松浦光修(皇學館大学助教授)
これに加えて、紛争が表面化する引き金となったのが、宮崎正治(つくる会前事務局長)だ。さしずめ彼は、文化大革命の黒幕として知られる「康生」か。
◆ソース同上
彼らの目的は歴史教科書ではない。政治的支配権そのものが狙いだ。そして、新田氏の早大大学院政治学科の後輩である八木秀次氏は会長である立場を忘れ、昨年10月頃から事実上このグループの一員となって行動している。
「四人組」は私に言わせれば「つくる会」の一角に取り憑いたガン細胞のようなものであって、放って置けばどんどん増殖するだろう。新しい理事として昔の組織の仲間を多数入れて、やがて八木氏も追い払ってしまうかもしれない。思い切って切除し、今のうちに強権で排除するか、それができなければ会そのものをスクラップにするしか、増殖を阻む手はない。Scrap and build againである。
一連の暴露記事で、西尾幹二は歯に衣を着せず、「ガン細胞」というコトバすら出てくる。上記のエントリのコメントには、「4人組+α」をさらに詳しく分析した投稿も出ていた。西尾幹二によれば、投稿者は「著作もある若い思想家」で、「背景の諸事情によく通じている人」であるという。
◆ソース同上 (投稿者:ストーンヘッジ 2006/4/20 22:45)
今回明らかになったつくる会の問題は、実はつくる会内部の問題だけではありません。もっと大きな保守界全体の問題であるということをまず指摘しておきたいと思います。まだこのブログ、ならびにインターネットの掲示板などでも指摘されていない重大な事実があります。それは、「なぜ宮崎正治事務局長を解任しようとしただけで、4人組(松浦光修、勝岡寛次、内田智、新田均)が反対したのか」というところに最大の鍵があるということです。<中略>
まず、西尾先生がお書きになられているように、昭和44年の全学協というものが発足したとあります。しかし、そのさらに3年前に通称、生学連、生長の家学生連盟という組織が作られていた事実に目を向けなくてはなりません。生学連とは宗教団体である生長の家の学生組織です。保守系の学生運動では強い力を保持していた団体でありました。その中心的人物が日本会議事務総長の椛島有三であり、日本政策研究センターの伊藤哲夫であり、今回辞任に追い込まれた宮崎正治つくる会事務局長だったのです。
また、あの4人組のうち3人は早稲田大学出身です。しかも3人とも同じサークルに属しており、そのサークルこそが早稲田大学ニューソート研究会というサークルだったのです。ニューソートとは生長の家の教えのことです。この組織は谷口雅春を教祖と仰ぎ、その思想を実践し、学生をオルグする集団です。生学連のトップだったのが長崎大学教育学部出身の日本会議事務総長の椛島でした。ちなみに、長崎大学は現在でも生長の家系のサークルが学生自治会を乗っ取っているという全国でも珍しい大学であります。大学自治会のほとんどは左翼に乗っ取られています。長崎大学教育学部自治会だけは生長の家のサークルが持っています。
個人的には、生長の家の「ニューソート(New Thought=新思考)」には好意的な印象をもっている。「思ったことは実現する」「この世の事象は、すべて潜在意識の表れ」のように考えるグループで、渡部昇一がペンネーム「大島淳一」で長年紹介してきたジョセフ・マーフィーも、これに分類される。
◆ソース同上
この生長の家系保守派学生運動の一連の流れの中で大きな力を持っていたのが早稲田大学、九州大学、長崎大学の3校でした。そのうちの早稲田大学出身なのが勝岡寛次、内田智、新田均です。新田均と内田智は同学年、一つ上の学年なのが勝岡寛次に当たります。彼らの運動方針に「生学連の会員は、谷口哲学と生学連運動方針に対し絶対の忠誠を誓う誓約者でなければならない」いうものがあります。さらに、「生長の家の教えを理論化するのが教育学だ」と説くのがあの高橋史朗です。高橋史朗は今回辞任した宮崎正治事務局長の早稲田大学時代の後輩に当たり、つくる会の内部においても宮崎事務局長は高橋史朗を「高橋君」と呼んでいたのはその所以である。<中略>
さらに言うと、生学連が大きく発展してできた組織が日本青年協議会です。30周年を迎えた団体であり、この日本青年協議会が日本会議を実質的に動かしています。その証拠に日本会議と日本青年協議会の住所を見比べると、同じマンションの同じ階になっています。そのことからも察して頂けると思います。
従って、生学連のトップを務めていた椛島事務総長が日本会議を仕切り、生学連の流れを組む日本青年協議会が日本会議を仕切っているとあっては、今回の一連の行動は幕屋云々や他の宗教団体などという問題では全くありません。これはあくまで生長の家の問題なのです。彼らの意識の中では当初からつくる会よりも日本会議、さらにそれを動かしている日本青年協議会こそ第一に置く見方をしていたのです。彼らは「日本会議を動かしているのは我々日本青年協議会である」という意識を常に抱いて行動しています。その日本青年協議会のあくまで「出先機関」としてつくる会を考えていたわけです。彼らの一人が言ったセリフで「つくる会の執行部に西尾と藤岡を据えているのは客寄せパンダになるからだ。私たちが実質的につくる会を動かしているんだ」と言っているのを聞いたことがあります。
つまり、今回の宮崎正治の辞任問題に関して言えば、いわば「出先機関の客寄せパンダごときが本部のお目付け役をクビにするなどとはどういうことか!」というのが今回の真相なわけです。ですからつくる会は、初めのうちは心ある知識人の「日本の歴史教科書を良くしよう」という心から始まった活動だったのが、知らず知らずのうちに生長の家グループの組織構造の中に投げ込まれていったというのが真相であります。
この件は、私も「つくる会」と「日本会議」を支える、宗教団体の顔ぶれを書いたときから、気になっているものである。
◆ソース同上
生長の家がなぜ危険なのかと言いますと、いわば一種のカルト的要素を保持しているというところです。戦前の八紘一宇の精神をさらに突き詰めて、「天皇国日本の下に全てを従える」という独善的な発想があるのです。そのことを指摘しておかなければならないと思います。<中略>
なお、現在は生長の家本体と日本青年協議会や日本会議との関係は非常に弱くなっています。その背景には谷口雅春の死去後に教団を継いだ2代目と3代目が左翼的思想の持ち主であり、谷口雅春の本を次々に廃刊に追い込んでいるという事実があります。いわば谷口雅春的な右派から政治色を除いた純宗教的な左翼的宗教になっているのです。そのあたりの確執から生学連は生長の家という名前を捨て、日本青年協議会あるいは日本会議という組織に生れ変わり未だに保守界の中で活動しているのです。
生長の家の2代目は、「天皇教」をやめて、むしろ「左翼」に転向してしまっている。
◆絶版は一出版人として納得できない!
『台湾人と日本精神』の文庫本(小学館)が復刊されるという『産経新聞』(8月3日朝刊)の記事を読み、さっそく書店で買いました。平積みの文庫復刻版を手にしている若者の姿を目にし、「これで多くの人が読むことができる」という安堵感とともに、「なぜ、こんな素晴らしい内容の本を“絶版”にしてしまったのか!」と、改めて日本教文社と生長の家に対し、悲しみと怒りがわき上がってきました。
『産経新聞』の記事によれば、関係者らは「復刊できてホッと」しているとのことだが、これで3月の絶版事件を引き起こした日本教文社と生長の家の責任が回避されるわけではない。今回の復刊実現に力を尽くされた小学館の雑誌「SAPIO」の竹内編集長の「蔡さんは日台の懸け橋としてかけがえのない人。その著書を日本の読者の前から消し去ることは、一出版人として納得できない。」というコメントや、「私の気持ちはまったく変わっていません。国を愛し、先祖を愛し、日台友好のために死ぬまでがんばらせてもらいます」という蔡焜燦氏の談話を読むにつけ、著者の権利を一方的に踏みにじった日本教文社と生長の家の谷口雅宣副総裁の犯した罪は重いと言わざるを得ない。
日本教文社は生長の家の出版社である。台湾語でいう「日本精神(リップンチェンシン)」のことを書いた本だが、出版の準備が順調に進んでいたところが、「政治には関わらない」という2代目さま(=谷口清超)と3代目候補さま(=谷口雅宣)のご意向で、出版が中止されたという事件だ。詳しく知りたい方はこちらへ。
◆生長の家
谷口雅宣先生は祖父・谷口雅春先生の右翼的な主張(明治憲法復興、天皇信仰)を退け教義を現代化する動きを見せており(右翼的な思想を残すことは教団の世界進出にあたり、とくに韓国・中国への布教に対して大きな障害となるため)、これがもとで古株の信者の間では谷口雅春の思想に立ち返る「原理主義」運動が起こり、後継者・谷口雅宣に帰依する者との間で紛争が起きているという・・・。
そこで初代・谷口雅春の原点に戻ろうという強力な復古運動の部隊が「生長の家学生連盟」(生学連)であり、そのトップにいるのが日本会議事務総長の椛島有三や、つくる会元事務局長の宮崎正治ということになる。
問題の「四人組」が属するグループを「カルト」と呼んでいいのかどうかは、議論が分かれるところだが、「つくる会」=「生長の家・天皇崇拝主義」となってしまうのは、さすがにまずいのではないか。
■追加:カルトといえば・・・・