2011年5月26日 0時12分 更新:5月26日 1時31分
東京電力福島第1原発1号機への海水注入が55分間、中断していた問題を巡る混乱が続いている。菅直人首相が中断を指示したと見て追及する野党に対し、首相は23日の国会答弁で「(注水開始の)報告がないものを『やめろ』と言うはずがない」と否定。だが、3月12日午後3時20分ごろ、東電が「準備が整い次第、海水を注入する」と経済産業省原子力安全・保安院にファクスで伝えていたことが25日、判明。事故発生直後の混乱ぶりを露呈する「新事実」が五月雨式に登場する中、政府が釈明に追われる展開となっている。
「(水素爆発は)起こらない」。3月12日午前、内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は、格納容器内での水素発生の影響を懸念する首相に対し、こう助言した。ところが、水素は原子炉建屋内に漏れだしており、午後3時36分に水素爆発で建屋上部が吹き飛んだ。
官邸の緊張が極度に高まる中、海水注入を検討する会議が同6時ごろ、始まった。東電幹部が会議の冒頭、1号機周辺にがれきがあることなどを理由に「海水注入の準備に1時間半はかかる」と説明したため、首相は「(その時間を使って)問題点をすべて洗い出してもらいたい」と、集まっていた海江田万里経済産業相、班目氏、原子力安全・保安院、東電幹部らに指示。さらに「再臨界の可能性はないのか」とただした。
「この時、班目氏が『再臨界の危険性がある』と答えた」と政府は5月21日午後の会見で発表したが、「原子力の常識として、真水から海水にかえて再臨界の可能性が高まると私が言うはずがない」と班目氏は強く抗議。22日夕、班目発言は「可能性はゼロではない」と訂正された。
ただ、班目氏が「起こらない」と明言していた爆発が起きていただけに、再臨界の「可能性」を認める発言を耳にした出席者の一人は「本当にびっくりした」と振り返る。班目氏は後の国会答弁で「事実上ゼロという意味だ」と説明するが、当時の官邸は「専門家の意見として大変重く受け止め」(福山哲郎官房副長官)、首相は安全委や保安院に再臨界の可能性の検討を指示した。
原発の現場では午後7時4分に吉田昌郎所長の判断で独自に海水注入を始めていた。電話で保安院に連絡したとする東電に対し、保安院側は確認できないと説明。一方、連絡役として官邸の会議に参加していた東電の武黒一郎フェローはその前後に現場に電話して注水開始を知り、「官邸で再臨界の可能性を議論している。本店と対応を協議してはどうか」と伝えたが、官邸側に注水開始は伝えなかった。
東電内の協議の結果、「政府の判断を待つ」として同25分に注水は中断。再開は同8時20分。同7時40分に保安院などが「再臨界はない」との検討結果を報告し、首相が海水注入を指示した後だった。
班目発言を巡る混乱では、安全委事務局の加藤重治内閣府審議官が政府の当初の発表の前に「(政府発表は)違うんじゃないか」と異議を唱えていた。しかし、発表にあたった細野豪志首相補佐官は「居合わせた人に確認した」と退け、本人への確認もしなかった。
解釈のずれについて班目氏は25日の記者会見で「少しコミュニケーションのまずさは自覚するが、その時に周りの方が大変驚かれた印象はまったく持っていない」と発言。すぐそばにいて「本当にびっくりした」官邸関係者とまったく感覚を共有していなかったことが露呈した。
枝野幸男官房長官は24日の会見で「緊迫してメモで正確に記録するゆとりのない局面があった」としつつ、「前後の記録から記憶を喚起すればしっかり検証できる」と強調。だが、今回の混乱は、記憶と当事者それぞれの感覚による検証の難しさを実証したと言え、政府が設置した「事故調査・検証委員会」による調査の難航も避けられそうにない。
中断を巡る混乱は、事故発生当初、政府に東電の情報がほとんど届いていなかった実情を浮き彫りにした。12日は未明から朝にかけ、原子炉内の蒸気を放出し、圧力を下げる「ベント」実施を首相や枝野官房長官らが東電に繰り返し要求。しびれを切らした首相が早朝にヘリで原発に乗り込み、直接ベントを求めるなど、東電への不信感が高まっていた。
水素爆発の報告も遅れた。枝野氏は再臨界検討の会議には出席せず、午後5時45分から記者会見に臨んだが「何らかの爆発的事象があった」としか説明できなかった。原発への国民の不安をかえって高めたと批判されたが、政府筋は「東電の報告が来る見通しがまったく立たず、会見をこれ以上遅らせられない、と判断した結果だ」と明かす。
結局、政府と東電の情報共有が円滑になり始めたのは、首相が両者の「統合本部」設置を指示し、細野首相補佐官が東電本店に常駐するようになった15日早朝以降のことだった。