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眞悟の時事通信
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飯舘村を救え
 昨日四月三十日、東北の飯舘村にいた。そして、本日朝一番で堺に帰った。
 特定失踪者調査会、拓殖大学教授の荒木和博さんに、菅内閣による飯舘村への、「今回の避難指示、制限区域の設定などは、いたずらに住民の恐怖心を煽り、共同体を破壊しようとするものであり、また裏から反原発運動を煽っているとも言えます」
 よって、こういうときにこそ飯舘村に行きましょうという呼びかけに大喜びで賛同し、同村に入った。
 参加メンバーは、福井義高青山学院大学教授、稻恭宏医学博士、田母神俊雄前航空幕僚長ら九名。
 荒木、福井両氏とは、民社党以来のご縁。田母神前航空幕僚長は、郡山出身で愛する郷里の村のことは当然ほっとけない。しかも、ミサイルの専門家であるから核攻撃の影響すなわち放射能については詳しい。よって、参加。
 福井さんは、青山学院で経営学を教えているが、何故か、放射能に強く、低線量率放射線は、健康にほとんど影響がないと言う。私も同じ。
 そして、本集団の中心の稻博士は、病理学・免疫学の専門家で、そもそも低線量率放射線による治療の世界的パイオニアである。その稻博士は、放射線のうち低線量率放射線は、人体に害を与えるどころか、病気の治療に用いれば劇的な効果を上げる、健康体の人は若返りますます健康になると、主張されている。
 そして、飯舘村の放射能は、稻博士の言われるかえって体によい低線率量放射線なのだ。
 
 しかるに、菅内閣は、震災後一ヶ月以上経ってから、飯舘村村長には何の連絡もせず、村を計画的避難区域にしたと発表し、村民六千名の村外への移住を、移住先も示さず決定した。
 菅内閣は、自ら責任を持って六千名の村民の移住を実施しようとしているのではなく、移住先は勝手に探して村から出て行けと指示したのである。つまり、責任は村に押しつけたのだ。
 仮に、本当に村民が村にいては危険ならば、一刻も早く村から村民が出れるように、菅内閣は、村民の今夜寝る場所を確保して、かつて中曽根内閣が、噴火が激しくなった三宅島に自衛艦を派遣して島民を避難させたように、菅内閣も自衛隊車両を動員してでも、六千名の飯舘村民の移住を指示すべきではないか。
 それを、何かー!
 六千名の村民に関して、行き先は勝手に決めて村から出て行って、と菅内閣は通告しているのだ。
 村民にとっては、明日どこで寝るのかも分からず、生活の手段を失い共同体が奪われる措置である。
 命に関わる緊急の必要性があれば、それを忍ぶことを拒否する村民ではないが、菅内閣のこの決定に、忍ばねばならない何なる必要性と緊急性があるのか。
 この菅内閣の避難措置は、かつての暴力的地上げ屋もしなかった。必ず移転先を用意するか、移転費用を用意した。また、アメリカ合衆国政府が、十九世紀に武器を持った騎兵隊が部落を取り囲んで、インディアンを居住地から強制的に立ち退かせたときも彼らの行き先は用意していた。
 
 菅内閣のやっていること、人道上も許せん。しかも、その措置を裏付ける科学的合理性もない。
 
 そして、四月三十日、飯舘村に入った。
 私は、放射線防御学、放射線治療のことは知らない。
 しかし、稻博士は、そのパイオニアである。
 従って、私は、稻博士の指示に従って、飯舘村のあの場所、この場所に立ち、深呼吸し、空気を吸い、低線量率放射線を浴びたのである。即ち、病人ではないが、一行は、稻博士による「低線量率放射線治療」を受けたのである。そして、暗くなってから飯舘村を離れた。
 して、その効果は、自覚できたのか。自覚できた。肩のこりがとれたようで、目がすっきりし、体が軽くなった。これが、低線量率放射線の効果かどうかは、また確かめに行くが、飯舘村にいるとき、体が軽く疲れがとれたことは確かだ。良い温泉、そうラドン(放射能)温泉に入ったときと同じだが、それよりものぼせない分だけ爽快だ。

 飯舘村に入ったときの放射線量、1マイクロシーベルト毎時、
 色つやのよい牛のいる空気のすばらしい細川牧場では、3・5マイクロシーベルト毎時、箇所によっては6・2マイクロシーベルト毎時。
 緊急時の一般国民が受ける上限としてICRP(国際放射線防御委員会)が認めた線量は、100ミリシーベルト年間、約10マイクロシーベルト毎時であるので、菅内閣の避難指示は、全く科学的根拠のない村民を流民として苦しめる暴挙である。

 明治十一年春、横浜に来たイギリス女性イザベラ・バードは、日光から東北を旅して「日本奥地紀行」(原題、「日本の未踏の地」)を書いた。その中で、東北地方の田園の美しさを讃え、これは、農業ではなく庭園だと驚いている。
 私も、イザベラ・バードと同じように、山桜の咲く落葉広葉樹林の山に囲まれた飯舘村の美しさに見とれた。
 夕方会った飯舘村の菅野典雄村長が言っていた。
 養護老人ホームで生活している老人に、立ち退けとは言えない。私は避難命令は出していない。
 内閣に、逃げるのではなく、別のやり方を考えて欲しいと頼んだ。
 村民は、また帰ってこれるように願っている。従って、村に帰れる基準は何か教えて欲しいと官邸で言ったが、政府は明確に答えない。
 私には、毎日次のようなメールが届く。
「殺人者、お前辞めろ」
「村民をモルモットにするな」
 すると、稻博士も言った、「全く同じメールが私にも届きます」

 菅内閣は、反原発運動をしている。
 菅野村長や稻博士に届く、同じ非難のメールは、菅反原発内閣をサポートする為に、反原発組織が邪魔者を攻撃するために組織的に流しているのだろう。左翼の常套手段である。

 かつて隣県の栃木の田中正造翁は、足尾銅山の鉱毒で廃村に追い込まれる谷中村を救うために立ち上がった。田中正造翁は谷中村を救うことは日本を救うことだと思ったからだ。
 そして、私は言う。
 廃村に追い込まれている飯舘村を救おう!
 飯舘村を救うことは日本を救うことだ、
 日本を再興させることだ。
平成
23
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