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  白の皇国物語 作者:白犬
第一章:皇国動乱編
第十一話「対面」



 皇都より発した『継承の儀、成る』の噂は、空を行く飛龍よりも早く皇国全土に拡がった。

 白龍公カールが持つ、魔法を使用した通信網の威力が発揮された結果と言える。

 西方国境を越えたばかりの連合軍増援部隊はその進行速度を大幅に減じ、逆に北方国境線のパラティオン要塞に攻撃を仕掛ける帝国征南軍はその攻勢を強めた。

 そんな帝国軍の攻撃を昼夜の別なく受け続けるパラティオン要塞、その司令部内長官室で一人の痩身の男が声を発した。


「――――噂は限りなく事実であると、そういうことだな?」


「はッ、その通りであります中将閣下。要塞に出入りする商人たちからだけではなく、麓にある二つの街に人をやって確認しました。どちらの街でも噂が広まっており、その発信源はどうも聖都ではないかと……」


 褐色の肌に肩口で切り揃えられた灰色の髪、そして己の前に立つ総てを睨むような赤の瞳。

 皇国内に居住する部族の一つ、ダークエルフ族の特徴色濃いその男がこの部屋の主だった。

 つい一時間前まで要塞防衛戦の指揮を直接執っていたとは思えないほど、長官室の主たる男の身体からは衰えぬ覇気が滲み出ている。

 男はラグダナ男爵家次子にして皇国陸軍中将、ガラハ・ド・ラグダナ。皇国北方総軍北方国境方面軍所属のパラティオン要塞防衛軍司令官の職にある者。

 見た目二十代後半と思わしき彼だが、実際の年齢は一〇〇をとうに越えている。

 陸軍内でも稀代の戦術家と称される彼は、二五年前の帝国侵攻以来この北方総軍に身を置いていた。


「今日になっていやに北の馬鹿どもが頑張っていると思ったらそういうことか。立太子が成ったとなれば、連中が焦って攻勢を強めることも納得できる……」

 二五年前の戦争で取り決められた新生アルマダ帝国との事実上の国境である軍事境界線、そこから南に下がること十キロメイテルの位置にパラティオン要塞はあった。帝国との国境を形成する白狼山脈と天狼山脈の間に拡がるファルベル平原だが、その二つの山脈を結ぶように、つまりは平原を分断するように作られたのがパラティオン要塞だ。

 平行に並ぶ三つの長城から形成された要塞は、その長城すべてに一定間隔毎防衛支部となる支塁塔が置かれ、皇国側最後の長城であり要塞の最終防衛線でもある第三長城の中央に要塞司令部塔を置いている。

 ガラハはつい先ほどまで帝国の攻撃に晒され続けている第一長城の中央支塁塔にいたのだが、情報分析を担当する部下から国家の一大事との報を受けて要塞司令部塔に戻ってきたのだった。


「して閣下、我らの今後の方針は……」


 顎に手を当てたまま黙り込んだ上官の態度に焦れたらしい部下が、今後の方針は如何にと問う。

 皇王亡き今、国事国政全権代行職である摂政に就くことは確実な皇太子が現れたとなれば、ことは皇国軍総ての問題だ。当然、このパラティオン要塞防衛軍にも無関係ではない。

 しかし彼の上官は、部下の言葉に驚いたような顔をした。


「――――皇太子殿下が立太子されたとて、我らの役割に何の関わりもなかろう? 帝国の蛮人どもは今現在も要塞を攻め立てているのだから」


 そういうことらしい。

 しかし、部下はガラハの耳元に口を寄せ、周囲を気にしながら口を開いた。


「――――殿下が軍を掌握されることは確実です。そうなれば、北方総軍の司令長官であるラファルマ大将閣下は……」


「ああ、あの酒樽大将は皇都の逆賊の同調者であったな」


 司令長官の軍服から溢れんばかりの恰幅の良さを酒樽と呼んで蔑んでいるのは、別にガラハだけではない。パラティオン要塞に対して有形無形の妨害を繰り返してきた彼に対して、要塞内で好感情を抱いている者がいる筈もなかった。

 常日頃、兵士たちが集まる食堂や宿舎に行けば上司たちの悪口など幾らでも聞くことが出来たが、最近では酒樽という言葉が聞こえない日はないくらいだ。

 これまで閑職に追い遣られていただけあって大した能力もない反面、その気位だけは異常なほど高い件の司令長官だが、客観的にその行動を観察すれば、意図的に要塞への情報を遮断したり、補給物資の輸送スケジュールをずらしたりと、明らかに帝国に通じて要塞の機能を奪うための行動だった。

 そこまで分かっていて今まで対処を行わなかった理由は、たとえその疑惑を報告したとしても参謀本部の陸軍参謀総長や陸軍総司令部の陸軍司令長官が動くことはないと分かりきっていたからだ。総軍司令部以下の組織はともかく、先述の二つの組織と総軍司令部は当代皇王の息の掛かった軍人たちに掌握されていた。

 だが、皇王の代行として軍権を掌握する皇太子が現れたことでその頸木が外れるときが来た。

 軍を私物化し、国家が危機に瀕しても保身のみに走った者たちを皇太子が許すはずもない。ほぼ確実に、彼らは自分の蛮行の責任をその命で贖うことになるだろう。

 実際、部下の纏めた情報によると、総軍司令部直属の部隊が予定にないおかしな動きを見せているという。部隊規模や斥候たちの偵察行動から類推するに、要塞を突破しての帝国領土への逃亡を図っているらしい。


「部隊規模は一個半程度の増強旅団でしょうが、要塞の後背から攻めることで数の不利を補おうということなのかもしれません」


「――――奴は馬鹿か?」


 ガラハは心底呆れた。

 パラティオンは単に帝国側からの攻撃に対してのみその力を発揮する要塞ではない。

 場合によっては、要塞内に侵攻した敵軍を内部で食い尽くす為の城でもあるのだ。増強されているとはいえ一個半旅団程度ではたとえ司令部塔を突破したとて、支塁塔からの増援部隊に第三長城と第二長城の間の封殺領域で殲滅されるのは間違いない。

 皇国を圧倒的に凌駕する兵力を誇る帝国に対し、未だ一度も領内への侵攻を許したことがない鉄壁の要塞。それは同時に、皇国内から帝国に逃げる裏切り者さえ決して通さぬということでもある。


「それに、今回の騒ぎで何の収穫も無かった帝国があの無能を歓迎するとも思えん。奴は人間種でもないしな」


 せいぜい皇国の情報を得るまで賓客として歓待し、後はひっそりと処分されるのが落ちだ。皇国を裏切った者が帝国で重きを成したという話を、ガラハはついぞ聞いたことがない。


「では、閣下は総軍司令長官閣下が要塞近辺に現れた場合――――」


「戦闘中に要塞の背後に近付くものがあれば、敵と誤認することもあるだろう。そうなれば俺の責任だな、何、問題ない」


「――――了解いたしました。第三長城の警戒段階を第一警戒まで引き上げます」


「良い、参謀たちに任せる」


「はッ」


 ひらひらと手を振るガラハの言葉に、部下は踵を合わせて肘を伸ばし右の拳を左胸に付ける皇国陸軍式の敬礼で答えた。

 部下がさらに一礼して退出した後、ガラハは自らの背後に掛けられている皇国全土地図を見上げて独りごちた。


「軍中央の掌握に三日、北方総軍の掌握に二日、それから増援部隊を編成してここまで来るとなると……いや、皇都が先か……」


 顎に手を当て、彼は机の上の制帽に付けられた純金の帽章を指で撫でる。日頃装飾品の類に興味を示さない彼ではあるが、死に装束であると自認する軍装に関してだけは惜しみなく散財することで知られていた。

 彼曰く、「軍務に就いている限り、自分が死ぬときに着ている服はこの軍装と決めている。なれば、この憎らしくも頼もしい制服は俺がこの世で最後にできる贅沢ではないか」とのことだが、一着一着皇都の職人に作らせた濃緑色の軍服も、外套も、厚掛も、一兵卒の一年分の給料を投じてもまだ半分にも足りないような値段である。形さえ同じならば個人で揃えても軍規上問題ないが、兵士たちの噂によれば、その金額は皇王が軍事式典の際に着用する特一種国主大軍装に準ずるという。

 口も素行も悪い兵士たちが、彼の軍装を盗もうと計画しているというのも、単なる噂では済まないかもしれない。


「何にせよ、この状況で皇王になろうという馬鹿だ。ただの山師ではあるまい」


 弄んでいた制帽を机の端に置くと、ガラハは口の端を上げて何とも凶悪な笑みを浮かべた。

 嘗て黒妖精種ダークエルフ族の天敵であった妖精種のエルフ族を狩り、人間種たちからも森の殺し屋と怖れられたダークエルフの、その本能からの笑みだ。


「楽しい、ああ、楽しいとも」


 先皇は貴族に対して果断であったが、諸外国や民に対しては穏和であった。帝国とすら外交交渉で決着を付け、二五年前の戦争でも逆侵攻による帝国領土占領の機会さえも外交の切り札としてしか見ていなかった。

 その次の皇は単なる道化だ。騒動の頃からこのパラティオンに居た自分は中央の騒ぎに巻き込まれなかったが、皇国軍は自らの主によって身を削がれ、力衰えた。そしてそれを成した道化者はいつの間にか骸を晒し、騒ぎだけが残った。まさに道化の所行という他ない。


「さて、次の皇はどのような者だ?」


 出来るなら、自分が全力を出せるような戦場を作り上げる才能を持つ者であると良い。

 敵を食い破り、食い散らかし、食い尽くせる戦場をこの世に作り出せる者であると良い。

 防衛戦は確かに好きだが、自分としては、逃げ惑う敵を追い詰めて追い詰めて、その悲鳴を聞きながら臓腑を喰らうのが最も心躍る戦いだ。

 そこまで考え、ガラハは客気に駆られようとする自分を抑える。

 旗鼓の才溢れる彼にとって戦場とは捧げられた金銀玉帛と同義ではあるが、それは敵以外の他人を巻き込むことを是とするものではない。そういう意味では、彼は戦術家というより旧来の戦士に近いのだろう。

 単に自分の力を限界まで引き出すような敵と相対し、勝利したい。その規模が戦争と呼ばれるそれに匹敵するだけで、彼の望みが国家間の戦争そのものにある訳ではないのだ。もし叶うのならば、始原貴族屈指の軍略家であるミッドガルド侯と戦場で相見えてみたいとさえ思っている。


「――――もしもつまらん皇ならば、この世の面白さを教えてやらねばなるまい」


 戦いほど命を輝かせるものはない。

 命が尊いなど、所詮命失うことを怖れる者たちの妄言。

 何故ならば、この世界は神々の御代より争いに満ちているのだから。


「争いこそ人の本懐。命、栄光、富、総てがくだらないものだということを教えてくれる」


 そしてその先にこそ、真の平穏を見出してみせよ。


「争いを知らぬ者が平穏、平和を謳っても絵空事よ。争いを経て得る穏やかさにこそ、人は価値を見出すことが出来よう」


 苦を知っているからこそ楽を理解できる。

 楽しか知らぬ者は、苦を想像することは出来ないのだ。


「――――さあ、皇太子よ。お前はこの国に何を与える」


 争いか、安寧か。

 それはすぐに分かることだ。

 彼はそのときを想い、ゆっくりと目を閉じた。











 あと少し来客が遅ければ、本当に耳が千切れていたかもしれない。

 大神殿の中庭に沿った廻廊を歩くレクティファールは、痛む耳をさすりながら割と本気でそう思っていた。

 件の来客――――白龍公カールの怒声があの場を鎮め、レクティファールの耳を救ったのだった。

 カールはレクティファールが目を覚ましたと聞いて早速皇太子としての仕事を持ってきたのだが、そこで娘を含めた皇国の姫君たちの醜態を目の当たりにすることになり、今に至るまでも機嫌はあまり良くなかった。

 大神殿の構造を知らないレクティファールは自然とカールの後ろをついていくことになるが、その背中から視認できそうな怒りの波動が出ていて何とも恐ろしい。世間一般で龍族は魔族、神族と並んで怖れられる存在だが、その理由はこの辺りにあるのかもしれない。

 それでもあのまま部屋に残っているよりましだと思えるのだから、レクティファールという人間がどれだけ異性という生き物を苦手としているか分かろうものだ。


「――――はぁ」


 しかし、苦手だからといって逃げ続ける訳にもいかないのが皇太子。

 社交の場に出る機会はそれこそ山のようにあるだろうし、単純に仕事で異性に会うこともあるだろう。その度に気後れしていては、それこそ本末転倒というものである。

 一般常識から始まる二〇〇〇年分のの記録を活かすための勉強と、軽い引き籠もりから皇太子という華麗なる転職に伴う自己改革。やるべきことはいきなり山積している。ここで足踏みは非常に不味い。


「しかし……どこから手を付けるべきか分からないという……」


 うーむと唸りながら歩くレクティファール。

 ちなみに今着ている服は、裾に飾り革帯の付いた白のパンツとシャツ、控えめな銀糸の装飾の入った上着と儀式のときは打って変わって動きやすいカジュアルなものになっている。勿論、神殿の職員たちは儀式のときのような服装も用意していたのだが、レクティファール本人が出来るだけ身軽に動き回れるものをと希望した結果こうなった。

 元々は貴族の子弟が馬に乗る際に着ていた服をアレンジしたものらしい。飾り革帯も、元々は馬具を固定するものだったのだろう。


「困ったときのウィリィアさん頼みと行きたいところだけれども、最近機嫌悪いんだよなぁ……」


 ここぞと言うときに頼りになるメイドさんという認識だったのだが、目を覚ましてからは妙に刺々しい態度を向けられっぱなしである。話し掛けられても無視され、久しぶりに淹れて貰ったお茶は非常に苦かった。それでも神殿の女官たちに世話をして貰おうと思わないのは、果たしてレクティファールの意地なのだろうか。

 それでも出来るなら、ウィリィアという最も古い知り合いを大切にしたいと思うのが彼という生き物だ。

 ただ、まさか自分のそういう態度がウィリィアに嫌われる一因であるとは、彼も誰も思わないだろう。

 現時点でのレクティファールの最大の短所は、自分以外の人間の感情に無頓着で無理解であることなのかもしれない。これは生来の気質なのか、元世界で社会人の最底辺にいた頃の名残なのか、或いは学習能力の欠如した単なる馬鹿なのか、本人を含めて誰もレクティファールの本質というものに興味を示さないので、明確な答えが出ることは決してない。ひょっとしたら、後世の歴史研究者らが解き明かしてくれるかもしれないが――――

 畢竟、レクティファールという人物を一言で表すなら、それは「空気の読めない奴」ということになるだろうか。


「――――うん、今度は散歩に誘ってみよう。人間、真心持って当たれば分かり合えるだろうし」


 それでも、どんなに邪険にされてもめげないという点だけは、見習うべきかもしれない。

 単に人の悪意に気付きにくいだけという可能性もあるが、これもやはり答えが出ることはない。

 さて、どうやって散歩に誘うべきか――――そんなことを考え始めたレクティファール。そんな彼の前を歩くカールが、ちらりと背後のレクティファールを見た。すぐに視線を戻して一〇歩、そこでカールは立ち止まった。


「殿下」


 その場で振り返り、やや険呑な視線でレクティファールを見る。

 う、と声を漏らしたレクティファール。じりと半歩後退った。

 いつの間にか、二人は中庭の真ん中を縦断する廊下を進んでいた。


「殿下の臣として最初に申し上げることがこのようなことでまこと恐縮でございますが……」


「な、何でしょう……」


 何だ、今度は何をやったんだ自分。

 レクティファールは自分のここ最近の動きを一気に振り返った。

 だが、カールの逆鱗に触れるような真似はしていない。

 少なくとも、レクティファールはそう思った。


「まず、これまでの数々の非礼、深くお詫び申し上げまする」


 しかし、カールはそう言って廊下に膝を屈した。

 中庭のただ中へと続く絨毯も何も敷かれていない、鏡のように磨き上げられた石の床の上に、だ。

 仮にも皇国公爵家の当主であり、始原貴族筆頭でもある白龍公の彼が冷たい床に膝を突くなど、本来ならば当代の皇王に対するときですらあり得ないことだった。

 カールの態度に慌てたレクティファールが周囲を見回す。幸いなことに人の気配は無かった。意味もなく重臣を跪かせるなど君主として鼎の軽重を問われかねない上、場合によってはカールの立場も危うくなってしまう。

 ここにいるレクティファールはただの皇太子であり、この時点では皇国の如何なる役職にも就いていない中途半端な存在でしかない。次期皇王であるという立場を明確にしただけであり、言ってみれば御輿に過ぎない。

 それに対して、カールは白龍公として貴族議会の纏め役をも任されるほどの皇国の重鎮。さらに中規模国家の国土と同程度の領地、同じく国家予算に伍する資産を持ち、四公爵家の筆頭として国民からは皇王に準ずる尊敬を受けているような人物だ。今のレクティファールではまず間違いなく人としての格が違う。

 故に、レクティファールは大いに焦った。


「白龍公! 誰かに見られたらどうなさるお積もりですか!?」


「ここはすでに人払いが済んでおります。皇国の政に関われぬ神殿ですが、その内にも政はあるものです。そしてそれは、絶対に俗世に明かされてはならぬこと……」


 だからこそ、ここから向かう場所は大神殿内で最も防諜に優れた場所であると、カールはそう言って自嘲気味に笑う。

 しかしすぐに表情を無に塗り潰し、レクティファールを見上げた。


「そこに行く前に、殿下には“君”として最低限の自覚をして貰わなくてはなりません。“臣”の言動に左右されることは悪ではありませんが、己の考えるべきことを他人に委ねるは悪にございます」


「――――つまり、これから誰が何を言っても、自分の考えを失うな、と?」


「御意」


 レクティファールは内に遍在する“皇剣”の記録に、幾度も同じ言葉が現れることに気付いた。

 その言葉を時の皇王に告げた人物は、カールによく似ていた。


「これは父から私が受け継いだ皇王への教えの一つにございます。“皇剣”を継承されたならば、お分かりでしょうが……」


 レクティファールは無言で頷きだけを返す。


「それはよろしゅうございました。剣の力に引き摺られず、歴史を読むことは出来るようですな」


「――――これも、お父上から聞いたことですか?」


「はい、剣に引き摺られるような者ならば、相手が誰であっても斬り捨てよと」


 最早唸るしかないレクティファール。

 皇王に暗愚な者が居ないのは、その至尊の座に着くまでに選別されるからなのだろう。

 相応しくないならば、皇になる前に排除する。いっそ清々しいまでの合理主義だった。


「私は合格だと?」


「とりあえず、今のところは、と冠が付きますが……」


 つまりは皇王になるまでは継続して審査されるということらしい。

 その座に就けば、カールは本当の意味でレクティファールに忠誠を誓うだろう。だがそれは、その時に至るまで仮初の忠義しか持たないということでもある。

 皇として不的確と断じられれば殺される。だというのに、レクティファールはカールに笑みを見せた。


「それは私の望むところ。いざとなれば殺してもらえるなど、これ以上ない保証ではないですか」


 レクティファールは本気でそう思った。

 彼が死に意味を見出さない者であり、間違えば確実に止めてもらえるというのなら、それは失敗を怖れる理由が一切存在しないということだ。

 それは諦めにも似た感覚であったが、彼自身は諦めとは認識していなかった。


「命尽きるまで皇で在り続けるしかないと、私はすでに識っています。そしてそれは、白龍公もご存知のこと」


「は」


 カールが首肯するのを見て、レクティファールは再び頷いた。


「なれば、死ぬことは皇の役目ではないですか」


 これは厳然たる事実でしかなかった。

 皇とはその人生総てを捧げて初めてその座に就くことを赦されるものだ。

 公も私も結局はその役割の上に成り立つものであり、皇である限り皇というものから逃げることは不可能。死ぬときも、死んだ後も皇というものに縛られる。皇になった瞬間、その人物は皇以外になることは出来ないのだった。


「白龍公の懸念は追々ご教授願います。至らぬだけの私です、いくらでも言いたいことはあるでしょう。ですがそれを含めて、白龍公には苦労をしてもらいます。その代価として、私は皇でありましょう」


 これは契約である。

 レクティファールは自分を眇めるように見るカールに宣言した。

 初代皇王と初代白龍公が皇国を守る契約を結んだことと同じく、第一〇代皇王と第二代白龍公もまた、ここで一つの約定を交そう。

 皇国とそこに住む総ての者に対する責任を果たすため、自分が皇として在り続ける限り、白龍公カールはこの皇国のためにすべてをなげうつ、と。


「白龍公カール。返答は如何に」


 レクティファールの静かな声に、カールは頭を垂れた。

 彼の口がいくつかの音を紡いだとき、ここに新たな契約が成ったのだった。














 大神殿中庭の中央にある小さな人工林。四季折々の風景で大神殿を訪れた人々を楽しませてくれるその木々は、実はそのただ中にあるたった一つの建物を隠すために植えられたものだ。

 その建物、周囲の壁を半透明の硝子で形作られたそれは、その存在を知る大神殿職員の間で単に『温室』と呼ばれている。薬草や薬木、調味料やお茶として親しまれる香草を栽培しているため、その名は確かに正しいと言えた。その歴史は古く、大神殿がこの場所に建てられたその時から存在しているという。

 だがその実状は別だ。

 温室の中に作られた四阿あずまやは日頃職員たちの憩いの場としてその役割を全うしているが、本来の役割とは大神殿に於いては禁忌とされる、政に関係する会談を行う場所だ。

 温室そのものが魔法によって強固な城塞と化し、四阿は内部からの一切の音と光を遮断する。

 最初に術式設定された人物以外、城塞化した温室内に入ることは不可能。周囲には護衛を兼ねた神衛騎士団の精鋭たちが密かに配されており、万が一の事態に備えていた。

 大神殿の中庭で発生する非常事態など、本来なら会談中にそれを知らず迷い込んだ職員を確保して追い返すとか、その程度のことしか考えられていない。

 だが、これからここで会談する者たちの肩書きを考えれば、どれだけの騎士を配しても十分などということはない。


「皇太子殿下、ご入来!」


 だからこそ、白龍公カール・フォン・リンドヴルム公爵の宣告に騎士たちの緊張感は一気に頂点に達した。そしてこの後、会談が終わるまでその緊張を解くことは許されないのだ。

 彼らは木々の中に身を潜ませながら、カールの後ろに立つ青年に様々な感情を込めた視線を送った。

 宣告より数秒後、彼らの前で扉は開かれ白龍公と皇太子が温室の中に入っていく。扉を潜る直前、皇太子は温室の周囲をぐるりと見渡して微笑んだ。

 気付かれた――――騎士たちがお互いの驚いた顔を確認して視線を戻したときには、すでに皇太子の姿はなかった。

 彼らは再び互いの顔に浮かんだ苦笑いを認め、大きく溜息を吐いた。

 明日から、もっと厳しい修練を積まなくてはならない、と。











 暖かな空気満ちる温室の中を、レクティファールはカールを追うように歩いていた。

 人が歩くように歩道は整備されていたが、その歩道も何カ所か枝分かれしており、ここに始めて来たレクティファールにとっては十二分に迷う要素が揃っているといえる。

 彼自身は気付いていないが、“皇剣”にはこの温室の構造も記録されている。それを情報として引き出せない辺り、彼が“皇剣”を使いこなせていないという現実を如実に表していた。

 そして最大の問題は、それを本人が自覚しても一朝一夕でどうにかなる問題ではないということである。

 皇太子となった者は皇王の下で中長期に渡って教育を受けるが、その中には当然“皇剣”の扱いに関することも含まれている。“皇剣”を理解できる者は皇王のみであるから、その教育とは皇王自身が行うことになる。

 というよりも、他に選択肢はない。

 “皇剣”製造の技術も失われた現在、その機構を理解しうるのは皇王以外にあり得ないからだ。

 だが、今の皇国に皇太子はいても皇王はいない。よって、皇太子に“皇剣”の何たるかを教える者はいないのである。

 これまでの皇太子であっても十年を越える年月が教育に費やされた。逆に言えば、皇国内外で揃えられる最高の講師陣を揃え、皇王自身もその中に加わってそれだけの年月が必要だったとも言える。

 その教育が受けられないレクティファールが皇太子としての役割に耐えられるのか、正直なところカールにも分からなかった。それでもカールの歩みが止まることがないのは、先ほどのレクティファールの言葉と態度を見て、十分信ずるに足ると考えたからだった。

 これからレクティファールが相対する相手はいずれもカールに比肩しうる才覚の持ち主だったが、それでも何とかなるのではないかと思えた。

 単純な経験や知識などの問題ではない。レクティファールの人としての本質に、皇としての本質に賭けてみようと思った。


「――――殿下、先ほど私が申し上げたこと、十分に留意なされませ。さすれば、これから紹介する者たちも殿下を侮り軽んずることありますまい」


「侮られることも軽んじられることももう諦めました。その上で相手を黙らせてこその主君でしょう」


「――――御意」


 カールは密かに破顔した。

 優しさだけの男ではない、強さだけでもない、これぞ仕えるに足る主君の片鱗ではないか。

 彼はやがて自分の視界に入ってきた四阿を確認し、その中で待つ同胞たちのことを考えた。

 彼らも驚くだろう、皇王としての才能はないかもしれないが、龍の主君としての才ならば確かにあるこの青年を見て。


「彼処に見える四阿、そこで会談が行われます。私は殿下の臣ではありますが、あの中では中立の立場を取らせていただきまする。ご承知置き下さいますよう」


 レクティファールは少しだけ青ざめた顔で頷いた。

 どんな相手が来るかは伝えてある。

 それでも動揺を顔色一つで済ませているのだから、大したものと言って良いだろう。


「――――それでは、参りましょう」


 カールはレクティファールに気付かれぬ程度に緩めていた歩調を戻し、四阿へと進み始めた。











 レクティファールが四阿に入ったとき、その場にいたのは円卓に座るたった三人の男女であった。

 長い真っ直ぐな黒髪を持ち、小柄な体躯を飾り布の多いドレスに包んだ少女。彼女は眠たげに細められた瞳をレクティファールに向け、茫洋としたその視線で何かを探るようだった。

 深紅の髪を短く刈り込み、大柄な身体に軍装とおぼしき衣裳を纏った美丈夫。その到着に気付いていながら目を閉じたままレクティファールを見ようともしない態度は、或いは拒絶の証だったのかもしれない。

 蒼穹の色を写した髪をゆるく三つ編みにし、それを背中に垂らした女性。比較的穏和そうな雰囲気を持っていたが、その実、もっとも底の知れない気配の持ち主でもあった。

 レクティファールが三人を短く観察し終えた頃、カールが彼の横に並び、三人それぞれを示しながら紹介を始めた。


「黒龍公、アナスターシャ・フォン・ニーズヘッグ」


「紅龍公、フレデリック・バルガ・スヴァローグ」


「蒼龍公、マリア・ヴィヴィ・フォン・レヴィアタン」


 本来ならば自ら立ち上がって名乗るのが礼儀だが、この三人がレクティファールに礼を示す理由はない。

 当代皇王の素行に反発して皇王家からの独立を宣言した彼らにとって、如何なる役職にも就いていないただの皇太子であるレクティファールに示す礼儀などありはしないのだ。

 いや、彼ら三人が皇国以外の国の貴族であるのならばそれなりの礼儀を示していたかもしれない。

 しかしここは皇国であり、彼らは皇国守護を初代皇王より命じられた四龍の子孫である。

 皇国を乱すのならば、皇王とて斬り捨てる理由があった。

 しかしこのとき、彼らは決してレクティファールを排除しようとはしなかった。

 ただ――――


「――――義理、果たした」


 黒龍公アナスターシャがそう言って立ち上がった。

 それに続き、紅龍公フレデリックも組んでいた腕を解き、席を立つ。


「確かにな、これでも譲歩したんだ。文句はないだろう」


 レクティファールは彼らの行動に驚きを隠しきれなかった。

 自らは未だ名乗っていない。

 確かに彼らにとって取るに足らないような存在かもしれないが、仮にも国家元首になろうとしている人物をこうも軽んじられる理由が理解できなかった。


「カールちゃん、あとはよろしくね」


 にっこりと暖かな笑みを浮かべた蒼龍公マリアが彼らに続いて立ち上がり、レクティファールの隣に立つカールに笑いかけた。このとき彼女は、決してレクティファールを見ようとしなかった。

 レクティファールはこの状況に驚くしかできなかった。

 だが、それはカールも同じことだったのだ。


「き、貴様ら……何を……」


 唇を震わせ、カールは三人を睨む。

 しかしその視線を受け止めても、三人は小揺るぎもしなかった。

 カールと同格の龍族である三人にとって、その視線など大した意味を持たないということなのだろう。

 フレデリックはやれやれとでも言うように首を振り、レクティファールとカールに告げた。


「決まっているだろう。俺たちは皇王家から独立したんだ、皇国を守ることはするが、その配下に入ることはしない」


「馬鹿なっ! 初代皇王陛下との契約は……」


「それだけどね、カールちゃん」


 マリアが困ったような笑顔をカールに向けた。


「初代様の遺言は、皇国を守ること。わたしたちは確かに皇王家には忠誠心を持っているけど、国にとって善か悪かも分からない皇太子に対する忠誠心は持ち合わせていないの」


「――――――――」


 カールは絶句して残りの一人、黒龍公アナスターシャを見た。

 お前も同じ考えなのか、そう目で訊ねていた。

 果たして、アナスターシャは小さく頷いた。


「――――うん。……じゃあねカール、また遊びに行く」


 そう言って身を翻すアナスターシャ。

 マリアもそれに続き、フレデリックもまたカールたちに背を向けた。


「待て! 皇国を守るというのなら、お前たちは……」


 カールの声に、フレデリックだけが振り返った。


「――――決まってる。俺たちは、自分たちの軍を率いて連合を喰らい尽くす。皇国軍の手は要らん、協力を約束した貴族共もいるしな。そのまま帝国の蛮人どもも追い返すさ」


「な――――っ!」


 カールは驚きのあまり目眩がした。

 皇都戦線の危機的状況は知っている。だが、朋友である三人がいきなり強硬手段に出るなどということは予想していなかった。それでは連合に要らぬ敵愾心を植え付けるだけではないか。

 確かに短期的には連合の主力を殲滅してその侵攻の意志を挫くことは出来よう。

 だが、その先に待っているのは連合との泥沼の戦争だ。

 何としてもそれだけは阻止しなくてはならない。

 カールは三人を呼び止めるために口を開いた。

 その刹那――――


「――――ふざけてもらっては困るんだよ、この石頭共」


 彼の隣に立ったまま、そして立ち去る三人に目を向けることもしないまま、青年が呟いた。








 後にカールは娘に語る。

 初めて自らの主君に恐怖を抱いたのは、一切の抑揚の無い怒声を聞いたこのときであった、と。



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