推理小説ではブラウン神父はじめ聖職者の探偵役も活躍するが、実際に高位の司祭にして推理作家という人もいた。英国のR・ノックスはラテン語聖書の新訳で知られたカトリックの聖職者で、自身いくつもの推理小説を書いている▲小説の探偵役は神父ならぬ保険調査員だったが、司祭ノックスはブラウン神父シリーズの作家チェスタトンの葬儀を執り行った。その彼は推理小説を書く者が守らねばならぬ戒律である「ノックスの十戒」でも有名である▲「犯人は物語の初期から登場していなければならない」「探偵方法に超自然能力を用いてはならない」……読者に犯人を推理してもらう上で作家にフェアプレーを求める十戒だが、核心は「探偵が手がかりを見つけたときは直ちに読者に開示せねばならない」である▲44年前の布川事件で強盗殺人罪に問われ無期懲役が確定していた桜井昌司さんと杉山卓男さんの再審で無罪が言い渡された。検察側が2人の無実をうかがわせる目撃証言や毛髪鑑定結果を得ていながら当初の裁判では開示せず、証拠隠しが生んだ冤罪(えんざい)とされた事件だ▲2人の有罪の決め手とされた捜査段階の自白についても、それが記録された録音テープに編集が加えられていたことが明らかになった。これも自白の強要や誘導といった捜査の禁じ手が用いられたことを疑わせる。非合理的で強引な謎解きは推理小説としても失格だ▲人の一生を左右できる検察が犯罪の筋書きを描くにあたりフェアでなければならぬことは推理作家の比でない。真実に仕える聖職者としての信頼回復には、冤罪を防ぐための「戒」をさらに鍛えることだ。
毎日新聞 2011年5月25日 0時11分
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