星よりも劣るのではないかと思われているとは取ったのだろう。

―――無論だ。しかと見ていろ、しんのすけ!

 そう告げ、今のような状況となったのだから。星と桃香はそんな関羽に苦笑したが、しんのすけは期待の眼差しを向けてそれを見送った。現在、三人は揃って感心した表情を浮かべていた。
 武人である星は言うまでもないが、桃香やしんのすけは余計にその動きの見事さは感服するものだったのだから。そんな演武も終わり、関羽が小さく息を吐くと、しんのすけと桃香が惜しみない拍手を送る。星もそれに同じように拍手を送った。

「見事だ、愛紗。さすがだな」

「ホントだよ。愛紗ちゃんはやっぱり凄いね!」

「星お姉さんもすごかったけど、かんうお姉さんもすごいぞ!」

「あ、いや……これぐらいは、な」

 三人の賛辞に関羽はやや照れたように頬を掻き、視線を少し上に向けた。そこに広がる空は、そろそろ本格的に朝の訪れを告げようとしていた。その明け出した空模様に今日も良い天気だろうと思い、関羽は落ち着きを取り戻し視線を三人へ戻す。
 すると、その視線がしんのすけと合った。そのしんのすけの視線は何か聞きたそうだったので、関羽は何事かと思い小さく首を傾げる。それにしんのすけは気付き、自分の思った事を言おうと関羽へ告げた。

「かんうお姉さんは、照れ屋さんなの?」

「は? いや、そんな事はないが……」

 しんのすけの問いかけに否定を返そうとする関羽。だが、そんな彼女をしんのすけがジト目で見つめる。

「ホント? だって、今だってホメられてお顔そらしたぞ」

「なっ?! あ、あれはそうではない! 少し空が気になっただけだ」

「どうして?」

「きょ、今日はずっと晴れるだろうかと思ってな」

「フ~ン……」

 関羽の答えにしんのすけはジト目を返し続ける。それにやや関羽がたじろく。星と桃香はそんな二人のやり取りに密かに笑うと、それぞれが二人へ声を掛ける。互いの鍛錬を始めようと、そう言って。
 それにしんのすけと関羽も頷き、場所を移動する。しんのすけは桃香と体力作りと腕力向上を兼ねた素振り。関羽は星と手合わせだ。しんのすけの身のこなしを習得しようと思っていた桃香だったが、それよりもまずは基礎を固めるべきとの星達の提言と、しんのすけとの話し合いから素振りとなったのだ。

 懸命に靖王伝家で素振りをする桃香。しんのすけも、ここに来てやっと回避以外の事を出来るようになった事が嬉しく、木で作られた剣を頑張って振っていた。まぁ、時折隣の桃香へ視線を向けてはその揺れる胸ににやけてはいたが。
 そんな二人から離れた場所で、星と関羽は普段通りに試合をしていた。とはいえ、それは明確な勝負ではない。とにかく、互いの全てを出し尽くし、昨日よりも上を目指す。そんな意味合いを込めているのだから。

「どうだ……少しは良くなってきたと思わん……かっ!」

 競り合う互いの得物。その拮抗を崩そうと関羽が僅かにその刃を退き、即座に押し返す。それに星は体勢を崩されそうになるが、読んでいたのかすぐに立ち直し……

「むっ! それは確かに……なっ!」

 声と共に迫って来ていた関羽へ槍を突き出す。その突きに関羽は咄嗟に回避を選択した。払い除けようかとも考えたのだが、下手に手を出せば、それに合わせて槍先を変化させてくるかもしれないと思ったのだ。
 それはどうやら当たったようで、関羽が大きくその場から離れるのを見て、星は少し悔しそうな表情を見せていた。ちなみに二人が意見を言い合っているのは、しんのすけと桃香の素振りだ。互いの手合わせをしながらも、時折二人へ視線を向けてその動きなどを確かめているのだ。

 関羽は着地すると再び青龍偃月刀を構え直す。それに応じて星も手にした槍を構え直した。場に緊張感が戻る。だが、急に関羽は焦りを浮かべて構えを解いた。それに星は怪訝な視線を向ける。それでも関羽は構え直そうとはせず、視線を星からその後ろへ向け叫ぶ。

「しんのすけ、動くなっ!」

 その声に星も思わず視線を後ろへ向けた。それと何かが地面に落ちる音が同時に聞こえた。そして、その視線の先には……

―――しんちゃん、ごめんね!? 怪我無かった!?

―――……だいじょーぶだけど……とーかちゃん、きをつけてね……

 眼前に突き刺さった靖王伝家を死んだような顔で見つめるしんのすけと、それに慌てながらも謝っている桃香の姿があった。そう、しんのすけが何度目かの余所見をした時、それは起きた。
 素振りを続けていた桃香だったが、当然ながらその握力は徐々に低下していく。それでも止めないで頑張っていた結果、遂にその手から靖王伝家がすっぽ抜けたのだ。それは余所見をしていたしんのすけの眼前に見事に落下したという訳だ。

 関羽は丁度その光景を目撃したのだ。桃香の手を離れた靖王伝家が、弧を描きながらしんのすけの前へ落ちていく様を。一瞬青龍偃月刀を投げ、その軌道を変えようかとも考えたのだが、直感的にそのまま動かない方が危険はないと悟った。故に、声を出す事でその動きを制止したという訳だった。

 関羽は放心状態のしんのすけへ謝り続ける桃香を見つめながら、安堵の息を吐いた。しかし、すぐに苦笑を浮かべて呟いた。

「……天罰が下ったか」

「かもしれんな。大方桃香殿に気を取られたのだろう」

「気付いていたのか?」

「いや、素振りの振りに違和感を感じたのでな。時折手を止めているのではと思っただけだ」

 星の言葉に関羽は頷き、視線をしんのすけへ戻す。もうしんのすけは先程の出来事から立ち直り、再び桃香と共に素振りを再開していた。ただ、その互いの距離が先程よりも離れているのは、やはりどこかで同じ事を警戒しているのだろうと関羽は思った。
 そんな事を思いながらも、関羽はもう一つ思う事があった。それは、先程の時のしんのすけの動き。自分が気付いた時は視線を桃香の胸へ向けていた。しかし、靖王伝家が桃香の手から抜けたのは、振り上げた瞬間だった。つまり、しんのすけには見えていなかった。

(あの時、しんのすけは私が声を掛けた時には……)

 そう、関羽が声を掛けた時には、しんのすけは桃香の手に靖王伝家がない事に気付いて、視線をすぐに上へ向けていたのだ。その行動の素早さと直感の良さに関羽は密かに感心したのだ。
 そして、関羽の声でしんのすけは逃げようとする事を止め、その場に立ち止まったのだ。それもまた関羽からすれば感心出来る材料だ。確かに動かぬようにと思い、かなり鋭い声を出した。それでも、子供ならば咄嗟の事に慌てて逃げ出したり、最悪その場で漏らしてしまうだろう。

 だが、しんのすけはそのどれでもなく、ただその場に立ち尽くした。そう、声に驚き尻餅をつく事もなく、だ。それが関羽にはどこか意外だったのだ。

「さ、では仕切り直しといこうか」

「……ああ」

 星の声に関羽は思考を切り替え、青龍偃月刀を構えた。これが終わった後にでも、しんのすけに聞いてみたい事が出来たと思いながら……



 互いの鍛錬も終わって桃香と軽く会話し、部屋へ一度戻るのを手を振って見送るしんのすけ。だが、何故か関羽がそこに残っていたのだ。

「お? どうしたの?」

「いや、少し聞きたい事があってな」

 関羽はそう切り出し、しんのすけへ問いかけた。どうしてあの時、動かずにいられたのかと。それにしんのすけは不思議そうな表情を返した。

「だって、かんうお姉さんが動くなって言ったぞ」

「いや、それはそうなのだが……」

「おおっ、そっか! オラ、かんうお姉さんを信じてるんだぞ。強いし、嘘を言わないって。それに戦う事とかたんれんは、オラ分からない事だらけだし。だから、動いたら危ないんだって思ったんだよ」

 関羽が何を聞きたいかを察したのか、しんのすけは手を打ってそう答えた。その素直な言葉に関羽は一瞬だが呆気に取られた。子供だから大人の言う事に従うのは、当たり前と言えば当たり前だ。だが、しんのすけはただ盲目的に信じるのではなく、そこに自分なりの理由や根拠を持っている。
 だから、時には反論するし、従わない事もある。今回は、関羽の意見の方が正しいと感じた。だから従った。そんな風に聞こえるしんのすけの言葉。その子供とも思えない発言に、関羽は驚きと感心を抱いた。それに、強い嬉しさも……

(私の事を信頼しているから、か。子供が何を生意気なと思うはずだが、何故だろうな? しんのすけが言うと、純粋に嬉しさがこみ上げてくるのは。ふふっ、弟がいればこんな感じなのだろうか)

 鈴々ならば、こうも素直な言葉は言わないかもしれない。そんな風に小さく苦笑しながら、関羽はしんのすけの頭を軽く撫でる。それにしんのすけがいつものようなにやけ顔になる。

「それは嬉しいな。だが……」

 そう言って関羽は撫でていた手を握り、しんのすけの頭へ落とした。げんこつだ。

「「っ!」」

 同時に痛みを感じうずくまる二人。しんのすけはげんこつの痛みに。関羽はしんのすけの頭の固さに。

「何するの!」

「お前が桃香様の胸へ邪な視線を向けた事は捨て置けん! 今のはその罰だ!」

 立ち直った瞬間、関羽へ文句を言うしんのすけ。それに関羽は痛む手を押さえながら、そう反論した。それにしんのすけが何かを思い出したのか、懐かしそうな表情を見せた。それに関羽も気付き、怒りを消してしんのすけを見つめた。

「どうした?」

「……かんうお姉さん、母ちゃんみたいだ。げんこつも今の言い方も」

「何? 私がお前の母上のようだとはどう……っ!」

 しんのすけの返事が意外すぎて、関羽は詳しく聞きだそうと思った。だが、それをする事は出来なかった。しんのすけの現状を思い出したのだ。両親から離され、たった一人見も知らぬ世界に来ている。そんな中、子供がふとした事で親を思い出したとしても、何ら不思議ではない。
 しかも、それを詳しく聞く事は里心を起こさせ、しんのすけを苦しめる事にもなりかねない。そう判断したのだ。故に、関羽は痛む手の事も忘れ、しんのすけへ近寄り、その目線の高さまでしゃがみ込んだ。

 しんのすけはどこか寂しそうな目をしていた。それを見た関羽は心が痛んだ。どうして天はこのような幼子を遣わしたのかと、そう怒りを抱くぐらいに。天の御遣い。そんな存在であるしんのすけ。だが、共に過ごしていれば、そんな呼び方など何も意味を成さない事を誰もが知る。
 しんのすけは子供なのだ。確かに少々普通ではないと言えるが、決して天の御遣いなどと名乗り、好き勝手をしない。周囲から天の御遣いがどういう存在かと言う事を聞きながらも、決してそんな名を名乗る事はしなかったのだ。

―――オラはオラ。おつかいなんかじゃないぞ。

 そう断言し、どうせなら救いのヒーローが良かったと言ってあの高笑いをし、周囲を困惑させながらもしんのすけらしいと言わしめたのだから。

「お前の母上は私に似ていたか?」

「ううん。かんうお姉さんの方がびじんだぞ。それにおムネも大きいし~」

 そこですけべな笑みを見せるしんのすけ。それに関羽は軽く脱力するも、何とか話題と意識を逸らす事が出来たと思い内心安堵した。

「お前と言う奴は……その歳で女の事ばかり考えおって」

「そんな事ないぞ! たまには違う事も考えるぞっ!」

「威張って言うなっ!」

「それほどでもっ!」

「褒めとらん!!」

 しんのすけの怒りの反論に関羽がそれを超える怒りで返す。そんなやり取りだが、終わった時には互いに大きく息を吸った。そして、落ち着くと何故か互いに笑みを浮かべている。関羽はこんな風にくだらない言い合いが出来る幸せを感じ、しんのすけはまた関羽と少しだけ仲良くなれたような気がしていたからだ。
 そんな風に互いに笑みを見せあい、どちらともなく歩き出す。目指すは食堂だ。朝食を食べようと考えたのだろう。しんのすけは関羽へ、今日は何を食べるのかと尋ねる。それに関羽が特に考えていないと返すと、しんのすけがならば同じ物を食べようと言って答えを待つ。

 そんな風に隣り合って歩く姿は、髪の色も相まって、誰が見ても仲の良い姉弟にしか見えなかった……



 午前の調練を終え、自室へ戻ろうとする関羽。今日は午前のみの勤務となっていて、これから休みとなっていたのだ。

「久しぶりに街にでも出かけてみるか……ん?」

 今後の予定を決めかねていた関羽だったが、その視線が中庭へと向いて止まる。そこには当然ながらしんのすけの姿がある。もう午後の時間になっている事もあり、そこには鈴々の姿は無い。シロは庭の隅で静かに眠っている。
 しんのすけはそんな中、無言で素振りをしていた。それは実に板についている。以前、剣道を習っていたしんのすけは、元来の気紛れな性格でそれ自体を真面目にやってはいなかったが、それでもかなりの才覚を発揮する天才だったのだ。

 今日、しんのすけは仕事の休みをもらっていた。だが、生憎鈴々は仕事があるために遊ぶ事は出来ず、仕方なしに自主鍛錬をしていたのだ。だが、それは決して暇潰しなどではなかった。
 少しでも力を身に付け、誰かを守れるようになりたい。そんな想いがそうさせていたのだ。故に、その素振りは真剣だ。関羽はそんなしんのすけの姿に感心した。この世界の剣の扱い方ではないが、それでもそこには何かしらの武を感じたからだ。

(あれが天の剣術か。星がしんのすけは剣を習った事があると言っていたが……中々どうして様になっているではないか)

 知らず顔が綻ぶ。実は、関羽はしんのすけを三人の中で一番最初に認めていた。その普段の言動には些か疑問や苛立ちも覚えるが、それでもふとした時に見せる心の強さは、強く感じ取っていたのだ。
 そう、星が桃香にしんのすけを重ねたように、関羽はしんのすけに桃香を重ねていたのだから。しかし、まだ真名は預けていない。それには訳がある。鈴々や桃香が真名を預ける事になったのは、しんのすけを心から認めたから。関羽は認めこそしたが、それはただ認めただけに過ぎない。

 関羽はまだしんのすけを、真名を預けるに相応しいとは思わなかったのだ。それでも、かなり好ましくは思っていたが。

「しんのすけ~!」

「お? ……あ、かんうお姉さんだ」

 邪魔するのも悪いかとも思った関羽だったが、ふとある考えが浮かび、声を掛ける事にした。それにしんのすけも気付き、視線を関羽へ向ける。

「少し見ていたが、中々様になっていたぞ」

「そう? オラ、あまり分かんないから」

「だろうな。どうだ? 私が少し手ほどきをしてやろう」

「えっ、いいの? 星お姉さんは、まだ早いって言ってたぞ?」

 星から攻撃―――つまり戦い方はまだ早いと言われ、しんのすけは教えてもらえていない。それを関羽も知っている。だが、関羽はしんのすけから才を感じ取った。星の考えも分からないでもないが、関羽はしんのすけに桃香を重ねている。故に、それが進んで高みに上がろうとする姿勢を応援したくなったのだ。

「何、軽くだ。素振りの延長と思えばいい」

「ほ~ほ~。じゃ、何か言われたら、かんうお姉さんのせいって事で」

「ふふっ、こいつめ。しっかりしている」

 しんのすけの言葉に苦笑しながら、関羽は無手でその前に立った。そして、しんのすけへ好きに打ち込んでこいと告げる。それにしんのすけが若干躊躇いを見せると、関羽はそれに微笑んでみせる。
 自分相手にしんのすけでは当てる事さえ出来ない。そう言い切ったのだ。それにしんのすけがカッコイイと返し、遠慮なくその手にした剣を関羽へと振り下ろした。

「ほいっ!」

「ぬっ!」

 意外と鋭い。そう思いながらも、見事にかわしてみせる関羽。しんのすけはそれに感心し、はたと何を思ったのか動きを止める。それに関羽が疑問符を浮かべるが、しんのすけは何か思いついたのか、一人頷くと再び剣を構えた。
 しかし、それを見て関羽は違和感を覚える。先程まではどこか芯が入っていなかったような構えだったのが、急にそれを入れたように見えたからだ。

(何だ……? この妙な気迫は)

(思い出すんだ……吹雪丸を……おまたのオジサンを……)

 そう、関羽は武人。かつて見た二人の武士と同じ存在。そう考えたしんのすけは、自分の記憶の中にある二人の事を思い出そうとしていた。構えやその動き。自分に真似出来るとは思わないが、少しでもそれを目指そうと。
 そして、最後に思い出すのは、あの戦い。未来の技術を使い、大人となった自分と雲黒斎―――ヒエール・ジョコマンとの戦いを。あの時の動きこそ、自分が出来る最高の動き。しんのすけはそう思い、心の中で唱える。それは、あの時の姿へ変えてくれたキーワード。

(たすけてケスタっ!)

 そう心で告げるのと同時にしんのすけは動いた。あの時の動きを目指したそれは、関羽に完全に見切られていた。それでも、そこには言いようのない力強さがある。関羽はそれを感じながら、その大振りの横薙ぎをかわす。しかし……

「なっ?!」

「うおぉぉぉぉっ!」

 そこからしんのすけは勢いを利用し、回転して再び斬りかかる。関羽はそれに驚きを浮かべるものの、それでもその攻撃を華麗に避ける。今度こそしんのすけはその勢いで地面へ倒れこんだ。
 それに関羽は小さく息を吐き、起こそうと手を伸ばそうと思って、それを思い留まる。思い出していたのだ。星との早朝鍛錬で見せた負けん気と不屈の精神を。故に、伸ばそうとした手を止め、それを握る。

(……そうだな。お前はそういう奴だ)

 微かに笑みを浮かべる関羽の視線の先には、立ち上がって自分へ剣を構えるしんのすけの姿があった。

「……まだやれるな、しんのすけ」

「ほいっ!」

「よし、ならば……来いっ!」

 関羽の声にしんのすけは頷き、動き出す。そして、再びその剣を振るうのだった……



 日も暮れ、辺りを夕闇が包み出す。そんな中、しんのすけと関羽は揃って風呂へ入っていた。この時代、風呂は日常的に入れるものではなく、精々週に一度が限度ぐらいだったのだ。
 あの鍛錬で汚れたしんのすけと汗を掻いた関羽は、今日が入浴出来る日だと思い出し、揃って風呂に入りに来ていた。関羽としてはしんのすけと入るのは若干抵抗があった。子供ではあるが、あの性格だ。だが、いつも以上の激しさからしんのすけが疲れてぐったりしていた事もあり、何かあっては事かと思って共に入る事にした。

 何せ、完全に気を失っていたのだ。そんなしんのすけは関羽が風呂へ浸かる際、やや笑いを堪えながら沈ませる事で覚醒した。まぁ、その後死ぬかと思ったと叫び、関羽が少しだけ苦笑しながら謝罪したが。

「あ~、いい湯ですなぁ」

「そうだな。しかし、本当なのか? 天ではいつも風呂に入るというのは?」

「そうだよ。たいてーのお家にお風呂はあるし、わかすのもラクチンなんだ」

「……それは凄いな。羨ましいものだ」

 しんのすけの言った事を自分達の暮らしに置き換え、関羽は心からそう告げた。これだけの水を用意し、沸かすだけでも重労働。それが、天ではどの家庭でも可能で、しかも簡単とくればそうも思う。
 しんのすけのいた世界がどれ程恵まれているかを痛感し、ある事を考えたところで関羽は手に湯をすくい顔を洗う。自分を恥じたのだ。しんのすけの境遇を思い、可哀想と考えた事を。

(しんのすけは現状に何か不満を述べたか? 答えは否だ。しんのすけは私達の世界を受け入れ、このように笑っている。ならば、それを見て哀れと思う事は侮辱以外の何物でもない)

 そんな関羽の心に気付かず、しんのすけはゆっくりとだが現状を正しく認識し始めていた。

(あれ? そういえば、あまり気にしてなかったけど、オラお風呂入ってるって事は裸だぞ。で、かんうお姉さんも入ってるから……ポッポ~ッ!)

 そこで気付く関羽の状態。それを想像し、しんのすけは興奮した。だが、風呂に入りながら突然興奮すれば、待っているのは一つしかない訳で……

「しんのすけ? どうした?」

 急に項垂れ沈黙したしんのすけに、関羽は不思議そうに声を掛ける。だが反応がない。それに疑問を浮かべ、関羽はしんのすけの体を揺すった。すると、その顔が上を向く。それを見て関羽は一瞬恐怖に顔を引きつらせる。
 そこには、鼻血を出して意識を手放したしんのすけがいた。そんな軽いホラーに関羽は何とか平常心を取り戻し、湯当たりでもしたのだろうと思い、素早く風呂から上がる。そして、しんのすけを抱えて急いで脱衣所へ走るのだった……



 しんのすけは頭に感じる冷たい感触で目を覚ました。視線だけを動かし、自分の状況を確認する。どうやら自分が寝泊りしている部屋ではないと分かった。調度品などが違うのだ。
 そこまで認識して、しんのすけは小さく頷いた。それで額に乗った冷たさがずれる。すると、それを横から伸びた手が直した。それにしんのすけが視線を向ける。そこには関羽の姿があった。

「かんうおねいさん……?」

「気がついたか」

 まだどこかぼんやりする頭で関羽を見つめるしんのすけ。それに関羽は安堵し、微笑みを返した。あの後、関羽は自分の体を素早く拭くと、服を着てしんのすけとその服を抱え自室へ向かった。
 しんのすけと星の部屋も一瞬考えたのだが、自分の不手際だと思った関羽は自室を選択。そして、しんのすけの体を軽く拭いて寝台に寝かせると、急いで桶と手拭いを取りに行き、水を汲んでこうして傍についていたという訳だった。

「ここは……どこ?」

「私の部屋だ。星が先程来たので、事情は説明しておいた」

 そう言って関羽はしんのすけの額の手拭いを手に取り、傍の桶へ浸す。そしてそれを絞り、再びしんのすけの額へ乗せる。その冷たさにしんのすけが少し嬉しそうな顔をしたので、関羽も笑みを零す。

「ふふ、今日はここで寝るといい」

「でも、かんうおねいさんは?」

「心配はいらん。お前と共に寝ればいいだけだからな」

「そっか」

「それよりも腹は減っていないか? 何なら何か持ってくるぞ」

「ならチョコビが欲しい。あ、でももうお菓子食べたら駄目な時間だ」

 しんのすけがそう言って残念そうにしたのを見て、関羽はつい笑ってしまった。しんのすけの告げた駄目な理由がとても子供らしく聞こえたからだ。それにきっと意識が朦朧としているせいで、色々と記憶が混乱しているのだろうと思い、関羽は柔らかく注意する。

「こいつめ……それは天の物だろう。それに、菓子では腹は膨れんぞ?」

「じゃ……何でもいい」

「そうか。分かった」

 そう言って関羽は立ち上がる。食堂へ行き、粥でももらってこようと考えたのだ。それと、もし可能なら何か甘い物もと。

「ん?」

 だが、歩き出そうとした関羽の動きが止まる。何かが自分の服を掴んでいる。そう感じたからだ。そして、当然それは一人しかいない。

「……どうした、しんのすけ。離してくれんと食事を取りに行けんのだが?」

「……すぐ戻ってくる?」

 その消え入りそうな印象を与える寂しさを秘めた声に、関羽は自分の中の何かが強く反応したのを感じた。そして、初めてしんのすけへ慈愛に満ちた表情を見せながら、その服を掴む手を優しく握る。

―――当然だ。だから、もう少し寝ていろ。

―――お約束だぞ?

―――ああ、約束だ……

 その言葉に安心したのか、しんのすけは手を離してすぐに眠りに落ちた。そんなしんのすけに小さく微笑み、関羽は静かに部屋を出る。夜風を感じながら、食堂を目指す。その足は心なしか速い。

(まさかしんのすけがあそこまで弱々しくなるとは……)

 先程の声。それは関羽に親を失った時の子供を思い出させた。そして、その理由を悟り、表情を曇らせる。普段ならば言うまでに気付くか、言った後に訂正や説明をする天の言葉。それをまったくせず、流した事からもそれは分かった。
 しんのすけはどこかでやはり不安を抱いている。見知らぬ土地で暮らす事に。自分を知る者が一人もいない暮らしに。それが朦朧とした意識のため、僅かにだが顔を出した。そう関羽は思っていた。

 しかし、それが当然なのだと、関羽は思った。天の御遣いだろうと、子供は子供。親もなく、知り合いもなく、見知らぬ土地に放り出されて寂しく思わぬ訳がない。そう考え、関羽は改めてしんのすけの強さを知った。

「……本当に強い子なのだな、しんのすけは」

 しんのすけが、普段は不安を抑え、気丈に笑っている事に気付いて、関羽は心からそう呟いた。そして、同時に己の無力を悔やむ。自分がもっと強ければ、もっと力があれば、天の御遣いを―――しんのすけを呼ぶ事もなかったのにと、そう思ったのだ。
 知らず拳を握り、関羽は誓う。必ずやこの乱世を終わらせてみせると。しんのすけと同じような境遇に大陸の子供達をさせぬために。そして、しんのすけが一刻も早く天に帰れるようにと。

―――星、お前がどうしてしんのすけを助けようと思ったのか。それが、今分かった。救国など、子供に決意させる事ではないのだ。私達大人の無力が原因ならば、それを終わらせるのは大人の役目なのだからな。

 そう呟き、関羽は視線を上げた。そこには、無数の星が輝いている。それが今の自分の結論を肯定しているようにも見え、関羽は一人力強く頷く。決してこの想いを失くすものかと。そう静かに心に刻んで……



 翌朝、中庭にいつもの顔ぶれが集まっていた。だが、一つだけ違う事があった。それは……

「こら、しんのすけ! 逃げるな!」

「愛紗お姉さんが、逃げるのもリッパなほーほーだって言ったんだぞ!」

 しんのすけが愛紗と真名で呼んでいる事だ。あの後、しんのすけは愛紗から起こされ、粥を共に食べた。そして、食事終わりにこう告げられたのだ。

―――しんのすけ、お前に私の真名を預ける。いや、預けさせて欲しい。

―――え? なんで?

―――お前が私に一つの答えをくれた。その感謝と思ってくれ。

―――……分かったぞ。じゃ、ええっと……

―――私の真名は愛紗だ。間違えるなよ?

―――ほいっ! 愛紗お姉さん!

 愛紗の表情が真剣だったのを受け、しんのすけも真剣な表情で返した。そんなやり取りを経て、この現状がある。そう、今日からしんのすけは愛紗と鍛錬をする事になったのだ。昨日の桃香の出来事を受け、愛紗が星に提案したのだ。素振りを止め、軽い手合わせにしようと。
 だが、自分だとどうしても桃香に過剰に加減してしまう。なので、星が桃香を鍛えて欲しいのだと。その代わり、自分がしんのすけを鍛えるから。その申し出をどこか意外に感じた星だったが、それも一理あると思い承諾した。

 なので、星は桃香と軽い手合わせをしている。とはいえ、ほとんど桃香が振る剣を星がかわしているだけなのだが。そんな中、星は桃香の攻撃を横目で避けながら、しんのすけと愛紗の追い駆けっこを眺めていた。
 本来なら、星達と同じような事をしているはずなのだが、しんのすけが愛紗の迫力からみさえを思い出し、逃げ出した事から今のようになっていたのだ。

「……ふむ、愛紗までも手玉に取るか。しんのすけめ、益々面白くなってきたな」

「きゃう!」

 星が自分から目を離しているのを見て、桃香が思いっきり振り下ろした一撃。それを星はあっさりと回避し、すかざず桃香へ足払いをかけて転ばした。桃香が軽く涙目になっている横で、星は小さく告げる。

―――お前の将来が本当に楽しみだ。

 その星の視線の先では、しんのすけが愛紗に捕まりその頭を握り拳で挟まれている。

―――捕まえたぞ! こいつめ!

―――へえぇぇぇ……

 その光景を彼の日常を知る者が見れば、きっと苦笑しただろう。それは、彼が母によくやられているお仕置き技そっくりだったのだから……




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愛紗メイン回。愛紗は星に近いものがありながら、しんのすけを注意するタイプです。

次回からいよいよ黄巾の乱へ。つまりまた○○が待っています。それが次回のメインになるかと。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第八話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/04/24 09:14
 それは唐突に起きた。いや、予兆はあったのかもしれない。とにかく、その報は白蓮達が朝議を終えた瞬間舞い込んだ。

―――各地で黄色の布を身に着けた集団が現れ、暴れているそうです!

 それに白蓮達はただちに行動を開始した。更なる情報収集と付近の警戒だ。周辺討伐にも出たかったのだが、詳しい事が分からぬまま動くのは得策ではないとなり、苦渋の決断でそう決めた。無論、桃香達はすぐにでも助けに行きたかったのだが、白蓮の判断も十分理解出来るため、それに従った。
 そして、幽州にも同じ集団が現れている事を知り、その居場所探し出し討伐する事になった。星、愛紗、鈴々を将とし、白蓮が総大将となって出陣した。桃香も白蓮の補佐としてそれに追随し、その鎮圧は簡単に終わったのだが……

―――白蓮ちゃん、私、ここを発とうと思うの!

 その戦いが終わった日の夜。全員で軽い雑談をしていると、桃香はそう切り出した。だが、それに驚いたのはしんのすけだけだった。他は皆一様にやはりと頷いていた。
 今回の事で桃香が何を考え、どう判断するかなど誰でも分かると言うものだ。そして、そのために桃香が何を自分へ頼みたいかも白蓮は理解していた。だが、一応確認を取るべく声を掛けた。

「桃香、それはいいけど、挙兵するつもりなんだろ? なら、兵はどうするんだ?」

「そ、それは……」

 白蓮の問いかけに口ごもる桃香。それに白蓮は自分の予想が間違っていなかったと理解し、小さく苦笑。そして、手をヒラヒラと振って告げた。義勇兵を募っても構わないと。それに桃香の表情が驚きに包まれる。反対されると思っていたのだろう。
 しかし、星も愛紗もそんな白蓮の言葉を予想していたのか、軽い笑みを浮かべていた。鈴々は話が少し難しいものになりそうと感じ、しんのすけと二人でお茶を飲みながら、シロを撫でていた。

 そんな二人を他所に白蓮達の話は続く。別れの餞別として、集まった兵士分の鎧などを用意してやると、そう白蓮が言うとさすがにそれは愛紗までも口を出した。そんな事までしてもらう訳にはいかないと。
 本来ならば、白蓮も義勇兵を募り、今後に備えたいはずなのだ。だが、それを敢えて桃香達に許す事が持つ意味。それを桃香も愛紗も感じ取っていた。だからこそ、それ以上の事をしてもらうつもりは無かったのだから。

「桃香、これは決して温情じゃない。代わりに一つ約束してくれないか?」

「約束?」

 桃香達があまりにも受け入れようとしないのを見て、白蓮は仕方ないと思い、本心を告げる事にした。そうすれば、桃香も受け入れるだろうと考えたのだ。

「ああ。兵を募って挙兵する事を許す代わり、しんのすけが天に帰れるよう力を貸してやってくれ」

「白蓮殿……」

 星はその言葉に思わず声が漏れた。それぐらいその言葉は喜びと驚きを感じさせる言葉だったのだ。桃香も愛紗もそれに驚きを浮かべているが、すぐに二人共に笑顔で頷いてみせた。

「うん! 言われなくてもそのつもりだよ!」

「ええ。我らもしんのすけ帰還に尽力するつもりです」

「桃香殿……愛紗も……」

 どこかで信じてはいた。それがこうして実際に聞くと余計に感じるものがある。そう思い、星は立ち上がり三人へ頭を下げた。心からの感謝を述べて。それに白蓮達は微笑みを返し、頭を上げてくれと告げる。
 自分達もしんのすけを思う気持ちは同じ。こんな子供に乱世を生きさせるのは辛い。故に、一刻も早くこの乱世を終わらせ、しんのすけが天に帰る事が出来るようにしてみせる。そう断言したのだ。

 そして、そう言い切った瞬間、それまで会話に参加していなかった鈴々が勢い良く手を上げ、告げる。

―――鈴々もなのだっ!

 親友と呼んでくれたしんのすけ。鈴々にとっては、初めての友人だった。昔住んでいた村にも仲間はいた。でも、それはどこかで上下関係を思わせるものがあったのだ。しかし、しんのすけは鈴々を敬いもしなければ恐れもしなかった。
 同等の存在と、そう扱ったのだ。それが鈴々にはこの上なく嬉しかった。正直言えば、鈴々はしんのすけと別れたくない。だが、しんのすけにいつまでも家を離れ、家族とも離れて暮らして欲しいと言える程、鈴々は自分勝手ではない。

「鈴々もしんのすけをお家に帰すために頑張るのだ! だって、鈴々は親友だもん!」

「おおっ! オラも鈴々ちゃんと同じように頑張るぞ。みんなで早く困ってる人がいないようにしよー」

「キャンキャン!」

 鈴々の親友との言葉にしんのすけも応えるように告げる。シロはそんなしんのすけに呼応し、声を上げる。それに誰ともなく頷き、笑顔を返す。こうして、この日の夜は過ぎていった。そして……



 ある日の朝、いつもの早朝鍛錬をするために星と共に中庭に向かうしんのすけ。だが、そこにはいつもとは違う雰囲気の桃香達がいた。そして、鈴々に白蓮もいる。それにしんのすけが首を傾げると、桃香が鈴々を軽く前に押しやった。

「ほら、鈴々ちゃん」

「う、うん……しんのすけ、今日は鈴々と勝負なのだ!」

「お? 鈴々ちゃんと?」

 突然の申し出に軽く疑問を浮かべるしんのすけ。すると、愛紗は星の前へ歩み出た。それだけで星は何かを理解し、小さく笑みを浮かべて一歩前に出る。

「私の相手はお前か、愛紗」

「ああ。これでしばらく出来なくなるだろうからな」

 互いに笑みを見せ合ったのはそこまで。そこからは武人の顔となり、無言で見つめ合う。桃香も白蓮の前に立ち、真剣な眼差しで告げる。

「白蓮ちゃんは私の相手をお願い」

「だと思ったよ。いいさ。本気で行くからな」

 同門の者として、二人は頷き合って歩き出す。星と愛紗も同じように動き出す。しんのすけと鈴々だけがそこに残された。しんのすけは四人を見送り、その雰囲気から何か今日は違うと感じ取っていた。
 故にそれを聞き出そうと思い、鈴々へ視線を向けた。だが、それを尋ねる事は出来なかった。鈴々の表情はどこか悲しそうだったのだ。その原因が分からず、困惑するしんのすけ。そんな彼へ鈴々は無言で構える。そして、小さく息を吸い込み、告げた。

「しんのすけ、これが鈴々からの餞別なのだ」

「え? せんべい?」

「行くぞっ! なのだ!」

 蛇矛がしんのすけへ突き出される。それを上体をそらす事で避けるしんのすけ。それに鈴々は若干驚きを見せるも、嬉しそうに頷いて攻撃を続ける。しんのすけはそれらを避け続ける。だが、徐々に押し込まれるように後ろへと下がり始めた。
 鈴々は本気を出していない。だが、ある意味で本気だ。それは倒すという気持ちではなく、しんのすけへの惜別の思いを込めているから。今日、桃香達はこの城を出る。その後は、おそらくしんのすけと再会する事は難しいと、鈴々は感じている。

 だから、この時間が最後になるかもしれない。そんな思いが鈴々を突き動かしていた。蛇矛を動かしながらも、脳裏にしんのすけとの日々が思い出される。初めて会った時になのちゃんと呼ばれた事。初めて遊んだ時、色々な天の遊びを教えてくれた事。
 初めてのアクション仮面ごっこで自分に主役をやらせてくれた時、後から聞いたら、しんのすけはその主役が大好きだと知った。なので、どうして自分へと尋ねた際、まずは楽しさを知ってもらいたかったと告げられた事。昼食を共にし、他愛もないシロの仕草を見て二人で笑ったり、休みが重なった時は二人で庭で疲れ果てるまで遊び、汚れた互いの顔を見て笑い合った事。思い出せば、この短期間でもしんのすけとの多くの思い出が鈴々の中にはある。

(しんのすけと別れるのは嫌だ! でも、そのせいでしんのすけが困ったりするのはもっと嫌なのだ!)

 蛇矛を振りながら、鈴々はどんどん視界が滲んでいくのを悟り、片手で目元を慌てて拭う。だが、それでも滲みは酷くなる一方だった。その度に手で拭う。拭う。拭う。それでも止まらない。涙はまるで堰を切ったダムのように止めどなく流れ出す。
 いつしか鈴々は足を止め、両手で目元を拭っていた。蛇矛は地面に転がり、足元にはいくつもの水滴が落ちている。嗚咽を漏らし、しゃくり上げる鈴々。そこへしんのすけが静かに近付き、鈴々に対して軽く首を傾げて問いかけた。

「鈴々ちゃん、どうして泣いてるの? どこか痛いの?」

「ヒック……痛く、なんか、ない、のだ」

「そっか。鈴々ちゃんはオラよりも強いもんね。そんな事じゃ泣かないか」

 そのしんのすけの言葉に鈴々は完全に堪え切れなくなった。自分は強くない。しばし別れるだけで泣いているのだ。しんのすけは家族達と知らない間に別れているにも関らず、こうして笑う事が出来ている。それを思い、鈴々は大声で泣いた。
 強くなんかないと。別れたくなんかないと。そう涙混じりの大声で叫ぶ鈴々。それに星達も手を止め、視線を向けた。そこには、燕人張飛はいなかった。親友との別れを嫌がる一人の少女がいるだけだった。

「鈴々……」

「星よ、あの気持ちは私も同じだ。鈴々は我らの代わりに泣いてくれている」

「……そういう割には、目が潤んでおるぞ?」

「う、うるさいっ! こういう時は分かっていても言わぬものだろう!」

 星の返しに愛紗はそう言い返すと顔を背けた。その顔は耳まで真っ赤だ。しかし、その星の言葉が自分を気遣ってのものと理解し、愛紗は内心で礼を述べる。軽くからかう事で泣き顔を見せずに済むようにと。そう思って星が言葉をかけてくれたのだから。
 愛紗もしんのすけの事を弟のように思っていた。色々とからかいや悪戯もされたが、それでも憎めず、微笑ましく思う時さえあった。鍛錬も思った以上に励み、その成長を感じる度に強い喜びを覚えたものだ。時折、星から冗談交じりに母親のようだと言われるぐらい、愛紗は世話を焼いたのだから。

 一方、桃香と白蓮は二人と違い、完全にもらい泣きしていた。そう、今日別れる桃香だけでなく、白蓮もどこかで思っている。いつかしんのすけと星が自分から離れていくと。いつか来るだろう別れを考え、白蓮は涙を流す。
 桃香は、しんのすけをある意味で目標にしていた。辛い現実を見ても挫けず、それを変えていこうと強く思い続ける心。どんな時でも笑い、誰かを笑顔にする事が出来る性格。それを自分に見せ、希望と勇気を教えてくれたしんのすけの事を。

「ぐすっ……鈴々ちゃん、泣いちゃ駄目だよぉ」

「桃香ぁ、言いながらお前も泣いてるぞ」

「白蓮ちゃんだって……」

「うるさいな。私はああいうのに弱いんだ……」

 二人の視線の先では、しんのすけが泣き止まぬ鈴々を心配して、汗拭きようにと持ってきた手拭いを無言で手渡していた……



「すごいですな……」

「キャン!」

「こんなに集まるのかよ……やっぱり許可するんじゃなかった」

「おー、人がたくさんいるぞ! ねぇねぇ、お祭りか何か?」

 城壁の上から城門前を見つめているしんのすけ達。ちなみにしんのすけは見えないと言ったため、星が持ち上げている。シロはそんなしんのすけの腕の中だ。一方、義勇兵を募った桃香達も予想以上の数に驚きを隠せなかった。

「うわ~、凄いねぇ……」

「よもやこれ程とは……」

「にゃ~、たくさんなのだ」

 桃香達としては、精々三千いけば良い方だと思っていたのだが、それを楽に超えるとなれば驚きもする。その原因は、白蓮の下で将をしていた愛紗と鈴々の武勇を聞き及んだ者達がこぞって参加したからだ。
 そのため、これだけの者達がいる。白蓮が募ってもここまでは集まらないだろう。やはり名を上げている者がいるだけで、これ程の差が出るのだ。白蓮はそう思い知ったのか、ため息を吐いて桃香達へ近付いた。

 そして、約束通りに鎧など一式を用意すると告げた。それに桃香達も戸惑うも、白蓮が苦笑しながら告げた言葉に有難く甘える事にした。

―――いいさ、あれが全部しんのすけのための力になると思えば。

 それにしんのすけを除く全員が苦笑した。すると、しんのすけが星に何かを言って、自分を下ろしてもらう。そして、桃香達の元へ近付き、シロを下ろして手を差し出した。それに桃香達が疑問符を浮かべる。
 しかし、星だけはそれで全てを悟った。なので、しんのすけの隣へ歩き、同じように手を差し出して、その手に重ねた。それに桃香達が益々疑問を強める。

「桃香殿、これでしばらく会えなくなるでしょう」

「だから、オラ達とお仲間のお約束だぞ」

 その言葉に白蓮は何か勘付いたのか、手を叩いた。そして、自分の手もそこへ重ねる。疑問符を浮かべ続ける桃香達へ、白蓮は小さく笑みを浮かべながら告げる。それは、桃香だけには意味を理解出来るもの。

―――大陸防衛隊の誓いだろうさ。

 それに桃香は小さく声を漏らし、嬉しそうに手を重ねた。そして理解出来ない愛紗と鈴々へも、同じように手を重ねるように言い、それに二人も不思議に思いながらも倣う。六人の手が重なったのを見て、星が周囲へ簡単な説明をする。
 白蓮や桃香は頷き、愛紗と鈴々はまだ完全に理解した訳ではなかったが、しんのすけが自分達と誓いを立てたいと思っている事は理解したのだろう。合言葉だけはしっかり覚えたと頷いた。

「さ、しんのすけ」

「号令を頼むぞ」

 星と白蓮の言葉に無言で頷くしんのすけ。そして視線を桃香達へ向ける。

「だいじょーぶ?」

「うん、ちゃんと覚えたよ」

「言い慣れん言葉だが、天のものでは仕方ないか」

「いつでもいいのだ!」

 笑顔の桃香。苦笑の愛紗。元気な鈴々。表情は違えども、根底の気持ちは同じだ。志を同じくする者がいるという嬉しさ。それだけで心が強くなれるのだから。しんのすけは三人の言葉に力一杯頷き、大きく息を吸い込んだ。

―――たいりく防衛隊、ファイヤ~ッ!

―――ふぁいや~っ!

―――キャンキャ~ンッ!

幽州の空に響く七つの声。今、ここにしんのすけと桃香達の絆が結ばれた。これもまた乱世を止める力に変えて。
動き出した世界。波乱の歴史の幕が上がる。しんのすけを取り巻く状況も、その波に流れてゆく。
しかし、それでも彼は止まらない。歩みは遅くとも、着実に前へと進んでいく。本人の知らぬ内に、少しずつ……




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黄巾の乱開始。ですが関連するのは、精々あの三人との出会いぐらいです。あ、歌姫ではないですよ。

ここ最近の作品の感想数に対して不安を抱く今日この頃です。自分、文才がないからなぁ……面白くないんですかね、やっぱり。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第九話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/25 07:22
 黄巾の乱。後にそう呼ばれる事になる今回の戦乱。それが始まって既に一週間。各地で勢いを見せていた黄巾賊だが、曹操や袁紹といった有力諸侯が本格的に動き出すと、その散発的な暴動も次第に抑えられ始めた。
 更には、官軍の飛将軍呂布が、たった一人で三万もの軍勢を蹴散らしたという嘘か誠か分からない噂まで流れた。そしてそんな頃には、大陸での黄巾賊の影響力は弱まり出していた。幽州にもその影響は出ていて、白蓮と星の活躍もあってか安定を取り戻しつつあったのだ。

 一方で、元から有名だった曹操や袁紹と違い、この乱で名を上げる者達がいた。その中には、しんのすけ達と別れた桃園の三姉妹こと桃香達もいた。彼らは義勇軍として各地を転戦し、途中出会った曹操軍に協力する事でその名を天下に知らしめていく。
 そして、もう一人。江東の虎と呼ばれた孫堅の娘である孫策もまた、名を上げていた。孫策達は袁術の客将として動いていたのだが、今回の戦乱に対応するべく孫家縁の者達の招集許可を具申。それを袁術が許したため、散り散りにされていた孫呉の者達を呼び集め、その団結力を以って黄巾賊を次々に制圧したのだ。

 勢いを削がれていく黄巾賊。しかし、それでもまだ、首魁と言われる張角は見つかっていない。安定に向かいつつあるが、まだ不安は尽きない大陸情勢。そんな中、今日もしんのすけは……

「ケツだけ星人! ぶりぶり~、ぶりぶり~」

「くっ! このっ! え~い、ちょこまかと!」

 星相手にケツを向け、元気に鍛錬をしているのであった……



「くそ~、今日は少ないくせに意外と粘るな」

「奴らも必死なのでしょう。聞けば、そろそろ黄巾賊の奴らの本拠地が危ういとか」

「お~、ならもうすぐいさくも終わるね」

 白蓮達は今日も幽州に残る黄巾賊の討伐に出ていた。もう数をかなり減らし始めたとはいえ、油断すれば何をするか分からない。そう思い、白蓮は発見の報告を聞く度にこうして出撃していたのだ。今回は、元々どこかで戦っていたのか少ない数だったので、予想以上に早く終わるだろうと踏んでいた。
 今回しんのすけがそれに随伴しているのは、ちょっとした彼の行動からだった。いつも戦に置いていかれる事に、密かに不満を抱いていたしんのすけ。そのため、今日はシロに自分の普段着を着せ、庭に寝かせておいた。それを白蓮は見て庭で軽く休憩をしてると判断し、何も言わずに出撃準備をした。だが、しんのすけは自分の本来の服を着て、その後を悠々とついて行き、馬に乗って走り出そうとした白蓮の足へ飛びついたのだ。

 そこから器用に白蓮の体をつたって登り、見事にその前へ着地した。勿論、白蓮はしんのすけを降ろそうとした。だが、しんのすけがどうしても連れて行って欲しいと言ったため、仕方なく折れた。
 それに、しんのすけの着ている服がいつもと違う事に気付き、その理由を尋ねたのもある。白蓮の疑問にしんのすけはこう断言した。

―――オラのハタジルシだぞ!

 それに白蓮も星も理解出来なかったが、しんのすけが背中を見て欲しいと告げ、服の表裏を入れ替えた。そこにあったのは黒い糸で描かれたしんのすけとの文字。無論、二人は平仮名を知らない。なので、しんのすけがそれを説明した。自分の名を入れているのだと。
 それに二人は旗印との意味が何となく理解出来た。そして、同時にしんのすけがどうしてそれを着ているかの理由も。なので、白蓮もしんのすけを連れて行く気になったのだ。そこまで考えているのなら、と。

「しんのすけ、いさくではなく戦だ。しかし、確かにもう終わりも近いかもしれませんな」

「だなぁ。とはいえ、それはこっちだけだろうがな」

「どうして?」

「幽州はかなり北に位置する。つまり、中央から離れているのだ。黄巾賊が激しく暴れているのは中央の辺りだからな」

 星の説明にしんのすけは頷いていた。だが、どことなく理解出来てないだろうと悟り、白蓮がもっと簡単に言い表そうと思い、少し考え出す。

「そうだな……その、ここはあいつらの仲間が少ないんだ。中央はあいつらの仲間が沢山いる。で、やられた奴は仲間が多い方へ逃げていく。だから、こっちはもうすぐ平和になるって事さ」

「あ~、そうゆーこと」

 白蓮の告げた内容は正解ではない。だが、理解とすればそんなものでいい。そう判断し、星も何も言わなかった。そして、残った残党も捕らえ、全てを終わらせたと思った時だ。周辺の偵察などをしていた者が白蓮達の元へ駆けつけた。

「申し上げます。こちらに接近する軍勢あり。旗印は袁、顔、文」

「げっ! 麗羽達が近くに来てるのか……」

「白蓮殿、それはもしや……?」

「ああ、袁紹だ。確かにこの辺りはあいつの領地に近いけど……」

 その相手の顔を思い出したのか、白蓮は少々嫌そうに表情を曇らせる。しんのすけはその袁紹との響きに聞き覚えがあったため、星へ視線を向けた。それに星も気付き、その理由を悟って頷いた。
 袁紹とは、稟や風が向かった場所を治めている領主の名前だと。それにしんのすけはやはりと頷き、視線を白蓮が向けている方へ動かす。そこには、確かに土煙が見える。

 実は、ここは領土の境目に近い。そして、白蓮は今朝の報告を思い出してため息を吐いていた。報告はこうだ。黄巾賊と思われる者達が幽州へ流れてきている。そう、流れてきていると言っていたのだ。
 その流れてきている方向を確かめておくべきだったと、白蓮は今更ながらに後悔していた。おそらく、その元々いた場所が袁紹の領土だったのだろう。だから、あれだけ数を減らしていたのだ。

 そう結論を出し、白蓮は渋々ながらその近付いてくる軍勢向かって馬を走らせる。しんのすけは白蓮にしっかりとしがみ付き、振り下ろされないようにしていた。やがて、その速度が緩み、風の抵抗も弱まっていく。
 しんのすけはそれを感じ、視線を前方に向けた。そこには、何もなくただ大勢の人間がいるだけだった。しんのすけは、それを見てあの戦国時代での合戦以上だと感じた。あの時もかなりの数の兵士がいた。だが、今のしんのすけが見ている軍勢はそれを更に超える数だったのだ。

「すごいぞ……これ、全部兵隊さん?」

「ああ。あいつ、ただの残党狩りでここまでの軍勢を動かす事もないだろうに」

 しんのすけの問いかけにやや呆れるように答える白蓮。小声で、相変わらず派手好きだなと呟いている。すると、そんな二人の前に馬に乗った三人の女性が現れた。それを見て、白蓮は嫌そうな顔を浮かべ、しんのすけはその容姿に目を輝かせた。

「あ~ら、白蓮さん。奇遇ですわね」

「久しぶりだな、麗羽。と言うか、奇遇も何も、お前達が追っかけてただろう奴らは、さっき私達が片付けたぞ」

「あ、そうですか。ほら、文ちゃん、やっぱり言った通りじゃない。幽州へ向かったから、絶対白蓮様が終わらせてるって」

「ちぇ! せっかくこの文醜様がとどめを刺してやろうと思ったのによ」

 麗羽と呼ばれた金髪女性―――袁紹は白蓮に対し、どこか上から目線で話す。それがどうも常らしく、白蓮はそれにどうこう言う事はない。そんな白蓮の言葉を聞いて、黒髪の女性が安堵して視線を別の女性へ向けた。ショートヘアーの勝気そうな女性―――文醜はそれに舌打ちし、退屈そうに声を返す。

 それに白蓮は相変わらずと思いながらも、視線を黒髪の女性へ向けた。その視線はどこか軽い同情の色を秘めている。

「お前も相変わらず苦労してるな、斗詩」

「あはは……慣れてはいるんですけど」

 斗詩と呼ばれた女性―――顔良は苦笑し、ため息を吐く。白蓮もそれには同意せざるを得ない。何せ、たまに会った自分でさえ疲れるのだ。これが、彼女は毎日顔を合わせ、そのワガママと無茶振りに付き合わされているのだから。
 と、そこで白蓮はしんのすけを軽く紹介しておこうと思い、視線を下に向けた。だが、そこにはしんのすけの姿はなかった。それを白蓮が確認するのと同時に、袁紹が驚いた声を上げた。

「きゃあぁぁぁっ! な、何なんですのっ?!」

「あは~、おねいさん髪クルクルだぞ~」

 しんのすけが袁紹の背後にしがみ付き、その金髪を指に絡めてにやにやと笑っていたのだ。それに白蓮は脱力。文醜と顔良はあまりの事に呆然としていた。だが、文醜は武将故の反応で即座に我に返ると、袁紹にしがみ付くしんのすけを引き離そうとした。
 しかし、しんのすけへ伸びた手はその体を捉える事はなかった。しんのすけはその手を避けるのでも、かわすのでもなく、袁紹の髪を代わりに掴ませたのだ。

「あれ?」

「イタッ! ちょっと猪々子さん! 何故私の髪を掴んでますの!?」

「あっ、すみません! くそっ……あのガキどこ行った?」

 袁紹の髪を慌てて手から放し、文醜はしんのすけを見つけようと周囲を見渡す。すると、その耳元に突然息と共に言葉が吹きつけられる。

―――ここにいるぞ。

 それに文醜は全身の力が抜けたようになり、気の抜けた声を出してへろへろと倒れる。しんのすけは素早くその体から離れると、再び袁紹の馬へと乗り移る。髪を解放され、安堵していた袁紹だったが、そこへ再びしんのすけが現れた。
 しんのすけは袁紹の前に座ると、その顔を見つめた。袁紹は、その顔を見てやや困惑する。そう、先程はしんのすけが背中にいたため、顔を見ていなかったのだ。しかし、どこかで目の前の相手が自分の髪で遊んでいた者と感じ取ったのだろう。視線を鋭くし、問いかけた。

「貴方、先程私の髪を弄びましたわね?」

「お? 何だって?」

「も・て・あ・そ・ぶ。つまり、いじりましたわね?」

 袁紹はやや怒りを滲ませて告げる。だが、それにしんのすけは感嘆の声を上げた。

「おー、もてあそぶってそうゆー意味なのか。お姉さん、物知りだぞ」

「え? ま、まぁこれぐらい当然ですわ」

「じゃ次の問題です。足が一本、目が三つの物ってな~んだ?」

「足が一本で目が三つ? 聞いた事がありませんわね……」

 しんのすけへの怒りもどこへやら。袁紹は褒められた事からすっかり意識を逸らされ、しんのすけが告げたナゾナゾに頭を抱え出す。それに顔良と文醜は唖然。気分屋である袁紹を翻弄し、尚且つ自分のペースに巻き込んだしんのすけへだ。
 一方の白蓮は苦笑していた。初対面で袁紹と平然と会話出来るのは予想出来た。だが、まさかここまであっさりと自分のペースに持っていくとは思わなかったのだから。

(しんのすけの奴、麗羽相手でこう出来るのか? 少しその才能を分けて欲しいよ)

「足が一本……目が三つ……」

「そっちのお姉さん達は分かる?」

「え? う~ん……あやかしの類かなぁ……? 文ちゃんは?」

「斗詩に分かんないもんが、あたいに分かる訳ねーじゃん」

 袁紹だけでは埒が明かないと思ったのか、それとも何となく聞いてみたのか。しんのすけは顔良と文醜へも同じ事を考えさせる。しかし、当然ながら二人にも心当たりがあるはずもなく、顔良は真面目に考え込み、文醜は端から投げた。
 それを見て白蓮が密かに笑みを浮かべた。そして、そのまま眺めていると、星が遅れてそこへ現れた。だが、眼前の光景を見て何かを悟ったのか、小さく苦笑すると白蓮へと近付く。

「初対面でこれですかな、白蓮殿」

「ああ。見ろよ、あの麗羽が子供相手に普通に話してる」

 白蓮が指差す方では、しんのすけが袁紹に先程の答えを教え、文句を言われていた。そう、答えは”足が一本、目が三つのお化け”だったのだから。現代であれば、信号機と答える初歩的なナゾナゾ。それをしんのすけは、こう答えを定義しているのだから性質が悪い。
 それを知らぬ袁紹達ではあるが、それでもしんのすけの答えには納得がいかないと文句を述べている。特に文醜。あんな事を言いながら、結構考えていたようだ。

「んもぅ、大人なのにグチグチ言わないの。じゃ、第三問……」

「うし、こい!」

「今度は当てますわ!」

 意気込む袁紹と文醜。だが、そんな二人を見て顔良はふと気付く。自分達がどうしてここに来たのかと、そしてこれからどうしなければならないのかを。

「……あの……帰りましょうよ」

「「斗詩(さん)、静かにっ! 問題が聞こえない(ですわ)!」」

「ううっ……いつもこうだ……」

 静かに悲しむ顔良を見て、白蓮は心から哀れに思い、星は白蓮と同じような人種と思って小さく笑う。そして、しんのすけによる理不尽ナゾナゾは、第五問目、ウサギとカメが競争したらどっちが勝つとの問いに、普通に考えた袁紹が、第七問目、ひろしとみさえ、どっちが強いとの問いに、直感で文醜が正解するまで続いたのだった……



「では、しんのすけさん。今度は全問正解してみせますから覚悟していなさい」

「じゃあな、しんのすけ。お前の問題楽しかったぜ。また機会があったら会おうな」

「じゃあね、しんちゃん。でも、今度はちゃんとした問題にしてね」

「ほっほ~い! バイバイ、お姉さん達~!」

 ナゾナゾを通じて袁紹達に妙な親しみを持たれたしんのすけ。馬で去って行く三人へ力一杯手を振って見送る。そんなしんのすけを星も白蓮もどこか楽しそうに見つめていた。袁紹は名門の出。それが他者に翻弄されるなど見た事が無かった白蓮。星は、噂に聞いていた袁紹がその通りだった事に笑みを浮かべているのだが。

 三人が軍勢と共に去って行くのを見つめ、しんのすけは何かを思い出し、がっくりと肩を落とす。それに二人の表情が不思議そうに変わった。すると、しんのすけは搾り出すようにこう呟いた。

―――お名前を聞くの忘れてた……

 それに星も白蓮も大笑い。星がまた今度にでも聞けばいいと言えば、白蓮は袁紹達の暮らす南皮は幽州からそう遠くない場所だから、その気になればいつでも行けると返した。それを聞いてしんのすけは力無く頷き、遠くなった袁紹達を見つめて大きくため息を吐く。
 そんな彼を抱き抱えるため、馬から一旦降りる白蓮。そして、再び馬に跨ると、白蓮は城へ帰るとの指示を全軍へ通達するのだった……



 その日の夜。しんのすけは星からある報告を受けていた。それは、今後の事。今の乱が治まった後、星は幽州を離れようと思っていると。それを聞いてしんのすけは軽い疑問をぶつけた。ここで情報を得ようとしていたのではないのかと。
 それに星はやや苦笑し、ある事を教えた。それは、白蓮の告げた言葉。星が幽州を離れたとしても、引き続き鏡の情報を求め続ける。しんのすけのために。それを聞いてしんのすけは嬉しそうに声を上げるが、それに星が注意した。

「しんのすけ、この事を白蓮殿に言ってはならんぞ。白蓮殿は、お前には言うなと言っていたのでな」

「そっか。なら、白蓮ちゃんにお礼は言っちゃダメなんだ」

「ああ。だが……手はある」

「お?」

 星がにやりと笑った。それにしんのすけが不思議そうに声を返す。それに星が手招きをし、しんのすけへ耳打ちする。その内容にしんのすけは何度も頷き、徐々にその表情を感心したようなものへ変えていく。
 全てを伝え終えた星は満足そうに笑う。しんのすけは星から言われた事を実行に移す事を決意し、明日ある物を白蓮からもらおうと決めた。そして、翌日……

「は? 竹簡が欲しい?」

「ほい」

「いいけど……何に使うんだ?」

「ちょっとおベンキョー」

 しんのすけの答えを嘘だと気付く白蓮だったが、竹簡の一つぐらいならいいかと思い、まだ使っていない物を文官達からもらっていいと許可を出す。それにしんのすけが嬉しそうに返事をし、執務室を出て行く。
 その後ろ姿を見送り、白蓮は小さくため息。大陸を襲った黄巾の乱は既に収束の気配を見せていて、現在曹操や孫策達はその本拠地を取り囲んでいるとの報が今朝入ったのだ。そこから、白蓮は星の旅立ちが近い事を悟っていた。

 まだ正式には聞いていない。だが、桃香達が発った日の夜、話をされた。乱が収まったらここを発とうと考えていると。白蓮はそれを引き止めようとはしなかった。星がどうしてそんな事をするのかを理解していたからだ。
 自分は星がその武を捧げる主ではなかった。故に、その相手を捜す旅に出るのだと。大きな乱が収まった後は、少しの間かもしれないが大陸は落ち着きを取り戻す。その間に各地を回り、諸侯を見て回ろうと考えているのだろう。そう白蓮は考えていた。

(それには……しんのすけも連れて行くはずだ。だからこそ、乱が収まった後を狙うんだからな)

 星はおそらく主人を見つけ出す事と並行し、しんのすけの帰還についての情報も探すはずだ。そう考え、白蓮は大きくため息を吐いた。桃香達がいなくなる事は最初から覚悟していた。何故なら、桃香は誰かに仕える事で終わる器じゃないと感じたから。
 星も最初から覚悟していた。客将にこだわった時から、こんな事になるんだろうと、どこかで感じていた。でも、しんのすけはそんな風に考える事が出来なかった。星が連れて来た。だから、星と共にいなくなる。それは簡単に分かりそうなものだったのに。

「でも、私はあいつをただの子供と扱いたかった……」

 誰にでもなく呟く。天の御遣いだとそう言われた時、一瞬だけそれを利用出来るかもしれないと思ったりもした。でも、そんな考えはしんのすけを見たらすぐに消えた。無邪気にシロと遊ぶ姿を見て、どうしてそれを利用しようなどと思えるか。
 この時代、自分の下に天の御遣いがいると喧伝すれば、どれ程の影響力を天下に与えるかなど、白蓮でも嫌という程分かる。だが、だからこそ出来なかったのだ。子供を使って大人のした事にケリをつける。そんな恥知らずな真似が出来る白蓮ではない。

(そうさ……この乱世は私達大人が招いた結果だ。朝廷のせいだけじゃない。こうなるまで手を打てなかった私達の無力もある)

 それが天の御遣いを、しんのすけを呼んでしまった。そう考えると、白蓮は自分の無力さに嫌気が差す。太守になり、幽州を守る事だけで満足してしまっていた。どこかで、それだけが自分の精一杯だと思い込む事で。
 でも、しんのすけは何の後ろ盾もない場所から、大陸を助けたいと決意した。それを聞いて、白蓮は痛感したのだ。子供でさえ抱く思いを、願いを、どうして自分は忘れてしまったのだろうと。確かに、いつかは抱いていたはずの思いだったのに。

(引き止めないぞ、私は。あれは、しんのすけは大陸の希望だ。本人にそのつもりは無くとも、周囲があいつに影響されて変わっていく。私や桃香のように……)

 しんのすけの存在そのものを利用するつもりはない。だが、それが与える影響を利用しない事はない。しんのすけが与える影響。それが必ずこの乱世を止める力になる。ならば、それを最大限活用し、一刻も早くしんのすけを天へ帰す事が、自分に出来る最大の協力だ。そう白蓮は考えていた。
 それが詭弁だと、どこかで分かってはいる。だが、それでも構わないと白蓮は思う。それを知られ、星達に罵られてもいい。しんのすけに嫌われても構わない。しんのすけが自分に教えてくれた事。思い出させてくれた事。与えてくれた思い出。それに比べれば、そんな事は何でもないのだから。

「しんのすけ……それでも私は……」

 ポツリと呟くその声に続く言葉は、何だろうか。それは、白蓮しか分からない……



 それから数日で黄巾の乱は終結した。首魁張角は曹操軍によって処断され、全てが終わったと大陸中に喧伝されたのだ。無論、それと同じように様々な事実が広まった。桃香達義勇軍の活躍や愛紗と鈴々の武勇。そして、孫呉の勇猛さや団結力に加え、孫策の凄さと勇敢さなども。
 それらの内のいくつかは意図して広められたものではあったが、嘘ではなかったため、瞬く間に大陸中を駆け巡った。多少の脚色などが加わったのは、意図された人為的なものかそれとも自然発生だったのかは定かではないが、とにかくそれは遠い幽州の地にまで聞こえてきたのだ。

 それを聞くや否や、星が白蓮へ職を辞して旅に出たいと告げた。それを覚悟していた白蓮は、それをあっさりと許可する事にした。まぁ、止めても無駄だと分かってはいたが、一応引き止めもした。結果は言うまでもなかったが。
 星はそんな白蓮の心遣いに感謝し、その日の内に旅支度をした。しんのすけはそんな事も知らず、普段通りに雑務に励んでいた。だが、その日の雑談の際、白蓮がどこか寂しそうだったので、何かあったのだろうとは気付いていた。そして、夜に星から翌朝にここを発つと聞かされ、しんのすけは頷いた。そして、用意していた竹簡を忘れないようにと着替えの傍に置いて眠りにつくのだった……



 明けて翌日、しんのすけと星はシロを連れて城門前に立っていた。そこには、見送りとして白蓮がわざわざ来ていた。実は、星の部下達や重臣の一部にも来ようとする者がいたのだが、それは白蓮が止めた。仰々しくするとしんのすけと星が嫌がると思ったからだ。よって、見送りは白蓮だとなった。そこには、周囲の者達が白蓮達だけにしようと最終的に考えた事も関係している。

「じゃ、白蓮ちゃん」

「僅かな期間でしたが、お世話になりましたな」

「キャンキャン」

 白蓮に声を掛けるしんのすけと星にシロ。ちなみに二人の格好は完全に旅装だ。白蓮はそんな二人の言葉にやや呆れるような表情を返す。

「おいおい、少しぐらい悲しそうにしろよ。桃香達の時の方がまだ雰囲気あったぞ」

 普段通りの態度に不満があるらしく、白蓮はそう告げた。それを聞いて、星はふむと呟いて視線をしんのすけへ向ける。その表情はいつものような飄々としたものだ。それを感じ取り、しんのすけも普段と変わらぬ表情で視線を返す。

「とは言われましても、なぁ?」

「言っても……ねぇ?」

「……嫌な予感がするが、一応聞く。言っても、何だ?」

 その二人の仕方ないとでもいうような反応に、疑問符を浮かべる白蓮だったが、何かに気付いて嫌そうな顔をした。すると、そんな彼女へ二人が顔を向けて普段の調子で声を揃えて告げた。

「「白蓮ちゃん(殿)ですし」」

「やっぱりそんなオチかっ!」

「クゥ~ン……」

 突っ込む白蓮。その哀れさにシロだけが同情するような声を出す。それに白蓮は悲しそうな表情を浮かべ、シロの頭を優しく撫でた。それにシロが嬉しそうな反応を返し、白蓮を癒す。だが、それも今日でお別れかもしれないと思ったのか、白蓮は微かに寂しそうに笑う。
 そして、視線をしんのすけへ向けて告げた。体には気をつけろよと。それに力強く頷くと同時に、しんのすけは何かを思い出したのか、竹簡を懐から取り出した。それを見て白蓮はいつか許可を出した物かと思い、どうするのだろうと見つめた。

「ほい」

「ん?」

「これ、白蓮ちゃんにあげる」

「白蓮殿、夜寝る前に見る事をお薦めしますぞ?」

 しんのすけが自分へ手渡してきたので、白蓮はそれを受け取る。何となくだが、これの内容を白蓮は予想していた。星の言い方からしても、きっと別れの言葉でも書いてあるのだろうと。だが、そんな思いを表情に出す事もなく、白蓮はもらった事に礼を告げた。
 そして、しんのすけ達を見送った。もし機会があればまた会おう。そう星とは言い合い、しんのすけには、絶対に周囲に迷惑を掛けるなと告げた。シロもそれに同調するように声を出していたので、白蓮と星は声を上げて笑ったのだった。

(さて、戻って仕事でも片付けるか……)

 今日からまた静かな日々になる。そう思い、白蓮はどこか沈む足で城へと戻るのだった……



 白蓮と別れたしんのすけ達は、袁紹の城がある南皮へ向かって歩き出す。星の荷物の中には、白蓮が書いてくれた袁紹宛の書状がある。それを出して、もう一度袁紹に会おうと考えていたのだ。
 星はもう興味を無くしていたが、しんのすけが会いたいというのだから仕方ない。それに、もしかすればまだ稟と風がいる可能性もある。最後の連絡ではまだ南皮にいると聞いたが、生憎黄巾の乱のせいで途切れてしまったため、現在はどうしているかが分からない。

(まぁ、無事ではあるだろうが……心配ではあるな)

 二人があの乱に巻き込まれたとは思えないが、万が一もある。そういう意味でも、最初に向かう先として南皮は丁度良かったのだ。せめて足取りだけでも掴めれば。そう星は考え、しんのすけへ視線を向けた。

 しんのすけはシロと並んで歩いている。その背には、鍛錬で使っていた木刀がある。護身用兼鍛錬用だ。餞別の一つとして、白蓮がくれたもので、しんのすけは結構気に入っていた。
 白蓮との別れでも、しんのすけは特に感情を乱す事は無かった。それが星には正直意外だった。あの日泣かないと誓ったからだとは思うが、それでも感情が動くと思っていたのだ。

「しんのすけ」

「何?」

「白蓮殿との別れは平気だったのか?」

「うん。だって、オラはゼッタイ白蓮ちゃんとまた会えるって信じてるもん」

 しんのすけはそう言い切り、星へこう続けた。それに悲しんだら、白蓮が悲しむ。悲しんだ白蓮を見たら自分も余計悲しくなる。だから、悲しまないようにしようと思ったと。平然とそう告げ、しんのすけはケロリとしていた。
 稟と風との別れ。桃香達との別れ。そして、白蓮との別れ。ここに来て、しんのすけは多くの別れを経験した。だが、それらは少しも悲しい結末を迎えていない。また再会を信じているようなものばかり。だから、しんのすけはもう悲しまないようにした。

(困ってる人をお助けするなら、悲しむヒマなんかないぞ。救いのヒーローは、いつも笑顔でいないと)

 憧れるヒーロー達。それが悲しんでいる事はあまりない。それどころか、どんなに苦しくても諦めずにいる者達なのだ。それを知っているしんのすけは、自分もそうなろうとしていた。それでも、中々そうはなれないのが現状ではあるのだが。

「えっと、よいしょーさんのお城って遠いんだっけ?」

「よいしょーではなく袁紹だ。そうだな……それなりの距離はあるが、思っているよりは近いぞ」

 しんのすけの言い間違いを聞いて、中々言い得て妙だと思いながらも、星はそう訂正した。袁紹は確かによいしょに弱そうと思ったのだ。白蓮に対しての残念さんといい、今回のよいしょーさんといい、実に相手を捉えた間違え方だと思い、星は密かに感心していた。
 しんのすけは、星の告げた思っているよりも近いとの言葉から考え、到着日を尋ねた。まぁ、それは絶対に有り得ないものではあったが、彼からすれば十分な期間だったのだろう。

「そっか。じゃ、明日には着く?」

「明日は無理だ」

「じゃ、明後日?」

「それも無理だ」

「ちょっとっ! 全然近くないぞ!」

「キャンキャン!」

「だが、半月もかからん」

 星は、ややむくれるしんのすけとそれに同意するシロへ苦笑混じりに告げる。馬があれば話は別だろうが、馬は高い。駄馬でも良ければ安く手に入るが、それなりに走る馬となると、途端に値段が変わるのだ。実は、星も正直馬を買うかどうか迷った。
 だが、馬の代金にその食費も考えると意外と馬鹿にならないものがある。そのため、結局は諦めざるを得なかったのだ。冗談で、シロが巨大化して乗れるようになればいいのだがと、そう呟いた星だった。

 しんのすけはむくれたままで、荒野を歩き続ける。星はそんなしんのすけを宥めようとも、機嫌を取ろうともしない。その代わり、ある話題を出す事にした。それは、桃香達の事。現在、桃香達は平原を任されていて、懸命に働いているのだ。
 それを星から聞き、しんのすけは膨れながらも、疑問に思った事をぽつりぽつりと尋ね始める。それに星は内心で笑みを浮かべるも、平然と受け答える。それを聞きながら、しんのすけは次の疑問や質問をしていく。表情を段々と普段のものに戻しながら。

 こうしてしんのすけの表情はいつも通りに戻り、シロもそれに応じるように普段の穏やかな雰囲気へ変わり、それを見て星は小さく微笑みを見せる。そんな風に緩やかな時間が流れるのだった……



 広い荒野での野宿。久しぶりの感覚にしんのすけの目は冴えていた。腕のシロもそんな彼に影響されてか、未だに目を開けている。星はそんなしんのすけとシロに苦笑し、早く寝ろと促すのだが、中々その目が閉じる事はない。閉じては少しして開き、また閉じては同じように開きを何度も繰り返したのだ。

「あ、眠りたいのに眠れない。眠れないから眠くない」

「妙な歌を歌うな。気持ちは分からんでもないが、早く寝ておかねば明日が辛いぞ」

 変な節を付け、しんのすけが歌う。それに微笑ましいものを感じるも、星は苦笑してそう返す。だが、それにしんのすけが寝たくても寝れないと返し、ため息を吐く。久しぶりの野宿で気が高ぶっているのだ。
 そんな様子を見て、仕方ないとばかりに星は子守唄を口ずさむ。それは自分が遠い日に聞いた唄。しんのすけは、その聞き覚えのない唄にしばらく耳を傾けていたのだが、そのまぶたが徐々に下りていく。星が気付いた時には、しんのすけとシロは安らかな寝息を立てていた。

「まったく……寝顔だけは歳相応だな」

 そう呟きながらも、どこか嬉しそうに星はしんのすけの頭を撫でる。黄巾の乱も収まり、一見平和になったかのような大陸。だが、誰もがどこかで気付いている。これは嵐の前の静けさだと。また近い内に戦乱が起きる。そんな風に考えている者達は多い。
 星もその一人。故に、この放浪が仕えるべき相手を見極める最後の機会と思っているのだから。もし、しんのすけが成人していて、自分の国を作ろうとしたのなら、星は迷う事無くそれに仕えただろう。それだけの想いが星にはある。

 だがどこかで、しんのすけは、決して自分の国を作ろうなどとはしないだろうとも思っていた。しんのすけは言った。自分もお助けすると。それは大陸ではなく、大陸を救う者を助けるという意味だからだ。
 だから、星は思うのだ。しんのすけが心から助けたいと思う相手。それを自らの主としようと。しんのすけに人を見る目があると思っているのではない。しんのすけの直感に賭けてみようと思っているのだ。彼の天の御遣いとしての天命。それがきっと、一番乱世を止める力を持つ相手を見出させるだろうと。

(こんな決め方で良いのだろうか……? いや、しんのすけが私についていくのは違うのだ。私がしんのすけについて行こう。幼くして世を救いたいと思った小さい英雄に、な)

 そんな事を思い、星は視線を上へ向ける。そこには、あの誓いを立てた時と同じような星空が広がっていた。もうあれからそれなりの時間が経過した。稟と風がどうしているのか。また、何か情報は得たのか。思いを馳せればきりが無い。
 そして、次に思うのは桃香達の事。まさか一気に平原を任されるようになるまで出世するとは思わなかったのだ。朝廷からそこに赴任させられた事や幽州にまで名が聞こえてきた事から考えても、桃香達はかなりの功績を挙げたのだろうと星は結論付ける。

 しんのすけが今選ぶとすれば、桃香かもしれない。そんな風にも思いながら、星も眠るために目を閉じる。まずは南皮へ行き、袁紹達に会わせてやろう。そう考えながら、星はふとある事を思い出す。

(白蓮殿は、もうあれを見た頃か? しんのすけは、中々泣かせる事を考えるものだ)

 最初は星から聞いた通り、白蓮へ感謝を伝えようとしたしんのすけ。だが、ある事を思いつき、星へ尋ねたのだ。それを伝えるにはどう書けばいいのかと。それを教えた星としては、しんのすけの考えが好ましく思えたのだから。
 今頃は、あの白蓮の事だ。一人部屋で泣いているだろう。そう考え、星は小さく笑みを浮かべる。もしかしたら白蓮を選ぶ可能性もあるかと思いながら……



「あ~、今日は疲れたなぁ」

 自室の寝台へ座り、一人呟く白蓮。二人の見送りから戻った後、軽い休憩だけで今まで仕事をしていたのだ。執務室から出る事はしなかった。庭を通る度に、しんのすけがいるような気がしてしまったから。シロが駆け寄ってきてくれるような気がしてしまうから。
 だから白蓮は中庭には出来る限り近付かないようにした。思い出して悲しくならないように。恋しくなってしまわないようにと。そのために、ひたすら仕事に打ち込んだ。余計な事を考えないように。

 そして、気がつけば明日の分までやっていたのだから笑えない。しかも中途半端に手を出したところで気付いたため、結局それにけりをつけるまで終われなくなり、遅い時間まで掛かってしまったのだ。そんな風に先程の事を思い出し、白蓮は一人苦笑いして息を吐く。

「はぁ~……もう寝よう」

 考える事を止め、眠ろうとする白蓮だったが、その視線が机の上の竹簡へ向く。星が寝る前に見た方がいいと言っていたので、一応その忠告に従い、今まで見ずに置いていたのだ。
 どうせ今までの礼が書いてあるのだろう。そう決め付けながらも、しんのすけがくれた物だと思い、どこか嬉しそうに白蓮は竹簡を開いた。そこにあるのは、しんのすけの書いた漢字が四文字だけ。

―――な、何だよ。たったこれだけか?

 そう呟く白蓮。だが、その声は震えている。文字はこうあった。謝々に再見。分かり易く言えば、”ありがとう”に”またね”と書いてあるのだ。別れの言葉ではあった。確かに礼でもある。だが、最後のまたねは再会を願うものだ。
 汚くてとても読み辛いが、それでも白蓮には、これをしんのすけが丁寧且つ綺麗に書こうとした事が伝わった。その文字に水滴が落ちる。それは一粒ではなく、いくつもいくつも落ちていく。文字が滲むのと同時に、白蓮の視界も滲んでいく。

 そう、思い出したのだ。桃香達は別れの際、何も受け取っていない事を。それと違い、自分は竹簡を受け取った。それが意味する事に、白蓮は泣いていた。桃香達よりも自分が特別視された。いや、そうではないだろうと白蓮は思い直す。そうだ、しんのすけは差別などしない。でも、これはそれに近い扱いだと、そう思った。
 ある時には、百の言葉よりも一の文字の方が多くを伝える事もある。それが、まさにこの竹簡だった。しんのすけの込めた想い以上のものを、白蓮はこれから感じ取ったのだから。

(くそぉ、星の奴め。しんのすけへ入れ知恵でもしたな?)

 涙を拭いながら、白蓮は内心で悪態を吐く。だが、その表情は嬉しそうに笑みを浮かべている。それでもいいと思ったのだろう。例え入れ知恵でも、それは紛れも無くしんのすけが書いてくれた気持ちでもあるのだからと。
 白蓮は涙で滲み、余計読み辛くなった竹簡を抱きしめ、心からの気持ちを込めて告げる。旅空の下で眠っているだろう少年へ、ありったけの想いと共に。

―――しんのすけ、私も同じ気持ちさ。これ、大事に取っておくからな。

 そう窓に向かって告げ、白蓮は小さく噛み締めるように呟いた。謝々、再見と……




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放浪編開始。最初は麗羽。そこから南下していく事になりますが、どうなる事やら。

出来るだけ各陣営二話か、多くても三話で終わらせたいと考えています。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/01 09:06
 南皮へ到着したしんのすけ達は、早速とばかりに袁紹の居城へ向かった。門番へ白蓮からの書状を見せ、袁紹への取次ぎを頼む星。しっかり、奇妙な問題を出す子供がいると伝えるようにと付け加えて。
 門番も白蓮からの書状に軽く目を通し、文字は読めずとも一先ず伺いを立てるべきと判断したのだろう。一人がそこから城の中へ向かい、もう一人がしばらく待てと告げる。しんのすけと星はそれに従い、そこで待つ。

 やがて門番の一人が戻ってきた。その表情は意外そうなもの。そう、書状を渡されたのは顔良だった。更に、門番が星の伝言を伝えた故に、すぐにしんのすけの事を思い出したのだ。
 なので、丁重に扱って欲しいと告げた。そのため、門番としては子供連れ相手に何故と思ったのだ。幽州からの使者だとしても、子供がいるのはおかしいと思っていたから余計に。

 だが、彼もそれに意識を切り替え、しんのすけ達へついてきて欲しいと告げ、歩き出す。星は、相手の言葉遣いが変わったと感じた。最初は、当然ながら対等か少し下にも思えるような扱いだったが、今は完全に客人扱いだと感じたのだ。
 理由を考えようとした時、星はしんのすけへ視線を向けて理解した。袁紹はともかく、傍にいた顔良はまだ賢そうに見えた。そちらが思い出し、具申したのではないかと。

「しんのすけ、いいと言うまでシロを離すなよ」

「ほい」

 今のシロはわたあめ状態。一言も話さず、無言を貫いている。犬だと分かると門番に止められると判断した星が、しんのすけへそうするように言ったためだ。なので、しんのすけは傍目から見ると、大きな綿を抱えているように見えるのだ。
 廊下をある程度歩き、二人はある部屋に通される。そこはどうやら応接室のようで、煌びやかな調度品が自慢するように置かれていた。星はそれを見て、感じた通りの意味合いがあるのだろうと判断した。

 袁家の威光や裕福さなどを客人へ見せ付ける。そんな考えで作られているのだろうと。しかし、そこまで考えて星は苦笑した。

(意外と何も考えておらんのかもしれん。ただ、自分の好きなようにしただけと言う方が袁紹らしいだろう)

 一度しか会ってはいないし、直接話した訳でもない。だが、何となくそんな気がしたのだ。ただ、それが意外な方向で効果を発揮する事になるのだろう。そんな結論に変更し、星は一人納得していた。
 しんのすけはシロを抱えたまま、椅子に座って部屋を見渡していた。白蓮の城とは違う様々な物。それらを眺め、何度となく頷きながら。その豪華さに感心しているのか、それとも圧倒されているのかは分からない。だが、少なくとも退屈はしていないらしく、その表情は興味を失ってはいなかった。

「あ、やっぱりしんちゃんだ」

「おー、しんのすけ。久しぶりだな」

 星が部屋の光景に興味を失い、椅子に座った瞬間、そこへ二人の女性が現れた。顔良と文醜は共に椅子に座るしんのすけを見て、笑みを浮かべながら近付いた。それにしんのすけも立ち上がり、嬉しそうに声を返す。

「おひさ~」

 本来ならば、袁家の重臣二人へそんな口の聞き方をすれば、注意されるか下手をすれば何らかの仕置きを受ける事もある。だが、二人は大人だ。子供のしんのすけが言う事に一々目くじらを立てる事はない。
 それに、これが公の場ならばともかく、私的な空間ならば余計に。そんな二人へ星は一応自己紹介。あの時は三人の興味はしんのすけへ注がれていた事もあり、それが出来ずじまいだったのだ。

「趙雲さんですか。私は顔良です」

「あたいは文醜。よろしくな」

 星に対して二人も名乗る。それを聞いて、しんのすけがやっと名前を聞けたと言って安堵した。そこで二人も自分達が名乗り忘れていた事を思い出し、苦笑する。そしてしんのすけへ、ちゃんと名乗らずすまなかったと告げた。

「ね、オラ二人の事どう呼べばいい? お姉さん達のお名前、ムズカシイから簡単に呼びたいんだ」

「そうだなぁ……どうする、斗詩?」

「じゃ、文ちゃんは文ちゃんでどう? 私は……」

 文醜へそう答える顔良。そして、自分はどうしようかと考える。顔ちゃんは少し嫌な感じがしたためだ。だが、しんのすけがそんな事を気にするはずもはずもなく、当然のように……

「あ、ならがんちゃんだね」

「やっぱりそうなるよね~」

 しんのすけの言葉に若干悲しそうに項垂れる顔良。それを見て文醜が苦笑する。しんのすけは、どうして顔良がそんな反応をするのかが分からず、疑問を浮かべていた。星はそんな三人を見つめ、小さく笑みを見せている。
 だが、そんな和やかな室内へ高らかに響く笑い声が聞こえてくる。どこか嫌そうな表情を浮かべる星。疲れた表情に変わる顔良と文醜。しんのすけはその声がする方へ視線を向け、声と共に指を指した。

「あっ! よいしょーのおねいさんだ!」

「誰がよいしょですのっ!」

 迅速にして見事な突っ込みだった。それを聞いて、星が白蓮を思い出すぐらいに。しかし、それを聞いた顔良と文醜は笑いを抑えようとしていた。

「くくっ……よいしょだってさ、斗詩ぃ」

「ふふっ……笑っちゃ駄目だよ、文ちゃん」

「……二人共、肩が震えていますぞ」

 互いに、袁紹から顔を背けて小声で話す二人。だが、星の指摘通りその肩が震えている。幸い、袁紹の視線はしんのすけへ向いているので、それに気付いてはいない。それを良い事に、二人はそのまま小さく笑い続ける。よいしょとの単語を何度も繰り返し、肩を震わせていたのだから。
 一方、袁紹はしんのすけへ近付き、自分の名前を力強く名乗っていた。それにしんのすけも頷き、頭を下げた。名前を間違えてごめんなさいと。その素直さに袁紹は軽く毒気を抜かれたようになったが、子供相手にあまり言い続けても仕方ないとでも思ったのか、それで許してやる事にしたようだ。

「まぁ、分かればいいですわ。それで? その大きな綿は何ですの」

「これ? うんと……」

 袁紹に教えようかとも思ったしんのすけだったが、一応星に聞くべきかと思い、視線をそちらへ向けた。星は顔良と文醜に、白蓮が最初にしんのすけから呼ばれた名を教え、二人を更に笑わせようとしていた。

「残念……残念さんって……っ!」

「ぱ、白蓮様が不憫だ。でも……ぷっ!」

「そうなのだ。始めの頃は、会う度会う度残念さんのお姉さんと……」

 星がそう言った瞬間、二人が耐え切れなくなったのか声を上げて笑い出す。それに星はしてやったり顔。しんのすけはそんな星へシロを持ち上げ、声をかけた。もういいのかと。それに気付き、星はふむと少し考え、袁紹へ視線を向けて尋ねた。

「袁紹殿、犬はお嫌いですかな?」

「犬? いえ、別にそうではありませんわ」

「ならば……よし、いいぞ」

「ほーい」

 そう返事をして、しんのすけは袁紹の足元にシロを置いた。そして、一言告げる。

「シロ、もういいよ」

 その声と同時に本来の状態へ戻るシロ。心なしか若干疲れている。長い時間丸まっていたのが堪えたのだろう。袁紹は大きな綿が犬に変化したと思い、驚きを見せていた。だが、そんな彼女へしんのすけがシロを抱えて差し出した。
 それにやや不思議そうな表情を返す袁紹。すると、しんのすけが袁紹へ告げた。軽い芸が出来るから何か言ってみてと。それに袁紹はならばと手を差し出す。そして、お手と言おうとしたのだが……

「あら?」

 シロは袁紹が何か言う前にその手に自分の手を乗せた。それに袁紹が軽い驚きを見せると、しんのすけがシロを下ろした。そこからしんのすけによるシロの隠し芸披露会になった。お座りに伏せから流れ、チンチンカイカイと死体ごっこと展開し、とどめは円熟の域に達したわたあめでフィニッシュ。
 その光景に顔良は唖然とし、文醜はどこか感心し、星は苦笑。そして袁紹は―――憮然としていた。それにしんのすけが疑問符を浮かべると、こう告げた。優雅さがないと。

「それでは、この袁本初を満足させる事は出来ませんわよ」

「じゃ、ゆーがな芸ってどんなの?」

 しんのすけの言葉に袁紹は言葉に詰まる。彼女は犬を飼った事などない。つまり、芸を仕込んだ事などないのだ。故に、優雅な芸など知っているはずがない。だが、ここで答えられないようでは袁家の名が廃る。そんな事を考え、袁紹は顔良へ視線を向けた。
 その視線の質に気付き、顔良は嫌な予感をひしひしと感じた。無茶振りがくる。そんな感覚がするのだ。これ以上ない程に。なので、同僚に助けを求めようとしたのだが、既に文醜はそそくさと自分から距離を取り、関係ないとばかりの位置にいた。

「斗詩さん、袁家に伝わる秘伝の芸、見せて差し上げなさい!」

「やっぱりぃぃぃぃっ!」

 ありもしない芸をさもあるかのように言い切る袁紹。しんのすけは秘伝という部分に感心したような声を上げ、星はそれが嘘と理解した上で、顔良へ期待していると不敵な笑みで告げる。文醜は小さく手を合わせ、すまなそうにしていた。
 だが、顔良はそこで終わらない。何かを思いつき、袁紹へこう告げた。

「ひ、姫? あれって、確か二人じゃないと無理でしたよね?」

「え?」

「私だけじゃ出来ないじゃないですか、あれ。そうですよね?」

 そう涙目で言いながらも、顔良は視線を袁紹ではなく文醜へと向けている。

(文ちゃん、一人だけ逃げるのは卑怯だよ!)

(うわぁ……斗詩の奴、あたいまで巻き込む気かよ……)

 向けられた視線から顔良の内心を察し、文醜は観念したように項垂れた。それと、袁紹が文醜へ顔良と共に芸を披露するように言うのは、ほぼ同時だった……



 二人による優雅な芸は、場所を変えての演武だった。土壇場での打ち合わせ無しにはなったが、二人は武将。それはしんのすけから見れば、確かに感動出来るものだった。星には、大きな感動などはなかったものに、二人も中々出来ると理解させるには十分な結果となり、それだけでも価値はあった。
 袁紹は自分の無茶振りだと理解しているのかそれで納得したように頷き、しんのすけへ、これが優雅な芸だと言い放った。それにしんのすけも理解したのか、何度か頷き、この話は幕を下ろした。

 今、しんのすけと星はシロを連れて客室へ案内されていた。夕食は袁紹達と共に食べる事になっていて、それまでは自由に出歩いていいと顔良が言ってくれたので、星は早速街へ出かけて稟と風の足取りを掴もうとしていた。
 しんのすけはシロを遊ばせてやりたいと思い、城に残る事にした。星はそれに笑みを見せ、あまり勝手にうろつくなとだけは告げた。そして、部屋に着くなり荷物を置いて、踵を返して部屋を出る。

「日が暮れる頃には戻るからな」

「ほーい。気をつけて~」

「キャン」

 星を見送り、しんのすけは部屋を出て、廊下でシロと遊び始めた。とは言え、ボールなどがある訳ではない。なので、出来る遊びはただ一つだった。

「じゃ、オラはこっちね」

「クゥ~ン」

「文句言わないの。これが一番おてがるだぞ」

 シロの嫌そうな声にしんのすけはそう返し、廊下にうつ伏せになった。シロもそれに倣うように廊下に倒れこむ。こうして、しんのすけとシロはぴくりとも動かなくなった。そう、死体ごっこだ。そうする事数分で、廊下へ現れた者がいた。
 文醜だ。彼女は調練を終えて、文官達と共に政務に追われる顔良を助ける事もせず、暇潰しにとしんのすけへ会いに来たのだ。しかも、街に出て行ったかもしれないと思い、まず門番へ聞き込みをしてからの完璧さで。

 それを知れば、顔良が大きくため息を吐いただろう。普段からそうして欲しい。そんな風に思うはずだろうから。ともあれ、文醜は星しか出て行っていないと確かめ、客室へと歩いていたのだ。だが……

「なっ!?」

 彼女が見た物は、少しも動きを見せないしんのすけとシロの姿だった。それを確認し、まず文醜がした事は周囲の気配を探る事。刺客が入り込んだのかもしれない。そう考えたのだ。袁家は敵がいない訳ではない。むしろ名門だからこそ、秘密裏にそういう事を狙う相手がいてもおかしくないのだ。
 故に、文醜は悪いと思いつつも、すぐにしんのすけへ近付く事はしなかった。その場で鋭い視線を動かし、怪しげな気配がないかを徹底的に探る。それと同時に少しずつしんのすけが倒れている場所へと近付いていく。

(くそぉ……せめて何か武器を持ってればな。しんのすけは……息はあるか)

 呼吸をしているのを感じ、文醜は内心安堵した。だが、未だに何の気配も感じる事が出来ない。その事だけが文醜へ緊張を強めていく。武将として、結構な自信を持っている文醜。そんな自分がまったく気配を感じる事の出来ない相手。それは、恐怖でしかない。
 どこから襲ってくるか分からないし、下手に誰かを呼ぼうとすればそこを狙われるとも限らない。文醜はじっとりと汗が流れるのを感じた。何度か戦場は経験しているが、これ程嫌な汗は初めてだった。

(やばいかも……相手はあたいよりも上の奴だ。そんな奴を送り込んでくるとしたら……いや、そんな事より姫や斗詩へ伝えねえと!)

 刺客を送り込んだ相手を推察しようとし、文醜はそれを止めた。自分は考えるのに向いてない。それを思い返したのだ。なので、出来る限り周囲へ気を配りながら、文醜はしんのすけを軽く足で揺らす。

「おい、しんのすけ。起きろ」

 だが、しんのすけは反応を見せない。それに内心舌打ちをしつつ、文醜はもう一度強めに蹴った。

「起きろ、しんのすけ!」

「もう! 痛いじゃないっ!」

 文醜の蹴りの痛さにしんのすけが起き上がる。その反応の良さに意外に思う文醜。気を失っていた割には、しっかりしていると感じたのだ。だが、気を抜く訳にはいかない。そう思い直し、文醜はしんのすけへある事を尋ねた。

「しんのすけ、刺客はどんな奴だ?」

「四角? えっと、こんな奴だぞ」

 文醜の告げた刺客の言葉を四角と勘違いするしんのすけ。なので、手でその形を作って見せた。それを見た文醜は相手の顔が四角いのだと考え、格好や武器などへ質問を変える。しんのすけはそれに小さく首を傾げ、四角に服も武器もないと返す。
 それを聞いて、相手は無手の上、格好さえ見る事なくしんのすけの気を失わせたのかと文醜は理解し、更に警戒を強めた。そこでよく考えれば分かったはずだった。しんのすけの言っている事のおかしさに。顔や武器を持っていないと言う割に、格好を覚えていない事。それが矛盾している事に。

 だが、単純な文醜は深く考える事をせず、真剣な表情で周囲を睨むようにしているだけ。そこへ斗詩が歩いてくる。やっと仕事を片付けたので、文醜と同じようにしんのすけと話をしようと思ったのだ。

「あれ? 文ちゃん、どうしたの?」

「斗詩っ! 気ぃ抜くな! 刺客だ!」

 真剣な表情で告げる文醜。顔良はその言葉に驚きを見せる。だが、周囲の気配を探ってもそれらしいものは感じない。それに、刺客が入り込んでいるとしても、その結論に至る根拠を聞かねばと思った。

「ねぇ文ちゃん。どうして刺客が入り込んだって分かったの?」

「……しんのすけとシロが倒れてたんだ」

「えっと……倒れてただけ?」

「ああ……」

 深刻な声で答える文醜に対し、顔良は腑に落ちないものを感じていた。刺客がいくら子供相手とは言え、手心を加えるとは限らないし、気を失わせた後も何もせず放置するなど有り得ない。そう結論付け、顔良はしんのすけへ近付き、疑問に思った事を尋ねる事にした。
 おそらく、同僚である文醜は聞いていないだろう事を。そう、もし自分の推測が正しければ、全てが納得出来るのだ。何故刺客の気配が感じられないのか。そして、どうしてしんのすけとシロが無事なのかも。

「ね、しんちゃん。どうして倒れてたの?」

「おい、斗詩。そんな事……」

 聞いても無駄。文醜はそう言おうとしたのだろう。だが、それを遮るようにしんのすけが答えた。

―――死体ごっこしてた。オラ、おまんじゅうを喉に詰まらせて死んだ人役。

 その言葉に顔良はため息を吐き、文醜は小さく気の抜けた声を漏らす。それと同時にシロが起き上がった。どうやら雰囲気を感じ取ったらしく、今までずっと倒れたままでいたようだ。
 その後、しんのすけの答えから文醜も全てを悟ったようで、脅かすなと説教。だが、顔良は文醜へ早合点しすぎと注意し、しんのすけへ紛らわしい事はしないようにと優しく叱る。それに文醜は渋々謝り、しんのすけもいつもの調子で返事をする。

 そして、その後は二人と共に部屋に戻り、しんのすけが白蓮達と過ごした時の話を聞かせた。その内容に二人は笑ったり驚いたりと反応を返し、愛紗と鈴々の事を文醜が、桃香の事を顔良が詳しく尋ねた。
 しんのすけはそれに自分が知る限りの事を話していく。文醜から、愛紗と自分はどっちが強いと聞かれた時はしんのすけも困った。しかし、文醜と顔良の演武を思い出し、愛紗が上と言い切った。それに文醜は怒るでも疑うでもなく、ただ悔しがった。

―――そっかぁ……一度しんのすけの前で手合わせしてみたいな、関羽と。

 しんのすけは子供。故に、その言葉には変な気持ちはない。強さを正確に把握出来るかも分からない。それを理解しているからこそ、文醜はそう答えるだけだった。その言葉が真実か嘘かは関係ない。しんのすけから見た自分は、愛紗以下だと思われた事だけが事実なのだから。
 顔良はそんな文醜に少し意外な表情を向けた。しかし、文醜の声から何となくだがその気持ちを悟ったのだろう。なので、小さく頷き、視線をしんのすけへ向けた。

「えっと、趙雲さんは関羽さんと同じぐらい強いの?」

「そうだよ。星お姉さんと愛紗お姉さんは、いつも勝負がつかないって言ってた」

 それに顔良は頷き、文醜へ視線を向ける。

―――だって、文ちゃん。

 それだけで、文醜は顔良が何を考えたのかを理解した。愛紗と同じ強さの星。それと戦えば、結果的に愛紗と戦った事になる。そう考え、文醜は笑顔を見せた。そして、そのまま顔良で抱きついた。

「さすが斗詩。あたいの事を分かってるよな」

「もう、文ちゃんったら。あ、でも問題は趙雲さんが受けてくれるかだけど……」

「大丈夫だって! 趙雲も武人なら勝負の申し出をそうそう蹴ったり出来ないさ」

 文醜の言い分ももっともかと思い、顔良もそれ以上何も言わなかった。仲良さそうにする二人を見て、しんのすけは自分もとばかりに文醜へ抱きついた。そして、文醜の背中へと移動する。その顔は楽しそうだ。

―――オラもまぜてまぜて。

―――おう、いいぞ。でも、斗詩は駄目だかんな。

―――ちょ、ちょっと文ちゃん! 手! 手が変な場所触ってるっ!!

 楽しそうに笑う文醜。恥ずかしがるように声を上げる顔良。シロはそんな二人を見て、やや顔を赤めるも、見ないように床に伏せた。しんのすけは文醜の背中にくっついたまま、顔良の表情を見てにやけた笑いを浮かべる。
 そんな風に三人は星が戻ってくるまでじゃれ合う。ただし、その後、顔良は文醜へかなり強めに怒りをぶつけるのだが、それはまた別の話……




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まずは袁紹達。幕間のようですが、一応本編。次回は、星VS猪々子にしんのすけと麗羽の絡みを書いて、次の場所へ。

この放浪編後、陣営を選択したルートへ入りますので、その時に皆さんへ、まずどこのルートを見たいかを聞きたいと思っています。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十一話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/04 20:48
 城下にある高級店。そこで卓を囲むはしんのすけに星、そしてシロ。更に当然ながら袁紹達もいる。ここの払いを袁紹が持ってくれるからこそ、しんのすけ達は高級店に入ったのだから。
 まぁ、そこでなければ袁紹が納得しないという事もある。顔良がこっそりと星へそんな事を教え、この店へ誘導したのだ。

「それで……受けてくれるか?」

「いいでしょう。私も武人だ。そこまで言われて逃げる訳にはいきません」

 文醜の言葉に星はそう返し、酒を飲む。しんのすけの話から、星と手合わせしたいと思った文醜。その申し出を星は受けた。正直に言えば文醜の実力はあの演武で見れた。それでも、もしかしたらとの思いがあった。
 なので、本当の力を確かめるために、一度実際に戦ってみるかと思ったのだ。星と文醜が手合わせについて話し合う横では、しんのすけが袁紹達と話をしていた。内容は、最初こそこの南皮の印象だったのだが、今はすっかりしんのすけの事に変わっていた。

「あなた、このくちべには何?! 違うんだ、みさえ。これはセッタイで仕方なく……。キ~っ! このウワキモノ~!! ……で、父ちゃんが母ちゃんにボロボロにされてごめんなさいする」

 しんのすけの両親の真似に笑う袁紹と顔良。ひろしもみさえもまったく知りもしない二人だったが、しんのすけの話を聞いてるだけで何となく想像出来てしまうのだ。そんな二人の反応に気を良くしたのか、しんのすけがその後のひろしの真似もした。
 土下座し、何度も何度もみさえに許しを請う姿をだ。それに二人は笑う。どこでも夫は妻に頭が上がらないものだと顔良が思えば、やはり男は情けないと袁紹は思う。だが、それでもしんのすけの父親を悪く言うつもりはなかった。

 何故ならば、この世界の男には基本的に秀でている者がいない。つまり天才と呼ばれるような能力を持った存在が出た事がないのだ。世を動かすのは、大抵が才を持った女性。男性よりも女性の方が上になる事が多い。それがこの世界の常識故に、ひろしがみさえに負けるのは仕方ないと思えたのだから。
 そう、まだ袁紹達はしんのすけが天の御遣いとは知らない。星が教えないようにしていたのだ。しんのすけへも、出来るだけ天の言葉を言わないように話せと言い聞かせて。

 星としては、白蓮や桃香のような考えでしんのすけへ接する方が稀だと思っている。なので、仕官する訳でもない者にしんのすけの事を教える気は無かった。下手をすれば、その存在を利用されかねないと思ったのもある。
 しんのすけへは、天の言葉を使った時に疑われたら、方言と言って誤魔化せと指示している。そう言えば珍しい言葉だけで済まされると踏んだのだ。相手が切れ者だった場合は無理だが、袁紹達相手ならば通用すると星は考えていた。

「しんちゃんの家って賑やかなんだね」

「庶民の暮らしというのは、そんなものなのですのね。中々聞く機会がないものですから、それなりに楽しめましたわ」

 笑いが治まり、二人はしんのすけへそう告げる。顔良は落ち着いて考えるとひろしへ同情してしまいそうになるのだが、やはり男性であるためかどこかで仕方ないとも思う。しかし、自分も文醜や袁紹に色々な事を押し付けられたり、勘違いをされ大変な目に遭う事がある。
 それとどこか似た印象を受けたため、他人のような気はしない。と、そこまで考えたところで顔良はある事に気付く。それは、しんのすけが話した内容。そう、ひろしは言い訳に接待と言っていた。となれば、しんのすけの父親は接待を受ける立場に居る。それはこの時代では特定の立場を意味した。

(もしかして、しんちゃんって結構な家柄の人の子供かな? それとも……どこかの役人の子?)

 白蓮の傍にいて、自分達への態度があまりにも自然に対等のようにしている。そこから顔良はそんな事を考え始める。白蓮が書状の中で、自分と同じように扱って欲しいと書いてあったのもある。
 一方、袁紹はそんな事はどうでもいいのか、それとも気付いていないのか。とにかく、しんのすけへ次の話をするように急かしていた。

「それで、他には何かないですの?」

「そうだなぁ……あ、ならお姉さんに似てる子の話をするぞ」

「私に似てる?」

 しんのすけが話したのは、幼稚園の友人の一人である酢乙女あいの事。お嬢様であるところが袁紹と被ったのだろう。あるいはその口調だろうか。ともかく、しんのすけはあいの話を始めた。
 言動や性格に始まり、ボディーガードをしている黒磯の事までも話すしんのすけ。袁紹もあいに親近感を持ったのか、頷いたりする事も多かった。

「常に傍付きに守られているのですわね。私も確かに近いものはありますわ」

「でも、たまにうっとーしーって言ってた」

「それは分かりますわね。私も一人で居たい時ぐらいありますもの」

 しんのすけの言葉に頷く袁紹。だが、彼女は一人で居るとどうしても寂しさを感じてしまい、結局誰かを呼んでしまう事が多い。わがままで自分勝手な袁紹だが、それでも顔良や文醜が傍を離れない訳はそこにある。
 彼女は本来優しく寂しがりやなのだ。世間知らずな部分もある。しかし、決して他者を理由もなく見下している訳ではない。それは、庶民と思うしんのすけに対する態度からもそう。良く言えば懐が広い。悪く言えば細かい事は気にしない。自分が気に入れば良く、気に入らないのであれば容赦無い。それが袁紹という女性だった。

 袁紹はしんのすけと話しながら、不思議な感覚を覚えていた。今まで自分と出会った者達はどこかで袁家の者と聞いて恐縮したり、あるいは自分を値踏みするような態度で接する者達が多かった。
 しかししんのすけは、袁家の事をまったく意に介していないような振る舞いをしている。子供とは言え、それが袁紹には意外に思えた。そんな態度をする相手は、袁紹の記憶の中では数える程しかいない。

(こんな風に接してくるのは、華琳さんぐらいですわね。まぁ、華琳さんはここまで素直ではないですけども……)

 古い友人である相手を思い出し、袁紹は一人納得。しかし、袁家程ではないにせよ名家の華琳と違い、しんのすけは庶民。なのにどうしてそんな態度が取れるのだろうと思い、袁紹はちょっとした興味本位で尋ねた。

「しんのすけさん、どうして貴方は私にそんな風に振舞えますの?」

「え? 何かヘン?」

「当然ですわ。袁家と言えば四世三公の名門。それぐらいは知っていますでしょ?」

「しけったせんこう? 良く分からないけど、オラとお姉さんは同じはずだぞ?」

 しんのすけの同じとの言葉に、袁紹は軽く驚いた。家柄が違いすぎるにも関らず、それを同じだと言った事に。これが大人であれば、袁紹は呆れ果てるか怒りを込めた視線をぶつけただろう。しかし、相手は子供。さしもの袁紹も子供相手にそんな振る舞いをする事はなかった。

「おほほ……中々凄い事を言いますわね、しんのすけさんは。私とどこが同じなのかしら?」

「だってお怪我したら血は出るし、ご飯食べなきゃ生きていけないし、キレイなおねいさん見たらキレイって思うぞ。どこが違うの?」

「は……?」

 しんのすけの言った内容に、袁紹は呆気に取られる。家柄や立場ではなく、もっと大本の部分でのしんのすけの問いかけ。人を区別するのは、それが違う相手だった場合。その相手を形作る状況ではなく、そもそもの種族。そこで区別するのではないのか。
 しんのすけの問いかけはそんな風に袁紹に聞こえた。だが、しんのすけはそれに戸惑う袁紹へ更に問いかける。

「オラもお姉さんも同じ人間じゃないの? それとも違う星の人? 髪の毛クルクル星人?」

「違いますわっ! と言うか、髪のこれは自然になるのですわ!」

 しんのすけの言葉に反論する袁紹。それにしんのすけが納得したように頷く。そんな会話をしていると、星がふと思い出したように視線を袁紹へ向けた。

「ああ、言い忘れておりましたが、しんのすけは知っての通りあまり世間や礼儀を知りません。なので、ご無礼もあるかもしれませんが、子供と思って何卒ご容赦を」

 それに顔良と文醜は、今更言わなくてもと思いながら苦笑して頷いた。そして、顔良はしんのすけの態度の原因をそれで確定させた。家柄の重要性やそれが上の者に対する礼儀などをまだ教えられていない。そのため、態度が誰に対しても同じなのだろうと。
 だが、袁紹はその星の言葉にやや疑問を感じていた。世間を知らないというのは理解出来るが、いくら何でも袁家の名を知らないのは変だと。聞いた覚えぐらいはあるのではないか。そう考えたのだ。

(しんのすけさんが庶民だとしても、袁家の名を知らぬ事はないはず……? もし仮にそうなら、一体どこの田舎出身なのでしょう……)

 幽州ならば余計知らない方がおかしい。自分の領地に近いのだから。では、涼州か。それとも五胡か。色々と考える袁紹だったが、それも候補が思いつかなくなった時点で興味を無くして放り投げた。
 それよりもまだ興味を引く話を星と文醜がしていたのだ。明日の朝、二人が手合わせするための詳しい打ち合わせを聞き、顔良が色々と考えている。場所の設定に勝負で使う武器の事などだ。

 訓練用の物を使ってやるべきと顔良は提案したのだが、二人はそれを即座に断った。生粋の武人である二人に、試合で相手を誤って殺してしまう事など有り得ないのだ。それに万一死ぬような事になっても、それは自分の未熟が招いた結果。
 そう考えて潔く受け止めるのみ。そう共に考えたからこそ、顔良の提案を蹴った。その互いの答えに内心両者は笑みを浮かべていた。相手もまた一人の武人であると強く感じる事が出来たからだ。

「……じゃあ、本当にいいんだね?」

「「勿論」」

 顔良の最後の確認さえ即答の星と文醜。その表情は笑みさえ浮かべていた。

「猪々子さん、負けは許しませんわよ」

「了解です。へへん、覚悟してろよ趙雲」

「おやおや、勝負は終わるまで分からないものですぞ? 文醜殿」

 袁紹に頷き、文醜は星を見て不敵に笑う。それに星も同じ笑みを返した。そんな二人を見て、顔良はため息一つ。そして、足元で尻尾を振っているシロへ視線を移し、静かにその頭を撫でた。

―――こんな感じで、私だけ気苦労が絶えないんだよ……

 シロへ小さく愚痴る顔良。それに同情したのだろう。シロはその顔良へ小さく声をかけた。気持ちは分かる。そんな風に聞こえた気がして、顔良はシロの体を抱き寄せ、軽く頬擦りした。毛の感触がくすぐったいが、その暖かさが嬉しく思えた顔良は、密かに告げる。

「優しいね、シロは。ずっと傍に居て欲しいぐらいだよ」

「クゥ~ン……」

 共に、自分勝手な主人に振り回されるという共通点を持つシロと顔良。互いの置かれた立場に親近感を抱き、そのまま顔良はシロを抱きしめ続ける。一方で、星は文醜や袁紹へ白蓮の残念な話をし、笑いを取っていた。しんのすけはそんな周囲を眺めて頷いた。

「うんうん、みんな仲良しですな」

 その呟きは誰に聞かれる事無く袁紹と文醜の笑い声の中へ消える。こうして、夕食の時間は過ぎていくのだった……



 翌朝、訓練場にしんのすけ達の姿があった。袁紹は顔良が持ってきた椅子に腰掛け、しんのすけとシロはその横で地面に座り、顔良は星と文醜の間に立ち、審判をしている。そう、これは二人の試合なのだ。
 二人の手には、それぞれの得物が握られている。当然だが、それは下手をすれば相手を殺しかねない物だ。それでも、両者に恐怖も不安もない。自分を信じるように、相手の事もまた信じてるのだ。

「しんのすけが言うには、かなり強いらしいけど……あたいも負けねえぞ」

「それは楽しみですな。では……ここより言葉は不要っ!」

「おうっ!」

 互いに得物を構え、相手を睨む。それを見て顔良が告げた。

「試合、開始っ!」

「おりゃ!」

「何のっ!」

 文醜の大剣をかわしつつ、突きを返す星。それを文醜は手にした大剣を動かす事で受ける。剣であり盾。そんな使い方も出来るのが、文醜の所持する斬山刀だ。星はそんな文醜の防ぎ方に、少し感心したような表情を見せる。
 ただ考えも無しに大剣を使っている訳ではないと理解したのだ。そして、自分が思っているよりも文醜は強いとも。まだ自分も見る目がないと思いながら、星は一旦距離を取る。そうはさせじと文醜が星に迫る。

 大剣と槍では、圧倒的に槍の方が有利だ。大剣は大勢を相手にするには有効だが、一対一には向いてないと言わざるを得ない。そう、小回りが利かないのが大きな欠点。自分よりも実力が劣る相手ならばいい。だが、それが自分よりも動きが速い相手となると途端に不利になる。
 だが、それでも文醜は大剣を使う事を止めない。自分が自信を持って使える武器。それがこの斬山刀だったのだから。不利も何も関係ない。強い相手に通用しないとしても、その事実を捻じ伏せてでも通用させようとするのが文醜だ。

「文ちゃん、頑張れっ!」

「キャンキャンッ!」

「何をやってますの、猪々子さん! 早く倒しておしまいなさいっ!」

「星お姉さんも、ぶんちゃんもガンバレ~!」

 それぞれに声援を送るしんのすけ達。その声を受けながら、互いの力量を正しく測っている両者。その表情は対照的だ。やや焦り気味の文醜と意外そうな星。互いに事前に思っていた以上の強さを感じているからこその表情だ。

(くそぉ、やっぱ速いな……でも、諦めねぇぞ!)

(猪突猛進だな。だが、荒削りながらも何かしらの輝きがある。文醜殿もまた才の持ち主か……)

 星は文醜の戦い方をそう分析し、小さく頷くと反撃に出た。相手に合わせる事無く槍の利点を使った戦法で。連続して放たれる神速の突き。それを文醜は時に大剣で受け、時にかわす。だが、そこから攻撃する事が中々出来ないでいた。
 間合いで言えば互角に近いが、攻撃速度で言えば槍。大剣が有利なのはその威力と頑丈さだけだ。文醜もそれは分かっている。それでも、この戦いを挑まずにはいられなかった。武人である以上、他者から己よりも強いと言われた相手を倒したいと思わぬはずがない。

(しんのすけ、見てろ! あたいだって強いんだかんな!)

 防戦一方になりながらも、文醜は勝ちを諦めていなかった。星の方が自分よりも実力が上なのは、悔しいが文醜も理解した。それでも、良い所無しで終わる訳にはいかない。そんな武人としての誇りがあった。
 仮に勝つ事が出来ないでも、相手に一矢報いてやる。そう、目に物見せてやるとの思いが文醜を動かしていた。格上の相手と認める事が出来る星。それが自分と戦ってくれた事に対する礼と喜びを込めて、文醜は自身の全てを出し切ろうとしていた。

「行くぞぉぉぉっ!!」

「っ?!」

 文醜の動きに星の表情が変わる。そして、それを見ていたしんのすけ達も同じように。

「「「えっ!?」」」

 そう、文醜は星の繰り出す突きを敢えて体に受けた。脇腹を狙った突きだったが、それは際どく致命傷を避けている。
 真剣勝負の試合とは言え、まさか自分から一歩間違えれば死ぬ真似はしないだろう。そうどこかで考えていた星は、そんな文醜の行動に一瞬ではあるが、動揺してしまった。

「しまった!?」

「うおぉぉぉっ!」

 その隙を見逃す程、文醜は凡将ではない。痛む体が上げる悲鳴を無理矢理捻じ伏せ、手にした大剣を星へ突き出す。星は、それを回避しようとするもある事を悟ったため動かず、大剣は腹部へ当たる直前で停止した。静まり返る訓練場。袁紹でさえ、声を発しない。誰もがその光景に言葉を失っていた。

「……お見事」

 そんな静寂を破るように、星がどこか悔しそうだが嬉しそうな声を出す。それに文醜がはっとして顔を上げた。

「趙雲……でも、今のはっ!」

「確かに試合としては、些か考え無しの行動でしょう。だが、今のが戦場ならば文醜殿の方が正しい。己が命を賭け、相手を倒そうとするその執念。この趙子龍、感心致した」

 文醜の言いたい事を察し、星はそう遮って告げた。試合であれば、死んでしまうかもしれない行動はするべきではない。だが、これを戦場での一騎討ちと考えれば、文醜の行動は理解も納得も出来る。
 星はそう思ったのだ。そして、己の慢心にも気付いた。試合だからと、どこかで心構えが緩んでいた。試合であろうと何が起きるか分からない。何事にも動じない心。それを常に心掛けなければいけない。そう改めて思わされた。だから、あの時動かなかった。自分の弛んだ気持ちを気付かせてもらえたと思った故に。

 一方、文醜もまた気付いた。星が最後に敢えて避けなかった事に。それは情けなどではないと分かっている。そうならば、星の出した声に悔しさなどあるはずがない。つまり、自分の行動に星が動きを止める何かしらの理由があった。
 そう考え、文醜は痛む脇腹に目をやった。そこからは血が滲み出し、服を汚している。重傷ではないが、掠り傷で片付けるには少々問題がありそうだ。すると、そこへ顔良が血相を変えて慌てて走り込んで来た。

「ぶ、文ちゃん、大丈夫!?」

「おう。って、言いたいけど……ちょっと辛いかも」

「すぐ手当てをした方がいいでしょう。それと、顔良殿は念のために医者を。私は文醜殿を部屋まで連れて行きます」

「お願いします!」

 星の言葉に頷き、顔良は急いで走り去って行く。それを見送りながら、星は文醜へ肩を貸す。

「わりぃ」

「お気になさらず。それに、これは当然の事ですぞ。まぁ、悪いと思うのでしたら……後で美味い酒でも買って頂きましょうか」

 文醜の詫びる声に星は普段の口調で答える。それに文醜が一瞬呆気に取られ、笑い出す。だが、笑うと傷が痛むのか、どこか苦笑のようにも見えた。それに星が楽しそうな笑みを返し、歩き出す。
 しんのすけはそんな様子を見つめ、視線を袁紹へ向けた。袁紹はどこか不安そうに文醜を見つめている。その表情を見たしんのすけは、袁紹の手を軽く引いた。それに袁紹が意識を戻し、しんのすけへ視線を向けた。

「何ですの?」

「だいじょーぶ。ぶんちゃんは強いぞ。あんな傷なんかに負けないよ」

 しんのすけの言った負けないとの言葉。それが意図した事を察して袁紹は返す言葉に詰まる。それは自分を安心させるようだったのだ。しんのすけは袁紹の手を軽く引っ張り、自分達も行こうと声を掛けた。
 それに袁紹は小さく笑みを浮かべて立ち上がった。自分へ指示をするだけでなく、励ます事さえしてくる相手に。それが庶民の子供なのだから、袁紹としては楽しくて堪らない。

(不思議な子ですわね。腹立たしくなってもいいはずですのに、どうしてこんなにも心和むのかしら……? まぁいいですわ。まずは猪々子さんの勝利を祝って差し上げましょう)

 そんな事を考えながら歩く袁紹。だが、その動きをしんのすけとシロが止める。しんのすけは手を引き、シロは軽く声を発して。それに袁紹が疑問符を浮かべると、しんのすけとシロが揃って椅子を指した。

「いす、忘れてるぞ」

「キャン」

「お~っほっほっほ! そんな事を何故……」

「オラだけじゃ持って行けないよ?」

 袁紹の言葉を斬って捨てるように遮るしんのすけ。それに袁紹が高笑いの姿勢のまま固まった。シロはそんな袁紹に脱力するようにため息を吐き、しんのすけはそれを見て楽しそうに笑う。
 やがて袁紹は仕方ないとばかりに椅子を持ち上げ、歩き出す。しんのすけはその反対側を一応持つようにしてついていく。シロもそれに合わせて歩き出した。

―――しんのすけさん。私にこんな事をさせたのは、貴方が初めてですわ。

―――おおっ! オラ、おねいさんの初めての人ですかぁ。

―――……何やら妙な感じがする言い方ですけど、そうですわ。この事、決して忘れませんわよ?

―――ほ~ほ~。なら、オラも忘れないぞ。

 そんな風に話しながら歩くしんのすけと袁紹。シロはそんな二人の傍を駆け回るように走る。こうして、星と文醜の手合わせは終わりを迎えたのだった……



 文醜の怪我は、しばらく安静にしていれば心配ないとの事だった。それに顔良が安堵し、星と袁紹は気付かれない程度に息を吐き、文醜は最初から分かっていたのか、そんな三人に苦笑。しんのすけだけは、文醜と同じで信じていたのか平然としていた。

 しかし、問題が一つあった。そう、文醜の担当する調練だ。自主的な訓練でもいいし、顔良が引き受けてもいいのだが、文醜が星へ頼んだのだ。自分の代わりに引き受けてくれないかと。
 しかし、星は兵士達が納得しないと告げる。それに顔良が、自分がついて行き文醜が認めたと説明すると返した。だが、それでも不満が残るのではないか。そう星が言おうとした時だ。文醜が真剣な眼差しで告げた。

―――心配ねーよ。あたいの真名を預けるから。

 その文醜の言葉に、星だけでなく全員が驚きを見せた。だが文醜は、そんな周囲に構う事無く星へ視線を向けて告げた。

「あたいの真名は猪々子。あたいが心から強いって認めたあんたに、受け取って欲しいんだ」

「……分かった。私の……」

 星は文醜の声に込められたものを受け、真剣な表情で頷いた。そして、それに自分も応えようとした星だったが、それを文醜は遮った。

「いや、いい。あんたの真名は、あたいへ本当に預けたくなった時に預けてくれよ」

「猪々子殿……」

 にかりと笑う文醜に、星は呆気に取られる。しかし、少しの間を置いて頷き返して立ち上がった。そして、顔良へ視線を向けて無言で頷く。それに顔良も我に返ったように頷きを返し、部屋を出るために動き出す。簡単に食事を済ませ、調練に行くためだ。
 それに続くように星が部屋を出ようとした時だ。何かを考えていた袁紹が、その背に向かって声を掛けた。

「お待ちなさい、趙雲さん」

「……何か?」

「貴方、このまま私の臣下になりませんこと? 今ならかなりの待遇を約束しますわ」

 それに顔良と文醜の表情が驚きに変わる。星の表情も驚いてはいるが、二人に比べると少しだけだ。袁紹の視線を受け止め、星はちらりと視線をしんのすけへ動かしすぐに戻す。

「有難い申し出ですが、今はお断りさせて頂きます」

「なっ!? ……いえ、そうですの。残念ですわ」

 星の返答に驚きを見せて、一呼吸置いて残念そうに返す袁紹。それに顔良と文醜は不可解な印象を受けた。声を掛けた事も意外ならば、それを断られてすぐに引き下がったのも意外だったからだ。そのまま星は部屋を退出し、顔良はその後をやや慌てるように追い駆けた。
 それを見送り、文醜は袁紹へ視線を移す。袁紹はもう視線を動かし、しんのすけを見つめていた。その視線はどこか不思議そうだ。それが益々文醜の中で疑問を強めていく。

「あの、姫? どうしてあっさり引き下がったんです?」

「少し気になった事があったのですわ」

「は?」

 袁紹の答えに思わず間抜けた声を返す文醜。それに袁紹は答える事なく、しんのすけへシロと共に朝食を食べてきていいと告げる。おそらく今から行けば顔良がいるだろうし、居なかったとしても食堂にいる者へ自分が許可を出したと言えばいいと。
 それにしんのすけが嬉しそうに頷き、シロと共に部屋を出て行く。それを見送る袁紹と文醜。そして、その足音が遠ざかったところで、袁紹が大きくため息を吐いた。

「まぁ、本当は趙雲さんが欲しいと言うより、しんのすけさんが欲しいと思ったのですけど」

「しんのすけを……?」

 益々分からない。そう思う文醜。そんな彼女へ袁紹はこう告げた。星はしんのすけの面倒を見ているだけと思った。だが、どうもそれだけではないような気がした。だから、確かめた。自分の臣下にすると声を掛ける事で。
 もし自分が感じた予感が正しければ、それを受けないだろうと。しんのすけの面倒を見ているだけならば、待遇がいい自分に仕えるだろうが、もし他の目的があれば、おそらく断る。そう袁紹は考えたのだ。

「それに……」

「それに?」

「いえ、何でもないですわ。とにかく、猪々子さんは体をお休めなさいな。それと、中々良い試合でしたわよ。ま、最後に優雅さが足りませんでしたけども」

 袁紹の言葉に苦笑いの文醜。そして、袁紹はそのまま部屋を後にする。去り際に一言、此度の勝利、大儀でしたと告げて。それに文醜は呆気に取られ、それからしばらくして嬉しそうに笑みを浮かべ、部屋の中から出来るだけ大声で返した。

―――ありがとうございます、麗羽様っ!



 食堂へ向かって歩く袁紹。その表情は疑問を浮かべている。

(あの時……気のせいかもしれませんが、趙雲さんはしんのすけさんへ視線を向けた気がしましたわね)

 それが先程文醜へ言わずにいた事。もしそれが見間違いでないのなら、それは何を意味するのだろうかと袁紹は考える。名族たる自分の破格の待遇を簡単に蹴り、子供と犬を連れて旅をする。その目的は何なのだろうと。
 そんな事を柄にでもなく考える袁紹。直感や運だけは優れる彼女。故に、何となくだがしんのすけの異常性を感じ取っていたのだ。自慢の武将である文醜が強いと認める事になった星。それが何故か面倒を見ているしんのすけ。

 袁家の事を知らず、礼儀も常識も知らない子供。だが、何故かそれが不愉快に感じない。そして、時折話す聞き覚えのない言葉。しんのすけは方言だと言っていたが、それにしてもあまりに聞き覚えがなさ過ぎるのだ。

「ようちえんにぼでぃがぁど……すべりだいにひまわりぐみ」

 昨夜のあいの話を聞いていた時に出た言葉だけでも、これだけあるのだ。これでは袁紹だろうと疑うというものだった。自分達が知る言葉に似てもいない。方言であれば、どこか似た響きや聞き覚えのある言葉があってもいいはず。
 しかし、どれ一つとしてそういう言葉がなかった。袁紹はただ生まれだけで名族と名乗っている訳ではない。この時代では、受ける事が中々出来ない教育をきちんと受けているのだ。いくら周囲から馬鹿と思われていても、それは行動においてはだ。知識面だけは、袁紹は決して劣ってなどいない。朝廷での作法や礼儀などを理解している事からも、それは明らかなのだから。

 そんな事を考えている内に、袁紹は食堂に辿り着く。そこに袁紹が顔を出す事など滅多にない。だが、今日ここへ来たのは目的があったからだ。

「……いましたわ」

 視線の先では、しんのすけがシロへ料理人からもらったのだろう骨を与えていて、自分は肉まんを口にくわえている。星と顔良は簡単に摘める物を受け取り、今は今日の事での打ち合わせを別の場所でしているのだ。
 本当は食堂でしてもよかったのだが、星がその話から周囲に文醜の怪我の原因を探られるのは良くないと判断したためだ。文醜は袁紹の懐刀。そんな人物が一介の武芸者に傷を負わされたとなれば、周囲に与える影響は少なくない。なので、文醜の受け持つ兵士達のみで留めておこうとしたのだ。

「おいひい?」

「キャン」

 行儀が悪いと一喝されるようなしんのすけの行動だが、周囲はそれを見ても苦笑するだけで怒鳴りはしない。誰もが優しく注意しているのだ。それにしんのすけも頷き、椅子に腰掛けて食べ始めた。それに周囲が微笑みを浮かべ、また仕事に戻るべく動き出す。その様子を見て、袁紹は声を掛けるなら今かと判断した。

「ちょっと、しんのすけさん……」

 突然現れた袁紹に驚く周囲の者達。それに意識を欠片として向けず、袁紹はただしんのすけへ視線を向けていた。それに気付き、しんのすけは咀嚼していた肉まんを近くにあるお茶で流し込んだ。

「ん? ……っぷは。何? よいしょーのお姉さん」

「よいしょではなく袁紹ですわ。間違えるぐらいなら、無理に名を呼ばずともいいと言いましたのに」

 周囲が、しんのすけの言った言葉に笑いを必死に堪えている事に気付かず、袁紹はしんのすけだけを見つめていた。

「それで何かご用?」

「一つだけ教えて欲しい事がありますの」

 袁紹がやや真剣な眼差しを向けた事に気付き、しんのすけは肉まんに伸ばしていた手を止めた。それに袁紹が別に手に取ってもいいと視線で告げる。しんのすけはそれに頷き、肉まんを手に取ろうとして―――片手ではなく両手を伸ばして二つ取った。
 それに不思議そうな表情を浮かべる袁紹。すると、そんな袁紹へしんのすけは肉まんを差し出した。それに周囲が息を呑む。袁紹は高級な料理しか食べない。庶民が食べるような物は口にした事がないからだ。

「……何ですの、これは?」

「肉まんだぞ。知らないの?」

「聞いた事ぐらいはありますわ。で、これをどうしろと?」

「一緒に食べよ。おいしいぞ」

 しんのすけはそう言って自分の分を一口で入れる。その大口に袁紹が軽く驚きを見せた。そして、そのままもぐもぐと咀嚼していく。袁紹はそれを黙って見つめた。やがてしんのすけはそれを飲み込むと、お茶を静かに啜りほっと一息。
 そこで手を合わせて、噛み締めるようにこう告げた。おいしゅうございましたと。それに袁紹が頷き、ならばと軽く湯気が立ち上る肉まんへかぶりつく。その柔らかな饅頭へ歯を立てると、中から熱めの肉汁が溢れ出す。それにやや戸惑いながらも、袁紹はその味に及第点を出す。

(中々ですわね)

 そして、咀嚼していく。中の具材の旨味と歯応えの妙、そして饅頭のほのかな甘味に少し顔を綻ばせる袁紹。その笑みにしんのすけが気付いて見とれる。普段のお嬢様然としたものではなく、どこか優しい笑みがそこにはあった。
 それに気付き、袁紹がしんのすけへ不思議そうに視線を向ける。それでしんのすけも我に返り、袁紹へ何でもないと手を振った。それにやや疑問を抱くも、袁紹は納得したように頷き、肉まんを食べ続けた。

 こうして二人は用意してあった肉まんを全て平らげ、共にお茶を啜ってほっと一息。

「「おいしゅうございました(ですわ)」」

 手を会わせてそう言ったところで、ニヤニヤと笑うしんのすけ。一方の袁紹は高笑い。互いに、同じ言葉を言った事に対して微かな恥ずかしさと不思議な嬉しさを感じたのだ。そのため、それを誤魔化すような反応がそれという訳だった。
 それが落ち着いて、再び袁紹がしんのすけへ尋ねた。それは、しんのすけの故郷。それにしんのすけは、特に考える事もなく普通に答えたのだ。春日部と。

 それに袁紹は不思議そうな表情を返したが、若干の間の後、何かを悟ったような表情に変わった。そして自分を納得させるように小さく頷く。それに疑問符を浮かべるしんのすけへ、袁紹は気にする事はないとだけ告げ、食堂を去った。

「……何だったんだろうね、シロ」

「クゥン?」

「だよね。分かんないぞ」

 しんのすけは袁紹が去っていた方向へ視線を向け、そう言う事しか出来なかった……



 それから数日後、しんのすけと星は文醜が仕事に復帰すると同時に袁紹の城を出た。星が掴んだ情報によれば、稟と風は黄巾の乱の直前に南皮を発ったらしく、商人への最後の伝言は陳留へ向かうとの事だった。しかし、それ以降の連絡は途絶えているらしく、星はそれを受け陳留に向かう事にしたのだ。
 それを星が袁紹に告げると、顔良に言って墨と紙を用意させた。それに戸惑うも用意する顔良。それに袁紹は何かを書き込み、星へ告げた。陳留を治める曹操とは知人。故に紹介状を書いてやるから持っていくといいと。

 それにしんのすけ以外が呆気に取られた。まさかそこまでするとは思わなかったのだ。そんな周囲へ袁紹は高笑いをし、感謝するようにと告げる。それに星達三人がため息を吐いて納得した。
 つまり、袁紹は自分の凄さを理解させ、有難みを感じさせるために紹介状を書いたのだと。だが、それでも礼を言わねばと思い星が感謝を告げた。すると、それに袁紹は微かに笑みを見せてこう言った。

―――出来るのなら、しんのすけさんをしっかり守ってみせなさい。

 それに顔良と文醜が苦笑い。星を軽く皮肉っているのだろうと思ったのだ。文醜に負けた事を暗に言っていると、そう捉えて。だが、星は違った。袁紹の笑みが小馬鹿にしたものではなく、遠回しの激励に見えたのだ。
 そして、それが意味する事を考え、星はまさかと思い心の中で首を振る。気持ちを整理し、袁紹に言葉を返す星。こうして紹介状を手に、星はしんのすけとシロを連れてそこを後にした。

「これから行くのはどこ?」

「陳留だ。稟と風がそこに向かったらしい。一度会って相談するべきだと思ってな」

 南皮の城下町を歩きながら話す二人。シロはしんのすけの隣をついて歩いている。目指すは陳留。そこにいるだろう二人の仲間に再会するために……



「それにしても……姫、紹介状を書くなんてどうしたんです?」

「そうですよ。まぁ、趙雲もしんのすけも良い奴らでしたし、ちょっと優しくしたくなるのは分かりますけど……」

 顔良の言葉に同意して文醜も続く。それを聞いて、袁紹は心底呆れたような表情を返す。それに二人が不思議そうな顔に変わった。何もそんな風に思われる理由に心当たりがなかったのだ。
 すると、袁紹は大きくため息を吐いて首を横に振った。それに益々戸惑う二人へ、袁紹はこう告げた。

―――貴方達は何も分かっていないんですのね? しんのすけさんは、おそらく天の御遣いですわ。

 そう、袁紹はかすかべとの出身地に聞き覚えはない。それは、この大陸ではない事を意味する可能性が大きい。少なくとも彼女にとっては。五胡かとも考えたのだが、それであればこちらに対しての態度に納得が出来ない。それに、しんのすけは幽州で白蓮の保護下にいた。書状にはその白蓮と同じように扱って欲しいとまであったのだ。

 そこから袁紹はそう結論付けたのだ。物的証拠は何もないに等しい。全て状況証拠と憶測でしかない。それでも、しんのすけは天の御遣いだろうと袁紹は確信した。そう、だから態度が誰に対しても同等だったのだ。礼儀や世間知らずなのもそれで全て説明がつく。袁紹の告げる説明に二人は言葉がない。

「じゃ、じゃあ……」

「私達、天の御遣い様を……」

「ええ。ただの子供として扱っていたんですわ」

「「えぇぇぇぇぇっ?!」」

 大声で驚く二人を無視し、袁紹は楽しそうに高笑いを上げた。しんのすけが天の御遣いならば、彼女は凄い言葉を聞いているからだ。そう、しんのすけは言った。自分と袁紹は同じだと。ならば、それは自分も天の御遣いと同等の存在であると言う事だ。それが意味する事は、この時代では大きい。
 だからこそ、その礼として袁紹はしんのすけ達に曹操への紹介状を書いて渡したのだ。そこには、こう書いてある。礼儀知らずの子供だが、袁家縁の者のため、多少は大目に見て欲しいと。

―――しんのすけさん、忘れませんわよ。私に椅子を運ばせ、庶民の食べ物を共に食した事は……

 しかし、その文面がただの礼だけではない事を知るのは彼女のみ。慌てふためく二人を他所に、袁紹は一人嬉しそうに笑みを浮かべるのだった……

微かにではあるが、袁家の者達と縁を作ったしんのすけと星。
次に向かうは、陳留。
そこに稟と風がいるはずとの情報を頼りに、彼らは行く。
そこでも、また新たな出会いが待つと知らずに……




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袁紹達との話、終了。ちょっと袁紹がらしくないかなぁと不安になりますが、どうだったでしょうか?

斗詩の出番が少ないのは、自分が嫌いだからではなく斗詩故にとお許しを。いつか出番を多くしたいと思います。

次回は遂にあの覇王様達の登場。でも、あの二人は……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十二話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/06 19:27
「お~っ!」

「さすが陳留だ。賑わっているな」

「キャンキャン」

 南皮を発って数日。しんのすけ達は無事陳留に到着した。南皮とはまた違った活気を感じ、しんのすけは目を輝かせ、星は頷き、シロは嬉しそうに声を出す。道行く者達の表情は明るく、影が少しも見えない。あちこちから威勢のいい声や元気な会話が聞こえてくるのだ。
 それが何からくるものかを星は理解し、視線を町から城へと向けた。そこに住む曹操が自分の領地内の治安を安定させ、流通の安全を確保しているのだ。ここに来る途中出会った商人から、星はそんな話を聞いた。

「さて、早速城へ向かうぞ」

「え? もう、そーそーさんに会いに行くの? お宿は?」

 まずは宿の確保ではないのか。そう思ったしんのすけ。旅をするようになって、まず何を確保するべきかを覚え始めているのだろう。だが、星はそれにやや考え、頷いてこう返した。
 今回は袁紹からの紹介状がある。それで上手くすれば、前回のように客人として部屋を貸してもらえるかもしれないと。それに、おそらくこの賑わいからすれば宿も一軒や二軒ではない。故に、急いで宿を確保する必要はないだろうと。

「袁家の紹介状だ。おそらく曹操殿も無碍には出来まい。宿の確保は、謁見が終わってからでいい」

「ブッ、ラジャー」

「キャン」

 星の声に了解との返事をし、しんのすけとシロは動き出す。往来を行く人波に飲まれぬように気をつけながら、しんのすけ達は曹操の住む居城へと向かうのだった。
 星は、この後宿を確保しなかった事を少し後悔する事になる。そう、それは部屋が与えられた事が歓迎出来ない状況になるが故に……



 袁紹の時と同じく門前で待つしんのすけ達。違いと言えば、星が門番と会話をしている事だろう。町の様子から始まり、曹操の人となりなどを聞いているのだ。門番も自分が住む町や主君の事を褒められれば嬉しくないはずがなく、星へ饒舌に話していく。
 しんのすけはそんな星とは違い、シロと戯れていた。南皮の時と違い、今回の書状は袁紹からの紹介状。故に、犬を連れていても止められる事はないだろうと星が予想したからだ。

「ほう、曹操殿はある本を探していたのか」

「ああ。でも、その本はあの黄巾の乱で燃えたらしい」

「乱で燃えた?」

「何でも、聞いた話だと張角達が持ってたらしいんだ。でも、奴らの本拠地を攻めた時に使った火矢が原因で……」

 星は門番のその言葉で理解した。火計を使ったのだろうと。その炎が本拠地を焼き、その本も焼けてしまったのだ。張角達がその本をどうして持っていたのかは定かではないが、逃げる際にまで本を持っていく事はないだろう。そう結論付け、星は頷いて問いかけた。
 それで曹操は落胆しなかったのかと。すると門番はそれに首を振った。そこまでは末端の自分達では知りようがないのだと。その答えに星も納得。だが、十分話題に出来る事を聞かせてくれた事に礼を告げた。

 丁度そこへ紹介状を持って、伺いを立てに行っていた方が戻ってきた。そして、星へやや畏まったような言葉遣いをし、案内を始めた。それに星は自分の予想が間違っていなかった事を悟った。
 袁紹からの紹介状には、扱いに関する事も書いてあったのだと。しんのすけへ声を掛け、星は門番の後ろをついて歩き出した。歩きながらも、城内の様子を見るのを忘れない。調練の様子に城内で働く者達の表情、文官達の様子に女官達の雰囲気など全てが曹操の情報だ。

(ふむ……やはり評判が良い者が治めているだけはある。誰も不安や恐怖も抱かず、イキイキとしているな)

 星はそう考えながら周囲へ視線を動かしていた。同じように横を歩いていたしんのすけも視線をあちこちへ動かしていたのだが、その視線があるものを捉え、足を止めた。それは中庭をよたよたと歩く大量の本。いや、本を運ぶ誰かだ。
 おそらく書庫から持ち出したのだろうが、本の量が多く些か不安定。それを見たしんのすけはその人物を手伝おうと思い、そちらへと歩き出す。シロは星の傍を歩いていたため、それに気付けなかった。

 しんのすけが中庭へ向かって、遅れる事数分。星は自分以外の視点も聞いてみるかと思い、歩きながら横にいるはずのしんのすけへ声を掛けた。

「しんのすけ、お前から見てこの城をどう思う?」

 だが、当然ながら星の問いかけに返事はない。嫌な予感を感じて視線を横に向ける星。そこにしんのすけが居なかった。シロも星の反応からそれに気付き、周囲の匂いをかぎ出す。その横で立ち止まり、周囲を見渡す星だったが、しんのすけの姿は見当たらない。
 歩いている時に女性が通り過ぎたかと思い出す星だったが、そんな事はなかった。確かに周囲に女官はいたが、それらは全て自分も見ていた。ならば、それを追い駆けて行ったとは考えられない。

「シロ、しんのすけはどこに行ったか分かるか?」

「……クゥ~ン」

「そうか……」

 鼻を地面に向け、匂いを辿ろうとしたのだろうが、既に距離が開いてしまったためにそれも出来ず、シロは申し訳なさそうに項垂れた。それに星は、気にしなくていいとばかりに優しく頭を撫でる。
 すると、星がついてこない事に気付いた案内役がそこへ戻ってきた。そして、その様子から何かあったのかと思い、問いかける。

「どうかしましたか?」

「あ、いや……連れの子がはぐれてしまったのだ。少し待ってもらう事は可能だろうか?」

 しんのすけを見失ったままでは少し不味いかと思い、星は案内役にそう言った。だが、それに相手が困った顔をした。何でも曹操は忙しい身のため、少しでも時間を無駄にしたくないと考えているのだ。それを聞いて、星は仕方ないと思い歩き出す。
 しかし、相手へこう頼む事にした。連れの子供を案内が終わった後で捜してもらえないだろうかと。それに相手は苦笑し、分かりましたと引き受けた。星はそれに感謝し、シロを預ける事にした。しんのすけの匂いを辿る事が出来るだろうと考えて。

 こうして、星は一人で曹操との面会に向かう事になる。一方、しんのすけはと言うと……



「ね、オラが少し持つぞ。だから、それ一度下に置いて欲しいんだ」

「どうしてこんな所に子供がいるのよ……?」

 猫耳のようなフードを被った少女―――荀彧は抱えた本の重さに表情を少し歪めながら、隣で声を掛けているしんのすけへ視線を向けた。そもそもは、曹操に頼まれた資料を運ぶついでに、自分が使おうと思った資料も運ぼうと思ったのが間違いだった。
 量を見てさすがに厳しいとは思ったものの、戻すのも時間の無駄だと判断し、何とか今のように抱えて歩き出したのだが、正直腕が辛いのだ。今もプルプルと震えている事からも限界が近い。それをしんのすけも感じ取っていた。

「腕がプルプルしてるし、お顔もたいへんって顔してる。オラ、こう見えてもけっこー力あるぞ。毎日たんれんしてるから」

「鍛錬? あんたが?」

「うん。ね、だから少し持つぞ」

 しんのすけの言った内容に若干驚きを見せる荀彧。そして、しんのすけがどこまでも素直に手伝いを申し出るので、荀彧も仕方ないかと思ったのか、本を持つ手をゆっくりと下げる。だが、地面にはつけようとはしない。それにしんのすけが軽く疑問を浮かべると、荀彧はやや急かすように言った。

「大事な本を土で汚す訳にはいかないの! 辛いんだから早く取りなさいっ!」

「あ、そうゆーことね」

 しんのすけは納得したとばかりに返事をし、上の方の本を数冊持ち上げて抱えた。たった数冊だが、それでもかなりの重さを軽減した。荀彧はそれに息を吐き、しんのすけへ視線を向けた。

「一応礼は言っておくわ。ありがとう」

「どういたましてー。で、これどこに持ってくの?」

「華琳……曹操様のお部屋よ。ついてらっしゃい」

 子供相手に真名で言っても分からないだろうと思い、荀彧は名で言い直した。だが、それにしんのすけは大して思う事もないので、平然と返事をするだけ。

「ほーい」

 荀彧の後ろを追うように歩き出すしんのすけ。歩きながら、荀彧からしんのすけは様々な質問を受ける。どうしてここにいるのかとの問いから始まって、何故助けようと思ったのかを聞かれた。
 それにしんのすけは簡単に経緯を話した。この陳留に来たのは、別れた二人の仲間を捜しての事。この城に来たのは袁紹からもらった紹介状があったから。助けようと思ったのは、荀彧が困っていそうだったからだと。

「それだけ?」

「そーだよ。オラ、困った人をお助けするって決めたんだ」

「子供のくせに……」

「でも、こうやってお助け出来てるぞ?」

 しんのすけの返しに言葉に詰まる荀彧。子供に助けられた事実と軽く論破されてしまった事に返す言葉が無かったのだ。その後は会話もなく、二人は黙って歩いた。そして、一枚の扉の前で荀彧が止まり、しんのすけもそれに続くように止まった。
 すると、荀彧が中へ向かって声を掛けた。華琳様、頼まれた物を持ってきましたと。それに対して返事はなく、荀彧は不思議に思う。だが、しんのすけは何となく部屋に誰もいない気がした。

「……ね、いないみたいだぞ」

「そんなはずは……あ、そっか。あんた達は袁紹の紹介状を持って来たのよね?」

 荀彧がそう問いかけると、しんのすけはそれに頷いた。それだけで荀彧は理解した。おそらく自分が運ぶのに手間取っている間に、それを誰かが知らせに来て、曹操はそちらを優先したのだろうと。
 なので、二人は部屋へ入って本を机に置いた。しんのすけのは全て曹操の頼まれ物だったのでそれで良かったのだが、荀彧は自分の分もあったのでそこから選別し、再び本を持とうとした。しかし、その動きが止まる。

(腕が辛いわね。さすがに少し休みたいけど……)

 文官である荀彧は、今までの負荷で腕がかなり疲労している事を理解した。だが、それでも時間を無駄には出来ない。そう思い、小さくため息を吐きながら本を抱えようとしたのだが……

「よっと」

「えっ……?」

「腕疲れたでしょ? オラが持つぞ。次はどこに持ってくの?」

 戸惑う荀彧へしんのすけはそう告げて部屋を出る。それに少し躊躇う荀彧だったが、ある事を思い出してため息を吐き、その後を追う。部屋の外で待っていたしんのすけへ、曹操を待たせているのだから早く行けと告げ、本を奪おうとする荀彧。
 しかし、それにしんのすけは星がいるから心配いらないと返し、本を渡そうとはしない。結局荀彧が折れ、しんのすけを連れて仕事部屋向かって歩き出す。

 そこで再び会話が始まるのだが、そこで二人は同時に同じ事をした。互いの名前を聞いたのだ。しんのすけは、荀彧が鈴々と同じぐらいに見えた事もあり、友達になれるかもと思い名前を聞こうとした。
 一方の荀彧は、あの袁紹から紹介状を貰ったしんのすけの事を少し探ろうと思った。なので、まずは名前を聞こうとしたのだ。結果、こうなるのが決まっていたようなもので……

「「ねぇ……」」

 重なる声。それに互いが軽く驚き、しばし沈黙。視線は相手を促している。しんのすけは単純に相手の方の話を聞きたくて、荀彧は大人として相手を優先させようとしていた。だが、それでは埒が明かないと思ったのだろう。仕方ないとばかりに荀彧がしんのすけへ問いかけた。

「……はぁ。あんた、名前は?」

「オラは野原しんのすけ。名前がしんのすけだぞ。あざなっていうのはない」

「そう……変わった名ね」

「みんなそーゆー」

 しんのすけの名乗りに荀彧は驚きを感じるも、それを表情に微かにしか見せない。そして、しんのすけが今度は荀彧へ名前を尋ねる。それに荀彧が名乗りの返礼とばかりに胸に手を当てて告げた。

「私は荀彧。字は文若よ」

「お~、カッコイイ……けど覚えにくいや」

 最初こそ、しんのすけの声に自慢げな表情を浮かべていた荀彧だったが、最後の一言にその姿勢を崩す。それにしんのすけが大丈夫かと声を掛けるが、誰のせいでこうなったと返す荀彧。そんなやり取りをするも、しんのすけは軽く謝っただけですぐに話題を変える。
 荀彧の事をどう呼べばいいかとのものだ。それに荀彧はどういうものなら覚えられると聞き返す。子供相手だからか、幾分かその声は本来男性に向けるものより優しい。

「そうだなぁ……じゅんちゃんは?」

「はぁ?!」

「お? それがダメなら……ネコちゃん」

「……あんたの挙げる呼び名は理由が分かり易いわね。でも、それは絶対却下。それなら、まだ荀ちゃんの方がマシよ」

「じゃ、じゅんちゃんで」

 これで話は終わりとばかりにしんのすけは言い切った。荀彧はそんなしんのすけに軽い眩暈を感じるが、それでも気付いている事がある。それは、子供にしてはちゃんと自分の言っている事を理解して、言葉を返している事。
 この陳留には、将軍でありながら彼女の言っている事を理解出来ない者もいるのだ。それに比べれば、しんのすけがどれだけマシかが分かるものだ。

(春蘭は子供にも劣るのかしら? ま、あいつは猪だから当然かもしれないけど……)

 荀彧はそんな事を考えながら、しんのすけを導くように歩く。やがて荀彧の仕事部屋に到着し、荀彧はしんのすけから本を受け取った。少しとは言え腕を休める事が出来たので、もう少しの間なら本を持つ事が出来るようになったからだ。

「ここまででいいわ。ここを真っ直ぐ行けば応接室よ。早く行きなさい」

「お~、道教えてくれてありがとう、じゅんちゃん」

「別に、ここまでの礼みたいなものよ。ほら、急ぎなさいしんのすけ」

「ほ~い」

 教えられた通りの方向へ走り出すしんのすけ。それを見送り、荀彧はやや疲れたように部屋の中へ。そして机に本を置き、ため息一つ。

「どうして男は大きくなると厄介になるのかしら……?」

 しんのすけの素直さと純粋さを思い出し、荀彧はそう心から呟いた。この時の彼女は知らない。しんのすけは子供にも関らず、その彼女がもっとも嫌う男の部分を強く持っている事を。そして、彼女の事を大人と思わず、自分に近い年齢と思っている事を。
 そんな事とは知らず、仕事を始める荀彧。そこへしんのすけの匂いを辿ったシロと共に、彼女の嫌う大人の男性が現れるのはそれから少し後だった……



 しんのすけと荀彧が曹操の部屋へ辿り着いた頃、星は一人曹操達と対面していた。そう、そこにいるのは曹操だけではなかった。夏侯惇と夏侯淵の姉妹も同席していたのだ。
 星は、その理由を曹操の護衛と考えていた。だが、実際は違う。夏侯惇は仕事が休みだったためにここに来て、夏侯淵は姉が何か粗相としないように監督するために自主的にやってきたのだ。

「……そう。不思議な鏡を、ね」

「ええ。何かご存知ないでしょうか?」

 簡単な自己紹介を終え、陳留の様子から感じた事を軽く話し、今はしんのすけ帰還のために必要と思われる鏡の情報を尋ねていた。曹操は最初から何故そんな物をと言わず、特徴などを聞き出す事で星に話を続けさせる。その時の表情は、どこか興味を抱いたというような印象を星に与えた。
 特徴は何も分からず、不思議な力も秘めているとだけしか情報はない。そう星は答え、鏡を求める理由は、袁紹の趣味だと告げた。それに三人は納得したように頷いた。袁紹の事をよく知る三人としては、星の告げた理由はそれだけらしかったのだ。

(鏡、ね。あの麗羽が欲しがりそうな物だけど、この趙雲という者が麗羽に従うようには思えないのよね)

 曹操はそう思い、星を見つめる。直感が訴える。この者が欲しいと。何せ、夏侯惇が星を袁紹の使者と思い、最初に軽く睨むように向けた視線を受け、平然としていたのだ。それどころか、そんな夏侯惇へこんな事を言ってのけたのだから。

―――そんな風に睨まれますと、眉間に皺が出来ますぞ?

 飄々とそう告げられた言葉に、夏侯惇は慌てて目つきを戻したのだ。曹操と夏侯淵は、そんな星に軽く感心をした。夏侯惇の睨みを受けて平然としていられるだけでなく、余裕さえ浮かべてそれを嗜めた事に。
 そんな星が袁紹のような者を主君とするはずがない。絶対ではないが、曹操にはそんな確信めいた自信があった。故に、この鏡の話は袁紹が言い出したのではなく、星が元から探している物ではないかと考えていた。

「ねぇ、趙雲。一ついいかしら?」

「何ですかな?」

 曹操は楽しそうな笑みを浮かべて星へ問いかける。その笑みに嫌な感じを受けながらも、星は平然と構えた。

―――麗羽はその鏡の話をどこで聞いたのかしら?

 その言葉に星は内心で舌打ちをした。曹操が自分の話を疑っていると悟ったからだ。その問いの答えは勿論用意している。だが、目の前の曹操の表情は、明らかに自分の話が袁紹の告げた話ではないだろうと確信しているものだった。
 やはり侮れない。そう思い、星はあまり得意ではないが、頭をいつも以上に使う事にした。どこかで、それでも目の前の者には通用しないと悟っている。だが、それでも万に一つでも可能性があれば賭けてみよう。そう考え、星は口を開いた。

「夢のお告げだと、そう言っていました」

「夢、ね……」

「袁紹殿は、どこか我らと違う場所を見ておられますからな。寝惚けて天の声でも聞いたのでしょう」

 それに付き合う方の事も考えて欲しい。そう馬鹿にするように星は締め括った。それに夏侯惇だけが同意するように笑う。曹操と夏侯淵は笑いこそしたが、その質が夏侯惇とは違う。そう、曹操は楽しそうにしているのだ。夏侯淵は冷ややかな笑み。共に、星が言う事が嘘だと思っているのだ。
 それでも星はうろたえない。自分自身に言い聞かせる。自分の話す言葉は全て真実だと。そうしなければ、自分ではなくしんのすけが危なくなるのだと思い込ませて。曹操がしんのすけを天の御遣いと知れば、必ず利用するだろうとどこかで察しているのだ。

 その後も曹操による星への追求は続いた。夢で見た不確かな物をどうやって探すのかと聞かれれば、それらしい話や言い伝えがある物を用意すれば、納得させる事が出来ると返し、気紛れな袁紹はそんな物で納得しないかもしれないと言われれば、根は単純故に、物と話さえあれば何とでもなると返した。

「……いいでしょう。趙雲、まだ宿は決めていないのではなくて? とりあえず、しばらくこの城に滞在しなさい。その間に出来るだけ調べてあげるわ」

「寝床だけでなく、そこまでして頂けるとは……感謝しますぞ、曹操殿」

「いいのよ。麗羽からも良くしてくれとあったし、私自身もそうするに相応しいと感じた。また暇を作ったら話を聞かせて欲しいしね」

 星の話を聞いて、曹操はどこか満足そうに頷いてそう告げた。一方の星は、そんな申し出に内心ため息を吐いた。曹操の興味を嫌な意味で引いてしまったと感じたのだ。きっとまた必ず機会を設けて追求してくるだろうと。
 宿を取っていれば少しは違ったかと思う星だったが、それでもきっと結末は同じかと思い直し、再び内心でため息。そんな星の内心を読んでいるのか、曹操はどこか獲物を捕らえたような笑みを浮かべていた。

 そうして、話が終わったと誰もが思った時だ。応接室の外から二つの声が聞こえてきた。一方は、星が良く知る声。もう一方は曹操達が良く知る声だ。

「駄目だよ。今、大事なお話の最中なんだから」

「だから、オラはそのお部屋にお呼ばれしてるの」

「嘘吐いたら駄目だぞ。大体、どうしてここに子供がいるのさ?」

「じゅんちゃんも同じ事聞いてきたけど、オラ、よいしょーさんからのお手紙を星お姉さんと一緒に届けに来たんだぞ」

 桃色髪の少女―――許緒は午前の仕事を終え、ここで夏侯惇を待っていた。昼食を一緒に食べに行こうと思っていたのだ。まぁ、退屈だったので部屋の中を覗き見てはいたのだが。そこへ、しんのすけが現れて普通に応接室に入ろうとしたので、現状のように止めたという訳だ。

 だが、そんなしんのすけの最後の言葉に、許緒は次々と疑問符を浮かべた。一つ目はじゅんちゃんとの名前。次によいしょーさん。最後は星お姉さんだ。それらが理解出来ない名前ばかりだったため、許緒は一つずつそれを解明していこうとした。
 まずじゅんちゃん。それは誰と聞かれ、しんのすけは荀彧の特徴を告げた。そう、猫耳のような特徴を持つ頭巾を。それで許緒は誰かを理解し頷いた。

「桂花ちゃんの事かぁ。でも、よくそんな呼び方許してくれたね?」

「お名前覚えにくいから、じゅんちゃんかネコちゃんだとどっちがいいって聞いたんだ。そしたらじゅんちゃんがいいって」

 しんのすけの言葉に許緒は小さく笑って頷いた。それなら確かにじゅんちゃんを選ぶだろうと。そして、続いてよいしょーさん。それはしんのすけが袁紹の特徴を伝えたのだが、生憎許緒は袁紹と会った事はない。そのため、しんのすけがどれだけその真似の高笑いをしても、許緒には理解してもらえなかった。

「ぜぇ――っ――ぜぇ……これでも分かんない?」

「ご、ごめん。僕が知らない人みたい」

 高笑いのしすぎで疲れているしんのすけを見て、許緒は少し申し訳なく思ってそう返した。それにしんのすけも仕方ないと思い、頷いて気を取り直して次の人物の説明をした。そう、星だ。
 白い服装の女性。それだけで許緒には心当たりがあった。そう、今曹操達が話をしている相手も同じ格好だったのだ。そこで、更にしんのすけが髪の色などを告げる。それで完全に許緒は、しんのすけの言っている相手が部屋の中の人物だと理解した。

「それ、華琳様達とお話してる人だよ。本当に呼ばれてたんだ」

「うん」

「そっか……疑ってごめんね。ちょっと待ってて。今、華琳様達に聞いてみるから」

 しんのすけの言った事を最初から疑ってかかった事に謝罪し、許緒は応接室の中へ伺いを立てようとする。しかし、その瞬間扉が開いた。

「話は聞いていたわ。季衣、ご苦労様」

「え? あの、華琳様。僕、何もしてませんけど?」

 曹操に労を労われるも、その理由が分からない許緒。曹操は素性の分からない者を通さず、丁寧にその者を確かめていった事に満足していたのだ。だが、それを意識せずしていた許緒には曹操の喜びが理解出来なかった。

「しんのすけ、どこへ行っていたのだ」

「じゅんちゃんがご本たくさん持ってて、大変そうだったからお手伝いしてた。そしたら、ここの場所教えてくれたんだぞ」

 星の問いかけにしんのすけはそう答えた。じゅんちゃんが誰を意味するかを室内で曹操達から聞いた星としては、それだけでも色々と思うところがあるのだが、今はそれよりも言っておく事があった。

「そうか。人助けは立派な事だが、それで私やシロに心配を掛けるのは感心せんぞ?」

「えっと……ごめんくさい」

「分かればいい。それと一応言っておくが、正しくはごめんなさいだぞ、しんのすけ」

 素直に頭を下げるしんのすけへ微笑みを浮かべ、星は柔らかくそう注意した。そして、頭を上げたしんのすけは星の後ろにいる曹操達に気付いた。そして、曹操の両隣にいる夏侯姉妹へ視線を向ける。
 無言で立ち尽くせば、黒髪の美人に見える夏侯惇。姉が絡まない限り、知的で冷静な美人の夏侯淵。どちらもしんのすけからすればキレイなお姉さんだった。故に、しんのすけは見慣れたにやけ顔になり、二人へ近付いた。

「ヘイヘイ、おねいさん達。オラと一緒にヤムチャしな~い?」

「「は?」」

 子供に口説かれるという珍しい経験に、思考が停止しかかる二人。これが一般男性だったのなら、二人はそれぞれらしい反応を返しただろう。だが、初対面で子供から口説きを受けるなどは、誰でも予想出来るはずがない。
 しかし、しんのすけは戸惑う二人に構わず、口説き続けていた。それを見て楽しそうに笑う星。一方、許緒は呆気に取られ、曹操は微かな怒りを抱いていた。しんのすけがお姉さんと扱ったのは、夏侯姉妹。自分はそう扱われなかった。それが密かに身長や容姿に劣等感を持つ曹操を刺激したのだ。

(私は大人じゃないって言うのね、この子供は……いい度胸じゃない)

「ちょっと、そこの子供!」

 一喝。並の者であれば、それだけで動く事が出来なくなりそうな威圧感。それを曹操はしんのすけへ放った。だが……

「ね~、オラと夕焼けの下でドゥエットしよ~」

「あ、あのな小僧……」

「華琳様が呼んでいるのだが……」

 曹操の一喝などどこ吹く風とばかりに口説きを止めないしんのすけ。みさえの激しい怒りは曹操のそれと同等だったのだ。それを受け続けたしんのすけに、曹操の一喝は聞き慣れたものといえたのだろう。
 そんなしんのすけに困惑する夏侯姉妹。曹操はしんのすけの様子に一瞬呆気に取られるも、すぐにわなわなと震え出した。だが、それがスッと治まった瞬間、曹操は優しく声をかけた。

―――ねぇ、私の話を聞いてくれないかしら?

 その声にしんのすけがびくりと震えて背筋を伸ばす。そう、それは優しい声だった。だが、同時にとても恐ろしい声だったのだ。しんのすけが知る限り、その声は相手の怒りが頂点に達した後、それを突き抜けた時に出る声だったのだから。
 ゆっくりと顔を曹操の方へ向けるしんのすけ。そこには、にこやかな笑みを浮かべる曹操の姿があった。見れば、その異様な雰囲気に呑まれたのか、許緒と星が完全に固まっていて夏侯姉妹も身じろき一つしない。

「まず、貴方の名前を教えてくれるかしら?」

「の、野原しんのすけ……五歳」

「そう。名がしんのすけでいいのね?」

 曹操の問いかけに無言で何度も頷くしんのすけ。それに曹操は満足そうに頷き、笑みを深めて告げた。

「ではしんのすけ。貴方、春蘭と秋蘭をお姉さんと呼んだわね?」

「ほ、ほい」

「じゃあ、季衣はどう呼ぶの?」

 その問いかけに、しんのすけは視線を許緒へ向けた。丁度、相手もしんのすけへ視線を動かしたようで、視線が合った。

「えっと……お、お名前は?」

「あ、僕は許緒。字は仲康って言うんだ」

「……なら、きょーちゃんかな?」

 お見合いの出だしのような会話。それに少しだけ緊張が解れたのか、許緒がその呼び名に頷き返した。構わないという事なのだろう。それにしんのすけも頷き返し、視線を曹操へ向けた。曹操はそんなやり取りに少しだけほだされたのか、その恐ろしい雰囲気を若干和らげていた。
 星や夏侯姉妹はその事に安堵し、揃って息を吐いている。それでも、未だにしんのすけへ向く視線は鋭いままだったが。

「季衣はそう呼ぶのね。なら……」

 そこまで言って曹操は何かに気付いたのか、口を閉じた。そして同時に一瞬恥ずかしそうな表情に変わる。だが、それをすぐに引っ込めた。それでも、そこに先程までの怒りはない。それに全員が気付き、視線を曹操へ向けた。

(つい怒りに任せて言い出してしまったけど、これで自分の呼び方を聞いたら、私が子供扱いされた事に腹を立てた事を認めるしかないわ……)

 ゆっくりと怒りが収まってきたためか、曹操は自分が余計に墓穴を掘っていた事に気付いたのだ。しかし、ここで止めるのはおかしすぎる。でも聞く事が出来ない。何か上手い纏め方を考える曹操。
 そんな曹操を見て、疑問符しか浮かばないしんのすけと夏侯惇に許緒。夏侯淵は何かに気付いたのか、密かに苦笑しているし、星も曹操の様子から何となく察しをつけたようで、不敵な笑みを浮かべていた。

 そして、星はしんのすけへ静かに近付き、耳打ちする。それにしんのすけが頷いて、考えを纏めようとしている曹操へ告げた。

―――ね、お姉さんがそーそーさん?

 それに曹操が思考を切り替え、しんのすけへ視線を向けた。そして、視界の隅で不敵に笑う星を見て、急にしんのすけがそんな事を聞いてきた背景を察した曹操。だが、それに乗るしかないかと思い、至って自然を装って答えた。

「ええ、私が曹操よ。字は孟徳」

「ほ~ほ~。ん~、じゃあ……もうちゃんかな?」

「あら、どうして私だけ字なのかしら?」

「その方が可愛いし、もうちゃんってどこかみんなと違うから。う~んと……」

 可愛いと評された事に曹操が軽く驚き、少しではあるが楽しそうに笑みを浮かべる。そんな曹操に気付かず、しんのすけは違う点を思い出そうとしていた。

(確かみんなから”かれー様”って呼ばれてたっけ? かれーかぁ……あー、カレー食べたいぞ。お家にならあれがあるのに。えっと、何て言ったっけ?)

 周囲からの呼ばれ方を思い出して、しんのすけはある物を連想していく。それは彼の好きな食べ物、カレー。そんな彼のために、家には常備されているレトルト商品がある。そう、その名もカレーの王様。それを思い出した事こそ、ある意味での運命の分かれ道。

「おおっ! 王様だぁ!」

 やっと思い出せたとばかりにしんのすけが言った言葉。それに曹操だけでなく星達も驚いた。今はまだ地方の諸侯でしかない曹操。それと接して、しんのすけが告げた王様との言葉。それが持つ衝撃は大きい。何も知らない者が感じた曹操の印象。それを王者の風格と言ったと思ったのだから。

 勿論、しんのすけは既に自分が何を話していたかなど忘れている。しかし、その発言が見事に流れに合ってしまったのだから恐ろしい。ともあれ、その言葉で真っ先に反応する者がいた。
 その人物、曹操はやや愉快そうな笑みを浮かべると笑い出した。それに周囲の視線が集まる。だが、それに構わず曹操は、ただしんのすけだけを見つめて告げた。

―――面白い! この曹孟徳を王と評するか、しんのすけ。

―――お? うんと、よく分かんないからそれでお願いするぞ。

―――ふふっ、お願いするって……いいでしょう。気に入ったわ。今夜夕食を共にしなさい。

―――ほーい。

 物怖じせず、曹操へ自分の意見を告げるしんのすけ。その態度が子供らしくもあり、どこかそれらしくもないと感じた曹操は、もっと話をしてみたいと思いしんのすけを食事へ誘う。
 一方、星はしんのすけの告げた王様との言葉に息を呑んでいた。曹操こそが乱世を止める者なのだろうかと、そう考えたのだ。しんのすけの直感が王と感じた存在。桃香や白蓮には言わなかった表現。それが持つ意味は、星にはこの上なく大きい。

 夏侯姉妹と許緒は、その王様との言葉に違う意味を感じていた。主君曹操は、何も知らぬ子供から見ても王者たる風格を持っている。それは彼らにとっては喜びでしかない。やはり自分達の主君は凄いと、そう強く思う事が出来るのだから。

後に、治世の能臣・乱世の奸雄と評される覇王、曹操。
その王たる片鱗を感じ取ったように告げてしまったしんのすけ。それを気に入り、曹操は笑う。
様々な思いを抱く周囲を他所に、しんのすけへ曹操は笑みを浮かべて言葉を交わす。
これが、しんのすけと曹操の出会い。

それは、この大陸に嵐を起こさせるキッカケになるのだろうか……?




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ついに登場の華琳様。いや、別につけなくてもいいんですけど、何故かつけてしまうんですよ”様”

次回は三羽烏の出番。あの二人は……まだ秘密。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十三話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/08 15:43
 あの後、少ししてからシロを連れた兵士が現れ、星はしんのすけを捜し続けてくれた事に感謝した。曹操達はシロとじゃれ合い、楽しそうにしているしんのすけを見て笑みを浮かべ、兵士に客室へ案内するように告げて別れた。
 そしてそのまま、しんのすけ達はその兵士について行き、客室へ。すると、部屋に入った途端、星はしんのすけへ先程の曹操とのやり取りを確認した。そう、星にとってはそれは見過ごす事の出来ない話だったのだから。

「しんのすけ、曹操殿を王のように感じたというのは間違いないか?」

「それなんだけど、オラ、もうちゃんを王様だって思ったなんて言ったっけ?」

 しんのすけの言葉に星は呆気に取られた。それがあっての曹操からの誘いだったのだから。しかし、しんのすけはそれにカレーの話を聞かせた。それを聞いて星は脱力。しんのすけが曹操と他者との違いを言おうとしていた事を、完全に忘れていたと理解したからだ。
 それを星が簡単に説明してやると、しんのすけはそこでやっと会話の流れを思い出したのか、手を打って頷いた。

「あ、そっか」

「あ、そっか、ではない。まったく、お前という奴は……」

「う~ん……でもそう言われると……」

「何だ……?」

 不思議そうにしんのすけを見つめる星。最初の言葉が直感から来たのかと思ったのだが、そうではないと星は理解した。だが、急にしんのすけが何かを思い出すように考え込んだ事に、星はその先が気になったのだ。

「寂しそうだったから、王様かも」

「何?」

 予想外の答えに星は戸惑った。何故寂しそうなのが王なのだろうと、そんな疑問を抱く星。それに気付かずしんのすけは自分が感じた事を話していく。曹操には友達がいないだろうと思った事をだ。そう、白蓮と桃香は友達。更に白蓮には星と自分という仲間が、桃香に愛紗や鈴々という義姉妹がそれぞれいる。
 しかし、曹操にはそんな存在がいないと思ったのだと、しんのすけは語った。それに星は、曹操にも夏侯姉妹を始めとする者達がいると返す。しかし、それにしんのすけは首を横に振った。

「違うぞ。あのお姉さん達はオラ達みたいなお仲間じゃないよ。えっと……部下じゃなくて、し、し……何て言ったけ?」

「もしや臣下か?」

「おおっ! それだ!」

 それで星はしんのすけの言いたい事を何となくだが理解した。白蓮や桃香は同等と思う存在がいた。自分を偽る事もなくさらけ出せる相手が。だが、曹操にはそういう相手がいないのだろうと星は思った。
 それは、曹操の周囲への態度や言葉遣いから感じたものだったが、それだけではない理由がしんのすけにはあった。それは……

(あの時のもうちゃん、目が寂しそうだった……)

 あの後、自分と許緒が名前を呼び合って遊ぶ約束をしているのを見て、誰もが笑みを浮かべていたのだが、曹操だけはそこに微かな悲しみがあったのだ。まるで、何も考えずに自由に振舞えるしんのすけ達が羨ましいとでも言わんばかりに。
 星は、そんな事を思い出し妙な表情をしているしんのすけを見て、抱いた疑問をぶつけた。どうして寂しそうだと王なのかと。それにしんのすけは、自分が絵本や紙芝居などで見た王様の事を思い出して告げた。

「王様って、みんな一人ぼっちなんだぞ。だって、王様は一番エライんだもん。だから、友達が欲しくなったり、みんなと仲良くなりたいって思ったりするんだ」

「……そうか。王とは孤独なもの。故に、孤独さを感じさせた曹操殿は王らしい。そういう事か」

「それにみんな、もうちゃんの事、ぜったい様って付けて呼ぶし」

「お前は、意外と周囲に気を配っているのだな。いや、それでこそか」

 しんのすけの最後の結論に苦笑した。白蓮も桃香も様を付けずに呼ぶ者がいた。だが、確かに曹操の周囲にはそんな呼び方をする者がいない。それを指摘したしんのすけの観察眼に、星は感心した。
 そして、星はそれを聞いて曹操を主にする事を保留にした。しんのすけが王と感じた理由を聞いて、それが天命によるものではないと判断したのだ。

 次に話は別の事に移った。そう、稟と風の所在を調べる事についてだ。星は街へ出かけ、聞き込みなどをして足取りを追うつもりだった。それについてくるか否かをしんのすけに尋ねたのだ。無論、それにしんのすけは即座に頷いた。
 そんな話を終え、どうするかと星が思った時だ。それまで床に伏せていたシロが突然起き上がり、尻尾を振り出したのだ。それと同時に星も部屋へ近付く気配を感じ、笑みを見せた。

「しんのすけ、許緒殿が来たようだぞ」

「お、きょーちゃんもう来たんだ。早いね」

 許緒が食事を終えた後に軽く遊ぶ約束をしていたしんのすけ。本当なら一緒に食事へと誘われたのだが、星が先程の事を確かめたかったため、遠慮したのだ。しんのすけとしては星がそう言うのならと思い、残念そうにする許緒へまたの機会と言ったのだから。

「しんちゃん、いる?」

「ほっほーい」

 許緒からの呼びかけにしんのすけは元気よく返事をし、扉を開ける。そこには笑顔の許緒の姿があった。その視線が部屋にいる星を見て、少し意外そうなものに変わる。

「あ、趙雲さんもいたんですね」

「ああ。これから少し街へ行こうと思ってな」

「そうですか。じゃ、僕が案内しますよ。それにしんちゃん達、ご飯まだだよね?」

 許緒はそう尋ねる、それに星は頷くが、ふと思った事があったので尋ね返した。そう、許緒には仕事があるのではないかと。それに許緒は苦笑して答えた。夏侯惇が、自分としんのすけが思う存分遊べるようにと、午後からの仕事を代わってくれたのだ。
 それを聞いて、星は夏侯惇の優しい面を見た気がして軽く驚きを見せた。しんのすけは夏侯惇の計らいに感嘆の声を出し、嬉しそうに頷いていた。しんのすけの反応が夏侯惇を褒めたように見え、許緒も嬉しそうに笑みを見せる。

「えへへ、春蘭様は優しいんだよ。と言う事で、趙雲さんも一緒にみんなで街へ行きましょう。僕がオススメのお店教えますから」

「そうか。ならば、お言葉に甘えるとしよう」

「きょーちゃんのオススメかぁ。楽しみだぞ」

「キャンキャン」

 こうして許緒に連れられ部屋を出るしんのすけ達。向かうは陳留の街。そこでしんのすけは、更なる出会いを得る事になる……



「美味しかった?」

「うん。オラ、びっくりしてほっぺた落ちるかと思ったぞ」

 食事を終えて、しんのすけは星と別れた。ちなみに、許緒が再び食べようか否か迷っていたのを見て、しんのすけと星は軽く鈴々を思い出していた。何せ、食べてからそう時間も経っていないにも関らずにそうだったのだから。

 許緒は星を案内するつもりだったのだが、しんのすけと遊ぶ方を優先してやってくれと言われ、こうして二人は歩いている。シロはしんのすけの横を歩き、満足そうにしていた。
 許緒はそんなしんのすけの答えに嬉しそうに笑みを返し、城へ向かって歩いていた。しんのすけも同じように視線を城へ向け、歩いていたのだが、ふとその視界に一軒の茶屋が見えた。

「お? 何かオシャレな場所ですなー」

「ん? あ、沙和ちゃんが好きなお店だ。女の子に人気があるんだよ、あそこ」

「えっと……それ真名だよね? お名前は?」

「あ、えっと……于禁って言って、僕と同じで華琳様のとこで働いてるんだ」

 許緒は、しんのすけが迂闊に真名を呼ばないようにしているのだと気付き、名前を答えた。そんな許緒の説明に頷き、しんのすけは視線を店へ戻す。そこは、オープンカフェのような場所まであり、しんのすけには違和感を感じさせた。現代に近い印象を受けたのだ。そんな店先を眺めていると、同じように見ていた許緒が何かに気付き足を止めた。
 そこには、彼女が良く知る者が座っていたのだ。それも一人ではなく二人。それが本来ならば、そこに居るはずはない者達だったのだから、許緒は不思議そうな視線を向けて店へ近付いていく。しんのすけもそれについていく形で店へ向かって歩き出す。

「何や、いい案ないやろか」

「そうだねぇ……やっぱり単純に人を増やしてもらうよう、桂花ちゃんにお願いするしかないかもなのー」

 そんな風に会話する二人の女性。ドクロの髪留めが特徴の眼鏡の女性―――于禁と、露出度の高い格好の関西訛りに近い喋り方をする女性―――李典はそんな風にため息混じりで話す。

 今、二人が話しているのは街の警邏についてだ。現状では人手不足が否めない上に、事件があっても迅速な対応が出来ない。それを何とかしないといけないと、そう考えている二人ではあったが、中々いい考えが浮かばないのだ。とは言え、この事を真剣に考える裏には、警邏をもっと効率化して、自分達が楽したり暇を持てるようにしたいという考えからなのだが。

「沙和ちゃんに真桜ちゃん、ここで何してるの?」

「「っ!?」」

 突然声を掛けられた事に背筋を伸ばして硬直する二人。そんな反応に許緒は不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの?」

「き、季衣ちゃんかぁ」

「脅かさんといて。凪かと思うたわ」

 安堵するように息を吐く二人。それに構わず、許緒は問いかけた。警邏をしてるはずの二人がどうしてここにいるのかと。そう、二人は街の警邏の隊長格。それ故にその担当区域は違うはずなのだ。
 それを知っている許緒だからこそ、そう尋ねた。すると、それに二人がやや気まずそうな表情を見せた。何故ならば、二人はかなり早い昼休憩を部下達に告げ、こうしてさぼっているのだ。もう一人の隊長格である凪と呼ばれた親友に黙ったままで。

 そんな風に許緒と二人が話しているのを見て、しんのすけは一人頷いていた。于禁も李典も美人ではあるが、しんのすけが飛びつく程ではない。綺麗と言うよりは可愛いと言う表現が近いのもある。後は、その言動だろう。大人らしくない。それがどこかで、しんのすけが飛びつくのを防いでいた。
 だが、それでもしんのすけはそのまま三人を眺めていた。しかし、ふとその視線を動かす。誰かの視線を感じたのだ。すると、顔を向けた先には銀髪の女性がいた。体のあちこちに傷跡があるが、しんのすけにはそんな事は関係無かった。

―――キレイだぞ……

 凛々しい表情と気配。それは、星達武人に通じるものがある。そう思ったしんのすけは、引き寄せられるように銀髪の女性へと歩き出す。シロはそんな彼に気付き、視線を追ってため息を吐いた。
 だが、女性の雰囲気がどこか星に近いためかシロは後を追う事はしなかった。それよりも許緒達の方へ視線を向け、しんのすけを止めてくれとばかりに声をかける。だが、軽く騒ぎ出していた三人はそれに気付かないのだった。

 一方、その女性は許緒達を見て拳を握り締めていた。先程午前の割り当ての警邏を終えた彼女は、部下達に休憩を言い渡して自分も軽く休もうと思いこうして歩いていた。そんな時、見つけた店先に親友二人がいた。それはいい。昼休憩だと思ったからだ。
 しかし、どうも話を聞いていると二人はもっと前から店にいたらしい。それを知って、彼女は怒りに震えていた。率先して真面目に仕事をしなければならない隊長格である自分達。それが二人も揃ってその責務を放り出した事にだ。

「沙和……真桜……」

 静かに怒りを燃やし、彼女は歩き出そうとした。だが、その歩みが一歩踏み出した所で止まる。そこに自分を見上げるしんのすけの姿があったのだ。

「どうかしたのか? 親とはぐれたか?」

 迷子かと思い、先程までの怒りを消して、しんのすけと目線を合わせるためにしゃがむ女性。その視線が完全に合った瞬間、しんのすけがにやけた笑みを浮かべた。
 それに若干気味悪がる女性だったが、子供相手にそんな表情を見せてはいけないと思ったのだろう。すぐに真面目な表情に戻し、もう一度尋ね直す。どうかしたのかと。それに対ししんのすけは、女性の手を掴むとにやけた表情のままで告げた。

―――キレイな髪のおねいさ~ん。オラとオシャレなお店でお茶しな~い?

 そんな言葉に声を失う女性だったが、それが口説きだと気付いた後、若干嬉しそうな笑みを浮かべた。彼女は、今まで男性にそんな事を言われた事がなかったのだ。故に少しだけだが、しんのすけの言葉が嬉しかったのだ。子供相手とはいえ、初めて異性に口説かれた事。傷だらけの自分を女性として見たその存在を微笑ましく思ってしまったのだ。
 これが同年代や年上であれば、彼女はこんな反応ではなかった。もっと動揺し、うろたえただろう。しかし、しんのすけは子供。故に、女性も落ち着いて対応出来たのだ。

 だが、その言葉に妙な引っかかりを感じ、オシャレな店と言う単語で先程の怒りとその原因を思い出した。なので、しんのすけの手を優しく解くと、その頭に手を置いて静かに一言。

―――褒めてくれたのは嬉しいが、私にはやる事があるんだ。すまないが、その誘いは断らせてもらう。

 それにしんのすけが呆気に取られる。自分が感じた女性と星達との親近感。それが正しいと思えたからだ。星とは違い飄々とはしていないが、その断り方は同じ。自分の言葉を嬉しいと言ってくれたのだから。
 女性は立ち上がると、しんのすけを置いて店へと向かって歩き出す。すると、同時に店の方から二つの叫び声が聞こえた。それと同時に女性が走り出した。それは、女性の接近に気付いた于禁と李典が上げたもの。逃げようとしたのだろうが、どうも身体能力では女性の方が優れているらしく、逃げる事は叶わなかった。

 その騒ぎを聞きながら、しんのすけは頷いた。先程の女性も正義の味方なのだろう。故にさぼりをしていた二人を懲らしめたのだと。そう納得しながらしんのすけは許緒へ近付いていく。
 許緒はシロと共に三人の事を見てやや呆れていたが、しんのすけが近付いてきた事に気付き、視線をそちらへ向けた。それにしんのすけも視線を返し、許緒へある事を尋ねた。

「ね、きょーちゃん。あのキレイな髪のお姉さんもお知り合い?」

「凪ちゃん? うん、そうだよ」

「後でしょーかいして」

「いいよ」

 しんのすけの申し出に笑顔で頷く許緒。言われなくてもそうするつもりだったのだ。そんな風に和む二人の前では、于禁と李典が凪―――楽進に捕まり、怒気を当てられながら説教されているのだった……



「私の名は楽進。字は文謙だ」

「沙和の名前は于禁で、字は文則なのー」

「ウチの名は李典。字は曼成や」

 二人への説教を終えた楽進へ許緒がしんのすけを紹介した。それがキッカケで始まった名乗り合い。しんのすけとしては、こちらに来て何度となくしてきた事ではあるので、既に何をどう言えばいいのかを把握している。
 故にその受け答えも慣れたもの。三人の名を聞いて頷き、次は自分の番とばかりに答えた。

「オラは野原しんのすけ。名前がしんのすけだぞ。それとあざなはないぞ。で、こっちはシロって言って、オラの……家族?」

「クゥ~ン……」

「しんちゃん、シロがそこは言い切ってって言ってるよ」

 しんのすけの疑問での終わり方に、シロは脱力するように地面に伏した。それを見て許緒は苦笑い気味にシロの心境を告げた。そんなしんのすけとシロに三人は小さく笑みを浮かべる。その後、許緒はしんのすけが曹操に気に入られた事を告げ、三人を驚かせた。
 そして、しんのすけは三人へどんな呼び方をすればいいかを尋ねた。覚えられない訳ではないが、やはり簡単な呼び方を決めておくに越した事はないのだ。そう、袁紹にもそれをしていれば間違える事も無かったのだと、しんのすけが考えた事もある。

 三人はしんのすけの言い分にやや考え込み、まず于禁が表情を明るくして告げた。

―――うっちゃんはどう? なのー。

 それにしんのすけがお笑いの人みたいだねと告げるが、当然誰もその意味が理解出来ない。しんのすけは、そんな周囲の反応に自分の言った事が通じない類の物だった事を思い出し、やや照れたように忘れて欲しいと告げた。その反応に許緒達が笑った。何かと間違えて照れたのだろうと思ったのだ。

「じゃ、うっちゃんね。えっと……」

「そうなるとウチはりっちゃんやろか?」

「お? それでもい~い?」

 李典はしんのすけの言葉にやや楽しそうに頷いた。初めての呼ばれ方だと言って、笑ってさえいたぐらいだ。それにしんのすけも頷きを返し、最後に楽進へ視線を向けた。それに楽進は、自分も流れから言ってがっちゃんだろうと思っていた。
 正直その呼ばれ方には抵抗がある。なので、彼女はしんのすけへ別の呼び方を考案してもらえないかと告げた。しかし……

「え? 別の呼び方?」

「ああ。その……がっちゃんはどうもな」

「凪ちゃんだけずる~い……」

「ウチと沙和やって、恥ずかしいは恥ずかしいんやで?」

 しんのすけはそれに不思議そうに小首を傾げ、于禁と李典は楽進の言い分に不満をぶつける。それに楽進は言葉に詰まる。確かに二人とて心からその呼び方を望んでいる訳ではない。だが子供であるしんのすけが、難しいから簡単な呼び方をさせて欲しいと言ったからこそ、二人も先程の呼び方を認めたのだ。

「しんちゃん、何か他の案はある?」

「そだね……じゃ、がくちゃんは?」

 許緒の問いかけにしんのすけは単純な別名を挙げた。それに楽進はがっちゃんよりはマシかと思い、妥協する事にした。こうして、呼び方に関する事は片がつき、楽進は早速とばかりに同僚二人へ厳し目の視線を向けた。
 それだけで二人には何かを理解し、真剣な表情で答えた。

「ちゃ、ちゃんと午後は見回りするの!」

「お、おう!」

「……普段からそれが当たり前だと心得ておけ。次に同じような事があれば……分かってるな?」

「じゃ、じゃあね、しんちゃん。沙和はお仕事に行くの~っ!」

「あ、ならウチも。ほなな、しんのすけ。沙和、待ち~っ!」

 楽進の重圧から逃げ出すように走り出す于禁。それを追うように走り出す李典。その後ろ姿を見送り、手を振るしんのすけ。楽進はそんな二人にやや呆れたようなため息を吐き、許緒は苦笑していた。
 シロは去って行く二人を見つめ、視線を楽進へ向けて苦労しているだろうなと思い、小さくため息を吐いた。どこにも苦労をしている者がいるのだなと、そんな風に考えて……



 しんのすけと許緒は午後の仕事をする楽進と別れ、シロと共に城へと戻った。そして、そこで許緒はしんのすけから天の遊びを教わる。無論、それはしんのすけの故郷のものだと誤魔化して。それを通してしんのすけは鈴々の事を思い出した。その懐かしそうな表情から、許緒はその理由を尋ねてその時の話を聞き、意外に思ったのだ。
 そう、許緒と鈴々は既に顔見知りだった。黄巾の乱で一緒にいた事がある。そう聞いて、しんのすけは許緒から桃香達の話を聞き、お返しとばかりに自分の知る思い出を語る。それを聞いて、許緒は鈴々に抱いていた印象を少しではあるが変えていく。

「え? しんちゃんの親友で、お別れの時に泣いた?」

「うん。白蓮ちゃんのお城を出てく時、オラの前で泣いてくれたよ」

 強くない。離れたくない。そう言って大泣きした鈴々。その話を聞いて許緒は、不思議と鈴々の事を弱虫とか情けないなどとは思えなかった。自分でも仲の良い友人ともう会えなくなるとしたら、それぐらいの事を言いそうだったからだ。
 しかも、親友ともなれば余計に。故にその気持ちが理解出来ると共に、許緒は抱いた親近感から密かに鈴々の事を見直していた。

(あのチビ、意外と友達思いの優しい奴なんだ。うるさいだけの奴かと思ったけど、しんちゃんのために泣けたのなら、良い奴かもしれない……)

 やたらと張り合ってきた生意気な鈴々の姿を思い出すも、しんのすけとの日々では少しもそんな面を見せてない事に、許緒はそう思う事にした。だが……

(それでも、まだ僕は嫌いだけどね)

 やはり、まだ受け入れられない。でも、今度会う事があったら話をしてみよう。もしかしたら、少しは互いの事を分かるかもしれない。しんのすけという共通の友人を得た今なら……と、許緒はそう思えたのだ。
 もし鈴々に会うとしたらいつになるのだろうと、そう考える許緒。それと同時に、故郷の村に残してきた親友の顔を思い出す。手紙を送って陳留に来るよう呼んでみようか。許緒はそんな事を考えて笑みを浮かべた。

(そうだ、流琉を呼ぼう! 手紙書いて、お城で働いてるんだって教えて……きっと驚くだろうなぁ)

 自分でも未だに少し信じられない時があるのだ。親友も同じように信じないかもしれないと思いながらも、微かに再会を計画し、胸躍らせる許緒であった……



 その頃、星は稟と風の足取りを掴んでいた。ただ、それは陳留に来たという事だけ。二人がここに来た時には、黄巾の乱の只中だったようで、その後が完全に分からなかったのだ。ただし、話によればこの街が黄巾賊に襲われたのは一度だけで、その時に死者は出なかったらしい。
 それ故、星は二人が無事でいる事は確実だろうと踏んでいた。それだけも朗報だ。そう思い、星は話を聞かせてくれた宿の主人に礼を告げて宿を出ようとした。すると、宿の主人が何かを思い出したように星を呼び止めた。

「あ、そういや……」

「まだ何か?」

「えっと……確か眼鏡の女の方がこう呟いてました」

 星はその後の主人の言葉に頭を抱えたくなった。そう、それは……

―――もう仕官するしか道はないかもしれない……とか。




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三羽烏との出会いと許緒との触れ合い。次回で魏は終了予定。

二人との再会については……まだ何とも。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十四話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/11 07:40
「じゃ、とんのお姉さんとえんのお姉さんね」

「う、ううむ……」

「姉者、それでいいではないか。桂花はじゅんちゃんだぞ?」

「そうね。春蘭、それが嫌なら貴女は惇ちゃんになるわよ?」

「あー、それちょっと可愛いですよ、春蘭様」

「いいんじゃない? お似合いよ、子供みたいなあんたにはね」

 食堂に響く多くの声。しんのすけと星を招いての夕食。卓に並ぶのは全て曹操と夏侯淵の手作り料理だ。許緒が楽進達も誘ったのだが、三人は恐れ多いと断り、現状の顔ぶれとなっていた。本当はどこかの店にしようと考えていた曹操だったが、自分を満足させる店があまりない事を思い出し、自分が腕を振るう事にしたのだ。

 既にその食事は粗方片付き、今は雑談時間となっていた。だが、しんのすけが夏侯姉妹の呼び方を決めていなかったため、こうして決めている最中だったのだ。星は先程から話題が自分ではなく、しんのすけへ振られている事に若干の不安感を覚えていたが、思ったような内容ではなく、しんのすけと自分の人となりを理解しようとしている内容ばかりだったため、少し安堵していた。

 今は夏侯惇と荀彧が言い合いを始め、それを眺め曹操と夏侯淵は笑みを見せ、しんのすけは許緒から、二人はいつもこうなのだと教えられていた。星はそんな周囲を眺め、いつ話を切り出すかを迷っていた。
 それは、稟と風の事。宿で仕官すると言っていたのなら、仕官先はこの陳留しかない。であれば、曹操が何か知っているはず。だが、それを言い出す事が中々出来ない。星が懸念しているのは、そこから自分が仕官するように仕向けられる可能性だ。

(曹操殿は無類の人材好きと聞く。自分が欲しいと思った相手は、何が何でも手に入れようとするとか。私も目をつけられたようだし、下手な事は聞けないな……)

 星はそう判断し、切り出すとしても曹操本人ではなく、軍師をしている荀彧にしようと決めた。曹操本人に言うよりも、仕官の誘いを受ける可能性が低いだろうと思ったからだ。その相手である荀彧は、夏侯惇との毎度の言い争いを終え、しんのすけが差し出したお茶を受け取り飲み干していた。
 それにしんのすけがいい飲みっぷりと褒め、それを聞いた周囲が酒ではないと言いながら笑っている。言われた荀彧は多少照れくさそうだったが、しんのすけの言葉が盛り上げるためのものと理解していたのだろう。それに小さくため息を吐き、言うのなら自分のような者ではなく、大酒飲みにしろと助言していた。

「じゃ、星お姉さんだね」

「ん?」

 急に名前を挙げられたため、星はやや意外そうな表情を見せた。そんな星を曹操達が見つめ、楽しそうに笑みを見せる。

「趙雲、貴女お酒は強い?」

「まぁ、それなりには」

 曹操の問いかけに星は素直に頷いた。別に何か誤魔化す類ではないと判断したからだ。それに夏侯惇が嬉しそうに頷き、杯を差し出した。

「そうか。なら、飲め」

「姉者、もう少し言い方があろう」

「そうですよ、春蘭様。もっと飲みたくなるような言い方しないと」

 夏侯惇の言い方があまりに直球すぎるため、夏侯淵と許緒が揃って苦笑した。そんな二人の言葉に夏侯惇はキョトンとした顔をし、そんなものかと問い返していた。どうも彼女的には、それで飲みたくなるようだ。
 そんな三人を他所に、荀彧はしんのすけから桃香達の事を聞き出していた。先程から、星があまりその事を喋らないようにしていると気付いたためだ。しんのすけはそんな事に気付くはずもなく、荀彧の質問に素直に答えていく。

「で、劉備達とは公孫賛の城で共に過ごしていたのね?」

「うん」

「そう……で、諸葛亮達はその頃からいた?」

「お? 誰?」

「諸葛亮よ。後は鳳統ね。どちらでもいいけど、知らない?」

「う~ん……聞いた事無いぞ。そんな名前の人が桃香ちゃん達と一緒にいたの?」

「そうよ。でも、しんのすけが知らないか。そうなると、あの二人は城を出てから劉備に出会い、すぐに軍師になったのね」

 自分達が桃香達と出会った時期を思い出し、星が話した城を出た時期を擦り合わせ、荀彧はそう結論付けた。そこから分かるのは、桃香の運の良さと諸葛亮と鳳統の頭の巡りの良さだ。きっと、桃香は二人が才能の持ち主だとは知らなかったはず。そう荀彧は断言出来た。
 直接会った際、その人物は把握したのだ。とてもではないが、人の才を見抜く力はなさそうだと。そう、一言で言うのならお人好し。だが、それがただのお人好しではなく、どこまでもそれを貫こうという明確な意思を感じさせたのが意外だったが。

(現実を見ない夢想家と思えば、意外と見てたのよね……)

 黄巾の乱の際、協力する事になったために荀彧も桃香達と話す事はあった。そして初めての打ち合わせの時、乱を起こした者達を出来るだけ助けたいと言い出した際、曹操が余計な混乱や無用の揉め事を起こすと注意した事があった。
 それに、桃香は確かにそうかもしれないと返した。だが……

―――でも、そうやって全てを悪い風に考えていったら何も変わらないと思うんです。まずは信じる事。悪い事を悪いと思って、考えを改めてくれる人はいるって。そういう希望を捨てない事も強さだと、私は思います。

 そう言い切って、桃香は更に曹操へ問いかけたのだ。それは間違っていると言えますかと。さしもの曹操も、その桃香の言い分を絶対に間違っているとは言えなかった。だが、こう反論した。今の状況では、相手へ武器をちらつかせながら助けると言っている事と同義だと。

 それに桃香は迷いもなく頷いた。それしか今の自分は出来ないからと。相手を無防備で助ける事が出来ない。でも、心から出来るだけ助けたいとは思っている。今は無理でも、いつかはそれを可能にするんだと努力し続けよう。偽善でいい。それで少しでも助けられる人がいるのなら。そう桃香は曹操へ語ったのだから。

(珍しく華琳様も楽しそうに笑っていたものね。自らの行いを偽善と言い切った劉備に)

 その歩む道は曹操とは違う。曹操は最初から全てを助けるなど考えていない。自分へ刃向かう者を倒し、従う者を守る。それ以外の括りは曹操にはない。故に桃香の考えとは真っ向から対立するのだ。桃香は自分に従わない者だろうと、悪事をせず平和に暮らすのならそれでいいと言うからだ。

 荀彧はそんな事を考え、視線をしんのすけへ向けた。桃香がそんな風に言えるようになった原因が、しんのすけにあるような気がしたのだ。その要因として、しんのすけから聞いた桃香達との思い出話がある。
 それを聞き、軍師として思った事があるのだ。それ故に、しんのすけはある意味で危険だと勘が告げている。そのしんのすけは既に自分から視線を外し、今は夏侯惇と話をしていた。

「関羽と趙雲は互角だと?」

「そうだぞ。とんのお姉さんはどれぐらい強いの?」

 許緒から桃香達と曹操達が共にいた事を知っているしんのすけは、夏侯惇からも話を聞こうとした。当然ながら、根っからの武人である彼女が話すのは、同じ武人である愛紗や鈴々。
 そこで夏侯惇が星はどれぐらい強いのかと思い、尋ねた事に対するしんのすけの答えが愛紗と互角。それに意外そうな表情を返す夏侯惇。

 そこへ返されたしんのすけからの問いかけ。それは夏侯惇の誇りを刺激した。愛紗とは手合わせをした事はない。それでも、遠目で見た限りかなりの強さだと感じた相手だったのだ。それと星が同じとなれば、自分の強さを示す簡単な手段は一つ。
 それをどこかで悟ったのか、星は夏侯惇へ機先を制して告げた。自分は文醜に遅れを取ったと。それに周囲が驚きを見せる。文醜を知る曹操達は星の言った事の意味に。一方、文醜を知らない許緒は、星が躊躇いもなく自分が負けたと告げた事に。

「ちょ、趙雲? それは本当か?」

「ええ。いや、私もまだまだ未熟でした」

「……ふむ、嘘ではないようだな。しかし、お前と関羽は同等としんのすけは言っているが?」

 星の表情に少しも悔しさがない事に疑問を感じながらも、夏侯淵はそう判断した。だが、ならば余計にしんのすけの言葉が浮いてしまう。愛紗の強さを知っている彼女としては、星が互角ならば文醜に負けるはずはないと考えたからだ。
 星はそんな夏侯淵の言葉に何かを思いつき、苦笑しながら答えた。愛紗と手合わせしたと言っても明確な決まりもなく、ただ鍛錬の一環としてやっていただけ。故に、どこかで加減されていたのかもしれない。それで互角でも実戦ではどうかまでは分からないと。

 それに夏侯淵だけでなく曹操や夏侯惇も納得しつつ、どこか疑問符を浮かべた。一応理屈は通っている。だが、何故か腑に落ちないと感じたのだ。星はそんな三人の反応を見て、夏侯惇への評価を改めていた。
 頭の巡りは悪いかと思ったが、戦関連になるとそうではないらしいと。良くも悪くも武人なのだろうと思い、星は一人納得した。星が自分を低く見られるように言い出したのは、無論曹操の興味を薄れさせるためだ。

(猪々子殿に負けたとなれば、袁家を良く知る曹操殿だ。さぞ正確に私の力量を見誤ってくれるかもしれん。それが確認出来れば、稟と風の事も安心して聞けるのだが……)

 しかし、星の目論見を曹操はどこかで見破っているのだろう。微かに楽しそうな笑みを浮かべ、夏侯惇へ視線を向けた。それに気付き、夏侯惇は不思議そうに曹操へ視線を向ける。

「春蘭、趙雲はああ言っているけど、一度手合わせしてみたら? しんのすけは趙雲は強いと言っているのだし、貴女の力をしんのすけに見せて、本当の強さを教えてあげるのもいいと思うのだけど」

「曹操殿、それはつまり私に夏侯惇殿と戦えと?」

「あら、嫌なの? 貴女も武人なら強い相手と手合わせしたいと思うでしょ?」

「趙雲、私は一向に構わんぞ。文醜に負けたらしいが、私はお前がそんな奴には見えんしな」

 曹操は雰囲気から、夏侯惇は感覚的に、それぞれ星の実力を感じ取っていた。周囲もそれに同調するかのような視線を向けている。夏侯淵は微笑を浮かべ夏侯惇を見つめているし、荀彧はどこか疑うように星を見つめ、許緒は素直に興味を持って。
 それでも、どこか頷くのを躊躇う星。それに曹操が何かを思いつき、視線を荀彧へ向けた。それに頷き、彼女はしんのすけへある言葉を告げる。それが星を頷かせる決め手となる。

「しんのすけ、趙雲は春蘭に負けると思う?」

「お? 誰が相手でも星お姉さんは負けないぞ?」

 しんのすけの中では、星はアクション仮面でもあるのだ。故に、負けは無い。しんのすけの思う敗北とは、ヒーロー達が見せなかった姿。つまり諦める事を言うのだから。しかし、それを周囲が知るはずはない。星は、しんのすけが迷いもなく断言した事に内心で嬉しく思いながら、表情は仕方ないとばかりにため息を吐いた。
 そこまで言われ受けない訳にはいかないと。きっとしんのすけは気にしないだろうが、これで受けずに逃げれば、しんのすけの言葉が嘘になってしまう。星はそう考え、一度目を閉じた。

(お前はどこまで私に苦難を与えるのだ? だが、純粋に信じてくれるその想い……応えねば武人ではないか)

 そう思い、誰にも気付かれないように、小さく星は呟く。

―――私は、決して負けない……か。

 そう噛み締めるように呟き、星はゆっくりと目を開く。その表情に曹操達は息を呑んだ。先程まで試合を渋っていた者のそれではなかったのだ。それだけではない。その眼光は静かに、だが激しく輝いていた。

「では夏侯惇殿、一手お相手願えますかな?」

「う、うむ。なら、明日の朝中庭でどうだ?」

「承知した」

 夏侯惇が僅かに気圧される程の眼力。それに曹操は、自分の目が間違っていなかったと確信していた。そして、同時にしんのすけがどれ程星の中で大きな存在になっているかも。
 それは、星を手に入れようとするならば、しんのすけを手に入れなければならないと曹操に思わせた。そこまで考え、曹操は何故星がそこまでしんのすけに入れ込むのかを疑問に思う。

(最初は本当に麗羽の縁者かと思ったけどそうではなさそうだし、趙雲の縁者でもなさそうね。ふむ、旅を共にしている理由……それは一体……?)

 そう考え、曹操は久々に面白くなってきたとばかりに笑う。星と夏侯惇の試合。しんのすけと星の関係。鏡を求める訳。どれも自分の好奇心を満たすには十分だ。そう思い、曹操は酒を軽く煽って窓へ視線を向ける。明日は楽しい一日になりそうだと呟きながら……



 翌日、城の中庭には曹操を始めとする主だった者達が揃っていた。楽進達三人もそこにはいる。李典が簡易的に作った観客席に座り、夏侯淵と許緒は何かを話しているし、荀彧は曹操と共に特別製の観客席に座り、隣で侍女のような事をしている。
 楽進は于禁と李典と星の実力がどれ程かを話し合い、予想を言い合っていた。しかし、李典が周囲に賭けを持ちかけようとして楽進の目が鋭くなる。それに李典が軽く怯み、于禁が楽進を宥めていた。

 そんな者達から少し離れ、しんのすけは星と夏侯惇の二人と話をしていた。

「星お姉さんも、とんのお姉さんもお怪我しないようにね」

「ああ。心配するな、しんのすけ」

「そうだぞ。趙雲はともかく、私は決して怪我などせん。まぁ、その気持ちは嬉しく受け取っておくがな」

 しんのすけの子供らしい言葉に二人は笑みを返す。そんな二人の返事にしんのすけは頷いて、ふと何かを思い出したように表情を変えて、夏侯惇へ視線を向けた。

「あ、とんのお姉さんに一つお願いがあるんだ」

「ん? 私にか?」

 星ではなく自分が指名されるとは思わなかったのか、夏侯惇はどこか意外そうにしんのすけを見つめた。

「星お姉さんが勝っても怒らないでね」

「何かと思えばそんな事か。ああ、いいぞ。私も武人だ。そうなった時は、潔く負けを認める」

「ほう……では、負けを認めてもらうとしますかな?」

「言っていろ。華琳様の前なら私は無敵だ!」

 そう言って夏侯惇は星から距離を取るために歩き出す。しんのすけはそれを見て試合が始まると理解し、星へ頑張ってと告げて観客席へと歩き出す。その背中を見送り、星は笑みを浮かべる。
 そして、それを消して夏侯惇へ視線を戻す。先程夏侯惇が告げた宣言。それに対し、星も返す言葉がある。だが、それは今言うべきではない。そう思い、星は槍を握り締める。あの文醜との試合を思い出し、星は一人頷く。もう、何事にも動じないと。

 一方、しんのすけは曹操に呼び止められ、許緒達の座っているのとは違う観客席にいた。曹操が少し聞きたい事があるし、ここの方が眺めもいいと言ったためだ。だが、そこは曹操と荀彧の分しか場所が無かったため、しんのすけは意外な場所に座っていた。
 それは、曹操の膝の上。荀彧は最初それを自分が代わると言ったのだが、しんのすけは子供とは言え、それなりに重い。それを膝に乗せ続けるのは文官の彼女には辛いと曹操は告げ、自分の膝に乗せたのだ。それにしんのすけは曹操を心配し地面でいいと返したのだが、それには荀彧も呆れた。

―――ったく、子供がそんな事心配すんじゃないわよ。

―――気にしないでいいわ。貴方くらい平気よ。

 二人にそう言われたため、しんのすけは嬉しそうに頷いて現状に至る。

「ねぇしんのすけ、貴方は趙雲が勝つと思っているの?」

「勝つかはわからないけど、負けないって事はわかるぞ」

「あのね、負けないなら勝つしかないじゃない」

 しんのすけの言葉に荀彧は呆れるように言葉を返す。だが、それにしんのすけは不思議顔。それを見て、曹操は何かを理解したのか意外な表情を見せた後、小さく微笑む。それに荀彧が気付き、疑問符を浮かべた。曹操の笑みの理由が今一つ理解出来なかったのだ。
 そんな彼女の心境を察したのだろう。曹操は笑みを浮かべたまま、しんのすけの考えを説明した。しんのすけの負けは自分達が考える勝ち負けとは違う感覚なのだと。

「しんのすけの考える負け。それは、相手に屈する事よ。どれだけ惨めになろうとも、負けたと思わない限り負けない。そういう事でしょ?」

「おー、もうちゃんってエ……スゴイね」

 危なくエスパーと言いそうになり、思い留まるしんのすけ。その間の思案を見て、曹操は言いたい言葉が出てこなかったのだろうと思い、少し苦笑。

「成程……にしても、あんた本当に子供?」

「あれ? 五歳って大人だっけ?」

「歳の事言ってんじゃないわよ! はぁ~、いいわ。あんたはやっぱ子供よ」

 しんのすけの考え方が子供らしからぬ気がした荀彧だったが、その対人対応は未熟な事を痛感し、呆れるようにそう言い切った。それに曹操は苦笑するものの、しんのすけの考え方には共感出来るものがあった。
 相手を完全に負けさせる事は難しい。圧倒的な力で叩こうと負けを認めない者は認めない。或いは、どれだけ絶望的になろうと諦めず抗う者達もいる。それが良い意味でならばいい。しかし、曹操は知っている。それを悪い意味でしている存在を。

(朝廷がそうなのよね。どう考えてももう死に体。それでも、権威にしがみ付き無様に生き恥を晒し続けながらも負けを認めない。厄介なものだわ……)

 そんな事を考え、曹操は意識を切り替える。試合が始まったからだ。視線の先では、夏侯惇の斬撃を星がかわしながら槍を振るっている。その様子に、夏侯淵達は感心したような眼差しを星へ向けていた。
 星が文醜に負けたという事を既に知っている夏侯淵達。だが、それならば目の前で繰り広げられる光景は何なのだろうか。曹操軍で一番の武を持つ夏侯惇相手に、一歩も引かぬ戦いをしている星。それが意味する事は、ただ一つ。

(((趙雲の話は嘘か、或いは何か事情があって文醜に負けた……)))

 文醜を知る曹操、夏侯淵、荀彧は揃ってそう判断した。特に、かつて袁紹の元に居た荀彧は強くそう思った。一方、星と直接戦っている夏侯惇はそんな事さえ忘れているようで……

「やるな、趙雲っ!」

「まだ未熟な身ではありますが、褒めて頂けるとは光栄ですな」

 夏侯惇の斬撃を槍で払い、即座に突きを返す星。それを上体の動きだけでかわす夏侯惇。そこから蹴りを放ち、槍を上に叩き上げる。しかし、そこから星も夏侯惇の蹴り足を蹴る事で、相手の体勢を崩し反撃を鈍らせる。
 そこから互いに、もう一度距離を取り構える二人。その表情は笑みだ。そう、星も夏侯惇も理解していた。目の前の相手は自分と全力で戦える存在だと。それがどういう事かを考え、両者は同じ表情を浮かべる。

 そして、再び動き出す。夏侯惇は七星餓狼という剣を使う。だが、その長さは星の持つ龍牙に負けていない。間合いがあまり大差ないのなら後は使う者の力量次第とばかりに、星の速度に夏侯惇は負けずついていく。一進一退の攻防。攻め手と守り手が瞬く間に入れ代わるそんな光景。
 それを見つめ、周囲も徐々に熱くなっていく。故に、観客席から声援が出るのは当然と言えた。それが、夏侯惇を応援するものばかりになるのも当然。ここは曹操の城なのだから。

「春蘭様、頑張ってくださーい!」

「そこやー!」

「いけいけなのー!」

 許緒の言葉に続くように声を張り上げる李典と于禁。

「強い……春蘭様相手に趙雲殿は少しも負けていない」

「うむ、姉者相手に五分とはな。この大陸にまだあのような者が埋もれていたとは……」

 楽進と夏侯淵は星の実力に感心し、その挙動を見逃さないようにしていた。

「ちょっと春蘭! いつまで時間かけてるのよ! さっさと終わらせなさいよっ!」

 荀彧は応援と言うよりは苦情だったが、その根底には夏侯惇の武への信頼がある。それを感じ取り曹操は小さく笑うも、視線を試合ではなく膝の上のしんのすけへ向けた。しんのすけは、一度として声を出さずに試合を見つめていたのだ。
 それが曹操には意外だった。てっきりしんのすけも、他の者達と同じで星に声援を送ると思っていたからだ。曹操がそんな事を思い、しんのすけにそれを問いかけようとした瞬間だった。しんのすけは小さく頷くと拳を握り締め、息を吸い込んで叫んだ。

「星お姉さんもとんのお姉さんも負けるな~っ!」

 その言葉に込められた意味を知る曹操と荀彧、それとあの試合で心構えを固めた星以外がその声に揃って戸惑いを見せた。

「「「「「は?」」」」」

「どういう意味だ、それはっ!?」

 中でも夏侯惇は思わず視線をしんのすけへ向けた。星だけの応援であれば何とも思わなかった。だが、自分にまで負けるなとはどういう意味か理解出来なかったのだ。彼女の失態はそこ。声が聞こえてしまったが故に考えてしまった。
 夏侯惇が視線を動かしたその瞬間、しんのすけ以外が呆気に取られた。試合の最中にそんな事をすればどうなるか。それを誰もが理解していたからだ。

 星はそんな夏侯惇に情けも何もかけず槍を動かす。あの文醜との戦いで決めた心構え。何が起きても動じない事。それが星を動揺させる事なく、しんのすけの言葉と夏侯惇の突然の行動にも対処させた。
 星の動きに気付き、夏侯惇が動こうとした時にはもう勝負はついていた。夏侯惇の喉元に突きつけられる槍先。しかし、星はどこか驚いていた。

「……やりますな」

「ふんっ! ……これが精一杯だったがな」

 星の視線の先には、自分を斬り上げようとする夏侯惇の剣があった。そう、星が夏侯惇をし止めようと一歩踏み込めば、その剣が体を襲う。つまり、これが実戦であれば、夏侯惇は星に命を絶たれているが、最低でも星へ痛手を負わせる事が出来ただろう。更に、上手くすれば相討ちにさえもっていけるかもしれない。
 あの瞬間、そんな動きを夏侯惇はやってのけたのだ。それに星は感心したという訳だが、それは最後の悪あがきと理解している夏侯惇はどこか不機嫌だった。曹操の前なら無敵と言ったにも関らず、何とか引き分けにもっていくのが精一杯だったのだから。

 そんな事を考え、苛立つ夏侯惇へ星は声を掛けた。

「夏侯惇殿……」

「何だ!」

 不機嫌な声を返す夏侯惇。勝ち誇られるとでも思ったのだろう。だが、そんな思惑をどこか外すように星は不敵に笑って告げる。

―――私はしんのすけの前なら負けませんぞ?

 それが、試合前に自分が言った言葉に対するものだと気付き、夏侯惇は怒りを覚えた―――のだが、すぐに何かに気付きそれを鎮めた。それに星は意外そうな表情を浮かべた。これで必ず怒るだろうと踏んでいたのだ。それをネタにからかおうとも思っていたのだから。
 そんな星へ夏侯惇は視線を向け、その心情を読み取ったのだろう。呆れたようにこう言った。

―――お前にとってのしんのすけが私にとっての華琳様なら、その言葉に怒る事などない。その気持ちは誰よりも分かるからな。

 そういう事だ。そう言って夏侯惇は曹操の前へと歩いていく。その背中を見つめ、星は呆気に取られる。しかし、すぐに立ち直り楽しそうに笑った。その言葉は、どこか愛紗も言いそうなものに思えたからだ。どこにも忠義者はいるのだなと、そう思い星は笑みを浮かべる。
 視線の先では、曹操から最後の余所見を指摘され反省する夏侯惇の姿がある。しんのすけは、そんな夏侯惇へ何かを言って怒鳴られていた。だが、荀彧がしんのすけに賛同しているようなので、きっと正論を言ったのだろう。そう思い、星もそちらへと歩き出す。

「春蘭、何を言われても動じないでいなさい」

「はい……」

「もー、しっかりしてよね」

「申し訳ありません……って、お前が言うなっ!」

「でもしんのすけの言う通りでしょ。あんな事、試合中に普通しないわよ」

 そこから始まるいつもの言い合い。それを聞きながら苦笑する許緒や夏侯淵。楽進は、しんのすけの言った言葉の意味が気になっているようで、先程から考え込んでいる。李典と于禁は賭けなくて良かったと言って安堵の息を吐いていた。
 曹操はそのやり取りを聞きながら、視線をしんのすけへ向けた。既に膝から下りて星の傍で何かを話しているしんのすけ。その表情はどこか嬉しそうだ。それに曹操はふと思った事があった。

「趙雲、ちょっといいかしら」

「何ですかな?」

「しんのすけは貴女の何なの?」

 その問いかけに星は躊躇う事無く答えた。夏侯惇にとっての曹操だと。それにさしもの曹操も呆気に取られ、やがておかしくて仕方ないとばかりに笑い出した。周囲も星の答えが面白かったのか笑い出し、星はそれに不敵な笑みを返すのみ。
 しんのすけは、そんな周囲に不思議そうに思うものの、それに呼応するようにいつもの高笑いを上げた。その様子にまた違う笑いが起き、こうして星と夏侯惇の試合は終わりを告げた……



 その日の夜、曹操の部屋に荀彧は呼び出された。

「お話とは何ですか、華琳様」

「桂花、趙雲を手に入れるにはどうしたらいいかしら?」

 そんな曹操の突然の言葉にも、荀彧は驚く事もなく答えた。

「今は諦めるしかないかと思います」

「どうして?」

「趙雲の目的はおそらく主君探し。であれば、全ての諸侯を見ない内は納得しないでしょう」

「……そう。つまり、全ての可能性を潰さないと私に心から従わないという事ね」

「御意」

 曹操はその答えに納得したように頷いた。自分の考えと同じだったからだ。星は自分が仕えるに相応しい者を探している。だからこそ、あちこちを旅している。そう、話を聞く限りは思っていたのだ。
 しかし、曹操にはもう一つ聞いてみたい事がある。なので、荀彧へ次の質問をぶつけた。

「では、しんのすけはどう?」

「それは……止めた方がよろしいかと」

 その問いかけに荀彧はそう返した。曹操としては、そんな彼女の反応が面白い。自分とは違う考え方だったからだ。故に聞いてみようと思い、無言で先を促した。

「しんのすけは子供です。ですが、趙雲はしんのすけをこう例えました。春蘭にとっての華琳様だと。つまり、しんのすけを主君かそれに近しいような存在を考えています。季衣達はあれを冗談か何かと取ったでしょうが、私はあれが真実と考えています」

「その根拠は?」

「二人の現状です。この時勢に子供を連れて旅をする。趙雲の目的からだとしても、どこか腑に落ちません。親類でもない子供を連れて行く必要性がありませんし」

「でも、しんのすけを主君のように考えていれば納得出来る……」

「はい。それに、しんのすけの異常性には、華琳様も気付いていらっしゃるかと」

 その荀彧の言葉に曹操は頷いた。名前の響きの珍しさ。更には、許緒の話では真名もないとの事。それらが示す事は、少なくてもしんのすけはこの大陸の者ではないという事。それだけでも妙なのだ。
 何よりも、曹操が感じた異常性。それは、その考え方。子供らしかならぬ部分が時折見えるのだ。それをおそらく荀彧も感じたのだろう。しかし、曹操はしんのすけを得るのはそこまで難しいとは思っていなかった。

「でも桂花、それならしんのすけを手に入れる事は趙雲を手に入れるのと同義ではなくて?」

「確かに普通ならそうでしょう。しかし、あの二人はどこか異質な関係と思われます」

 荀彧は語った。しんのすけと星の関係は主従のようで対等。であれば、どちらかが従わないのなら片方もそれに追従するだろう。つまり、しんのすけを引き止めようとも、星を引き止められないのならそれは不可能。
 そして、逆もまた然り。星が主君を見つけようとも、それをしんのすけが認めなければ仕える事はないだろうと。そこまで言って、荀彧はこう締め括った。

「華琳様がどうしてもあの二人を欲しいと言うのでしたら、今は善意で協力する方が良いかと思います。下手に仕官の誘いをするより、二人にはその方が有効です」

「……成程。趙雲はともかく、しんのすけは単純だものね。確かに今は恩を売る方がいいか……」

「ですが華琳様、一つだけご忠告を」

 曹操の思案を遮るように荀彧は声を発した。それに曹操は不思議そうな表情を返す。何か他に注意するような事があっただろうかと。曹操がそれを尋ねる前に、荀彧はこう言い切った。

―――趙雲はともかく、しんのすけは華琳様の敵かもしれません。

 その言葉には、明確な警戒心が込められていた。その理由を詳しく曹操は聞き出す事にする。そこで荀彧は語るのだ。しんのすけから聞いた桃香達の話を。
 あの思い出話から彼女が感じた事。そう、桃香の思想にしんのすけが与えた影響力だ。それを聞き、曹操がむしろ余計に興味を覚えるとは思わずに……



 それから数日後、しんのすけと星は陳留を後にする事になった。星は一度たりとも仕官の誘いを受けなかった事を疑問に思いながら、ならばと稟と風の事を尋ねる事が出来た。しかし、帰ってきた答えは、二人が仕官したという報告はないとのもの。
 それに星は愕然となったが、それを隠し調べてくれた事に感謝を告げた。鏡の情報も特になく、星は収穫なしと思いやや不満そうだったが、連絡に使っていた商人と出会い、もし稟と風に会った時のための伝言を預ける事は出来た。それに、しんのすけは許緒や楽進達といった友人を得た。そう思う事にし、無駄ではなかったと考えるようにした。

「では、夏侯惇殿、夏侯淵殿、お体にお気をつけて」

「うむ、また顔を出せ。お前との再戦を楽しみにしているぞ」

「お前も達者でな、趙雲。それと今度は、姉者と凪だけではなく、真桜や沙和も相手をしてやってくれ」

「そうですな。特に李典殿は私と同じ槍使いですし……昨夜のメンマ餃子をまた作って頂ける事で手を打ちましょう」

 この数日で何度か手合わせをし、互いを認め合い始めた星と夏侯惇。夏侯淵は、夏侯惇との繋がりで星を気に入り、最後の日にはメンマ餃子なる物を作り、最後の夕食に華を添えた。
 夏侯淵が星の最後の言葉に頷きながら笑い、夏侯惇はそれに食い意地の張った奴だと返す。そんな雰囲気でも、三人が武人として笑顔を向け合っている横では、しんのすけは許緒達と別れの挨拶を交わしていた。

「しんちゃん、また遊びにおいでよ。今度はもっと色んな遊びを教えて」

「うん、いいよ」

「しんのすけ、趙雲殿をあまり困らせないようにな。それと、今度は趙雲殿を手こずらせるという動きを見せてくれ」

「元気でね、しんちゃん。今度来た時は、もっと安全な街になってるのー」

「しんのすけ、あのからくり話はおもろかったわ。今度はじっくり聞かせてな」

「がくちゃんもうっちゃんもりっちゃんもお元気でね。オラ、みんなの事忘れないぞ」

 許緒とはあれからも数回共に遊ぶ事があった。鈴々との思い出のあっち向いてホイなどは、やはり盛り上がったのだ。楽進とは星絡みで接する事が多かった。早朝鍛錬にも何度か参加し、しんのすけの動きを見て感心した楽進。だが、星からもっと速く動く事もあると教えられ、それを見たくてしょうがなかったのだ。
 まぁ、それを星は敢えてしんのすけへやるなと告げていた。楽進の性格を考え、再会した際の楽しみにしようと思ったのだろう。

 于禁は一度休みにしんのすけと共に街へ出かけた。その際、二人は盗みの現場に遭遇したのだ。その際ふと漏らした警邏の愚痴に、しんのすけが告げた言葉が警備隊の効率化への道を作り出していた。おまわりさんはいないのとの言葉がそれ。
 それを詳しく聞き、交番などの要素を知った于禁はその日の内に楽進や李典と相談。三人で草案を作り、荀彧へ提出して指摘を受け、更に練った物が昨日曹操に提出されたのだから。

 李典とは昼食を共にした際にしたからくり話。しんのすけは簡単な仕掛けのからくりを見せてもらった際、カンタムロボのおもちゃの話を聞かせたのだ。その時は、しんのすけの思いついた話として李典は捉えた。バネを使って腕が飛ぶ仕掛けやボタンを押すと作動する点等、李典の発明家精神を大いに刺激する内容だったのだ。

 そんな風に二人と別れを惜しむ夏侯惇達を見て、曹操と荀彧は笑みを浮かべていた。無論、その質は同じではなかったが。曹操は夏侯惇達の様子に微笑み、荀彧はまるで仲間を見送るぐらいの雰囲気にやや呆れていた。
 それでも、彼女もどこか寂しそうだったので、あまり人の事は言えないだろう。しんのすけと星はそれぞれに別れの言葉を告げ、最後に曹操の前に歩き出て声を掛けた。

「曹操殿、荀彧殿、お世話になりましたな」

「もうちゃん、お部屋貸してくれてありがと。じゅんちゃんは……何となくありがと。オラ、楽しかったぞ」

「ちょっと! 何となくって何よ!」

 しんのすけの言葉に怒る荀彧。それを横目で見て微笑む曹操。そして、怒りが収まったのを見て、二人へ返事を返す。

「別に礼を言われる事ではないわ。それに、楽しませたつもりは無かったわよ。しんのすけも趙雲も達者でね」

「趙雲、あんた達がこれからどこへ行くか知らないけど、少ししんのすけの言葉遣いに気をつけさせなさい。相手によっては酷い目に遭うわよ」

 曹操は二人の言葉に苦笑した。心からそう思っていたからだ。世話したのは自分がしたかったからなのだ。楽しんだとすれば、それはしんのすけが自分でそう思っただけなのだから。
 一方、荀彧は星にしんのすけを心配して忠告した。数日とはいえ、しんのすけの利発さに感心していたので、彼女個人としてはその行く末をどこか若干楽しみにしていたのだ。まぁ、曹操の軍師としては少々複雑な心境ではあったが。

 荀彧の言葉に星はしっかりと頷き、しんのすけは少し嬉しそうに頷いた。荀彧の言葉が心配してのものだと気付いたのだろう。そんなやり取りを終えた二人へ、曹操はこう告げた。もし恩義に感じたのなら、いつか返しに来いと。それに星は苦笑し、しんのすけは分かったと声を返した。
 そして、最後にこう星へ言った。

―――一度洛陽に行ってみなさい。貴女としんのすけは今の都を見た事がないでしょ?

 その言葉に星はふむと呟き、目的地を与えてくれた事に感謝して、シロを連れてしんのすけと共に城を去った。

 こうして、しんのすけと星は次の目的地へ向かう。それは、大陸の首都である洛陽。そこでは、どんな出会いが待つのだろうか。そんな事を思いながら、しんのすけは歩く。
 目当ての二人に会えなかった事だけが不満ではあるが、しんのすけも星もその無事を疑ってはいない。いつか会えると、そう信じているからだ。

「次はみやこですかぁ。一番大きい街ってホント?」

「そうだ。些か不安もあるが、私も楽しみにするか。如何なるメンマがあるのだろうか……」

「クゥ~ン」

 青空の下を歩きながら笑みを浮かべるしんのすけ達。次に訪れる先が都と聞き、期待に胸を膨らませるしんのすけ。星はそんな様子に笑みを見せながら、好物のメンマに思いを馳せる。シロはそんな星にやや呆れるように声を出し、項垂れながら歩く。
 三者三様の表情を見せながら彼らは行く。ここで得た縁と思い出を胸に次の街へと……



「それにしても、趙雲が捜している者達の情報も無かったとはね」

 二人が去った後、執務室で仕事しながら曹操はふと呟いた。それを聞き、荀彧も頷いた。星から聞いた名前の者達はいなかったのだ。黄巾の乱の最中やその後に仕官した者の中から、文官として採用した者限定で捜したのだが、該当する者が見つからなかったのだから。

「はい、戯志才と程立と言う者はいなかったものですから。ただ……」

「ただ?」

 荀彧の言葉に不思議そうな表情を浮かべ、曹操は続きを尋ねた。それに荀彧はため息混じりに告げた。似た名前の者が一人だけいたと。ただ、同時に仕官した者の名前が余りにも違うので、その者も別人だと判断したのだと。

 星は一つ思い違いをしていた。稟と風が仕官するなら仕方なくしたのだろうと考え、稟の名前を正しく伝えなかったのだ。そう、偽名を使っているだろうと。更にそこにある出来事も加わり、再会は果たせなかったのだから。
 そんな荀彧の報告を聞いて、曹操は興味を抱いたのかその者達の名を尋ねる。それに荀彧は調べた際見た記述を思い出し、告げた。その名は……

―――郭嘉と程昱です。

こうして運命はすれ違う。
再会の日は遠く、しんのすけ達は二人の近くに来ていた事を知らないまま、また離れていく。
絆が再び絡み合うのはいつの日か。それは、誰にも分からない……




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これにて魏軍との出会いは終了です。本格的に絡むとしたら、結構楽しそうな場所です。春蘭とか桂花とか凪とか……書くのは大変でしょうが

次回は洛陽。ですが、当然彼女はまだいません。代わりに会えるのは……



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十五話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/14 07:44
 しんのすけと星は言葉を失っていた。シロさえも眼前の光景に声さえ発しない。期待を抱きながら訪れた洛陽。首都という事もあり、どれ程賑わっているのかと思っていたしんのすけにとって、その実情は絶句するに相応しいものだった。
 道行く者達はどこか生気がなく、胸を張って歩いている者は見渡す限りいない。いや、いるにはいる。そう、兵士だ。やたらと威張り散らすかのように我が物顔で歩いているのだ。

「……しんのすけ、一先ず宿を探すぞ」

「ほい」

 今まで訪れた中でもかなり酷い部類に入ると思いながら、星はしんのすけを促すように声をかける。星はどこかで洛陽が廃れ始めているとは知っていた。それでも、ここまでとは思わなかった。立っているだけで疲れる。見るに堪えない。そんな気にさせられる光景に、星は改めて朝廷の現状を見た気がした。

 星はしんのすけへ、ここでは言葉遣いに細心の注意を払えと真剣に言い聞かせていた。荀彧から言われた指摘。それがここでは身近で起きそうだと思ったからだ。しんのすけも周囲の雰囲気から何となく今までと違う事は感じ取ったのだろう。神妙な表情で頷いた。
 星が町人から宿の場所を聞き出して歩くしんのすけ達。シロも、これまでと違う異質な空気からか、あまり二人の傍を離れないようにしていた。宿に辿り着き、星は宿の主人から疑問に思った事を聞き出そうとした。その原因をどこかで察している星としては、主人に迷惑をかけるつもりもないので、比較的軽く尋ねる。

「主人、最近の景気はどうだ?」

「へぇ……ご覧の通りで」

 宿からはあまり人の気配がなく、活気もない。星はその答えからやはりと思い頷いた。

「そうか。あちらの方が理由かな?」

「……大きな声じゃ言えませんけどね」

 星が言葉と共に視線を向けたのは、王宮のある方角。それに主人は微かにため息を混じらせて返す。そこから星は話が長くなると判断し、しんのすけへシロと共に部屋へ行っていろと告げる。それにしんのすけも頷き、シロと共に部屋へと向かう。
 その背中を見送り、星は内心で曹操がどうして洛陽へ行くよう薦めたかを理解していた。この大陸の頂点に君臨する朝廷。それがどんな存在となっているかを教えるためだと。だからこそ、曹操はこう言ったのだろう。

―――貴女としんのすけは今の都を見た事がないでしょ?

(何故今のとつけたのかと思っていたが、やはりこういう事か。曹操殿は知っていたのだな。洛陽が腐敗した朝廷の影響を受け、衰退している事を)

 嫌な情報の教え方だと思いながら、星は小さく息を吐く。南皮や陳留といった都市を見てきた後だと余計にその酷さが分かる。これは、たいりく防衛隊としては見過ごせないものだ。よりにもよって、朝廷のお膝元が一番活気のない街になっているなどとは。
 しかしそれを正すのは今は無理。そう思い星は主人と話を続ける。愚痴を聞きながら、少しずつではあるが現在の洛陽の事を知っていく星。しかし、その表情は時間が経つにつれて険しさを増していくのだった……



(怒りを通り越して呆れるしかないとは……)

 主人との話を終えた星は、部屋に入り寝台の上に座って強烈な疲労感を感じていた。聞けば聞くだけ朝廷の腐敗振りを嫌と言う程に感じたのだ。しかし、それが怒りだったのも途中まで。頂点を過ぎると怒りさえ湧かなくなり、どんどん無気力になっていくのだ。
 呆れ果てて物も言えない。最後には星も主人も同じ顔をし、大きくため息を吐くしか出来なかったのだから。

「ね、どうしたの?」

「いや、長話に少し疲れただけだ。もう少ししたら食事に行くぞ。先程主人から美味い店を教えてもらった」

「おー、それは楽しみだぞ」

「キャン」

 しんのすけの変わらない雰囲気に、星は少し癒されたように笑みを返した。しんのすけは星の告げた言葉に嬉しそうに返事を返し、シロへ視線を向けて軽くじゃれ合いを始める。その光景を眺め、星は小さく笑う。
 ゆっくりと鬱屈していた心が解されていくような感覚。安らぎと呼べる気持ちをその光景から得ていく。静かにだが、確かにある幸せ。それを噛み締めるように星は微笑む。

「しんのすけ、シロ、ここは明日にでも発とう。あまり情報も期待出来んしな」

「ほい」

「キャン」

 星の意見にしんのすけとシロも反論などなく、むしろ今すぐにでも立ち去りたいぐらいだった。しかし、疲れているのも事実。それに、どこかで少しだけ期待している事があった。旅の醍醐味の一つ、食事だ。
 しんのすけも星もそれだけをどこかで楽しみにしている。それからは今後の行き先の相談となった。星としては黄巾の乱で名を挙げた孫策の事が気になっているので、この後は江東に行きたいと考えていた。しんのすけはそれに構わないと返す。

「星お姉さんが行きたいとこ行けばいいよ。オラ、それについてくだけだし」

「そうか。だがしんのすけ、今の内に言っておくが……」

 星のその言葉にしんのすけは不思議そうな表情を見せる。星の表情が真剣だったのだ。何かそんな重要な話があるのだろうかと、そう思いしんのすけはその続きを待つ。シロも星の雰囲気からお座りの姿勢になり、静かにその言葉を聞いていた。
 星はそんな光景に頷き、はっきりと告げた。それは、自分の決意であり覚悟。ある意味での臣下の礼。

―――この旅が終わった時、出会った者達の中からお前が助けたい者を決めてくれ。私はそれに従う。その相手が誰であろうと、だ。

 その言葉にしんのすけは声が無かった。出会ってから今まで、自分は星達についていくだけだった。何かを言うとしても参考程度に過ぎず、決定権などは無かったからだ。しかし、星の言った意味はしんのすけでも理解出来た。
 以前聞いた星の旅の目的。その答えを自分に決めて欲しいと言われた事を。世の中を救う相手の選別。それを任されてしまったと。そこまで考え、しんのすけは混乱した。

「お、オラが……決めるの? それで星お姉さんはいいの?」

「ああ」

「えっと……じょーだんだったり……?」

「しない」

「……だよね」

 そこでしんのすけは星の覚悟が本物だと確信した。故に項垂れた。それは決して面倒だと思ったからではない。その責任感の重さを分かってしまったからこその行動だった。今まで彼は、明確に誰かの人生の大きな選択を自分の判断で決める事などなかった。
 だが、今回の星の言葉はそれだ。星とて、子供であるしんのすけにこんな事を任せるのは、正直心苦しい。しかし、星はしんのすけに決めて欲しかったのだ。ずるいとは思っている。だが、しんのすけは感受性が豊かだ。きっと、自分の気持ちを感じ取り考えてくれると信じていた。

(許してくれとは言わん。私はある意味でお前を利用しているのかもしれん。あの日の誓いを自分で破っているのやもしれない)

 それでも、星は躊躇わない。しんのすけが告げたあの日の決意。それを支えると決めた以上、主体を自分ではなくしんのすけに置きたかったのだから。稟や風が聞けばどう思うだろうと考えながら、星は黙ってしんのすけを見つめた。

「星お姉さん……」

「……何だ?」

 どれ程沈黙が流れたのだろうか。一刻のようにも、一瞬のようにも感じる間の後、しんのすけは顔を上げて、いつもの表情でそう切り出した。
 それがどこか星には意外に思えた。てっきり真剣に取り合い、表情もそれらしくなると思ったのだ。そんな風に星が内心疑問を抱いていると、しんのすけは平然とこう返した。

―――今は、いいよもやだも言えないけど、ちゃんとオラ考えるぞ。で、答え出るまでけっこー待ってて欲しいんだけど……ダメ?

 その最後の小首を傾げての言葉に、星は呆気に取られる。そしてしばらくしてから笑い出した。重大な問題と考えたからこそ、即答を避けたしんのすけ。その返事の仕方に星は心から嬉しく思えたのだ。それと同時に、自分もどこかで性急に事を進めようとしていたと思い、内心苦笑。
 しんのすけは星が笑い出した事に最初こそ面食らっていたものの、自分の言葉に答えてくれていないと気付いて抗議した。

「ちょっと、オラへのお返事は!」

「くくく……いや、すまん。そうだな。それでいい。むしろそうしてくれ。お前が納得するまで考えてくれる方が、私としても嬉しいからな」

 怒った顔のしんのすけへそう謝罪し、星は言い切った。その言葉にしんのすけも納得し、怒りを静めて頷く。そして、この話は終わりとばかりに星が食事をしに行こうと立ち上がって、しんのすけとシロもそれに倣うように立ち上がる。
 洛陽に着いた時から先程までの陰鬱な空気はもう既になく、しんのすけ達はいつもの和やかな雰囲気で歩き出す。時折笑みさえ見せながらどんな店だろうかと話すしんのすけと星。そのはつらつとした表情は周囲から浮いていたが、それを気にもせず彼らは洛陽の街を行くのだった……



 訪れた店内はそれなりに賑わっていた。そこまでは街中に比べれば、やや活気があるように感じられるぐらいには。星はその原因を兵士がいない事だろうと察し、一人頷いた。しんのすけはシロと共に空いている卓へ近付き、星を呼ぶ。
 菜譜―――メニューを眺め、しんのすけは見た事のない料理がないかを探す。星はそんなしんのすけが見つける料理名を答えたり、時に共に考えたりするのが外で食べる際の決まり事だった。

 そんな恒例行事も終え、二人はそれぞれに注文する。洛陽は都。だが、宮廷料理などを日常的に庶民が食べるはずもなく、そこも庶民的な料理ばかりを取り扱う店だった。しんのすけはチャーハンを、星はラーメンを頼み、ついでにいらない骨があれば一つ分けてくれないかと告げる。
 星の視線を追い、シロの姿を見た店主は少し不思議そうな顔をした。真っ白の犬が珍しかったのだろう。それを悟り、しんのすけがシロへわたあめと声をかける。それに呼応し、その場で丸くなるシロを見て、店主や客達が揃って面食らった後笑い出す。

「面白いもんを見せてくれた礼だ。一番いい骨をやるよ」

「キャンキャン」

 久々に笑ったと言いながら、店主は言葉通り見た目からして上物の骨をシロへ手渡した。周囲の客達もシロへお代とばかりに食べている物を少し分けてくれ、しんのすけと星はそんな周囲に笑顔で礼を述べる。
 そんな和やかな雰囲気のまま、しんのすけ達は食事を終えた。そして、宿へ戻ろうと歩いていると大通りが騒がしい事に気付いた。何か揉め事かと思い、星は道を変えようとするのだが、しんのすけは興味本位から覗きに行こうとした。

「ね、ちょっと見てこうよ」

「お前は、君子危うきに近寄らずという言葉を知らんのか?」

「知らない!」

「威張るな。まぁ、私とて興味がない訳ではないが、何やら嫌な予感がするのでな」

 星の告げた教えに胸を張って即答するしんのすけ。それに苦笑しながら、星は自分が感じた事を告げた。しんのすけはそんな言葉に頷くも、やはり気になるのだろう。少しだけと言って星の手を引っ張った。
 そんな子供らしい行動に、星はどこか仕方ないと思い歩き出す。シロもそんな星と同調するかのように息を吐いていた。大通りに出たしんのすけ達は人垣に遭遇した。それを掻き分けながら出た先で見たもの。それは兵士二人に睨まれ怯える幼い兄妹だった。

「どうゆー事?」

「おそらくぶつかったのだろうな。それであの兵士達がその事に対して怒りをぶつけているのだ」

 しんのすけのやや疑問符を浮かべた言葉に、星は自分の予想を告げた。すると、それを聞いていた周囲の者達が小声でそれを肯定した。しかも、これは珍しい事ではないらしい。だが、誰一人として兄妹を助けようとはしない。その理由を星は理解しているため、何か言う事はない。
 相手は官軍の兵士。つまり、朝廷の兵だ。それに刃向かえばどうなるかなど誰にも分かる。故にこうして、誰も手を出さないで見つめる事しか出来ないのだ。それを兵士達も知っているのだろう。それが悪循環となり、この街から活気を失わせていると星は悟った。

(ここまで腐っているのか、この街は。いや、街ではない。朝廷が腐っているのか)

 おそらくこのような事は日常茶飯事なのだろう。だからこそこの街の者達はみな生気がないのだ。兵士達に怯えながら暮らす日々。それのどこに活力が見出せる。あるのは、恐怖だけだ。
 そこまで考え、星は拳を握る。盗賊よりも性質が悪いと。官軍である事を良い事に私利私欲のために民を迫害して暮らす。それがどれ程腹立たしいか。星は湧き上がる怒りを抑えていた。

(相手は腐っても官軍……迂闊な事は出来ん。しかし、これを見逃す訳にはいかないっ!)

 理性が叫ぶ。止めろと。だが、それと同じ大きさで魂が叫ぶ。行けと。そんな相反するせめぎ合いが星を襲う。その争いにけりをつけたのは、やはり彼だった。

―――星お姉さん、どうして助けないの?

 しんのすけの声に込められた疑問と悲しみ。それが星の心に響く。正義の味方であろうと思った事や、しんのすけの憧れの存在と同じだと言われた事などが浮かび、星はゆっくりと拳を開いた。
 そして、静かにしんのすけの頭に手を乗せると、そこで大人しく待っていろと告げる。その雰囲気が鍛錬の時と同じ事に気付き、しんのすけは黙って頷いた。人垣の中から歩み出る星。手には愛用の槍がある。

 もう、星に迷いはなかった。理性も魂も凌駕する程の心の声が吼えたのだ。

”正義”であれ、と……

―――そこまでだっ!

 大通りに響き渡る大声に、誰もが視線を動かす。星はその視線を受けながら、手にした槍を構えた。この事がどれ程危険な事か分からぬ星ではない。それでも、やらねばならない。ここで眼前の兄妹を見捨てては、救国どころかしんのすけと共に居る資格無しと考えたのだ。
 驚く兵士達を見据え、星は告げる。そう、正義の味方としての宣言を。彼女が趙子龍たるために。そして、あの優しい少年に星お姉さんと呼ばれ続けるために。

「幼い者達を脅かし、己が立場を利用するその行い。例え天が許そうとも、この私が絶対に許さん!」

「何だぁ? 今何て言ったんだ、この女」

「許せないとか言ったな。誰を相手にしてるか分かってんのか?」

 兄妹から視線を外し、兵士達は星を見た。その表情は馬鹿にするような下衆な笑みを浮かべている。それに星は無言で槍を構える。その気迫、まさに龍が如し。その迫力に兵士達も呑まれる。だが、それでも自分達に手を出せないと考えたのだろう。腰が引けていながらも、星へ強がりを見せる。

「へ、へへっ、中々様になってるじゃねぇか。でもな……」

「や、やれるもんならやってみろっ!」

 半ば捨て鉢になって星へ襲い掛かる一人の兵士。それに星が一歩踏み込んだかと思うと、次の瞬間には相手が地に伏していた。それを見て残った方が逃げていく。それに目もくれず、星は幼い兄妹へ静かに告げた。
 早くここから離れなさいと。そして、周囲へ告げる。早く離れ、自分に巻き込まれないようにと。その意味に気付き、誰もが素早く去っていく。兄妹は星へ視線を向けた後、互いを見合い力強く頷き合って走り去る。しんのすけとシロは周囲の行動を不思議そうに見つめ、立ち尽くす。

(何でみんな逃げてくんだろ? 悪い奴は星お姉さんがやっつけたのに)

 星のした事の大きさを理解出来ないしんのすけ。やがて人垣が消え開いていた店々は閉めて大通りは閑散となった。そこに残ったのは、星としんのすけにシロ。そして、倒れた兵士のみだ。すると、やや離れた場所から大勢の足音が聞こえてくる。
 それに星は小さく呟く。こういう時は早いのだな、と。そしてしんのすけとシロへ背を向けたまま、星はどこかに隠れていろと告げた。その意味を分からないしんのすけだったが、星の声が鋭い事に気付き何も言わず近くの物陰へと隠れた。

 大通りに現れる大勢の兵士達。その中には先程逃げた者がいる。星は表情を変えず、大勢の兵士達を睨みつける。そして、ゆっくりと槍を構えると歩き出した。その威圧感にたじろく兵士達。それでも、何人かは星へと向かっていく。
 それを一振りで倒し、星は一歩ずつ一歩ずつ進んでいく。その表情を一切動かす事無く星は行く。無表情。だが、その纏う雰囲気は憤怒だ。静かにだが深く怒る心。それによる怒気が星の周囲から漂っていた。

 一人、また一人と倒れていく兵士。初めは三十人程度いたそれも、今や五人にまで減っていた。

「つ、強い……おい、こうなったら……」

「どうした? 官軍の兵士は賊一人倒せんのかぁ!」

 自分を見て怯え竦む兵士達。その一人が何かを言い出した瞬間、星は初めて感情を発した。そうでも言わなければ逃げ出しそうだったからだ。洛陽を守る立場にありながら、そこに住まう物達を迫害するかのような振る舞い。しかも、おそらく少数ではなく大半がそうしているだろう事。
 そんな事をしていながら、いざとなった時に役目を放り出そうとしかねない事に星は心底怒っていた。せめて意地を見せて自分を捕まえようぐらいすれば、少しは捨てたものでもないと思えた。だが、倒れた者も自棄になって向かってきた者だけ。残っているのは、怖くて逃げているだけの者となれば救いようがない。

(この者達も権威を笠着る事でしか自分を守れないのかもしれんな。だが、日頃の行いを少しは悔いてもらうぞ!)

 微かに兵士達に同情するも、因果応報と思い星は槍を持つ手に力を込める。だが……

―――動くなっ!

 その時、後方から声がした。その声が最初に倒した者の声と気付き、星は嫌な予感を感じながら振り向いた。そこには、しんのすけを捕まえた兵士の姿があった。

「しんのすけっ!?」

「へへっ、やっぱりこのガキは知り合いか。お前の事をずっと見てるからそうじゃないかと思ったんだ」

 その言葉から、星は相手の要求を察し槍を持つ手から力を抜いた。だが、それを見たしんのすけが叫んだ。

「星お姉さん、オラにかまわず戦って!」

「っ!?」

「黙れ、このガキっ!」

「悪い奴は懲らしめるのが、オラ達たいりく防衛隊だぞ! それに、星お姉さんは正義のヒーローなんだから負けちゃダメ~っ!」

 自分を押さえる兵士の腕をもがくようにして抜け出そうとするしんのすけ。その必死の言葉と行動に星は落としかけた槍を握り締める。そして、力強く頷くとしんのすけ向かって走り出す。
 それに兵士は慌てた。そこを見てしんのすけが腕を噛む。同時に隙を窺っていたシロが足に噛み付き、兵士の拘束が弱まった。即座に抜け出し、星の元へと走るしんのすけ。シロもそれに合流するように追い駆ける。

 星はしんのすけとシロの前に駆け寄ると、すぐに一度だけ抱き締めて背後の兵士達へ視線を向けた。

「しんのすけ、シロ、あの兵士を任せてもいいか」

「ブッ、ラジャー!」

「キャン!」

 星の言葉に答え、しんのすけは背中の木刀を手に取った。シロは兵士相手に唸りを上げる。それをちらりと見て、星は頼もしく思い頷いた。

「では、行くぞっ!」

「ほいっ!」

「キャンっ!」

 声と共に走り出すしんのすけ達。兵士はしんのすけとシロ相手ならばと、剣を引き抜く。それを見てもしんのすけは慌てない。真剣は確かに恐ろしい。だが、星や愛紗などの英傑から受けた鍛錬を思い出しその動きを見つめた。
 相手の動きから決して目を逸らさず、しんのすけは立ち向かう。しんのすけへ振り下ろされる剣。星の突きを毎朝受け続けている彼にとって、それは目に見えて遅かった。

(星お姉さんの方がもっと速いぞ!)

 そう思いながらしんのすけはその攻撃を見事にかわし、相手の死角に回り込み手にした木刀で兵士の急所を思いっきり突いた。

「ほいっ!」

 それだけで兵士は剣を取り落としうずくまる。更にしんのすけとシロはそこから追い討ちをかけた。足へシロが噛み付き、しんのすけが頭を叩く。その容赦ない攻撃の前にやがて兵士は気絶する。そして、星が残った者達を全て倒したのもそれと同時だった。

「……これで片付いたな」

「星お姉さん……」

 倒れた兵士達を眺め、星は開き直ったように笑顔を浮かべた。そこへしんのすけとシロが近寄った。その声に星は振り向き、しゃがんでしんのすけとシロを優しく抱き締める。それにしんのすけは強く抱き返した。
 涙こそ流さないが怖かったのだろうと。そう思い、星は片手でその頭を静かに撫でた。勇敢に信念を叫んでみせたしんのすけを褒めるように。そして、次は主人を助けたシロの忠心を褒めるように。

「予定変更だ、しんのすけ」

「えっと、今からお宿戻って街を出るんだね?」

「そうだ。急ぐぞ」

 星の言葉に無言で頷いて、しんのすけもとシロも動き出そうとした時だ。どこからか馬の足音が聞こえてきたのは。それに星は小さく舌打ちをした。街中で馬を走らせる者など限られているからだ。
 そして、この状況ならそれはもう一つしかない。星はそう考え、しんのすけとシロを庇うように後ろへやりその相手を待ち構えた。馬相手に逃げても無駄だと思ったのだ。やがて、しんのすけ達の前に二人の武将が現れた。

「……おー、これは大したもんや」

「ふんっ! 所詮何進の兵などこの程度だ」

「気持ちは分かるけど、程々にし。聞かれたらどないする気や? ま、全員気絶しとるみたいやけど」

 二人の女性はしんのすけ達へ目を向ける事もなく、周囲の状況を見てそんな言葉を交わす。星は目の前の二人から感じる気配から、やや焦りを抱いていた。訛りがある方は偃月刀を持ち、確実に自分と同等か下手をすればそれ以上の腕前。もう一人は戦斧を持ち、自分と同等かそれより少し劣るぐらい。つまり、自分だけでは勝ち目がない状況だった。

 そんな風に星が見つめる中、二人は馬上から倒れる兵士達を眺めると頷き合って息を吸った。それが何を意味するかを察し、星はしんのすけとシロに耳を塞ぐように告げる。その次の瞬間、空間を振るわせんばかりの大声が大通りに響き渡る。

「いつまで寝とんねん! このド阿呆共っ!!」

「さっさと起きろ! 首を刎ねられたいかっ!!」

 怒号。そこに居る者の全身を振るわせる程のそれは、気絶していた兵士達を全て叩き起こした。そして、その中の隊長格へ揃って二人が視線を向けた。
 それに気付いて、その兵士は恐怖に震え出す。それはそうだろう。目の前の相手が目を吊り上げ、自分を見据えているのだから。その雰囲気も誰が見ても上機嫌には見えない。

「ちょ、張遼将軍に華雄将軍……」

「貴様達、何を勝手に持ち場を離れている。何進様の指示か?」

「あ、いえ……その……」

「何にせよ、見事に全員大通りで寝とるとは……ええご身分やな」

 二人の言葉と表情に言い訳さえ出来ない兵士達。その威圧感は、星であっても多少気圧される感があるぐらいだ。そんなものを直接浴びているのだから、兵士が声に詰まるのも当然だろう。それでも何とか言葉を紡ごうとはするのだが、やはり中々出来ない。

 それを見ながら、星は二人の名を思い出して驚いていた。張遼に華雄。それは、官軍の中でも名を轟かす勇将だったのだ。特に張遼は”神速”と渾名される存在だったのだから余計に。
 二人はその後も少し兵士達を威圧した。すると、兵士が思い出したように星の方を見て何かを言おうとした瞬間、それを遮るように張遼がこう告げた。

―――もうええ。この事は何進様には黙っといたる。ウチらが我慢しとる内にさっさと持ち場に戻らんかいっ!

―――次はないと思えっ!

 二人の吐き捨てるような言葉。それを聞いて兵士達は理解したのだろう。これ以上何か言い訳をしたり、次回何か事を起こせば自分達の命がないと。なので、一目散に去っていく。それを眺め呆然とするしんのすけ達。そうして兵士達が全ていなくなったのを確認し、張遼と華雄がゆっくりとしんのすけ達へ近付いていく。
 星はそれに警戒しつつ、不用意な動きは出来ないと思って汗が流れるのを感じた。しんのすけはシロと共に黙って二人を見つめている。そして、二人は星の前に馬を止めると、すまなさそうな表情を見せた。

「堪忍な。この街の兵は、あないな奴らばかりちゃうねん」

「確かにああいった者がいるのは認めるが、全てではない。気を悪くせんで欲しい」

 突然の謝罪に面食らう星。すると、二人は笑みと共にその理由を教えてくれた。星が最初に助けた兄妹。それが、兵士の詰め所に必死の表情で駆け込んで来たらしい。それを取り合ったのが華雄の部下。そこから報告を受け、華雄とその猪っぷりで問題を起こさないようにと張遼が出張ったのだ。

 実は以前から、街の警備兵が横暴な態度を取っているという噂はあった。しかし、証拠がなく大将軍である何進の兵という事もあり、中々取り締まる事が出来なかったので今回の報告は願ってもない機会だった。
 それ故に華雄はどこか喜び勇んで出て来たという訳だ。そんな説明を聞いて星はどうしてこの騒ぎに二人のような大物が出張ってきたのかを理解した。一方二人は説明を終えて星を見つめた。その表情はどこか楽しそうだ。

「ほんま、大したもんや。ある意味朝廷相手に喧嘩売るなんてな」

「経緯は簡単にだがその兄妹から聞いた。中々見上げた根性をしているようだが、名は何と言う?」

「我が名は趙雲。字は子龍」

「オラは野原しんのすけ。あざなはないぞ……ほら、シロも」

「……キャンキャン。キャン」

 星に続けと名乗るしんのすけ。シロもどこか仕方ないとばかりに声を出す。それを聞いて呆気に取られる二人だったが、少し間を空けて笑い出した。それにしんのすけも乗っかるようにあのポーズと共に高笑いを始めた。そして、視線を星へ向ける。
 その意味を悟り、星は小さく笑うとしんのすけと同じポーズを取って高笑いを始めた。久しぶりの悪を倒した状況。故に、正義のヒーローとして勝利の高笑いをしよう。そうしんのすけは考えたのだ。星もそれを理解し、心から笑った。シロもそんな二人に脱力する事もなく、嬉しそうな声を出す。そんな風にしばらく大通りには笑い声が響いたのだった……

洛陽に正義を示すため、星は逆賊覚悟で槍を振った。弱き者を救うために。
それを天は見捨てなかった。正しき者は報われるとばかりに、助けた兄妹の行動が星を助ける事となる
そして、その小さな縁が出会いを呼ぶ。
神速の張遼と未完の華雄。
この出会いは、果たしてしんのすけに何をもたらすのだろうか……?




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洛陽編。後に大きく関る者達との出会いです。

次回で洛陽も終わります。江東編は……三話で終われないかもしれません。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十六話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/17 21:41
 あれからしんのすけ達は張遼と華雄に礼がしたいと宿を告げ、一旦戻った。星のした事については、二人の配慮で問題にはならないようにすると告げられた。何せ、街を守る兵士がたった一人にやられたのだ。しかも賊紛いの手まで使って。
 それを公にされれば、兵士の上司である何進の失態に繋がる。それを張遼がそれとなく仄めかして、お咎め無しにするからと。その提案に星は感謝しそれに対して張遼は気にしなくていいと返した。

―――うちもスカッとしたわ。中々うちらには尻尾出さんようしっとったからな。

 警備兵達が街で狼藉を働いているとは聞いていたが、その証拠を掴もうにも街の者達へ圧力を掛け自分達の前では大人しくしていたらしく、張遼や華雄としてもやはり苛立っていたらしい。
 それもあって、二人は天の配剤に感謝した。まず星があの兄妹を助けなければ、次にその兄妹が知らせなければ、今頃どうなっていたか分からなかったからだ。そして、今後はもう同じような事を誰も出来ないだろうと二人は断言した。一度でも実態を掴んでしまえば、後はこちらで御してみせると張遼は笑ったのだから。

 そして今は二人と共に昼食を食べた店に来ていた。そこで、先程の礼も兼ねた夕食を共にするために。

「へぇ、主君探しついでの見聞の旅なぁ」

「それは分かるが、何故子供連れで……」

「奇妙な縁とでも言えばいいのでしょうか……まぁ、私ぐらいしか頼る者がいないのですよ、しんのすけには」

 星がそう答えると、二人は納得がいったとばかりに頷いた。戦乱で親を失ったとでも思ったのだろう。そして、視線をしんのすけへ向ける。

「アロハ~オエ~」

「わはは、面白いぞ小僧」

「綿犬を落とすなよ~」

 頭の上にシロを乗せ、しんのすけは店の中央で半けつフラダンスをしていた。その奇妙な踊りを見て、客達は酒が入った事もあってかやんややんやと声を掛ける。そんな様子に二人は意外な印象を受けた。
 とても戦災孤児と思えない程明るいからだ。そんな事を考える二人を見て星は笑みと共に告げた。しんのすけは現状に不満はないので、ああして気楽に振舞えるのだと。

 それに二人は小さく驚きどちらともなく笑った。それは大人物だと言いながら。そんな二人に星も笑う。二人は軽い冗談にも近い雰囲気だが、星自身は本当にそう思っているからだ。
 そこへしんのすけがシロを頭に乗せたまま戻ってきた。その見事なバランス感覚に張遼と華雄が少しだけ関心を示す。それが星にも分かったのだろう。自分がしんのすけを鍛えている事を告げた。それを聞いた瞬間、張遼が何かを思い出したかのように星へ告げた。

「な、趙雲言うたな。見た感じ結構強そうやし……どや、明日うちと一手打ち合ってみる気はないか?」

「それは嬉しいお言葉ですな。ですが、生憎明日にはここを発とうと思っておりますので」

 星の言葉に張遼と華雄が表情を曇らせた。旅の目的を聞いた今、その決断は正しいものだと思ったからだ。この洛陽は朝廷の街。皇帝を主君とするのならいいのだろうが、今の時勢を二人も理解している。
 既に皇帝の権威は地に落ち、朝廷も形骸化して久しい。であれば朝廷は星が仕えようと考える相手ではないのだ。それに力無き民を救おうと兵士に立ち向かった星が、その元凶を作り出している朝廷に仕えるはずはないと思ったのだ。

「そうか。お前の判断は理解出来る。張遼、残念だが諦めろ」

「しゃーないか。久しぶりに強そうな奴と思たから、結構楽しみにしとったんやけど……」

「じょーろさんも強いの?」

 華雄の言葉に悔しそうに返す張遼。それを聞いてしんのすけが思った事を尋ねた。その中のじょーろとの名前に張遼が苦笑。星は少し困り、華雄は笑った。

「じょーろやなくて、張遼や。呼びにくいかもしれんけど、堪忍な」

「ほーほー、ちょーりょーですかぁ。えっと……ちょーのお姉さんって呼んでもいーい?」

「おい、しんのすけ……」

 星は張遼の性格を大まかにではあるが捉えた。明るい雰囲気に頼りになる姉御肌。しかし、それでも相手は官軍の将軍。それを考え敢えて少し注意するように告げた。それを聞いた張遼がどう反応するかを悟っていたために。
 案の定、張遼はそのしんのすけの呼び方に構わないと返す。下手に間違えるより余程いいと笑いながら。華雄はそのままでもいいのではないかをからかうように告げる。すると、それに張遼は不敵な笑みを返してしんのすけへこう尋ねた。

「な、うちの隣の奴の名前言うてみ」

「え? おかゆさんでしょ?」

「なっ!? 誰がおかゆだ!」

 しんのすけの返しに爆笑する張遼。星もつい笑ってしまい、華雄はそれに顔を真っ赤にしながら叫ぶ。それでも拳を振るわないのは相手が子供だからだろう。しかもその怒声を聞いても、しんのすけは平然としていた。
 だが、名前を間違った事だけは理解したので素直に謝罪。頭を下げ、もう一度名前を教えて欲しいと告げる。それに華雄も仕方ないともう一度名乗り、しんのすけの目を見て言った。

「いいか? もう間違えるなよ」

「ほい、おかゆさん」

「お前! 今言った……」

「冗談だぞ」

 華雄の言葉を遮るように平然と告げるしんのすけ。その表情に華雄は湧き上がった怒りを何とか押し留めた。

「ぐっ……」

「ちゃんとかゆーのお姉さんって呼ぶから、怒っちゃイヤ~ン」

「やはりからかってるだろ、お前は!」

「そんな事ないよ。マジメにふざけてるだけだよ」

「なお悪いわっ!」

「かゆーのお姉さん、ダメだよ。怒りっぽいと早く老けるって母ちゃんが言ってた」

「誰のせいだ!」

 華雄を翻弄するかのように話すしんのすけ。そのやり取りを聞き、張遼はずっと笑い続けていた。星ももう抑える事もせず、張遼と一緒になって笑い続けていた。その会話を聞きながら、星は白蓮の事を思い出していた。
 華雄とは違い怒りからの突っ込みではなかったが、ここまで見事に翻弄される様はどこかそれに近いものがある。そう思った星は隣で笑う張遼にその事を話した。余計笑うだろうと踏んでだ。予想通り、張遼は白蓮の話で更に苦しそうに笑い出した。

 白馬長史と名高い白蓮。騎兵として名を馳せている張遼としても、その名はよく聞いた事がある相手だったのだ。そんな相手の笑い話。張遼は星へ止めてくれと言いながら、腹を抱えていた。
 しんのすけと華雄もそんな張遼達に気付き、漫才のような会話を切り上げてそちらへと意識を向けた。そして聞こえてくる星の語る白蓮の笑い話。それにしんのすけが懐かしいと補足をしたり、白蓮の関連で袁紹の事も話し出す。それには華雄も一緒になって笑い出す。

「お前達は袁家とも繋がりがあるのか」

「そうだよ。よいしょーのお姉さん達ともお知り合いだぞ」

「よいしょー……そ、それは袁紹の事か?」

 しんのすけの呼び方に華雄は少し戸惑いながら問いかける。それにしんのすけは迷いもなく頷いた。それに華雄はやや驚きを浮かべるも、聞いた事のある噂の類から推測出来る性格を思い出してどこか納得。それで袁紹は怒らなかったのかと尋ね、しんのすけがそれに答えていく。
 だが、張遼はそんな呼び方が想像する性格と一致した凄さに感心すると同時に、実際に呼ばれた際の袁紹の話などを聞いて小刻みに震えだしていた。

「よ、よいしょー……あ、あかん。また笑いそうや……」

 ようやく収まってきた笑いが再燃するかもしれないと思い、張遼は慌てて耳を塞ごうとする。だが、星がそうはさせじと耳元へ近付き呟く。

―――白馬長史が残念さんで名門袁家はよいしょーですぞ。

 それに張遼が堪らず再び大笑い。星はそれに不敵な笑みを見せ、華雄へと近付く。しんのすけから曹操との思い出話を聞いていた華雄だったが、その耳元で星が先程と同じ事を言うと大笑いはしなかったものの吹き出させる事には成功した。
 しかし、すぐに華雄が立ち直って星へ笑わすなと反論。それに星は楽しませようと思ったとさらりと返す。そして不機嫌そうな華雄へこう告げた。

―――失礼ですが、こんなに簡単に怒るようでは将としていかがなものかと思いますぞ?

 その言葉に華雄は一瞬答えに詰まるが、言われなくても分かっていると返してその話題を終わらせた。星はそれに内心苦笑し、しんのすけはそんな華雄の反応を見て可愛いと告げた。
 その発言に華雄が反応。今まで女性らしい褒め言葉など言われた事がなかったからだ。その顔は完全に動揺を示していて、頬には微かに朱が混じっていた。

「な、何っ?! 今、何と言った?!」

「え? かわいいって。だって、星お姉さんに言われた事が恥ずかしかったんでしょ?」

「ふんっ! ……別に恥ずかしくなど思っていない」

「あ、その言い方愛紗お姉さんみたいだ」

 華雄の照れ隠しの言葉に、しんのすけは思わずそう答えた。星はそれに感心したように頷き、確かに似ている部分があると思った。一方、華雄は愛紗との名前に反応した。それは誰かと尋ねたのだ。親近感でも抱いたのだろう。
 しんのすけはそれに答えていく。いつの間にか張遼もその話を聞いていて、愛紗の正体を知ると興味深そうに視線を星へ向けた。

 同じ偃月刀使いであるため、張遼もその噂は聞いていたらしい。腕前などを詳しく聞きたいと言われ、星は出来る限り武人としての腕前のみを語った。人柄や性格などはあまり言わない方がいい。そんな風に思ったのだ。
 明確な理由はない。ただぼんやりとこう考えたのだ。性格などは接する者によって違う印象を持つ事もある。下手な先入観を与えない方がいいだろう。そう結論付けたのだ。

「でも、かゆーのお姉さん」

「何だ?」

 話も終わってそろそろ解散するかと思い始めた矢先、しんのすけが華雄に声を掛けた。それは純粋な疑問。将軍と呼ばれる者がどういう立場かをおぼろげに感じているからこそ、しんのすけが思った事。

―――かゆーのお姉さんって、エライ人なのにそんな簡単に怒っちゃうの?

 それに華雄はそんな事はないと返す。しかし、それに張遼が軽い指摘を入れた。挑発の類には滅法弱いくせにと。それに華雄は誇りを傷付けられて黙っているのは武人ではないと言い切った。それには張遼も苦笑ながらも頷いた。
 しかし、しんのすけにはそれが分からない。何故誇りを傷付けられると黙っていられないのか。そう思い、もう一度尋ねた。どうして我慢出来ないのと。

「あのな、しんのすけ。うちらは武に生きる者や。その……まぁ、生き甲斐みたいなもんを馬鹿にされて黙っとる訳にはいかへんのや」

「そうだ。多少の事なら我慢はするが、度を過ぎればそうもいかん。武人とはそういうものだ」

 二人の言葉に星も同意するように頷き、しんのすけへ視線を向けた。これで少しは理解出来たかと思って。だが、しんのすけは心底理解出来ないという表情でこう返した。

―――でもそれで他の人達まで巻き込むのはダメだぞ。だって、お姉さん達はしょーぐんさんでエライ人だもん。

 その言葉に二人は返す言葉が咄嗟に出なかった。傍で聞いている星でさえも同じく。しんのすけがそう言った裏には、勿論あの戦国での戦が関係している。春日の城へ攻め入った相手。その者が偉く多くの兵士を動かす権力を持っていたからこそ、しんのすけは戦が起きて又兵衛を失う事になったと知ったのだから。
 偉い者が戦を起こす。それがしんのすけの中での事実。偉い者が平和を望み正義を行えば、世界はそうなっていくのだ。そんな子供の考えしか彼にはない。それが厳しいのは風から言われた。それでも、しんのすけにとってはそれが事実だと思っているのだから。

(偉い者なのだから他まで巻き込むな、か。この小僧、戦の起き方を知っているとでもいうのか? いや、それはどっちでもいい。確かに戦場で私が将軍として動けば部下達も動く……大勢の命を犠牲にしてでも、誇りとは守るべき物か否かと問われた気がするな)

 華雄はしんのすけの言葉からそう結論を出し、どこか意外そうな表情を浮かべた。武人として動くのは構わない。だが、その際は完全に個人でなければならないのだ。そう言われた気がして華雄は小さく笑って呟いた。
 生意気な、と。だが、それがどういう気持ちから生まれた言葉かを理解している華雄は、その笑みを隣の張遼へと向けた。丁度張遼も華雄と同じように考えているところだった。

(偉いから巻き込むなとはなぁ。しんのすけはどこぞの将の息子か? いや、それにしても中々鋭いとこ突いてくるな。どんな時でも戦を起こすんは偉い奴や。それを子供のくせに知っとるちゅうだけでもおもろい奴やで)

 張遼は戦争の起き方を知るような口振りのしんのすけに興味を抱いた。彼女が知る中でそんな事を言う子供は当然ながらいなかった。大人は言い出さなかった。戦争が起きた時、その責任を誰もが他者へ押し付けるからだ。
 起こした者は相手に非があると主張し、起こされた側は相手が攻めてくるからだと返す。そこに至るまでにいくつもの出来事があったのは隠したままで。偉い者達は戦を正当化する。それが当然なのだ。義は我にあり。そう言わなければ誰が命を賭けて戦おうとするだろう。

 だが、張遼はしんのすけのような考えをする者ならばそうは言わないだろうと思った。どんな理由があるにしろ他者を巻き込んで戦う以上、それは悪い事でしかない。
 きっとそう言って彼のような者達はこう言うのだ。戦を起こす者も起こされる者も悪いのだと。相手と心を通じ合わせていれば、ちゃんと仲良く平和に暮らそうとすれば戦争など起こす必要はないのだ。まぁ、それでも起きてしまう事もあるのが戦争の恐ろしいところでもあるのだが。

 そんな風に張遼は考えを纏めると隣の華雄の視線に気付いた。その視線は面白い者に会ったと言っている。それに張遼も同じ視線を返して笑みを浮かべた。

「しんのすけ、今度はもっとゆっくり話をしよか。やから、またいつか来い」

「おおっ! ちょーのお姉さんからお誘い受けたぞ!」

「私もだ。待っているぞ」

「おー、かゆーのお姉さんまで……オラ人気者ですなぁ」

 にやけた顔で頭に手を置くしんのすけ。その姿に楽しそうに笑う張遼と華雄。星とシロはそんな三人を見て小さく頷く。

「また妙な縁が生まれたな」

「キャン」

 こうして楽しかった時間も終わりを告げ、しんのすけ達は二人と別れた。去り際に、また来る事があれば自分達の名を出すといいと教えられ、更にいつか必ず会いに来いと言われた時には、しんのすけも星も心からそれに頷く事が出来たのだった……



「……張遼」

 城へ戻る道すがら、華雄は隣の張遼へ声を掛けた。その声が妙に真剣みを帯びている事に気付き、張遼は何事かと思って視線を向ける。

「どないした?」

「いや、お前に頼みたい事がある。今後、もし私が怒りに我を忘れ、目先の事しか見ないようになったなら……」

 華雄のその言葉に、張遼はしんのすけから言われた言葉が相当効いたのだなと悟った。子供に言われた事で自身の頭に血が上り易い事を真剣に考えたのだろうと。故にそこから先の言葉を聞かずとも、張遼には理解出来た。
 なので、それを遮るように手を振った。安心しろと。もし華雄が大局を見失い自分の感情に流されそうになったら全力で止めてやる。それこそ、意識を刈り取ってでも、と言って。その言葉に華雄は一瞬嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐにそれを消してこう返した。

―――ふんっ! 意識を刈り取る程度で私が止められると思うな!

―――はぁ~……よっしゃ分かった。なら殺してでも止めたるわ。それでええな?

 その呆れた声に華雄は満足そうに頷いて歩く速度を速めた。それぐらいの気概で来い。そう言わんばかりに。その後姿を見つめ、張遼はどこか疲れたような、それでいて嬉しそうな表情で呟く。これで少しは猪から武将になってくれそうだと……



 翌朝、しんのすけは星とシロと共に大通りを歩いていた。大都市にたった一日の滞在はしんのすけにとっては初めての事だったが、それも仕方ないと思っていた。張遼や華雄と出会えた事は喜ばしい事だし、昼食と夕食を食べた店は気のいい者達ばかりで楽しかった。
 それでも、やはりこの街は長く居たいと思える部分が少なすぎる。もし、昨日の事件がなければここまで思う事はなかっただろう。しかし、今のしんのすけ達には共通した思いがある。

「……次に来る時は、堂々と戦える事を願うのみだ」

「悪い奴をオラ達がこらしめるために?」

「そうだ」

 しんのすけの言葉に星は力強く頷いた。今は、大将軍である何進が十常侍と呼ばれる者達と権力争いをしているらしく、張遼と華雄はその点からも昨日の争いは大きくしないだろうと言っていたのだから。
 星はそんな事を思い出し、これからの朝廷の動向に思いを馳せる。次なる大きな戦乱。それは、朝廷がキッカケになるだろうと考えながら。しんのすけはそんな事を知る由もなく、シロと共に歩いていた。すると、シロが何かに気付いて足を止めた。

「お? どうした、シロ」

「キャンキャン」

 シロが視線を向ける方向へしんのすけも視線を動かした。そこには赤い毛並みの犬がいた。だが他には誰もいない。星もしんのすけとシロの様子に気付き、視線を向けてその犬を見た。

「捨て犬……ではなさそうだな。人にどこか慣れている」

「じゃ、迷子?」

「かもしれん。どうだ、シロ。何か分かるか?」

 星の言葉にシロは赤毛犬へと声を掛ける。それに向こうも声を返しシロへと近寄った。そして、二匹は会話するように声を掛け合う。しんのすけと星はそれを眺めるだけ。ある程度そんな事をし、シロは二人へ視線を向けた。
 それに二人は事情を聞き出したのかと思い質問をしていく。ここにはその犬だけで来たのかと聞けば、シロがそれを否定するように首を振る。飼い主とはぐれたのかと聞けば、肯定するように首を振る。そこから、星は散歩の途中ではぐれてしまったのだろうと結論付けた。

「やはり飼い主とはぐれてここまで来たのか」

「でも、シロ良かったね。お友達が出来たぞ」

「キャン!」

 しんのすけの言葉に嬉しそうに答えるシロ。その声に、赤毛犬もシロへ楽しそうにじゃれ付きだす。仲良くじゃれ合う二匹を眺め、しんのすけと星は笑みを見せる。すると、そんな二匹の声を聞いたのか一人の女性が近付いてきた。
 女性は犬と同じ赤い髪をしていて、表情は無表情にも近い。だが、視線の先でシロとじゃれ合う赤毛犬を見て柔らかく微笑んだ。星はその相手の気配に気付き後ろを振り返った。当然ながらその視線が交差する。

「……セキト、ここにいた」

「「セキト?」」

 女性の告げた名前を同時に繰り返すしんのすけと星。それに女性は頷いてセキトと呼ばれた犬へ手を伸ばす。それにセキトは駆け寄った。そして女性はセキトを抱え上げるとその目を見つめて告げる。

「勝手に離れちゃ、駄目」

 女性の言葉にセキトは分かったとばかりに頷いた。それを見てしんのすけと星が感心する。シロと同じように言っている事を理解したからだ。女性はそれに頷き返し、視線をシロへと向けた。
 そしてしんのすけと星へ視線を移し、少しの間何かを考えるように黙り込んだ。それに星は妙な感覚を感じ、しんのすけはシロを女性と同じように抱き抱えその目を見つめ続けた。

「……その子、名前は?」

「お? シロだぞ。で、オラは野原しんのすけ」

「シロ……いい名前……」

 女性はしんのすけの言葉にそう返し微かな笑みを見せる。それにしんのすけは声も出さず魅入るのみ。独特の雰囲気に喋り方。大人のようで子供のような空気を感じさせる相手に、しんのすけは何とも言えない気持ちになっていた。
 星はそんなしんのすけを横目で見て苦笑しつつ、女性の隙の無さに驚いていた。出会ってから一度として隙が見えないのだ。そして、薄っすらではあるが思う事。それは相手がかなりの武人だろう事だ。

「失礼ですが、お名前を聞いてもよろしいですかな。私は趙雲。字を子龍と申す」

「恋の名前は呂布。字は奉先」

「っ!?」

 星は相手の名前に声を失った。呂布奉先。それは黄巾の乱で三万もの軍勢を相手に、たった一人で打ち倒したと言われた武将の名だったのだ。そんな星の反応から呂布は視線を外ししんのすけと見た。
 呆然と自分を見つめるしんのすけに不思議そうに小首を傾げる呂布。するとシロがそこでしんのすけに声を掛け、やっと彼は我に返った。

「あ、その……オラのお名前は呼んでくれないの?」

「?」

「だって今、シロだけしか呼んでくれなかったから……」

 どこか寂しそうにしんのすけが言うと、呂布はそれに少し困った顔をした。その表情から何となく星は呂布の困惑する理由を察した。おそらくシロの名前を尋ねたので、それしか聞いていなかったのだろうと。なので、もう一度しんのすけへ名乗るように告げる。
 それにしんのすけは、自分と同じで一度では覚えられなかったのだろうと思い頷いた。だから、もう一度呂布の目を見て自分の名を教える事にした。ただ、先程と違いどこか真剣な眼差しだったが。

「オラは野原しんのすけ。字はないぞ」

「……しんのすけ?」

「変わった名ですが、そうです。好きに呼んでくださって結構ですぞ」

「も~、星お姉さん。それはオラのセリフだぞ」

 しんのすけの軽い文句に星は笑ってすまんと返す。それにしんのすけがなら許すと言うと、シロがやや脱力するように項垂れた。そんな光景を見て呂布は小さく笑う。だが何かをそこで思い出したのか呂布はしんのすけ達へ背を向けた。
 それにしんのすけ達が気付いて視線を向けると、呂布は朝食の時間だからと告げた。そしてそこから歩き出す。去り際、一度だけしんのすけの方へ顔を向けて―――。

―――……またね、シロ、しんのすけ……

 と言い残して。それにしんのすけとシロも呂布とセキトへ声を返し見送る。星はその離れていく背中を見つめ密かに微笑む。噂に名高い飛将軍。それがまさかあんな人物だったとはと、そう思ったのだ。
 立ち去る前に凄い人物と出会えたものだと考えながら、星はしんのすけとシロへ歩き出すよう促す。それに頷き歩き出すしんのすけ。シロをその腕に抱えたままで。

 次の目的地は江東。そこにいる孫策と会うために星はその方法を考えるのだが、ふとしんのすけへ視線を向けて苦笑した。下手な事をせず、気ままに動いた方がいいような気がしたのだ。
 これまでも出会いのキッカケや原因になっていたのはしんのすけ。その行動に委ねてみるのも手かと、そう考えたのだ。

「次に目指すは江東だ。距離がかなりあるから気を引き締めて歩け」

「ほーい。次はどんなお姉さんがいるのかなぁ……?」

「クゥ~ン……」

「女の事しか頭にないのか、お前は。そうシロが言っているな」

「失礼だぞ、シロ。オラは、男として正しい道を歩いているんだぞ!」

 そんなしんのすけの答えに笑い出す星とため息を吐くシロ。自信満々で告げられた言葉は、どう聞いても褒められたものではない。しかし、確かに男としては正しいかもしれない。そんな風に思いながら星は視線を前へと向けた。街を抜けた先には当然地平線が広がっているのだが、そこに予想だにしない光景があった。
 それは一台の馬車と大勢の兵士達。どこかの諸侯でも洛陽に来たのだろうか。そう思い、星はしんのすけを自分の傍へと引き寄せた。そしてその一団が過ぎていくのを待つ。星はその編成に騎馬が多い事から涼洲の者達ではないかと察しをつけていた。

(騎馬で有名な涼洲の者達だろうか? しかし、そんな辺境の者が何故この洛陽に……?)

 そんな事を考え、星はその通り過ぎた者達を見つめていた。しんのすけはそれとは違い目の前を過ぎていく者達を大口を開けて見つめていた。その威容に感嘆の声を上げながら。
 そしてそこを馬車が通り過ぎた。馬車の窓は開いていて、そこから白い肌の少女が外を眺めていた。その視線が丁度馬車を見上げていたしんのすけの視線と交わる。

(かわいいぞ……しかも馬車に乗ってるなんて、お姫様みたいだ……)

(子供と子犬? 旅人かな……?)

 頬を染め呆然とその少女を目で追うしんのすけ。それに少女も気付き微笑むと手を振った。しんのすけはそれに驚き、シロを慌てて下ろして手を振り返す。その微笑ましさに少女も笑顔を浮かべた。
 そのまま馬車は遠ざかる。それを見送りしんのすけは手をゆっくり下ろした。あの少女がどうして洛陽に行くのかは分からない。だが、それがあまり良くない気がするのだ。あの街に対する印象のせいもある。だが、どこかそれだけではない気がしんのすけにはした。

―――何だろ……? 嫌な予感がするぞ……

 そんな呟きをするも星が行くぞと声を掛けたために、しんのすけは後ろ髪を引かれる思いで歩き出すのだった……



「どうしたの、月? 急に手なんか振って」

「うん、外に真っ白な犬を抱えた子供がいたんだ。それで目が合ったら、ずっと私を見てたから何だか可愛くて……」

「そう」

 月と呼ばれた少女は、向かいに座る眼鏡の少女の言葉に笑顔で答えた。その表情に相手も嬉しくなったのか笑顔で返事を返す。だがそれもそこまで。眼鏡の少女はすぐに険しい表情に戻り、今後の事へ思考を巡らせる。
 今はまだいいかもしれない。しかし、絶対にこれから自分達を良くない事が襲うだろうと思っていた。朝廷の権力抗争へ関るのだから。自分はそれによる危険から何とか月を守り切るつもりだ。自慢ではないが頭の回転には自信がある。しかし、それでも全てを見通せる訳ではない。想定した事態以上の脅威や状況に陥る事もある。そこまで考え、少女は拳を握り締めた。

(何弱気になってるのよ、賈文和! 僕が月を守るんだから!)

 眼鏡の少女―――賈駆はそう心に言い聞かせ、これから待つだろう状況を考え、一人誓う。何があっても月を守り抜くのだと……

しんのすけが洛陽を去った日、洛陽に入った者がいた。その名は、董卓。この日から、静かに洛陽が混迷を深める事となる。
それを知らず、しんのすけは行く。自身の感じた予感もすぐに忘れて。
穏やかだった大陸の風。それが再び荒れ始める日は近い……




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洛陽編終了。恋の口調、少々怪しいかもしれません。もし何かありましたら、ご指摘頂けると幸いです。

放浪編も後少し。何とか頑張ります。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十七話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/20 06:42
「雪蓮! 雪蓮っ!」

「駄目ですねぇ~。もういなくなってますよぉ」

「くっ……相変わらずだな、この素早さは」

 眼鏡をかけた褐色肌の女性は、そう言って大きくため息を吐いた。その隣の眼鏡の女性は、対照的に白い肌をしていて大き目の胸部を揺らしながら周囲をキョロキョロと見渡していた。
 二人は仕える主を捜していた。というのも、その主はよく仕事から逃げ出してしまうのだ。なので、こうして見張りをしなければならないのだが、今日はどうやらその動きさえ予測していたように消えていたのだ。

(まったく……勘をこんな時にまで使わないで欲しいわ)

 主君であり親友である相手の事を思い出し、女性はもう一度ため息を吐いた。すると、もう一人の女性が机の上に置かれた竹簡を見つけ出して苦笑した。

「冥琳様ぁ、これ見てください」

「……雪蓮らしいな」

 冥琳と呼ばれた女性は、そう言って小さく笑みを見せた。それは諦めの笑み。隣の女性はそれに同意するような笑みを浮かべていた。
 そこにはこう書いてあった。何か面白い事が起きそうな気がするから街へ行く。仕事は自分でなければ駄目な物以外は冥琳と蓮華に任せると。その奔放且つ他人任せな内容に二人は揃って息を吐いて仕事に戻るのだった……



 洛陽から歩く事しばらく、しんのすけ達は江東の地に足を踏み入れていた。今まで活気のある街を見てきた彼ら。だが、その活気が街毎に違う事を認識し表情に驚きを混じらせていた。
 南皮はただその土地の豊かさで、陳留は治める者の力で、そしてここは住まう者達自身の力で活気を生み出している。そんな風に星には見えた。袁術の客将でしかない孫策。それが治めるこの街が活気付いている事に、星は孫策の人望を感じ取っていた。

「こっちはあったかいね」

「南に近いからな。食べ物なども幽州とはかなり違うぞ」

「お~、それは楽しみですな」

「キャンキャン」

 しんのすけの言葉にシロも同意するように声を出し、楽しそうに歩いていく。星も笑顔でその後を追う。まずは宿の確保をして、軽く街を見て回ろう。そんな事を話し合いながら彼らは歩く。南方原産の野菜や果物、魚などを見たりしながら街の者に宿の場所を尋ねる星。
 しんのすけとシロはそんな星の後ろをついて歩きながら、周囲をキョロキョロと見渡していた。威勢のいい声や食欲をそそる匂い。市場ならではのそれらに意識を奪われつつ歩いていたのだ。

 その速度は徐々にゆっくりとなり、星から離れていくのは当然といえた。シロは嗅覚で感じ取れたため、しんのすけへ声を掛けて急ぎ目にその後を追った。しんのすけもその声に視線を動かし、星から離れている事に気付いて少し走り出す。
 と、そこで人ごみの中から出てきた誰かにぶつかった。咄嗟に避けようとしたが、それでも完全に避け切る事は出来なかったのだ。何せ市場は人が多い。下手に動けば別の人にぶつかる事になると思ったからだ。

「きゃいんっ!」

「あら? ごめんね、坊や。怪我はない?」

 しんのすけが自分の足に引っ掛かって転んだ事に気付き、その相手は少し不思議そうな表情のまま声を掛けた。彼女としんのすけの位置関係では完全衝突しかなかったはずだったからだ。そんな相手の声にしんのすけは起き上がって土を払うように手で服を叩いた。
 そんな光景を見て相手は少し意外なものを見たかのような反応を見せた。幼い子供が平然と立ち上がり何事も無かったようにしているのが珍しかったのだろうか。しんのすけはそんな相手に気付かず、服を叩きながら返事を返す。

「……っと、へーきだぞ。オラ、男の子だし」

「そう……」

「あ、ぶつかってごめんくさい」

「あはは、いいのよ。私も少し気を抜いてたし」

 しんのすけの言い方に少し面白いものを感じたのか、相手はややおかしそうな声を返した。それにしんのすけは顔を上げて、初めて相手を見た。褐色の肌に桃色の髪。露出度が高めの服装に魅力的なスタイル。目には力があり、曹操とはまた違った強さを感じさせるものがある。
 しんのすけはそんな相手に見とれた。すると、相手はそんなしんのすけの反応に小首を傾げる。ああは言ったが、どこか強く打ったのだろうかと思いながらしんのすけへ近付く女性。

「えっと、どうしたの?」

 しんのすけの前にしゃがみ、声を掛ける女性。それにしんのすけは我に返り、顔をにやけさせた。

「おねいさん、今一人? よければオラとご飯でもどう?」

「えっと、お誘いありがとう。でも……遠慮しとくわ」

(奇妙な子だわ。しかも、この歳で女を口説くとはねぇ……世も末かしら?)

 しんのすけの子供離れした言葉に、女性は若干苦笑しながらもそう考えた。しかし、何かが彼女に訴える。この子供を放っておいてはいけないと。これまで彼女が頼りにしてきた勘。それが何故か目の前の子供に強く反応していた。
 初めて疑う自分の直感。どうしてそんな風に思うのかと自問をする女性へ、しんのすけがお決まりの事を問いかける。そう名前だ。

「そっか。ねぇねぇ、ここで会ったのも何かのご縁だし、お姉さんのお名前教えて。オラ、野原しんのすけ。あざなはないぞ」

「そう、野原が姓で名がしんのすけってとこね。私は孫策よ。字は伯布」

 変わった名前だと思いながらも、孫策は名乗りを返す。それを聞いてしんのすけは響きから違和感を覚える。そう、それはここへ来る前から星に聞いた名だったのだから。しかし、それまでは思い出せずにしんのすけは頭に両手の人指し指を当てて考え込む。

「そーさく……? あれ? どこかで聞いたお名前だ」

「ふふっ、そうなんだ。それと、そーさくじゃなくて孫策よ。やっぱりしんのすけはこの街の人間じゃないのか」

 そのしんのすけの仕草に微笑みを浮かべ、孫策はそう言った。すると、そこへ星とシロが戻って来た。あまりにもしんのすけが遅いのでシロと共に来た道を戻っていたのだ。
 傍にいる孫策の只ならぬ雰囲気に内心疑問を抱くも、星はしんのすけの姿に安堵した。シロもそれは同じだったらしく、嬉しそうにしんのすけへ駆け寄ったのだから。

「ここにいたのか、しんのすけ」

「キャン!」

「お、星お姉さんとシロ」

「あら、可愛い犬。それと、どうやらそっちは保護者みたいね。気をつけた方がいいわよ。この市場は結構賑わってるから」

 孫策はそう星へ告げると手を振って歩き出す。目を離さないようにねと、そう言い残して。それに星は礼を述べ、しんのすけの手を掴んで反対へ歩き出した。しんのすけは星に謝りながら、視線を去っていく孫策へ向け手を振った。だが、その時しんのすけが言った言葉に星は呆気に取られた。

―――バイバイ、そんさくお姉さ~ん。

 それに星は足を止め、勢い良く振り返った。しかしそこにはもう孫策の姿はない。

「……孫策と名乗ったのか、先程の女性は」

「うん、そうだよ?」

「そうか。本当にお前は凄いな」

 洛陽を出る時抱いた希望。それを本当に叶えた事に星が楽しそうに笑みを浮かべるも、しんのすけはその理由が分からず不思議顔。だが、星が笑顔ならそれでいいと思ったのだろう。しんのすけも同じように笑みを見せて歩き出す。それに軽く引っ張られるようになりながら、星も歩き出す。
 シロはそんな二人の近くをトテトテと歩いていた。目指すは宿だ。しかし既に星としては、孫策が平然と街を出歩いている事を知れただけでも収穫があったといえる。街の様子を知る事。それは暮らす者達の事を知ろうとしているのだろうと考えたからだ。そのため、その表情は少し嬉しそうだった……



(しんのすけ……ねぇ)

 孫策は先程会ったしんのすけの事で気になった事があった。まず名前。この大陸では珍しい呼び名である事がまず一点。次は去り際に聞いたばいばいとの聞いた事のない言葉。最後は自分の直感が反応した事。
 保護者として現れた女性も自分から見て武人だろうと感じた事もあり、しんのすけへの興味が孫策の中で少しずつだが強くなっていたのだ。また会えるだろうかと思いながら孫策が歩いていると、視線の先に見慣れた顔があった。

「祭? ああ、今日は休みだったっけ」

 そこにいるのは祭―――黄蓋だった。孫呉の宿将である彼女は、孫策にとっては家族にも近い。そんな彼女は酒屋から出て来たところだったようで、手には酒が入っているだろう入れ物があった。

「祭!」

「ん? おおっ、策殿か」

「何? 日も高い内からお酒?」

 孫策がどこかからかうようにそう言うと、黄蓋は大きく口を開けて笑った。そしてこう言ったのだ。孫策だけには言われたくない。それに孫策も確かにと笑って返す。あまり言い過ぎると二人して苦手としている相手の事を思い出しそうだと、そう無言の内に語り合う。
 そこからもうその事には触れなくなる二人。代わりに孫策が先程会ったしんのすけの事を話す。色々な意味で気になる子供だった。それに子供が苦手な黄蓋も興味を持ったのか詳しくと告げると、彼女は視線を酒瓶へ向けて不敵に笑った。

「むぅ、いいでしょう。ただし、内容によっては新しい物を買って頂きますぞ」

「やったぁ」

 孫策の言いたい事を理解し、黄蓋はやや悔しそうにそう告げる。それに孫策は嬉しそうな笑みを見せて口笛を吹き出した。その子供のような振る舞いに黄蓋は少し呆れながらも、どこか好ましく思って笑みを浮かべる。それは、どこか母のようにも見える笑みだった……



 宿に着き星は荷物を置くと、早速とばかりにしんのすけとシロを伴って街へ戻った。向かう先は宿の主人から聞いた食事処。そこで食事がてら情報収集をと考えたのだ。集める情報は鏡と孫策の事だ。
 相手が街を出歩いているのは知った。なら、どこか良く現れる場所でもあればとそう考えたのだ。しんのすけを連れて行けば、もしかすれば話を出来るかもしれない。そう思ったのもある。

「孫策殿ともう一度会えるといいのだが」

「お? そんさくのお姉さんに会いたいの?」

「お前は……さては、私の本来の旅の目的を忘れたな?」

 星のその言葉にしんのすけは忘れていないと返した。だが、孫策が世の中を救ってくれるのかと問いかけたのだ。それに星はそれを見極めるために会いたいのだと告げる。そうして、星は昼食を食べるための店に入って思わず言葉を失った。
 そこには、孫策と黄蓋がいたのだ。しかも酒を飲んでいるらしく、表情は楽しそうだ。それを見てしんのすけが声を上げて孫策を指差した。

―――あー、そんさくのお姉さんだ!

 それに孫策達も振り向いてしんのすけ達を見た。孫策は意外そうな表情をした後、笑みを浮かべて手を振った。

「あら、また会ったわねしんのすけ」

「ですなぁ。オラとおねいさんは赤い糸で結ばれてるのかも~」

 嬉しそうな表情で孫策へ近付くしんのすけ。その物言いに黄蓋が少し驚き、納得したかのように頷いた。孫策に聞いていた通りの奇妙な印象を受けたからだ。子供が物怖じしないと知っていても、ここまで軽々しく口を利いてくる事には驚きを禁じ得ない。
 この街の子供達でさえ孫策にこんな事を言ったりはしないのだから。黄蓋がそんな風にしんのすけへ驚きを感じていると、星がそんな彼女へ近付いて一礼した。

「失礼。私は旅の者でしんのすけの面倒を見ている趙雲と申す者。しんのすけは幼くして親と別れたため、以来私と旅ばかりしておるのです。それ故奔放になったはいいのですが、あまり礼儀を知らぬ子になってしまいまして……」

「そうか、幼くして親を……いや、分かった。趙雲とやら、そなたも大変じゃったろう」

 星の嘘ではないが真実でもない説明に黄蓋は納得した。基本礼儀を教わるのは周囲から。だが、旅の日々ではそれも中々身に着かないだろうと。それに礼儀を知らぬとしても、子供だと思えば仕方ない。そう思い、黄蓋はしんのすけへ視線を向けた。
 それにしんのすけも気付いたのか視線を動かした。微かに見つめ合う二人。するとしんのすけが黄蓋を見て一際大きな声を出した。

―――おおっ! おねいさん、スゴイボインだ!

 その言葉に星以外が疑問符を浮かべた。何を言ったのだろうと。星はそんな周囲に気付き平然としんのすけへ注意した。

「こらしんのすけ。あれ程異国の言葉を使うなと言っただろう」

「え? ……あ、ほい。ごめんくさい」

 星の視線が黙って頷いておけと言っているように思え、しんのすけはそう返して頭を下げた。一方孫策は星の言った単語に反応を示した。

「異国の言葉?」

「ええ。しんのすけの家はどうも学者だったらしく、異国の文化を調べていたようなのです。それで、時々異国の言葉を無意識に使ってしまうようで……おそらく幼い頃に聞いていたためでしょう」

「そうか。となると正しい意味は分からんのか」

 星の説明に感心したような表情を見せる孫策と黄蓋。その疑問の言葉に星は頷いて、本人も感覚で言っているのでと告げた。だが、何となく状況から大きいと言いたかったのではないかと告げた。
 それにしんのすけもそんな感じと返し、黄蓋は納得したように頷いた。しかし何故か一度自分の胸へ目をやり、しんのすけへ再度視線を向けると愉快だとばかりに笑った。

「小僧、お前は儂の乳を見て驚きよったか」

「だって、オラそんなにおムネ大きい人初めて見たもん」

「わっはっはっは! 正直な奴じゃ。ん? そういえばお主、先程儂の事をお姉さんと言いおったか?」

「そーだよ?」

 何故そんな事を聞くのだろう。しんのすけはそう思って黄蓋を見つめる。すると、黄蓋は嬉しそうにまた笑い出し、しんのすけの頭へ手を置いて告げる。自分はもうかなりの高齢なのだと。しかし、それを聞いてもしんのすけは信じられないとばかりに小首を傾げる。
 黄蓋はどう見ても綺麗なお姉さん。そうとしかしんのすけには見えなかったのだ。それが母であるみさえ以上の年齢だと言われても、納得出来るはずがないのだから。そんなしんのすけの反応に好ましいものを感じる黄蓋。世辞などではなく、本心から言っていると分かったからだ。

「中々見所のある奴じゃ。それにしても、まず驚くのが胸とはのう。その歳で男として目覚めておるのか?」

「え? オラ、寝てるみたいに見える? ほーら、ちゃんと起きてるぞ」

 黄蓋の問いかけにしんのすけは意味が分からないとばかりにそう返して、自分のまぶたを指で広げて見せた。それに黄蓋は呆気に取られてから笑い出す。更に孫策と星だけでなく周囲の客達も笑い出した。そんな笑い声の響く中、しんのすけだけは状況がよく分からないが楽しそうに笑うのだった……



 あれから二人に星が自己紹介をし、しんのすけは黄蓋の名を聞いてこーがいお姉さんと呼ぶ事にした。その呼び方に黄蓋がどこか気恥ずかしいものを感じたが、満更でもないようにしていたのを見て孫策が密かに笑った。

 そして二人と共に食事を済ませたしんのすけ達は、妹に会わせてみたいとの孫策の思いつきにより、孫策達の城へと招かれていた。だが孫策は、城門前に潜み待ち構えていたお団子で髪を纏めた鋭い目つきの女性に連行された。
 抵抗しようとした孫策だったが、その女性が何事かを耳元で囁くと項垂れたように大人しくなり、しんのすけ達へまた後でと告げて疲れたような表情のまま城の奥へと消えていった。黄蓋はそれに苦笑しながらしんのすけ達を案内するように歩き出したのだ。

「先程の者は甘寧と言ってな。権殿―――つまり孫権様の傍付きのような役目も負っておる」

「孫権殿ですか。確か孫策殿の妹君でしたな。成程、それであの身のこなしを」

 星は少しだけだが見た甘寧の動きを思い出し、感心したように頷いた。護衛をするために気配を殺す術を身に着けているのだろうと思ったからだ。それを察したのか黄蓋も嬉しそうに頷くが、まだまだ未熟よと言うのを忘れなかった。だがその声はどこか嬉しそうだったので、星はきっと黄蓋自慢の者なのだろうと思った。
 しんのすけはそんな会話を聞き、自分が見た感想を黄蓋へ告げた。

「あのお姉さん、スゴク速かったぞ。オラ、いつ出て来たか分かんなくてびっくりした」

「ははは、それは当然じゃ。お前に見えるようでは孫家の武将とは言えん」

「あんな事出来る人、他にもいる?」

「そうじゃな。もう一人おるぞ」

「おおっ! スゴイね!」

 しんのすけの素直な驚きに黄蓋は楽しそうに笑う。その会話で出て来た孫家との響きに星はやはりと思い、内心である予感を強めていた。それは、この孫策達がいつか独立するだろうというもの。袁術の客将で燻り続けるはずはない。もし仮にそうなら、わざわざ孫家などとは言わずただ武将と言えばいいはずだ。
 それに孫策自身の器や黄蓋の雰囲気、そして先程の甘寧の動き。星から見ても天下を狙えるだけのものがあると思わされた。更にこれから出会う孫策の妹達も孫策に負けず劣らずの器であったのなら、それは確実といえるだろう。そんな風に考え、星は歩く。

 一方、しんのすけはシロを抱えて城の廊下を歩きながらキョロキョロしていた。この城に入った時から何か妙な声が聞こえていたのだ。だから黄蓋へあんな事を聞いたのだが、ふとしんのすけは足を止めた。その聞こえてくる言葉を信じて、ある事を試そうと。
 シロはそんなしんのすけを見上げた。星と黄蓋はそのまま歩き続けているので、シロは声を掛けて追いかけようと告げるのだが、しんのすけはそれに構わずシロを下に置いて誰にでもなく告げた。好きに触っていいよと。だが、当然何も起きない。なので、しんのすけはならばとシロへ告げる。

―――シロ、わたあめ。

―――くぅ~ん……?

 疑問に思いながらも体を丸めるシロ。その瞬間、突然そこに何かが現れた。

「はぅあ! 可愛いのです! もふもふなのですっ!」

「あ、やっぱり誰かいた」

 しんのすけがシロを抱えて歩いている途中、たまに聞こえていたのだ。誰かが微かな声で、もふもふしたいと言っているのを。最初は空耳かと思ったのだが、あまりにも聞こえてくるので試しにとシロのわたあめをやってみせる事にしたのだ。
 黄蓋に聞いた言葉もその判断を後押しした。甘寧のように姿を消す事が出来る者がいる。もしかしたらそれが自分の聞いてる声の相手かもしれないと。結果はご覧の通りだったという訳だ。

「はぅ~……」

 シロを抱え、満足そうに表情を緩める黒髪の少女。それを見てしんのすけは頷いて問いかけた。

「ね、満足した?」

「え……? はぅあ!?」

 しんのすけの声に我に返ったのか、少女は驚くとびくりと体を震わせた。だがそれに構わずしんのすけは再度問いかけた。満足したのかと。それに少女は戸惑いながらも頷き返す。しんのすけはその答えに納得したように頷いて、次の質問を出した。

「お名前は? オラ、野原しんのすけ。名前がしんのすけであざなはないぞ」

「あ、えっと……私は周泰。字は幼平です」

「ほ~ほ~、しゅーまいかぁ。おいしそうですな」

 周泰の名を聞き間違えるしんのすけ。その名前は普通人には付けないとは考えない。しかし、周泰はしんのすけが自分の名前を間違えたと気付き、やや慌てるように指摘する。

「え? あ、いえ、周泰です」

「あ、そうなんだ。間違えてごめんくさい。えっと……なら、しゅーちゃんでいい?」

「周ちゃん? えっと、それは私の事ですか?」

 しんのすけの呼び方にどこか意外そうな顔をする周泰。それにしんのすけは頷いた。駄目なら別のを考えると。それに周泰が理由を尋ねる。しんのすけはこっちの名前は難しい物が多く、間違える事が多いので簡単な呼び名を付けさせてもらっていると返した。
 それに周泰も納得し、ならばとその呼び名を許可した。と、そうなったところでそこへ星と黄蓋が現れた。ふと気がつけば、しんのすけがいなくなったため捜しに来たのだ。すると、二人は周泰の姿を見て同じように軽い疑問を抱く。星は単純に誰だろうとのもの。黄蓋はどうしてここにというものだ。

「明命、何故お前がここにいる?」

「あの……実は先程仕事から戻って参りまして、そこでこのお犬様を見てしまい……」

 少々言い難いそうに周泰はそう告げた。黄蓋はそれだけで事情を察して呆れたように息を吐いた。周泰は猫に目がない。そして同じように可愛らしい物に弱いのだ。そう、周泰は綿のようなシロを見て一目で虜になってしまった。それこそ任務の結果報告を忘れて追い駆ける程に。
 黄蓋はそんな周泰へ叱りつけるかと思って声を出そうとした瞬間、しんのすけがそれを遮るように声を発した。

「お犬様じゃないよ。シロだぞ、しゅーちゃん」

「え?」

「シロってお名前で呼んであげて欲しいぞ。な、シロ?」

「キャン!」

 しんのすけの声に応えるようにシロは周泰の腕の中で元の姿に戻った。周泰は綿のような状態では無くなった事に少しだけ残念な顔を見せるも、すぐにシロが頬を摺り寄せてきたので再び嬉しそうに笑みを見せた。それには黄蓋も叱る気が失せた。
 何せ、心から幸せそうな笑顔なのだ。そんなものを見て怒りを抱ける程、黄蓋は鬼ではない。しかも、これが仕事中などであればその限りではないが、今は仕事を終えた状態。なら多少は大目に見てやろうと考えたのだ。

「シロは大人しいのですね……」

「そうだよ。あ、しゅーちゃん。良かったらシロのお友達になってくれない?」

「いいのですかっ?!」

「おおっ!? しゅーちゃん、ちょっと驚き過ぎ」

 思わず身を乗り出す周泰。それにしんのすけは若干驚いて距離を取る。それに気付いた周泰は少し恥ずかしそうに顔を赤めた。そして、一言謝り頭を下げた。それにしんのすけはそこまで気にしなくてもいいと告げ、シロへ視線を落としてからその頭を撫でる。

「それと、オラともお友達になってくれると嬉しいぞ」

「お友達……はい、喜んでっ! えっと、しんちゃん、シロ、これからよろしくです!」

 しんのすけの申し出は周泰にとっては嬉しいものだった。彼女は本当は猫の方が好きなのだが、それに嫌われてしまう事が多い。だが、シロはそんな自分が何をしても嫌がらずにいてくれる。しかも飼い主であるしんのすけと友人になれば、そのシロと遊ぶ事が簡単に出来るようになる。
 それに、武将である自分と初めて友達になろうと子供に言われた事が嬉しかった。そのため、周泰は笑顔でしんのすけとシロへ返事をする。それにしんのすけは頷いた。

「よろしく」

「キャン」

 しんのすけはそう言って周泰へ手を差し出す。それに倣うようにシロも周泰へ前足を出した。それが握手を誘っていると理解し、周泰はその手で交互に優しく握った。それを眺め星は黄蓋へ告げる。しんのすけは友人を作るのが上手いのだと。それに黄蓋は心から納得するように笑うのだった……



 一旦任務の報告に行く周泰と別れ、しんのすけ達は黄蓋の案内である部屋の前まで来ていた。そこに孫策が会わせようと思った妹がいるらしい。黄蓋は扉の前に立つとそこから中へ声を掛けた。

「小蓮様、策殿が会って欲しい者達がいると言っておりましてな。今、ここにその者達を連れて参りました」

 孫家の末娘の彼女は、姉達に会いたくてお忍びで遊びに来ていた。まぁ、彼女だけならいざ知らず、かなり目立つ存在を連れて来たため、それを姉達に叱られたのでこうして城に軟禁状態となっている。それを思い出し、孫策はしんのすけを彼女に会わせようと思ったのだ。自由奔放な性格で子供らしさも残す彼女。ならば、しんのすけと会う事で友人にでもなれば。そう思ったのだ。

「雪蓮お姉ちゃんが? ふ~ん……じゃ、入ってもらって」

 丁度退屈だった事もあり、少女は気晴らしになるかと思って返事をする。その返ってきた声にしんのすけと星は同じ感想を抱いた。鈴々や許緒と同じぐらいの年頃だろうと。
 黄蓋が部屋の扉を開け中へ入る。それに続くようにしんのすけ達も中へ入ると、そこには孫策と同じ髪の色をした少女がいた。褐色の肌で背丈的にも鈴々と同じぐらい。しんのすけはそんな彼女を見て反射的に告げた。

―――おー、かわいいけどワガママそう。

 それに全員が呆気に取られた。だが、黄蓋はすぐに立ち直るとおかしくて仕方ないとばかりに笑い出し、星は笑いこそしないが中々言い当てているかもしれないと思い、内心苦笑していた。当の言われた本人はその評価にわなわなと震え、しんのすけを指差して叫んだ。

―――そんな事ないもん! シャオは結構尽くすもんっ!

 更にそこから続けてこう言った。孫家の姫である自分を捕まえて可愛いと言うのはともかく、ワガママそうとは許せないと。それにしんのすけが二度程頷き、更に告げた。違うなら怒らなければいいと。

「ムーっ! あんた、初対面のくせに失礼にも程があるわよ」

「それほどでも~」

「ちょっと! 褒めてないんだけど!」

「あ、そうなんだ」

「そうなんだって……普通分かるでしょ? も~、何か怒ってるシャオが馬鹿みたい……」

「お? よく分かんないけどお元気出して」

「誰のせいでこうなったと思ってるのよ……」

 そう言ってため息を吐いて項垂れる少女。それにごめんくさいと頭を下げるしんのすけ。そんなしんのすけの態度に素直さを感じる少女。それによくよく考えればしんのすけは自分を馬鹿にしてる訳ではないと気付いた。だからだろうか、どこかでこのやり取りが楽しく思えた。それに比例するように怒りも消え始めたので……

「ま、いっか。えっと、あんたの名前は?」

「野原しんのすけ。名前がしんのすけであざなはない」

「ふぅん、しんのすけって言うんだ。変わった名前ね」

「みんなそーゆー。で、そっちのお名前は?」

 孫家の姫を相手にしていると思えない程の態度。それにしんのすけの事を何も知らない少女は、彼は胆が太いのだと感じた。それと同時に自分を特別扱いしない事に好感を覚えた。それはどこかで自分が友人に望んでいた態度。そう、友達が出来るのならこんな風に接して欲しい。そんな風に思っていたからだ。

「シャオは孫尚香って言うの。字が無いのはあんたと同じ。そうね……尚香って呼んでいいわ」

「しょーこー? ひめちゃんじゃダメ?」

「姫ちゃん? どうして?」

「だって、お姫様なんでしょ? その方が覚えやすいし、可愛いぞ」

「成程……それもそっか」

 しんのすけの告げた理由に理解を示し、尚香は笑みを見せて頷いた。それに、もう一つ尚香にはその呼び方を許す理由があった。それは、その呼び方が親しみを込めるためにつける愛称のように思えたからだ。
 そして尚香は、何故姉の孫策がしんのすけと会わせようとしたのかを自分なりに考えていた。自分の友人を作ってあげようとしたのではないかと。孫呉の姫である尚香には、当然ながら対等の関係で接する友人などいない。姉である孫策には、幼い頃からの親友である周瑜がいる。もう一人の姉である孫権には、臣下として分を弁えているが友人のように支えている甘寧がいるのだ。

 それを考えた時、自分にはそんな相手はいない事に気付いた。なのでそれを不憫に思った姉が、市井の子供の中から自分に物怖じしない者を連れて来たのではないのかと、そう尚香は考えた。
 自分が姉達と共に暮らす日はまだ先だが、その時が来ればしんのすけとも仲良く遊んだり出来るだろうかと思う尚香。その表情は少し嬉しそうに笑みを浮かべていた。

(えへへ、シャオにもお友達が出来るなんてね。雪蓮お姉ちゃんに後でお礼言っておこう)

「じゃ、しんの……」

「どしたの?」

 しんのすけへ呼びかけようとした尚香だったが、何かを思い出したように考え始めた。しんのすけはそれに不思議そうな声を返す。すると、尚香は一人納得するように頷いてこう言った。

―――シャオが姫ちゃんだから、そっちはしんちゃんね。

―――あ、そんな事か。ほーい。

 自分が親しみをもって接しようと思って告げた事に対するしんのすけの素っ気無い返事。尚香はそれにどこか不満そうだが、しんのすけの性格をどこか理解したのか文句を言う事無く遊ぶために部屋の外へと出て行く。勿論しんのすけを誘って。しんのすけはシロも一緒に遊んでもいいかと尋ね、それに尚香は即答で許可を出す。
 こうしてしんのすけと尚香はシロと共に部屋を出て中庭へと向かって走り出す。その遠ざかる声を聞きながら、星は黄蓋へ視線を向けた。孫策に負けず劣らず自由奔放だと感じたためだ。すると、黄蓋もそう思っているのだろう。互いに微笑みを見せ合い、二人は同時に呟く。

―――孫家の姫らしい御方だ……

 そんな事を言われているとは知らず、尚香はしんのすけとシロへ自分の大事な家族でもあり友人でもある者達を紹介していた。それは、パンダの善々とホワイトタイガーの周々だった。それにしんのすけは恐怖するのではなく心から驚き、それに易々と乗ったり出来る尚香へ憧れるような眼差しを送った。
 シロは若干怯えていたが、二頭が敵意がない事を察してゆっくり近付きその手を舐めた。それに二頭も応じるようにシロへじゃれるような接し方をしたのだが、やはり体格差のためかシロはどこか怯えたままだった。

―――ね、ひめちゃん。オラも乗せて乗せて!

―――いいけど……周々に変な事しないでよ。

―――ほい。

 その後、しんのすけはやや怯えるシロを尻目に、尚香と共に見事周々へ乗りご満悦だった……




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孫呉編。一番登場させる者達が多い場所。関らせるのは蓮華を始め五人。

おそらく美羽と七乃は孫呉編の後に出番となります。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十八話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/23 04:55
 あのまま、中庭で尚香達と遊んでいたしんのすけとシロだったが、そこへある者達が現れてそれを中断する事になる。それは……

「ん? あれは……シャオか」

「そのようです。傍にいるのは先程お話した子供です」

 甘寧の言葉に女性は頷き、視線を中庭へと戻す。そこで周々に乗って何かを話しているしんのすけと尚香へ大きめの声をかける。

「シャオ、そこで何をしてるのだ?」

「あ、蓮華お姉ちゃんだ」

「お?」

 突然掛けられた声に尚香が反応し、しんのすけもそれにつられるように視線を動かす。そこには孫策や尚香と同じ髪色をした女性がいた。そしてその背後には孫策を連行した甘寧の姿もある。
 だが、しんのすけはそれに構わず素早い動きで乗っていた周々から降りると、蓮華と呼ばれた女性へ向かって駆け寄った。その動きに尚香達は驚きの表情を浮かべる。唯一甘寧だけはそれに嫌な物を感じて、女性の傍へと近寄った。

「おねいさんはひめちゃんとそんさくおねいさんの家族?」

「え、ええ……」

 にやけた顔で自分を見上げる子供という異様な光景に、女性は普段の口調ではなく素の口調になってしまう。それに構わず、しんのすけはそのだらしない表情のまま頷いて、一際嬉しそうにこう言った。

―――あはー、おねいさんもびじんさんだ~。

 それに女性はどう反応を返せばいいのか戸惑う。喜べばいいのかなれなれしいと怒るべきなのかと。相手は子供。だが、自分は孫家の姫だ。ならばやはり一度叱るべきだろうか。そんな風に考える女性だったが、その相手であるしんのすけが突然何かに気付いたのか、視線を女性からその横辺りへ動かした。

 そこにはやや鋭い目つきをした甘寧がいた。その表情はどこか怒りを秘めているように見える。

「お姉さん、さっきそんさくお姉さんを連れてった人だよね?」

「そうだ。お前の事は雪蓮様から聞いている」

 甘寧の言葉にしんのすけは頷く。そこへ尚香もシロを抱えて近付いてきた。周々と善々もその後ろに控えるようにいる。

「ね、しんちゃんの事を雪蓮お姉ちゃんは何て言ってたの?」

「はっ、礼儀知らずで異国の言葉を使う事もある奇妙な名前の子供だと」

 甘寧の説明に疑問符を抱いたのだろう者達の声が返ってくる。しかし、何故かそれは二つではなく三つだった。

「「「異国の言葉?」」」

「お二人はともかく、本人のお前が問いかけるな」

「おおっ! 今のオラの事だったのかぁ。てっきりシロ辺りの事かと……」

「どうして犬の事を話さねばならん。それに犬は喋らんだろうが」

 少しずつではあるがしんのすけの態度に怒りを強めていく甘寧。それを感じ取り、尚香がしんのすけの耳元へ口を寄せ軽く注意する。怒らせると厄介な相手だから、少し大人しくした方がいいと。その忠告に頷き、しんのすけは甘寧を黙って見つめた。
 甘寧には先程の尚香の忠告が聞こえていた。だが、それを一々取り合っていては仕方ないと思い、何も言わずにしんのすけを見た。女性は、甘寧の鋭い視線を正面から受けてもこれといった反応を示さないしんのすけに違和感を抱き、それを問いかけた。

「お前は思春の睨みが怖くはないのか?」

「お? ししゅ……っと、危ないぞ」

 孫権の告げた名を尋ねようとしたしんのすけだったが、視界の中に映る甘寧の視線が鋭くなったのを見てある可能性を思い出し、何とか思い止まった。それを聞いて甘寧が小さく頷き、孫権はしんのすけが自分達の名を知らない事を思い出した。
 そして、もう少しでしんのすけが甘寧の真名を呼ぼうとしていた事にも気付き、しんのすけがこの大陸の人間ではないのではと思った。珍しい名に真名と名の区別が瞬時に出来ない事などからだ。だが、しんのすけは孫権がそれを問いかける前に彼女の問いかけに答えた。

「えっと、母ちゃんの怒った顔の方がもっと怖いから」

「そうか……どこでも母は怖い者なのだな」

 しんのすけの答えに女性はどこか懐かしむ目をして微笑んだ。それに尚香はやや寂しそうな表情をし、しんのすけがそれに気付く。

「ひめちゃん、どうしたの?」

「えっ? あ、何でもない。ねぇ、それよりもしんちゃんのお母さんってどんな人?」

「オラの母ちゃんはみさえって言って、お便秘に悩むおケチな主婦だぞ」

 尚香がやや慌てるように誤魔化し、話題を変えようとそう返す。それを聞いてしんのすけは特に気にもせずに頷き話し始める。孫権と甘寧は尚香の態度から何を考えていたのかを理解した。特に孫権は妹が母の記憶をほとんど持たない事を思い出し、自分を軽く責めた。
 姉の孫策と自分は母である孫堅の事を覚えている。だが、歳の離れた妹である尚香はあまり共に過ごした思い出がないのだ。戦に生きたと言ってもいい猛将だった孫堅。そのため、尚香が物心つく頃は戦場を駆け回ってばかりいたのだから。

(シャオには辛い事を思い出させてしまったわ。もう少し気をつけないと駄目ね)

 そんな孫権の前では、しんのすけのみさえ話が披露されていた。その実の親をけなす発言を平気でする事に驚く三人だったが、その内容に次第に孫権と尚香の笑みが増えていく。しんのすけがうんざりしながら語るお仕置き関係は、聞いているとくすりと笑える物からあまり笑えない物まであり、どれ程しんのすけが問題行動をしているかを教える事になった。甘寧はそんな内容に呆れるしかなかったが。
 だが、根底にあるしんのすけの母への思慕も伝わったのだろう。最後には尚香や女性だけでなく、甘寧さえもどこか穏やかな表情をしていたのだから。

 そんな話を終えて、しんのすけは忘れていたとばかりに女性と甘寧へ視線を向けて自分の名を告げた。それは相手の名前を聞くための行為。相手の名を聞く時は自分の名を名乗る事。それが基本だとこの大陸に来てから、しんのすけは自然と身に付けたのだ。
 案の定、女性はしんのすけの名に珍しいと反応を返し、甘寧も確かに聞いた事がない名前だと同意した。そして、聞いたのだからと女性がしんのすけへ名を名乗り返す。

「私の名は孫権。字は仲謀だ」

「名は甘寧。字は興覇」

「えっと、そんけんお姉さんに……かんでんお姉さんか。しびれそうだぞ」

 孫策の名前を覚えたしんのすけは孫権こそ間違わなかったものの、甘寧の名前は見事に間違えた。それを聞いて不思議そうな表情をする尚香と孫権。一方甘寧は名前を間違えられたために、やや怒気を漂わせた。
 それをすぐさま感じ取り、しんのすけは自分がまた間違えたと理解した。しかも、今回はかなり怒らせてしまったとも。なので、いつも以上に誠意を以って謝罪の意を示した。

―――お名前間違えてごめんなさい。お願いだから、間違えないようにもう一回お名前聞かせて欲しいぞ。

 その申し出に甘寧は子供にしては丁寧な対応だと思ったのか、先程までの怒気を消した。そして、もう一度ゆっくり名前を名乗る。それを聞いてしんのすけが甘寧の名を完全に理解した事を確認し、彼女は小さく頷き次はないと告げた。
 それに苦笑いを浮かべる孫権。尚香は不敵な笑みを浮かべるも、何か言う事はない。それが甘寧にはどこか納得出来ないものだったが、事を荒立てるつもりはないとばかりに、無言を通した。

 そんな風に三人が落ち着いたのを見計らい、しんのすけが孫権へこう切り出した。

―――ね、けんのお姉さんって呼んでもいい?

 そのしんのすけの言葉に甘寧が若干眉を顰めるが、孫権がそれを抑えて理由を聞く。孫策と姉妹なら策と権で呼び分けたい。そう夏侯姉妹の名を例に挙げて告げると、それに三人が驚きを見せた。

「お、お前は夏侯姉妹と知り合いなのか?」

「そーだよ。もうちゃんともお知り合い」

「もうちゃん?」

「まさか、曹孟徳の事か?」

 しんのすけの告げたもうちゃんとの呼び方に首を傾げる孫権。だが、甘寧はどこか嘘であって欲しいと思いながら予想される名を告げた。それにしんのすけが平然と頷くと三人は一際驚いた。
 黄巾の乱で首魁張角を討ち取った英雄。それを子供がもうちゃんと呼んでいる。それが三人に与える衝撃は大きかった。本人はそこまで感じていないのだろうが、他の者がそんな呼び方をすればどうなるかは容易に想像がつく。子供だからとはいえそんな呼び方を許可した事が意味するのは、曹操がしんのすけを周囲に比べ優遇しているとしか思えなかったのだ。

「お前は一体何者だ?」

「オラは野原しんのすけ。どこにでもいる五歳児だぞ」

「お前のような子供がどこにでもいてたまるか」

 純粋な疑問をぶつける孫権。それに返したしんのすけの答えに甘寧が即座に突っ込んだ。そこには、曹操の事だけではなく孫権に向けた邪な視線なども関係している。それを知るはずもない孫権と尚香はそれに苦笑した。言われた本人は甘寧の言葉に特別扱いされたと感じて、嬉しそうに反応を返し、それにまた孫権と尚香が笑う。

「それにしても……けんのお姉さんに聞きたい事があるんだけど」

「何だ?」

 しんのすけの問いかけに不思議そうな表情を返す孫権。しんのすけは視線をその頭部へ向け、指差した。そこには彼女独特の髪飾りのような物がある。ハンガーのようにも見えるそれが、しんのすけには気になってしょうがなかったのだ。

「それ、スゴイね。重くない?」

「これか? まぁ確かに多少は重いが気になる程ではないぞ」

「ほーほー。で、おいくらですかな?」

「? 値段を聞いてどうするのだ?」

「何となく聞いてみただけ。でもそれ、オラだったら首の骨折りそうだぞ」

 そうしんのすけが少し怖そうに言ったので、尚香がそれに笑いながら同意して孫権が苦笑と共に肯定。甘寧は孫権に対するしんのすけの言葉遣いを嗜めようとも思うのだが、当の本人である孫権自身が気にしていないようなので、どうするべきかと迷っていた。
 すると、しんのすけが甘寧の方へ視線を向けた。ぶつかり合う両者の視線。だが、しんのすけは何事も無かったかのようにこう言った。

―――ねぇ、かんねいお姉さん。どうして髪下ろさないの? そしたらもっとびじんさんだぞ。

 その言葉を甘寧はたった一言邪魔になるからだと一蹴。だが、それにしんのすけは不思議そうに首を傾げた。ならばどうして切らないのかと返したのだ。すると、珍しく甘寧が少しだけ言葉に詰まった。尚香と孫権はそんな甘寧に意外な表情を浮かべた。
 甘寧はそれに気付いたのか、やや早口でこう返した。短く切るとまた伸びてきた時が鬱陶しく感じる。なので、ある程度髪が長いと伸びる速度が遅くなる事を利用し、いつも同じ長さで調整しているのだと。それにしんのすけは感心したように声を上げた。

「お~、そうなんだ。オラ知らなかったぞ」

「そうか。なら、これで少しは賢くなったな」

「ほい。あ、教えてくれてありがとございます」

「……礼はいらん。そんなつもりは無かったからな」

 素直に頭を下げるしんのすけに甘寧はやや面食らったものの、そう返した。礼儀がなってないと思いきや、他愛もない知識を教えてもらった事にちゃんと礼を述べたのだ。その意外さに甘寧も少しだけ感心したのか、声には驚きが微かに混じっていた。

 そんなやり取りをし、尚香はシロをしんのすけへ返して部屋と戻った。孫権が遊んでばかりいないで勉強をしろと言ったためだ。尚香は下手に抗うよりも従った振りをした方がいいと考えたのか、渋々ながらも動いたのだ。
 それを見送り、孫権はしんのすけへ尚香と仲良くしてやって欲しいと姉らしい言葉を掛け立ち去った。当然甘寧はその後を追うのだが、その前にしんのすけへ一言言い残した。

―――蓮華様に邪な目を向けないようにな。

 その声に微かに警告めいたものを混ぜる甘寧だったが、それにしんのすけが気付くはずもなく平然と分かったと返事を返して手を振った。そんな様子にどこか不満そうな甘寧ではあったが、一応理解したので良しとしたのだろう。それ以上何も言わずに孫権の後を追った。
 誰もいなくなった庭で、しんのすけはシロへ視線を落としてどうするかと問いかける。それにシロは尚香の部屋の方を指差す。そちらへしんのすけが視線を向けると、星がこちらへ向かってくるところだった。

「あ、星お姉さん」

「尚香殿が戻ってきたのでな。勉学の邪魔にならぬようにと部屋を出て来た」

 星はそう言ってしんのすけを誘導するように動き出す。どうも孫策がしばらく動けそうにないので、宿に帰る事にしたらしい。その旨を共に部屋を出た黄蓋に伝えたのでまた明日にでも来ればいい。星はそう言って歩く。しんのすけはそれに頷き、シロと共に歩き出す。
 だが、しんのすけ達が城から出ようとした時だった。後ろから呼び止める声が聞こえたのは。それに振り向くしんのすけ達。そこには息を弾ませた孫策がいた。

「ちょっと待ちなさいよ。挨拶も無しに帰ろうとは酷くない?」

 孫策はそう言って少し怒りを見せる。どうも黄蓋がしんのすけ達が帰ろうとしている事を話したのだろう。だから急いで現れたようだ。星はそう判断し、孫策へ気後れする事もなく言葉を返す。

「無論挨拶に行こうとは思いましたぞ。しかし黄蓋殿に、おそらく周瑜殿に見張られ仕事中だろうから今は止めておけと言われましてな」

「そうなんだ。あれ? じゃ、さくのお姉さんお仕事は?」

「クゥ?」

 星の言葉にしんのすけが納得がいったと頷き、ふと浮かんだ疑問を問いかける。シロもそれに続くように首を傾げて孫策を見つめる。そんな二対の視線に孫策が小さく呻く。そう、彼女はある目的のために仕事を放棄してここへ来たのだ。
 そんな孫策の反応から星は逃げてきた事を悟り、不敵な笑みを浮かべた。そして孫策の後ろを見て何かに気付いたように告げたのだ。

―――あ、周瑜殿がこちらに……

―――っ!? って、騙されないわよ。

 その言葉に驚愕の表情を浮かべた孫策だったが、それも一瞬だった。すぐに不敵な笑みを浮かべそう告げたのだ。しかし、一応それとなく振り返って確認するのを忘れない。無論そこには当然ながら誰もいない。そして、こう指摘した。星が周瑜の顔を知らない事を。

(やはりこんな子供だましでは無理か……)

 内心ため息を吐くも、こんな見え透いた手をする自分も自分かと思い、星は苦笑するしか出来ない。星はそのまま孫策に冗談が過ぎたと謝罪してきたので、彼女としてもこの件に関してあまりきつく言う事は出来なかった。

「それにしても……趙雲、あなた中々面白いじゃない」

「そうですかな?」

「私を引っ掛けようとした事が十分面白いじゃない。惜しいなぁ。母様が生きていれば将にでも取り立ててくれそうなのに」

「ほう。孫堅殿は流浪の私を将にしてくれるのでしょうか」

「多分ね。祭とあれだけ飲み交わす事が出来るし、私の勘が告げてるの。あなたがかなり強いだろうって」

 楽しそうに会話を交わす二人。だが、孫策の目がやや鋭くなっている。星はそれが武人ではなく猛獣の類に近いと感じ、虎の娘も虎かと思っていた。星の考えが分かったのか、孫策も嬉しそうな表情を浮かべている。
 そこから孫策は星へ一度手合わせをして欲しいと告げるのだが、星としては正直どうするかを迷っていた。武人としては受けたい。だが、どこかで直感が告げるのだ。それは止めておけと。受けた事で何か自分の身が危険に晒されるような気がする。そう感じたのだ。

 そんな風に星へ手合わせを迫る孫策の後ろから、一人の人物が現れた。しんのすけはそれに気付き、視線を動かした。そこにいたのは褐色の肌に流れる黒髪の眼鏡を掛けた女性だった。それにしんのすけが動き出す。星がそれに気付くも孫策が逃がさないとばかりに引き止める。

「ちょっと、私の誘いに対する答えは? あ、それともし良ければ私の仲間にならない?」

「いや、お誘いは嬉しいですし、応えたいとも思うのですが……」

「あら? 何か不満でもある?」

 孫策の目がゆっくりと細くなる。それに妙な威圧感を感じ、星はどうしたものかと思案した。下手な答えは要らぬ誤解を生みかねない。なので、丁寧に自分の旅の目的を話して理解してもらうのが一番と判断し、孫策へ語り出した。

 一方、黒髪の女性は自分に背を向ける形で星と話す孫策を見た途端、大きくため息を吐いた。そして、冷徹な表情に変わり近寄ろうとしたのだが……

―――ヘイ! そこの眼鏡のおねいさん、オラと一緒にお茶しな~い?

 その足元には、既ににやけた顔のしんのすけがいた。女性は、見た事のない子供がいたために停止せざるを得なくなったのだろう。そしてこの城にいる子供という点で、彼女はしんのすけが孫策が連れてきた存在だと気付いた。

「……お前がしんのすけか」

「あれ? お姉さん、オラの事知ってるの?」

「やはりそうか。雪蓮―――孫策が連れてきたという話は聞いているからな」

 その説明にしんのすけは納得したと頷いた。だが、すぐに女性へこう問いかける。名前は何と言うのかと。それに女性が教えようとして、何かを思い出したのか不敵な笑みを浮かべてどうして名乗る必要があるのかと尋ねた。ふと思ったのだ。孫策が変わった子供だと言っていたのを。それがどういう事かを確かめようと考えたのだろう。

「オラはお姉さんのお名前知らないのに、お姉さんだけ知ってるなんてずるいぞ。お名前聞いたら教えるのがれーぎじゃないの。しつれーだぞ」

「ふむ、そうきたか」

 意外にしっかりとした反論をすると思い女性は感心した。子供特有の感情混じりの言葉ではあるが、それでも屁理屈ではない。確かに相手の名を聞いて答えないのは礼を失する。さてどうしたものかと女性が考えると、しんのすけはそれに気付かずこう続けた。

「それに、お姉さんが教えてくれないなら、オラが勝手に呼び方考えて呼ぶぞ」

「ほう……どう呼ぶのだ?」

 しんのすけの言った言葉に少し興味が湧いた女性は、思考を中断してそう不思議そうに尋ねた。

「えっと……へそ出し眼鏡さん」

「なっ……」

「それか眼鏡のしつれーさん。後は……」

 女性の要望に応えるようにしんのすけが告げる呼び名。それはとてもではないが許容出来るものではない。しかも、更にそれがエスカレートしそうだったので、女性がそれに気付いて止めるように言葉を遮った。
 これ以上何かを言わせては、色々と厄介な事になりかねないと思ったのだ。何せ、少し先には孫策がいる。今の呼び名を聞いていれば必ず後でからかいで呼び始める事は請け合いだ。それにもしここでしんのすけの声が大きくなれば、確実に気付く。

「すまん。私が悪かった。名乗るからその呼び名は止めてもらえるか?」

「お? いいけど、だったら最初から教えて欲しいぞ」

 女性が急に素直になったように思い、しんのすけはどこか不思議に感じながらもそう言った。それに女性は小さく苦笑。まさか子供にそんな事を言われるとは思わなかったのだろう。中々良い性格をしている。そんな風に思いながら、女性は自分の名を告げた。

「私は周瑜。字は公瑾だ」

「しょーゆ? 変わったお名前だね。じゃ、どこかにソースさんもいるのかな?」

「そぉす? 何を言っているか分からんが、私の名は周瑜だ」

 しんのすけの言ったソースとの単語に周瑜は少し眉を動かすが、それをすぐに消して名前を再度告げた。それにしんのすけが頷いて片手を上げてこう返した。

「ほーほー。じゃ、分かりにくいからしゅーのお姉さんってことで」

 しんのすけがそう言うと周瑜は何かを言おうとしたのだが、それよりも早く何かが彼女へ抱きついてそれを阻止する。それは孫策。星は先程と同じ位置で安堵の息を吐いている。今まで孫策の妙な威圧感の中で説明をしていたのだ。それだけではない。説明が終わった後も、ならせめて手合わせだけでもと執拗に迫られていたのだから。

 そんな星を横目で見てだが、孫策の表情が楽しそうに笑っている。仕事から逃げていたために周瑜を警戒していたにも関らず、孫策が笑っていられる訳。それに周瑜は気付いてやや嗜めるような顔をする。
 それを見て孫策が不敵な笑みに変わり、こう告げた。子供相手に文句を言わないと。それに、また間違えられるのとどちらがマシと言われてしまえば、周瑜としても強く言い返す事は出来なかった。しかし、すぐに気を取り直して孫策へやや鋭い目を向けるのを忘れない。

「で、雪蓮? 用を足しに行った割には大分遠くまで来ているな」

「あー、ちゃんと戻って続きするわよ。だからお説教は勘弁して」

「まったく……いいだろう。では早速戻るぞ」

「は~い。じゃ、またね。趙雲、しんのすけ」

 ため息と共に歩き出す周瑜と苦笑いを浮かべてしんのすけ達へ手を振ってその後に続く孫策。それにしんのすけは手を振り返し、シロも声を掛ける。星はそれを見送り、しんのすけへ自分達も宿に戻るぞと呼びかける。
 それに返事をして走り出すしんのすけ。星はそんなしんのすけに笑みを浮かべ歩き出す。星の隣へ並び、しんのすけは速度を落として歩きへ変える。そして、先程の周瑜とのやり取りを星へ教えて笑いを取る。そんないつもの雰囲気のまま、しんのすけ達は宿へと向かうのだった……



「どう?」

「ああ。あれは間違いなくこの大陸の者ではないな」

 執務室へ向かう廊下。そこで孫策と周瑜はやや真剣な表情で話し合っていた。孫策の直感が感じたしんのすけへの警戒心。放って置いてはいけないとのそれ。その正体を孫策はあの昼食の際である程度察しをつけたのだ。
 異国の言葉を話す事。孫家の者である自分を相手にしても平然とし、礼儀などをあまりにも知らない事。そして、聞いた事のない姓と名。そこから少なくてもこの大陸の者ではないのではないかと。それ故に彼女は自分の予想を周瑜に告げて、ある事を手伝ってもらう事にした。予想を確かめてもらおうと思ったのだ。

 そのため、黄蓋から星の伝言を聞いた孫策は如何にも仕事を抜け出してきたように装い、しんのすけ達を呼び止め星を引き付けたのだ。しんのすけの行動をある程度知った彼女は、周瑜が現れればそちらへ意識を向けて動くと踏んで。そして自分は星を引き止め、しんのすけの方へ行けないようにした。そう、先程のようにしんのすけの言動を制御する事が出来ないように。

 周瑜は更にこう続けた。大陸の者だとすれば腑に落ちない点が多いと。

「そぉすなどと言う聞いた事のない言葉を話していた。趙雲とやらの話が事実としても、しんのすけの両親が調べていた異国とは五胡ではないな。あまりにも聞き覚えがなさ過ぎる。少なくても西涼よりも西か、もしくは私達が未だ知らない国だろう。現実的にはかなり怪しいがな」

 その言葉に孫策がどうしてと言う顔をした。それはローマ辺りならば有り得る話ではないかとでも思ったのだろう。そう取った周瑜はそれにこう答えた。仮にそうだとしても、そこの情報を得る事は難しい上に確かめるにも時間がかかり過ぎる。更には、どれだけの資金がいるかも分からないのだ。
 そう告げると孫策も納得したかのように頷いた。それを確認し、周瑜は最後とばかりにこう告げた。

「それに、お前が動いた直後に思春からも報告があった。しんのすけは思春の真名を言いかけたらしい」

 それを聞いて孫策は成程と言うように頷いた。そして、周瑜はこう締め括った。もし仮に大陸の者だとするのなら一番の問題点がある。それは、真名で呼ばれている星がしんのすけの事を名で呼んでいる事。つまり真名がない事だ。
 そこまで聞いて孫策はまさかという顔を見せた。だが、すぐに獲物を捕らえたような表情へ変わる。そのまま、孫策は周瑜へ問いかけた。

「……そっか。じゃ、冥琳、結論を聞かせてもらえる?」

「お前と同じだと思うがな」

 孫策の面白そうな声に周瑜も同じ声で返す。そして、二人は視線だけで頷き合うと同時に告げた。

―――しんのすけは天の御遣いだ。




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孫呉編中編。次回は穏を絡ませて、それで現状の孫呉勢は全部です。

次回で孫呉編は終わり。そして蜂蜜姫にでも会わせます。



[26728] 嵐を呼ぶ園児、外史へ立つ 第十九話
Name: MRZ◆a32b15e6 ID:c440fc23
Date: 2011/05/25 20:39
 翌朝、しんのすけと星はシロを連れて街を歩いていた。朝食を食べるためになのだが、宿で聞いた店ではなく市場へと向かっていたのだ。昨夜は宿で聞いた店を利用したので、朝は自分達の勘を頼ってみようかと思ったのだ。
 昨日孫策と出会った場所を通り、様々な屋台が並ぶ所に出たしんのすけ達。色々な匂いが漂い、威勢の良い声があちこちから聞こえてくる。どこにしようかと星がしんのすけへ意見を求める。するとしんのすけは足元のシロへ視線を向け、どこがいいと尋ねた。

「キャン」

「あ、あそこだって」

「ふむ、ならシロの選択を信じてみるか」

 シロが声と共に動き出した屋台へ歩き出すしんのすけと星。シロは屋台の前で尻尾を振っていた。主人はその姿を見て一瞬野良犬とでも思ったのか怪訝な表情をしたものの、首輪をしている事と後ろから現れた二人に気付き、そうではないと理解したようで一人頷いていた。
 そこは魚介類を専門に扱うようで、今は大きめの貝を網に載せ焼いていた。そこへ魚醤らしき物を掛ける。それが貝から零れ独特の焦げる匂いを出す。それにしんのすけが食欲をそそられ、星も期待出来そうだと笑みを見せた。

「主人、まずはその貝を二つもらえないか。後、もしあれば犬用に何かもらえると助かるのだが」

「へい、分かりやした」

 星の注文に主人は返事をすると小皿に焼けた貝を載せていき、同時に隣の屋台に声を掛けて豚の骨らしき物をもらってきてくれた。それをシロへ与え、しんのすけは貝の熱さに苦戦しながら息を弾ませている。星はそれを見て笑みを浮かべつつ、貝を口に入れる。
 その熱さに彼女もしんのすけ同様息を弾ませるものの、その味に頬が緩んでいた。一度噛むと貝の旨味とたれの旨味が混ざり、口の中にやや癖はあるが美味しいと言えるスープが溢れる。それだけではなく貝の身の甘さも感じるし、噛めば噛むほどにスープが出てくるのだ。それをしっかりと味わいながら、星はしんのすけと同時にそれを飲み下した。

「「……うまいっ!」」

「ありがとうございやす」

 二人して笑顔で告げた評価に主人は嬉しそうに笑みを返す。二人は貝殻に残った汁も啜り、頷いた。この屋台は当たりだと言わんばかりの視線を互いに向け合い、足元で骨をかじるシロへ笑顔を向けた。

「やるな、シロ」

「大当たりだぞ」

「キャンキャン」

 二人の言葉にシロは嬉しそうな声を返す。星はそれに笑みを返し、主人へ何かオススメはあるかと尋ねて注文をしていく。しんのすけはその間シロの頭を撫で、この屋台を選んだ功績を褒めるようにしていた。
 その後は魚を野菜と共に蒸した物と魚介の出汁で作ったスープのラーメンを食べ、満足したしんのすけと星は上機嫌で屋台を後にした。シロも少しではあるが魚をもらい、しんのすけ達は市場を後にしようとしたのだが……

「あ、あれ、さくのお姉さんだ」

「何?」

 しんのすけが指差した方向へ星も視線を動かす。そこには確かに市場の者達と親しげに話す孫策の姿がある。それを見て星は孫策がどれ程街の者達から慕われているのかを知った。
 おそらくこのように街を歩く事は珍しい事ではなく、よくある事なのだろう。民の上に立つ者でありながらその暮らしを実際に見て回るだけでなく、その民達と親しくする。それは確かに君主となるべき者からすれば少し問題なのかもしれない。だが、星は民の暮らしを知らずに政治をする者達よりも上に立つ者らしいと感じた。

(桃香殿と近いものがあるかもしれんな、孫策殿は。まぁ、孫策殿の方は好戦的でもあるから似てない部分もあるが)

 きっと桃香も同じような事をしているだろうと考え、星は一人笑みを浮かべる。しんのすけはそれに気付かず孫策へ向かって手を振りながら呼びかけていた。するとその声に気付いた孫策が視線をしんのすけ達へ向けた。
 その視線が一瞬だけ鋭くなった気がして、星は違和感を感じた。だが次の瞬間には笑みを浮かべて近付いてきていたので、自分の気のせいかと思う事にした。

「おはよう、しんのすけ、趙雲」

「キャン」

「ごめん、シロもね。忘れた訳じゃないのよ?」

 孫策が挨拶をしてくれなかったと思ったのか、シロが声を出す。それに孫策は苦笑して、しゃがんでシロの頭を撫でながらそう返した。それにシロが嬉しそうに声を返したので、孫策も頷き賢い犬だと改めて思い笑みを浮かべた。

「それで孫策殿は何を?」

「ああ、散歩みたいなものよ。それとこうして街のみんなから話を聞いてるってとこ」

 星の質問に孫策は楽しげに言葉を返す。聞かれると思っていたのだろう。その理由も簡単に説明した。暮らしている者達が何を思い、何を望んでいるのかを知らないと、とてもではないが政など出来ない。故にこうして直接聞いているのだ。
 自分で聞くのは途中で意見が歪んでしまったり、取り違えてしまわぬように。人を介するとその可能性が上がってしまうから。それにこうして自分が話を聞く事で、街の者達に孫家の者は自分達の意見に耳を傾けてくれると思わせる事が出来ると。

 それを聞き、星は成程と頷いた。孫策が何も善意だけではなく、自身の行動を政治に利用するためにしている事に感心した。これが桃香であればそういう打算無くするだろう。それはそれで素晴らしいが、やはり孫策の方が治める者としては上のように星は感じた。

「さすがは孫家の長と言ったところですな。民草の事を良く考えておられる。執務から逃げた方とは思えない」

「あはは、それは言わないでよ」

 星の言葉に笑顔で応じる孫策。そんな彼女へ星は不敵な笑みを返し、こう告げた。

「ですが、いいのですか? そんな風に自分の行動理由を話して」

「いいわよ。聞かれて困る事じゃないわ。みんな、そんな事どこかで気付いてるだろうしね」

 星の言葉に孫策は苦笑して答えた。それに星も頷き返すが、孫策へ静かに近寄りこう呟いた。

―――袁術の下にいるのが信じられないですな。貴方の方が政を上手く出来るだろうに。

 それに込められたのは、紛れも無い本心。孫策はそんな星の言葉に内心でやはりと思った。自分達の中にある気持ち。それを星は感じ取っていると。何故なら、その星の声にはどこか期待するような響きがあったからだ。
 星の性格を何となく理解している孫策だったが、それでも念には念を入れるべきかと思い、昨夜抱いたある気持ちもそれを後押しする。少ししんのすけと星には悪いがそうさせてもらおうと決意して、孫策は密かにある事を周瑜に相談しなければと思う。だがそれを表情には出さず、こう笑顔で問いかけた。

「ね、趙雲。この後はどうするつもり?」

「そうですな。少し探している物があるので、それを調べようかと思っています」

「調べ物? なら城に来なさいよ。書庫を使わせてあげる。それとうちの知恵者を一人紹介するわ。冥琳は仕事だから無理だけど穏なら……あ、陸遜って言うんだけど、今日非番でかなり物知りな子がいるのよ」

 孫策の申し出に星はどこか意外に思いながら感謝を述べた。孫策が自分としんのすけを気に入ったのは感じている。それでも、何か妙な感じがしたのだ。まるで、曹操の時と同じで嫌な意味で興味を引いてしまったような。
 だがそんな要素は無かったはずと、そう星は思ってまだそこまで警戒する事はないかと考える。しかし、最低限の警戒はするべきかとも思い、孫策へしんのすけ達と共に後で城を訪れると告げ、その場を後にした。

 その後姿を眺め、孫策は小さく呟いた。気付いたのだ。星が自分の申し出に裏があるのではと感じた事を。

「やっぱり趙雲も只者じゃない、か。出来る事なら穏便に進むといいんだけど……」



 孫策が手を回しておいてくれたのか、それとも門番が覚えていたのか。しんのすけ達はあっさり城の中へ入れてもらえ、廊下を歩いていた。すると周泰が突然現れ、星を書庫へ案内するようにと孫策に頼まれたと告げた。
 それに星が感謝を述べると周泰は笑顔で気にしないでいいと返す。そして視線を動かし、周泰は案内が終わった後シロと遊んでもいいかとしんのすけに尋ねた。今日は休みらしく、シロを一日中もふもふしていたいとの事。

「駄目でしょうか?」

「いいよ。シロ、しゅーちゃんに遊んでもらえるって」

「キャンキャン」

「ふむ、シロも異論はないようだ。では周泰殿、案内とシロの事を頼みます」

「はいっ!」

 星の言葉に心から笑顔を返す周泰。こうして周泰の案内でしんのすけ達は書庫へと向かう。星は中へと入り、しんのすけはシロを周泰へ預けた。周泰はしんのすけもと誘ったのだが、それを彼は断った。少し考えたい事があるとらしからぬ理由で。
 それを聞いて周泰も違和感を感じたが、それならとシロを抱えて素早くどこかへと消えた。それを見送り、しんのすけは自分はどうするかと考え始めた。星は調べ物をするだろうから邪魔は出来ないし、周泰とシロの邪魔もしたくなかったのだ。

 自分達がここに滞在するのはおそらく数日。であれば、周泰がシロと過ごす事が出来るのは限られた時間しかない。それを考え、しんのすけは今日は遠慮する事にした。周泰と友達になったからこそ、彼女の望む事を出来る限りしてあげたいと考えたのだろう。
 しかし、する事がないのも事実。なので、尚香に会いに行こうと動き出そうとしてその視線が廊下へ動いた。すると……

「お?」

 そこには一人の女性がいた。小さめの眼鏡を掛け、大きな胸を揺らしている白い肌の女性だ。女性はどうも書庫へ行こうとしているのだが、何かを抑えるように悶えていた。実は彼女はかなり知識欲が旺盛で、知る事に異常な興奮を覚えてしまうという変わった人物だったのだ。
 そんな彼女にとって書庫は魅惑の場所。今日、彼女は孫策に星の調べ物について協力するよう言われた。非番だったため出来れば遠慮したいと考えた彼女だったが、孫策が書庫に行ってもいいと言うと即座に了承した経緯がある。

「どうしましょ~。書庫に行くだけでも興奮するのに、雪蓮様の話だと趙雲さんって旅をしている方ですしぃ……私の知らない事を沢山教えてくれるかも……」

 そこまで考え、女性は大きく身震いをして体を左右に動かす。

「ああん! 困っちゃいます~!」

 その声の艶っぽい事と言ったら無い。それに声を掛けようとしていたしんのすけが立ち止まり、同じように体を左右に動かして叫んだ。

―――ああん! オラも目のやり場に困っちゃ~う!

 それに女性が気付き、視線を動かした。そこには彼女の揺れる胸を見てニヤニヤしているしんのすけがいた。

「あら? もしかして貴方がて……オホン。しんのすけさんですかぁ?」

「? そーだよ。オラが野原しんのすけ。お姉さんは?」

 思わず天の御遣いと言いそうになり、軽く咳払いをする女性。それにしんのすけは不思議そうな表情をするものの、名前を聞かれたので肯定するように名乗る。そして女性へ問い返すのも忘れない。もう手馴れた感さえあるやり取りだが、しんのすけにとっては綺麗なお姉さんの名前を知る事は大切なので、声は普通でも意味合い的には重要だ。

 女性はそんなしんのすけへ笑みを返し、明るい声で名乗り返す。

「私は陸遜。字は伯言ですよ。よろしく~」

「ローソン? お~、それはそれは……カラアゲ君一つお願いします」

「からあげ君? どなたの事ですかね? それとぉ、私の名前はろぉそんではなく陸遜ですよ~」

「りくそん? また間違えたや。ごめんくさい」

 毎度のように頭を下げるしんのすけ。それに陸遜はまだどこか不思議そうにしていたが、もう気にしてないからと返して頭を上げさせた。その間延びする特徴に気付き、しんのすけは小さく頷くと……

―――じゃ、オラ気にしないぞ~。

 と、同じように間延びしたような声で返すしんのすけ。陸遜はそれに苦笑して、しんのすけへある事を尋ねた。それは呼び方に関する事。既に尚香からしんちゃんと呼ばれている事を聞いた陸遜としては、自分もそう呼んでいいかと尋ねたのだ。
 それにしんのすけは即応。彼にとっては呼び方よりも、その相手と仲良くなれる方が大事。なので、そこまでこだわりはない。陸遜はしんのすけがすぐに許可を出したので、その名に対する考え方の片鱗を感じ取ったのか意外そうにした。

「ね、ならオラはりくちゃんって呼んでもいーい?」

「陸ちゃん、ですか? う~ん……せめて陸お姉さんにして欲しいですね~」

「りくお姉さんか。それでもいいぞ。呼び易いし」

「では、それでお願いしますねぇ」

 子供であるしんのすけにちゃん付けは抵抗があったのか、陸遜は別の呼び方を提案。それをしんのすけはそういう呼び方もあったかと納得し頷いた。陸遜もその反応に頷いて笑顔で返す。
 そして、しんのすけを連れ立って書庫へと向かう。だが、書庫に入った陸遜は、懸念していた症状に陥る暇もなく星から鏡の話を聞いて考え込んだ。不思議な伝承の残る鏡。そんな物に心当たりがなかったのもある。しかし、一番はその星の雰囲気にあった。

(不思議な鏡。一体何の目的で探しているのでしょう……? もしかして、それは趙雲さんの探し物ではなくしんちゃんの探し物なのでは~)

 天の御遣いと聞いているからこそ、陸遜は星の探し物がしんのすけに関係するのではないかと思った。星の話す袁紹が探している物との理由は、もう一つの袁家の事を知る彼女としても納得出来るものだった。それを星が探す訳は世話になったための礼みたいなものとの話も。だが、星の雰囲気からそう察した。

 星が袁家のために探すような相手に見えなかったのもあるし、もし仮にそうなら袁紹を通じて袁術へ働きかけているはずなのだから。だが、陸遜はそれを口にする事は無かった。下手な警戒心を与える訳にはいかないからだ。そう、今孫策達は何とかしんのすけを仲間にする事が出来ないかと考えているのだから。

 天の御遣い。それを手元に置く事がどれ程の力になるかを知らない周瑜や陸遜ではない。今は袁術の客将となっているために大っぴらには出来ないが、時が来ればそれを有効に活用し乱世に名乗り出る事が出来る。
 孫呉復興。そのために孫策を始めとする一部の者は、しんのすけと趙雲をどうするかを考えていた。出来る限り穏便に事を運びたい。袁術に悟られる事無く、自分達の下に置くために。孫策と周瑜、それに陸遜しかこの事は知らない。他の者達に教えると気付かれる可能性があるとばかりに伏せられている。

 陸遜はそんな事を思い出しながら、平然と星の問いかけに答えた。

「そうですねぇ……大陸に残る伝承の類にはそういう物もありますが、もしかすると趙雲さんの探す鏡はそういう物ではないかもしれません」

「と言うと?」

「例えばぁ、まだ見つかっていない物という事も考えられます。それに、袁紹さんはお告げで聞いたのですよね? なら、もしくは……」

 陸遜は少しだけ探りを入れる事にした。これで何か反応を見せれば、自分の感じた事が正しいと自信を持つ事が出来ると。そんな事も知らず、星は陸遜の言葉を待った。袁紹の夢話にしたのを少しだけ悔やみながら。

―――天界に関連している物だと考える事も出来ますし~。

 その言葉に星は一瞬息を呑んだ。だが、それを下手に誤魔化すのではなく、自分が恐れ多い物に手を出そうとしている事に気付いた風に装った。それは陸遜がある種の予想を抱いていなければ通用したかもしれない。もしくは、彼女が平凡な者ならばそのまま信じただろう。
 しかし、それを陸遜は見て確信した。星の探す鏡。それが天の御遣いであるしんのすけに大きく関る物だろうと。故に、そこからは鏡の話を天界から少し遠ざける。夢のお告げ自体があやふやな事もあるし、それだけで天界と結びつけるのも早計かもしれないと笑いながら言って。

「それにこの話。私もですけど趙雲さんも疑ってますよね?」

「まぁ、袁紹殿の夢ですからな」

「なら、有りもしない可能性もありますから。とにかく、私や冥琳様ではお役に立てそうにありませんね~」

 少し申し訳なさそうに陸遜は締め括り、星へ視線を向けて軽く頭を下げた。星はそんな陸遜に感謝で返し、資料に使った書庫の本を戻すべく動き出す。しんのすけは二人の話を聞いていたのだが、段々退屈して今は机に突っ伏して眠っていた。
 それを見て陸遜が小さく笑みを浮かべた。天の御遣いといってもそこらの子供と変わらない気がしたからだ。そして少しだけその頬を突いた。その柔らかい感触に陸遜は笑みを深めた。

「しんちゃん、起きてくださーい。趙雲さんが本を片付け終わったら、私達いなくなっちゃいますよ~」

「う~ん……一人は嫌だぞ……」

 陸遜の言葉にしんのすけは寝ぼけながらもその手を掴んだ。その意外な程強い力に陸遜は驚いた。まるでその手を決して離すまいとしているようだったのだ。陸遜は知らない。しんのすけがどれだけ孤独を恐れているかを。
 今の彼を支えているのは星とシロだ。しかし、厳密にはそれだけではない。今までの出会いと思い出もその力にしている。だがそれでも、それでも奥底にある寂しさはなくならない。

 両親と妹から離され、親しい友人達さえいない状況。それは初めてではない。だが今までの冒険では、必ずどこかで助けに来てくれた存在。その存在との長期の別れがしんのすけの心にどれだけの影を与えているのか。それを知る者はいない。そう、彼自身さえもそれを完全に理解してはいないのだから。

「片付け終わりましたぞ、陸遜……おや?」

「あ、趙雲さん。これ……」

 片付けを終えたと報告しようとした星だったが、陸遜へ向けた視線が捉えた光景に不思議そうな表情を見せる。それに陸遜がやや困ったような表情を返す。しんのすけの手がしっかりと陸遜の手を掴んでいる。
 それを見て星は小さく苦笑し、しんのすけを揺さぶって声を掛ける。起きないと置いていくぞ。そんな風に優しく声を掛ける星。それが姉のようにも母のようにも聞こえ、陸遜はどれだけ星がしんのすけを大事に思っているかを理解した。

 やがてしんのすけも目を覚まし、星はすぐに陸遜の手を離すように告げた。しんのすけはその言葉に視線を動かし、自分の手が陸遜の手をしっかり掴んでいる事を把握すると、嬉しそうに顔をにやけさせて二人を苦笑させた。

「りくおねいさん、このままでもいーい?」

「ちょっと困りますね~」

「しんのすけ、陸遜殿は休みを使って話を聞いてくれたのだ。早く自由にせねば申し訳ないぞ」

 その星の言葉にしんのすけは本当かと視線を陸遜へ向けた。それに陸遜が頷き、すまないがそうして欲しいと告げるとしんのすけは分かったとばかりに手を離した。そうして三人は揃って書庫を出た。陸遜はどこか後ろ髪を引かれる思いだったが、客人であるしんのすけと星に痴態を見せる訳にもいかないと強く言い聞かせる事で我慢した。

 そのまま陸遜は二人と別れ去って行った。星は陸遜が言った言葉を思い出し、前提が間違っているのかもしれないと思っていた。鏡はこの大陸のどこかにあるのではなく、しんのすけが帰るべき時にならないと現れないのではないかと。
 もしそうだとすれば自分達がしなければならない事は鏡を見つける事ではなく、しんのすけが役目を終えたと天に判断されるようにする事。つまり、乱世を止める事ではないのか。そう考え、星は小さく息を吐いた。それはため息ではない。自分の役目が分かったと思ったのだ。

(私はしんのすけと出会い、この大陸を救うために戦う事を宿命として生まれてきたのだな。この槍の才は、そのための天からの授かり物だったか)

 星は視線をしんのすけへ向ける。初めて出会った時はただの子供としか思わなかった。だが、話をする内にその異常さに気付き気にかけるようになった。他人でしかなかった自分と凛や風を強く結びつけ、正義の意味をもう一度見つめさせてくれた。
 それだけではない。自分だけでは出会えなかっただろう多くの縁。それを導き、繋いでくれたのだ。星はそう思い、しんのすけの頭へ軽く手を置いた。それにしんのすけが不思議そうに視線を向けた。

「どーしたの?」

「何、私はお前と出会った時に天命を授かっていたのだと気付いたのだ」

「てんめー? お店の名前なんてもらったの? オラの名前使うつもりなら、しよーりょーいちおくまんえんいただきます」

 しんのすけの言った内容に星は心から楽しそうに笑う。金額が分からんと言いながら星は歩き出す。しんのすけがそれもそうかと頷き、こっちではどう言えばいいのかと考え始める。その様子を眺め、星は柔らかい笑みを浮かべて空を見上げる。
 広がる青空。それをどこかで見ているだろうたいりく防衛隊の仲間達を思い出し、いつかその輪が繋がる事を想像して星は苦笑する。愛紗と稟が口煩くしんのすけを注意し、それを桃香と風が眺めて笑い、白蓮がしんのすけを嗜める。鈴々はシロと一緒になって遊び、自分はそんな周囲を見て酒を飲む。そんな平和な光景を。

―――……稟、風、お前達は今どこにいる?

 その何気ない呟きは、江東の風に乗って空へと消えた……



 書庫を貸してもらった事と陸遜を動かしてくれた事に感謝するべく、星はしんのすけと共に孫策の執務室を訪れていた。そこでは、孫策が周瑜に睨みを利かされながら結構な量の竹簡と戦っていた。それに桃香の姿を思い出して星は小さく笑った。ここまで似ている部分があるとは。そんな風に思ったのだ。

「少しよろしいですかな?」

「ん?」

「あ、趙雲じゃない! しんのすけも。いいところに来たわ」

 星の声に周瑜が視線を動かし、孫策が助かったと言わんばかりの声を出す。

「何か用か?」

「いえ、書庫や陸遜殿の事で礼をと思いまして」

「あは、律儀ね。ま、貴方らしいかも」

 星の告げた内容に嬉しそうに笑う孫策。周瑜も同意するように笑みを見せた。だが、すぐに二人はそれを消すと星へ視線を向けたまま、こう切り出した。大事な話があると。それに星は嫌なものを感じるが、しんのすけを自分の手元に引き寄せて聞く姿勢を取った。
 それに孫策が苦笑しつつ、その対応は正しいと告げる。だが周瑜がそれに続くように少し遅いがと告げた。それに星は舌打ちをした。部屋の外に気配を感じたのだ。それが城門で孫策を捕まえた甘寧のものと気付き、星は自分の迂闊さを呪った。

 孫策だけでも相手にするだけで精一杯なのに、そこに周瑜と甘寧もいれば一人ではしんのすけを守り切れない。そう分かってしまったからだ。しんのすけはまだどこか気付いていないようだが、星はもう気付いた。孫策達がしんのすけの正体を知っていると。

「私達に事を荒立てるつもりはないわ。まず、話を聞いてくれない?」

「……こんな風に騙し討ちに近い事をしておいて、ですかな?」

「それについては謝ろう。だが、我々もそれだけ真剣だと理解してくれ」

 星の言葉に周瑜がそう返すと、孫策も同意するように頷いた。星はまずは隙を窺う事を優先させるべきかと思い、それに理解を示した。そこから始まる話は至って単純だった。しんのすけ共々自分達の仲間になって欲しい。それだけだ。
 星はその直球の申し出にやや拍子抜けしたものの、表情を崩す事無く問い掛ける。断った場合どうするのかと。それに孫策が鋭い目を向けて問い返した。どうなると思うと。その声の感じで、星は最悪の展開になるかもしれないと思い始めていた。

「そうですな……私と孫策殿が相討ち。しんのすけがそちらの手に渡る事になるでしょう」

「あら? 私と相討ちになろうなんて考えてるんだ」

「最低でも、ですぞ。上手くすればこの場を切り抜けてみせます」

 孫策から漂う覇気に星は気圧されながらも、そう強気に返す。それは決して強がりではない。星には、最低でもそれだけは成し遂げてみせるとの思いが確かにあるのだから。それを理解したのか、孫策は目つきを更に細めて楽しそうに笑う。
 一方周瑜は、星の傍で一度として口を開こうとしないしんのすけを見つめていた。この場の異様な雰囲気は感じているにも関らず、孫策と星が放つ気を受けながらどこか平然としているのだ。それを意外に思いながら、周瑜は孫策へ嗜めるような声を掛けた。

「雪蓮、今は本題を片付けるぞ。すまんな趙雲。こちらとしては、お前達が害を及ぼさないのなら何かする事はない」

「……それを信じろと?」

「ああ。その言葉を違えないと亡き文台様の名に誓おう」

 周瑜がそう言うと星は一先ず信じる事にしたのだろう。孫策へ向けていた闘気を抑え、再び話を聞く体勢に戻った。孫策はそれにどこか残念そうな表情を浮かべ、覇気を消した。どうやら本気で星と戦おうと目論んでいたようだ。それを理解し、周瑜は内心ため息を吐いた。
 だがそれをおくびにも出さず、周瑜は星へ話を続けた。仲間になれないと言うのなら、せめてここで見た事や気付いた事を袁術に知られないようにして欲しい。代わりに自分達もしんのすけが天の御遣いだと知られないようにする。そう告げたのだ。

 星はそれにふむと顎に手を当て、少し考える振りをする。相手の利益と自分達の利益を天秤に掛けるようにしていたのだ。それが見合えば周瑜の言っている事を心から信じる事が出来る。だが、どちらかに傾けば怪しむべきだと。
 星達への利益は大きく二つ。この場から逃してもらえる事としんのすけの正体について黙ってもらえる事だ。孫策達の利益はたった一つ。袁術へ情報を漏洩しない事だ。だが、それで釣り合わないとは星は考えなかった。

(孫策殿達はいつか袁術から独立するはずだ。それを袁家に気取られないようにしているのは分かるが……ここまでとはな。つまり、あの袁家相手にそれだけ慎重になっているという事か……)

 念には念をとの事なのだろうと結論付け、星は息を吐いて頷いた。了解したと。仲間になる事は出来ないが、孫策達の事で気付いた事などは決してどこかで話したりしないと誓う。そう星は言い切った。
 更にそれだけでは信頼度に欠けると思ったのか、自分の槍としんのすけに誓うとまで言った。それに孫策と周瑜は呆気に取られたが、やがて小さく笑みを浮かべた。その様子を見て、それまで黙っていたしんのすけがやっと口を開いた。

―――ね、もうお話ししていい?

 その言葉に三人が揃って顔を見合わせ、すぐに笑い出した。どうして黙っていたのかと星が聞けば、あまりにも緊迫していたから極力喋らないようにしていたとしんのすけが返した。それに周瑜が意外と空気を読むのだなと言えば、孫策が道理で静かだと思ったとカラカラ笑う。
 そんな風に場の空気が和んだところで、しんのすけが三人へこう尋ねた。今のように自分が喧嘩の原因になったのなら、どうすればいいのかと。それに三人は揃って難しい顔をした。正確に言えば、しんのすけの言った言葉は正しくはない。喧嘩の原因になる事はもう無いと言えるのだから。

 しかし、しんのすけがキッカケで喧嘩になる事はある。それは天の御遣いと判明した時だ。孫策達は、実はもうそこまで強くしんのすけが欲しい訳ではなかった。これが成人男性であれば、子を成して天の血を入れた事を大陸中に喧伝する事が出来た。それを以って孫呉の権威を高めようと考えただろう。
 しかし、しんのすけは子供。手元にいてもそこまで天の御遣いと信じ込ませる要素が少なく、威厳もない。だが、それだけではない理由が孫策にはある。利用する気持ちを抱けなくなってしまったのだ。

 最初は利用しようと思っていたのだが、昨夜妹である尚香から聞いたしんのすけと過ごした話があまりにも微笑ましかった。それに、尚香が親しげにしんちゃんと言っていたのもそれに拍車をかけた。自分の初めての友人だと嬉しそうに語る妹の笑顔。それを見て孫策は思ったのだ。
 自分は幼い子供を利用しなければ独立出来ない訳ではないと。妹の友人を道具にする程、自分達は落ちぶれてはいないのだ。そう考えたからこそ、孫策は周瑜へ告げた。鋭い星が自分達から気付いた事に対する口止めにしんのすけの事を持ち出そうと。

 その裏にあるものをどこかで察したのか、周瑜は大きくため息を吐くと分かったと返した。彼女としても、しんのすけの利用価値の低さを理解していたのだ。そのため、一番いい利用法はそれしかないと判断したので、今の現状に至るのだ。

「しんのすけ、ちょっといいかしら?」

「なーに?」

「こんな事言えたもんじゃないんだけど、シャオとは友達でいてやって。あの子は何も知らないから」

「ほい!」

 孫策は一人の姉としてそう告げた。孫家の長ではなく、妹を思う姉の顔で。それにしんのすけは力強く返事を返す。それが安心させるように聞こえ、孫策は笑みを返す。星は孫策の天の御遣いに対する考えをどことなく察して、小さく息を吐いた。
 利用しようと思ったが、それが難しいと判断したと。星達でもヘルメットやフィギュアが無ければ同じ事を思ったのだから、そうなのだろうと結論付ける事が出来たのだ。

「そういえば趙雲、次はどこへ行くつもりだ?」

「そうですな。一度平原に行こうかと思っています」

「平原? 劉備が治めている所よね?」

「ええ。実は……」

 孫策の問いかけに星が答えようとしたのだが、それを遮るようにしんのすけが勢い良く割り込んだ。

―――桃香ちゃん達に会いに行くの!?

 それが劉備の真名だと気付いて、孫策達はしんのすけと星が彼女と深い仲だと察した。星はそれに苦笑しながら、お聞きの通り知り合いなのでと締め括った。その間もしんのすけは桃香達と再会出来るのかと嬉しそうにしていた。
 孫策と周瑜はそんなしんのすけに笑みを浮かべるも、星へ桃香の事を尋ねた。どういう人物なのかと。それに星は少し考え、不敵に笑ってこう言った。

―――孫策殿と気の合いそうな方ですな。一度会ってみる事をオススメしますぞ。

 それに孫策が楽しそうに頷き、周瑜が気の合いそうという部分でやや嫌そうな表情を見せた。その対照的な二人に星は浮かべた笑みを深める。しんのすけは話も終わったと見て尚香の部屋へ行ってもいいかと孫策達へ尋ねた。
 それに周瑜が、勉強をしていたら邪魔をしないように戻ってこいと告げた。それに元気良く返事をし、しんのすけは執務室を出て行った。それを見送り、星は孫策へこう言った。仲間になって欲しいと言われた事は忘れない。もし縁があれば、またこの地を訪れてその誘いを受ける事にすると。それに孫策は嬉しそうに笑みを見せて待っていると返すのだった……



 翌日、街を出るために歩くしんのすけ達の姿があった。次の目的地を桃香達の元に設定し動き出したのだ。これには、鏡に対する星の仮説が関係していた。今はない可能性がある物を探し続けるより、乱世を止めるための力を―――絆を手に入れるべきではないかと。
 曹操達の話で桃香達の下には新しい者達がいると分かった。その者達は軍師をしているので、そこからも情報を得る事が出来るかもしれないと考えたのもある。

 孫策達への別れは昨日の内に済ませた。尚香と周泰は寂しそうにしていたので、しんのすけがまた会えるのなら必ず来ると言うとシロがそれに同調するように声を出した。すると、周泰がシロを抱きしめその感触を忘れないようにさせて欲しいと告げた。
 一方、尚香は姉達と共に暮らす事になった際は一緒に遊べると思っていた分、余計にしんのすけとの別れが残念だった。それを雰囲気から察したしんのすけから、今度は色々な遊びを教えると約束されると、それに尚香は嬉しそうに笑顔を返す事が出来た。

 孫権はたった二日しか滞在しなかったにも関らず、尚香達と仲を深めていたしんのすけとシロに驚きを見せるも、次に来る時があればもう少しゆっくりしていってくれと告げた。それが妹に出来た友人への姉としての言葉だったのだろう。しんのすけはそれに嬉しく思い、力強く頷いた。
 甘寧は、孫権の言葉に素直な反応を見せるしんのすけに頷き、今後もそういう対応を心掛けろと告げた。それにもしんのすけが素直に返事を返すと、少しだけだが甘寧も視線を和らげて頷くのだった。

 一方星は、黄蓋から飲み仲間が出来たと思いもう少し楽しめると考えていた事を告げられた。それ故に早すぎると文句を言われ、苦笑。なのでいつか必ず共に飲もうと約束を交わし、笑みを見せ合った。
 周瑜と陸遜からは、今度はしんのすけから聞いた天の話を聞かせてくれと頼まれ、機会があればとだけ返した。それに二人は待っていると楽しみにするような声を返して笑った。

―――では、孫策殿。色々とありましたが、明日にはこの街を去りますので。

―――でも、きっとまた来るぞ。

―――キャン。

―――ええ、待ってるわ。その時はお互いにいい日になるといいわね。

 孫策はそう締め括り、最後までしんのすけ達を見送った。もっとも、その後すぐに周瑜によって執務室へと連れて行かれたが。

 そんな事を思い出して星が苦笑すると、しんのすけがそれに気付いてどうかしたのかと問いかけた。それに星が昨日の孫策の様子を思い出したと言うと、しんのすけもそれを思い出して頷いた。愛紗に連れて行かれる桃香みたいだったと表現するしんのすけ。それに星が同じような事を考えるものだと思い、嬉しそうにそうだなと声を返す。

晴れ渡る空の下、彼らは歩く。次はあの三人と再会を果たすためにと思いながら。
だが、その再会は望む形で果たされる事はない。次に訪れる街。そこで出会う者が彼らの余裕を無くす事をするからだ。
その名は袁術。そして、次なる戦乱を起こすキッカケとなる存在。彼女との出会いこそが、しんのすけに決断を迫る事となる……




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孫呉編終了。次回は蜂蜜姫。放浪編最後となりますので、ルートの選択を迫られる事になります。


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