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小説・人間革命 第7巻  

2011年 05月 25日

                ◇創価学会の発展と学会本部の移転。
立宗700周年の翌年。
創価学会は、未曾有の発展を遂げる。
前年、創価学会は、2万世帯の規模であったが、昭和28年には7万世帯へと急増した。
1年間で、5万世帯もの本尊流布が行われたのである。
その急速な世帯増加の中、西神田の学会本部が信濃町に移転した。
価格1050万円、改造費200万円で完成した本部は、土地面積275坪、建坪207坪の3階建ての木造モルタルの洋館であった。これは、某国大使の公邸の売却に伴い、創価学会が購入したものである。
昭和28年11月13日の正午、旧学会本部から新設された信濃町の本部に、大法弘通慈折広宣流布の創価学会の御本尊が移され、2階の70余畳の大広間に奉安された。
信濃町の新本部は、戸田城聖を導師として、勤行、唱題をもってスタートしたのである。
新本部移転から4日後の11月17日のこと。
信濃町本部の2階の広間で、初代会長牧口常三郎先生の十回忌の法要が営まれた。
戸田城聖は、牧口常三郎の価値論を書籍として発刊し、同時にその内容を英訳させ、世界各国の大学に寄贈する準備を進めていた。
戸田は、発刊されたばかりの「価値論」を手にしながらマイクの前に立った。
「(牧口)先生は、じつに純粋な真面目そのものの方でありました。それほど立派な人が死なれた所は、牢獄の中である。(中略)私は弟子として、先生の遺された大哲学を世界に認めさせなければならない。私の代にできなかったなら、諸君たちがやってください。頼みます!」
師の栄光は、弟子によって決まる。
牧口先生の人生は、弟子の戸田先生によって今も燦然と輝いている。
年末、戸田城聖は、一人、自宅の書斎で机にむかっていた。
聖教新聞に投稿するための「小説・人間革命」の執筆のためであった。この小説は、やがて、池田先生が受け継ぎ、世界の人々を魅了する偉大な小説へと昇華する。
戸田城聖は、初稿を書き終えた。そして、牧口常三郎のことを偲び、将来のことを思案した。
「来年、15万世帯になる。そして、その次は‥」
厳密な戸田の計算は、75万世帯に及んでいた。
戸田先生の小説・人間革命の記事は、→ここをクリック!


      

第7巻に登場する学会本部は、1963(昭和38)年9月1日に新本部に生まれ変わりました。
その新本部も47年間の使命を終え、現在、次なる学会本部が建設中です。
完成は、2013年11月が予定されています。
過去の学会本部の映像(2010年12月)は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2011-05-25 05:47 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(4)

小説・人間革命 第6巻  

2011年 05月 19日

              ◇日蓮大聖人の立宗宣言から700年後の宗門。
昭和27年。
富士大石寺で、立宗700周年の記念慶祝大法会が行われた。
式典は、4月24日・25日と、4月27日・28日の4日間、2回に分けて行われ、第一次には、法華講員2500名、第二次には、創価学会員4000名が参加した。
日蓮大聖人は、次のように仰せである。
------------------------------
「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(910頁)
「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(1359頁)
------------------------------
歴史を学ぶとき、昔が新しいという見方がある。
事実、大聖人は、いつも私たちの先端にいらっしゃる。私たちは、後継の弟子である。
立宗700周年の祝賀に、戸田城聖先生は獅子吼された。
「700年後の今日、時は今であります。私は出獄以来、まず、7年にわたり責務を遂行し、きょう諸君と共に登山できましたことを誇りとしたいのであります!」
戸田城聖率いる創価学会。戦後7年にして、広宣流布の基盤が完成した。
未来万年に渡る御書全集の発刊され、この700周年を勝ち飾られた。
集いし4000名の創価の人々。
そこには、殉死された牧口常三郎先生の墓石と、苦難を生きて乗り越えられた戸田城聖がいた。そして、第三代会長となる山本伸一こと、池田大作がいた。
何という巡りあわせであろう。何という不思議であろう!
しかし、魔は天界に住むのであろうか。
その輝かしい700周年の大石寺に、黒い影がくっきりと描き出される。
神本仏迹論(しんぽんぶっしゃくろん)という邪説を唱えて暗躍した笠原慈行(かさはらじこう)の破折によって、創価学会は宗門から厳しい処分を受ける。
戸田城聖への宗会の決議は、次の内容であった。
------------------------------
一、所属寺院住職を経て謝罪文を出すこと
一、大講頭を罷免す
一、戸田城聖氏の登山を停止す
------------------------------
戦時中に、国家神道への迎合に反対し、獄中の身となった戸田先生。そして、出獄後、宗門に赤誠を尽くされた戸田先生。その偉大なる広宣流布の中心人物を処罰し、元凶たる笠原慈行を処罰しない宗門。学会員は激怒した。
実は、この時代から、すでに、「僧侶が上、檀家は下」という、大聖人の仏法にはあるまじき毒素の種子が宗門内に生じていたのである。
僧侶は神聖なる存在‥。それは虚像である。
むしろ、神聖という虚像が、人々を堕落させるのだ。
宗門と創価学会との間に生じたこの事件は、半年後に解決したかに見えた。しかし、宗門の権威主義の体質は変わらなかった。やがて阿部日顕の出現を赦し、C作戦へと暴走するのである。
創価学会を切り、池田先生を切った宗門。
その歴史的事実は、永遠に消すことはできない。
宗門の使命は、魔僧日顕の出現によって終焉したのである。

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# by sokanomori | 2011-05-19 21:21 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(21)

小説・人間革命 第5巻  

2011年 05月 07日

            ◇戸田二代会長の就任と真実の創価学会の誕生。
昭和26年5月3日。
第二代創価学会会長の推戴式が、日蓮正宗常泉寺で行われた。
戸田城聖先生、51歳の御時であった。
この席上、戸田城聖は、「創価学会の発迹顕本」について述べている。
過去の創価学会、なかんずく、過去の戸田城聖と決別したのである。
事業家としての過去を捨て去り、「宗教法人・創価学会」の代表として、ただ広宣流布の大願を成就するためにのみ生き抜くことを宣言した。
以下は、有名な戸田先生のスピーチである。(抜粋)
-------------------------------------
現代において、仏と等しい境涯に立ち、この世界を心から愛する道に徹するなら、ただ、折伏以外の方法は、すべて何もないのであります。
私は、広宣流布のために、この身を捨てます。
私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします。
もし、私の願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。
遺骸は、品川の沖に投げ捨てなさい。よろしいか!
-------------------------------------
山本伸一は、聴衆の中から、この戸田の宣言を聞いた。
伸一は決意する。「絶対に勝たねばならぬ。負ければ、こちらが滅びるだけだ。生涯、一瞬の油断も許されぬ」と。
この5.3以降、戸田の会長就任期間は、わずか7年に過ぎない。この短期間に、創価学会は76万5000世帯の折伏を達成することになる。世にいう折伏大行進である。
この年、創価学会は、かねてから「宗教法人」設立を申請していたが、11月1日をもって宗教法人としての広告を済ませている。
さらに、「立宗700年」の記念事業として、御書全集の編纂を実行した。
日蓮大聖人の御書発刊は、創価学会と日蓮正宗・堀日亭御隠尊猊下が、力を合わせて編纂した大事業であった。この翌年の昭和27年4月24日、世界宗教の経典である御書が出版された。立宗700周年記念式典の3日前の出来事であった。
戸田城聖は語っている。
「今になって不思議に思うことは、私が出版事業の経験を積んできたことだ。この過去の経験が、この御書一冊を作るためにあったと思いあたり、じつに不思議に思うばかりです」
池田先生は、戸田二代会長について次のように記している。
「戸田城聖の晩年わずか7年の充実した活動は、まさに百年にも相当するものである。してみれば、人生の一生の重さを計る基準は、単に生きた年数の長短によって決するものではないということである」
わずか7年が百年に値する‥そのような金剛の人生がある。
今、私も51歳になった。日蓮大聖人が佐渡の地で発迹顕本され、戸田先生が会長に就任された年齢になった。嗚呼、不肖なりといえども、私も創価の端くれである。
心新たに、広宣流布を果たしてまいります。頑張ります!

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# by sokanomori | 2011-05-07 00:26 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(10)

小説・人間革命 第4巻  

2011年 03月 03日

            ◇苦難をどのように受け止め、どのように開くのか。
昭和24年。
戦後沈黙していた大手出版会社が次々に復活。このことが原因して、戸田城聖の出版事業の返本率が急激に増加した。秋には莫大な赤字となり、事業は中断した。さらに、もう一つの信用組合事業も、翌年夏に破綻する。
下記は、巻末の壮絶な戸田城聖の苦悶のシーンである。
----------------------------------------
昭和25年秋、戸田城聖は大石寺にいた。
丑寅勤行を終え、深夜、戸田は一人、大御本尊が安置されている御宝蔵前の石畳の上に単座し、静かに唱題を開始した。
何故、事業が破綻したのであろうか。
彼は悟る。牧口先生は価値論から日蓮大聖人の仏法を説明した。戸田自身は、天台の「摩詞止観」の精密な理論で大聖人の仏法を講義した。加えて、戸田は、創価学会の再建ために、事業と信仰という二足のワラジを履いていた。彼は、組織の躍進より、経済基盤の確立を急いでいた。
戸田は、自らの誤りに気付く。真実の日蓮大聖人の仏法の広宣流布、真実の創価学会の構築が、己の使命であるとを再認識する。
(翌年、戸田城聖は会長に就任し、75万世帯の折伏大行進を開始する)
昭和24年秋から、山本伸一は通っていた夜間大学を休学した。やがて戸田から、大学を断念することを勧められる。戸田城聖は言った。「伸、心配するな。ぼくが大学の勉強を、みんな教えるからな。学校は、ぼくにまかしておけ」
有名な戸田大学の開校である。
戸田大学の過去の記事は、→ここをクリック!
戸田は、さらに伸一に言った。「仏法は勝負だ。男らしく命のある限り、戦いきってみよう。生命は永遠だ。その証拠が、必ず何かの形で今世に現れるだろう」
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この第4巻には、経済苦の2年間が延々と描かれている。
人生には苦難もあれば敗北もある。努力が報われないこともあるだろう。その現実を、後世に知らしめるための辛酸だったのであろうか。
ともかく、この苦難の中から、「仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の広宣流布の大道」が開け、真実の創価学会が誕生するのである。この苦難は、同時に、信心に不純な野心家をすべて離反させ、純真なものだけが創価学会に残るという「体質の変化」をもたらした。
そして、山本伸一と創価学会を強固に作り上げるのである。
苦難。その辛労が人間を鍛え、組織を作る。
私たちは、このことを忘れないようにしたい。

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# by sokanomori | 2011-03-03 23:02 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(12)

小説・人間革命 第3巻  

2011年 02月 19日

                 ◇晩年からでも人生は変えられます。
この第3巻には、「あとがき」がある。
池田先生は、あとがきに次のように述べられている。
「第3巻執筆にあたっては、史料の収集調査の段階で、多大の時間を要してしまった。とくに極東軍事裁判の問題を扱うにあたって、どうしても数千ページにも及ぶ、厖大な史料を読破しなければならなかった」
池田先生のご執筆が、どれほどのご心労、ご努力であられたかが窺い知れる文章である。
池田先生は、未来永劫に創価の原点を書き残そうと決意されたに違いない。

第3巻には、昭和23年の内容が収められている。
ここには、様々な体験が描かれている。
貧困、病気、人間関係の悪化、失業、戦争、離婚問題‥。あらゆる立場の人が、あらゆる不幸に悩み、御本尊に祈り、見事な宿命転換を果たしていく。
その中に、1人の老婆の体験がある。
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彼女は、中山法華経寺の熱心な信者であった。
鬼子母神(きしもじん)を数十年に渡って祈り、法華経と聞けば、様々な会合に出向いた。
彼女は、戦前に創価学会の座談会に出席して折伏されたが、入信はしなかった。
ほどなくして、彼女に不幸が訪れる。
夫が階段から転落して死亡した。次に、空襲で彼女の自宅が焼失した。
この時、同居していた娘夫婦が焼死。彼女は、家族と全財産を失ったのである。
唯一残された孫を守るために彼女は行商をしたが、やがて家の外に姿を現さなくなる。ひたすら、鬼子母神を拝むようになった。彼女は人生に疲れ果てたのだ。
年老いた彼女は、山に行けば、林の奥で死にたいと考え、海を見れば断崖から身を投げたいとの誘惑にかられた。地獄のような晩年になろうとしていた。
このとき、彼女は、6年前の座談会で聞いた「罰論」を思い出す。
「これが、罰であろうか‥」
再び、学会員から声をかけられた。誘われるままに座談会場に行くと戸田城聖がいた。
「同じ題目を唱えてきたのに、どうして幸せになれないのか」と問う彼女に、戸田は言った。
「あなたが悪いのではない。鬼子母神という本尊が悪いのだ」
彼女は再び問う。「あんたたちの御本尊は、そんなに正しいのか?」
戸田は答えた。「この世で、たった1つの正しい本尊です。1年、ちゃんと信心してみれば、いやでもわかる。戸田は嘘をつかんよ」
彼女は、鬼子母神を捨て、創価学会の信仰を開始した。
やがて、彼女は元気になった。行商の売り上げも飛躍的に上昇した。
そして彼女は、10年も若返ったかと思われるほど晴れやかな姿になり、学会の中堅幹部として活躍するまでになる。
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この老婆を蘇生させ、若返らせ、歓喜と福運の人生へと変革するシーンこそ、真実の力ある宗教の証左である。

私は26歳の時、この第3巻を繰り返し読んだ。
この巻には、離婚問題を抱える男性への指導が描かれている。
妻のことで悩む男性に対し、戸田先生は次のように言われた。
「男らしい信心に立ちなさい。そして、力ある人生を生きることだ。あなたの想像を絶した、実に見事な解決が必ずできる。それには、題目をあげきることです」
当時、私は、半信半疑で繰り返しこの文章を読んだ。
不思議なことであるが、私も「想像を絶する見事な解決」を得たのである。
当時の私の体験記事は、→ここをクリック!

皆さま。この第3巻の功徳の体験について、どのようなご意見をお持ちですか。
私は、当時の沢山の功徳の原因を、「強い信力」と見ています。
私の祖母もそうでしたが、草創の学会員は命懸けの唱題をしました。
私自身も、本気で唱えた祈りは、全て叶いました。
今、苦しい局面にあるなら、是非、「大信力」を奮い起こし、1年間、本気で祈り行動して欲しいです。戸田先生が言われる「1年、ちゃんと信心してみれば、いやでもわかる」という真意を、掴んでいただきたいからです。

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# by sokanomori | 2011-02-19 21:01 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(6)

小説・人間革命 第2巻  

2011年 01月 25日

                ◇価値論から、生命論・功徳論へ転換。

以下に、第2巻のあらすじを示す。
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昭和21年9月、戸田城聖一行7名は、栃木・群馬への地方折伏へ向った。
当時、創価学会を知る人は皆無だった。3日間で5人の新入会員が誕生した。
11月、新生日本の象徴たる日本国憲法が制定、広布された。国民主権、戦争の放棄、信教・言論の自由が保障された。
同月17日、神田で牧口先生の第三回法要が行われ、加えて戦後第1回目の総会が開催された。参加者500名以上であった。この年だけでも、新しい入会者は200名以上に達した。
創価学会は、都内10ヶ所、地方5ヶ所の計15支部が結成されるに至った。
総会では、15人から体験談が語られた。戸田は、生命論と体験談を根本に布教の指揮をとったのである。
食糧の絶対量が不足していた暗黒の時代。浮浪者が巷に溢れ、刹那主義、排他主義が横行していた。この中にあって、創価学会だけが希望の前進をしていたのである。
この翌年の昭和22年(8月14日)に、山本伸一(池田大作)は座談会に出席、生涯の師となる戸田城聖と巡り合った。伸一19歳、戸田47歳であった。
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この昭和21~22年は、終戦直後の動乱期である。
創価学会の再建を知った学会員が、戸田のもとを訪れ指導を受けた。戸田の生命論と、急速な事業の成功を目の当たりにして、皆、歓喜し、信心を再開した。
注目したいのは、体験談が創価学会の大前進を支えたことである。
栃木での地方折伏の講演会でも、人々の心を打ったのは、1人の平凡な主婦の体験談であった。
「孤児として育ち、不幸のどん底で(戦前の)創価学会に入会しました。周囲の反対の中で愚直に信心を貫きました。驚いたことに、東京大空襲の焼け野原に、我が家の工場と近隣の6軒だけが無傷で残ったのです」‥
体験は、聴衆の心を揺さぶった。
仏法対話の基本は今も変わらない。文証より理証、理証より現証である。
体験談は、折伏のエンジンであり、創価の宝である。
戸田城聖は、あらゆる会合で、体験を語らせた。
当時、信心を始めたばかりの人々が、途方もない功徳を受けていた。
その功徳の源泉とは何だったのか。
私は、信力と祈りの強さにあったと思うのです。

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# by sokanomori | 2011-01-25 21:36 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(4)

小説・人間革命 第1巻  

2011年 01月 14日

                ◇壮大な広宣流布の物語のスタート。
小説・人間革命。
この小説は、幾多の創価学会員が最も敬愛する書籍の1つである。
池田先生は、会長就任から4年後の1964年(昭和39年)12月2日、まだアメリカの占領下にあった沖縄で最初の原稿を書かれた。当時、ベトナム戦争で沖縄は最大限に活用されていたし、最終的に沖縄の米軍基地からB52戦略爆撃機が出撃して北爆も行われた。
戦争が終わらない沖縄の地で、池田先生は決然と執筆を開始されたのである。
この小説の前書きには、次のように書かれている。
「(戸田)先生の真実の姿を永遠に伝えるために、心をくだかねばならぬ」
師匠の真実の姿と、当時の創価学会の歴史を未来永劫に残すために、池田先生はどれほど苦心されたであろうか。
以下に、小説・人間革命第1巻のあらすじを示す。
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昭和20年7月3日、45歳の戸田城聖は、東京・中野の刑務所を出獄する。
戸田城聖が見たものとは、空襲で焼かれた無残な焦土であり、誤れる宗教・思想に導かれた悲惨な国民の姿であった。戸田は死身弘法の決意で、1日の空白もなく、祈り、行動するのであった。
やがて日本は敗戦。この失望の時代に、「創価教育学会」の名称を「創価学会」に変更。壊滅した学会の再建に乗り出す。やがて、彼のもとに四散していた学会員が集い始める。
昭和20年11月18日、獄中で殉教した師・牧口常三郎先生の1周忌法要が行われた。
戸田城聖は、恩師への誓いを述べた。
「広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。先生の真の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧げます」
彼は、焦土の国土に一人立ち、千里の道を踏み出した。
驚くべきスピードで事業を拡大させながら、広宣流布の大願を成就するために、ひたすら人材の育成に注力する戸田城聖であった。
-------------------------------------------------
さて、小説・人間革命とは何であろう。
個々自らが応用して読むことが大事ではないか。
先師が、莫大な経済的負債と健康被害を受けながらも、祈り、行動し、あらゆる苦難を乗り越えたように、また、偉大な創価学会を再構築され、途方もない数の大折伏を果たされたように、私たちもまた、自らの人生の苦難を乗り越え、広宣流布の使命を果たせるか否か。
時代は違えど、私たちの周囲には迷いや苦しみ、悩みと不幸が充満している。私たち自身も、様々な苦難に遭遇することもあるだろう。
実は、私たち自身が、小説・人間革命のドラマの主人公なのだ。
私たちが地域や職場で、信心根本に人間革命を果たし、勝利することが、この小説を「身で読む」ことになる。観念で読むのでなく、行動と体験で読む。それが、本当の読み方だと思う。
さあ、先師に続こう。苦難を乗り越えて行こう。
自分にしかできない広宣流布を果たすために、我らは今日も祈り、今日も前進するのだ。

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追伸:朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、沖縄の米軍基地は、そのすべての戦争の直接発進基地として使用されました。現在も、全国土の0.6%しかない沖縄県に、在日米軍基地の75%が集中しています。

# by sokanomori | 2011-01-14 00:03 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(4)

小説・人間革命 (妙悟空著)  

2010年 05月 28日

◇創価学会の宗教は、人間革命の宗教です。

戸田先生が書かれた「小説・人間革命」。
象徴的シーンが、下巻冒頭に描かれている。
過去、不良であった青年が、真っ当なサラリーマンに変身するシーンである。
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政雄が買い物をする気もないのに、時々、ショーウインドーの前へ足を止めるのは、めざましく変わった自分の姿がウインドーの硝子(ガラス)に映るからである。
「変わったなあ!こんなにも変わるものかなあ!立派なサラリーマンじゃないか」
しっかり信心して、よい人間になろう」
脇目も振らずに働いて、叔父さんや伯母さんに恩返ししよう!」
政雄はそう考えると胸がふくらんできて、思わず大きく呼吸をした。
「瘋癲(ふうてん)は、もう、この世にはいない。ぼくは生まれ変わったんだ」
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私も、生まれ変わった一人である。
まさに、自分の人生を振り返り、このシーンと同じように、「変わったなあ!こんなにも変わるものかなあ!」と不思議に思うのです。
惰弱で、エゴの固まりのような私でした。それが、見違えるように、強く思いやりのある人間へと成長させていただいた。
信心をすれば、心が変わる。姿も変わる。行動、感受性、あらゆるものが良く変わる。
人は環境によって束縛されるけれど、その環境を変えゆくのも人間です。
運命に流される人生とは、惰性の人生です。運命を変える人生こそ、創価の人生です。

さて、この小説の巻末には、有名な戸田先生の獄中体験が描かれています。
仏が生命であること。最高の境涯であること。
この日蓮大聖人の仏法の真髄を悟った戸田先生の叫びで、この小説は終わります。
まさに、創価学会は、この戸田先生の獄中での覚醒‥すなわち、戸田先生の人間革命によって生まれたものです。創価学会の宗教とは、人間革命の宗教なのです。
戸田先生の「小説・人間革命」は、庶民的な独特の味わいがあります。
まだ、お読みでない方は、是非、読んでみてください。

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追伸:私も、苦難の中で、掴んだ体験があります。
私の体験記事は、→ここをクリック!
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# by sokanomori | 2010-05-28 22:00 | 小説・人間革命 | Trackback | Comments(6)

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