2011年1月31日3時16分
延長後半、ゴールを決め控え選手らに祝福される李忠成(左から2人目)=西畑志朗撮影 |
(29日、サッカーアジア杯決勝 日本1―0豪州)
自分自身でも驚く、美しいゴールだった。左サイドの長友からのクロスにあわせ、ボレーシュート。李は韓国から国籍を変えて4年。幼い頃から夢見た代表初得点は、優勝を決める決勝点だった。
日本代表で2試合目。延長前半、出番は初戦のヨルダン戦以来20日ぶりだった。試合に出てなくても「良いプレーをしている。気持ちを保ってくれ」とザッケローニ監督から言われ、「もう一度チャンスはある」と信じていた。
延長後半4分、ほんの一歩の小さなフェイントで豪州のDFが大きく振られ、マークが空いた。ベンチで「相手は疲れている。ちょっとの動きで外せる」と分析していた通りだった。左足を振り抜くと、シュートは一直線でゴールへ。GKは一歩も動けなかった。「あんなきれいなゴールは一生取れない」
在日韓国人4世。国籍を変え、「イ・チュンソン」から「り・ただなり」になったのは2007年2月。北京五輪を目指す22歳以下日本代表の反町監督から興味を示されたのがきっかけだった。幼い頃から日本代表にあこがれ、三浦(横浜FC)の得点後のパフォーマンス「カズダンス」をまねていた、普通の日本に住む少年。日本代表を目指すのは違和感はなかった。
国籍を変えても、日韓両国を大切にしている。日本の通名「大山」があってもあえて名字で「李」を残したし、準決勝の韓国との対決は「(韓国代表にもあこがれていただけに)心が痛んだ」という。
「日本に生まれ、日本の文化で育ってきた。だから日本代表のメンバーとして優勝できて最高の幸せ」。この日は「日本人」としての喜びを爆発させた。(河野正樹)