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東日本大震災:福島第1原発事故 崩壊した「ゼロリスク社会」神話=中川恵一

 ◇放射線被ばくの試練、プラスに

 これまで日本は「ゼロリスク社会」だといわれてきた。この言葉は「(生存を脅かす)リスクが存在しない社会」ではなく、「リスクが見えにくい社会」を意味する。そもそも生き物にとって、死は最大のリスクといえる。私たちに「リスクが存在しない」はずがないのだ。

 たしかに、急速な近代化や長寿化など、さまざまな要因が重なった結果、私たちはリスクの存在に鈍感になっている。日本人の半数が、がんになるというのに「がん検診」の受診率は2割程度(欧米は8割)にとどまる。根底には、私の恩師の養老孟司先生も指摘する「死ぬつもりがない」といった歪(ゆが)んだ死生観があるのではないかとも思う。

 しかし、ときに「垣間見える」リスクに対して、日本人は過敏な反応を示すことがある。たとえば、抗菌グッズやアンチエージングが大人気なことが代表的な例だろう。リスクへの、こうした両極端な反応は、まさにアンバランスだ。

 今回、東京電力福島第1原発の事故で、突然降ってわいた「放射線被ばく」というリスクに、日本全国が大騒ぎをしている。この社会に「リスクなどない」と「信じてきた」日本人にとって、まさに青天のへきれきのようなものなのだろう。

 放射線被ばくのリスクは、一言で言えば「がん死亡率」の上昇だ。200ミリシーベルトの被ばくで、がん死亡率は最大1%程度上昇する可能性があると考えられている。しかし、私たちの身の回りには、放射線以外にも「がん死亡率を高める」リスクが存在する。たとえば、野菜は、がんを予防する効果があるが、野菜嫌いの人の発がんリスクは100ミリシーベルト程度の被ばくに相当する。受動喫煙も100ミリシーベルト近いリスクだ。

 また、肥満や運動不足、塩分摂(と)りすぎは、200~500ミリシーベルトの被ばくに相当する。たばこを吸ったり、毎日3合以上のお酒を飲むと、がん死亡のリスクは1・6~2倍上昇するが、これは2000ミリシーベルトの被ばくに相当する。つまり、放射線被ばくのリスクは、他の巨大なリスク群の前には「誤差の範囲」といえる程度だ。特に、100ミリシーベルトより少ない放射線被ばくのリスクは、他の生活習慣の中に“埋もれて”しまい、リスクを高めるかどうかを検証することができないとされている。

 ただし、喫煙や飲酒などは(リスクと知らない場合も多いかもしれないが)、“自ら選択する”リスクといえる。一方、原発事故に伴う放射線被ばくは、自分の意志とは関係ない“降ってわいた”リスク。放射線被ばくは自分では避けられないという意味で、受動喫煙に近いタイプのリスクといえるだろう。

 「ゼロリスク社会・日本」の神話は崩壊した。しかし、今回の原発事故は、私たちが「リスクに満ちた限りある時間」を生きていることに気づかせてくれたとも言える。たとえば、がんになって人生が深まったと語る人が多いように、リスクを見つめ、今を大切に生きることが、人生を豊かにするのだと思う。日本人が、この試練をプラスに変えていけることを切に望む。(なかがわ・けいいち=東京大付属病院准教授、放射線医学)

毎日新聞 2011年5月25日 東京夕刊

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