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「水俣病、繰り返さないで」胎児性患者の坂本さんが訴え

2011年1月24日

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写真:各国の交渉官の前で、被害の実情を訴える胎児性水俣病患者の坂本しのぶさん(左から2人目)=23日午後、千葉市美浜区、遠藤啓生撮影各国の交渉官の前で、被害の実情を訴える胎児性水俣病患者の坂本しのぶさん(左から2人目)=23日午後、千葉市美浜区、遠藤啓生撮影

 水銀の工業利用や、大気への排出を規制する新条約に向けた国連会議を前に、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさん(54)が23日、千葉市の関連会合で、未曽有の水銀被害の恐ろしさを訴えた。国連人間環境会議が開かれたストックホルムで、水俣病被害を訴えてから39年。条約の政府間交渉委員会は24日にスタート、水銀の国際規制がようやく動き出す。

 「絶対に、水俣病と同じようには、なって、ほしくありません」。一語一語、全身から絞り出すような坂本さんの言葉に、200人近く集まった各国の交渉官らは静まりかえった。

 水俣病が公式確認された1956年、水俣市に生まれた。言語障害、手足の硬直。胎児のころにメチル水銀におかされ、生まれながらに障害を負った。「私には夢がありました。水俣病にならなければ、保育園の先生になりたかった」。ひときわ大きな声になった。

 胎児性患者は、死亡者も含めて60人以上とされる。だが本格的な調査は行われず、被害の実態は未解明だ。

 坂本さんは認定患者である母のフジエさん(84)と暮らし、支援者らが開設した共同作業所「ほたるの家」に通う。「お母さんもずっとおれたらいいと思うが、将来が心配です」と語った。

 15歳だった72年、人間環境会議が開かれたストックホルムへ。自らをさらして被害を訴える姿は、世界に衝撃を与えた。会議では「人間環境宣言」を採択、国際的な環境保護体制が動き出した。しかし水銀汚染による被害はその後も相次ぎ、フィリピンやブラジルなどの途上国では、金鉱山で水銀を手作業で扱うなど貧困層の健康被害が問題になっている。

 水銀規制の国際交渉は09年2月、150カ国以上が新たな条約をつくることで合意した。条約は13年の調印を目指し、5回の政府間交渉委員会を予定。2回目の今回から本格交渉が始まる。日本政府は水俣病から得た教訓を世界に発信したいと、この条約を「水俣条約」と名付けるよう提案している。

 坂本さんの話を聞いたブラジル政府代表団のビエラ・ソブリーニョさんは「水俣病患者が十分な支援を得られずに、まだ苦しんでいるとは。水銀は管理が必要な恐ろしい物質だと改めてわかった。彼女のことは、一生忘れないだろう」と話した。(磯部佳孝、山口智久)

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