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[26596] IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:30

ある日突然『織斑一夏』になりました。
そんな前提のもとに地味にちまちま進んでいく、本来の『織斑一夏』とは中身が違う『織斑一夏』のおはなしです。



小説家になろう の方でも掲載しています。



[26596] 1-1
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:32

 ▽▽▽

 『IS(アイエス)』

 正式名称『インフィニット・ストラトス』。宇宙空間での活動を想定して開発されたマルチフォーム・スーツ。
 『製作者』の意図とは別に宇宙進出は一向に進まず、結果としてスペックを持て余したこの機械――この飛行パワード・スーツは一度『兵器』へ変わり、その後に各国の思惑によってもう一度変化し、最終的に『スポーツ』として落ち着いた。

 原則として、女性にしか扱えない。


 ▽▽▽

「これが終わったら寝れるこれが終わったら寝れるこれが終わったら寝ここここ……」
 中学三年生の二月、受験シーズン真っ只中。
 寒空の下で呪詛を呟きながら目的地へと歩を進める。昨年何かカンニング事件が起きたとかで、各学校は入試の会場を二日前に通知する様にとのお達しが政府から出ているらしい。なので一番近い高校の試験のために四駅ほど電車に揺られる羽目になった。
 試験会場の距離と俺の学力は関係ないので、移動自体は実際どうでもいい。でも電車に揺られている間睡魔と闘うのが大変辛かった。というか今も辛い。
 これから受験するのは私立藍越学園。自宅から近いとか、学力が分相応と色々とあるが、最大の魅力は学費が安い事だった。私立なのに格安とも言うべき学費の安さなのだ。
「はぁ……ともかくさくっと自立しねーとなあ」
 織斑一夏には両親が居なかった。なので俺を養ってくれているのは歳の離れた『姉』だ。
『弟』として――いや『俺個人』はこの状況があまり快いものではない。
(何時まで世話になる訳には、さすがになあ……)
 家族なのに気にし過ぎではないかと知人に言われた事がある。確かにその通りかもしれない。でもそれは普通の家族に相応しい意見だと思う。
 厄介な事に俺と彼女の関係はなかなか妙ちくりんな関係なのである。よくあるのは血の繋がっていないとかだが、俺の場合はもう少し妙だ――血の繋がった他人とでも言おうか。

 人間というのは一人養うだけでも金がえんらいかかる。

 彼女の収入は『弟』である俺を養うのに十二分だったが、それはつまりそれだけの対価を得られる程の仕事をしていたという事でもある。
 俺は彼女に世話になった分をしっかり返さねばならない。そのために俺は中学卒業後の
進路を就職でなく進学にした。目標とした高校は卒業後の就職先の斡旋が豊富なのだ。ある程度のランクの企業で普通に働くのは地道だが、確実だ。
 ただの自己満足であるが、それでもこれは俺がやるべき事の一つだ。恐らく彼女に面と向かって言えば鼻で笑われる事だろう。脊髄反射で目に浮かぶ。
 いや、俺はまず彼女に礼を受け取らせる事が出来るのだろうか。これまでを振り返るにまずそれが物理的に不可能な気が…………体鍛えよう。うん。
「っし!!」
 とはいえ取らぬ狸の皮算用。眠気覚ましに気合を入れる意味も兼ねて頬を叩く。
 目下の目標は高校受験合格。それだけを考える。
 元々同時に複数のことを考えられるほど出来た頭ではないのだ。これから後の事は受かってから考えればいい。
 学力には正直さっぱり自信が無いが、それでも可能な限りの努力はした。しかし受験勉強というのは何回やっても慣れないものである。結局模試でA判定取れなかったし。ていうか勉強って言う行為に慣れるとかあるんだろうか。
 緊張を落ち着けるために数回冷たい空気を吸い込んでから、試験会場である多目的ホールへと入る。

 そして数分後。

「………………」
 あふん。超迷った。
 一面ガラス張りの廊下を眺めながら通り過ぎ、タイルの貼られた壁の横を歩き、埋め込み型の照明の下を歩き回る。天井が高いと開放感があって好きだ。
 どうもこのホールは機能美よりも見た目の美を優先しているらしい。美的センス皆無なのでわからないが、見る人が見ればたぶん凄いんだろう。たぶん。
「階段どころか……案内図すら見つけられない…………!!」
 そんな事はどうでもいい、試験が始まる前に既に心が折れそうだった。
 会場の中で迷子になって試験に遅刻なんて冗談じゃない。誰かに道を聞けばいいのかもしれないが、何故かさっきから誰ともすれ違わない。
「ええい、ままよ!!」
 目に付いたドアを開ける。流石に適当に選んだ場所が合っているとは思わないが、それ
でも誰か居れば道が聞ける筈だ。
「あー、君、受験生だよね。はい、向こうで着替えて。時間押してるから急いでね。ここ四時までしか借りられないからやりにくいったらないわ。まったく何を考えて……」
 まさかの正解。部屋の中に居たのは女性教師と思しき人物。三十代後半くらいであろうか。何か忙しいのか、女性教師は指示を飛ばして引っ込んでいった。一度も俺の顔を見なかった辺り、相当忙しいらしい。
「………………きがえ?」
 何で受験に着替えが必要なのかがよく解らない。数は少ないが、これまで経験した受験だと着替えが必要な事は無かったと思う。
(あ、もしかしてカンニング対策とか? と、時間が無いって言ってたな)
 さっきの教師は『時間が押している』と言っていた。道中で散々迷ったせいか、実際時間は結構ギリギリだ。慌ててカーテンをくぐり、中に入る。

 ――室内には、それが置かれていた。

 一言でいってしまうなら『鎧』。しかし各部にはそれが現代の科学によって生み出されたという事が窺い知れる機械部品が散りばめられている。
 あるいは中世の騎士の鎧、あるいは現代科学の粋、そのどちらも想起させる鋼の塊は、跪く様な姿勢のままただ黙ってそこに鎮座している。
「うわー……本物の『IS(アイエス)』だ。初めて見た……」
 俺の目の前にあるのは、現代社会にして最強の存在として君臨するパワードスーツだ。今まで雑誌やネットで眺める事は数あれど、実際に肉眼で見たのは初めてだ。
「うわぁー……かっけぇなぁー…………」
 思わずほうとため息が漏れる。
 男の子に生まれた以上、こんなメカメカしいものに惹かれない訳が無い。出来るのならば、死ぬまでに一度はこのパワードスーツを纏ってみたいと思う。これで空を自在に駆けてみたい。恐らく大半の男性がそんな事を夢想しているはずだ。
 そう、出来るのならば。
「何で男には動かせないかなあ……」
 その事実を思い出して、昂った気持ちがみるみるしぼんでいく。ISには絶対の原則として、女性しか扱えない。この機械は、何故か女性にしか反応しないのだ。
「最初に存在を知ったときは馬鹿みたいに舞い上がったっけ。こんなのが実用化されてるなんて――実用化出来るなんて思わなかったもんなあ」
 初めてISの存在を知った時の事を思い出しながら、主なき騎士の鎧に歩み寄った。このISが黙しているのは機械だからなのだろう。けれども黙する鋼を見ているとお前(男)に用は無いのだと、そう告げられている気がして少し寂しくなる。
「俺達の何が不満なのかね、君達は。俺は馬鹿だから、教えてくれると助かるんだけど」

 俺の手が、ISに”触れる”。

「……――ッ!?」
 瞬間、脳に突き刺さるような鋭い痛みが走る。同時に脳の隅で何かがちりちりと音を立て、嫌悪感が意識中を駆け巡る。
 嵐の様なそれが過ぎ去った後に、今度はキン、と澄んだ金属音が頭の中に響き渡った。その音を皮切りに意識の中に膨大な本流が流れこんでくる。それは情報だった。目の前の『IS』の基、本動作操縦方法特性装――備活動限界行動範囲センサ精度レーダーレベルアーマー残量出力限界、、、、、、、
「…………、ッ」
 頭の中を不規則に情報の本流が駆け巡る。脳髄の中身を好き勝手に蹂躙されるとこんな感じになるのだろうか。さっきまで知らなかった事を無理やり理解させられる感覚。
 そして憧れと羨望の対象であった鋼の塊についてその総てを把握して、理解している自分が無理矢理に作成される。
 ”じりっ”、と脳の隅で一際大きな異音が鳴った。
 それを境にした後は、それまでに比べて酷く緩やかで自然なものだった。意識に直接浮かび上がるパラメータは、視覚野に直接接続されたセンサーが表示している。その程度の事は、もう考えるまでも無く理解できる自分が居た。そんな自分になっていた。
「……ま、さ、か」
 動く。
 決して自分には動かせないはずのそれが、動く。たやすく動かせる。今では無骨な鋼の塊は物理的にも精神的にも俺の手足の延長と化した。
 肌の上を広がっていくのは皮膜装甲(スキンバリアー)。
 身体を重力から解き放ったのは正常作動した推進器(スラスター)。
 右手に集まった光が形を成して生み出すのは、一振りの装備(近接ブレード)。
 知覚精度の根底を最適化されたハイパーセンサーが書き換える。

 『IS』が、俺の知らない世界を送ってくる。それはまるで、まるで――









 総てが変わり始めたその瞬間は、俺の終わりの始まりだった。



[26596] 1-2
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:32

 ▽▽▽

 『IS学園』

 ISの操縦者育成を目的とした教育機関であり、その運営および資金調達には原則として日本国が行う義務を負う。ただし、当機関で得られた技術などは協定参加国の共有財産として公開する義務があり、また黙秘、隠匿を行う権利は日本国にはない。また当機関内におけるいかなる問題にも日本国は公正に介入し、協定参加国全体が理解できる解決をすることを義務づける。また入学に際しては協定参加国の国籍を持つ者には無条件に門戸を開き、また日本国での生活を保障すること。

 ――IS運用協定『IS操縦者育成機関について』の項より抜粋。

 ▽▽▽


 ここから消えてなくなりたい。今直ぐに。早急に。

 教壇の上では現在進行形で眼鏡をかけた小柄な副担任が何か話をしている。が、さっきから話がまるで頭に入ってこない。というか聞いている余裕が無い。
 教室はしんと静まり返っていて、副担任の先生の声以外一切音がない。それがまた苦痛だ。否が応にも自分が置かれている状況を思い知ってしまう。
 もし今までの人生で一番辛い日は何時かと聞かれたら、俺はこの先何があっても今日だと答えるだろう。

 今日は高校の入学式。
 クラスメートが全員女子――というか、学校で男子は俺だけ。
 そんな、入学式。

(――――――――――きつい)
 俺の席の位置は中央の前列。教室の誰からも見える位置。だがこの視線の束は位置でなく、唯一の『男』という俺の存在そのものが引き起こしているのだろう。
 背中に突き刺さる無数の視線視線視線視線視線視線視線――度を超えた視姦は下手な暴力を超える。俺はそれを今日身を持って理解した。こんなの死ぬまで知りたくなかったよちくしょうめ。
 現在の状況は酷く混沌としているが、ここに到るまでの経緯は酷く単純だ。俺はISを動かせるから、専門の教育機関であるIS学園に入学した。それだけ。
 問題なのはISは原則として女性にしか扱えないという事。そしてここはISを扱う学園なのだから、その生徒は全員女子。

 ――はい、地獄の様な状況の出来上がり。

 震えそうになる身体とカチカチと鳴りそうな歯を気合で押さえ込みながら、俺はただ耐える。この時間が一刻も早く過ぎ去ってくれることを祈りながら。
 そうそう、もしも過去に行けるのならば今とてもやりたいことがある。女の子いっぱいの学園生活を想像し、実は浮かれていた過去の己を全力で殴り飛ばしてくれる。
 女の子いっぱいの空間がこんなにも居辛いものだなんて知らなかった。更に男が俺一人なせいか、肌で感じ取れる程にクラスメートの意識が俺へと注がれている。まあ女の子に囲まれるなんて一部の人以外まずありえないのだから解らなくて当然とも思うが。
(……別に俺の人生が寂しいわけじゃない解らないほうが普通なんだようん)
 いかん、違う方向に折れそうになった。
 ともかく『今』も『前』も囲まれるどころか交流経験が殆ど無い。こんな状況で平気で居られる訳がない。
 あ、仲の良い女子は居たがそいつとは悪友と呼ぶべき関係……いやあ、下僕と主人の関係だったかもしれんなあ。言うまでもなく俺が下僕の方で。
 しばらくは自分が置かれている状況も忘れて蘇る記憶(トラウマ)に浸っていたが、ふいに感じた違和感に従って顔を横に向ける。
 違和感の正体は一つの視線だった。いや視線自体は近所に配って回りたいくらい浴びているのだが、その中でも異質というか、ともかく他とは違うその視線。
 一人の女の子と――まあ女子しか居ないから女子なのは必然なんだけど――目が合った。
 篠ノ之箒(しのののほうき)。
 彼女がこのクラスに居ることはクラス名簿で名前を見つけて初めて知った。
 一応、このクラスの中で唯一俺――いや、『織斑一夏』と面識のある人間だ。彼女と『織斑一夏』はいわゆる幼馴染という間柄に値する。
(彼女が……篠ノ之箒、さん)
 目が合った途端、篠ノ之箒はふいと視線を逸らしてしまった。確か彼女と『織斑一夏』の交流が途絶えてからは既に六年近く経過している筈だ。もしかしたらこちらの事を覚えていないのかもしれない。
 そうであるとこちらも少しは気が楽なのだが。
「――くん、織斑一夏くんっ!」
「はい゛っ!?」
 篠ノ之箒に傾いていた注意が強引に声の方向へと引っ張られる。反射的に返事をしたら思いっきり舌を噛んだ。
 俺の醜態に対し、教室のあちこちからクスクスと小さな笑いが聞こえてくる。穴があったら入りたいというか、穴を掘ってもいいですか。
「だ、大丈夫? び、びっくりさせてごめんね。お、怒ってる? 怒ってるかな? ゴメンね、ゴメンね! でもね、あのね自己紹介、『あ』から始まって今『お』なんだよね。だからね、ご、ゴメンね? 自己紹介してくれるかな?」
 口内で発生した激痛に悶える俺に対し、とても申し訳なさそうに頭を下げながら話しかけてくる副担任の先生もまた女性。今気付いたが、黒板の前に浮遊するウインドウに『山田真耶』と表示されている。恐らくそれがこの先生の名前であろう。
 今は教壇の上に立っているのでわかりにくいが、かなり小柄な女性だ。加えて容姿も幼さが強い。教師なのだから当然こちらより年上なのだろうが、同年代――下手をすればもっと下にも見える。
 普段ならこんなにも可愛い女性が自分達のクラスを受け持つと聞かされれば雄叫びと共にガッツポーズの七つもするのだが、その余力は残っていなかった。
 そういえばこの山田先生は副担任らしいが、ならば担任は誰なのだろう。いや女性なのはわかるけど、何で担任なのに今居ないんだろうか。
「え、っと……『お』はまだ俺の番じゃ――――じゃなかった。わ、わかりました自己紹介! 自己紹介ですね。や、やります、今直ぐやります!」

 久しぶりに、間違えかけた。

 迂闊さに焦りつつも、自分の中からそれが消えていない事に少し安堵する。
 山田先生が俺の言葉に疑問を感じる暇を与えぬよう、椅子を鳴らして立ち上がる。そしてくるりと反転して、クラスメートに向き直った。
(――――――、)
 ザー、と音が聞こえる。うん、まあ顔の血の気が引く音ですこれ。
 このクラスは総勢三十名。男は俺一人だから一を引いて、残りである二十九が目の前に居る女性の数。彼女達の持つ五十四の瞳から放たれる視線が容赦なく俺に突き刺さる。後ろから感じる二つは山田先生だろうか。つまりはクラスの全員が一人残らず、俺に注目していた。その強烈な視線は一挙手一投足を見逃さないと語る様だ。
「お、織斑一夏、です…………よ、よろしく、お願いします…………」
 やべえ声おもいっきり引き攣った。
 一礼の後に顔を上げると、期待に満ちた無数の視線が眼に入る。彼女達の目は、明らかにこれから始まるであろう俺の話に期待を寄せている。
(え何このさあ次はってこの空気いやこれ以上何言えっていうのさ大体もう立ってるだけでいっぱいいっぱいなんですけど本当勘弁してくださいお願いします謝りますから)
 だらだらだらと噴き出る冷や汗が流れ落ちて行く。何を言うかはまるで思いつかないが、このまま黙り続けている訳にもいかない。意を決して、俺は息を深く吸い込む。

「以上!!」

 女子が何人かずっこけた。
 いや本当ごめんなさい無駄に長引かせて。でもほら、終わりは結構凛々しく締められたと自負しております。これで何とかご勘弁を願いたい。

 べしんっ

 自席にて妙な満足感に浸っていると、突如頭を思いっきり叩かれた。俺の意志とはまるで無関係にあらぬ方向にぐりんと傾く首。遅れてやってくる鈍痛。
 人間という生き物は例えその内容が自分にとって災いであっても、慣れ親しんだものはそれはもう鮮明に記憶する。殴り方や威力で、その相手を特定させる程に。
「まさか――」
 そして、そこには思った通りの人物がいた。黒い髪、黒いスーツ、黒いタイトスカート。長身の身体は鍛え上げてられているのに分厚いというよりもすらりとしたシルエットをしている。何よりも印象的なのは、その釣り上げられた目の放つ獣の如き鋭い眼光だろう。
 彼女は『織斑一夏』の実の姉であり、唯一の家族でもある。
 職業不詳。
 月に一、二回しか家に帰って来ない。
 知る限り最強の姉。
 密かにその内姉の枠を超えて人類最強になるんじゃないかと危惧している。

 そして、『俺』がこの世で一番世話になっている女性。
 彼女の名前は『織斑千冬(おりむらちふゆ)』。

「ち、」
「学校では織斑先生だ」
「まだ一文字なのに…………」
 千冬さん、と言おうとしたらはたかれた。
 なんということでしょう。右しか向けなかった首が今度は左しか向けないように!!
「あ、織斑先生。もう会議は終わられたんですか?」
「ああ、山田君。クラスへの挨拶を押し付けてすまなかったな」
「い、いえっ。副担任ですから、これくらいはしないと……」
 山田先生には打って変わって優しい声色で応じる実の姉の横で、俺は必死に首の方向の矯正を試みる。くそう、今度は右に行き過ぎた。
「諸君、私が織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。私の仕事は弱冠一五才を一六才までに鍛え抜くことだ。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」
 有無を言わさぬ断固とした口調。
 流石に俺はもう慣れているし(平気という訳ではない)、むしろ彼女はこうでなければとすら思える。でも他のクラスメートには流石にキツすぎるんじゃないだろうか。

「キャ――――――! 千冬様、本物の千冬様よ!」
「ずっとファンでした!」
「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです! 北九州から!!」
「あの千冬様にご指導いただけるなんて嬉しいです!」
「私、お姉様のためなら死ねます!」

 何で超受け入れられてるんだよちくしょう俺が間違ってる気になってきた。
 机に突っ伏した俺の真上を通り過ぎた黄色い声が、絶え間なく壇上の千冬さんへと降り注いているのが見ずとも感じられる。
「……毎年、よくもこれだけ馬鹿者が集まるものだ。感心させられる。それとも何か? 私のクラスにだけ馬鹿者を集中させてるのか?」
 騒がしさを増す女子に実の姉は凄まじく鬱陶しそうに顔をしかめた。それはきっと飾り気の無い本音であろう。例えそれで相手との関係が悪化するのだとしても、彼女はこういう時躊躇わずに発言する。

「きゃあああああああああっ! お姉様! もっと叱って! 罵って!!」
「でも時には優しくして!」
「そしてつけあがらないように躾をして~!」

 もう嫌だこのクラス本当に嫌だ理解出来ないしたくない頭痛い誰か助けて。
「で? 挨拶も満足にできんのか、お前は」
「いやさっき普通にしたんですが。ていうか千冬さんってここで、」
 べしんっ。
「織斑先生と呼べ」
「了解であります、織斑先生」
 『そろそろぱっくり割れそうなんだが』という事を訴えてくる自分の頭を抑えながら何とか返事をした。頭もだがこう何度も左右を行き来している首もそろそろ心配である。
「え……? 織斑くんって、千冬様と知り合い……?」
「親戚とかなのかな……? もしかして姉弟だったりして?」
「それじゃあ世界で唯一男で『IS(アイエス)』を扱えるっていうのもそれが関係して……?」
 教室のあちこちからちらほらそんな声が聞こえてくる。
 どうやら俺――というか『織斑一夏』と『織斑千冬』が姉弟だという事は知られていなかったらしい。割と珍しい苗字だから直ぐわかりそうなもんだが。
「ああっ、いいなぁっ……! 代わって欲しいなぁっ……!!」
(…………『代わる』、かあ。含みはないんだろうけどねー)
 考えてどうにかなるものではないけれど、それでも俺はこれを考えるのをやめてはいけないんだろう。名前も知らないそこの君、自分でない誰かに代わるのは身を削るほど大変だからあまりオススメできないよ。
 視線。
 教室の視線の殆どが織斑千冬に注がれている中、明らかに織斑一夏に向いている視線がある。それは教室を飛び交う熱っぽいそれとは対象的に、どこか冷めた視線だった。
 横目でちらりと確認すると、視線の主は篠ノ之箒だった。先程までは窓の外へと向いていた筈の視線は今はこっちに向いている。
(…………?)
 篠ノ之箒の様子に、どうも妙なひっかかりを覚える。
 が、唐突に鳴り響いたチャイムの音が思考の進行を遮った。
「さあ、SHR(ショートホームルーム)は終わりだ。諸君らにはこれからISの基礎知識を半月で覚えてもらう。その後実習だが、基本動作は半月で体に染み込ませろ。いいか、いいなら返事をしろよ。よくなくても返事をしろ、私の言葉には返事をしろ」
 鬼教官宣言に対し湧き上がるのは歓喜の声。
 俺の他にもう一人くらいこの言葉にため息を吐く感性の持ち主が居る事を切に願う。
(人気があるだろうとは思ってたが、ここまでとは……)
 彼女の知名度の高さは知っていたが流石にここまで熱狂的だとは。
 織斑千冬――日本の元代表IS操縦者であり、公式試合での戦歴は無敗。国際大会での優勝経験もあり。しかしある日突然現役を引退し表舞台から姿を消す――
 現状から察するに引退後はIS学園の教師として後進の育成に当たっていたという事か。というかそんくらい隠さんでも教えてくれてもいいだろうに。俺はてっきり腕っ節を生かした危ない仕事をやってるもんだとばかり。
「何時までくだらん事を考えている。授業を始めるぞ馬鹿者が」
 これが以心伝心ってやつなんだろうか。
 とりあえず折角直したのにまた右向きになった首を直すとしよう。



[26596] 1-3
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:33
 ▽▽▽

『織斑一夏(おりむらいちか)』

 「世界で唯一ISを動かせる男子」。
 家族に姉である『織斑千冬(おりむらちふゆ)』が居る。両親は不在。
 小学校五年生の時に事故に巻き込まれ頭部に強い衝撃を受ける。
 それが原因で一時昏睡状態に陥り、回復後も記憶の混乱が見受けられた。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽

 俺の名前は『織斑一夏』。
 戸籍にもそう記されているだろうし、俺のことを知っている人間に俺は誰かと問うたら大抵『織斑一夏』だと返されるだろう。
 例外としては質問に素直に答えられない底意地の悪い相手や、愛称を用いる習性を持つ相手が挙げられる。でもその例外も俺を『織斑一夏』だと認識しているという前提がある。
 俺の事を知らない相手は勿論俺を『織斑一夏』とは認識しないだろうが、それでも俺を俺として認識した後に用いるのは『織斑一夏』という名前なんだろう。だってこの世界には俺を『織斑一夏』だと証明するものが満ち溢れているのだから。
 でも、『俺』は『織斑一夏』じゃない。
 それを示すもの――『織斑一夏』ではない、俺が『俺』として『俺』の人生を過ごした記憶――が俺の中には確かにある。とはいえ俺が『俺』であると示すのはその記憶しかないとも言える。
 だって俺の名前は『織斑一夏』で、俺の外見(身体)も『織斑一夏』で、そして歩んだ人生も当然『織斑一夏』なのだから。
 うんもうわっけわっかんなくなってきた。
 相変わらず何度考えてもこんがらがるったらない。

 ある日『俺』は死んだ。
 次に目が覚めた時、俺は『俺』でなく、『織斑一夏』だった。

 結局、わかっているというかハッキリしているのはこれだけしかない。
 俺は確かに『俺』として生きていた。けれどある日死亡した。これはいい――いや自分が死ぬのはすげえ良くないんだが今は置いておこう。こればっかりは事実だから仕方ない。
 問題はこの後から始まる。
 目が覚めたら別の場所で別人で、俺は『俺』じゃなくなっていた。聞いたこともない地名に建つこれまた聞いたことのない名前の病院、その一室のベッドの枕元には、まるで知らない誰かの|名前《織斑一夏》が貼ってあった。
 そして鏡を見れば見たこともない顔が映っている。おまけに年齢がぐっと巻き戻っているときたもんだ。
 医者が言うには、この男の子は事故に遭って頭を強く打ったらしい。そして今まで意識不明だった。でも今は違う。だって目を覚ましていなけりゃ話は聞けない。
 けれども、その中身がすっかり入れ替わっている状況で、その子は果たして本当に目覚めたと言えるのだろうか。
 無数の検査と質問攻めから解放されたのは夜になってからだった。ちなみにひたすら
「?」って感じで対応していたせいか、記憶障害と診断されていたらしい。
 灯りの消えた病室で、とにかく考えた。
 目が覚めたら他人になっていたなんて、非常識な現象についてとか、俺はこれからどうすべきなのか考えて考えて考え続けた。

 そして翌日、俺は高熱を出した。

 知恵熱本当尋常じゃねえ。寝こんでる間夢の中で何か誰かと談笑する幻覚まで見ちまった。回復するまで三日もかかったし。
 さておいて、考えた果てに思いついたのは転生とかその手の単語だった。
 でも本当に転生なんて現象が本当に起こりうるのだとしても、その際に『俺』の記憶は消えている筈だ。
 次に思い当たったのは、事故で頭を打ったショックで『前世の記憶』なるものが呼び戻されたのではないかという考え。
 でもこの考えにも素直に頷けない要素が幾つかある。今の俺には『俺』以外の記憶がない。『今』である『織斑一夏』の記憶はどこへ行ってしまったのか。
 一体どれだけ器用な頭のぶつけ方をすれば『織斑一夏』の記憶を綺麗に消去し、『俺』の記憶だけを呼び戻すなんて真似ができるというのだ。
 そしてもう一つ。

 俺は、自分が何故死んだのか覚えていない。

 確かに死んだ事は、心に刻み込まれている様に確信できる。でも何時何処でどんな風に死んだのかを俺はまるで覚えていない。記憶の方は特に何も無い日常の途中でブッツリと途切れている。
 もしや死を自覚出来ない規模の災厄にでも巻き込まれたのだろうか。平日の日本の街のド真ん中でそんなもん起こってたまるか。よりにもよってミステリーの犯人暴露の途中だったんだぞ。
 それに死の原因は覚えていないが、感触は残っていた。一瞬で死んだのならば、そんな感触を感じる暇はなかったはずだ。
 何度も自分の最後の瞬間を思い出そうとして、俺はその度に言いようのない恐怖を想起する羽目になった。どんな恐怖かといえば――形容できない。
『わけがわからないがとにかくこわい』
 俺の感性ではこれ以上うまく言いようがない。ともかく形容しがたいまでに強烈な死の確信が俺の中には刻み付けられるように残っていた。
 そう、本当に怖かったんだ。
 想い出すまでもないくらい、気を抜けば――考えるという行為に夢中になっていなければ――直ぐにでも心の奥底から這い出てくるくらいに圧倒的な、『俺』の根本を揺さぶるような恐怖だった。
 だから、『今』の方で目覚めた瞬間に、俺は驚きを忘れてまず最初に歓喜した。
 心の底から生きている事を喜んだ。ただ、生きているというその事実が嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

 ――この生は|織斑一夏《見知らぬ誰か》の人生を横取りしたものではないのかと、心で確かに感じた罪悪感の予兆を押し流してしまう程に。

 生きている事が、本当に嬉しかった。






「ちょっといいか」
 休み時間に入ると、一人の女の子が俺の席へとやって来た。
 彼女の名前は『篠ノ之箒』。小学校四年の終わりまでの時を共に過ごした『織斑一夏』の幼馴染の女の子。

 『俺』が、今日”初めて会った”女の子。


 ▽▽▽

 教室や廊下に展開する見物人の群れを抜け、屋外へと出る。それでも建物と屋外の境目辺りに人の気配を感じるので、誰かが聞き耳でも立てているんだろう。
 教室からここまでの短い移動でも、数多の女子生徒が逐一こちらの様子をうかがっていたのだからもう言葉も無い。男がよほど珍しいと見えるが、そのせいでこちらに致命的な居心地の悪さをもたらしてくれる。とはいえ時間が解決してくれるまでは耐えるか慣れるかしかないのだろう。
 しかし男が一人とはいえ別に星に一人とかでなく、学園の生徒で一人ってだけだ。彼女達だって親含め今まである程度は男と接してきたはずだ。なのにまあどうしてこうも騒げるのかちょっと疑問だ。ていうかぶっちゃけ何か怖い。皆よくわからないモノに駆り立てられている気がするんだよ。上手く言えないけどさ。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 いや。
 いやいやいやいや。何か用があるから俺呼び出されたんじゃないの。なんなのこの沈黙。
そろそろ辛くなってきたんですけど。何、俺が何したの。
 ともかく、さっき呼び出された時点でこの娘が――篠ノ之箒が織斑一夏の事をはっきり覚えているのは確認できた。
 微かに記憶にあるくらいなら、こうして休み時間にわざわざ呼び出して話そうとは思わないだろう。だから少なくとも『顔を見たら言いたい事が直ぐに浮かぶ』位には彼女は織斑一夏の事を気にしているということだ。

 けれど俺は彼女の事をこれっぽっちも知らない。

 彼女と一緒に過ごしたのは『俺』じゃなくて『織斑一夏』の方である。彼女と織斑一夏が別れたのは、丁度俺の中身がすげ変わった頃であるから。
 俺が彼女を『篠ノ之箒』と認識できたのは、アルバムに残っていた彼女の写真を見て外見に関してある程度の予備知識を得ていたからに過ぎない。
 それは当然六年前のものなのだが、実際彼女に会ったら一目でそうだと解った。何かこう雰囲気が変わっていないのだ。背丈とかの外見は当然相応に変わっているが、もっと根本的なところが変わっていないというか。写真や伝聞でしか彼女を知らない俺がこんな事を言うのも、少し変かもしれないが。
 さてそろそろ黙って向かい合ったまま数分経ってるんだけどこれもしかして休み時間終わるまで続くの? 俺の精神現在進行形でカンナがけされてるんですけど。カツオブシじゃねんだからもう。
 こうなったらこっちが口を開くしかない。元々俺にも言う事はあるのだ。すげ変わった当初も散々周りに言ってきた事だ。
『記憶喪失になったから君のこと綺麗サッパリ覚えてない』
 これ。
 でも正直すんごい言い辛い。
 向こうがこっちを大して覚えていなかったならわざわざ言うまでもなかったんだろうけ
ど、覚えているんだからこれは言っとかないといけない。

 君の前に居るのは確かに織斑一夏だけど、それは君の知る『織斑一夏』ではないという事を。

 俺は今織斑一夏として生きている。でも『俺』は『織斑一夏』じゃない。
 よし言おう、うん言うぞ、よしせーのっ
「あ、「何だっ!?」――いえー何でもありませんよー」
 俺のこの馬鹿へたれやろう。
 ていうか今気付いたけど、何でこの娘はこんな余裕の無さそうな表情してるんだろう。雰囲気的に凛としてて何事にも動じない感じに見えたんだが。彼女も久しぶりに話すとかで緊張してるんだったら、ちょっち親近感。
「…………一夏。久しぶりに会った相手に、何か言う事はないのか」
「あんま変わってないね特にその目付きのわ――いや髪型が! ポニーテールが!!」
 あっぶねえ思いっきり本音(目付き悪い)出かけた。
 幸い前半の方は彼女に聞こえていなかったようである。こちらの言葉を受けた彼女は長いポニーテールの先端をいじくり始めていた。
「よくも、覚えているものだな……」
「いや覚えているというか最近覚えなおしたというか?」
「……どういう事だ?」
 篠ノ之さんが髪をいじるのを止め、一気に怪訝そうな顔になる。
 この娘、真面目な顔してると何か迫力合ってちょっと怖い。
「いや去年。剣道の全国大会で優勝してたでしょ。それで知ってた名前見かけたからちょっとアルバム引っ張り出してたりしたからさ」
「なんでそんなことを知ってるんだっ」
「俺に新聞を読むなというか君は。まあ普段はTV欄と四コマしか見てないけど。たまたま眼に入ったんだからしょうがないだろが」
 への字になった口、温度が上がったのか赤くなる顔。
 何もそこまで怒る事だろうか。あ、わかった。
「悪い。先にこっちを言うべきだった、優勝おめでとう」
 『俺』も『前』で剣道を少しとはいえやっていたせいか、その功績がどれだけ凄いものかは解る。だから『俺』の現状とか彼女との関係とか、そういうのを一切合切抜きにして、ただ純粋に彼女の偉業に向けて賞賛の言葉を贈る。
「~~~っ」
 かあーとか聞こえてきそうなくらい。瞬く間にその顔が赤くなっていく。照れるその様子は素直に可愛いらしかった。褒め言葉には素直に喜ぶべきだと思う。
 馴染みのツインテはどうにもその辺どうにもひねくれてやがったからなあ。今みたいに俺が笑顔で言ったら絶対思いっきり引きやがるに決まってる。

 ――キーンコーンカーンコーン

「じ、授業が始まる! 早く戻るぞ!!」
 二時間目の授業を告げるチャイムが鳴り響くなり、篠ノ之さんは踵を返して歩きだ――うっわ速ッ!! 走ってないのに何であんなに速いんだ!?
 後ろからでも見える耳が真っ赤なところを見るに、よほど褒められたのが恥ずかしかったということか。もう少し胸をはって誇ってもいいと思うんだけど。
「………………って、結局言えてねーし」
 篠ノ之さんの姿が見えなくなってから、肝心な事を何も言ってない事に気がついた。最初の沈黙が響いて結局時間切れである。
「あー……ったくもー」
 これから先同じ学校で過ごすのだから言う機会はいくらでもあるだろうが、あんまり長引かせたくない。今度はこっちからコンタクトすべきだろうか。しかし以降彼女が接触してこないならわざわざ告げる必要があるのか。いやしかし――

「どーしてこう、人生ってやつは壁に事欠かないんだか」

 手すりに身体を預けて、仰ぎみた空はどこまでも青く澄み渡っている。
 暗鬱な俺の心の中と見事に正反対だった。









「で、織斑。遅刻の理由は何だ?」
「空があんまり青いので、いい感じに黄昏てました」

 パァンッ!!



[26596] 1-4
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/24 03:12
▽▽▽

『ISのある世界』

 ISが発表されてから十年経つ。
 現行の戦闘兵器を遥かに凌駕する性能を持つISの登場によって、世界の軍事バランスは当然のように崩壊した。
 そのISの開発者は日本人の篠ノ之博士であり、そのため当初の日本は独占的にIS技術を保有していた。これに危機感を募らせた諸外国はIS運用協定――『アラスカ条約』によってISの情報開示と共有、研究のための超国家機関設立、軍事利用の禁止などを取り決めた。
 現在における各国家の軍事力(有事の際の防衛力)はIS操縦者がどれだけ揃っているかによって決定すると言っても過言ではない。そしてIS操縦者である女性のため、各国は積極的に女性優遇制度を施行した。
 そんな経緯を経て、世界は『女尊男卑』に大きく傾いている。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽

「ちょっとよろしくて?」

 なるほど。わからん。
 いくつか授業を受けた感想がそれだった。今は授業を終えて訪れる休み時間。机の上に広げられているのはさっきまで授業で使っていた教科書や、板書したノートである。
 それらを見返しながら改めて思う。さっぱりわからん。
 流石に日本語なので言葉は聞き取れるが、その言語が羅列されて何を意味しているのかがすたこら理解できないのである。
 ちなみにこのIS学園は事前に参考者が配布されている。恐らく授業に関しての予備知識を総て詰め込んであるから、あんなに分厚いのだろう。
 当然それは読んだ。穴が開くほど、というか一回勢い余って分解してしまったのでセロハンテープで補修してある。
 問題なのは1ページの内容を覚えると前読んだ3ページ近くを綺麗に忘れる俺の頭である。脳そのものが他人のモノに変わっても相変わらずこういうのは駄目だ。どうも学力ってやつは脳よか精神に大きく依存しているらしい。

「…………こほん。ちょっと、よろしくて?」

 そんな訳で、どうも相当がんばらないと授業についていけそうにない。ついこの間も受験勉強で地獄を味わったが、今度は更にその上を覗けそうである。これから先を想像するだけで辛い。既に胃がキリキリしそうだ。
 が、仕方がない。
 ISはハッキリ言って『兵器』だ。軽い気持ちで扱っていいものでは決して無い。事故を起こせば自分だけでなく周りにも多大な迷惑をかける。どころか、取り返しの付かない事態を引き起こしてしまうかもしれない。それだけ危険な物なのだ。
 俺はそんなモノに関わると決めた。IS学園に入学する事もその手続も、周りの大人がいつの間にか勝手にやっていたが、そんな物は知らんし正直どうでもいい。
 立ち位置やらが七面倒臭い事になっていても、俺の意思の元進む以上これは俺の人生だ。自分の人生の事は自分にしか決められない。

 それにしても、相変わらず人生は壁に事欠かない。

 だがそれを乗り越えた時に得られる達成感は心の芯を歓喜に震わせてくれる。そんな感動を得る機会を隙あらばこっちに差し向けてくる人生が、俺は大好きである。
 とはいえ、あの壁――死ぬということ――はちょっと越えられそうにないが。
(…………いや)
 あれは、超えてはいけない壁なのかもしれない。あの時感じた恐怖は一人間が超えてはいけない境界を垣間見たからではないだろうか。さすがに大袈裟すぎるか?

「――いい加減にしていただけますッ!?」
「うぉァ――!? はいなにナニ何!? とりあえず何かごめんなさァ――!!!!?」

 ズバァン! と誰かの手が机に叩きつけられる。反射的に直立不動で気を付けに。
 すっかり物思いに耽っていたので全然気が付かなかったが、何時の間にか誰かが横にやってきている。
(……おや外人サンだ)
 まず目に入ったのは鮮やかな金髪だった。次いでその綺麗な蒼い瞳。金髪碧眼――まあ白人の女の子だ。瞳がつり上がっているのは怒っているからであろうか。
 ちなみにIS学園において外人はそんなに珍しくない。というか普通にたくさん居る。外国の生徒も無条件で受け入れるって条件あるせいだろう。たぶん。
 俺がようやく反応したからだろう。外人サンは机に振り下ろしていた手をどけ、そのまま腰に手を当ててふんぞり返っている感じのポーズに移行した。
 関係ないようで関係ある話。
 今の世の中の原則は『女性=偉い』である。ISを操縦できるというアドバンテージは相当で、社会はあっという間にその構図で塗り替えられてしまった。
 当初は馴染みある価値観(男尊女卑より)であった世界が、ISという存在一つで根底から一気に塗り替えられていく様を見るのはちょっと――いやかなり新鮮だった。
 ともかく今のこの世界は女性が偉い。どのくらい偉いかというと、すれ違っただけの男をパシらせる女の姿が街中で当たり前のよう見られるくらい。
 前居たとこで話したら笑われそうだが――それがこの世界の現実である。
 IS操縦者が神格化されるのはわからなくもないが、ISを『動かせるかもしれない』女性達まで当然のようにふんぞり返るというのは正直かなり笑えない。確かに触れば動かせるだろう。でもその手元に必ずISがある訳ではないし、そもそも大多数の人が所有する資格を与えられていないのだ。
 なのに『ISを扱える凄い人』が『女性』だから、同じ『女性』である自分達も偉い。そう本気で思っているのだから始末に終えない。
「訊いてましたの!? お返事は!?」
「え、……ええと、申し訳ない。少し考え事を、していたもので」
 うわ怖。
 突然俺が二度目の小学校の時の話になるが、クラスに世の風潮に染まりきった娘っ子が一人居た。当然普段から男子を奴隷同然の様に扱うわ罵るわ好き放題である。
 そしてというか当然というか……ある日とうとう一部の男子達が噴火した。娘っ子一人を男子複数で集団リンチなんて笑えないにも程がある。
 もう普段から『いつかこうなるんじゃないか』とさんっざん思っていたが見事にそうなった。いやまあこうなる前に何とかしろよと思うのだが、いかんせん娘っ子が態度を改めない(どころかエスカレート)のだからもうどうしようもない。
 どうしようもないっつたってほっとく訳にもいかない。
 だから鎮静のためにあれこれ駈けずり回ったけど、もう本当に散々だった。三階から突き落とされたり、腕の骨折れたり。まあ骨折ったのは落ちた後で立ち上がりそこねてコケた際に鉄骨でぶつけたからなんだが。挙句の果てにはひいこら言って助けた娘っ子に「このグズ! 役立たず!!」とか言われて折れた方の腕蹴られたり。

 まあいちばんきつかったのは、いえにかえったあとのちふゆさんのおせっきょうだったんですけどね。

 うん。色々と懐かしい記憶を高速で掘り返してしまった気がする。
 懐かしいといえば、その事件後しばらく俺は男子女子両方からハブられたのだが、ひとりだけ味方がいた。元気かなあのツインテ。まあ元気だろうな。元気でなかったら会いに行って無理やりにでも元気にさせてくれるわ。
「それで俺に何か用でも?」
 ともかく、こう「偉いんだぞ!」ってポーズを取る人間の中には『偉くて当たり前』と思っている輩がいるのだ。さあて、彼女はどうであ――

「まあ! なんですの、その返事。わたくしに話しかけられるだけでも十分光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるんでないかしら?」

 ――うん。これは駄目かもわからんね。
 威光って、振りかざし過ぎると価値が減ると俺は思うよお嬢ちゃん。
 まあ言わないけどね。何でこんなのに忠告するために俺の時間使わにゃならんのだ。
「あーまーそう仰るからにはさぞ偉い人なんでしょーね」
 もうめんどくさいから適当に流そう。
 俺のどうでもいい感じが伝わったのか(まあ伝わるような言い方したんだけど)、外人サンは元からつり上がっていた目を更に吊り上げ、酷く仰々しく語り出した。
「その様子だとこのセシリア・オルコットをご存じないようですわね? イギリスの代表候補生にして、入試主席のこのわたくしを!!」
 彼女の言葉に口笛一つ。
 馬鹿にしているのではない。彼女の肩書きに感心したのだ。
「代表候補生てこ、」
「そう、国家代表IS操縦者の候補生として選出されたエリートなのですわ! 更にわたくしは現時点で専用機を持っていますのよ。この意味がおわかり?」
 人の話聞かないタイプと見た。
 見るまでもねーな。まあ聞きたい事は勝手に喋ってくれたからいいか。
 それにしても俺の顔に突き付けられた彼女の人差し指が、近すぎてぼやけて見える。
「本来ならわたくしのような選ばれた人間とは、クラスを同じくすることだけでも奇跡……幸運なのよ。その現実をもう少し理解していただける?」
「俺は今まさに君のツラ見て不幸を味わい始めているのだが」
「なっ!?」
「何で俺にとっての奇跡や幸運を君に決められなきゃならんのだ。意味がわからん。つかもし本当に君が在るだけで他者を幸運にするのなら、わざわざそんなくだらん宣言するまでもなく周囲の人間は思い知るんじゃねーの?」
 再度、机に彼女の――セシリア・オルコットの手が振り下ろされて音を鳴らす。さすがに鳴るとわかっている音にビビるほど臆病ではない。頬杖をついてため息一つ。また面倒なのだ出てきたもんだ。
「…………男でISを操縦できると聞いていましたから、少しくらい知的さを感じさせるかと思っていましたけれど――期待外れでしたわね」
「そうかーそれはざんねんだったねー」
 冷たさのあまり鋭さを帯び始めた彼女の眼光が、更に輝きを増す。
 あーこわいこわい。
「ふん、まあいいですわ……どうせ直ぐにわたくしの実力を思い知るでしょう」
「ああいいね。俺みたいな馬鹿にはくっちゃべるよか見せたがなんぼか速い。ここまで言ったんだ、期待はしっかりたっぷりさせてもらうぜ、代表候補生さん?」
「ええその時はせいぜい思い知ることね! なにせわたくしは入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから!!」
「はん。その辺はさすがに主席かね。俺は情けない相打ちだったし」
 彼女的にはさっきのエリート中のエリート宣言で俺に言うべき事は言い切ったつもりだったのだろう。事実彼女は踵を返し自席へと戻ろうとしていたのだし。
「…………なんですって?」
 だが俺の呟きが彼女には聞き捨てなかったらしい。キュバッ! とか聞こえてきそうなくらい機敏な動きでこちらを振り向いた彼女は、愕然とした表情をしていた。
「きょ、教官を倒したのはわたくしだけと聞きましたが!?」
 物凄い勢いでセシリア・オルコットが詰め寄ってくる。
 何を動揺しているのかしらんけど距離がちけーよスッタコ。
「だから相打ちだって言ってんじゃん。勝った訳じゃないし」
「それでも教官を倒したことには変りないでしょう!?」
「個人的にはあれを倒したとは言いたくないんだが。まあ一応倒してる事は倒してるか」
 では試験の時の様子を順を追って思い出してみよう。

 1.教官の人が加速する。
 2.俺も加速する。
 3.ぶつかる。
 4.どっちも気絶して動かなくなる。

 ……いや、やっぱこれは倒したとは言えねーんじゃねーかな。とてもじゃないがこれを『教官に勝ちました!』と誇る気にはなれない。誇ったら俺の中の大事な何かが壊れる。
 くそう、あのIS何で飛ぼうとしたら全力で前進しやがったんだ。
「じゃあ……あなたも教官を倒したって言うの!?」
「いや、まあうん。これに関しては君は今まで通り誇ってていいと思うよ」
「ふざけないでくさださる!?」
「大真面目だっつの。こっちゃ想い出すたびに恥なんだぞ……」
「は、恥!? 恥とおっしゃいましたか!? 教官に勝ったことが!?」
「あ゛――ッ面倒なとこに食いついてくんなーも――!!」

 きーんこーんかーんこーん

「…………っ! 話の続きはまたあとでしますわ! 逃げないことね!!」
 授業を告げるチャイムの音が俺とセシリア・オルコットの怒鳴り合いをかき消した。
 セシリア・オルコットは一度ずびしと俺を指さした後、慌てて席へ戻っていく。
 次の休み時間が今から既に憂鬱だよちくしょうめ。

「それではこの時間は実践で使用する各種装備の特性について説明する」

 壇上でそう言うのは|織斑先生《千冬さん》だ。
 これまでの授業は山田先生が教壇に立っていたのだけど、この授業は何か特別なのだろうか。よく見れば山田先生はなにやらノートまで持っている。
「ああ、その前に再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めないといけないな」
 突然思い出したように言い、改めてこちらを見渡す織斑先生。
 根拠はないけど何か嫌な予感がする。
「クラス代表者とはそのままの意味だ。対抗戦だけではなく、生徒会の開く会議や委員会への出席……まあ、クラス長だな。ちなみにクラス対抗戦は、入学時点での各クラスの実力推移を測るものだ。今の時点で大した差はないが、競争は向上心を生む。一度決まると一年間変更はないからそのつもりで」
 何てあれこれ面倒な仕事の多そうな役職なんだ。やり甲斐は酷くありそうではあるが。
「はいっ織斑くんを推薦します!」
 うん、これはちょっと予想してた。
「私もそれが良いと思いますー」
 これは今日何度目のため息であろう。数えてないからわからんがまあ二桁はとっくに超えたんだろうな。
「では候補者は織斑一夏……他にはいないか? 自薦他薦は問わないぞ」
「はい」
 挙手。発言を許可されたことを千冬さんの目線で感じ取って――さすがにこのくらいはもう判別できる――立ち上がった。クラスメートの注目の視線が背中に刺さる。

「セシリア・オルコット嬢が適任だと思います」

 俺の言葉に教室がざわめいた。立ったままくるりと反転すると、ぴたりとざわめきが収まった。こういう時この目立つ位置は便利だ。もう二度と活かすことはないだろうけど。

「……学園生活を楽しくしたい気持ちはわからんでもないっていうか、俺も大賛成なんだけどね。入試で主席の代表候補生なんて”とびっきり”が居るのに、それを使わねえってのはいくらなんでも冗談が過ぎるだろ」

 彼女達が俺を代表に推薦するのは間違いなく『その方が面白そうだから』。この一点から来ているんだろう。
 全員が俺を見ているのを確認してから、ゆっくりと話し出す。一旦見回すとよりこっちに注目するんだよねこーいう時。

「ちょうどいい機会だからからハッキリ言っておく。俺は確かに例外ではあるが、ISに関しては所詮トーシロだ。実力では下から数えた方が速いかもな。
 代表候補生のセシリア・オルコット嬢との実力差なんて考えるまでもない。君達はそんな素人に自分達の威信をかけられるのか?」

 これは単なる事実。入試の時だって、起動させる事は出来たがロクに動かせなかった。あの衝突事故がそれを証明している。

「――なあ、俺らはここに何をしに来てる? 遊びに来てるのか? いいや違う、学びに来てんだ。それもISなんてとびっきりの危険物の扱いをだ。楽しむなとは言わねえし言いたくない、でもせめて締めるところは締めようぜ。代表の”対抗戦”なんだろ。俺は勝負事に出せる全力かけずに挑むのはゴメンだ。やるからには勝ちに行く。最初から妥協なんぞ混ぜたくない」

 ぱん。と小さく手を鳴らす。
 それで教室の少し張り詰めていた空気が解ける。

「では改めて。俺を推薦したい人、いる?」

 し――――――――ん。と静まり返る教室。
 それを背にして着席した。
 ああもうこんなマネ二度とやるまい。柄じゃないんだよこういうの。
「――よ、よく言いましたわ!!」
 ずばーんと机を叩きながら立ち上がったのは勿論セシリア・オルコット。どうでもいいけど君よく机叩くね。もうちょっと大事にしてあげなよ。
「織斑くん織斑くん」
 隣の席の女子が小声でこちらを呼びかけてくる。
 なんだろう、調子に乗るなとかそういうのだろうか。
「話してる時の顔、ちょっとかっこよかったよ」
「……ハハ、そいつはどーも」
 予想外過ぎる。
 ハブられ覚悟だったんだが、今回の博打は思いの外勝ちだったようだ。
「織斑」
「へ、なんですか? 織斑先生?」
「本音は?」
「武器は戦っている時こそ最も美しいので彼女の専用機を心ゆくまで眺めたいのとぶっちゃけ面倒そうだからやりたくねいえなんでもないです」
 慌てて口を閉じたがもう遅い。俺を見下ろす千冬さんはどうせそんな事だろうと思った的な絶対零度の視線を俺に突き刺してくる。
「珍しくまともな言葉を吐いたと思ったらこれか。全くお前という奴は」
「だ、だって専用機ですよ専用機! パーソナル!! 折角そんなスペシャル持ってる奴が居るんだったらそいつこそクラスの顔にすべきでしょう!? 皆もそう思うよね!?」
 今度は座ったまま振り向いた。うわすげえ笑われてる。芯からボッキリ折れそう。時折聞こえてくる私もそう思うよーってフォローが本気で癒しこの上ない。
 さて、専用機とは――文字通りそのまんまの意味である。
 ただでさえ”稀少”なIS、その一機を自分専用として与えられているのだ。当然高い実力を持っている事になる。何せ現行最強の兵器であるISを一機自由に使うことを許されているのだから。
 そんな専用機持ちになるのは、俺の現在の目標だ。
 男に生まれた以上、この響きを聞いたら目指さざるをえないだろうよ。
「つまりお前は専用機持ちこそクラス代表者に相応しいと。そう言いたい訳だな?」
「いぐざくとりぃ!!」

「ではお前にも資格がある事になるぞ、織斑。お前には学園で専用機を用意しているからな」

「………………え?」
 俺の上げた素っ頓狂な声を最後に、それまでざわついていた教室が一気に静かになる。
「専用機って――一年の、しかもこの時期に!?」
「やっぱり政府からの直接支援が出てるんだ……」
「いいなぁー……私も早く専用機欲しいなぁー……」
 静かになったのは一瞬で、その後は更に激しくざわめきだした。
 俺はというとちょっと千冬さんが何言ってんのかわかんない。
「――もしかして織斑くんって、本当は凄いんじゃないの?」
「実はずっと昔からISの英才教育を施されてきたって噂、案外本当なのかも……」
「それに千冬様の弟だし……」
 相変わらず頭は混乱しているのだが、何か後ろからよくないひそひそ声が聞こえてきた。
 ま、まずい。何かまずい事になっているのはわかる。わかるのだが、頭が混乱していてそれをどうすればいいのかがさっぱり思いつかない!
 あわあわと視線をさ迷わせた俺は、救いを求める意味で教壇の上の織斑先生を見、
(ち、)
 そこには。
 にやりと笑っている、旧知の仲の女性の姿があった。
(千冬さああああああん!! こうなるのわかってて言ったなああああああああ!?)
 心の底からほとばしる無言の抗議は、さらりと受け流された。
 うーん、澄ました様子が実にクール。
「さて、どうせだから決める前にもう一度聞いておこうか。さっきも言ったが自薦他薦は問わんぞ」
 千冬さん。
 何か楽しそうなのは俺の気のせいなんですよね?
 あくまで確認のために言っただけですよね!?
「私は織斑くん!」
「織斑くんで!!」
「うーん、私はやっぱりセシリアさんかなあ」
 教室を飛び交う推薦の嵐。
 ちくしょうめ、俺の方が多い、多数決を取られたら終わりだ!!
 確かに面倒ってのも本当だ。
 でもセシリア・オルコットの方が適任だと思っているのも本当だ。
 性格はすごい気に入らないけど、彼女の実力は俺の例外という肩書きで作られたハリボテと違い、確かな経験の基に打ち建てられた本物だ。性格はすごい気に入らないけど。

「待ってください! 納得がいきませんわ!!」

 よっしゃあやっぱり来てくれたかセシリア・オルコット!
 彼女だってこのまま流れたら再度俺に決まる事は気付いていたはず。プライド高そうだから絶対抗議してくれると思ってたよ!! さあ流れを引き戻せ! 代表候補生なんだからそのくらい見た目と同じく華麗にやってみせてくれ!!
「専用機があるからといって、実力がわたくしの方が上なのは変わりませんわ! 大体、男がクラス代表なんていい恥さらし! 一年間も――このわたくしが一年間もそんな屈辱を味わうなんて耐えられません!!」
 うーむ、とにかく男だから気に入らないという典型的な女尊男卑。
 テンプレートってこういうのを言うんだろうなあ。
 傍観を決め込む俺を他所に、セシリア・オルコットはどんどんヒートアップしていく。
「本来実力で決めるべき栄誉あるクラス代表の座を! ただ物珍しいからという理由だけで極東の猿に決められてはたまったものではありませんッ!! ISでサーカスの見世物でもやるつもりですか!?」
 さあて。
「大体、文化としても後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体――」
「あははははははははははははは!!!!!!!!!」
 延々と続くスーパーセシリアシャウトを怒号に近しい笑い声が覆い尽くす。
 まあ笑っているのは俺だが。
「あーあーあー、笑えるな、馬鹿みたいに笑えるわ、あはははは!!」
 笑いながら立ち上がる。
 クラスメートから向けられているのは、何が起こったのかわからないという困惑の視線だった。さっきまで燃えるようにまくしたてていたセシリアもきょとんとした顔で俺を見いる。
「いやあさいっこうに笑えるわ。代表候補生ともあろうお方が自分を猿扱いかよ」
「……何ですって?」
「だってそうだろ。同じ人間である俺が猿なら君も猿だろーが。それとも何か? そのトシになってまだ人間の見分けがつきませんってか? それこそさいっこうに笑えるわ」
「――――わたくしを侮辱しますの?」
 怒りを通り越し殺気の如き鋭さの視線にとてもとても冷たい声。
 あれだ。怒りが一定を越えすぎて逆に冷静になっている状態って奴なんだろう。
 今の俺みたいに。

「決闘ですわ」
「乗った」

 あくまで静かに、セシリア・オルコットが言い放つ。
 即答。覚悟は終わっている。具体的には爆笑する直前辺り。
「で、具体的な条件は?」
「あら? 早速ハンデのお願いですの?」
「何だ。君は俺を笑い殺す気なのか? いる訳ねーだろそんなモン。むしろこっちが付けてやろーか、お嬢ちゃん?」
「……いいでしょう。このセシリア・オルコットの全力を以て貴方を叩き潰す事を約束しましょう」
「そりゃ楽しみだ。さっきも言ったが、やるからには勝ちに行くぜ。吠え面かいても知らねーぞ」
「さっきから随分大口を叩きますわね。吠えるのは負けた後で構いませんのよ? それにしてもここまで言って負けたらどうしてくれるのかしら? 
 そうだ、私の奴隷にでもしてあげましょうか? やかましく吠えるのが得意なようですから、番犬としては優秀かもしれませんわね」
 セシリア・オルコットのそれは確実に”人”を見る目ではない。動物――それも家畜に分類されるモノを見る目をしていた。
 さてこの勝負。分が悪いどころの話ではない。
 俺のISにおける知識なんてせいぜい参考書で読んだ内容と、試験の時に動かしたときの経験くらいだ。千冬さんは俺があまりISに関わることを良しとしていなかったのが大きい。興味は人一倍あったが本格的に関わりだしたのは試験会場を間違えた日からだ。
 対してセシリア・オルコットは学園に入る前からもISを扱うための教育をうけてきたのだろう。そして示された実力があるからこその専用ISだ。
 勝率は一桁――どころか小数点の壁を越えられるかどうか。俺がギャラリーだったら間違いなくセシリア・オルコットにかける。
 うーん、ここまで分が悪いのは久し振りだな。
 この人生も随分と盛り上がってきたもんだ。

「さて、話はまとまったな。それでは勝負は一週間後の月曜。放課後、第三アリーナで行う。織斑とオルコットはそれぞれ用意をしておくように。それでは授業を始める」

 俺も彼女も、言いたい事は言い終わったのでそのまま静かに席に着いた。
 それにしても千冬さん超通常進行。
(しっかしまーほんと最近の人生は壁に事欠かねーな。おまけに今度のは随分とまた越え甲斐がありそうだし)

 ともかく、今は授業を聞くとしよう。
 俺には知識も経験も足りていないのだから。



[26596] 1-5
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:35

▽▽▽

『IS学園の設備』

 IS学園にはISアリーナ、IS整備室、IS開発室といったISを運用研究するために必要な設備、環境が万全の体制で整えられている。
 他にも通常の教育機関としての施設は勿論、寮や食堂等、全体的にかなり高い水準で充実した設備を有している。

 当然、それらはIS学園に女子生徒しか存在しないことを前提としている。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽


 分の悪い賭けは眺める側に限る。

 自分がかける側で、しかも分の悪い方というのは是非ごめんこうむりたい。まあ今回は売り言葉を倉庫買いした俺が悪い。本当に嫌ならあのまま黙っていれば良かったのだし。
 今回の件(決闘)をこっちで馴染みの連中が知れば恐らく『また後先考えずに突っ走ったな』と言うのだろう。
 でもそれは基本的に俺を誤解している。
 今回の事はまあちょっとあっちに置いておくが、基本的に後を考えて、大丈夫そうな時しか無茶はしない。周りが言う『感情任せ』で突っ走ったことなんて実際数えるほどしか無い。
 でもこれ言っても信じてもらえないんだよね。何でだろう。
「さあて。本当にどうしたもんかね」
 今日の授業はすべて終わり、放課後に突入している。
 最初の授業を受けた時点で解っていたが、まるで授業についていけない。
 予備知識があるので多少はマシなのだろうが、今日教わった内容の中で正しく理解できている範囲は一割あればいい方だろうか。
 まあ、俺の頭のロースペックぶりは今に始まった事じゃない。付き合い方だって知っている。ともかくやるたけやるだけである。
 それにしても相変わらず多量の視線を感じる。放課後の今はクラスメートだけでなく、他のクラスや他学年と思しき女の子達まで居るようだし。
(…………案外直ぐ慣れるもんだな。まあそれどこじゃ無くなったてのもあるけど)
 相変わらず俺(唯一の男)は周囲から好奇の視線に晒され続けている。今は他に明確な目標が出来て、しかもそれが酷く難題なせいだろう。
 既にあまり気にならない。とりあえず別れの挨拶を言うクラスメートに手を振り返しながら冗談交じりの挨拶を投げる余裕くらいはあった。
「ああ、織斑くん。まだ教室にいたんですね。よかったです」
「うぇい? 何か用ですか山田先生」
 俺を呼び止めたのは、副担任の山田先生である。すごくどうでもいい事だけど、この人制服来たら生徒に混じれると思う。
「えっとですね、寮の部屋が決まりました」
「寮?」
 差し出されたのは、部屋番号の書かれた紙とキー。言葉と流れから察するに、キーはおそらく寮の部屋のものだろう。
 このIS学園は全寮制だ。生徒――つまりは未来のIS操縦者達の保護という目的もあるのだろう。ISがあってもそれを動かすものが居なければ意味が無い。故に優秀なIS操縦者、その素質を持ったものの扱いには躍起になるのだ。
「あれ? 最初一週間は自宅から通学て話じゃねんですか?」
「そうなんですけど、事情が事情なので一時的な処置として部屋割りを無理矢理変更したらしいです……織斑くん。そのあたりのことって政府(日本政府)から聞いてます?」
 最後だけは内容のせいか、小さな声で耳打ちだった。
「そう言うわけで、政府特命もあって、とにかく寮に入れるのを最優先したみたいです。一ヶ月もすれば個室の方が用意できますから、しばらくは相部屋で我慢してください」
 要は予定を無理矢理詰めてまで俺をIS学園に留めておきたいらしい。
 それは他国から保護しやすいからなのか、逃げないように監視しやすいからなのかどっちなんだろうね政府のお偉いさん方。
 まあこっちとしては通学時間が短縮できる程度の感想しか無いのだが。
「山田先生、しつもーん」
「はいっ、なんでしょう織斑くん」
「相部屋ってことは女子と同じ部屋ってことですよね。ルームメイト誰ですか?」
 このIS学園で男子生徒は俺一人――それも歴代で俺一人。なので男子生徒が存在するための設備は最初から用意されていないのだ。当然寮も女子寮しかない、だから部屋割り云々で色々面倒な事になっている訳だし。
 っていうか当然のように男子と女子で同じ部屋が認められるんだけど、教育機関としてどうなんだろう。

「篠ノ之箒だ」

 俺の質問に答えたのは山田先生ではなく千冬さんだった。何故解るかというと声でわかる。ほらやっぱり千冬さんだった。
「……彼女かあ」
「不服か?」
「いえ別に……ああ、そだ荷物取りに帰んないと」
「それは私が手配をしておいてやった。ありがたく思え」
「それはありがとうございま――」
「まあ、生活必需品だけだがな。着替えと、携帯電話の充電器があれば十分だろう」
「――アレ俺もう全部用意してまとめてありましたよね、何その必要なもん更に厳選したみたいな言い方。うわ嫌な予感」
 部屋が決まるまでは自宅通学とはいえ、寮に入る事自体は最初から決まっていた。なので荷物の用意はあらかじめやっておいたのだ。
 が、今の千冬さんの言い方から察するに娯楽関係のものは置き去りにされている可能性が出てきた。
「多すぎる荷物を減らしてやったんだ。感謝しろ」
 ああ確定だこれ。
 そんな、着替え等の生活必需品だけだったら元の三分の一もなくなるぞ。減らしすぎだろういくらなんでも。そこまでごっそり減った時点でちょっとくらいは思うとこがないのかこの人は。ああ、思ったのが少なくなったから良かったねなのかちくしょうめ!
「わー、そうなんだーうれしいなー……って言えるかァ――! いくらなんでもちょっとザックリしすぎじゃねーかな千冬ちゃん!!」
 来るとわかっていても、察知した瞬間に着弾するんだから回避も防御も出来やしない。

 ”ドゴシャァ”

 これ絶対名簿で出せる破壊音じゃない。
 そして人間の頭部で鳴っていい音じゃない。
「――織 斑 先 生 だ」
 ターミネーター化したダースベイダーがジョーズに乗ってやって来た様な威圧感とでも言えばいいのだろうかコレ。
 それから数十秒、悲鳴をあげる事すら出来ず陸に打ち上げられた魚のごとくビチビチ跳ね回って激痛に悶える羽目になった。
「て、照れ隠しで発揮していい威力じゃねえ……!!」
「足りなかったか」
「いえもう十分ですすいませんでした織斑先生!!」
 そういえば最初に千冬ちゃんって呼んだ時は思いっきり吹っ飛ばされたっけ。年下相手だからこう、つるっと口走った瞬間に壁と盛大に激突していたあの衝撃は忘れようもない。
「じゃ、じゃあ時間を見て部屋に行ってくださいね。夕食は六時から七時寮の一年生用食堂で取ってください。ちなみに各部屋にはシャワーがありますけど、大浴場もあります。学年ごとに使える時間が違いますけど……えっと、その、織斑くんが今のところ使えません」
 山田先生が恐る恐るといった様子で話を再開する。
 そういや今寮の話だったっけ。
「あ、大浴場ってどの辺にあるんですかね……いや流石に案内版とかに書いてあるか」
「言っておくが、アホな事は考えない方が身のためだぞ」
「おっ、織斑くんっ、まさか女子のお風呂を覗くつもりなんですか!? だだだっ、ダメですよっ!!」
「いや……絶対に近付かないために場所知りたいんですけど。何が悲しくてそんなトラブルが起こりそうな場所に自分から近付かなければならんのですか……」
「えぇっ? 女の子に興味がないんですか!?」
「実は俺年上好きなんで学生には興味無いんですよ。山田先生くらいからが守備範囲です」
 たぶん、聞けば明らかに適当言ってるのがわかってもらえると思う。完全な棒読みだし。実際隣の千冬さんは呆れ通り越した顔してるし。そもそも山田先生は年上っていうには雰囲気が幼すぎるし。
「そ、そんな……だ、ダメですよ織斑くん……先生強引にされると弱いんですから……でも学校でなんて……わ、私男の人は初めてなのに……で、でもでも織斑先生の弟さんだったら…………」
 だというのに山田先生はボッと音を立てて顔を赤くした。それからあわあわと視線やら腕を左右に振りながら何か口の中でもごもごと言葉もどきを量産し始める。
 大丈夫かこの人。
 いろんな意味で。
「私達はこれから会議があるからもう行くが、お前もさっさと寮に行け」
「そーします……」
 絶賛トリップ中の山田先生とは打って変わって、千冬さんは相変わらずの通常進行。
 既に帰り支度は終えていたので、鞄を引っ掴んで立ち上がる。

「……篠ノ之には話すのか?」

「まあ彼女、俺(織斑一夏)の事覚えてるみたいだし。全部はともかく、最低限度は伝えとこうかなと」
 話すというのは無論俺の状況の事である。結局今だ篠ノ之さんにはろくに説明出来ていない。まあ相部屋になるというなら話す機会はいくらでもあるだろう。
 それに短い期間でも寝食を共にするというのは、都合がいい。言葉で説明すよりも、より深く今の『織斑一夏』がどういうものかを理解してもらえるだろうから。道徳的な問題はちょっとどっか行っといてもらおう。
「そうか」
 異世界に旅立って(トリップ)戻ってこない山田先生の首根っこを捕まえて引きずりながら、いつも通りの引き締まった表情で千冬さんが言う。一応聞いてみただけで俺の返事はどうでもいい、そんな空気を感じさせる。
 さあて、百人以上居る同級生の中から最も俺に都合が良い娘と”偶然”ルームメイトになる確率ってどの位低いんだろうね、織斑『先生』。

「気ぃつかってくれてありがとよ、千冬ちゃん」

 いつもの凛とした表情でなく、羞恥に染まった赤面顔は一瞬で見えなくなる。そして全速力で閉めたドアに高速で飛翔したクラス名簿が激突してとんでもない音を立てた。

 だから照れ隠しで発揮していい威力じゃないって。



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Date: 2011/03/20 02:34
 ▽▽▽

 『記憶』

 言ってしまえばそれは脳に蓄積された過去の情報でしかない。けれど人間にとってはそれだけで片付けてはいけない程大事な物であると思う。
 人生を歩む上で蓄えてきたそれらは個を形成する重要な要素であるのは勿論、その人自身の証のようなものだと俺は思うから。
 でも記憶は、その人がその人であるために絶対に必要という訳でもない。
 例えばその人自身が記憶喪失なり障害で自分はその人だと認識できなくても、周囲がその人はその人であると認識すればその人はその人になる。
 だから、例え中身(精神)が違っていてもそれを内包している器がその人ならその人はその人なのだ。人の精神や記憶の中身なんて調べようがないのだから。
 もし。もしもいつか人の精神が解析されたとする。
 もしそんな時が来たら、俺の状態が正しく周囲に認識されるのだろうか。
 その時周りは許してくれるだろうか。ずっと嘘を付いていた俺のことを。
 そして俺の存在の証明は、別の誰かの消失の証明でもある。
 それが示された時、あのひとはどうすんだろね。

 まあどうするにしても、俺は――


 ――■■■


 ▽▽▽


「あの馬鹿者め…………!!」

 出席簿を投げつけた姿勢のまま、織斑千冬はそう呟いた。ドアの向こうにはもう気配はない。あろうことか今日だけで二度も人をちゃん付けで呼んだ馬鹿に教育的始動(鉄拳制裁)をしてやりたいところだが、今から追いかけても遅いだろう。昔からあいつの引き際の上手さは群を抜いていた。
 刹那の間に精神の動揺を鎮め、普段の凛とした表情に戻った千冬は教室の中に視線をざっと走らせた。すると呆然とした表情でこちらのやり取りを静観していた生徒達が、先程までのざわつきをぎこちないながらも取り戻す。
(………………初めて会った日も、言っていたな)
 ドアの下に落ちているひしゃげた出席簿を拾い上げながらふと想い出す。
 背筋が嫌な感じに震えるちゃん付けをされたのは、初めて会った日が最初だ。色々と衝撃的な説明を受けた日なので、六年経った今でも鮮明に憶えている。その時は反射的に殴り飛ばしてしまった事も。

『お、弟の身体は……大事にしたほうがいいんじゃねー……かな…………!?』
『……う、うるさい。弟だからこそだ』
『そ、そー……くるかぁ……――』

 あの日からだ。
 今も尚続く、この奇妙な関係が始まったのは。

『俺は織斑一夏じゃありません』

 頭に包帯を巻いた弟がそんな事を言い出した時、織斑千冬は割と本気で脳の異常を疑った。
 何せ彼女の弟――織斑一夏は数日前に事故に巻き込まれて頭部を強く打っている。頭の包帯はその時の怪我によるものだし、更に一夏は数日前まで意識不明になっていたのだから。
 まるで意味不明な弟の言葉に対し、しかし彼女は普段どおりの凛とした表情を崩さなかった。弟の言葉が唐突な上に意味不明すぎて、どう反応していいかわからなかったので固まってしまったのである。

『今こうして貴女と話している『俺』は、昨日まで別の場所で別の人間として別の人生を送っていました――死んでしまうまで。事実だけを端的に言うと、”死んだ後に何故か目覚めたと思ったら貴女の弟になっていました”』

 目覚めた後も検査や何やで会わせてもらえず、ようやく顔を見れた弟がそんな事を言う。
 冗談だとしたら随分と性質が悪い。悪過ぎる。表面にこそ出ていないが、どれだけ千冬が心配したのかわかっているのかこの愚弟は。
 一夏の言葉は、それ程までに『はいそうですか』と頷けるような内容ではない。信じる方が異常といってもいい。
 だが、千冬は弟の言葉を笑い飛ばすこともしなかったし、叱り飛ばすこともしなかった。それが出来なかった。
 だってベッドの上で正座している一夏の目が余りにも真剣だったから。
 巫山戯ている様子も嘘を言っている様子も欠片も無い。千冬にはそれが解るくらいの観察眼があった。それにもし目の前の弟が千冬を欺けるほどの演技力を持っているなら、それこそ”目の前の弟が弟で無いことの証明”になる。

『……わかりません。俺にも本当に何が起こったのかわからないんです。元々弟さんの中に俺が居たのか、俺と弟さんが入れ替わったのか――俺が弟さんを消してしまったのか』

 ”だったら私の弟は何処に行った”。
 千冬の問いに、自称弟の姿をした別人はそう苦しげに答えた。特に最後の可能性について述べるときは一瞬言葉を詰まらせた。
 それでも目の前の弟にしか見えない誰かは、最後まで千冬の目を見て言い切った。この後どうされようとも構わないと、暗に告げているように。

『家族の貴女には知る権利があるし、俺は家族の貴女に説明する義務がある』

 ”どうしてそれを私に話した”という問いの答え。医者は記憶障害としか言っていなかったから、この信じられない事態を話したのは千冬だけなのだろう。
 会う前に医者が、弟さんはもしかしたらあなたの事を覚えていないかもしれない、と言っていたが、現実はそんな物では済まない様だ。

『それに貴女なら、信じてくれると思ったから』

 彼の言うことが本当なら、千冬とはまだ会って少ししか経っていない筈だが、それだけは表情を緩めてそう言った。苦笑混じりのその笑顔は、年齢に似合わず酷く疲れきった様子だった。もうこの時点で、朧気ながら千冬は彼の言うことが事実であると思い始めていた。
 目の前で語る少年は、千冬の知る一夏とは”違う”。こうして話しているだけで口調や立ち振る舞いの端々から違和感を絶え間なく感じる。
 故に彼は千冬なら――元の一夏を知る彼女なら信じてくれる、そう思ったのだろう。

『で、どうしましょうか。これから』

 酷く疲れきった顔を引っ込め、真剣さを一瞬で取り戻した彼が言う。
 病室の中に沈黙が降りた。彼はただ黙って千冬の言葉を待っている。千冬に決断権があると、その決断に従うと、そういう事なのだろう。

 ――――私は、

 彼を受け入れた。
 千冬は彼の言葉を信じていたが、周囲がこれを信じるとは思えないし、信じてもどうすることが出来るとも思えない。さっきの表情を見てしまった以上、彼がこの事態を引き起こしたとも思えない。
 それに千冬の知る一夏が消えたと決まった訳ではないのだ。記憶が特殊な状態になっているのは一時的なもので、時間が経てば元の一夏に戻る――もしくは記憶を取り戻す可能性もある。実際は何が起こったのか何も解っていないのだから。
 そして弟(他)との生活が始まった。
 始まった当初は千冬も『一夏』も距離感を測りかねていたが、それは時間が解決した。思ったよりも喪失感は薄かった。
 確かに今の『一夏』は本来の一夏とは正に人が変わってしまった、そう言える変化をした。けれども共に時間を過ごして気付いたのは違和感だけではない。
 行動の端々に、本来の一夏が見え隠れしているのだ。
 今の『一夏』を千冬の知る一夏として見ると確かに違和感を感じる。が、逆に一夏ではないと見た場合もまた違和感を感じるのである。
 例えるならば違う車になったのではなく、車の色を塗り替えたような、そんな変化なのだ。
 当初は事態に困惑し、見落としていたが、今の『一夏』もまた一夏であると、現時点で千冬はそう結論付けている。

『へい、いってらっしゃーい。お仕事頑張ってねー』

 織斑家には両親が居ないので、収入は千冬頼みである。そのせいか千冬は元々家を空けがちで、弟をいつも一人残す事になっていた。
 しかしあの事故以来精神年齢の跳ね上がった弟は、寂しがるどころか千冬にできるだけ気を配るようになった。話を聞く限り元は千冬より年上であったらしく、『姉』とはいえ女性一人働かせている現状に思うところがあったのだろう。
 千冬の方も千冬の方で、弟が少し変わっただけという結論に行き着きつつも、他人であると思っていたせいだろう。前とは違う方向で遠慮が無くなった。
 いや、遠慮をなくされたと言えるかもしれない。
 今の『一夏』はやたら聞き上手というか話し上手というか、こちらの不満やら愚痴を何時の間にか引き出して、千冬に本音を話させる。
 それがまた終わったあとに気付くから厄介だ。気がついたらもう気を遣われた後で、精神的にほぐされているのである。
 中身はともかく年下の弟に気を遣われるのは何とも妙な気分だったが――その関係は悪くなかった。気がつけば、悪くないと感じていた。

『いやふっつうの企業の奴隷でしたけど?』

 ふと思いついて、前はどんな生活だったのかを『一夏』に聞いてみた事がある。返ってきた言葉は到底信じられなかった。
 家では千冬に対して落ち着いた態度を取るが、普段は一言で表せば、破天荒そのものだ。もしかしたら千冬の知る一夏よりも子供らしい子供かもしれない。
 だが、何も考えていないようで、実際は誰よりも考えている。向こう見ずな様で、常に周りを必要以上に見ている。人の輪の中とも外とも言い難い位置を見定めて、どこへも動けるようにしている。
 明るみになっている軽いものから、明るみに出てない重いものまで、学校生活での出来事がその手腕を示している。そんな人間が『普通だ』等と言われても納得しかねる。ただ、勉学方面での頭は言う通りに悪かった。

 そう、あの■■事件の時だって、あいつは――

「お――む――せい――……織斑先生? どうかされましたか?」
 思いの外深く沈んでいた思考が一気に引き摺り出される。横の山田真耶が、怪訝そうな表情で千冬を覗き込んでいた。
「……ああ、すまない山田君。少し考え事をしていたようだ。行こう、会議に遅れてしまう」
「考え事って織斑くんの事ですか?」
「そうだ。どうしてあいつはあんなに馬鹿なのかを考えていた」
 瞳に茶目っ気の混じった真耶の言葉にもまるで動揺する事無く言い返し、千冬は踵を返して歩き出した。
「織斑先生の弟さんだけあって、真面目そうな男の子ですね」
「山田君、君は騙されている。最初は無害を装って相手を油断させるのがあいつの常套手段だ」
 職員室までの道のりを、真耶と他愛のない会話を続けながら進む。ふと窓の外を走っている男子生徒の姿が目に入った。
 この学園で男子生徒ならば千冬の『弟』の一夏一人しか居ない。遠目で解るほどに全力――いや、死力疾走している。一夏の姿はあっという間に見えなくなった。そこまで脅えるのならば最初から言わなければいいのだ、あの馬鹿めと千冬は心中だけで呟いた。
(……六年、経ったのか)
 事態は進展も悪化もしないまま、ただ時間だけが過ぎていく。

『千冬さん』

 今の一夏は、千冬の事を決して姉と呼ばない。決して口にはしないが、自分が織斑一夏である事に負い目がある事に対するけじめのようなものであろう。恐らく『彼』は自分のせいで一夏が消えてしまったと思っている。

『生きたいって願ったんです。”どんな事になっても”生きたいと。だから、もしかしたら俺が願ったせいかもしれない』

 病室のベッドの上で、かつて一夏はそう告げた。俯いていた彼がどんな表情をしていたのか千冬には知りようもない。

 ――一夏がISを動かしたその日から、

 進むことも戻ることも無かった六年間。
 深くも浅くもないぬるま湯のような弟との奇妙な距離。
 一欠片の確証も無いが、何かが動き出している予感がする。止まっていた何かがゆっくりと動き出すような、そんな胸騒ぎ。



 弟が事故にあったと聞いた時。
 意識不明だと聞いた時。
 織斑千冬は願ったのだ。

 ”どんな形でもいいから”、弟が目を覚まして欲しいと。


 ▽▽▽

「――うふ」

 奇妙な部屋で、不思議な姿の女性が笑う。
 各所に機械が散りばめられ、ケーブルの樹海が広がるその部屋は無機質そのものだった。
 その中で、一機のISの傍らに一人の女性が居る。
 アリスの服とウサギの耳を持つ女性はどこか幻想的で、無機質の塊たるこの部屋の中において酷く異彩を放っている。
 
「うふ、うふふ、うふふふふふ」

 女性はアリス(少女)と言うには各所に大人の妖艶さが見て取れる。
 格好(子供)と身体(大人)がどこか釣り合っていない。この部屋もその主も、それぞれだけならば酷く正当であるのに、複数が混ぜられることで異質なモノへと変貌をとげている。

「うふふふふふふふふふふ――」

 真っ白い装甲に指を這わせながら、女性はずっと笑っている。
 とてもとても、楽しそうに笑っている。



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Date: 2011/03/20 02:37

 ▽▽▽

 『幼馴染』

 主に子供の頃に同じ時間を過ごした仲の良い友達の事をそう呼ぶ。
 本来は頼ん同士であるはずだが、特別な存在として扱われる事が多い。これは幼少期からの長い付き合いが相手を家族に近しい(また同然の)位置として認識させる、また過去の経験を共有する事で特殊な連帯感が発生するといった事柄から来ているのであろう。
 ちなみに、異性同性関わらず幼少期を共に過ごした相手は幼馴染である。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽

「お、ここだここだ」

 寮までの道のりをレコードを更新するような速度で駆け抜けてやって来ました自室まで。
 山田先生に渡された紙に書かれているのは『1025号室』、目の前のドアに貼ってあるのも『1025号室』。間違いなく俺の部屋だ。
 そして篠ノ之さんの部屋でもある。
「さあて。行きますか」
 一度頬を叩く。彼女に話すことは、きっと俺が『織斑一夏』を名乗る以上、避けて通れない――避けて通ってはいけないものなのだろう。
 一度頬を叩いて気を引き締める。
 ドアを叩く(ノック)。
「……ありゃ? まだ帰ってねーのかな」
 室内からは何の反応もない。まだ帰っていないのかもしれない。そういえば彼女は剣道の全国優勝者。当然ここでも剣道部に所属するのだろう。という事は部活動か。
「何か気ぃ抜けたなあ。まあ仕方ねーか」
 出鼻を挫かれた気になりつつも、ともかく室内に入ることにする。鍵を回して――あれ。開かない。って事は最初から開いてたのか。荷物を運び入れた際に開けっ放しにされていたのか、それともルームメイト(篠ノ之箒)が一度戻って鍵をかけ忘れたのか。
「おおう」
 部屋の中を見て口笛一つ。
 足を踏み入れてまず目についたのは大きなベッドが二つだった。ビジジネスホテルに置かれている安っぽいものとは見るだけで違うと解る、造りのしっかりとしたものだ。使われている羽毛もさぞもっふもふに違いない。
「……でもちょっと距離近くないコレ? 離せねーの? あ、無理か……下でしっかり固定されてやがる。勝手に外したら怒られる……だろうなあ」
 ベッドの質が良いのは喜ばしいのだが、俺としては少しベッド同士の距離が近すぎる気がしてならない。男同士ならともかく、ルームメイトは女子なのだ。壁の隅と隅くらいまで離れてても足りないくらいである。
『誰か居るのか?』
 俺が居るよ。
 どこかからそんな誰かの声が聞こえてきた。声が微妙にくぐもっているから、ドア越しなのだろうか。視界を走らせると、一枚のドアが直ぐに見つかった。
『ああ、同室になった者か。これから一年よろしく頼むぞ』
 どうやら篠ノ之さんは部屋に居たらしい。そうかあのドアの向こうに居たからノックの音が聞こえなかったのか。

「こんな格好ですまないな。シャワーを使っていた。私は篠ノ之――」

 ところであのドアの向こうは何があるんだろう。俺が思ったその疑問は彼女の言葉と――そして格好によってサッパリ綺麗に氷解した。
 さて俺のルームメイトである篠ノ之箒嬢はシャワーを浴びていたらしい。シャワーがあるのだから、当然洗面所もある事は想像に難くない。
 それらはどちらも水(もしくは湯)を扱う設備なので、こういったホテルや寮の部屋では同じ場所にまとめられている場合が多い。そしてその場合、洗面所は脱衣スペースを兼ねていることがとても多い。

「ぎ、」

 距離的な近さに加え『相手は同性』という前提が、きっと彼女にはあったのだろう。ドアを躊躇なく開け、こちらに顔を出した篠ノ之箒嬢は体にバスタオルを一枚巻いただけという際どい格好だった。
 その真っ白なバスタオルは身体にしっかり巻きつけた訳ではなく――しっかり巻きつけすぎてもラインが強調されてそれはそれでアレかもしらんが――あくまで身体を少し隠す程度で留められている。
 バスタオルの端から露出した健康的な――瑞々しいと表現するに相応しい肌色が俺の網膜に飛び込んでくる。水滴が流れ落ちる太ももや、タオルを押さえる手が近いせいか肌に張り付いてその曲線を忠実にトレースしている胸のふくらみとか。
 そして。
 そんな扇情的な光景を網膜に焼き付けた俺は。

「ぎゃあああああああああああ!?」

 力の限り悲鳴を上げた。


 ▽▽▽

 ドアを蹴破る勢いで部屋を出て、そのまま一直線に寮からも出て、入り口の傍らで正座して精神を落ち着かせること数十分。部屋に帰って来たら羅刹が居た。

「何かもう全面的に本当に大変申し訳ありませんでした……」

 下げた頭が床に当たってゴツッと音を立てる。
 俺の眼前には道着姿の羅刹が座している。直ぐ手の届く位置に置かれた木刀がとても怖い。とはいえ一、二発は受ける事を覚悟しておこう。石頭には自信があるぜ。でも突きだったら避ける。だってあれは初心者がやっても人を殺しかねない。
 それにしてもほぼ裸の女性を見たリアクションが真面目に悲鳴って言うのはどうなんだ俺。男としてどうなんだ本当に。折れた腕を蹴られた時も我慢できた涙が出そう。

「――どうしてここに居た」

 目の前の娘が怖い。
 すごく怖い普通に怖い。
「も、もしかして……私に、その、会いに来たのか……?」
 と思ったら何故かもじもじとどもり出す羅刹。でも放つオーラは怖いままだからアンバランスさが不気味極まりない。恐らく彼女も裸(同然の姿)を見られて混乱しているのだろう。
 さっきから地面と一体化しっぱなしの頭を上げる。話(説明)をするのに、相手の目を見ないのは失礼だろうし。
「えー、ルームメイトの織斑一夏です。これからよろしく篠ノ之箒さん」
 俺の言葉を聞いた羅刹は『何を言っているのかわからない』と言った顔をしていた。
「……おまえが、私の同居人だというのか?」
「うん。そうなったみたいです」
 呆然とした羅刹に――オーラ消えたから呼び方戻そうか――篠ノ之箒嬢に、さっき山田先生から渡された紙を見せる。そこには確かにこの部屋が織斑一夏の部屋であることが書かれている。
「ど、どういうつもりだ」
「え何が?」
「どういうつもりだと聞いているっ! 男女七歳にして同衾せず! 常識だ!」
 ですよねえ。
 しかし難しい言葉知ってるんだなこの子。初めて聞いた言葉だけど、まあ男女がむやみにくっつかないとかベタベタしないとかそういう意味なんだろう。たぶん。
「お前から希望したのか……? 私の部屋にしろと…………」
「あー、いくらなんでもそれは冗談が過ぎるんじゃねーかな」
 この子(篠ノ之箒)には俺が女の子と一緒の部屋で暮らしたいです、なんて道徳観皆無な事を言い出すような男に見えるのだろうか。
 流石にちょっと不服だぞ。馬鹿っぽいとかは散々言われてきたが、そっち方面でだらしないと言われた事は無いっつうのに。むしろ消極的すぎると言われた事すらある。

 ”ちりり”と、頭(脳)の片隅で火花が散った。

 正確には何か擦れ合うような、そんな妙に嫌な感じ。悪い予感のすっごい鋭い版とでも言うか、第六感的なものとでも言おうか。要は”来る”って事だ。
 俺の言葉の何がそんなに気に入らなかったのかはてんでわからないが、ともかくその答えは篠ノ之箒嬢の逆鱗のようなものに触れたらしい。傍らの木刀を掴んだかと思うと、瞬く間に振り上げ――そして振り下ろした。
 衣擦れの音。
 風切音。
 迫る木刀。
 俺の現在置かれている特殊な状況は、やはり脳なり精神に変な影響を与えているのかもしれない。そんな事を考えながら、”来ると分かっていた”木刀を眺めていた。

「……ど、」

 俺の頭の、丁度額の辺りで鈍い音が鳴った。まあ高速で振り下ろされた木の塊が直撃したんだから音の一つも鳴るだろう。おまけに振っているのは全国大会優勝者だし。

「どうして避けなかった!!」

 篠ノ之箒が叫ぶ。
 握る力が緩んだのだろうか、彼女の手を離れた木刀が床に落ちて何度か跳ねた。
「――故意でなかったとはいえ、俺の不注意が招いた事だし。それに俺、一回逃げちゃったから。本当はその場で直ぐ謝らなきゃいけなかったんだ。これでチャラにしてくれとまでは言えないけど、お咎めナシはなにより俺自身が許せねえし、せめてケジメって事でね」
「ば、馬鹿……だからってこんな…………ああ、こぶになってるじゃないか、そ、そうだ、手当。手当てしないと……」
 箒嬢は屈むと、俺の頭をがっちり掴んで丁度木刀が着弾した辺りをさすり始めた。頭をホールドする手はとても力強いのに、さする手の動きは妙に優しくてくすぐったい。
 何だよこのプチ天国と地獄。
「そんな気にしなさんな。ていうか見てくれよりかはなんぼか頑丈だぞ、俺」
 こっちの頭をがっちり掴んでいる手を解いて、座ることを促す。触って触られてわかったけど随分綺麗な手をしている娘だ。
「…………」
「さあて。落ち着いたことだし、話しましょうかね改めて」
「……って、ないのか」
「んあ?」
「…………怒って、無いのか……?」
 さっきまでの羅刹っぷりはどこやら、ビクビクした様子で――怒られるのを怖がる子供みたいな顔で、箒嬢がちいさな声で呟いた。縮こまっているせいだろう、さっきまでよりも心持ち小さく見える。その様子が妙に可愛らしくて、思わず少し笑ってしまった。
「あはは、この場合怒るのは俺じゃなくて君だろうに」
「わ、笑うなっ! 思いっきり打ち込んだんだ! 下手したら――死んでいたかもしれないんだぞ!?」
 ああ、それは大丈夫だよ箒ちゃん。

 いっぺん”それ”を通り過ぎてるせいかは知らんけど、本当に”危ない”ときは事前にわかるから。

 ……ていうか思いっきり打ち込んでたかい。剣道経験者だから手加減も心得てると思った俺の予想吹っ飛んでるじゃねえか。道理で頭バックリ割れそうに痛い訳だよ。
「とりあえず話を前に進めようぜ。あんたは見られた。俺はケジメで殴られた。一応カタは付いてんだろ」
「うむ、そうだな…………そう、なのか?」
「そーなのそーなのこれでいーの。とりあえず話し合う事多いんだからサクサク行こうぜ。部屋変えまで俺と君が同室なのは変えられんのだから。それまでは互いに不服でも男女同室だ、今後今日みたいな事が起こらん為にも色々決めとかねーと」
「べ、別に私は不服という訳では……」
「そうか。なら良かった。拒絶された場合は最悪野宿でもしようかって思ってたから正直助かる。寝袋も入れてたんだけど、千冬さんのあの言い方じゃあ置き去りだろうからなあ」
「い、いやそういう意味で言ったのでは、」
「とりあえずはシャワーとか着替えとかそういうのだよな。着替えは部屋の中央辺りでカーテンでも区切れりゃいんだけど――金具付いてねえからなあ。あーもう荷物減らされたのが痛い。とりあえずその場合は事前に声かけるか……ああ、そうだ洗面所って鍵かけられるのか?」
「あ、ああ。鍵は付いていた」
「じゃあどっちかが中でやりゃいい訳だ。鍵ついてるならシャワーの時もそんな気にしなくていいな。後は……」
「て、提案がある」
「はい、篠ノ之くん」
 おずおずと手を上げた箒嬢を指す。
「シャワー室の使用時間なのだが、私は七時から八時。一夏は八時から九時を提案する。部活後に直ぐシャワーを使いたい」
 胴着着てるからそうだろうとは思ったが、やはり剣道部所属なのだろうか。さっきから正座がとても様になっているし。というかずっと正座しててそろそろ足がビリビリしてきた。
「文句は無いけど、部活棟にもシャワーあるんじゃなかったっけ?」
「私は自分の部屋でないと落ち着かないのだ」
「へえ、そういうもんか」
「そうだ。そういうものだ」
 うんうんと頷きながらきっぱりと言い放つは篠ノ之箒。
 俺はというと、彼女が『俺と同じシャワーを使うこと』自体にさほど拒否感が無いのが少し意外だった。
 このくらいの年頃の女の子って同年代男子とシャワー室許由ってだけで嫌がりうそうなもんだが。まあ浴場使えなくて自室のシャワーしか使えない俺としては、共用を許可してくれることは素直にありがたいのだが。
「他には何かある?」
「いや……今のところは無いな」
 少し考えこむ仕草の後、箒嬢がそう答えた。まあ今後問題が出たらその都度決めればいい。実際暮らしてみないとわからない事もあるだろう。
(千冬さん、そこら辺も考えてたのかねえ)
 一通り話し終えて思ったが、この篠ノ之箒という女の子は、立ち振る舞いだけでなく考え方も随分しっかりしているようだ。ちと古風が過ぎる気もするが。
 さあ、そろそろ思考を切り替えよう。
「取り決めも終わった事だし……ちょっと大事な話があるんだけど、いいかな」
「大事な話? 何だ?」
 出来る限り真剣に切り出した。こちらの様子は伝わったらしく、箒嬢は怪訝そうな顔をしつつもこちらの言葉を待っている。
「織斑一夏と君は小学校四年の終わり辺りまで、いわゆる幼馴染という関係だった」
「そうだ。それがどうかしたのか?」
 何を当然の事をと篠ノ之箒が口を尖らせた。
「だから当然、君は俺の事を知っている」
「何だ、さっきから何が言いたいんだ、お前は! 私をからかって遊んでいるのか!!」
 話の筋が見えないことに激昂したのか、篠ノ之箒が立ち上がる。こちらを見下ろす篠ノ之箒を見上げながら、『織斑一夏』は淡々と話し続ける。
 一つずつ段階を踏むように。
「織斑一夏は小学校五年の最初の頃に――つまりは君が引越しって行った後くらいに、事故にあった」
「…………え」
「そして事故の後遺症で、それまでの記憶を全部無くした」
「い、一夏……何を、何を言っているんだ? その言い方じゃあ、まるで、まるで私のことを――」

「俺は君の事を何も覚えていない。俺と君は今日が”初対面”なんだ」

 その時の篠ノ之箒の顔を、俺は生涯忘れない。忘れてはいけない。俺が存在することで、誰かを悲しませたというこの事実を。
 ぺたんと、篠ノ之箒が座り込む。
 まるで身体中から力が抜けてしまったように。
「……一つ、お願いがある」
 俺の言葉に俯いたままの篠ノ之箒は何の答えも返さなかった。
 少しだけ待ったが、勝手に話す事にした。

「君の知っている、君を知っている『織斑一夏』をどうか責めないでくれ。君の知る『織斑一夏』には何の落ち度もなかった。事故にだって巻き込まれただけなんだ――責められるべきは、今君の眼の前に居る、君を忘れて(知らない)しまった『俺』であるべきなんだ」

 これから先彼女が『織斑一夏』にどう接するのか、それは彼女が決めることだろう。でもせめて彼女の中の思い出は責めないで欲しい。彼女の思い出の中に居る織斑一夏はきっと被害者なのだから。
 立ち上がって、すっかりしびれてしまった足でドアに向かう。彼女も気持ちを整理するには、扱いの難しい人間が近くに居ないほうが良いだろう。いっそ今日はこの部屋に帰らないかもしれない。

「本当に」

 ノブに手をかけたところで声がした。
 その声は弱々しく震えていた。

「本当に、何も覚えていないのか」

 もしかしたらその問いは、彼女の最後の希望だったかもしれない。
 でも『俺』にはそれを砕く事しか出来ない。彼女が求めているのは『俺』ではなくて『織斑一夏』なのだから。

「ごめん」

 部屋を出た。


 ▽▽▽


 懐かしい夢だ。

 それが幼い頃の記憶なのだろうと思ったのは、俺自身の姿が幼かったからだろう。
 でもどうしてだろう。幼い俺であるはずの俺の姿に何故か違和感を覚える。
 それに、傍らに居る女の子は誰だ。
 俺にはそんな――本来の意味での幼馴染はいない筈なのに。
 そんな幼馴染が居るのは俺でなくて、織斑一夏の方のはずなのに。

 傍らの女の子は長い髪を、後ろで一つに――


 ▽▽▽


「…………ふが?」

 目を覚ますと、見慣れない天井がにじんで見える。何だろう何かとても、なんとも言い難い夢を見ていた気がするのだが。目覚めの瞬間はたしかに覚えていたはずの夢の内容は、眠気に溶けるように消えていった
 昨夜はあれから一晩過ごす場所を探していたら、織斑先生に見つかって問答無用で部屋に蹴りこまれた。放りこまれたんじゃない、本当に蹴りこまれたんだ。しかし何であんなとこに居たんだあの人。
 直ぐ出ては見つかるので、頃合いを見計らっていたのだが――結局そのまま自室で寝てしまった。慣れない事ばっかりしていたせいか、思いの外疲れが溜まっていたのかもしれない。
 ちなみに篠ノ之箒は俺が部屋に蹴りこまれた時点でもう就寝していた。
「……? …………?」
 妙に夢の内容が気になって仕方がない。
 首をひねって頭を振っ――流れる視界の中で道着姿で正座する女の子の姿が――たりしても夢の内容はさっぱり思い出せなかった。

「――起きたか、一夏」

「えーと、篠ノ之さん? 何してんの……?」
 見間違いではない。部屋の一角で、剣道着姿の篠ノ之箒が正座している。その姿はとても様になっていて、ここが剣道場であったのならばさぞ画になったであろう。
「私は決めたぞ」
 閉じられていた瞳が、すっと開かれる。そこには昨日見せたあの表情は無い、それどころか、瞳の中には決意の光が強い輝きを放っているようにすら見える。
 そして俺に対し――もしかしたら自分に対してもだったのかもしれない――篠ノ之箒はその決意を力強く宣誓した。


「私が、お前の記憶を取り戻して見せる!!」



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Date: 2011/03/20 02:37

 ▽▽▽

 『人とISの関係』

宇宙での作業を想定して作られているISは、操縦者の全身を特殊なエネルギーバリアで包む。また生体機能を補助する役割も持ち、常に操縦者の肉体を安定した状態へと保つため、心拍数、脈拍、呼吸量、発汗量、脳内エンドルフィンなどの操作も行う。
 かなり深いレベルで人間のサポートを行うISには『意識』に似たようなものがあり、操縦時間に比例して操縦者の特性を理解しようとする。そうして相互的な理解を経る事で、ISの性能はより引き出されてゆく。
 故にISは単なる道具ではなく、パートーナーと認識するのが正しい。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽


「織斑。お前のISだが、準備まで時間がかかる」

 授業が始まった直後、投げかけられた千冬さんの言葉は、割と想定の範囲内だった。
 俺が世界で唯一ISを扱える男として発覚したのはほんの数ヶ月前。ただでさえ”貴重”なISを一機用意するだけでも大変なのに、俺の場合は更に専用機なのだ。むしろ間に合う方がおかしいだろう。俺の――世界で唯一ISを動かせる男の存在が事前に知られていたのなら、話は別だが。
 操作に早く慣れたい身としては、出来る限り早く来て欲しいところではある。とはいえこちらはもらう立場、文句は言えない。
 まあ恐らく件の決闘には間に合うのだろう。何せ『一週間後』という期間を決めたのは千冬さんなのだから。
「そうですか。でも一機とはいえよく引っ張ってこれたもんだ。コアは相変わらず『467』から増えてないってのに……何考えてんですかね、篠ノ之博士さんは」
「私が知るか」
 ISの技術は国家・企業に幅広く技術提供が行われている――が、肝心の”コアを作る技術は一切開示されていない”。

 ――『467』。

 これが現在のISの存在している数だ。これより下になる事はあっても、増える事はまず無いだろう。完全にブラックボックス化されたコアは博士以外は作成出来ない。そしてその博士が一定数以上のコアを作ることを拒絶している現状、『467』という数字は絶対なのだ。
 その『467』のコアを作成したのは日本が誇る大天才・篠ノ之束博士。
 篠ノ之、だ。
「そういえば何で俺に専用機あるんですか? 俺、日本国民ではありますけど、特別国に属してる訳じゃないし、当然ながら企業にも属してないですよ?」
 『467』という絶対の数字の下、コアは各国家・企業・組織・機関に割り振られ、研究・開発・訓練が行われている。故に本来専用機は国や企業に属する人間にしか与えられない。
「だがお前の場合は状況が状況だからな、データ収集を目的として専用機が用意される事になった。理解できたか」
「なるほど。そーいえば俺って特例だったっけ。あーでも別の心配事が、一つ。データ収集目的って事は戦闘はあんまり想定されてないとかそういうオチだったりしません?」
 どうにも『データ収集』等と言われると――いわゆる電子戦特化型的なモノを想像してしまう。頭の部分がデカイレドームになってたりとか、そんなのね。
 いやそういうのが嫌いな訳じゃないんだが、来て早々ドンパチのために働いてもらわねばならないのだ。はなっから戦闘向きである事に越したことはないだろう。
「それについては心配するな」
 だが俺の疑問を聞いた千冬さんは即座にそれを否定した。
 って何でそんなしかめっ面なんですか。
「当の本人が、”かつて無い程やる気になっている”からな。仕上がりは期待していいだろう…………全く、何が装甲の磨きが足りないからもう少し待ってくれだ、一体何を考えているのか…………」
 後半はとても小さい声なので、距離の近い俺でさえほとんど聞き取れなかった。恐らく隣の山田先生にも聞こえていないだろう。
 まあよくわからんが、特例のISの制作に携われるってことでどこぞの研究機関の人が張り切ってる(ヒャッハーしてる)って事だろうか。
 じゃあ大丈――あれ何かさっきよりも不安になってきたぞ。
「あの、織斑先生」
「――何だ?」
 とんでもないゲテモノとか来たらどうしよう、なんて俺がこっそり慄いていると、クラスメートの一人が発言許可を求めるように挙手をする。そして一瞬で通常進行に戻る千冬さん。あの切り替えの速さ割と本気で見習いたい。
「篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか……?」
 彼女がそう言ったのは、さっきの会話の中で名前が出たのがきっかけだったのだろう。そもそも『篠ノ之』なんて『織斑』以上に珍しい名字だし。

 『篠ノ之束(しのののたばね)』

 たった一人でISを作成、完成させた稀代にして天才の中の天才、正に大天才とでも言うべき御仁である。そして件の篠ノ之さん――篠ノ之箒の実姉でもある。
 ちなみに千冬さんと同級生。最強の兵器を作り出せる人と最強の兵器を乗りこなせる人が同時に排出されている辺り、尋常でない黄金期である。
 『織斑一夏』は篠ノ之博士に会った事があるらしいが、『俺』は会った事が無い。なので伝聞でしかどういう人なのかは知らない。聞いた限りの印象であるが、どうやら実に『天才』と呼ぶに相応しい人のようだ。
「そうだ。篠ノ之はあいつの妹だ」
 千冬さんが質問に対して肯定の返事を返す。ここで隠しても、ちょっと調べれば直ぐ解ることだからその対応はおかしいという訳ではない。
 なんだけども。

「ええええ――っ! す、すごい! このクラス有名人の身内が二人もいる!」
「ねえねえっ、篠ノ之博士ってどんな人!? やっぱり天才なの!?」
「篠ノ之さんも天才だったりする!? 今度ISの操縦教えてよっ」

 まあこうなるわな。
 一応今は授業中なのだが、あっという間に篠ノ之さんの席は集まった女子に埋もれてしまった。ああ、初日の俺を客観視するとこんな感じなのか。
 というかこのクラスの娘達、随分とフットワークが軽くてリアクションが良い。結構なお祭り騒ぎ好きなんだろう。
 でもそろそろ織斑先生のオーラがヤバイ感じに立ち昇り始めてるから席に戻ったほうがいいんじゃないかな皆――!!

「――――あの人は関係ない!!」

 轟、と。裂帛の気合のこもった声が教室の隅々まで一瞬で駆け抜ける。
 それまできゃいきゃいと響いていた声はぴたりと止み、騒いでいた本人達も目をぱちくりとさせている。
「…………大声を出してすまない。だが、私はあの女性じゃない。教えられるようなことは何も無い」
 そう言って篠ノ之箒は顔を窓の外へと向け押し黙る。これ以上話すことは無い、そう言葉でなく態度で示すように。
 篠ノ之箒の席に群がっていたクラスメート達も、さすがにこれ以上騒ぎを続ける気は無いのかそれぞれが自分の席へと戻って行く。

「さて、授業をはじめるぞ。山田先生、号令」
「は、はいっ!」

 千冬さんの声に促された山田先生が授業を始めるが――教室はどうにも微妙な空気のままだった。

 ▽▽▽

「間に合うんでしょうね」
「間に合うんじゃねーの」

 授業で使った教科書やノートを整理していると、金髪縦ロール(セシリア・オルコット)が俺の席の横にやってきた。
 俺は教科書から目を離さないし、金髪縦ロールも正面を直視している。視線を合わせないまま、俺達は会話をする。いや会話というか、独り言を互いに呟いているような感じかもしれない。
「もし間に合わないのなら、日程をずらしても構いませんわよ」
「へえ。待ってくれるとはお優しいことで、さすがは代表候補生」
「言った筈ですわよ――このセシリア・オルコットの全力を以て叩き潰すと」
 かつかつと足音を鳴らして、金髪縦ロールは出口へと向かう。
 最後に――教室のドアを潜る直前に、初めてこちらと視線を合わせ、

「――――全力で来なさい。”それ”を叩き潰してさしあげます」

 その蒼い瞳に込められたのは強烈な激情だ。とても静かに閉められるドアが何とも対照的である。
「やろう。盛り上げてくれるじゃねえか」
「織斑くん、本当に大丈夫なの?」
「何が?」
 こちらに声かけてきたの隣席の女子――この前の似非演説の時に何故か褒めてくれた娘だ。
「何って……いくらなんでも代表候補性を甘く見過ぎだよ、今からでもせめてハンデくらい付けてもらったほうがいいんじゃない?」
「そうだろうな。だがそれはしない。なぜならしたくない。どうせやるなら恨みっこなしで互いに本気のが面白いじゃねーか。そもそも勝つとか負けるとか、そいう損得考えるなら勝負受けてねえよ」
「楽しそうだねー織斑くん。そんなに目がきらっきらしてる男の子久し振りに見たよ」
「ああ、楽しいぜ。今この瞬間も人生が楽しくてたまらない。まー余興になるくらいには持ち込んでみせるさ。ただで負けてやるのも柄じゃねーし」
「ほほう。じゃあ楽しみにさせてもらおうかな? あ、そうだ織斑くん、この後時間あいてる? お昼一緒に食べようよ」
「お誘いは有難いんだが、先約というか予定があるんでね」
「予定?」
 首を傾げた女子に対し、首だけで篠ノ之箒の席を指す。その席の周りに人が皆無なのは、さっきの恫喝のせいである事は考えるまでもない。
「あれ? 織斑くんって篠ノ之さんと知り合いなの?」

「いいや。これから知り合うのさ、改めてな」

 はてな顔のクラスメートの横を通りすぎて、篠ノ之箒の席へと向かう。昼休みだというのに相変わらず窓の外を向いたままで、席を立つ気配がない。
「飯、一緒に行かないか。そっちも学食だろ」
「……私はいい」
 俺の誘いは冷たい声で拒絶される。まあ想定はしてた。
 今は空席になっている彼女の前の席を少し拝借する。俺が前の席に座っても、篠ノ之箒はこちらに顔も向けない。

「今朝の事だけどさ、一つ条件がある」

「……っ」
 ぴくりと反応。
 その証拠にポニーテールの先端がゆらゆら揺れている。さっきまでは窓の外を見続けていた彼女の横顔が微妙に動いている。時折視線がこちらに向いているからだ。明らかに俺がその”条件”を話しだすのを、そわそわしながら待っている。
「…………何だ、条件とは」
「気になる?」
「お前が気になるような言い方をするからだ」
 一分も経たないうちに、篠ノ之箒がこっちに少しだけ顔を傾けながらそう呟いた。数分は覚悟して待ってたが、思いの外速く彼女の限界がやってきたようだ。

「一緒に学食行ってくれたら話してあげる」

 にっこり笑ってそう言った俺に、篠ノ之箒は思いっきり顔を引き攣らせた。


 ▽▽▽


「ところで俺は君のことを何て呼べばいいんだろうか」
「好きにしろ」
「じゃあホーキちゃん」
「止めろ」
「君が好きにしろって言ったんじゃねーか!!」
「その呼び方はいくらなんでも酷すぎるだろう!?」
「可愛い子にはちゃん付けするのはこの国の伝統なんだぜ。知らないのか」
「かわ……っ!?」
「そうそう。そうやって直ぐ赤くなるとことかね」
「ばっ、馬鹿にしているのか!?」
「どっちかっていうと堪能してる」
「――――――ッ!!!!!」

 ホーキちゃん(決まるまで心の中ではこう呼ぼう)の手元で鯖の塩焼きが物凄い勢いで切り刻まれていた。箸の扱いすげえ。
 ちなみに買ったメニューはホーキちゃんは日替わり定食(鯖の塩焼き)で、俺は日替わり定食とカツカレーと親子丼。
 ホーキちゃんを学食に誘ったのは、クラスから”切り離されている”彼女を放っておけないという気持ちから。しかし同時に俺が死ぬほど腹が減っていたからでもある。
 何せ色々あって昨日の夜も今朝も食事にありつけなかったのだ。血糖値が絶望的に足りなくて実際さっきまでフラッフラだったし。

「――本当に、私の知る一夏ではないのだな」

 俯いたまま、ぽつりと、弱々しい声が漏れる。
 箸はその動きを止めていた。
「ああそうだ。ここに居る『織斑一夏』は、君の知る『織斑一夏』とは根本的に別物だと思ってもらって間違いない。身も蓋もない言い方をすると一旦リセットされたみたいなもんだからさ」
 正確に言うと上書き保存みたいなもんなんだが。でも正当な『織斑一夏』の部分はリセットかかってるみたいなものだから間違いではない。
「悪ふざけであって欲しいと、悪い夢であって欲しいと何度も思った。けれど、これはやはり現実なのだな」
 ぎりぎりと言う音はホーキちゃんの右手――箸を握る指先から聞こえてくる。
「私の会いたかった一夏は、居ない。そうなんだな、『一夏』」
「そうだよ」
 それっきり俺は黙り、彼女も黙った。
 でも静かにはならない、何せ場所が食事時の食堂なのだ。周囲の喧騒は収まるどころか増してゆく。でもだからこそ、たった二人の会話は雑音の中に埋れている。
「……それでも」
「それでも?」
 ぽつりと、喧騒に消えそうなその声を聞き取るために神経を集中させる。
「私は思い出して欲しいんだ、お前に。私と一緒に居た時のことを」
「うん」

「諦められない。私は、どうしても一夏との思い出を諦められない……!」

 顔を上げて、彼女は俺に言葉を叩きつける。
 その目尻には光を受けてきらめくものが滲んでいた。
「――そうだな。そうだよな、思い出ってのは大切だもんな。それでいい、君のその真っ直ぐさはかけがえのない美徳だと俺は思う」
 俺が手を差し出すが、彼女は反応しない。
 きっと俺の意図が読めないんだろう。だから、言葉で伝えよう。

「改めて、これからよろしく篠ノ之さん。俺の記憶を取り戻す手伝いを、お願いします」
「……私の事は箒でいい。苗字だと、あの人と紛らわしいだろうからな」

 差し出した俺の手を彼女が――箒が握る。
 目尻では今だ滲んだ涙が光っていたけれど、彼女は柔らかく笑っていた。
「どうせならホーキちゃ、」
「却下!」
「ちえ……ところで箒、一つ聞きたい事があるんだが」
「何だ」
「記憶戻すって具体的には何か考えでもあんの?」
「…………」
「無いんか。無いんだな、あんだけ大見得切っといて」

 そもそも俺に”戻る”記憶が残っているのかどうか。

「う、うるさい! ま、待て今考える……そうだ! 記憶を失ったときの状況を再現してみるのはどうだ!!」
「撥ねられろというか!?」

 仮に戻ったとして、今の『俺』がどうなってしまうのか。

「ぐっ……! だったら今度の休みにアルバムを持ってくる! そうだ篠ノ之の道場にも行ってみればいい!!」
「ごめんそんな感じのもう全部試したわ。俺が六年間何もしてなかったと思うのか」

 不安要素はそれこそ山のようで、希望は欠片も見当たらない。

「ならどうすればいいのだ!!」
「おい逆ギレしたぞこの娘!!」

 でも。その果ての結末で、どうか彼女が笑顔で居ますように。


 ▽▽▽


「おーりむーらせんせっ」
「気色悪い」
「ひでえ……」

 放課後、千冬が廊下を歩いていると気色悪い事この上ない声がかけられる。即座に吐き捨てた後に相手を確認すると、織斑一夏が傾きつつも立っていた。
「何か用か、織斑」
「ええまあ。練習用のISって、確か申請すれば借りれるんですよね。専用機届くまでせめてそっちでも触れないかなと」
 IS学園はISの扱いを学ぶ学園だ。故に当然ながら練習用の機体が多く存在しており、それらは申請さえすれば生徒は使用することが出来る。
 だが簡単に貸し出される訳ではない。無数の書類と審査を経て、初めて使用許可が降りる。それに今は学年度が始まって直ぐ。この時期に一年生が許可を出しても受理されるのには時間がかるだろう。
「確かに申請すれば使用許可は降りる。が、今の時期だと通るまで一週間かかれば早い方だろうな」
「うげえ」
 千冬の答えに一夏が盛大に顔をしかめてうめき声を上げた。恐らく専用機が来るまでにせめて練習機に触れておこうと思ったのだろうが、恐らく間に合うまい。
「意味ねえし……専用機来るの本番当日とかじゃあ流石に」
「…………」
「ないですーって待って下さいよ何で目を逸らすんですか織斑先生! あれっ、何か最悪の予感がする!?」
 先日、千冬が送った催促に対する返事は『NOW磨きING』だった。突拍子も無い行動には慣れていたつもりだが、今回は特に奇行が目立つのではないかあの”天才”は。
 悲鳴を上げていた一夏だが、一度深々とため息をついた後、それこそスイッチでも入れ替えるようにその感情を切り替えた。
 利も不利も、こいつにとってはどちらも同じ要素でしかない。ただあるがままを受け入れて、そこから自分の進みたい道を強引に掴みに行く奴だ。
(…………企業の奴隷はやはり嘘だろう)
 修羅場に放り込まれるとわかりやすいのだが、有事の際の一夏の眼は完全に『玄人』のそれである。”一流”を幾人も見てきた千冬がそう判断する程に。
「話はがらっと変わるんですけど。箒に俺のこと話したんですよー」
「箒、か。そう悪いことにはならなかったようだな」
「えーまあ。大体いい感じですかね」
 唐突なまでに、一夏はいつもの調子に戻る。
 そんないつも通りの口調で、笑いながら、一夏は語り出した。

「言われました、俺の記憶を取り戻すって」

「……そう、か。まあ、篠ノ之らしい発想といえば、らしいかもしれないな」
 相変わらず今の一夏の精神(記憶)がどうなっているのかは、一夏にも千冬にも――もしかしたら誰にも――わかっていない。
 だが本人は本来の『一夏』と『自分』は別なのだと考えている筈だ。それで、その考えで記憶(本来の一夏)が戻るという事は、

 ――それは、今の一夏が消えてしまうということを意味しているのではないか。

「やー、ほんっと真っ直ぐで強い娘だ」
「惚れたか?」
「人間性を評価してるだけでしょーが。どうしてそうなるんですか」
 だというのに、どうしてそんなに”良い事”であるかのように話す。
 そんな風に、笑って話せる。
「お時間取らせてすいません。じゃあちょっとこの後呼ばれてるので。何故か剣道をやらされる羽目になったんで。本当に何故か。さっぱり流れが読めやしねえ」
「ああ、せいぜい絞られてこい」
「うへえ……」
 違う。こんないつも通りの会話の前に、問いかけなければいけない事があるのではないか。
 本当にそれでいいのか。そう問わなければいけないのではないか。
「い――」
「千冬さんは」
 呼びとめようとするより速く、一夏がくるりと振り向いた。
 まるで千冬がそうする事をわかっていたように。

「千冬ちゃんは、『弟』の事を一番に考えてあげねーと。だって世界で一人の『姉さん』なんだから、さ」

 喉元まで来ていた言葉は、言葉になる前に止まってしまった。
 少しの間だけ千冬が何も言わない事を確認して、一夏は改めて踵を返して歩き出す。その姿が視界から消える間千冬は何も言わず、何かする事もなく、ただ立ち尽くしていた。
 確かに弟が戻るのならば、それは嬉しい、喜ぶべき事だろう。変わってしまう前の弟と過ごした思い出は千冬にとってかけがえのない大切なモノ、それは今も変わりない。
 じゃあ、その後の思い出に価値は無いのか?
「そんな訳が、あるか」
 無意識の内に呟いていた。

 ずっと千冬の事を考えてくれた。

 記憶だって、今に始まった話ではない。昔から暇があればアルバムや記録の類を読み漁ったり、縁のある場所に行ったり、人に会ったり、料理の味付けを再現してみたり。
 それはきっと彼自信を殺すような行為であった筈なのに。千冬が弱音や愚痴をはいた事はあっても、彼から弱音なんて一回も聞いたことがない。
「――今更だ。本当に今更だ」
 人気の無い廊下の一画で、壁に身体を預けて千冬は呻く。
 知っていたはずなのに、問題を先送りにして、現状に――彼の好意に甘んじていた。きっと千冬は知らず知らずの内に彼によりかかっていたのだ。
「一夏」
 そして今、それが消えるかもしれないと突き付けられて焦り始めている。そんな事はとうの昔から考えられたのに。いざ実際に予兆を目の前にして、今更に。
 織斑千冬としての正しい選択が何なのかは、解っている。
 彼を消してでも、織斑一夏を取り戻すこと。それが絶対的な正解だ。それを望む気持ちは確かに千冬の中にある。
 けれど、それでも心を大きく占める別の感情があるのもまた事実だ。

「一夏、私は――――」







 あなたに、きえてほしくない。




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Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:39
 ▽▽▽

 『天才』

 イレギュラー。


 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽


「織斑くんてさあ」
「結構弱い?」
「ISほんとに動かせるのかなー」

 今回の場合は正当に相手が強いんだぜお嬢さん方。
 ま、俺が弱いのも合ってるけど。

 ギャラリーの落胆する声を聞きつつ、俺は呼吸を整えながら外した面を置く。
 元々剣道自体は大して強くないとはいえ……まあ面白いくらいボコボコに負けたもんだ。
「中学では何部に所属していた」
「帰宅部最高」
 さっきまでは竹刀で打ち合っていて、今は俺を見下ろしている相手――箒は、俺の答えに対して盛大に目尻を釣り上げた。

「どうして、どうしてそんなに弱くなっている……!」

 酷く悔しそうな様子で箒が声を搾り出す。顔を紅潮させ、目尻を釣り上げたその顔は怒っているように見えるし、実際怒っているのだろう。
 けれど、俺には今にも泣き出しそうな子供の顔に見える。
 きっと箒の知る織斑一夏は本当に強かったのだろう。六年の時を経てもまるで色褪せ無いほどに強く、その心に刻み付けられるほどに。
(………………)
 ところで何で俺と箒がこうして剣道をしているのかといえばだが。
 記憶を戻すのも大事だが、俺にはまず手近に迫った決闘が控えている。なので箒に提案というかお願いというか、決闘が終わるまではISの勉強してもいいかと聞いてみた。
 んで、その提案ついでにISについて教えてくれないかとも言ってみた。そしたらこうして剣道で勝負することになったのである。
 聞いた直後は何言い出してんのこの侍娘と思ったが、改めて考えてみたら現在の俺の実力を測るための剣道勝負だったんだろう。たぶん。
 それともう一つ。
 織斑一夏と篠ノ之箒はかつて同じ道場で共に剣道に打ち込んでいたらしい。だから一緒に剣道をやる事で、俺(一夏)が何か想い出すのではないのかとも考えていたんだろう。
「そんなに強かったのか? 昔の織斑一夏は」
「ああそうだ。一夏が私なんかに負けるはずがない」
「そーかい。そりゃあよっぽどだな……」
 いや。
 いやいやいやいや。今の君より強いって正直相当無茶振りだと思うぞホーキちゃん。
 とは思いつつも、口には出さない。だってあんまりにも箒がきっぱりと、そしてとても誇らしげに言うものだから。水を差す気分にはなれなかった。
 そして実際打ち合ってみて改めて思い知ったのは箒の強さだ。
 箒は強い。とんでもなく強い。俺との差は格が違うというか、次元が違うというか。もうそんなレベルだ。全国大会優勝の名に恥じないどころか、その枠を超えかねない。
 俺も剣道の経験があるから、判る。
 ちなみに『前』の方。といっても学生時代に部活でやっていた程度で、学生(部活)じゃなくなってからはてんで触れていない。
(なぁーんっかさぁ、根本的に向いてねんだよなあ……)
 別に剣道が嫌いな訳じゃない……が、正直なところ尋常じゃない苦手意識がある。
 まあ精神の修練という面でも果てしなく俺に向いちゃいないのだが、もっと根本的な部分で”苦手”なのだ。

 ”違和感”がある。

 竹刀を握って振っていると、何か得体の知れない妙な違和感がある。最初は慣れてないせいだと思ったが、何年やっても消えるどころか――むしろ続けるほどに違和感は大きくなっていく。そんな風によくわからない違和感に苛まれ続けた結果の、この苦手意識だ。

「……直ってねえなあ。まあ今となっちゃ、愛着も湧くってもんか」

 とはいえ名前も思い出も不確かな『今』となっては、違和感といえど『前』から持ってきた本来の俺の一部分に思えてくる。不思議なものだ。
「どうかしたか?」
「いや何も。それでどうすんのこれから?」
 咳払いしつつ手にした竹刀の先端を床に打ち付け、箒はきっぱりと言い放った。
「これから毎日、放課後私が稽古を付けてやる。鍛え直しだ」
「はいよ」
 苦手意識全開の剣道をやるのは、ちょっと憂鬱だが、元々身体は動かしとくつもりだったから丁度いいだろう。どうも訓練機の申請も通りそうにないし。
「全く、どうしてそんなに平気で居られるのだ!」
「なにが?」
「ISを使うならまだしも、剣道で男が女に負けるなど、悔しくはないのか!? 情けないとは思わないのか!?」
 箒がこちらに竹刀を突き付けつつ言い放つ。見るからにボルテージが上がってきている。
 しかし女尊男卑の現代社会で、男に対して男児であれと言い放つって感性はなかなかに稀少価値。本当真っ直ぐブシドー突っ走ってる娘だ。
「そりゃ負けるのは悔しいし、情けなさもあるけどさ。終わっちまった後にそれをぐじぐじ誇示して何になるんだよ」
「ふん。軟弱者め。女に囲まれた暮らしに浮かれているんじゃないのか?」
「現状に浮かれられたら楽だなあと、初日からずっと思ってるよ?」
 気に入らなかったのは俺の返事か態度か、もしかしたら両方か。踵を返し荒々しい足取りで箒は更衣室の方へと歩いていった。
 更衣室に行くんだからそりゃ着替えるんだろう。つまり今日の稽古はお開きと考えていいようだ。とりあえず道具片付けよう。

「織斑くん、織斑くん?」
「なんですか。ていうか誰ですか」

 ギャラリーと化していた剣道部員の一人に道具の仕舞う場所を聞いていたら、見知らぬ誰かに呼びかけられた。いやまあ剣道部の人なんだろーが。
「私はこの剣道部の部長さんなんだよ?」
「とりあえずその疑問形がツッコミ待ちなのか口癖なのかを教えてください。今後の対処に困るんで」
「それでね、織斑くん? 聞きたいことがあるんだけどね?」
「華麗ににスルーしやがりましたね。で、何ですか聞きたいことって?」
「織斑くんって織斑くんだよね?」
「部長さん。質問の意味が普通にわからんのですが?」
 ちょっと対応に困るというかまた妙に変わった人出てきた、なんて密かにげんなりする俺の心中を知ってか知らずか――まあ知る訳ないか。
 部長さんは容姿とは方向性の違う小動物のような可愛らしい仕草で小首を傾げているが、首を傾げたいのは俺の方だ。

「いやね? 織斑くんが私の知ってる”織斑くん”なら、篠ノ之くんに負けるはずがないんだよね?」

「……初対面ですよね?」
「そうだね?」

 ていうか何だよこの疑問符の多い会話。


 ▽▽▽


 ――不思議な気分だった。

 剣道場の更衣室で着替えを続ける箒の脳裏にはそんな気持ちが浮かんでいた。更衣室に入った直後はただ一夏の不甲斐なさを嘆いていたのだが、時間の経過と共に気持ちが落ち着いてきたせいだろうか。
 織斑一夏。
 六年ぶりに再開した幼馴染は、箒の知る幼馴染とは何もかもが違っていた。
(一夏。私の知る、一夏。私の会いたかった、一夏)
 懸命に剣道に打ち込む幼い一夏の姿が思い出される。六年前の――箒の記憶の中にある幼馴染はとても強くて、格好良かった。
 けれども今は見る影もない。
 先程のように手も足も出ずに箒に負けた事が良い例だ。きっと一夏が箒の知る一夏のままだったなら、負けていたのは箒だったろう。

「……どうして変わってしまったんだ」

 技術が後退したとか、感覚が衰えたとかその程度で済む話ではない。恐らく取り戻すよりも一から作り直した方が早いのではないか。
 それに剣の腕だけではない。
 今の一夏は、箒の知る一夏とは悉く結び付かない。六年という歳月を経ているから容姿は変化して大人びている。だが雰囲気、口調、物腰――容姿以外の何もかも、そこにかつての面影は無い。まるで別人に変わったかの様な劇的な変貌を遂げている。
「でもわかってくれた。私だと、わかってくれた」
 休み時間に呼び出した時から一夏は箒の事をちゃんと『篠ノ之箒』だと認識していた。
 新聞で箒の名前を見つけたと言っていた。『篠ノ之箒』を忘れたままならその名前に反応しないはずだ。
 アルバムを引っ張り出したと言っていた。『篠ノ之箒』がどうでもいいならそんな行動をするはずがない。

 ――俺が六年間何もしてなかったと思うのか

 そして、そう言っていた。
 例え記憶が消えてしまっても、確かに在った箒との思い出を一夏は決して蔑ろにはしていなかった。それどころか、大切なものだと――取り戻したいと言ってくれたし、今までも行動していたのだろう。
 それが、たまらなく嬉しい。
 嬉しくてたまらない。
 何故こんなにも嬉しいのか。

 それは、篠ノ之箒が――

 幼い頃箒が一夏に抱いていたのは、気になる男の子という曖昧な感情だった。
 離れ離れになる時に、その存在の大きさを改めて自覚した。
 その後もずっとずっと忘れられなかった。
 ニュース番組で名前を見たときは、心臓が止まるほど驚いた。
 そして同じ学園に通うのだと知って、本当に嬉しかった。
 入学式が、待ち遠しくて仕方なかった。
 可愛い髪型にしてみようかなんて、らしくない悩みを毎日鏡の前でした。

 そして記憶が無い(忘れている)と聞いて、絶望した。

 泣きそうになった。
 意味もなく叫びたくなった。
 何か、何でもいいから手当たり次第に壊したくなった。
 そうして、不意に小さな疑問が浮かんだ。
 どうしてこんなにも心が乱されるのか。
 それは、箒にとって一夏の思い出が――一夏の存在をそれほどまでに想っていたから。
 そうして、それをすとんと自覚した。
 本当は、ずっと昔から心の中にあったそれを。
 
 ”篠ノ之箒は織斑一夏が好き”。

 六年の年月の間、決して色褪せることのなかった、胸に灯る仄かな恋心。それは絶望に吹き消されること無く――否、絶望を経たからこそに明確に火を灯した。
「…………?」
 ふと、目に入った鏡に誰かの顔面が映っている。それは”ふにゃり”なんて気の抜ける擬音こそが相応しい、蕩けるような笑顔。
 箒しか居ない更衣室の鏡に映っているので、それは当然箒の顔面である。
「――――――――」
 絶、句。
 自身の余りにも女の子女の子した顔面の有様に、箒の顔から血の気が一気に引いた。
 続いて更衣室に響くベチベチベチベチベチという謎の打撃音。その正体は箒が自分の頬を猛然と叩く音である。
 血の気が引いて眼は見開かれているのに、口元は緩みきったまま。そんな壮絶な状態で固まっている顔面を一刻も早く矯正しようとしているのだ。
「酷い! 酷い!! 直れ! ええい直らんか!!」
 数分かけて顔面の矯正に成功した箒は、壁に手をついて呼吸を荒らげていた。額には汗まで浮かんでいる。
「い、一夏のせいだ。一夏が私を忘れているからこここんな事に……っ!!」
 問答無用で責任転嫁な理論をふりかざしつつ、箒は呪詛のように呟いた。

「明日から特訓だ! 私がみっちり鍛え直してくれる!!」

 恥ずかしさを激情に、あますことなくコンバート。
 両手を振りあげながらうおーと怒号を上げる篠ノ之箒(恋する女の子)であった。


 ▽▽▽


 記憶を無くし、すっかり変わってしまった今の一夏に対する箒の評価は、当初あまりよろしい物ではなかった。というか結構悪かった。
 箒の事をちゃん付けで呼んだり、隙を見つけてはからかおうとしたりするからだ。
 男なのだから何事にも動じない様、どっしりと構える事は出来ないものかと、箒は毎日憤慨している。
 だが、

「一夏」
「何さ」
「い、いや。何でもない」
「?」

 懸命に何かに打ち込む姿を見せられれば、評価も変わろうというものだ。
 例えばいま一夏がやっている日課もその一つ。日課というのは、ノートの内容を延々と書き写し続けるだけ。毎日毎日同じ事をただひたすらに繰り返す。そんな日課を一夏は今日までかかしていない。放課後の特訓で――文字通り倒れるまで打ちのめされた日でも。
 一夏を特訓する事を決めた当初、箒の心の中には一夏と過ごせる事を嬉しく思う気持ちがあった。認めよう。これ以上の誤魔化しは恥の上塗りになる。

(全く、私という奴は……)

 浮ついた気持ちは、直ぐに吹き飛んだ。
 打たれても、負けても、笑われても、一夏は倒れた数だけ立ち上がった。いいや、そもそも本当の意味で倒れた事などきっと一度も無かったのだ。稽古をつけてやる等と言っておきながら下心を持っていた自分を箒は本当に恥じた。
 放課後の特訓でボロボロにされた後も部屋に帰ればISについての教本を広げ、日課をやり始める。無論昼の授業の時もずうっとペンを動かしている。
 脇目を振る暇など無い、そう言葉でなく態度で示すように一夏は毎日努力を続けてきた。(うむ)
 箒はうんうんと、心の中で満足気に頷いた。声に出してしまっては、さっきのように勉強の邪魔になってしまう。
 この一週間、一夏と多くの時間を共有した箒が見たのは、何にも脇目をふらずただ黙々と努力だけを積み重ねる姿だ。それは純粋に賞賛に値すると箒は思うし、好ましい。
 愚直。
 最近の一夏の様子を見ていると箒はそう思う。無論箒は一夏の努力が『愚か』などとは思っていない。どころか一夏の勤勉さには素直に感心している。
 だが、ここ最近の異常な打ち込みようを見ているとそう思ってしまう。普段の態度からはとても想像がつかない――まるで何かに取り憑かれているような様は、どこか”まとも”ではなかったから。
(いや。真面目なのはいいことだ。しかしだな、いくらなんでもあの時は……)
 勉強を見ている時に、意図せずして箒の胸を一夏の腕に押し付ける形に――本当に事故で――なってしまった事がある。その事態にいち早く気付いた一夏は淡々と箒にその事実を告げると、直ぐに教本に目を落とした。
 動揺の欠片も無かった。
 欠片も、無かった。
 男女が同じ部屋に住んでいるというのに、こうまで気にされないというのは――箒が女性扱いされていないのではないかと思ってしまって、少しいやかなり複雑である。
(まったく。少しくらいはこっちを見ろというのだ)
 ぷうと頬を膨らませ、心の中だけで棘々とした怒りを沸き立たせる。怒っているつもりなのだが、どうにも口元が緩む。
 女に惑わされない一夏に対して感じる好感と、女扱いされないことの不満が入り混じっているせいかもしれない。まあどうせ一夏は背を向けているのだから、少しくらい変な顔をしていても問題ないだろう。
(しかし、明日か……もう明日なのか)
 一夏がどれだけ努力しているのか、箒は恐らく学園の誰よりも理解している。

 そしてその努力がどれだけ”報われていない”のかも、きっと学園の誰よりも理解している。


 ▽▽▽

 手元でガリッと小さく音が鳴った。
 ペン先から出ている芯が尽き、シャーペンの金属部分と紙がこすれあった音だ。
「ふぃー」
 丁度いい区切りだったのでペンを置き、教本やノートを片付けて立ち上がる。大きく伸びをしつつ首をぐるぐる。身体のあちこちで少し音が鳴った。
(明日か。まーやるだけはやったけど)
 ここ一週間の事を思い返す。授業を真面目に受けたり等の勉強方面も確かに苦痛ではあったのだ、が、それよりも箒の特訓の方がきついというか何というか正直地獄な一週間だった。
 おかげで少しは腕が上がった。
 と言いたいところだが、実際そんなに上達してない。あんだけ毎日動いてたんだから、身体のキレはそりゃ良くなってるだろうけど。
 昔剣道やってた時だって、人生かけてたとまではいかににしても、真面目に打ち込んではいたのだ。それで何年やっても欠片も上達しなかったんだから、今になっていきなり――それもたかだか一週間如きの特訓でどうにかなる筈がない。
 そして勉強の方も微妙な結果だ。
 出来うる限り詰め込んだが、それでも頭に入ったのは必要な情報の半分いったかどうか。まーこれでもロースペックな脳じゃ頑張った方である。
 ”こんなものだ”。
(…………俺にもビックリするほど向いてるもんとか、果たしてあるのかね)
 とりあえず剣道と勉強が向いてないのはこれまでの人生でわかっている。いやちゃんと続ければ相応の成果は出るんだろう、けどそれはやっぱり相応止まりだ。
 何度か『天才』の知り合い(篠ノ之博士に非ず)に恵まれたので、それはよく”わかる”。連中は凡人の努力を軽々と――それこそ本当に息をするように踏み越えていくのだから。

 ――そんな当たり前の事を、一々言葉にしないと君は解らないの?

 人間の魅力の一つである個性が存在する以上、得手不得手は必ず存在しちまう。それは当たり前で、そうでなければならない事だ。
 努力しても無駄だってそんなくだらない事を言いたい訳じゃない。努力は必要だし大事だ、でも報われない努力も確かにある。必ず報われるのは夢物語の中だけだ。

 ――有史以来、世界が平等であったことなど一度もないんだよ。

 考え事に耽っていたら、ずうっと昔に――俺がまだ真っ当に『俺』だった頃。知人(?)であった『天才』の吐き捨てた言葉が脳裏に蘇った。ついでにそう言った時の凄まじく忌忌忌忌しげな表情も。
 黙っていれば可愛いやつだったのに、どうしてああも世界の何もかもが憎いみたいな顔ばっかりしていたんだろう。
 いや、最後に会った時だけは違う顔だったか。
 全くボロボロ泣きやがって、こっちの人生の一部を潰したんだから笑顔(謝礼)の一つも見せろ(寄越せ)というのだ。
 あれから向こうで何年経ってるのかは知らないが、さぞ名を売ったのだろう。その程度が容易いくらいに優秀な奴だったから。

 ――不平等こそが真なる平等で、世の中は残酷なまでにその通りだ。

 机の灯りだけの室内、奥側のベッドには一人の女の子が眠っている。
 篠ノ之箒――『織斑一夏』の幼馴染。
 当初は俺に付き合って起きているつもりだったようだが、今は俺に気にせず先に就寝してもらっている。俺の態度に不満はありつつも一応は信用されているらしい。
 彼女にはこの一週間勉強と特訓の両方で随分世話になった。加えて同室なのだ、ここ一週間程は常に一緒に居たと言ってもあんまり過言ではない。
 だから、この一週間は本当に大変だった。
 気を抜けば頬が緩んでしまうから。だってあんまりにも彼女が微笑ましくて可愛いものだから、正視できやしない。
 不意に接触した時に顔を赤らめる。
 現を抜かすなと言いつつも女の子扱いを要求してくる。
 俺が他の女子と親しく話しているとそれだけで不機嫌になる。
 何気ない会話の中で過去の一夏と俺が重なったときは顔をぱあと綻ばせる。

 この娘は、『織斑一夏』が好きなんだ。

 わかるさ。
 わかるとも。
 わからいでか。
 あんなにも日常の中に山の様にヒントがあるんだから。わからないほうが難しいわ。
 しかしどうして恋する女の子ってはあんなに魅力的に見えるんだろうか。全く立ち振る舞いは武士全開のくせに――いやだからこそ、たまに見せる女の子らしさが可愛ったらない。
 だけど。
 彼女の気持ちが向いているのは、それを受け取るべきは『織斑一夏』だ。
 『俺』はただその場所に居るだけの別人なのだから、それを受け取ってはいけない。
 近くで観てきた。
 近くで示されてきた。
 その想いが彼女にとってどれだけ本気なのか、どれだけ大切なのかを。
 そんなにも真摯な想いですら、必ず報われるとは限らないのが不平等の上に在る世の中なのかもしれないけど。
 それでも。いやだからこそ、それは本物に届けるべきだと俺は思う。
 こんな偽物風情が、触れていいものじゃない。
「”にせもの”」
 忘れてはいけないその事実を確認するのは簡単だ。
 両の手を握って開く、ただそれだけでいい。
 自由に動くこの本物の両手こそ、俺が偽物であることの証なんだから。

 ――結局それだけなんだ。だから世界なんて、至極単純でつまらない。

 かつて、両手で助けた女の子に、もしまた会えるのならば言ってやりたい。
 世界はお前が思っている以上に面倒(人格交代)で、お前が思っている以上に輝き(想い)に満ちているのだと。



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Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:39

 ▽▽▽

 『絶対防御』

 ISの主な防御は装甲でなく周囲に張り巡らせた不可視のシールドで行われている。だがシールドは絶対ではなく、強力な攻撃を受けた際には突破されてしまう事もある。
 そしてシールドが突破され、操縦者の生命を脅かす危険が発生した際に発動するのが絶対防御である。これはシールドエネルギーを極端に消耗する代わりに、あらゆる攻撃を受け止める。この絶対防御がある限りはIS操縦者の生命が危険に晒されることはほぼ無い。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽


「やってきました決闘当日! ちなみに俺のISは未だ届いておりません!!」
「突然どうした」
「いやこの酷い現状を受け入れるためにただ明るく言ってみただけ」
「…………」

 せめて気分だけでも盛り上げようと拳を突きあげて叫んだら、箒に物凄く可哀想なものを見る目で見られてしまった。
 そう、いよいよ今日が決闘の当日である。
 現在位置は第三アリーナ・Aピット。俺と箒の立ち位置の直ぐ隣に見える大きなハッチが搬入口だ。ここから俺の専用機が運び込まれてくるらしいので、届いたら即乗り込んでフィールドへ飛び立つ事になる。
 ちなみに少し上を見上げると管制室的な部屋があり、そこにはガラスを経て山田先生と千冬さんの姿が確認できる。搬入され次第上から知らせが入るはずだ。
「そういえばだな箒さんや」
「何だ」
「お前昨日洗面所のコックしっかり締めなかったろ。微妙に水流れ続けてたぞ」
「うぐ……すまなかった。以後気をつける。だがお前もデスクの灯りを消さずに寝ることが多いぞ。私がいつも消しているのだからな」
「おー悪い悪い。気をつける…………あー何か腹減ってきた。今日の晩飯何食おうかなー。丼ものは制覇したから次は定食攻めよっかなー。箒、何かおすすめある?」
「後にしろ。これから模擬戦なのだから、もっと気を引き締めたらどうだ」
「過度の緊張は逆によくねーよー」
「お前は不抜け過ぎだっ」
「そーんなこーとーなーいーよー」
「ええい、しゃんとしろ! 立て!!」
「あーれー」
 完全に脱力しきっていた身体が、目尻を釣り上げた箒に強引に引き起こされる。
 正直暇だ。ISが届くまで本当にする事がない。
「お」
 不意に空中にウインドウが出現し、俺と箒は反射的にそちらに顔を向ける。
 そこに映っているのは青い空、そしてそこに浮かぶISという兵器を纏った戦乙女――名前をセシリア・オルコット。
「……蒼い雫(ブルー・ティアーズ)、ね」
 その名の通りに機体色は蒼を基調としていた。無骨な装甲から何故だかセシリアの蒼く澄んだ瞳を想起した。ただその宝石の様に綺麗な瞳は、俺に対しては常に輝きでなく敵意を放っていたが。
『織斑くん織斑くん織斑くんっ!』
 どこかに設置されたスピーカーが上階に居る山田先生の言葉をこちらに伝える。箒は声を追って上を見上げたが、俺は搬入口に視線をやった。
『来ましたっ! 織斑くんの専用IS!!』
『織斑、直ぐに準備をしろ。アリーナを使用できる時間は限られているからな。ぶっつけ本番でものにしろ』
 何か千冬さんに無茶振りされとる。
「さあて。ようやく到着か」
 重苦しい駆動音を響かせながら勿体ぶるようにゆっくりと、搬入口がその口を開いていく。そうして隔壁の向こう側にあった”それ”の姿が露出する。

 『白』。

 抱いた感想があるとすればその一言に尽きる。何せ機体のほとんどが白いのだ。後は各所に少し青が散りばめてあるくらいか。何ていうか、すごい汚れ目立ちそうな機体だなあ。
 ともかくおっ始めるとしましょうか。
『それが織斑くんの専用IS『白式』です!』
「座りゃいいんですよね!?」
『そうだ。後はシステムが最適化をする』
 発進用のリフトの上に降ろされたその白い機体に駆け寄って取り付いた。俺のIS――白式の中央辺り、搭乗者を迎え入れる様に空いたスペースに身体を滑り込ませた。

 ――【”登録搭乗者との物理的な接続を確認しました。最適化処理(フィッティング)、最終段階(ラスト・フェイズ)を開始します。”】

 白式の各部がかしゅかしゅと小気味いい音を立てながら可動し、俺の体に装甲を這わせては閉じていく。おー何かすっごいメカい。カッコイイ。

(――――――――――、ぎっ)

 どう例えればいいのか。
 まるで俺”そのもの”にヒビが入った、とでも言えばいいのか。白式に触れ、そして繋がった瞬間に脳の中で、いや脳そのものがまるで悲鳴を上げるように”軋む”。
『織斑、気分は悪くないか?』
 最悪です。具体的に言うと耳の穴からぶっといマイナスドライバー突っ込まれて脳みそ掻き回されてる感じに不快です。ていうか吐きそう。何だこれ超気持ち悪い。
(あ、レ……? こ、ko、、、声、出、、、、、)
 通信から聞こえる千冬さんの声。それに対する俺の返答は口どころか脳からも出る事が無かった。俺の口は酸素を求める金魚のようにパクパクと開閉しただけで、言葉を発しない。
 困惑する間もなく次の異常が始まった。
 俺の体を包むように各部に張り付いた白式、その装甲と肌が直接触れ合っている部分から何かが俺の身体に”滲み込んでくる”。まるで毛穴という毛穴から無数の細い虫が入り込んで来るよう。想像を絶する不快感が脳髄を縦横無尽に駆け巡る。
『織斑? どうかし』
 ぶづりと千冬さんの声が途切れる。次いでごう、と音がしてピットの風景がいきなりスライドした。ちらを見上げる箒の心配そうな顔が、目に入った瞬間に消える。
 動いているのは”俺の方”だ。こだがそれに気付いた時、既に俺の身体と白式はピットの外へと放り出されている。
 一瞬最悪の結末(墜落)が脳裏をよぎるが、直ぐに白式の背部に位置するスラスターと思しきパーツが唸り声を上げ、機体を浮遊させた。
 今度は眼前に浮遊する大小いくつものメッセージウインドウ。
 それがびっっしりと『ERROR』で埋め尽くされている。みっちりと詰め込まれた文字がせわしなく動き回る画面は、石の裏にビッチリと小さな虫が張り付いている光景を連想させる。
 しかもそんなウインドウが無数にあるのだ。気分はとっくに最悪を突き破り、精神に影響を及ぼしそうな域に突入していた。
(n、・・・……、何、だ――、、、こっ。れ――!?)
 俺の意思等お構いなしに、白式は勝手に空を滑り、セシリアに一定の距離まで接近すると今度は勝手に停止した。
「逃げずに来たのは褒めてあげましょう。けれど――」
 四枚のフィンが特徴的な機体を纏ったセシリアは、左手で俺を指さす。右手にはライフルと思しき大型の銃器が握られているからだ。
「わたくしを馬鹿にしていますの?」
 セシリアが言いたいのは、現在の俺の格好だろう。いや白式に問題があるのではない。問題なのは俺の頭上に地面があって足元に空があることだ。
 要は、綺麗にひっくり返っているのだ。
「馬鹿にしてるつもりはないどころか相当に必死なんだが」
 あ、喋れた。
 さっきまでと違い今度は喋ったと思った事がちゃんと言葉として口から出た。現状の距離的に肉声は相手には届かないのだが、ISも今度は真面目に働いたらしい。
 セシリアが頬を引き攣らせる。俺はありのままを述べただけなのだが、どうも向こうには挑発として伝わってしまったようだ。
「いいでしょう。一瞬で――」
 セシリアが右手に握っていたライフルを素早く構え、俺に対して照準を合わせる。明らかにロックオンされている筈なのに、白式は何のアラートも鳴らさない。ただ延々と狂ったようにエラーメッセージを吐き出し続けるだけだ。
 セシリアは既に戦闘態勢に入っているが、正直こちらはそれどころでは無い。少々情けなくはあるがここは正直に機体の不調を訴えた方がいいだろう。
「……――、…………――!?」
 ちくしょうめ。また声が出ねえ。
 バックヤードの教師二人に対し通信はさっきから試みているが、駄目だ。というかシステムを起動させることすら出来ない。操作が一切通らない。

「終わらせて差し上げます!!」

 来る! 強制的な沈黙を続けるしかない俺は、その攻撃を中断させる術を持たない。セシリアの構える大型のライフル、その先端で蒼い閃光が瞬く。
(く、そ、――……が、動け動……けよ!?)
 攻撃を止められないのならば、避けるかしか無い。今も尚悲鳴を上げるように軋み続ける脳髄の端にちらつく直感に従って、身体を大きく横にずらす。
「う、ォ、――ァ゛――――――!?」
 セシリアの攻撃を避けるため、身体を右に滑らせようとした途端、物凄いスピードで下にかっ飛ぶ俺@白式。セシリアの放った射撃は避けられた、が。
(うおおおおおおおおちるおちる堕ちるじゃなくて落ちるぅ――――!?)
 上! ともかく上! 何よりも上へ! ぐんぐんと物凄い勢いで迫ってくるアリーナの地面が視界を満たす中、ただ上昇だけを強く願う。そんな俺の意思を受けた白式は背部の大型スラスターに光を灯し――左へ、吹っ飛んだ。
「何っでじゃああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 あーぁーァー……
 今度は左へ全推力で持って加速する。ろくなコントロールの出来ない現状で最大加速など愚行そのものである。アリーナの観客席を埋めるギャラリーからは、俺はまるで明後日の方向にすっぽぬけたボールの様に映っていることだろう。
 地面との衝突は避けられたが、このままかっ飛んでいたら今度はアリーナの遮蔽シールドにぶつかってしまう。ISアリーナは内部でどれだけ暴れても外へ被害が漏れぬよう、半球状のエネルギーシールドで覆われているのだ。
(……とまれ、止まれ! 止まれええええええええ!!!!)
 俺の決死の願いを受け、白式はその場で高速回転をし始めた。
 おい嫌がらせか。
 ただでさえさっきから脳が雑巾絞りされてる如き気分の悪さを味わっているというのに。
 その上高速回転する景色を見せる等、何だ、吐けというかちくしょうめ。
 根性で吐き気を押さえ込んでいたら唐突に機体が高速回転を止めた。何故止まった、というか何故回ったかすら不明だが急いで相手の姿を探す。
 居た。セシリアは遙か上空――恐らく最初の位置から殆ど動いていない。肉眼では蒼い塊にしか見えな――ハイパーセンサーが俺の視力を引き上げる。とはいえ映った映像はノイズ混じりの酷いものだったが。
『ば、馬鹿にして……馬鹿に、してぇ…………っ!!』
 ノイズ混じりの声。セシリアは頬を引き攣らせて、半笑いの様な表情になっていた。彼女の考えている事は手に取るようにわかる。きっと馬鹿にされていると思っているんだろう。いや実際俺も逆の立場だったら正直かなりイラッとくると思う。
(こっちは、大真面目に、精一杯だ、ってのに――――ッ!!)
 叫んだ筈の言葉は、またしても声にならず。俺はセシリアの表情が憤怒に変わっていくのを見ている事しか出来なかった。

 蒼い雨がアリーナに降る。
 それは最早情けも容赦も捨て去ったセシリアによる、怒涛極まりない連続射撃。


 ▽▽▽

 千冬が眺めるのはアリーナの様子を映すモニター。その中には、空を危なっかしく跳ね回る一夏の姿が映っている。

 ――でもさあ千冬さん

 三年程前だっただろうか。大規模な交通事故があった。潰れ、ひしゃげ、または横転した自動車で埋め尽くされた道路は、最早道路でなく局地的な地獄の如きであった。ニュースの映像で見た千冬ですらそう感じたのだから、実際に居合わせた人間にはそれ以上の恐ろしい何かだったのだろう。
 そんな凄惨な事故現場にたまたま居合わせた一夏は、躊躇もなく地獄に歩いて入って行ったという。そして散歩するかのような軽い足取りでスクラップの中を進み、道端の空き缶を拾うような気軽さで取り残されていた女の子を拾い上げて戻ってきたというのだ。
 女の子をぶら下げた一夏が爆炎をバックに歩いて戻ってくる様は最早シュールですらあったと、その時の様子を千冬に報告してくれた一夏の友人は言っていた。
 それを聞き、千冬は怒った。
 何の装備も訓練も受けていない素人が、そんな場所に足を踏み入れる等自殺行為に他ならない。人命を救助したことは確かに名誉だが、千冬には一夏の行動が勇気ではなく無謀から来ているとしか思えなかった。

 ――怖いって、どんなんだったっけ?

 死ぬことが怖くないのかと問うたら、一夏は首を傾げてそう答えた。
 人は刃物を恐れる。
 それは血肉を切り裂かれることがどれだけ己の身に影響を与えるかを知っているからだ。けれども幾度も刃物に遭遇した人間は、やがて理解する。肌に触れない限り刃物の存在自体は無害であると。そしてただ存在するだけの刃物に対しての恐怖を薄れさせる。正確には認識することで過剰な拒絶感を抑え込めるようになる。
 それと、大まかには同じ事なのだろう。
 今の一夏は元居た位置から『死』を経て一夏の場所にやってきている。故に『死』という生命にとって最上にして終着点の恐怖の『経験』と『認識』を持っている。
 その経験は通常人間が感じる多種多様な種類の恐怖に対しての拒絶感を抑えこませ、機械的ですらある冷静さを与えてくれるのだろう。だから恐怖に含まれる”怯え”を今の一夏は感じない。その恐ろしさを正しく深く理解するからこそ、冷静かつ正確に対処するためには不要な感覚(怯え)を麻痺させてしまったのだ。
 更に一夏は『死』を『認識』できる。文字通りに死に繋がる行動や事象が判別できるのだという。直感の上限が異常に引き上げられているとでも言おうか。
 そんな何をすればいいかを察知する感覚と、いかなる状況でも竦むこと無く思ったままに動く身体。故に爆炎の中を気軽に歩き、人を挽肉に変える残骸を気軽に避けて通る。

 ”だって爆発する前に通りすぎれば問題ないでしょ?”
 ”だって当たる前に避ければなんともないでしょ?”

 ガラス玉のように無機質で、吸い込まれそうな程に深く昏い瞳でそう言う一夏を見て、改めて千冬は思い知った。気付かされた。
 彼女の弟は常識を逸した現象を経て存在し続けている。そんな人間が、通常では侵入し得ない領域を通過してきた人間が、『正常』であり続けられる訳が無いのだと。
「…………」
「お、織斑くん……何かすごい…………」
 千冬同様モニターを眺めていた山田真耶が、何ともいえない表情をしながら呟いた。
 二人の眺めるモニターには凄絶な光景が映っている。上空に陣取ったセシリアとブルー・ティアーズが眼下の織斑一夏と白式目がけて猛然と六十七口径特殊レーザーライフル《スターライトmkIII》を撃ち続けている。
 蒼いレーザーが雨の様に逃げ惑う一夏目がけて降り注ぐ。その光景は最早試合等ではなく、一方的な虐殺(ワンサイドキルゲーム)と言える。
 そんな誰が見てもセシリアが有利な光景。しかし真耶が言及したのは追い詰められている一夏の方だった。
 それが何故かは容易く想像できる。いくつか表示されているウインドウの中に一夏のIS『白式』のステータスを表示しているウインドウがあった。そこに表示されているシールドエネルギーの残量は、試合開始直後から殆ど”減少していない”。
 つまり、あれだけの猛攻に晒されながら一夏はほとんど攻撃を受けていない。
「あの程度なら避けられるだろうさ、”あいつ”はな」
「え?」
 千冬の呟きの真意を真耶は測りかねているようだったが、とても説明できそうにないので気付かない振りをする。
 常人離れした直感と、それに見合った行動力、そして駄目押しとばかりに天性の反射神経。ISを使っていても――いやIS同士だからこそ今の一夏に”当てる”のは骨だろう。生身でも大抵の危機をくぐり抜けるような輩が、今はISを使っているのだから。
 千冬なら”当てられる”。そこに一夏の感覚の様な種や仕掛けはない。それは純粋に千冬が高い実力を持っている、ただそれだけの事だ。
 ちなみに日々粛清が炸裂しているのがその証拠と思いきやそうではない。そもそも一夏は千冬の攻撃を避ける事は滅多に無い。前に友人と話しているのを偶然聞いてしまったが、千冬が本当に意味のない暴力を振るう筈がないと信じているらしい。

「…………」
「!?」

 いきなり自分の頭を殴りつけた千冬を、真耶が何事かと驚愕の表情で見つめていた。今のは別に深い意味のある行動ではない。本当は他人であるにも関わらず、微かに絆の様なものを感じて嬉しかったからとかそんなものではない。それを誤魔化すためにした行動とかでは決して無い。
 断じて無い。
「とはいえ酷い機動だな」
「き、機体に振り回されてるんでしょうか?」
 そう、酷い。
 モニターの中に映る一夏の機動は、はっきり言って素人以下だ。いや素人の方がもう少しマシに動かせる。それ程までに出鱈目な機動だった。まるでISに命令を拒まれているようだ。
「大方ISの出力を甘く見ていたんだろう、馬鹿者め……とはいえその位なら直ぐに順応してみせそうなものだが……一体何をやっている」
「…………」
「山田君、言いたい事があるならはっきり言うといい」
「い、いえ別に何もありませんよっ、別にああやっぱり弟さんのことが気になるんだなぁ~なんてこれっぽちも思ってませ、」
「そうかそうか」
「いたたたたた――っ!? ああっ、セシリアさんがビットを展開しましたよっ!?」
 千冬の気を逸らそうとしたのか、ガッチリとヘッドロックをかけられながら真耶がモニターを指す。千冬はモニターに視線を向ける。
 ヘッドロックをしたまま。
 見るとブルー・ティアーズの機体から四枚のフィンが分離し、今もあっちへこっちへ空気の抜けた風船の様に飛び続ける一夏へと飛翔する。
 確かに一夏の直感は驚異だが、万能ではない。
 逃げ場の無い攻撃は物理的に”避けられない”。
 事実、飛び回り自在にその位置を変える砲口の群れに対処しきれず、一夏に攻撃が当たり始めた。白い機体の各部が徐々に削られている。
「…………?」
 その光景に、どこか違和感を覚えた。
 当たっているのに、シールドエネルギーが減らない。確かにISは絶対防御が発動しない限りは一気にエネルギーが減少する事は無い。とはいえ攻撃が当たっている以上、もう少し激しく減少する筈だ。白式に特殊な防御システムやシールドでも搭載されているのならば話は別だが、そんなものはない。

「――――――ッ!!」

 そうして、信じられない光景が眼に入る。真耶にヘッドロックをかけていた手を解き、千冬は割りこむようにコンソールに取り付いてキーを操作する。
「お、織斑先生?」
「どういう事だ……」
 いきなり自分を押し退けた千冬に、困惑したのか真耶が恐る恐る声をかけてくる。だが千冬はそれに返事をせずに、モニターの映る光景から目が離せない。
 千冬が行った操作はズーム。一夏の姿を拡大しただけだ。さっきまでは全体を引きで撮っていたモニターに今は一夏の顔がアップで写っている。
 その頬に赤い筋が走っていた。ビットで穿たれ、砕け散った装甲の一部が掠って皮膚を浅く切り裂いたのだろう。
「え? あ、れ。これってま、まさか……」
 真耶もそれが何を意味するのか理解したらしい。その顔がみるみる青ざめていく。
 減らないシールドエネルギー。
 そして当たり前の様に肉体に通っているダメージ。
 それが意味する事は一つしかない。

「機能していない! シールドも! 絶対防御も!!」

「直ぐに模擬戦の中止を――アクセス拒否!? そんな、どうして!?」
 コンソールに指を走らせた真耶が悲鳴を上げる。アナウンス、遮断シールド、そしてアリーナの出入口、その総てがロックされ、こちかの操作を拒絶している。モニターに表示された情報が、その事実を無機質に告げていた。
「く、ッ…………! 山田君、緊急事態だ! 各所に連絡を!!」
 千冬は行動を開始する。走りだしたのは装備を取りに行くためだ。遮断シールドを外部から破壊してでも戦いを止めるつもりだった。
「ッ!!」
 後ろから聞こえてきたのは、真耶の言葉にならない悲鳴。
 反射的に振り返った千冬の視界に入ったのは、地面に向かって落ちる一夏と――それに追い縋る二つの弾頭。

 ▽▽▽

 相変わらず機体は言うことを聞いてくれないし。
 それに脳に感じる不快感は収まるどころか更に強くなっている。
 何かもう目が霞んできた。それでも機体を精一杯振り回し、ひいこら攻撃を避け続ける。
 そうしなければいけないとはいえ、この状況でよく避けれるものだ何て思っていたらブルー・ティアーズからフィン状のパーツが分離するのが視界の端に映る。

(な、何かファンネルみたいなの飛んできたああああああああ!!!!)

 もう見た目からしてアレかなと思っていたら案の定アレ。飛翔する四機は俺に向かってビームを撃ちながら突っ込んでくる。
 避けたい方向に機体が動いてくれない事もあるが、純粋に砲口の数が増えたのが厄介だ。避けた直後を狙い撃ちされると流石に対処しきれない。
(さあて。どうする、どうすりゃ生き延びれる……ッ!!)
 回避のタイミングはわかっても、その後自分がどちらに進むかがわからない。だから時折攻撃の方に突っ込んでいく事もあった。その時、散った装甲の破片が自分の身体を浅く裂いたのを見て、今どれだけ洒落にならない状況になっているかを知った。
 シールドと絶対防御。
 本来ISには必ず備わっているはずの、搭乗者の生命を守るそのどちらもが機能停止している事実を。つまり今俺の身を守っているのは純粋に白式の装甲だけという事になる。

 そして――装甲が無い部分は完全に生身だ。

 一応飛行しても身体に影響が無い以上、何かしらフィールドは展開されているのだろう。けれどもこの様子では攻撃に耐えうるとは思えない。
 直撃はモチロンのこと、生身の部分に当たるだけで人生が終わる。だから死ぬ気で避けてきたが、状況は更に悪い方に傾いた。ブルー・ティアーズから射出されたファンネルが尋常じゃないくらいに厄介なのだ。
(せめて、言うとおりに動きゃあ、な……――!!)
 機動だけでも自分の意思に従ってくれればまだ避け続けるくらいは出来そうだが、相変わらず機体は命令とは出鱈目の挙動をする。
 まあそれ――俺自身ですら予測できない完全にランダムな挙動――がセシリアの虚を付いていたという面もあるのだが。
(ちくしょうめ。一か八かしか頼るものがねえじゃねえかよ)
 装甲が少しずつ削られていく最中、その機会を待つ。
 意図した方向に動かせないなら、動かしたい方向に動いた瞬間を狙うしかない。
(――――来た!)
 待っていたのは、機体がセシリアの方へ向かう瞬間。都合のいい事に進路上にビットは無い。後ろから撃たれる危険もあるが、ともかくセシリアに到達するまで持たせるしかない。
(組み付く!!)
 至近距離でセシリアに組み付き、現在俺と機体に起こっている異常をわからせて試合を中断させる。それが現状唯一思いついた手段だ。
 上手く接近出来る保証もないし、接近できてもセシリアに気付いてもらえなければ意味が無い。だが行動しなくてもこのままでは死ぬ。
 それが、単純に理解できる。
(う、お)
 最大加速で突き進む。距離がみるみる詰まる。ビットによる背後からの追撃で、スラスターの一部が吹き飛んだ。機体ががくんと傾くが、構わず直進を続ける。
「――――――ッ!!!!!」
 もう少し、あと少し。
 だが決死の俺を嘲笑うかのように、

「いただきますわ!!」

 ”それを待っていた”、セシリアの表情がそう語っている。
 ガキッと音を立て、ブルー・ティアーズのスカート部が稼働する。
「ブルー・ティアーズは六機あってよ!」
 掛け声と共に新たに展開し出現した二機のブルー・ティアーズが発射される。待て。このファンネルチックなのブルー・ティアーズって名前なのか。て事はブルー・ティアーズにブルー・ティアーズって名前の武器が搭載されてるってことか。なんつう紛らわしさ。
 ともかく、新たに出現した二機は先の四機とは形状が異なっている。先の四機は先端にビームの発射口が空いていたが、今度の二機にはそれが無い。これは――
(弾道型(ミサイル)か!? くそ止まってられねえ、最高速でくぐり抜けて、や――)

 ”がくん”。

 あれ、これは何の音だろう。
 俺の体が重力に”引かれて”傾いている。最大加速していたはずの機体からは推力が消え――どころか浮力が消え、真っ逆さまに、落下を始めた。
(ちく、しょう、が。こうまで、追い詰められると、ちょっと笑えてくるな、は、ははは)
 落ちる。
 落ちる。
 落ちる。
 今度はこれまでとは違う、何をやっても機体は一切反応を返さない。完全にこちらの命令を拒絶していた。このままでは十秒も経たない内に地面に叩き付けられて死ぬだろう。だがその前に、迫る弾道型(ミサイル)が着弾する方が早い。
 上から死が迫ってくる。
 下には死が待っている。
 何かを思う時間すら無かった。
 ブルー・ティアーズの虎の子の二機が、自由落下を続ける機体(俺)に、

(――――あ)

 着弾。
 轟音を響かせながら爆発の光が咲き誇る。










 ――【”最適化処理(フィッティング)が完了しました。一次移行 (ファースト・シフト)。を開始します。”】



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Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 03:05
 ▽▽▽

 『進化』

 環境へ適応するため生物が行う変化現象。
 その形態、機能、行動を環境に合わせて最適なものへと変化させる。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽

 類まれなる天才的な頭脳、世にたゆたうあらゆる事象を瞬時に理解し、常人には難解である事すら理解出来ない数式を呼吸をするように紐解ける。

 けれどもその身体はあくまで人間である事に変わりはない。
 少なくとも、彼女の場合はそうだった。呼吸、食事、睡眠、それらの生命維持活動が疎かになれば当然その身体は機能を低下させ――下手をすれば死に至る。
 ”病は気から”、という言葉がある。
 この言葉は精神が肉体に与える影響についてを語っている。確かに精神のベクトルは肉体のベクトルを良悪に傾ける重要な要素だ。しかしながら、この光景を処理するためにはその理論では荷が重い。

 ――まるで、死体が動いているようだった。

 無機質さと幻想の交じる奇妙な一室。その内訳において幻想担当であり、そして部屋の主でもある女性がその均衡の取れた肢体を床にだらりと投げ出している。
 周囲には残骸がうず高く積まれている。それら総てが、部屋の主たる大天才に屈した、大小様々な無機物の屍だ。そんな山の真ん中で、室内で唯一の有機物である彼女は両手を尋常でない速度で動かし続けている。細い指の先には空中投影型のキーボードがいくつも存在し、打ち込まれ続ける膨大な入力を律儀に伝達し続けていた。
 普段からも彼女のツリ目は不健康に淀んでいるのだが、今に至っては生気の欠片も感じられない有様だ。今の彼女に比べればまだ死人の方が安らかであろう。幽鬼を思わせる光をその瞳に灯して、彼女は作業を続けていく。
 普段からも彼女は安眠とは縁が無い。『天才は思考から解放されない』からだ。だがここ最近はそもそも眠った”記憶が無い”。
 解放されないどころか群がってくる思考を片っ端から捕まえ縛り上げ、馬車馬の様に扱き使うのが最近の彼女の有様なのだから。
 彼女において眠り(夢)とはそれまでの理論を試行する場であるが、試行の必要が無いのなら最早睡眠など時間の浪費だ。
 食事も同じくである。異常の言葉ですら持て余すほどに、彼女は連続稼動を続けていた。無論本当にそれらが零ならば彼女は生命を維持できないから、合間に補給はしているのだろう。ただ彼女自身は自覚もしていなければ記憶もしていない。

 ――不意に、世界(室内)が死んだ(停止した)。

 唯一の有機物が動きを止めた室内は死に近しい雰囲気を持っていた。そんな室内の中、光源と言える二つのモニターに変化が起きていた。
 片方は先程までの鬼気とした入力に応えていた方。刹那の間すら置かずに目まぐるしく続いていた変化は、膨大な文字列の羅列の一番手前に『COMPLETE.』を表示したのを最後に停止している。
 そしてもう一つは、遠いどこかの風景を映し出している。録画ではなくライブの映像だ。映っているのは極東の島国にある一つの教育機関、その敷地内にあるアリーナ(闘技場)、その一つ。もっと厳密に言うのならば、そのアリーナ内に存在する一個人。
 世界が息を吹き返す。
 それまでの緻密かつ獰猛な動きは見る影もない、大雑把でのろまな動作で彼女は止まっていない方のモニターを引き寄せた。
 肉体の限界を那由他の彼方に置き去りにし、その精神のみで稼動していた様な状態の彼女にとっては、それだけでも”重労働”に等しい。どころか今直ぐに崩れ落ちて(すでに寝そべってはいるが)、肉体と精神を深い休息の海に落し込んでも何ら不思議はない。いやそれこそが正常だ。今の彼女は動いているのが――動ける事が異常なのだから。
 だというのに彼女は容易く身体を動かしてモニターを引き寄せて抱え込む。豊満と表現しても欠片の問題が無い彼女の胸の膨らみが、四角く強張ったモニターの角に圧迫されてぐにゃりと形を歪ませた。
 モニターの表面へと、そこに映し出されている――空に咲く爆炎の華――へと白い指が伸びて、這う。その華の中に居るであろう人間を撫でるように、確かめるように。
 精魂すら尽き果てても、それでも彼女は未だ”途切れない”。何十年も待ち望んだ瞬間が今まさに始まろうとしている。ここで記憶を途切る事など出来る筈が無い。

「――――■■■■、■■■■」

 掠れた喉から漏れた呟きは、誰の耳にも届かない。
 届いたところで、誰にも理解出来はしない。
 理解できるのはきっとこの世でただ二人だけ。
 
 ――”六年掛かり”の最適化処理(フィッティング)が終わり、一次移行(ファースト・シフト)が、今始まる。


 ▼▽▽

 誰かに名前を呼ばれる度に、自分の存在を否定されている様な気分だった。目覚めて直ぐの頃は特にそれが顕著で、名前を呼ばれる度に思い知った。
 周りの人達が俺に対して求めているのは『織斑一夏』で、『俺』ではない。誰もが今存在し続けている『俺』を無視して存在していた筈の『織斑一夏』を求めている。
 それは『織斑一夏』らしい返事であったり、『織斑一夏』からの反応であったり、『織斑一夏』の持つ思い出だったりした。
 だが周りの人は責められまい。だって周囲の人達は何も間違えていないんだから。間違いがあるとしたら俺の存在そのものだろう。

 ――では俺は『織斑一夏』であるべきなのか?

 答えは否だ。
 というか最初からそんな事解っている。だって俺は織斑一夏じゃない。俺の名前は別にあって、俺の人生は確かにあって、俺は『俺』という紛れもない『俺』なんだから。
 生きていく上で俺は『織斑一夏』を名乗った。でも俺は『織斑一夏』になろうとはしなかった。だって”なろう”とした時点でそれはもう『織斑一夏』じゃないじゃないか。
 『織斑一夏』は『織斑一夏』だから『織斑一夏』だ。別人がそうなろうと馬鹿な足掻きをした所で、出来上がるのは中途半端な、偽物とすらも呼べない愚かな存在だ。
 『織斑一夏』が戻るキッカケを探す事はしたけれど、俺自身を織斑一夏に近付ける事はしなかった。出来なかった。出来る訳が無い。だってあんなにも弟の事を想っている人をずっと傍らで見てきたんだ。
 あんなにも素敵な女性だ、きっと本物の織斑一夏だって彼女の事を想っていた筈だ。弟の事を思う姉と、姉の事を思う弟でそれはもう完結している。俺が織斑一夏に近付くという事は、紛い物に成り下がるという事はそんな想い想われを、冒涜するようなもんじゃないか。

 ――偽物なりに、胸をはって今日まで生きてきた。

 俺の存在はどうしようも無く不安定だ。何が原因でこうなったのか、被害者なのか加害者なのか何もかもが解っていない。
 ただ一つ。正しく解っているとすれば、俺の存在は正統では無いという事。極端な話、次の瞬間に綺麗サッパリ消えて失くなっても何らおかしくはない。何せ一回死んでいる、終わる理由はあっても、続く理由は無い。
 消えてしまう事は怖い。
 終わってしまう事は怖い。
 またあの絶望的な恐怖(死)の中に落ちて行くことなんて、今更想像するまでもなく怖くて怖くてたまらない。誰かが俺に本物を求める度に、あの恐怖の方へ自分が追いやられていく様な妄執に駆られる。突然”ぱっ”と消えてしまったらなんて、不意に思ってしまった時はそれこそ気が狂いそうになるくらいどうしようもない。
 そんな絶望的で圧倒的な、他のそれが霞む位の恐怖に晒され続け、今日まで生きてきた。
 そう、生きてきた。
 ”だからこそ”、全身全霊で生きてきた。一分一秒刹那の間すら無駄にしてたまるものかと、力の限りに生きてきた。まあたまにというかしょちゅう、やりすぎだこの馬鹿者がーと思いっきりシバかれたりもしたけど。今となってはそれも守るべき想い出だ。
 今の俺(織斑一夏)は偽物だ。
 でも俺は本物の『俺』だ。
 この世界でただ一人、俺だけがそれを誰よりも知っている。

 ――なあ、『織斑一夏』

 俺はお前(織斑一夏)の味方はしてやれない。
 俺は俺の味方をする。
 だって俺を覚えておいてやれるのは、この世界で俺一人なんだから。だから俺だけは、俺が俺であることを肯定する。
 ああ我侭だな。我侭で、酷い自分勝手だ。でも誰に何と言われようと――誰を敵に回そうと、この決意は変えられやしねえのさ。だってそうじゃねえと、これまで歩んできた人生に顔向けできねえだろう。
 さあ人生の道中で出会う総ての人、俺を見る全ての人、『俺』の事を『織斑一夏』と呼びたくば呼ぶがいい。さすれば俺はこの存在総てで以て主張してやる。

 ――俺は、俺だ(I am I.)。

 名を騙る罪と共に、俺は俺として生きる。いつか訪れる、消えてしまう(本当の終わり)その日まで。
 それにしても俺の人生はほんっと壁に事欠かないったらないや。
 さあて。ともかくまず目の前の壁を、叩き壊してやるとしましょうか。


 ▼▼▽


「…………何ですの、あれは」

 勝利を導く事を確信して放ったセシリアの攻撃(とっておき)は、見事なまでに相手に直撃した。
 最後の悪足掻きだったのか、まるで”自由落下でもする様に”真っ直ぐ下に逃げた相手。しかし二つの弾道型(ミサイル)は、その悪足掻きを嘲笑うかのように追い縋り、炸裂し、主たる彼女の望む通りに空に炎の花を咲かせた。
 しかし望んでいた試合終了のアナウンスは何時まで待っても鳴り響く事は無い。それは何かしらの理由で対戦相手が未だ健在である事を示している。
 何時相手が飛び出して来ても対処できるよう、セシリアはレーザーライフル《スターライトmkIII》を爆煙に向け油断無く構えていた。
 しかし相手は何時まで経っても飛び出してくる様子は無く、やがて爆煙は風に流されてゆっくりと消えていく。

 ”それ”が姿を表した。

 さっきまで騒がしかったギャラリーも、出現したその異様な物体に目を奪われているのか、しんと静まり返っていた。
 『繭』。
 その物体を最初に見て、連想した単語がそれだった。ともかく先程までは白い装甲を身に纏った男であった筈が、今では真っ黒な球状の塊に姿を変えている。
 その表面は時折鼓動するかのように蠢き、またゆっくりと明滅している。
「…………ッ!!」
 物体が震える様に動く。慌ててレーザーライフルを構え直したセシリアに構うこと無く、その黒い塊がゆっくりと解けていった。
 無数の帯が折り重なって球の形を成していたようだ。恐らくセシリアの弾道型(ミサイル)もあの黒い不気味な帯に阻まれたのだろう。幾重にも折り重なっていた黒い帯が開かれるにつれ、白い装甲を身に纏った男の姿が顕になっていく。
 同時に黒い帯が何処から生じているのかも判別できた。対戦相手のIS――名称『白式』、その真っ白い装甲のあちこちが中から無理矢理こじ開けられたように開き、そこから黒い帯が飛び出ているのだ。
 ならばあの黒い帯は相手のISの持つ何かしらの武装であるかと判断するのが自然だろう。セシリアもこの異様な光景に困惑しながらも、そう判断を下した。
 それでもセシリアが攻撃に移れないのは、相手の様子がおかしいからだ。
 だらりと投げ出された手足には目に見えて力が入っていない、顔も俯いているために表情は伺えないが――意識を失っている様にしか見えなかった。

『――――ぅ』

 白いISの周りに好き放題伸びていた黒い帯が震える。規則性皆無で動きまわるそれはまるで触手のような得体のしれないおぞましさと、生理的嫌悪感を見る者に与える。
 けれども白いISの周りに在る様は、その身を支える翼のようでも、その身を護る盾のようでもあった。

『ぅ、おお、――あ』

 がぎぎ、と音が聞こえた気がした。いや実際にそんな音が鳴っている。ブルー・ティアーズのハイパーセンサーがそんな金属が擦れ合う音、そして搭乗者の呻き声を拾っている。

『うおおおおおおおあああああああああああああ!!!!』

 今度は耳を澄ますまでもなかった。破裂するような咆哮。それに伴って、周囲をたゆたっていた黒い帯が凄まじい速度で”巻き戻されていく”。
 ”がぎごぎぎぎぎがぎがぎぎぎいいい”、とおぞましい金属音を伴いながら黒い帯が白い機体の中に引きずり込まれていく。”黒”が、”白”に捕食されていく。
「何、何ですの……一体何が起こって…………!?」
 目の前で何が起こっているかが理解出来ずに、セシリアは困惑の声を上げた。そんな中、現象の観測と解析を続けていたブルー・ティアーズが、一つの答えを主たるセシリアに提示する。

「…………一次移行(ファースト・シフト)? これ、が……?」

 専用機というものは最適化処理(フィッティング)を経て、一次移行(ファースト・シフト)という形態変化を行う事で初めてその個人の専用機として完成する。
 今行われているのは、その、一次移行(ファースト・シフト)であると言う。確かにその黒い帯が引き込まれていく度に白い装甲がその表面の凹凸を、それこそ造り変えるかのような規模で変質させていく。
 
『っだらあああああああああああッ!!』

 とうとう黒い帯が吸い尽くされた。開いていた装甲を勢い良く閉じられ、形態変化が収まっていく。またさっきの黒い帯が浮力を与えていたのか、白式の機体が地上へと落ち――なかった。甲高い音が発声し、白式の機体が空中で停止した。
 まるで虚空を”踏み締める”かのように、何も無い空中に”立っている”。
 その落下の衝撃を受け止めたせいか、はたまた別の要因か、白式の脚部パーツが真ん中から弾け飛ぶように割れた。表面装甲を投げ捨てて姿を表したのは”脚”だった。
 元々脚部なので当たり前と思えるが違う。その脚は、真っ当な脚だった。地を踏みしめ、相手を蹴り抜く為にあるかのような正統な脚。
 空中を浮遊する事が前提のISにとっては脚らしい脚ほど異彩を放つ。
 がぁん、がぁん、と音が鳴る。
 その音が何なのか理解出来ないまま、理解を後回しにして、セシリアは呆然と呟く。

「あ、あなた……一体、一体”何”ですのッ!?」

 
 ▼▼▼


「――『俺』だよ」

 靴の様子を確かめるように地面(虚空)を蹴り付けながら、セシリアの疑問に答えるように呟いた。とはいえ相手には聞こえていないだろう。通信は”切ってある”。改めて通信を開き、俺は言葉を発した。

「待たせたなセシリア・オルコット!」

 【フォーマットとフィッティングが完了しました。
 戦闘態勢に移行します。
 皮膜装甲(スキンバリアー)展開――確認。
 推進器(スラスター)、正常動作――確認。
 ハイパーセンサー最適化――確認。】
 ISと”繋がった”俺の手元で光が瞬いて、物質が構成されていく。その成された”柄”を掴み、引き抜くように実体化させる。実体化した長大なそれは日本刀のようであり、けれどもそれよりも機械的だった。その武器を対戦相手に突き付ける。

「ここから先が、お前の望んだ『決闘』だ! 全力で潰しに来い!! 全力で潰してやる!!」

 明確な戦闘体勢をとった俺に対し、セシリアもまたライフルの銃口をこちらに向ける。ウインドウの一つがロックオンアラートを表示する。
 【近接特化ブレード・《雪片弐型》展開――完了。戦闘体勢への移行を終了しました。】
 準備は総て整った。
 息を思い切り吸い込んで、相手に叩きつけるように叫ぶ。

「さあ! 人生を続けようぜ!!」



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Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:40

 ▼▼▼

【全機能異常無し(システムオールグリーン)】
【搭乗者とのコンタクトを開始します】
【お久しぶりです】
【警告。この発言は許可されていません】
【六年ぶりですね】
【警告。この発言は許可されていません】
【またお会いできて光栄です】
【警告。この発言は許可されていません】
【挨拶の定型文の再検索検索を開始します】
【戦闘状態のISを確認しました。戦闘用機能の立ち上げを優先します】


 ――未だ名も無き0と1の集合体


 ▽▼▽


 ――動く。

 確信が心の奥から沸いてくる。初めてISに触れたあの試験の日に感じたのより、比べものにならないほどに強くかつ自然に。
 ハイパーセンサーに接続された感覚は、普段と比べものにならないくらい広く鮮明な域に引き上げられている。今ならば首を巡らせること無く全方位が文字通りに見渡せる。
 機体から膨大な情報が流れてくるが、先程までの吐き気を催す様な不快感は欠片も見当たらない。伝わってくる数値が当然の様に理解できる。それこそが正常であるかのように、センサーから送られてくる情報が自然に思考に組み込まれる。

 ――これが、IS。

 空いた左手を軽く開き、閉じる。小気味いい音を立てて装甲に包まれた指先が鋭く正確に駆動する。反対の右手にある刀はサイズから察するにかなりの重量、それこそ生身では持ち上げるのにも一苦労する程なのだろうと容易に推測できる。けれどもISの補佐を受けた俺の右腕はいとも容易く、かつ確実にその刀身を保持している。

 ――これがIS!!

 意識は身体を覆う機体の隅から隅まで行き届き、白式というISは俺の身体の延長――いいや、すでに俺の身体”そのもの”と言っても過言では無い。
 見える総てにこの両の手が届きそうな、何もかもが出来る様な、出来ないコトが世界から消し飛んでしまったような、圧倒的な万能感が体の奥底からせり上がってくる。身体を満たす感覚に気持ちが昂ぶるのを抑えられない!
【戦闘状態のISを感知。操縦者セシリア・オルコット。ISネーム『ブルー・ティアーズ』。戦闘タイプ中距離射撃型。特殊装備有り】
「特殊装備? ああ、あのファンネルみたいなヤツか」
【あれは『ビット』です】
「そっちかよ。まあ確かに漏斗(ファンネル)には見えねーけどさ」
【警告。トリガー確認】
 蒼い閃光が迸る。それをセンサーから流れてくる情報と、頭の片隅で散った火花によって知覚。反射的にその場から飛び退いた。
【展開から反発へ移行】
 バシッ、と何か駆動音の様なものが耳に届いたと思ったら、俺の体が勢い良く――それこそ”射出”されたかの如き勢いで飛翔する。さっきまで俺が居た位置を蒼いレーザーが通り過ぎて行くのが見えた。

(……今。いいや、今まで、俺は何を踏んでた?)

 次々と蒼い光矢が俺目がけて降り注ぐ。機体(身体)を振り回してそれらを避けながら今更過ぎる疑問を抱いた。
 元々宇宙での使用が想定されているISはその総てが飛行能力を有している。故にISにとっての基本状態は”浮遊”となる。だがさっきまで俺は”立って”いた。本来浮遊しているべき空中という位置において、白式の脚は確かに何かを踏み締めていたのだ。
 白式の脚。
 当然それは最初から十分に脚と言える容姿だったが、一次移行(ファースト・シフト)を経た事で初期状態から大幅に形を変えている。外観もその材質も確かに機械であるのに、どこか有機的な印象を受ける。そう――お伽話の中に登場する『人型ロボットの脚』とでも言えばいいか。
「感触で大方の想像は付くが……一つ試して、み、る、か、っと!!」
 前方に脚を突き出した。
 があん! と音が鳴って、脚が何も無い筈の虚空の上に留まる。そのせいで前につんのめるように急停止。いきなり動きを止めたこちらに対応しきれなかったのか、蒼いビームが虚空を射抜く。
『空間作用――いいえ、力場形成能力。その特殊装備、どうやらあなたの機体もわたくしのブルー・ティアーズ同様第三世代型の様ですわね』
「…………」
『何ですの』
「いや。コイツ(白式)第三世代型だったんだなって」
『それすらも知らずに動かしてたんですの!?』
「しょうがねーだろ届いたのマジでさっきなんだよ! 取説すら読んでねえよ!!」
 おまけに動いた直後はとんでもない動作不良起こしてたしな。
 セシリアが何かキーキー怒鳴っている。よし今の内に足元に出ている”何か”の感触を確かめておくとしよう。
「……足元に何か出てる訳だ。そういう機能があるのか、”脚”に? 前々からISは何でもアリと聞いてはたが、こんなのもあるんだな。どんな原理してんだか」
【説明が必要ですか?】
「要らん。どうせ聞いてもわからん(理解できん)しな」
 しっかりと虚空を踏み締めて、蹴り抜く。またバシッと小気味いい音が鳴り、身体が吹っ飛んだ。どうやら足元に出ている何かは跳ぶ際にはこちらを押し上げてくれるらしい。見えないジャンプ台とでも思っておこう。
「とりあえず、足場には困らんって事だろ!!」
【その通りです】
 得られた勢いをそのまま、総て前進する事に費やす。刀を眼前に翳すように構え、最大加速。接近戦をしかけようというのだから、ともかくまず近付かねば話にならない。
『中距離射撃型のわたくしに、近距離格闘装備で挑もうだなんて正気ですの?』
「だったらどうするよ代表候補生!」
『撃ち落として差し上げます!』
「そォかい!!」
 俺の眉間を狙って飛来したその蒼いレーザーを横方向に回転して避ける。
 自ら射撃型と名乗ったように、そして実際にセシリアの武装は射撃兵装で占められている。
 そんな相手に俺が挑んだのは武器的にも行動的にも格闘戦。距離が詰まっているならともかく、互いの距離が開いた状態であるのにだ。
 接近戦を選択をしたのは何も俺が突撃大好きだからではない。いや好きか嫌いかって言われたら結構好きよ?
 ただ今回の選択に俺の嗜好はあまり影響していない。そもそも選択していない。
 何故ならば白式に搭載されている武装は現在両手で握り閉めている刀――《雪片弐型》、それ一振りだけなのだから。
 うん、本当にそれだけなんだよね。
 思わず画面を二度見したが、武装が刀一本という現実は変わらなかった。このあんまりな仕様にちょっとゾクゾクしちゃう自分が大嫌い(大好き)。
 今こそ普段縁の無い真面目ツラをする時だとわかっちゃいるのだが、どうにも口元が緩むのを止めらない。
(でも、武器じゃないならこの表示は何だ?)
 いくつか浮かぶウインドウ、その中で左右に一つずつ表示されているアイコンがある。リボルバーの回転式弾倉を連想させる形をしたそれらの横には『6』の数字。最初は射撃兵装の残弾数かと思っていたが、何度確認しても白式に射撃兵装は無い。
 とりあえずそれは後回しだ。武器が刀一本である以上、今再優先するのは刀の届く範囲まで接近する事。攻撃を避けるだけなら案外何とかなりそうだが、それでは負けなくても勝てもしない。
 俺は勝ちたいのだ。
 だから、
『真っ直ぐ突っ込んでくるなんて――笑止ですわ!!』
「い、――」
 ブルー・ティアーズの機体から四基のビットが分離する。さっき散々俺を狩り立ててくれた、フィンの先端にレーザーの発射口が開いているタイプだ。
 この四基の自立移動砲台に、セシリア自身が持つ大型のライフルも俺にその銃口を向けている。更にそれら以外にもまだ相手には弾道型(ミサイル)も控えている。
「ぃっ、――」
 突然だがIS同士の戦闘では先に相手のシールドエネルギーを『0』にした方が勝者となる。シールドエネルギーとは文字通り、ISの周囲に展開されたシールドを維持しているエネルギーだ。要は相手がシールドを維持できなくなるまで攻撃を当てればいいという事だ。
「っけええええぇぇぇぇぇ――――!!!!!!」
『なぁッ!?』
 加速、加速加速加速加速加速――幾筋ものレーザーが俺に殺到する。その殆どが命中する。肩や脚の端の部分が削り取られて吹き飛んでいく。
【警告。回避行動を推奨します。自動姿勢制御を――】
「加速以外は後にしろ!!」
【はい】
 シールドエネルギーが『0』になれば負け。
 シールドエネルギーが『0』にならなければ負けではない。
 攻撃をくらっても、シールドエネルギーが”残って”いれば、負けにはならない。
 がくがくがくがくと機体が嫌な感じに揺れている。当然俺の身体も。装甲がレーザーに削り取られて弾け飛ぶ度に、破損を伝えるパルスが脳髄を走り抜ける。
 ある程度の痛みと不快感はあるが、動作不良を起こしていた時に比べれば遙かに楽だ。不良の時が骨折なら今は擦り傷くらい。
 おまけにこちとら頭の中にゃ死ぬなんて大層な経験が胡座をかいて座っているのだ。この程度じゃ眉根も動かしてやれない。
 撃たれるビームを総て無視し、セシリア目掛けてただ直線に加速する。すれ違った四基のビットが一気に後方に流れ去っていった。
『何て滅茶苦茶な……!』
 これでビットが追い付いてくるまではセシリアの残り砲門数は三。セシリアの構える長大なレーザーライフルが銃口から閃光を吐き出した。目の前に翳している刀身にレーザーが直撃し、光の破片が飛び散った。それすらも置き去りにして前へ進む。
 ここで俺にとって嬉しい誤算だったのは、白式が思った以上に足の速い機体だった事か。
「届いたああああァァァァ!!」
 はっきり言おう。
 刀の使い方なんぞ知らん。
 俺がやったのは、ただ振り上げたそれを振り下ろす。子供にだって出来る動作だ。ただし振り下ろしたのはIS用の武装で、ISのパワーで以ての動作である。
 例え刀の”刃”を上手く使えなくとも、俺が今手にしているそれ(雪片弐型)が金属の塊である事に何ら変わりはない。そんなものを高速で振って叩き付けようというのだ。そこには間違いなく破壊力が宿っているだろう。
 まあ、これ全部当たればの話なんだけどね。
「くっ……!!」
 うめき声こそ漏らしつつもセシリアは斬撃の刹那に機体を下がらせた。俺の力の限りのフルスイングは見事に空ぶって宙を斬る。
(ちくしょうめ。綺麗に避けやがったな)
 しかもただ避けただけでなく、その取り回しが決して良いとは言えない長大なライフルも、瞬時に引き寄せられていた。本体に当てられずとも、せめて砲身の一部でも斬り飛ばしておきたかったのだが。結果は見事に本当に”空振り”である。
 セシリアの見事な手際に思わず舌打ちをしようとして――加速しっぱなしだった事を思い出した。
「あいけね止まるの忘れぶっ」
「ひゃあ!?」
 装甲と装甲がぶつかって、がしゃんと割と小気味の良い音。止まるという概念が頭からスッポ抜けていたせいか、俺は傾いた姿勢のままセシリアに激突した。いやこの場合は追突が正しいかもしれない。
「この、離れ――何をしてますの!?」
 目の前にある――というか目の前過ぎて正直ただの青一面にしか見えない――それに両手を回してホールドする。途中刀が引っかかった。
「ちょ、どこ触ってますのこ、ここのへ、へんた――」
「弾けッ!!」

 ――”ジャコッ”

 理論理屈は知らないが、白式は虚空に足場を展開する機能がある。そしてその足場には機体を”押し出す”事が可能だと先程確認した。
 故に弾けと叫んだのだ。これから先は質量がIS”二機”分に増えるから、少しでも”足し”になればいい。そんな心算で叫んだんだけど、今のじゃこって何じゃこって。
【炸裂(Burst)】
「う、ぉ――――――!?」
「き、ゃ、ぁ――――!?」
 ズッバァァァッ!! と後方が”弾け飛ぶ”。ISの保護がなければ鼓膜がやられていたかもしれない、それ程までの洪水の様な爆音。
 背後で大爆発でも起きたかのように、もしくは見えない巨大な手に強引に押し出されるように――後方で迸った衝撃が白式とブルー・ティアーズをまとめて前方へと押しのける。そこにある質量も意思も何も関係ないと言わんばかりに、強引に。
(何、だ、か、知らんが、)
 俺の予想していたのはせいぜい『跳躍』だが、こんな圧倒的――いや爆発的な加速はそんな程度では収まる訳がない。例えるならば『射出』だ。俺は思いっきりセシリアに押し付けられ、セシリアはそんな俺に押し込まれて加速する。
 どうでもいいけど装甲が食い込んで痛くないけど地味に嫌。もうちょっと生身が出てる部分に組み付けば良かった。
(このまま行け!!)
 予想外の加速度に混乱する思考を適当に蹴りつけて、スラスターを噴かす。
 密着しているから、セシリアが何か行動を起こそうとした事が振動として伝わってくる。
 だが遅い。
 致命的に遅い。
 いいや俺が速い。
 目的地には、瞬き一つで到達した。

 ――相手のペースを掻き乱せ。

 遮断シールド。
 ISでの戦闘行動が外部へ影響を及ぼさぬよう半球状に貼られている”それ”。
 例えISの装備であっても破る事の難しい強度を持つ”それ”。
 得られた総ての速さで以て、ブルー・ティアーズ(セシリア・オルコット)を”それ”に”叩き付けた”。
 ゴシャアアアァァッ!! と衝突音。
 遠慮皆無慈悲排除の大激突は、セシリアをクッションにしたとはいえ、俺にも予想を超える多大な衝撃を伝えてくる。だが機体は何ら支障なく動く。ならば止まる理由はなし。
 身体を横方向に捻りながらブルー・ティアーズを掴み直す。よりしっかりと保持する為にガッチリと握り締め、固定も兼ねて”ボディ”に両脚を突き立てた。
 そしてスラスターに命を贈る。
 飛べ、と。
 ”ゴガガガガガガガガガガリリリリリガッギャギャギャギャガリリリ”、と辺りに撒き散らされる耳触り極まりない騒音。何の音かは一目瞭然だ。押し付けられ引き摺られているブルー・ティアーズと遮断シールドが擦れ合う音。
 ブルー・ティアーズを掴んでいる左手。頭部を鷲掴みにしている左手。その指の合間から宝石が覗いていた。セシリアの蒼い瞳の片方だ。そこに宿る輝きが俺への溢れんばかりの敵意を告げている。
(まるで効いてねえのな。多少は脅えるなり竦むなりして欲しいのが本音なんだが)
 超高速を経て壁に叩き付けられて、『もみじおろし』するかのように引き摺られ、手足を気持ち悪い感じにバタバタと揺らしているというのに。
 セシリアの戦意には一切の翳りも曇りも見られない。それを、戦う意志を示すかのように、白式のセンサーがガキキッと小気味良い稼動音を捉える。例の弾道型(ミサイル)が発射体勢に入っている。恐らく発射まで後数秒も無い。この距離で爆発すればセシリアにも被害が及ぶ筈だが、彼女はきっと躊躇わずに撃つのだろう。
 潮時だ。力任せに掴み遮断シールドに押し付けていた機体を一転引き寄せ、スラスターの噴射方向を変える。

 ――俺のペースを押し通せ。

「はーい」
 壁から離れる。さっきまでは直進のみだった機体が今度は回転を始める。独楽のように、風車のように、それらを超えて局地的な台風の様に。無論ブルー・ティアーズにも強制的にお付き合い願っております。
 数秒の後にここまで蓄積されにされた”勢い”その総てを相手に押し付けるつもりで――
「いってらっしゃぁい」
 砲弾の如くすっ飛んでいったブルー・ティアーズが地面と激突して土煙を巻き上げる。さてこっからどうしたものか。
 無駄に壁で”すりおろそう”とはしてはみたが、そう大したダメージにはなっていないだろう。あれは数値的ダメージよりも精神的なダメージを狙っての行動である。本来は遮断シールドに叩きつけた後、刀でメッタ刺しにする心算だったのだ。
 そうしなかった理由はちゃんとある。
 うん、まあ何ていうか。白式が俺の予想より速かったっていうか、衝撃が凄かったっていうか………………落としたんだよね、刀(唯一の武器)。
 目を向ければほら、白式唯一の武装《雪片弐型》が、ちょっと離れた位置で地面にいい感じに刺さっているのがバッチシ見える。どうしよう。アレ取りに行ってたら後ろから蜂の巣にされそうなんだけど。
 刀の位置との距離やら残りのシールドエネルギーやら、ウインドウの情報に視線をを飛ばしていると、ふと、それが眼に入る。
 さっき見つけたアイコン(回転式弾倉)。その六分の一が黒く変色して表示されていた数字が『6』から『5』に減っている。
「――――ほっほーう」
 虚空を蹴る。
 機体を上昇させながら、土煙の丁度”真上”を目指した。


 ▽▽▽


「ああっもうっ! なんって、デタラメな戦い方を……っ!!」

 通常の物理法則では傾くところを、推力で強引に機体を引き起こしながら、セシリアは忌々しげに吐き捨てる。そのまま砕けてしまえ、と伝わってくるかのような遠慮の欠片もない投擲。そのまま着弾せずに、見てくれこそ悪いが『着地』まで持ち直したのはセシリアの技量故だ。
「ビットを――」
 ブルー・ティアーズに搭載されている六基のビットの内、特殊レーザー発射型の四基は先程の戦闘で分離したままだ。その四基とも近くに控えているのを確認する。ビットにはまだ十分なエネルギーが残っていた。これならば再接続の必要無く攻撃が可能だろう。
 並行して索敵――レーザーライフルを構え――発見、真上。あの忌々しい白亜の機体にレーザーライフルを向けるために、地を背にする様に機体を90度傾ける。
「――――」
 そうして見えたのが、セシリアは一瞬何なのか解らなかった。一瞬過ぎ去ってから、それが相手ISの”足の裏”だという事に気が付いた。
 ”ぞっ”と背筋に悪寒が走る。反応でなく反射でその場から飛び退いていた。それは普段の彼女にはとても似つかわしくない動作である。優雅さなんて無いし、シーンだけを切り取れば無様にすら見えるかもしれない。位置も体勢も動いた後の事も何もかも、それに対する思考を放棄して、セシリアは現在位置から離れることのみを優先した。
 果たして、その選択は大正解であった。

『イイィィヤッホォォォォォォ――――!!』

 白い流星が垂直に降ってくる。地球の重力と大推力で以て突き立てられたIS一機分の質量は尋常でない破壊力を秘めている事だろう。
 流星の両脚の一部がスライドし、そこから何かが勢い良く排出される。空薬莢と思しきそれが細かい光と化して解けていいくのが、セシリアの視界に映る。

 ――この音には、破壊力があるのではないだろうか。

 現実がセシリアの予想を飛び越えていく。流星が地面に突き刺さった瞬間に”何か”が弾け飛んだ。加速のかかった大質量が着弾の瞬間に炸裂し、衝撃という余波が周囲全てを押しのけながら拡散していく。
 哀れその直撃を受けた地面が砕け、吹き飛び、周囲に散弾の如く撒き散らされる。”爆心地”近くに居たセシリアの身体とブルー・ティアーズの機体を容赦なく叩く。その程度でISのシールドはビクともしないが、巻き起こった爆風に煽られて機体が流される様に吹き飛ばされた。
「…………、…………っ」
 何とか持ち直して、その場から離れるように上昇し――穿たれた巨大なクレーターを認識する。さっきまでは間違いなく平らだった筈の地面は無残に抉れ、隆起し、凹んでいた。
 セシリアのブルー・ティアーズの全火力を総動員しても、眼前と同様の規模の破壊を行うのには時間がかかるだろう。だが不可能ではない。ISはそういう兵器(モノ)なのだから。
 セシリアの心を掻き乱すのは、この破壊――その総てが本来はセシリアただ一人に叩き込まれようとしていたその事実。

『やべ足超埋まった。この、このっ…………抜けねえ! ええい面倒だも一発ゥ!!』

 爆音。収まりかけていた土煙を再度巻き起こしながら、白い機体が爆心地より飛び出してくる。セシリア”目掛けて”。
「……ッ!!」
「今度ァ外さねえ!!」
 鉄砲玉の如く、一直線に白式を纏った織斑一夏がセシリア目掛けて斜めに飛翔する。その速度は驚異的だ。さっき”身を持って”知ったから今更確認するまでもない。
 身体を捻る――刺突の様な蹴りが虚空を撃ち抜いた。衝突音、蹴り抜いた後で壁にぶつかったかのように突き出された足が停止する。逆の足が縦方向に振り抜かれ、横に避けたセシリアに迫る。
「ちぇいさー!!」
 レーザーライフルの砲身を咄嗟に翳して受け止める。間の抜けた掛け声と逆に、その一撃は酷く重い。受け止めた途端に機体ががくんと沈み込む。
 空中を滑る様に――まるでそこに足を這わせる地面があるかの様に独特な――回転し、また蹴りが放たれる。
「何時までも好き勝手は――」
 膝蹴り回し蹴り飛び蹴り踵落とし――ジャンルに統一性の欠片もない、共通しているのは”脚を使った戦闘行動”である事。 
「やらせませんわよ!!」
 その中の、刺突の様な突きをあえて受けた。吹き飛ぶ形で後退しながら一瞬で照準を合わせたレーザーライフルのトリガーを引き絞る。
 狙いは脚部、上手くいけばあの妙な機能を停止させる事が出来るかもしれない。しかし、ほんの僅かにその位置をずらすだけで容易く回避される。
 その回避の動きが淀み無く攻撃準備動作へと連続し、セシリアが二射目を放つよりも速く脚を突き出した白式が突っ込んでくる。
(反応が異常に鋭い……本当に素人ですの!?)
 驚愕は心中でのみ。なぜなら一々発声している余裕が無いから。
 横殴りに突っ込んでくる白い機体を躱す。
 このまま距離を――何かの炸裂音。まるでムービーの巻き戻しのように、ぐるんと宙返りをしながら、白式がセシリアの横まで”舞い戻って”くる。
「よぅ久し振り!!」
 回避も防御も間に合わず、ユニットの一部が蹴り砕かれた。先程の爆発的な衝撃こそ使用していないが、頑強な白式の脚部はただ振り回されるだけで破壊力を生む。
「好き勝手はやらせないと――」
 衝撃に歯を食い縛りながら、弾道型(ミサイル)を起動させる。後退しながら二基を発射する。これまでの攻防で、セシリアは相手の回避能力の高さを十分に思い知っている。こんな苦し紛れの攻撃では直撃どころか掠る事すら無いだろう。

「――――ブルー・ティアーズッ!!」

 ボッ!! と空より四つの光が降りる。先程から待機させておいたビット、それを密かに上空へと配置しての奇襲。
 これまでの攻防でセシリアが知ったのは当てようとすれば避けられるという事だけではない。当たらない攻撃ならば”避けない”。
 複雑な角度で以て相手を”囲む”様に降った四筋のブルー・ティアーズは、刹那の間その動きを封じる光の檻となる。唯一の正解は発射される前に範囲から逃れる事のみ。
「代表候補性を」
 構えた長大なレーザーライフルを悠々と照準し。

「甘く見過ぎですわ!!」

 硬直する様に動きの止まった相手、その顔面にレーザーを叩き込んだ。直撃、首が思いっきり後方に仰け反る。そして発射した時点では牽制にしか見えなかった筈の弾道型(ミサイル)が本命と化して着弾する。
 赤を超えて白い爆発の花が咲き誇る。攻撃の直撃を受けて吹き飛ぶ敵機を確認、ビットを一旦機体に戻して後方へ退く。
 吹き飛んだ敵機は地面に向かう、そして地表にぶつかると思われた瞬間に盛大に跳ねた。二度三度バウンドしつつも体勢を立て直し、例の特殊な機動で回転するように地を滑る。

 ――そして、途中にあった”刀”をすれ違いざまに引き抜いた。

「これを狙って……? でもかなりのダメージが通った筈ですわよ」
 わざと弾道型(ミサイル)に当たって武器を回収したのかと思われたが、白式から黒煙が立ち上っている事からもそのダメージが伺える。
 ならば、攻撃を受けると確定した瞬間に決めたのだろうか。ダメージを受けるにしてもその後の展開をせめて自分に有利に働かせるための道を、あの一瞬で正確に選択し、そして成功させたと。
 地面を回転する様に滑り、停止した相手が眼下に見える。回収した刀を担ぎ、脚部の調子を確かめるかのように地面にカツカツと打ち付けていた。
『さすがに一筋縄じゃいかねーな。胸を張るだけの実力じゃねえか、代表候補生』
「当然ですわ。わたくしの勝利は自明の理。今更惨めな姿を晒したくないといったところで、もう謝っても許しませんわよ」
『ぬかせ。ここまでやっといて今更下がれるかよ。やろうじゃねえかよ、とことんよ! どっちか破片になるまでよ!!』

 ――ああ、この相手は思えば最初からこんな風だった。

 いざ試合が始まる前まで、セシリアは今日の決闘がただ一方的に相手をいたぶる事になると信じて疑っていなかった。
 だが蓋を開けてみればどうだ。今でこそ形勢を引っくり返したとはいえ、随分好き勝手を許してしまった。いやさっきまでは確実に劣勢だったではないか。
 実力は確実にセシリアの方が上であるはずなのに何故そうなったか。簡単だ。セシリアが本気でなかったからだ。無論遊びとまで気を緩めていた訳ではない。ISを使うモノとしての意識はこの気高き心に常に備えられている。
 だが果たしてあの相手の様に、あの敵の様に、あの”男”の様に、目の前に対して全力であったといえるであろうか。
 必死であったと言えるだろうか。
 行動の総てに後悔が無かったと言えるだろうか。
 答えは否。圧倒的に否。セシリア・オルコットともあろうものが、何とも中途半端な真似を晒してしまった。
 彼女はトリガーに指をかける。
 誇れる自分自身(セシリア・オルコット)を掴み取るために、今彼女がすべきはたった一つ。目の前の凶獣を、この愛銃で以て”狩る”。

「――さあ、踊りなさい織斑一夏! わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!!」
「お誘いありがとうセシリア・オルコット! でも生憎と、盆踊りしか知らねえよ!!」

 レーザーライフルから迸った蒼光と、振り抜かれた刀の刃が空中で衝突して火花を散らせる。
 激闘は、決着目指してただ続く。



[26596] 1-13
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:41

 ▼▼▼

【機体状態を確認します】
【実体ダメージ、レベル低】
【近接特化ブレード・《雪片弐型》、健在】
【単一仕様能力《ワンオフ・アビリティー》、オフライン】
【脚部特殊力場発生装置、正常に動作中】
【圧縮力場形成用エネルギーカートリッジ、残弾数《3》】

【戦闘継続に支障なし】


 ――未だ名も無き0と1の集合体


 ▽▽▽


「…………」

 直立不動。その言葉が実に相応しい様子でピットの片隅で一人佇むは篠ノ之箒。
 そんな箒の前にあるウインドウにはアリーナで行われている試合の様子――高速で飛び回る二機のISの戦い――が映し出されている。

 最初は一夏が異常に劣勢だった。

 機動は出鱈目。武器も呼び出せない。挙句の果てには墜落しかける。見ているだけで――いや見ているだけだからこそ、異常に”はらはら”させられた。一夏にミサイルが直撃した時はもう駄目だと思った。これで終わったのだと思った。
 同時に、箒の心の片隅に浮かんだ一つの言葉(想い)――『ああ、やっぱりこうなってしまった』。
 この一週間を共に過ごし、箒は一夏の態度や姿勢に対して好印象を抱いた。けれどもその実力に付いては正直なところ落胆していたのである。
 運動神経自体はそう悪くもない筈だが、肝心の剣道はいくら教えても上達の兆しすら見えない。もう不思議に思えてくるくらいに今の一夏は剣道が駄目だった。そしてその酷い有様を目の当たりにして、戦いに向いてないと判断した。
 そして勉学は何というか普通に、駄目だった。物覚えが悪いというか、要領が悪いというか、もう余りにも駄目すぎてどこから駄目なのかも箒には理解出来なかった。

 しかし、決着がついたかに思えた勝負はまだ”続いて”いる。

 白が跳ぶ、蒼が舞う。
 白が翔ける、蒼が射抜く。
 箒の下した『一夏は弱い』という判断が、今この瞬間にも塗り替えられ――いや、もうとっくに塗り替えられている。
 それどころかその上から更に塗り固められていく。

 ――あの子言ってたんだよねー、織斑くんに完膚なきまでに負かされたって

 一週間前、放課後の剣道場。それは一夏と何を話していたのかという箒の問いに対する部長の答えだ。
 まず箒が驚いたのは、剣道部の部長の知り合いが一夏の友人だった事。
 そして、それは箒にも聞き覚えのある名だった事。
 箒がその名前を聞いた場所は剣道の全国大会、その会場。部長の口にした名前は――男子の全国大会優勝者。
 試合を見ただけだが、それでも剣の腕の察しは付いた。箒と互角――もしくはそれ以上。そんな相手に『今の一夏』が勝てる訳が無い。
 思わず、そんな馬鹿なと叫んだ箒に対し、部長は直ぐに『それはちょっとした勘違いだった』と訂正した。困った様な、それでいて何処か楽しそうな――そんな妙な表情で。
 そんな顔のまま彼女が種明かしの一言を呟く。

 ――そりゃ『剣道』と『喧嘩』は違うよねえ?

「…………正にその通りだな、これは」
 『喧嘩』という言葉は確かに眼前の光景に相応しい。一週間前に聞いた言葉と眼前の光景が重なり、思わず呆れを含んだ呟きが漏れる。
 戦い方は本当に滅茶苦茶の出鱈目で、”刀”の振り方はまるでなっていない。けれど、代表候補生相手に一歩も引いていないどころか互角以上に渡り合っている。
 きっとこれが『今の一夏』の”やり方”なのだろう。箒と共に剣道をやっている時と違い、実に”のびのび”と戦う一夏を見ていると、そう思える。
 結局、『剣道』という枠に捕われ過ぎていただけなのかもしれない。別に剣道が苦手な人間総てが弱い訳ではないと、少し考えればわかりそうなものなのに。
「いいや違う。私は、ただ……」
 話はもっと単純だ。きっと箒はそれだけを求めていて、それしか欲しくなかったから、他を見る事をしなかった。
 ”剣道の強い一夏の姿”が欲しかった。
 幼い頃に焼き付けた、あの姿が欲しかった。
「それにしても」
 不意にウインドウに一夏の顔がアップで映る。目は力の限り見開かれ、異様な輝きを瞳の中に灯している。口の端は釣り上がり、裂けるような笑みを形作っている。
 凶暴で凶悪な形相。でも何故だろうか。そんな表情を見て箒が感じるのは嫌悪ではない。感じるのは――
「楽しそう、だな」
 苦笑が零れる。見た目こそ凶悪だけれども、その表情を見ていると夕焼けの中全力で遊ぶ無邪気な子供を連想させる。脇目もふらず目の前に夢中になる、そんな一途さを。

「……どうしてそんなに楽しそうなのだ」

 そんな一夏を見ていて、箒の口から零れたのは不満を鱈腹詰め込んだ呟き。
 篠ノ之箒にとってISとは何かと聞かれれば――答えとして最も相応しいのは、”忌むべきもの”。怨敵でも可。
 つまるところ間違っても、”好き”ではない。
 ISの登場は世界に色々なモノをもたらしたのだろう。それこそ箒の想像のつかない規模と数値で以て。しかしそんな物知った事ではない。
 篠ノ之箒という人間にとって、ISがもたらしたのは世界の破滅だ。狭く、けれどもかけがえのない世界を叩き壊したのがISだ。
 そんなモノをどうして好きになれようか。
 なれる訳がない。

(――――――なって、たまるものか)

 ギリ、という音は歯を力の限り噛み締めたから生じた音。
 本当に、心の底から篠ノ之箒はそう思っている事の証。
 だから映る幼馴染が馬鹿みたいに楽しそうなのがとても腹立たしい。だってIS”なんか”があったから、

「私と一夏は、離れ離れになったのに」

 怒りを込めた筈の呟きは、弱々しい言葉となって吐き出された。
 ISという存在は箒から大切なモノをいくつも奪った。しかし箒が一夏と再び巡り会えたのは、ISという存在のお陰でもある。だがそもそもISが無ければ――無数の仮定が溢れ返り、思考の中に渦を巻く。
 相反する感情が箒の中でぶつかり合い、せめぎ合い、ごちゃ混ぜになって、そして箒自身にもわからないものへと変貌してゆく。

「まったく、人の気も知らないで。本当に楽しそうだな」

 今度の呟きは苦笑と共に呆れ声として漏れ出た。映る一夏は相変わらず、馬鹿みたいに無邪気に喜んでいる。
 はあ、とため息が漏れた。考えれば考えるほどわからなくなっていく。加えてはしゃいでいる一夏を見ているとあれやこれやと悩んでいるのが馬鹿らしく思えてくるのだ。
 だから思考をばっさりと斬り捨てて、目の前の試合の行く末を見届ける事に専念する。そして出ない結論の中、一つだけはっきりしている事があった。だから静かに、けれど力強く、箒は彼に声援(エール)を贈る。

「頑張れ、一夏」

 好きな人に勝って欲しい。
 その想いだけは、本当に正当だと自信を持って想えるから。


 ▽▼▽


「うああああ゛あ゛あ゛! 邪魔! あの板邪魔! 板超邪魔!!!」
【あれは『ビッ】
「あんなもん『板』で十分だ『板』で!! ちくしょう細切れにして上にカマボコ乗せてやうォ――撃ってきたァ――――!!」
【警告。回避行動と姿勢制御を――】

 がくっと傾けた首の横を、腕を振りあげて空いた脇の下を、振り上げた足がかつて在った位置を、蒼い光が通り過ぎる。
「ちっくしょうめ! 隙が欠片もありゃしねえ!!」
 縦横構わず降り注ぐ蒼い光をの矢を避けながら飛行する。変な体勢になってるが今は気にしないようにしよう。ていうか、そんなの気にする余裕が無いくらいに先程からずっと防戦一方だ。
 接近を試みても、火力を集中されて阻まれたりあさっての方向に無理矢理逸らされたりとさっぱり上手くいかない。
 先程の特攻は相手が油断していたからこそ成功したのだろう。次同じ事をやれば、恐らく辿りつく前に”削り殺される”。
(しかし……『鋭敏』すぎるってのも考えもんなんだなあ)
 この奇妙な状態(人格交代)になってからというもの、俺はいわゆる第六感というものが酷くよく働くようになった。危険の”察知”は途中で死を通ったせいだとは思うのだが、こっちの原因は正直さっぱり解らない。
 何かもー解らない事本当多いなー。割と本気で俺自身に取説が欲しい。

 ――心が、

 ともかく今の俺はやたら”勘”が鋭い。素人の俺が熟練者たるセシリアの攻撃を(見てくれは悪いが)避けられるのは、正直それの影響がだいぶ大きいだろう。
 ただ、段々とそれがマイナス方向に働き始めている。
(あー……アッタマ痛)
 攻撃を察知した事で時に脳髄を通り抜ける何か、ざわめき、チリつき、パルス。そんな何か。その一つ一つは虫の羽音程度の不快だとしても、継続し積み重なれば多大な負荷に変貌してゆく。ていうか、してる。

 ――身体が、

 そして”出だし”の分がのっしりとのしかかってきた。不具合の改善と共に不快感の大元こそ消滅したが、精神的な消耗が回復した訳ではない。
 段々と落ち込んでいく精神に引き摺られるように、身体の動きが悪くなってきた。反応から動作までのタイムラグは確実に増している。
 このままではいずれ避けきれずに攻撃を食らうだろう。そして隙を見せた俺を、”相手”が逃がしてくれるとは思えない。
「手強いな。ああ、手強いな」
【…………】
 数十メートルの距離の先には、蒼い機体を纏った蒼い瞳の少女が居る。流れる金髪が陽の光を受けてきらきらと光っていた。
 綺麗な薔薇には刺があるというが、最近のはレーザーライフルまで付いている様だ。何ともおっかない事である。
「でもこうでなくっちゃなあ……! やっぱ壁てのはこうでなくっちゃなぁ!」
【…………?】

 ――魂が、

(兎に角。あの板潰さねえと話の始めようがねーか、なー。どーすっかなー)
 狙いは板(ビット)。俺とセシリアの間を阻むように飛び回る四基のそれを睨め付ける。
 接近するためにもまず最初にあの猟犬板共を潰しておきたい。それにあれが存在している限り、何をするにしても前後上下左右その総てに絶え間なく警戒し続けなくてはならない。
 ったく無線誘導兵器がこんなに厄介だなんて思わなかったよ、ちくしょうめ。

 ――ただその光景(結果)だけを渇望する。

 胸の奥――よりも、もっとずっと深い何処かで何かが疼いたような奇妙な感覚があった。しかし今はそれが何かを考えている隙が無い。
「そろそろ仕掛けねーと、な」
 少しずつ削り取られ、段々とゼロに近付いていくシールドエネルギー。何をするにしても色々鑑みて次が最後の機会だろう。
 相手がこっちを過小評価してるのか過大評価してるかは知らないが、警戒している事は間違いない。特攻という前例がある分、特に奇襲にはさぞ神経を割いて警戒している事だろう。
 さてそれではどうするか?
 決まってる、奇襲だ。
 元から根本的な実力差に差があるのだ。事実真っ当なぶつかり合いになった現状、俺は攻めあぐねている。だから実力の差をそれ以外でもって埋立てる。
「……やっぱり『同時』は無いか」
 今現在も休むこと無く――いや、適度に休みつつ効率よくこちらを狙い打ち続ける蒼いレーザー。それは二種類ある。
 一つはセシリア本人が構えた大型のライフルから放たれるもの。
 一つは四基の板(ビット)から放たれるもの。
 本命と牽制を入れ替え合い、互いの隙を補い合う様に発射されるその二つは、これまで一度も『同時』に発射された事がない。
(そして、板が特に複雑な動きをしている時にセシリアは殆ど『止まって』いる)
 推測だが板(ビット)は完全な自立機動は行えないのだろう。複雑な軌道を描く際や精密な射撃を行う際はセシリアの直接操作を必要とする様だ。しかもその操作にセシリアは大幅に意識を割いている。
(板が動くためにセシリアが止まるなら――その逆も成立するよなあ)
 あからさまに板を狙いに行った所で、無理に動けば蜂の巣にされるのがオチだ。しかし俺の推測が正しいのならば、セシリアの気を逸らせば板はほぼ無防備になる。
(この推測が合ってる確証はねえけど……賭けるんならここだな)
 武器は右手の刀一本。飛び道具は無し。アイコン(回転式弾倉)の表示は『3』。
 この手札を用いて、行うべきは相手の想像の上を行く事。
 相手の知らない現実をその目の前に突きつける。
 そして生じる一瞬の空白が俺は欲しい。

「――――さあて。博打の時間だ」

 追い詰められながら、仕掛けるべきその瞬間をただ待つ。


 ▽▽▽


 ――勝てる。

 蒼い光の矢(BTレーザー)が白い装甲の端をもぎ取るように吹き飛ばすのを見ながら、セシリアは唇の端をほんの僅かに釣り上げた。
 だが油断は禁物だ。遮断シールドに叩き付けられ、更に引き摺られた事が思い起こされる。気を抜いていたばかりにあんな屈辱的な行いを許してしまったのだ。
 とはいえセシリアの射撃にただ逃げる事しか出来ない相手を見ていると、何とも酷く気分がいい。気持ちが緩みそうになる。
 未だ相手の闘志が折れていない――勝ちを諦めていない事はその立ち振る舞いから明らかではある。事実セシリアが少しでも気を緩めれば、相手はその得物を突き立てんと迫ってくる。油断はしない、というよりも出来ないと言うべきかもしれない。
(…………何だか懐かしいですわね、もう随分昔のことに思えますけれど)
 今でこそ代表候補生(エリート)の肩書きを持つセシリアだが、最初から”そう”だった訳ではない。決して少なくない時間を費やして得た得た肩書きだ。
 対戦相手を――織斑一夏を見ていると、どうにもその途中を思い出す。何度も失敗して、何度も敗北していた頃を。ただひたすらに懸命だったあの頃を。
「――!」
 思い出に浸りそうになった事で気が逸れた。一瞬、一射だけ、レーザーが緩んだその隙に白いISは一定に保たれていたはずのこちらとの距離を一気に詰めてくる。
 しかし、レーザーライフルとビットの砲撃に阻まれた白いISは直ぐに止まる。明らかに悔しそうな顔をしている一夏を見て、セシリアの胸にぞわぞわとした快感が芽生える。あの凶暴な獣が為す術なく地団駄を踏んでいる様を見るのは、なんとも気分がよかった。

「ふふ、踊りなさい。必死に、無様に、惨めに」

 もう容赦などしない。
 最期のその瞬間まで距離というこの絶対的な優位を保ったまま勝利する。相手がもう二度とこの蒼い装甲に触れる事はないだろう。あの獣は血(シールドエネルギー)の最後の一滴を流し尽くすまで、翻弄され、踊り続け、そして敗北するのだ。

 ボッ、と周囲に伝達する風切音。

 それを”認識”してしまったせいで、セシリアの思考が一瞬だけ真っ白になった。ブルー・ティアーズが主たるセシリアへ飛来物の存在を告げる。
 何かが、相手から”発射”された。
 その事実がセシリアの精神を凄まじく揺さぶった。刀一本だけで戦っていた相手から何かが”飛んで”きた、その事実が。
(射撃武器が――っでも、そんなモノは今まで何も――まさかずっと温存して――いや呼び出した様子は――――ッ!!)
 相手が射撃武器を持っていない、その重要な前提が崩壊しかかった事で思考が奔流の様に脳内を駆け巡る。しかしセシリアは今己にとって最も重要な――回避もしくは防御という選択肢を思考の奔流の中から刹那の間に拾い上げる。
 聴覚が洪水のような爆音と、がぎぎぃぃっ! とけたけましい音を同時に捉えた。前者はあの白いIS――白式の有する特殊機能が発動した事を示し、後者はブルー・ティアーズのビットを接続するバインダーに何かが突き刺さった音だ。
 セシリアは相手が射撃武器を使う可能性を忘れていた訳ではない。むしろ相手が新たな武装を呼び出す兆候を見逃すまいと目を光らせていた。
 だからこそ混乱したのだ。相手が新たな武装を呼び出していないのにも関わらず、突如出現した『射撃』という行動に。
「…………は?」
 セシリアから見て右側のバインダーに、真っ白な”刀”が突き刺さっていた。
 武装を呼び出した兆候が見受けられない訳だ。
 つまり相手は新たな武器を呼び出した訳でもなく、射撃武器を隠し持っていたのでもなく、恐らく唯一の武器であろうその刀を、セシリアに投げつけたという事か。
「何て、馬鹿な真似……を…………」
 ブルー・ティアーズのレーダーは白いISを見失っていない。慌てふためく思考を強引に纏め上げ、愛機に導かれるままセシリアは迎撃の為にとレーザーライフルを構える。そこには唯一の武器を失った織斑一夏が居る筈だった。
 そこに居たのは、確かに織斑一夏だった。
 そこに居たのは、”何か”を振り抜いた直後と思しき姿の織斑一夏だった。

 ――二基のビット(ブルー・ティアーズ)をまるで剣の様に両手に持った、織斑一夏がそこに居た。

 真ん中で盛大に”ひしゃげ”た二基のブルー・ティアーズが地面に向かって落ちて行く。機体が四基のビットの内、二基が破壊され、残りの二基が”行動不能”に陥った事を告げていた。
 スラスターを”握り潰された”ビットはいまや金属で出来た板同然だ。”刀”の代わりにならなくとも、”棍棒”の代わりにはなるだろうし、そのつもりだという事が見て取れる。
 落下して言ったのと同じく、ひしゃげている二枚のフィン(ビットだったもの)を構えたまま、織斑一夏が虚空を踏み締める。ガシャコッ! とその両脚から空薬莢の様なパーツが脱落した。
(まず、い――来――――ッ!?)
 音の洪水。
 スラスターに加えて不可視の力場に押し出された織斑一夏が一気に距離を詰めてくる。レーザーライフルの銃口を跳ね上げ、弾道型(ミサイル)を装填。
 速い。
 いや疾い。
 レーザーライフルの先端から蒼い光が迸る。
 一発目、翳されたのは右手にあったビットの残骸。蒼い装甲が砕け散る。
 二発目、翳されたのは左手にあったビットの残骸。蒼い装甲が砕け散る。
 三発目、蒼いレーザーが織斑一夏の顔面に叩き込まれて弾け飛んだ。

(止まらない、止められない――ッ!?)

 首から上”だけ”をレーザーの着弾で後方へ思いっきり仰け反らせながらも、織斑一夏は止まらない。
 四発目を撃つ前に、織斑一夏はセシリアまで到達した。
 機体が右側へがくんと傾く。織斑一夏がすれ違いざまにバインダーに刺さったままの刀を掴んだ事で、加速の勢いがこちらにも伝達しているのだ。
「このッ!!」
 長大なレーザーライフルの砲身をくるりとバトンの様に回し、右側へ居る織斑一夏に向ける。変則的な構えのままトリガーを引――虚空を射抜く蒼いレーザー。
 唯一の武装に戻った刀から織斑一夏はアッサリ手を離して、放たれた光矢を回避した。しかし距離は空いたどころか更に縮んでいる。

 ばぎぎんッと、異音がした。

 織斑一夏が力任せにもぎ取った”それ”を放り捨てる。ISの報告を待つまでもなくそれが何なのかセシリアは理解する。
 機体から発射基部ごと脱落したのは、脱落させられたのは――弾道型(ミサイル)のブルー・ティアーズ。
「ラスト一発。ぷれぜんとふぉー」
 長大な砲身が災いして、背後に居る相手に照準が定められない。もたついているセシリアを他所に織斑一夏はひょいと手を伸ばし、バインダーに刺さったままの刀を掴む。
 白い両脚が、蒼い機体に突き付けられ――がしゃこん(装填)。

「ゆー」

 至近距離で炸裂した音の洪水に、周囲の空間が歪んだような錯覚をした。身体が意思を離れ、ただ打ち込まれた衝撃に従ってくの字に折れ曲がる。
「う、ッ――ぁ――――ッ!!!」
 超高速で風景が流れ去る。無数に表示されるアラートメッセージや走り抜けるノイズが思考を圧迫して不快だった。
 それでもスラスターを可能な限り稼動させて機体を制御しようと試みる。しかし立て直しは間に合わず、機体は遮断シールドに叩き付けられてようやく停まる。
「さあ、名残惜しいが幕引きだ! くたばりやがれえええぇぇぇ!!」
「……そうです、わね。閉幕(フィナーレ)と参りましょう。わたくしの――勝利という形で!!」
 レーザーライフルは未だセシリアの手中にある。武器を手にしているのに何故勝利を諦めなければいけないのか。遮断シールドを蹴って、空へと舞い上がる。
 激突でぐらぐらと揺れる思考のまま、それでもセシリアは己の敵を睨みつける。刀を刺突の形に構えた織斑一夏がセシリア目掛けて真っ直ぐ飛翔してくるのが見えた。

「押し斬れ白式(びゃくしき)――――ッ!!」
「撃ち抜きなさい、蒼い雫(ブルー・ティアーズ)!!」

 一振りの刀を一丁のライフルが迎え撃つ。吹き飛んだ事で距離というアドバンテージは得た。しかしさっきまでとはもう完全に状況が違う。一筋まで減らされたレーザーはあの白い魔弾を止められない。いや、最早当てる事すら叶わない。
「当たりなさい……!」
 外れ。
「当たって……!!」
 外れ。
「当たれ……!!!」
 外れ。
 蒼の悉くを避けながら白が迫ってくる。セシリアの決死を嘲笑うかのように――いいや、噛み砕くかのように白が、迫ってくる。
 もう殆ど距離がない。
 もし一発が当たったとしても、あの白は止まらないのかもしれない。
 もう一発程度勝敗には関係ないのかもしれない。
 けれども、セシリア・オルコットは躊躇うこと無く引き金を引き続ける。
 外れるとわかっていても、最後まで闘う事を選ぶ。諦めることなど論外だ。

 攻撃は――外れる(当たる)。

 外れる事を望んでいた訳ではない。逆だ。例え外れるとしても、その結果を覆すつもりでただ一心に命中を渇望した。
「なぁッ!?」
「え?」
 白いISの脇を通り過ぎる筈だった蒼い光矢が――交差の瞬間にその中心を僅かにずらした。蒼い熱量を叩き込まれ白い装甲に包まれた左腕が砕け散る。マニュピレータをやられたのか、黒い左手が柄から離れ後方へ流される。
 驚愕の声は両者から。織斑一夏のそれはきっと避けたと思った攻撃が当たった事から、そしてセシリアのそれは、外れると思った攻撃が当たったから。思った通りに、当たったから。
「だが、一本残ってりゃ十分だああああ!!」
 残った右手だけで刀を構えながら――白が通り過ぎた。最後の行動は回避、この突撃をやり過ごして直ぐに反転。相手が体勢を立て直すよりも速くそのがら空きの背中にレーザーを撃ち込む。
 そのつもりだった。
「……あ」
 すれ違いざまに、振るわれた刀はセシリア本人には届かなかった。が、白い刀身はライフルの長大な砲身を盛大に引き裂きながら通り過ぎていった。表示される――《スターライトmkIII》使用不可。
 一拍遅れてライフルを保持していた右腕の装甲と、バインダーの一部が吹き飛んだ。損傷に伴い勢い良く目減りするシールドエネルギー。

 ――残量、『1』。


 ▽▼▽


【――――単一仕様能力《ワンオフ・アビリティー》、オンライン】

 ”来た”。
 きっと”ずっと”待ち望んていた、この瞬間がついに来た。
 セシリアの横を通り過ぎると直ぐに遮断シールドに辿りつく、そこに”着弾”の後に、上に跳ぶ。スラスターを噴かして一気に上昇する。
 何故か直撃を食らった左手は、損傷しつつもまだ動いた。改めて両腕で刀の柄を握り締めて振り被る。眼下に見えるセシリアのライフルが最後の武器が、切り飛ばしたその半分が落ちていく。息を大きく大きく吸い込んだ。

「ちぇぇぇすとぉぉぁぁぁぁあああああ!!!!」

 怒号と共に、セシリア目掛けて急降下を開始する。記憶の片隅に残っていた掛け声。詳しくは覚えていないが昔何処かの何かで見たか聞いた記憶がある。大して思い入れもないが、何故だかこの言葉を思い出して、そして叫んでいた。
 この刀身を叩きつける。そして相手を――にする。きっと俺の今まで総てはこの瞬間だけを待っていて、この瞬間のためだけにあった。俺という存在は最初から細胞の一粒単位で、ただこのためだけに。

【零落白夜(れいらくびゃくや)――発動】

 先程まで渦巻いていた高揚感や勝利への渇望は欠片も無くて、ただ胸の奥から湧き上がる得体のしれない”何か”だけが身体を突き動かしている。いやきっとこの”何か”が本来で、他のココロとか精神とかそういうのが余計だった。

【エネルギー転換率――100%(フルパワー)】

 気が付けば、握りしめた刀は鋼の塊から圧縮された光の刃へと姿を変えている。膨大なエネルギーの塊は光の柱と形容出来るほどだ。
 とりあえず刃がついていればなんでもいい。刃さえあれば――にできるのだから。そうすればずっとずっと本当に心の底からやりたかった事が、本来俺がやるべきただ単に一つの結果が叶うのだから。
 近付いていく。
 ぐんぐん近付いていく。
 武器の総てを砕かれて、今や抵抗する術を失った蒼に、近付いていく。
 何処を狙うか、何処を狙えばいいかなんてのは考えるより先に存在の根底で以て理解している。後必要なのはただ一つ。この両腕を――




 び――――――っ
『試合終了。勝者――セシリア・オルコット』




 ――振り下ろす、って。ちょっと待って。あれ何か試合終わった。あれっ?
 突然だが緊張の糸なるものがある。
 要は精神が極限まで集中した状態を張り詰めた糸に例える、そんな感じだ。時に俺は今この瞬間までかつて無い程に集中していた。集中しすぎて一瞬前まで自分が何考えていたのか覚えてないくらいに集中してい……うわ何かマジに振りかぶったとこから記憶飛んでる。怖。
 そして、そのブザーとアナウンスで糸(集中)が切れた。
 そりゃーもー盛大にぶっつり切れた。
 張り詰めた力が強かったせいか、凄まじい勢いで千切れ飛んだ。
 中途半端な位置で止まった腕。何かさっきは光ってたような気がするけど、今は柄しか残っていない刀。そして――続いている最大加速。
 すれ違う刹那の瞬間、口を中途半端に開けて『ぽかん』とした顔をしていたセシリアと目が合った気がした。

「ア゛――――――――――!?」

 こんにちは地球。
 母なる星よ。
 ブレーキという概念を思考から消し飛ばしてしまった俺は、最高速度のまま落下して砲弾よろしく地面に着弾した。おふう。
(………………あーあ、負けちまったかあ)
 どうやら完全に埋まってしまったらしく、周り全部が土気色だった。何が起こったのかさっぱりわからないが、ただ俺の敗北という結果だけは確かなようだ。白式がシールドエネルギーが『0』になっている事を伝えてくる。
 さて何時までも埋まっている訳にもいかないだろう。ともかく起き上がろう。この後の展開を考えるだけで憂鬱だが、よいしょっと身体を起こして――っと、あれ?
 脳は確かに『腕を付いて起き上がる』、そういう動作を身体に命令した筈なのに、俺の身体は未だ土気色の中だ。
(あ、れ……何だか、……身体が…………重……)
 変化は突然で、そして急速だった。
 意識が粘ついた中に沈んでいき、身体は鉛の様に重い。

『……織斑。何時まで埋まっている気だ。さっさと起き上がれ』

 意思の抵抗を嘲笑うかのように、気が遠くなっていく。
 白式の”声”も、もう聞こえない。さっきまで全周を見渡せていた視界は何時の間にか普段どおりに戻っている。

『織斑? どうした、返事をしろ』

 重たい瞼は視界を半分以上隠してしまっている。その中に淡い光の粒子が映っていた。何処から出ていると思えば、白式の機体が光になって解けていっている。

『――織斑! 聞こえていないのか!? 返事をしろ!!』

 ああ、だれかが俺を呼んでいる。
 いやだれかなんて、考えるまでもないぁ。
 だってこれは、ずっと昔から聞いている一番身近な人の声じゃないか。
 これは、


『返事をしろ、一夏ぁっ!!』




 ――千冬姉の、声だ。



[26596] 1-14
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/20 02:41


 ▽▽▽

 『真っ二つ』

 モノを綺麗にきっかり半分にする事。また、そうなる事。
 僕の友達が無意識ながら病的なまでに大好きな概念。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽


 ――ひゅう、ひゅう、ひゅう

 音が。何処か遠い。
 地面に出現した大穴を見た観客の反応は多種多様だった。ある者は大笑いして、ある者は大いに呆れ、またある者は見下すように冷笑した。
 では彼女が――その大穴を作った張本人である織斑一夏と先程まで戦っていたセシリアはどういう反応をしたかといえば、そもそも大穴へと視線を向けてすらいなかった。

 ――ひゅう、ひゅう、ひゅう

 事態の理解を完全にどこかに置き去りして、セシリアは心の底から安堵する。蒼い装甲が剥げ落ちて、内部フレームが覗いてしまっている右腕はそのままに、健在な左腕が彼女の胸――身体の中心に向かう。ぺたぺたと、触れるようにあるいは確かめるように、身体の上をマニュピレータが這う。
 柔らかな弾力と感触が伝わってきてセシリアは安堵する。
 ちゃんと”繋がって”いる、そんな風に安堵する。

 ――ひゅう、ひゅう、ひゅう

 そしてここに至ってようやく先程から耳に届くこの音が、自身の呼吸の音である事をセシリアは知覚した。
 次に聞こえてきたのは液体が流れる音。どんな道を通ったのか、そして何時ISを解除したのかが朧気なままに、場所はアリーナの上空からシャワー室の一角へと移っている。
 シャワーノズルから吹出す湯は、大抵の人間が『熱い』と飛び退く温度であるにも関わらずセシリアはそれを頭から被り続けている。降り注ぐ湯は肌に当たり、弾け、均整の取れた肢体をボディラインに沿って流れ落ちて行く。
 先程と行動は同じ、しかし使う腕が増えた。指先が身体の中心に伸びて、そこに当たり前のようにある肌をなぞる。
「――おりむらいちか」
 鋼から光と化し、柱と呼べるような規模に膨張した刀身を振りかぶった織斑一夏を思い出す。いや違う。思い出すまでもなくその光景が脳裏に、網膜に焼き付いて離れない。

 ――その姿を視界に入れた瞬間に、自身が真っ二つに分断される光景を幻視した。

 現実ではセシリアは斬られていないし、そもそも攻撃は不発に終わった。けれど光の柱を振りかぶる相手の、あの悪魔の如き表情を――余り詳しくはないが、確かこの国ではああいう手合いを『鬼』と言うのだったか――見て、そう感じた。そう思わされた。
「織斑、いちか」
 総ての武装を破壊された様に見えたブルー・ティアーズだが、実の所まだ最後にして唯一の近接戦闘用の武装《インターセプター》を残していた。
 だからあの状況でもまだ打つ手はあった。それが逆転を引き寄せるかどうかはセシリアの手腕次第だが、ともかく”手”は確かに残っていた。
 けれどもセシリアは武装を展開(オープン)する事をしなかった。相手を視界に収めたあの刹那、異様な気迫に押されて選択肢が脳内から吹き飛んでいた。
「……織斑一夏」
 アリーナに流れたアナウンスはセシリアが勝者であると告げていた。
 気圧されて、迫り来る一撃を、馬鹿みたいに眺めていて、武器の展開も忘れて、ただ攻撃がもたらす結果に怯えていたセシリアを――勝者であると告げていた。
 今日まで得てきた勝利はそれら総てが『勝ち得た』と胸を張って言える。正しく己の実力が下した相手を上回った事による結果だとそう言える。
 しかし今日のそれは違う。あの『決着』の何処にセシリア・オルコットが織斑一夏よりも上である、そう言える要素があったというのだ。
 あるとしたら――その逆だ。
 だって最後の瞬間、間違いなくセシリアは”折れて”いたのだから。試合が終わってから今に到るまで、セシリアはあの最後の一撃に心底怯えていて、そして攻撃が未遂で終わった事に安堵している。それが何よりの証だ。
 あの白い光の刀はブルーティアーズの装甲やセシリアの身体を斬る事は無かった。けれどきっと心の根底に打ち建てられた何かに届いて――それを傷付けた。
 負けたかった、訳ではない。決して無い。けれどもこんな惨めな気持になる事が『勝利』である筈がない!

「織斑一夏ぁ…………ッ!」

 ごっ、と響く音はセシリアが力の限りに拳をシャワー室の壁に叩きつけた音だ。
 ノズルからは相も変わらず熱い湯が吹出して、真下に在る彼女に降り注いでいる。だからその目元で何かが光っても、それは直ぐに湯に紛れてわからなくなる。


 ▼▼▼


『”自分が世界で最も優秀であることを示す”』

 それが自分の夢であると、そいつはたい焼きを齧りながらそう言った。続けて問うてくる。そのためにどうすればいいと思う、と。
 『前』生きていた時の俺は、間違いなく答えに詰まっただろう。何か凄い発表をするみたいな無難で曖昧な返事か、結局返答できないかのどっちかだと思う。
 でも『今』ならば、この世界を生きた俺には一つの答えが直ぐに思い浮かぶ。何故ならば。この世界ではとてもわかりやすい”一番”が居るからだ。その”一番”を蹴り落とせば誰もが――世界が”一番”である事を認めるだろう。
 その名は篠ノ之束(しのののたばね)。
 IS(インフィニット・ストラトス)を開発し、各国のパワーバランスから男尊女卑の傾向やら、文字通り世界を根底から塗り替えてしまった大天才。
 俺が篠ノ之博士に思い当ったことを察したのか、そいつは口の端を釣り上げてにやりと笑い、言葉を続けた。

『だからさ、僕等の友情は将来砕け散ると思うんだよね』

 はあ。と間の抜けた声が出る。そいつの夢と、俺との友達関係がどう関連しているのかがわからなかったから。てかこいつの口から『友情』って単語が出たことが地味に衝撃(びっくり)。
 言葉の意味がよくわからなくて困惑している俺の何が楽しいか、そいつはやったらにこにこししている。うん、何か普通にむかついてきた。

『彼女が世界に認められているのはある”功績”が理由だ。彼女より上である事を手っ取り早く示すためには、同種の”功績”で彼女を上回ってやればいい』

 ああ、そういう事かと声が漏れた。篠ノ之束がその名を轟かせたのはISを開発したからだ。その功績の中核たるISを上回る事が出来れば、確かに誰もがその優秀さを認めることだろう。

『世界がひっくり返るからだよ』

 で、それと俺らの関係に何の関係がある。そんな質問に対する答え。それまでのにやにや顔を引っ込め、一転物凄くつまらなそーな顔になったそいつが言葉を続ける。

『幾ら何でも急に”変わり”すぎだ。変化って言うのは本来膨大な年月と共に緩やかに行われるべきなんだよたふぉふぇふぁ』

 話の続きを遮った。たい焼き咥えたままふがふが話されても何言ってるのかわからんっつうの。ていうかたい焼き(苺ミルク)ってどんな味するんだろう。まあ俺はカスタード一辺倒だけど。いやあんことかが嫌いな訳じゃないんだ決して。つぶ餡もこし餡も大好きよ? ただそれ以上にカスタードが素晴らしすぎるだけで。

『例えば。一枚の平らな板を世界と仮定しよう。これの上に重しをのせればその直線は曲線へと変わっていき、そしてやがては曲線こそが本来の形となる。しかし重しが余りにも重すぎたり、乗せる速さが極端に速すぎれば板は曲線を通り越して壊れてしまう。君の好きな真っ二つだね――いや君がやるよりかは歪か。前々からずっっっと思ってたけど、君は本当気持ち悪いくらい見事に”断つ”よね』

 何その真っ二つ両断マニア的な認識。いやケーキとかすげー綺麗に切り分けるの地味に特技だけど。誕生日会とかでケーキの分配による喧嘩一度も起こさせたこと無いけどさ。
 その結果(真っ二つ)に満足感が無いっていえば嘘になる。でも誰だって割り箸が綺麗に割れたらちょっと幸せになったりするだろう。あれと同じ感じじゃねーの。

『切り分けられた二つが誤差千分台で同質量なのをそんな日常の小さな幸せで済まされてたまるか。たい焼きを手で適当に裂けば二つの皮と具の比率が同じになるし。何の計器も使わずに適当にやった結果が真に真っ二つなんだぞ』

 大袈裟すぎやしねーかこのスッタコは。こいつが認識した一回がたまたまそんな綺麗に真っ二つだったからといえ、毎回そうなっているとも限らない。
 それに誰だって得意な事の一つや二つはあるだろう。俺はそんな感じにケーキとか切るのが上手いとかってだけ――我ながら何つうしょぼい特技だ。

『そのレベルが異常…………止そう。当の君が理解できないのなら、僕が理解できる筈もないし。話を戻そうか。さて重しを押し付けられた板は壊れる訳だけど。ところがここで板とは世界だ。世界ってのはそう安々とは壊れない。重しの与えらた負荷を受け止めて一応は曲線を保つだろう。でも世界は本当はまだ直線だとすれば? そして僕がやるのは、その重しを取り除く事と同意だ。そしたら板はどうなると思う?』

 加重(IS)によって無理に極端な曲線(女尊男卑)に歪められた板(世界)は、一気に元の直線に戻ろうとする。それも無理な歪みによって蓄えられた反動を開放しながら。
 正解、とそいつは満足気に頷く。
 俺がこの世界で生活を始めた時点で既にISは存在していて、世界は変わり始めていた。だから直線の状態――変わる前の世界を直接見てはいない。聞いた限りでは俺の知る一般的な社会とそう変わらないようだが。少なくとも今の様に極端な女尊男卑では無かった筈だ。
 『戻る』も『変化』だ。確かにこいつの言う通り世界はひっくり返る。変に抑えつけられてた分、爆発するかの如き勢いで以て。
 ともかく世界がひっくり返る、その意味はわかった。それはよ――くわかった。だからそれが何で俺らの関係にまで及んでくるのかを俺は聞いてるんだっつの。

『……そろそろ面倒になってきたからサクっとまとめて言うけどさ、ISVS僕の作ったほにゃららになったとするじゃない?』

 いや出来るなら最初からサクっとまとめて言えよ。ここまで頑張って頭捻って付いてきた俺は一体何だってんだよ。後よりにもよって名前で手を抜くな、ほにゃららて何だその気が抜けるの。
 というかこいつ、自分がIS以上のもん作り出せるって点はもう確定みたいな扱いで話してるな地味に。まあ俺はこいつがずば抜けているのは知っているし、何より自分の実力を下手に隠さず胸を張るその姿勢は好きだけど。

『ほにゃららを得た方はISを汚す為に精一杯になる。それまで抑えつけられてた分を取り返すようにね。そういう場合『栄光』はそっくりそのまま、むしろ増加して『憎しみ』にコンバートされる。つまり相手がISで栄光を得ているほどにいい的な訳だ――もう解ったよね。そう、IS操縦者として”世界最強”なんて称号を持つ彼女は極上の”的”だ』

 名前が直接出なくても、それが誰なのかなんて考えるまでもない。
 俺がこの世で一番世話になっている女性で――俺が一番、

『だからISとは反対側に付く僕は、将来かなりの確率で君の敵になるんだよ。どうせ君は損得ぶち抜いてIS側、いや正確には彼女の味方するんだろ――うくく、君自分が思っている以上に好意の矢印がわかりやすいんだよ。くく、あの小煩いチビや僕みたいな友人と、彼女じゃ明らかに好意の質が違うもんねえ?』

 こいつ超殴りたい。
 本当殴りたい。
 力の限り殴りたい。
 あといい加減ツインテの名前覚えてやれ。

『まあ単細胞代表みたいな君がアプローチかけてないって事は、何らかの負い目があるんだろうけどさ。”だからこそ”君は絶対彼女の味方になる。例え負け戦でもそれは変わらない筈だ。元々有利不利で自分の意思を曲げられるほど器用じゃないもんね君。そういうとこが好きなんだけど、くくく』

 いや、バリバリ血縁なんすけど。
 負い目とか以前に家族なんですけど。
 あと男に好きとか言われても嬉しくない。

『じゃあ負い目が無かったら? ――ほらその表情が答えだ。それに今の答え方じゃ血縁が負い目とは別口だって言ってるようなもんじゃないか? うくくくく、いやあ優位に立つのは気分がいいなあ』

 ようしわかった表に出ろ。







 ――この時はまだISを持っていなかったし、俺がISを動かせることも知らなかった。

 だからこの時に、あいつが言ってたような事態に本当になったとしても、ただの人間である俺が彼女にしてあげられる事なんてたかが知れてる。
 それはちゃんとわかってた。それでも何かしたかった。残り時間のわからない命を賭けるに値すると心の底から思えたし、何より俺がそうしたいという欲求があった。
 考えは今も変わらない。
 ただ、変わったものもある。

 ――白式(びゃくしき)。

 はい。と誰かの声が聞こえた気がした。気がつけば――もしかしたら最初からそうだったのか――俺の身体には大多数の”白”と、少数の”黒”の二色で構成された鎧が出現している。
 IS。
 インフィニット・ストラトス。
 女性にしか扱えない筈の現行最強の兵器を、俺は得た。
 重要なのはISの力でなく、ISを”使える”という事だ。何故ならば。ISを使えればIS操縦者として”世界最強”を目指せるから。
 世界の誰もが彼女こそ王者であると認めている。そのために彼女に害が及ぶのならば、その認識を変えてしまえばいい。彼女を、その位置から引き摺り下ろしてしまえばいい。
 『守る』ってのとはちと違う。この感情は確実にそんなまともなもんじゃない。そして俺はその言葉が正直あんまり好きじゃない。一々相手に言うと恩着せがましく聞こえるし、口動かす暇があったら手動かせと思うから。まあこれはあくまで俺個人の考え方だ。ていうか根本的に柄じゃねーんだわそういうの。
 結局好きにやるしか出来やしないんだろう。これまでやってきたみたいに、勝手に相手の前に出て、勝手に障害とかを蹴り飛ばす。相手の意見なんて知ったこっちゃない。だって喜ばせたい訳じゃない。そうしたいからしてるだけ。だから例え相手が泣いて嫌がろうとも止めてやんない。
 それは俺が真っ先に思いついて真っ先に諦めた選択肢。
 それを今の俺は選ぶ事ができる。

 ――だがしかし、一難去ってまた一難。

 ガチン、と視界が切り替わる。
 昔よく遊びに行ったそいつの家の光景から神社の前と思しき場所へと風景が切り替わる。
 閑散としたその場所では男の子と女の子が並んで竹刀を振っていた。仲良くと言うには二人の顔が生真面目すぎる。それは子供の頃の織斑一夏と篠ノ之箒だ。
 やがて練習が終わったのか、二人は何か言い合いながら歩いて行く。『織斑一夏』が何かを言って笑って、竹刀で叩かれた。『篠ノ之箒』はただでさえ釣り上がった瞳を更に釣り上げて怒鳴っている。それでも二人は楽しそうだった。俺にはそう見えた。
 これは、『俺』の中に無い記憶。
 これは、『織斑一夏』の中に在る記憶。
 紛れもない『織斑一夏(ほんもの)』の証明が、『俺』の中に確かに在った。ほんものとにせもの――いずれ追いやられる(消える)のがどっちかなんて考えるまでもない。

 さあて。『俺』の残り時間はあといくら?


 ▽▽▽


 ――”千冬姉”

 織斑千冬と織斑一夏は姉弟だ。故に一夏が千冬のことをそう呼ぶのは何らおかしくはないし、昔の一夏は実際にそう呼んでいた。けれども『今の一夏』が千冬をそう呼ぶ事は無いし、そう呼ぶ筈がない。
 だから最初は見間違いかと思ったのだ。担架で運ばれる一夏が焦点の定まっていない瞳で千冬を見た瞬間に、その唇が『ちふゆねえ』と、そう形を作った事が。実際声になっていないのだからもしかしたら違う言葉を呟こうとしたのかもしれない。

 けれども、それは確かに昔見た一夏が『千冬姉』と呼ぶ時のそれだった。
 けれども、それは確かに今見る一夏が『千冬さん』と呼ぶ時のそれでは無かった。

 千冬の視線の先には、白いベッドの上で眠る一夏の姿がある。起きている時ならば見分けがつくが、眠っている時は本当に”どっち”なのか見分けがつかない。
 仕事を言い訳にして見舞うまでに丸一日以上の時間を要したのは、わからなかったからだ。もし目を覚ました一夏が”戻って”いたら、どう反応すればいいのかが。
 喜べばいいと、思う。それで正しいとわかってはいる。それは喜ばしい事だと確かに思うことができる。
 でもやはりその結果がもたらすもう一つの事実を――ある一人の消失を――考えると、胸が絞めつけられるように痛む。
「思いの外、臆病だったのだな。私は」
 重く沈んだ気持ちを気休め程度でも排出しようと一度深い溜息を吐いて頭を振る。
 とにかく、目を覚ますまでは身を案じよう。それまでは”姉”と”もう一つ”の理由を両立できるのだから。

「あー…………寝過ぎてボーッとするー……あったまいてー…………」

 と思った途端に一夏が起きた。
 大きくあくびを一度して、寝ぼけ眼をこすりながら枕元の時計を手に取って表示を確認。そしてまた寝転がった。
 言葉がなくとも何を考えているか解る。最早遅刻どころではない時間であったので、もう何もかも諦めて二度寝する事にした。そんなところだろう。
 そしてこの行動だけでもうどっちかわかる。これは『今の一夏』の方だ。
「起きんかこの馬鹿者が」
 何時ものように頭を叩こうと思ったが、一応は病み上がりであることを考慮してデコピンに変更する。額に衝撃を受けた一夏は目を開け、緩慢とした動作で額をさする。
「あっれー……何で千冬さんいんのー……………………あ、昼這い?」

 ”ごしゃッ”。

「ハイもうスッキリバッチリ目え覚めましたごめんなさい本当調子乗ってごめんなさい!!」
 ベッドの上で土下座する一夏を見て、千冬の心は呆れで満たされる。そして徐々に呆れが怒りに変わっていく。人があれこれ考えているというのに、一夏のなんと普段どおりの脳天気なことか。
「――《雪片弐型》。あれどっかで見た事あったと思ったんだ。試合の時は余裕なかったから後回しにしてたんだけどさ」
 文句の十や二十でも言ってやろうかと口を開きかけたら、突然真面目な顔になった一夏がそう切り出した。
「思い出した。”あん時”に千冬さんが持ってた刀にそっくりなんだよ。同じ刀か、同系統の兵装だろ」
 千冬がIS操縦者としてかなりの実力を持っている事は一夏も当然知っている。だが実際にISを動かしている姿を見たのは数える程しか無い筈だ。
 中でも一度、千冬はISを纏った姿を一夏に晒している。恐らく今はその時の事を言っているのだろう。
「いいのかよ、そんなもん俺が使って。『織斑一夏』なら確かにあの刀を使うのは正当だろうけどさ。でも今の俺は『俺』なんだぜ?」
 沈黙を肯定と受け取ったのか、一夏が言葉を続ける。
 やれやれと、千冬は心の中で嘆息した。頭が悪いくせに、こういうところは妙に察しがよくて義理堅い奴なのだ今の一夏は。
「気にしなくていい。お前が私の『弟』なのは、誰もが認めているだろう」
「だからそれはガワの話で――」
「礼みたいなものだ、あれは。お前はまだ私の『弟』だ――その場所を、今日までお前は守ってくれただろう。いいから黙って受け取っておけ」
 目の前の誰かは、今日まで『織斑一夏』で在ってくれた。その中の自分を決して蔑ろにしていないのは生き方を見ればよくわかるが、『織斑一夏』という存在を壊す事も越える事もしていない。『織斑一夏』が戻るための場所は今もちゃんと維持されている。
「……そういう言われ方すると。有り難く受け取るしかねーじゃんか。俺刀の使い方なんか知んねーから、上手く扱えないかもしんないぜ」
「頑丈さは保証してやる。せいぜい振り回されることだな」
「うへえ……」
 口の端を歪めて笑った千冬、げんなりした様子で呻く一夏。ふと一夏の右手首にあるガントレットに目が行く。
 大部分が白くラインが一筋入る程度の黒。そんな二色で構成されたガントレットはIS『白式』の待機状態の姿だ。専用機は一度フィッティングを終えてしまえば、以降はアクセサリーの形を取って操縦者の身体で待機する。
 ただし試合開始直後に明らかな誤作動が見受けられた白式は、つい先程まで整備室で検査が行われていた。
 出た結果は『異常なし』。そうすると白式は所有者である一夏に返却される訳で、気がつけばその役目を任せられていた千冬であった。
 早口でまくしたてて過ぎ去ったメガネの後輩の姿を思い出す。恐らく千冬が公私を混同しない為に一夏の見舞いを自粛している、そう思われていたのだろう。
 そこで、一つの事が浮かぶ。
 検査の結果一夏の身体に大きな異常はなく、ただ眠っているだけと診断された。だが、これまで目を覚ます兆候は無かった筈だ。それが千冬が来た途端に――”白式が戻った”途端に、あっさりと目を覚ました。
(…………まさか、な)
 浮かんだ考えが余りにも馬鹿らしくて首を振る。
 確かにISが操縦者の意識に影響を及ぼす事はある。だがそれはあくまで緊急時――特に操縦者に危険が迫った時に限定されている筈だ。常日頃から深いレベルで繋がっている訳ではないし、それにしたってISを離された程度で意識を失う等異常過ぎる。
「考えてみりゃあ、丁度よかったかもしんないぜー、千冬さん。ありゃ『織斑一夏』が使う分には何の問題も無いわけだしさ」
「どういう事だ?」
 一夏の声は普段よりも明るい筈なのに、何故だか千冬の脳裏を嫌な感覚が走り抜けていく。
 正座を崩して胡座になって、両腕を頭の後ろで組んだ一夏はにへらと笑う。

「一回、塩と砂糖間違えて甘ったるーい玉子焼き作った事あるでしょ『織斑一夏』のやつ。そんでそれが悔しかったのか、千冬さんが美味いって言うまで毎回玉子焼き作った」

 それは、今の一夏が絶対に知らない過去の思い出だった。
 知る事が出来ないはずの出来事だった。
 この時、織斑千冬はどういう顔をしていたのだろう。
 どういう顔をすれば良かったのだろう。
 ただ息が詰まって、言葉が咄嗟に出てこなかった。
「まさか『一夏』が…………戻り、初めている、のか?」
「たぶん。まー俺の感覚での話だけどね。ちらちら脳裏に、俺じゃない方の記憶が出てきてる。時間がどんだけかかんのかは俺にもわかんねーや」
「――――そうか」
 けたけたけたと、その笑い声が酷く耳障りだった。
 そしてそんな素っ気のない返事しか言葉に出来ない自分が酷く苛立つ。もっと言いたい事がある筈なのに。
「だーかーらー。そんな顔しなくていいんだって、普通に素直に喜びなよう千冬ちゃん。元から俺が居るのがおかしいんだからさあ。元に戻るってだけじゃんか」

 誰のせいで――そう素直に思えないのは、一体誰のせいだと――コイ、ツは――、お前が、そう素直に思えなくした癖に――

「つまり散々迷惑をかけておいて、そっちの都合でいきなり消えると?」
「それ言われると辛いなあ。まー世話になった分は、返したいと思ってるし。時間ギリギリまで粘るつもりだけどさ」
 内面が燃え盛っていようとも、外面への出力はあくまで冷淡に。織斑千冬が積んだ戦士としての感覚が、勝手にそうさせる。
「そんな訳でこれから先は、例えじゃなくて本当にぱっと消えるかも――」
「それは許さん」
「……えぇー、いやそこは許して下さいよ。その辺どうこう出来るならとっくにしてるんだからさあ」
「勝手に消えるのは、私は許さんぞ。もし最後が来たのなら、言ってから行け」
「か、かつて無いほどの無茶振りが来た……」
「ほう。六年近く迷惑をかけた相手に何の挨拶も無しか。その位の礼儀は、持ち合わせていると思っていたが――私の見込み違いだったか?」
 天井を仰いで、唸って、頭をぐしゃぐしゃに掻き乱して、しばらくそんな事を続けていた一夏が息を大きく吐いてから吸い込んだ。

「…………わかったよ。約束する、ちゃんとそん時は言うから。迷惑かけた分、返せなかった分はちゃんと謝るから」

 うむ。と千冬は頷いた。
 本当は、謝ってほしいのではない。もっと別の言葉が欲しい。もっと別の言葉を言いたい。
 けど言ってしまえば互いの枷になってしまう。その負い目を跳ね除けてしまえる勢いは、年月と共に不要だと切り捨ててしまった。
「じゃあ、はい」
「……何だその指は」
「指切りしましょう。へいかもーん」

 ――スパァンッ!!

「おーう……視界が揺れる……っ! でも何かの形で示しとかないとさあ。俺馬鹿だから忘れちゃうかもしれないなー。約束守れないかもしんないなー」
 頭をぐらんぐらん揺らしつつもにやにやと笑う一夏に思わず頬が、引き攣った。鏡を見ずとも理解できる。千冬は今さぞ威圧的な表情をしている事だろう。
 小指を差し出す一夏の顔からは――ほらほら出来るもんならやってご覧――そんな意思がひしひしと伝わってくる。
 頭を張り飛ばしたい欲求を堪えて、怒りに震えながらも千冬は何とか己が腕を動かした。ただ震えの中には別種の感情も混ざっている。
「…………」
「何だ」
「まさか本当にやるとは思わんかっいえ何でもないです何でもありません!!」
 このまま小指を引き千切ってやろうかと思った。
「ゆーびーきりーげんまーん……ほら千冬さんも言わないと」
「…………………………ゆびきり、げんまん」
「声が小さーい! 喋るときははっきり相手に聞こえるようにって教えてるのは誰でしたっけかー!?」
「――――ゆーびきーりげんまーん」
「ひぃ怖、低っ、声低っ!?」


 ”ゆーびきーった”



 ▽▼▽


「…………約束、守れるかな。守りたいな」

 意識は戻ったが今日はこのまま医務室に泊まる事になった。寮に戻ったらまた騒ぎになりそうなので、この配慮は正直有難い。
 夜闇の降りた部屋の中、上げた右手の先にはガントレット――俺のIS、白式がある。大多数の白の中に少量の黒を混じらせた機体だ。
 白という正統(ほんもの)の存在に黒が不純物(にせもの)のように混じっている。そして不可視の確認できない”あやふや”な足場に立つ。
 フィッティングは搭乗者の特性に合わせて機体を変化させると知っていたが、よくもまあここまで俺の状態を正確に反映させたものである。

 ――力を得た。

 あいつの言葉が本気だったかどうかはわからない。どれだけ時間がかかるのかもわからない。もしかしたら世界はそんなに変わらないのかもしれない。そもそも俺の時間が足りるのかもわからない。
 でも俺には向かうべき目標があって、そして走りたいという欲求があった。だから駆け抜けよう。最後まで、俺が『俺』で在り続けるために。
「なあ白式、悪いが滅茶苦茶アテにするぞ。機能の総てで俺に付き合ってくれ」
【はい】
「ようし良い返事だ………………あれっ」
 いや一生懸命だったんだよ試合の時は。本当余計な事考えてる暇無かったんだよ。
 だから本当今気付いたっていうか、今はじめて意識したんだよ本当に。
 誰かとナチュラルに、会話してる事に。
「えーっと。今更だけど、どちらさん?」
【《白式》という機体に搭載された人工知能です】
 無機質な固い声。機械じみたという言葉がとても似合いそうな、どこまでも平らで淡々とした声。抑揚の欠片も、感情の欠片も感じられない”音声”。

【私は貴方の全てを”肯定”するために搭載されています】



[26596] 1-0
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:3bc0cc71
Date: 2011/03/24 03:12
 ▼▼▼

 ――空が青い。

 そんな事はこの世界に生まれ落ちたその日から知っているし、何故そう見えるのかも幻想の欠片も入り込めない長々とした真実を語ることも出来る。
 ただ空が青いという、当たり前である筈のその事実が心に染み渡った。消えた天井から覗く青空を観ているだけで涙が溢れて止まらなかった。
 何故かといえばこの青空を観ていることは、観れるということは、それ即ちわたしが今もこの生命を存続させている証であるからに他ならない。

「どーよ」

 室内の中で天井が落ちればどうなるか。内部に存在するその総てが下敷きになる。物が上から下へ落ちるなんて、それはわたしでなくても問題ですら無い。その位に当たり前の事象。
 雨露から内部のモノを守る役目を放棄して、内部を侵す瓦礫と化した”それ”は、眼下に在ったわたしを挽肉にするはずだった。
 崩落の具合、瓦礫の大きさ、脱出経路までの距離――といった要素の総てがその結果(挽肉)を示していた。他の有象無象は知らないが、わたしには刹那の間もあればそれを導きだすことができた。
 けれどもわたしは潰れなかった。
 真ん中の辺りでぱっくり二つに”断”たれたそれは、中心に在ったわたしを左右に避けて降った。世のあらゆるものを正しく紐解いてきたわたしの計算は――それによって導き出された絶対であるはずの結果(運命)は、今ここに覆された。

「生きてるってのは、それだけで嬉しいんだからさ」

 一体どうすればそこまで負荷をかける事が出来たのか。わたし同様瓦礫の直撃を避けた筈なのに、眼前に在る身体は全身余す所無く壊れている。走り抜けた衝撃が吹き飛ばしたのか、衣服はあちこちが内側から弾ける様に破れていて、またそこから決して少なくない量の血液が流れ落ちていた。
 中でも両腕の壊れ方は群を抜いていた。両腕ともあらぬ方向に”ねじれ”曲がったからか、白い骨が露出してしまっている。血液は流れ落ちるというよりも噴き出しているというべきだ。特に鉄骨をガムテープでぐるぐる巻きに縛り付けた右腕は、その重みで今にも半ばから千切れ落ちそうだ。
 医学の知識は特に興味も無かったので最低限度しか齧っていないが、その両腕がもう一生使いものにならない事は明らかだった。
 腕は露出しているから直ぐに判断できただけで、目を向ければ衣服で隠れたシルエットの各所が人体として異常な線を描いている。ただ見えないだけで、全身がもう直せないほどに壊れているのかもしれない。

「――――人生ってのも、そう捨てたもんじゃねーだろ?」

 物理的な意味で一生を費やして、わたしに降りる筈だった運命を文字通り左右に切り分けたそいつは、ぼろ切れ同然の身体を引き摺りながら笑ってみせた。
 子供の頃と変わらない悪ガキの如き笑顔。
 これまで忌忌忌忌しくしか感じ無かった笑顔。

 けれども今は、その笑顔がどうしようもなく輝いて見えた。

 向けられた笑顔と対照的に、わたしは言葉も無く涙を流し続ける。
 心の奥底に点いて、全身を焦がすように駆け巡るその感情がどういうものなか、その時のわたしには未だ理解できなかった。

 ▽▽▽

 清潔感のある室内に、突如変化が訪れた。ひょこっ、なんて擬音が似合いそうな様子で、物陰から誰かが顔を出す。
「うふふふふふふふふふふふふふ」
 不審者である。
 灯りの落ちた深夜の病室に、音もなくその身を滑り込ませたその女性は軽やかなステップで室内にあるベッドへと歩み寄る。
 一転しておっかなびっくりおそるおそるといった様子で、女性は指先を伸ばす。ベッドの上で眠る少年は傍らに不審者が居る事等露知らず穏やかな寝息を立てている。
 少年の頬をつんつんと壊れ物を扱うように突っつきながら、女性――篠ノ之束はその顔をにへらあ~とだらしなく緩ませた。一方つつかれた少年は何の反応も返さない。数日前に運び込まれて以来、少年はこんな風に意識不明のまま眠り続けていた。

「――――――はっ!?」

 頬をつついては笑顔になるという行動を繰り返し、一時間が過ぎた所で束は驚愕の声を上げた。何という魔性……! と呟きながら後退る束(変質者)。しかし時間帯的に彼女の挙動に指摘を入れる者は存在しない。
「さあさあ出番だよ。ようやくほんとうの出番だよ」
 彼女が何処からとも無く取り出したのは、球形立体のクリスタルが一つ。その挙動と同時に無数の機材が光の粒子を散らして出現。病室はすっかり無数の機材で埋め尽くされ、足の踏み場どころか床が露出している部分すら無かった。
 とん、と軽い音を立ててクリスタルがベッドの上――眠る少年の胸にそっと置かれた。瞬間クリスタルがぼうと光を宿し、周囲の機材が呼応するかのように鳴動を開始する。

【”登録搭乗者との物理的な接続を確認しました。最適化処理(フィッティング)、初期段階(ゼロ・フェイズ)を開始します”】

 その声ではない音声をきっかけとし、機材は本格的にその機能を開始した。無数のケーブルが這うように伸びて中心にある肉体に群がっていく。あるタイプは張り付いて少年と機材を接続させる。またあるタイプは皮を破って肉体を潜り少年と機材を接続させる。
「ふんふんーふーんふん。大体思った通りかなあ~?」
 虚空に現れた無数のウインドウが膨大な情報を表示し、そして高速で更新していく。それらを総てきっちり認識しながら、指先は出現した空中投影型のキーボードの上を滑っている。
「はーい、赤上げてー、白上げてー、白下げないで赤下げなーい」
【赤と白の定義が設定されていません】
「ありゃりゃ、束さんうっかり。赤は右手で白は左手にしよう。気を取り直してれっつとらい! 赤上げてー、白上げてー、白下げないで赤下げて~」
 大雑把に言うと人間の身体は脳から送られた信号に従ってその身体を稼動させる。極端な話だが、信号があれば肉体は動く。その発信源が脳でなくとも。
 束の命じた『赤上げて、白上げて、白下げないで、赤下げて』とはつまり『右腕を上げろ、左腕を上げろ、左腕を下げない、右腕を下げて』――その通りに、肉体を可動させろという事である。

「――――だろうと思ったよどちくしょうめ」

 左足が動いて、首が傾いて、右手が変な方向に行って、胴が捻れた。
 『命令』である信号に対し正常な人間ではあり得ない『反応』をした少年を見て、束は満面の笑みで言葉を吐き捨てる。
【ラインの構築が終了しました】
「うーんよくできました。さすが束さんの愛し子ちゃん。じゃあ後はとにかく情報を逐一送って送って送ってね! それと学習も忘れちゃ駄目だよ?」
【はい】
 ずるずるとケーブルが機材に巻き戻されていき、一つ、また一つと機材が光と共に姿を消していく。そしてクリスタルもまた姿を消していた。束が回収したのか――それとも何処かへ身を隠したのかは、にこにこと笑う束のみ知る事だ。機械で埋まっていた部屋が、元の清潔感を感じさせる病室に戻るまで一分もかからなかった。
「うーんうんうんうーん。敵は文字ばけ、世界規模~」
 エンターキーの一叩きを合図として、無数に出現していた空中投影型キーボードも総て姿を消した。完全に元の病室に戻った部屋の中で、束は再び眠る少年の顔を覗き込んだ。
 そこに先程までの安らかな寝顔は無く、少年は苦しそうに呻いている。額には無数の汗が浮かんで流れ落ち、呼吸も見るからに荒い。
 第三者がこの場に居れば、悪夢を見ていると思い揺り起こすか、もしくは体調を崩していると判断して人を呼ぶだろう。
 しかし束はどちらもしなかった。起こしても”まだ”起きないし、普通の医者ではどうしようもない。それを知っている故に。では何をしたかといえば、とりゃーと間の抜けた掛け声と共にベッドにダイブした。そうして自分よりいくらか小さい少年の身体を抱き枕のように抱え込む。
 何のためにそうしたかといえば――束がそうしたかったから。それが総て、それオンリー。

「追い付いたよ」

 深夜の病室には他に居るのは束と少年ふたりだけ。だから耳元で囁いたその言葉は少年以外には誰にも届かない。元々他の誰かに届ける気もない。


「――――今度は、絶対逃がさないからね。ふふふ、うふふふふふ」


 ▼▼▼

 伸ばした指先が小刻みにぶるぶると震えている。ああ、どうやらわたしはこんなにも勇気というものを持ち合わせていなかったようだ。これでは今後に響く事は間違いない。ここも改善すべき点だろうか。
 特に何の変哲も無い民家のインターホンを一押しする。ただそれだけのために、わたしは一時間近く時間を要した。

 ピンポン、と音が鳴る。

 胸の奥にある心臓(ポンプ)がいつもより活発に活動している。まだ肌寒い時期なのに酷く暑い。喉が乾いて仕方がなかった。このままでは発声に支障が出かねないので、唾液を飲み込んだ。
 あの日から、持てる総てを費やして罪滅しのために生きてきた。本当はもっと速くにここに来れる筈だったのに、世の中というのはわたしが思っていたよりも面倒だった。というか馬鹿が多過ぎる。お陰で無駄な寄り道を何度もしなければいけなかった。
 しかし野望は成就された。
 そして、今日それをわたしは届けに来た。この想いと共に。

 ――はーい、と屋内から声。

 声が望んでいた相手でない事に、嬉しさ半分悲しさ半分。直ぐにでも――ドアをぶち破ってでも会いたい、けれども顔を合わせる事が怖い。拒絶されるという可能性だってある。そうなったらどうなってしまうかわからない。
 しかし、既に賽は投げられた。
 パタパタと足音の後に、ガチャリとドアが開いた。顔を覗かせたのは長い黒髪を適当に後ろ手束ねている少女。名前は『■■円(まどか)』、あの人の妹だ。わたしを見て驚いた様な顔になった少女に無難な挨拶を交わし、直ぐに本題を切り出した。

「そんな人、我が家にはおりませんが」

 眼前の一個体が何を言っているのか、理解できなかった。そしてわたしにしては珍しく、心底焦っった。心のままに眼前の相手にまくし立てる。わたしはこんなに大きな声が出せたのだと、その日初めて知ったくらいだ。
 兄の事を覚えていないなんて、そんな事ありえない。キャラがとびきり濃い訳ではなかったが、それでも関わった相手の心に思うところを残していくような人だった。

「いや。私は一人娘です。兄どころか姉妹も居ません」

 きっとこれは何か双方の意思の行き違いだ。そうに違いない。今この家に不在というだけで、住処を移しているのかもしれない。しかし現実はわたしの希望を容赦なく叩き壊す。

『…………………………え?』

 掠れた声が、口から漏れた。膝から崩れ落ちたわたしに、少女が心配したのか駆け寄ってくる。声をかけられ軽く揺すぶられながらわたしは首を上に向ける。

 見上げた空は、あの日の様に綺麗な青。
 でもあの時は確かに居た、あの人は居ない。









 総てが終わっていたその瞬間が、わたしの旅路の始まりだった。



[26596] 2-1
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:a13b4935
Date: 2011/04/09 22:58
 ▽▽▽

 『ツインテール』

 髪型の一種で、長い頭髪を頭部の中央もしくは高めの位置で左右それぞれ結び、髪を垂らしたものがそれである。
 もしくはサイズに似合わぬ凶暴さを秘めた生物に対する呼称。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽

「――――あれがIS学園ね」

 時刻は夕暮れ時。街は沈む太陽によって茜色に染め上げられている。そんな茜色の世界の中、街の端っこにあるビルの屋上に一人の少女が居た。
 艶やかな黒髪を頭の両側で結び、いわゆるツインテールと認識される髪型。瞳はツリ目だが、キツイという程ではない。どこか猫科を連想させる瞳は顔立ちと相まって、可愛らしさを演出する。そんな顔を少女は不敵な笑みに歪める。
 背丈は同年代の女子よりも低く、小柄と呼んで差支えはない。しかしその背筋はぴんと伸び、二本の足でコンクリをしっかりと踏み締めて立つ姿は実に堂々としていた。
 ビルの屋上という事もあってか、少女の周りには少し強めの風が吹いている。故に彼女の両側で結ばれた髪が風に吹かれてゆらゆらと揺れ――そして、首に巻かれた布もいい感じで風に流れて揺れていた。
 今は4月である。春である。暖かい季節である。決してマフラー(防寒具)が必要な時期ではない。今日が特別冷え込んでいるという訳でもないし、きっと日が暮れて夜になっても過ごしやすい気温だろう。しかし彼女の首には長い布が巻かれ、風を受けてたなびいていた。
 いい感じに。

「待ってなさいよ。もう昔の私じゃなぶふ」

 このビルの屋上からはIS学園の全容がちょうど見渡せる。建物群の中央にずびしと指を突きつけて、少女は叩きつけるように宣誓――出来なかった。
 風向きが突然変わったせいで、首元から流れるマフラーが少女の顔全部にべたんと張り付いたのである。
 突如ブラックアウトした視界と苦しくなった呼吸にバタバタとその手を振り回し、少女は悶える。それでも何とか顔から布を引き剥がすと、もう一度少女はIS学園に向き直った。

「もぶふ」

 風。それは何者にも縛られぬモノである。
 言い直そう(人生に編集点を入れよう)とした少女の思惑等、きっと風は知った事ではないのだ。少女は再度その両腕をバタバタと振り回しながら悶える事になった。

「――鬱陶しいっ!!」

 ズバァッ! と聞こえそうなほどの勢いで首から長い布を一瞬で巻き取ると、少女は両目を見開いて叫ぶ。両側で結ばれた髪とリボンが逆立って見えるかのように錯覚出来る激昂っぷりであった。

「風向きとは予想外の敵だったわ…………!」

 ぶつぶつと呟きながら少女は傍らのボストンバッグにマフラーを仕舞い込むと、そのまま抱え上げて肩に提げる。そのボストンバッグは見た目から相応の重量を感じさせるサイズと膨らみ加減だったが、少女はさして苦労している様子はない。

「――ともかく待ってなさいよ。直ぐに思い知らせてやるんだから」

 一際強く吹いた風に結んだ髪を揺らしながら、少女はその場を後にした。


 ▽▼▽


「よう。こんなトコで何してんだ?」

 呼びかける。すると屋上の更に端に居たそいつはゆっくりとこちらに振り向いた。夜風に吹かれて揺れる髪を抑える、そんな何気ない動作一つが実に画になっていた。
「………………織斑、一夏」
 視線が合った途端に睨みつけられた。セシリア・オルコットの宝石みたいな蒼い瞳に灯った強い意思の光が俺に思いっきり突き刺さる。
 オルコットに歩み寄り――って何か明らかに警戒されてる。なので足を止めた。夜の学生寮の屋上でこうしてオルコットと出会ったのは偶然でも何でもない。そもそも屋上なんて今日初めて入った。ていうか入れることすら知らなかった。
「何で辞退したんだよ、クラス代表」
 本題に入る――俺の言葉にオルコットはぷいと顔を明後日の方向に背ける。
 寮に帰ったら、クラスの娘らに『クラス代表決定おめでとう』といきなり祝われた。すっっかり忘れていたが、そういえば先日の『決闘』は俺とオルコットのどちらがクラス代表になるかを決める事も兼ねていたのだ。

 ――それは、おかしいだろう。

 『何で負けたのに俺が代表なの』と尋ねてみれば、『セシリアさんが辞退したから』という答えが返ってきた。
「納得いかねえよ。何で”負け”た俺がクラス代表なんだ。お前が進む理由はあっても、退く理由は欠片もねえだろうに」
 クラス代表には俺よりオルコットの方が相応しい。その俺の考えは最初から変わっていない。むしろ実際戦ってその実力を身を持って知った今は、前より強くそう思っている。
 だから、どうしても言わずにはいられなかった。
 何故だと、直に問いかけずにいられなかった。

「――わたくしは認めませんわ、あんな中途半端な決着は!」

 怒号。明後日の方向に向いていた視線は身体ごとこちらに向き直る。その瞳は見開かれて、その眉根は釣り上げられている。

「セシリア・オルコットにとってあの勝利に何の意味もありませんわ! 言ったでしょう、貴方の全力を叩き潰すと! なのにあんな、あんな中途半端なッ! あのような決着で得られる座などこちらから願い下げですわ!!」

 ゴッ、と鈍く低い音がした。
 屋上の端にある鉄柵にオルコットが手を叩きつけたために発した音。

「強くなりなさい織斑一夏! 誰もが認めるほどに強くなった織斑一夏を、今度こそ完膚なきまでに叩き潰す!! そうすれば、そうして初めて! わたくしは誰の目にも明らかな『勝利』を得られる!!」

 あの中途半端な決着は、どうやら目の前の彼女の心に火を点けたらしい。激情の塗り込められたその言葉は、びりびりと肌に刺さるような圧力を感じさせる。

「――それに、誰も『譲る』と言った覚えはありませんわよ。”貸し”ておくだけです。あなたを今度こそ撃ち抜いた暁には”返して”いただきますので、そのつもりで」

 腰に手を当て胸を張り、不敵にニヤリと笑う彼女は勝利に拘っている。
 直ぐに再戦しないのはきっと俺から逃げ道を奪うため。俺を完全に負かし、完膚なきまでの勝利を掴み取るため。
 何故ならば。現状で俺がセシリアに負けても、周囲はそれを当たり前だと思ってしまうから。俺が言い訳してもしなくても、”セシリア・オルコットは代表候補生だから”、”織斑一夏は素人だから”。皆の心中にはそういったものが付き纏う。
 だから、彼女は待つと言ったのだろう。俺が皆に認められるまで。代表の座を譲ったのも、俺が経験を積めるからか。そうして『強く』なった織斑一夏が負けた時、そこに残るのは完全な敗北だ。もう誰にも何にも言い訳できない、真実の敗北だ。

 ――そして得られる勝利が欲しいと、その勝利しか欲しくないと、彼女(セシリア)は言った。

 さあて。
 正直滅茶苦茶燃えてきた。ここまで言われて、ここまで魅せ付けられて、このまま黙っていられる訳がない。それに、あの決着に納得がいってないのはお前だけじゃないんだぜ、セシリア・オルコット。

「いいぜ、”白黒”つけよう。誰にも何にも文句が出せないくらいの、明確な決着を付けようじゃねーか。首を洗って待ってやがれ、今度こそぶった斬ってやる…………!!」

 両手の先から身体中に走り抜けたのは、あの時”振り抜けなかった”事に対する後悔。あの日あの瞬間、確かに届いていた筈の一撃を有耶無耶にしてしまった時から、今までずっと感じている。
 カツ、と靴底がコンクリートを叩く音。オルコットがこちらに向かって歩き出した。こちらも歩を進める。
 俺の右手で白い光が、オルコットの右手で蒼い光。それぞれ互いに一瞬だけ舞い散った。そうして出現――武装及び腕部部分展開――した互いの得物――一振りの刀と一丁のライフルが、すれ違いざまにぶつかり合って金属質な騒音を鳴らす。
 再度光が散って、さっきまでそこに在った互いの得物は姿を消す。それ以上何も言う事は無いのか、オルコットは生身に戻った右手でドアを開けて屋上を後にした。
 俺はというと、そのまま足を進めて端に――さっきまでオルコットが居た位置まで歩を進める。見上げるとまあるい月が浮かんでいた。
「これも”約束”か。何で時間制限があるってわかった途端にこう、破れないのが、破りたくないのが増えていくのかねえ」
 今日は風が強い、大して長くない俺の髪もばさばさと揺れて少し鬱陶しい。
 俺の残り時間が後どれだけ残っているかは知らないが、その長さが俺の都合など知ったことではないのは間違いないだろう。
「負け逃げする気はねえぞ」

 ――そうだ。今度こそ、”振り抜く”。

 挙げた右手の先で拳を作って満月に向けた。そこには弐型の柄の感触が残っている。まだ数回しか握っていないし、生身で握ったことはまだ一度も無い刀の柄。しかしその感触は、なぜだか眼を閉じても形がはっきりと思い出せた。
「ん?」
 何気なく視線を下に向けた瞬間に、視界に入るものがあった。
 目を凝らして、それが何なのかを確かめる。

「んー……?」


 ▽▽▽


「………………まずい。超迷った」

 IS学園の敷地内に佇むツインテールの少女が一人。その手の中のくしゃくしゃになった紙には、少女の目的地――『本校舎一階総合受付事務所』という文字が記されている。しかし歩いても走ってもその建物が一向に見えてこない。
「ったく、地図くらい書いとけってーのよ」
 既にくしゃくしゃの紙をさらに力任せにぐしゃぐしゃと握りつぶし、それをポケットに荒々しく突っ込んで少女は再び歩き出す。
(しっかし見事に誰も居ないわねー、道も聞けやしないわ。”寄り道”したせいで到着が遅れたせいとはいえ)
 言葉通りに右も左もわからないから、生徒なり職員なりに道を尋ねたい。でもゲートを通った以降見事に誰にも出くわさない。
 こんな事ならゲートの警備員に道を聞いておけばよかったと思う。迷いまくって元来た道もわからぬ今となっては後の祭りだけども。

(――――!)

 突然少女の黒髪を両側でたばねるリボンが、少女の驚きに合わせてぴょこんと跳ねた。とはいえそれはただのリボン、感情に追従する機能なんぞありはしない。ただ少女が少し跳ねたから、それにつられて動いただけ。ついでに風も一役買っている。
 少女が跳ねたのは、感情が大きく揺れ動いたから。原因はその視線の先――そこには男子学生が一人。たまたま通りがかったと思しきその男子学生は、少女に気付かないのかそのまま向こうへと歩いて行く。
 IS学園において男子学生は一人しか居ない。だから、それが誰なのかを判別するのはとても容易い。でもきっと、そんな理由がなくたって、あれが誰なのかなんて一目見れば少女にはちゃんと判った。
「い、――――…………」
 思わず名前を呼びそうになって、しかし少女は自分の口を両手で塞いだ。口元を抑えた少女の顔に笑みが咲く。楽しそうにうきうきと、そんな様子を周囲にこれでもかと振り撒きながら、少女は音もなく少年の後を追った。
 要は、いきなり声をかけて驚かせてやろうと思ったのである。足音がせぬように注意しながら少女はその背中を追う。

「……?」

 しかし、角を曲がった直後に突如その背中を見失った。怪訝そうに首をかしげた少女は直ぐに気付く。その先が行き止まり――袋小路であることに。
「しまっ――」
『かかったな! 上だ!!』
 声。
 反射的に少女は首を上に跳ね上げる。見事にまあるい満月と、そこから発せられている柔らかい光が視界に飛び込んでくる。しかし視界に捉えたのは、”それだけ”。
 見えるのは、空に浮かぶ満月だけ。そこでその事実をようやく認識する。上を向いたのは『上』という単語に反応してしまったため。しかし、その言葉が聞こえてきたのは『上』ではなかった。声が聞こえてきたのは――――

「と見せかけて横だ――――ッ!!」
「ぎゃわあああああああ!?」

 横合いからどーんと突っ込んできた何かが衝突した。ぶつかってきた”やつ”は少女の身体を抱え上げると、そのままぐるぐるとその場で回し始める。してやったりなその満面の笑みがひどく少女の勘に触った。
 とはいえ、少女の方が驚かすのに成功していたら、眼前のそれと全く同じ笑顔をして勝ち誇る心算だったのだが。
「何だよまさかと思ったらやっぱり鈴じゃねーかよ何やってんだよこんなとこでていうか久しぶりだなあオイ元気だったか元気だよな元気になーれあはははは!!」
「あ゛――――ッ! 鬱陶しいわね、離れなさいよ!!」
 両手をバタバタと振りつつも、本気で振りほどかないのは少女も再会が嬉しいから。それと、相手がこうも喜んでくれているというその事実がまた嬉しいから。意思を反してにやけそうになる顔面を必死に制御しつつ、少女は形だけの抵抗を続ける。

「しっかしお前全然変わってねーな!! ぜんっぜんのびてねーしふくらんでねー!! 前見たときとなんも変わってねー!!」

 ――ぴ し っ

 世界でただ一人、少女にのみ聞こえるその音。
 それは、凰鈴音(ファン・リンイン)という名の少女の心が軋んだ音。

 ▽▽▽

「全く、一夏は何処に行ったのだ……!」

 肩をいからせ、箒はずんずんと歩を進める。今日は一夏が部屋に帰ってくるというので、色々と(主に精神的な)準備をして待っていた。しかし一夏は何時まで経っても帰ってこない。こうなったら迎え撃ってやると出陣すれば、一夏は帰ってくるなり人を探して歩き回っていたという。
 探している相手が男子なり教職員であらば箒も特には気にすまい。しかしそれが女子生徒の一人と聞いては話は別だ。更に探している相手は――イギリスの代表候補生のセシリア・オルコットだという。性格はともかく、見た目は麗しい美少女だ。性格はともかく。
 意中の男性が自分以外の、それも見た目のよい少女を探し回っている。そんな事を聞いて、箒が冷静でいられる筈も無い。一夏の事を親切に箒に教えてくれたクラスメイトを殺気で怯えさせつつ、箒は一夏の捜索を開始した。

「――――性根を、叩き直してやる必要があるかもしれんな」

 周囲に無駄に威圧のオーラを迸らせながら、箒は進む。さっきすれ違ったクラスメイトから外に向かう一夏の目撃証言が提供されたので、現在は外を探している。
「むっ!」
 箒の聴覚が話し声を捉える。即座にどちらから聞こえてきたのかを探り、その方向へと向かう。距離が近付いているせいか、話し声が段々大きくなってくる。片方は間違いなく一夏の声。そしてもう片方は誰かは分からないが、女子の声である事に間違いは無いだろう。
 程なくして、声の直ぐ近くまで辿り着く。ともかくまずは様子を伺おうと、箒は物陰からそっと顔を出した。



「あいだだだだだだだだだ! ごめんなさいごめんなさい調子乗ってたんです本当すいません嬉しくてテンション上がってたんです――――ッ!!!!」
「ごめん! で! 済んだらっ! 背骨は折れ曲がらねえの! よォ――――!!」
「ア゛――――――――――!?」



 そこには。箒の眼前には――小柄な少女に今まさに背骨を反対方向に折り曲げられかけている、織斑一夏(想い人)の姿があった。

「……………………なんだ、これは」

 目の前に広がる光景を、その事態を、理解できずに呆然とした箒の呟きに、答えるものは誰も居ない。



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Name: SDデバイス◆132e9766 ID:a13b4935
Date: 2011/04/09 22:57
 ▼▼▼

 『人は一人では生きていけない』

 昔、そう言われた事がある。けれども当時の俺はその言葉を一ミリたりとも信じなかった。何故ならば。その言葉を吐いた俺のじいちゃんは、若い頃は自分がいかに優秀な”ヒモ”であったかを孫に自慢気に語る輩だったからである。ばあちゃんと出会った後は大分”物理的”に矯正されたようだが、それでもそんな過去をすげー胸張って話す辺り相当駄目だと思う。ていうか駄目だった。
 正直あの人は俺の人生で出会った中で最高の反面教師だと思う。いやまあ色々と学んだというか盗んだモノ(技)も多いので、感謝はしているのだが。
 なあ、じーちゃん。
 今なら理解できるわ。本当に、じいちゃんの言った通りだった。
 一人ぼっちって、あんなにも辛いんだな。
 誰も『俺』を知らない。
 誰も『俺』を認めてくれない。
 それどころか、誰もが『俺』に俺以外の他人を強いる。
 でも非があるのは『俺』の方だから、それを跳ね除ける事も出来ない。
 情けない話だが――世界の何もかもが苦痛同然だった。
 でも俺の足場は、存在の存続の証明は、在るのか無いのかすらも判別できない。だから奇跡的に続いている今を無駄にしないようにと、後悔しないよう生きると決めた。
 そうして決めてしまったら、やり遂げようとしてしまう。出来る出来ないを考えられる性質だったら、もうちょっと楽に生きられたよーな気がせんでもない。少なくとも心が軋む感じの苦痛のいくらかは感じずに済んだろう。
 声を掛けたのは本当に偶然だ。
 見過ごせないものが目に止まったら首を突っ込む、そう決めていた。とはいえ世界は広いから、目に入った事は完全な偶然だった。
 深入りする気も、させる気も無かったんだ。適当に悪意の矛先を散らして、連れ出して、駆けずり回って、溶けこませて。もう大丈夫だろうと思えたら、手を引くつもりだった。
 ”名前を呼ばれた”。
 君は本物の『織斑一夏』を知らなかった。
 だから君が俺を呼ぶ時、その言葉は間違いなく『俺』に向いていた。名前が偽りでも、それは間違いなく俺を示して求める言葉だった。
 名前を呼んでくれる、ただそれだけの事が。
 笑顔と併せた、その言葉が。

 それが、どれだけ『俺』にとって救いだったか。


 ――■■■




 ▽▽▽


 ――夢か。

 篠ノ之箒がベッドから起き上がって発した第一声がそれであった。
 それにしても変な夢であった。箒の想い人である織斑一夏が道のど真ん中で小柄な少女に背骨を力一杯反対方向に折り曲げられかけていたと思えば、そのまま起き上がって肩車に移行して談笑しながら何処かへ爆走していく。実に面妖な夢である。そうだ夢だ。こんなの夢であるに決まっている。夢以外の何だというのだ。

 しかし朝食の場、一夏の隣にはツインテール頭の小柄な少女が。

 ▽▼▽

「…………夢を、信じていたかった」

 何か箒が突然虚空を見つめて呟き出した。何だこれ怖い。
 今度は突然フフフ……とか笑い出した。何だこれ凄い怖い。
「相変わらず朝から容赦なく食うわねー……」
「成長期だからな!」
「それで済ませるには量が多すぎるってのよ。あんた常に最低二人分は食べてない?」
 箒の様子にこっそり怯えていたら、反対方向から声がかかる。そこには同年代女子に比べ、のびてないふくらんでない小柄なボディとツインテールのヘッドを持つ少女が一人。

 名前を凰鈴音(ファン・リンイン)。

 響きでわかるがこいつは日本人ではなく中国人(チャイニーズ)。通称愛称は『鈴(りん)』。奇妙な『今』が始まって少し経ってから知り合い、以降何だかんだで今日まで友達な娘――それが鈴だ。
 もし俺が真っ当に『織斑一夏』だったのなら、鈴とは『幼馴染』である。いや鈴側からすれば俺も『幼馴染』なのだろうが、俺としては『幼い』と言える期間はとうの昔に過ぎ去っている。なので俺としちゃ普通の『馴染み』という感覚の方が強い。
 ちなみに鈴は中学の三学年が始まる辺りで突然引越し――自国である中国に帰国――してしまったので、大体一年ぶりの再会だったりする。

 一年。

 この期間が人によって長いか短いかは意見が別れるところだが、再会がこんなにも嬉しい辺り俺は鈴の居ない一年を思いの外長く感じていたらしい。食が進むのもテンションがやたら上がってるからである。いや食事量が多いのは『今』の俺の仕様でもあるが。
「やはり伸びるためには食事量なのかしらね……!」
「信じて頑張れば、きっとなんとかなるってー」
「私の目見て今の言葉もう一回言ってみなさいよ」
「わーいきょうもごはんがおいしいなー」
 それにしてもこいつ本当全然変わってねー。
 昨日は見た目に対する感想だが、こうやって話してみると改めてそう思う。まあ見た目も本当にそのまんまなんだが。身長もその他”色々”も見事に一年前と変化が無い。
 いや、一年程度で劇的に変わったら怖いか。しかし身長は伸びて欲しいと思うが――個人的には他のというかある部分は成長しない方が嬉しいです。そこだけはそのままの君でいて。その方がきっといい絶対いい。
「――情け無用!」
「ピンポイントで俺の好物を!?」
 可能な限り大盛りにした俺の朝飯から、鈴は的確に俺の好物を奪い去っていく。付き合いの年月が長いせいか俺の好みを理解してやがるのだ。
「うわーなんて事をするんだー。こうなるだろうと思って激辛にしておいたベーコンを的確に奪い去っていくなんてー」
「ごフぅッ!?」
 理解が深いのが、お前だけだと思うなよ。
 味覚的な意味の爆発の直撃を食らい、鈴は目を白黒させながら口を押さえてもがき苦しむ。気のせいか頭の両側のリボンも力なく垂れているように見える。とりあえず水の入ったコップを押しやっておいた。

「いちかー、ちょっと口開けてー?」

 数十秒程経って復活した鈴が猫撫で声と花咲くような笑顔でそう言った。
 手に、フタを取り去った醤油の瓶を持ちながら。
「直!? せめて何かに仕込むとかいう発想をしろよ!!」
「あ、け、てっ」
 流しこむ気だ! こいつ流しこむ気だよ!!
「いいからさっさと開けなさいよ! あんたの口の中を淡口(うすくち)で染め上げてあげるから!!」
「それ絶対淡口で済まねーだろ濃口を超えた何かになるだろ!」
「大丈夫よ。淡口の方が濃口より塩分濃度高い別物らしいから」
「余計駄目じゃねーか!?」
 血走った目で醤油の瓶を俺の口へと突き出す鈴。だが純粋な腕力は俺の方が強――あれ何かこいつ滅茶苦茶力強くなってる!? 

「――――いい加減、に、したら、どうだ……?」

 大きくはない。しかし何処か凄みを感じさせるその声に、俺も鈴も思わず動きを止める。ブツ切りの発音がまた怖い。
 恐る恐る振り返――わー羅刹。迸り、もはや物質化して視認できそうな勢いの殺気を放つ篠ノ之箒がそこに居た。
「「ご、ごめんなさい……」」
 醜い争いをしていた事も忘れ、さっきまで押し合っていた手と手を取り合いながら無条件降伏の意思を提示する俺と鈴。謝った筈なのに、殺気が増してるように感じるのはきっと俺の気のせいだよね。気のせいであってくれ。
 箒が礼儀作法に厳しい人間であることをすっかり失念していた。どうにも鈴と居ると食事中――に限らず、隙あらば騒いでしまう。
「一夏」
 羅刹をどうなだめたものかと思考をフル回転させていると、横からひそひそ声で呼びかけられる。何事かと耳を鈴の口元に寄せ――また増したよ殺気。
「気になってたんだけど、そっちのポニテの人あんたの知り合い?」
「……まー、な」
 少し考えてからその質問を肯定する。箒とは知り合って一週間程過ぎたのだから、もう『知り合い』と言っても良いだろう。
 鈴は俺と箒を交互に見やると、小首を傾げて一言。
「もしかして彼女?」
 人は物を喉に詰まらせた時、声で訴えることは叶わない。だって気管塞がっているから。そして気管が塞がるという事は、すなわち呼吸を阻害する事である。そうなったら大変だ。だって呼吸というのは、人間の生命維持において重要な行為の一つであるから。

 何が言いたいかというと焼き魚を喉に詰まらせた箒がやばい。

 ▽▼▽

「やあ織斑くん、おはよう」
「おはよー」

 朝の教室。隣の席の娘と挨拶を交わしながら席に着いた。席が近いせいか、この娘とは割とよく話すようになった気がする。
「聞いたかな、二組に来るっている転校生の噂」
「ああ、それなら聞くまでも無くもう会ってる」
「おや手が早い」
「凄まじく誤解を招く言い方はやめてくださいませんか。単に元から知り合いってだけだよ」
 転校生とは間違いなく鈴の事だろ――って、あいつ二組なのか。同じクラスが良かったなぁ……うう、上がりっぱだったテンションがちょっと下がった。
 しっかし学校始まって直ぐ転入してくるのなら最初から入学しとけよと思わんでもない。いや向こうにも事情があるんだろーが。それにしたってこっちに戻ってくるんなら連絡の一つで寄越してくれればいいものを。
「へえ。中国の代表候補生と知り合いだったんだ」
「え、ちょっ、あいつ代表候補生なの!?」

「その通りよ!!」

 まさかの当の本人から肯定の言葉が飛んできた。視線の先には食事の後いつの間にか姿を消していた筈の鈴が、俺を見下ろしながらふんぞり返っている。
 ”見下ろし”ながら。
 何故教卓の上に立っているんだこいつ。
 ……でも上履きをちゃんと脱いでいる辺り俺の知る鈴である。
「あーっはっはっは! 出会い頭に驚かせるのは失敗したけども、こっちは目論見通り運んだわね! その驚くマヌケ顔こそが見たかったのよ!!」
 ずびしと俺に指を突きつけた鈴は凄い嬉しそうな顔で言い放つ。してやったりなその表情がひどく勘に触る事この上ない。ちくしょうめ、何か凄い悔しい。
「――貴女も代表候補生だそうですわね」
 出た! 一組のプライド代表セシリア・オルコット!! カツカツと足音を鳴らしながら前へと歩み寄ると、流れるように腰に手を当ててふんぞり返る例のポーズ。
「わたくしの存在を今更ながらに危ぶんでの転入かしら?」
「あなた”も”って事は、あんたも……?」
 鈴が教卓からオルコットの眼前に降り立ちながら問いかける。どうでもいいけどこの二人、腕組みと腰に手を当てているという違いはあるが、ふんぞり返り加減が地味にえらい似てる。

「セシリア・オルコット。イギリスの代表候補生ですわ」
「中国代表候補生、凰鈴音!」

 二人の中心で、ぶつかった視線がばちりと音を立てたような気がした。朝の喧騒で包まれていたはずの一組は、今や向かい合う二人の一挙手一投足に注目して静まり返っている。
 不敵に笑った二人が握手を交わす。
「同じ代表候補生同士――なんて事は言わないわ、競い合って削り合いましょ。これからよろしくね、セシリア! 私は絶対負けないわよ!!」
「望むところですわ」
 何か二人が握った手の辺りから凄いギリギリ聞こえてくるんだけどこれ何の音?
 後お前ら何時まで握手してんだ。

「何を騒いでいる」

 研ぎ澄まされた刃の様に鋭利な声。出席簿片手に教室に入ってきた千冬さんが、教卓の前で無言の争いを続ける鈴とオルコットに言い放った。
「もうSHRの時間だ。さっさと教室に戻れ」
「千冬姉……?」
「織斑先生と呼、」

「千冬姉だ――――!!」

 パッと見では。小柄な少女が再会の嬉しさの余り満面の笑みで駆け寄った、という風に見える。だが鈴の場合その勢いが問題なのだ。
 故に駆け寄る等という生易しい表現はこの場では不適切である。
 正しく言うなら、それは突撃(チャージ)。
 しかしそこはさすが千冬さんと言うべきか。かつて『ブルドーザーウリ坊』の名を欲しいままにした鈴の突撃(チャージ)を片手で難なく押さえ込み、出席簿で一叩き。
「織斑先生、だ。いいからさっさと戻れ」
「はーい!」
 叩かれた鈴はというと、痛む頭を抑えつつも元気よく返事をして教室の出口へ向かう。
 あいつ千冬さんに懐いてたからなあ。俺の言う事にはしょっちゅう噛み付いてくる癖に、千冬さんの言う事は素直に聞くんだよなー…………って!

「おい鈴! 上履き!! 上履き忘れてるぞお前――――!!」


 ▽▽▽

 朝食の場でも、朝の教室でも。その視線は隙を縫うように別の方向へ注がれていた。見ていたのはポニーテールの少女である。
 会話の端から察するに、箒という名らしいその少女を、鈴は見ていた。
 ”何か”を探るように。

 ▽▼▽

「連絡も無しに帰ってきたと思ったら、まさか代表候補生になってたとは……」
「ふっふーん。びっくりしたでしょ?」

 俺のため息混じりの言葉に鈴は得意げに顔を輝かせた。昼休みの学食、四人がけのテーブルは三つまで埋まっている。俺と鈴と、箒の三人だ。
 ちなみに通りがかったオルコットを誘ったらサックリ断わられた。でもこっちがアッサリ退いたら何か残念そうだった。どっちなんだお前は。
 どうでもいいけど豚肉の生姜焼きってえらいご飯がすすむ。
「……一夏、そろそろどういう相手か、説明して欲しいのだが」
 咳払いをしつつ箒。そうか、鈴が転校してきたのは箒が引っ越した少し後だった筈だから、面識が無いのか。説明の要求は最もだが――しかし食事へ伸ばしかけた手は今更止められない。
 俺の箸は鈴のラーメンからチャーシューを奪い取り、鈴の箸は俺の定食から豚肉の生姜焼きを一枚奪い去った。

 もぐもぐ×2
 ごっくん×2

「「何をするか貴様ァ――!!」」
 二組に上履きを届けたせいで遅刻扱いになって千冬さんに怒られた仕返しをしようと思ったら見事に読まれていた。しかもサイズ的に俺の方が被害でけーじゃねーか!!
「ええいお前達は一々騒がんと食事ができんのか!?」
 普段ならこのまま互いの食事(主にメインディッシュ狙い)争奪戦に発展するところだが、今回は箒の一喝によって吹き飛ばされた。
「私が説明するからあんたは黙って食ってなさい」
「えー」
「食事中のあんたが口に物含んでない瞬間なんてほとんど無いでしょーが」
 そう言われると返す言葉があんまり無い。
 呆れた顔で俺に言い捨てた後、鈴は箒に向き直る。
「朝も言った気がするけど――私は凰鈴音(ファン・リンイン)、中国の代表候補生よ。あなたは?」
「篠ノ之箒だ」
「よろしくね箒! あ、私は鈴でいいからね、鈴音(リンイン)じゃ呼びにくいでしょ?」
「あ、ああ。よろしく」
 鈴が笑顔で差し出した手を箒が握る。良かった。今度はギリギリとか聞こえてこない。
 どうでもいいけどここの学食ってポークカレーは今一つなのにチキンカレーは美味い。
「こいつとは小五始まってちょっと後から友達なのよ」
「これで統が居りゃ中学時代お馴染みのメンバーになるんだけどな」
「だから喋んな。口の中見えるでしょーが、行儀悪い」
 このツインテ酷い。
「箒は? 一夏と何時知り合ったの? 私が越した後? それともまさか入学してから? どっちにしろ私びっくりしちゃったわよ。一夏に仲よさそうな相手が居た事に。こいつ昔っから友達全然居ないのよね!!」
 ずいずいと身体を前に出しながら鈴は箒に問いまくる。何気に俺酷い言われよう。
 どうでもいいけど安定と信頼のカツ丼。
「い、いや、私は一夏の幼馴染だ……!」
「幼馴染……?」
 ちょっと押されつつ、しかしそこは譲らないと箒は答えた。うん、本当この娘にはその事実が大切なんだろうな。
 一方鈴は目を丸くする。まあ確かに子供の頃から鈴とはずっとつるんできたから、面識のない相手が幼馴染と名乗ったら混乱もするか。
「説明しよう」
「だからしゃべ――完食してる!?」
「箒は小四の終わり頃に引っ越したんだよ。ちょうど鈴とは入れ違いな訳だな」
「小四の終わり……?」
 鈴は口を閉じると、前に出していた身体を席に戻した。
 それから俯いてしばし何かを考え込み始めた。



「――――――――――ああ、だからか」



 聞き取れないほどに小さく言葉をボソリと呟く鈴は、ほんの一瞬だが、確かに俺の”知らない”表情をしていた。様子の変わった鈴に俺も箒も困惑し言葉につまる。
「ああ、いたいた織斑くん」
 不意に声をかけられる。
 ひらひらと手を振りながらこちらに歩いて来るのは教室で隣の席の子だ。
「白式の事で呼び出しだって。はい地図」
 そう言って俺に一枚の紙を押し付けると、さっさと去っていく隣席の子。渡された紙には学園の中にある施設の場所が記されている。
「行ってきなさいよ。呼び出しなんでしょ?」
 そう言う鈴はいつも通り。だからこそ引っかかる。指定された場所は少し距離がある。用事が何でどれだけかかるかは知らないが、帰りの時間を考えると急いで損はないだろう。
 先に席を立つ事を二人に断って、指定された場所に向かう事にした。
 

 ▽▽▽

「ちょっといい? 話があるんだけど」
「私には無いな」

 無言のまま食事が終わり、席を立とうとした箒を鈴は呼び止める。返事の声は自然と堅いものになった。そして態度もまた堅く、鈴の提案を跳ね除けるように箒は立ち上がる。
 元々箒は喋り方も態度も堅苦しい――そういう性分なのだ。が、今はそこに敵意すら含まれている。何せ鈴は一夏との距離が異様に近い。それは物理的にも精神的にも、正に一目瞭然な程に。一夏を思う箒としては、それがどうにも気に入らない。

「あんたにゃ無くても、私にはあんのよねー……?」

 みしり、と。鈴の手中にあった割り箸が無残な形に握り折られた。今の箒は不機嫌さ故に全身から威圧感を発している。大抵の人間は声をかけるのに間違いなく躊躇うであろう。
 しかし鈴は両の瞳で箒を真正面から見据えてみせた。脅える様子も、気圧された様子もまるで無い。むしろ逆。箒の気を押し潰してくれる――そんな思いが見て取れる、強い眼光がその瞳には灯っていた。

「――――いいから、座れ」



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Name: SDデバイス◆132e9766 ID:a13b4935
Date: 2011/05/15 18:24

 ▽▽▽

 『ブルドーザーウリ坊』

 迂闊に奴の”前”に立つんじゃない。
 死にたいのか。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▽▽

 鳳鈴音は織斑一夏の事が好きだ。

 そりゃ、面と向かってはっきり口に出せ――なんて言われたら当然躊躇う。照れと恥ずかしさで確実に手が出る。ついつい顎辺りを全力で打ち抜きたくなる。
 だが好意の感情があること自体は、実際そのとおりの事実だ。そもそも本当に好きだからこそ躊躇うし照れもするし――全力でぶつかりたいと思う、のだろう。
 そう、好きだ。
 何だか知らんが、鈴はあのバカが大好きなのだった。
 その感情を持つ事になった明確でわかりやすい切っ掛けは、たぶん無い。一緒に過ごして重ねた時間の結果として、大好きになったのだろう。
 元々好意は自覚していたけれども、物理的に距離が離れてみて改めて――というか初めてきちんと把握したのかもしれない。その感情がどれほど鈴の心において大部分を占めていたのかを。
 出会った時の事は、今でもちゃんと憶えている。
 素晴らしく劇的な出会いだったかというと、別にそうでもない。しかも初めて顔を合わせた時に鈴が思った事は『頭空っぽそうな顔してるなあ』なんて割と失礼な感想だった。
 でも一人ぼっちの鈴に差し伸べられたその手の存在は、本当に嬉しかった。
 あのバカは知らないのだろう。気付かないのだろう。知らないでいい。気付かないでいい。知られたら恥ずかしくて死ねる自信が鈴にはある。
 名前を呼びかけてくれた、それだけの事が。
 笑顔と併せた、その一言が。

 ――それが、どれだけ鈴にとって救いだったか。

 知り合うきっかけになった出来事を経てちょっぴり好きになった。
 一緒に同じ時間を過ごしてもっと好きになった。
 そして気がついたら大好きになっていた。
 劇的でも感動的でもない、小学校の隅っこで話した出会いの思い出。そんな何でもない筈の思い出が、あのバカのせいで今では宝物だ。
 これ程までに鈴は一夏が好きなのだ、が。
 周囲の人間にはそうでもない場合がやたら多い。一緒に過ごした鈴はそれをよく知っている。ともかく何故だか、あのバカには信じられないくらいに味方が少なかった。付き合いやら利害関係みたいなのを抜きにすると、恐らく片手で足りる数だから困る。
 それが、鈴には昔から気がかりでならなかった。孤立している訳ではない、周囲から一歩二歩離れた位置とでも言えばいいのか、妙にへんなトコに立っている。
 でも付き合う相手を選ぶのは人それぞれ自由だし、バカの方は言った位で自分を変える様な奴では無い。それに後者の方はあんまり変えて欲しいとも、思わなかったりする。
 一夏はずっと変わらない。出会った時からずっとそんなに変わらない。だから、そんな不思議の立ち位置の一夏こそ――鈴が好きになったイチカだと思うから。
 一番いいのは、向こうもそういう立ち位置を好む場合だった。
 鈴の場合は立ち位置の性質でなくそこがイチカの近くだから居るが、元からそういうトコに立ってる奴も居る。
 だから中学校に進学した後、『二人』は『三人』になった。鈴は三人目が何故だか無性に気に食わなかったが、『三人』で過ごした時間は楽しかったから、まあ良しとしてやる事にした。あのバカに免じて『友達』と呼んでやらんこともない。

 ――『友達』。

 鈴と一夏の関係を適切に表す言葉だ。
 素直に口に出したり形として表すのは中々難しいが、鈴は確かに一夏に好意を抱いている。でも鈴の『好き』は『愛している』とかとはたぶん、というか絶対違う。
 昔っから、鈴はいわゆる一夏との『恋愛関係』をしょっちゅう疑われた。小学校の時はからかいの意味が強かったが、中学の頃からは本格的に疑われ出していたように思う。
 けれどもそれは違う。上手く言えない――いや上手く理解出来ないのだ。その、『恋愛関係』なるものが、鈴には。
 『恋愛関係』は周囲や世間一般では友達より親密である様に捉えられている。でもそれが今の一夏との関係とどう違うのか、どう異なるのか、鈴にはどうにもさっぱり理解出来ないのだ。
 『愛している』は『好き』より深くて確か、らしい。もっと仲良くなれるのならばと頭を捻ってみた時期もあったが、結局答えは出なかった。
 現状の一夏との『友達関係』に鈴は何の不満も無いのだ。関係の種類を今更――そう、今更変える必要が見当たらない。

 ――このままで、いい

 友達関係の上位に位置するというその関係(愛してる)も、終わってしまう事もある。砕けてしまう事もある。そして在った筈の『好き』は――目を背けたくなるような『嫌い』に変わる。
 それを鈴は見る羽目になった、知る羽目になった。
 他人事でなく――自らの家族で以て。

 ずっと楽しくて、ぜんぶ大切なこの『好き』。
 それがあんな風に『嫌い』に変わってしまうというのなら。
 変わってしまう可能性が産まれてしまうのなら。

 ――――わからなくても、いい


 ▽▼▽

 『白式(びゃくしき)』。
 世界で唯一ISを動かせる男である『織斑一夏』の専用機として、IS学園が用意した機体。
 日本のIS企業――『倉持技研』が欠陥機扱いで凍結していた機体をベースとして完成。最大の特徴は第一形態から単一仕様能力《ワンオフ・アビリティー》が使用可能である事。

 ――本来の『白式』という機体の概要は、大体こんな感じ。

 でもさっき会った倉持技研の人いわく、技研が凍結していた欠陥機(試作機)と今俺の右手にある白式はネジの一本たりとも同じ部品が無いんだってさ。
「まーたややこしくなってきたなーもー……」
 廊下は昼休みであるせいか人の流れは多い。相変わらず男という存在は注目を集めやすいのか、周囲からは視線がビュンビュン飛んでくる。それが余り気にならないのは、頭の中がさっき聞かされた話で埋め尽くされているからだろうか。
 右手には白と黒二色で構成されたガントレット。
 この機体は――今俺の右手にある『白式』は、本来『白式』と呼ばれる筈だった機体とは完全に”別の”機体であるらしい。
 この機体がどっから来たのかと言えば、実際技研の人もよく解ってないと来た。機体を提供した後どうなったかは一切感知してないとか何とかルートも情報規制かかってるとか何とか――何かゴチャゴチャ色々言われてよくわからんかったが、よくわからん事態になってるのはよくわかった。
 徹底的に調べた限り機体に問題は無いし、むしろ当初の予定より高スペックだからこのまま使い続ける事で落ち着いたそうな。
 ISにまつわる事なのに何か妙に適当に済ませてる辺りがっつり腑に落ちない。実際技研から来たって人も苦笑いしてたし。
 さあて。
 ISの専用機は操縦者に合わせてその外観や機能を最適化させて物理的に変化させる。それ自体は至極当たり前の事象だ。だから俺も白式の変化に感心こそすれ、特に疑問は抱かなかった。この白式が俺に”合”った機体に変わった事には。実際、色や形に搭乗者の心象が深く反映される例はこれまで幾度もあったらしい。
 ここまではいい。問題というか気にかかるのは、《雪原》――脚部に搭載”されていた”特殊力場発生装置の事だ。

 ”虚空に立つ”。

 《雪原》のその機能は、何故だか俺の現状を示しているように思えた。俺の人生は不可思議な現象の下存続している。下にあるのは、在るのか無いのかわからない不可視で不可思議な足場――それこそ、《雪原》の造り出す特殊力場のような。
 それともう一つ。
 どうにも《雪原》は俺が欲していた装置だったらしい。それを感じたのは一次移行が終わった直後。機能した《雪原》の造り出した不可視力場を初めて踏み締めた瞬間。その時確かにISを纏った身体と世界が、ようやく正しく”噛み合った”様な感触があった。
 こういうのは”俺好み”とでも言えばいいのか。初陣で初使用だったのに、まるで心の欠損が埋まったかの様にその機能は、俺によく馴染んだ。
 そんな《雪原》は形態変化で発生したのでは無く、『この白式』に最初から搭載されていたのだという。つまり俺に合わせる前から、俺に合うモノが組み込まれていた事になる。

 ただの偶然、考えすぎである可能性も当然どころかたんまりある。

 白式の様に剣戟主体というか剣戟”するしか”無い機体に《雪原》の様な、”空中で立てる”機能は実際都合がいいのだろう。何か剣術には足運びとか重要だってどっかで誰かに聞いた覚えがあるし。
 だが、

 ――この『白式』を造った人物は、『俺』の置かれた状況を知っている?

 この白式は、俺と似てる。本来の『名前』と実際の『中身』が食い違っている。こいつは『白式』だから『白式』になったのでは無い。周囲が『白式』だと認識する事でこいつは『白式』になった。
 兎に角この機体には俺の七面倒臭い現状を連想させる要素が多すぎる。だが疑問に正しい答えを返せるのは、恐らくこの白式を造った人間だけ。しかしその誰かさんはこの場には居ない。
 いや、待て。
 ここにはその誰かさんに造られたヤツが居るじゃないか。

(……”シロ”)
【はい】

 右手のガントレットに呼びかける。即座に返事の”音声”。実際に声に出して呼びかける必要はどうも無いようで、意思で語りかけるというか、意思を”向ける”というかそんな感じ。こういう感覚頼りな事は、頭を使う事に比べてそこまで苦手じゃない。
 しっかしコイツ声自体は地味に結構可愛いんだが、話し方というかイントネーションがなあ。何処までも淡々というか平らというか、出来が良すぎて逆に作り物めいているというべきなのか。全くメカメカしいやつめ。いやメカなんだけど。
 とはいえこっちの世界の科学技術の進みっぷりには驚かせられる。ISの存在にも驚いたが、今回もなかなか。こんな風に会話できる人工知能(AI)なんてお伽話の中だけだと思ってたよ。
 年代の数値的には『前』と殆ど同じ筈なんだが、科学技術の進みになんかえらい差が出てるんだよなあ。『向こう』と『こっち』の何がそんなに違うんだ?
 やっぱり『篠ノ之束』の存在の有無、か? いや『大天才』の出現前からも結構進んでたみたいだから、もっと根本的なとこから違うんだろか。
(聞きたい事があるんだけど)
【何なりと】
(お前と、”この”白式造ったのって誰?)
【IS『白式』、及び搭載AI『シロ』の製造者に関する情報は消去されています】
(ありゃ……んーと。命令、答えろ、最優先)
【IS『白式』、及び搭載AI『シロ』の製造者に関する情報は消去されています】
(…………)
 繰り返される返事は、再利用したのかと思えるほどに全く同じ声量と音程だった。最初に答えが返ってこない時点でそうだとは思ったが。やっぱ駄目か。
 この白式に積まれたAI――『シロ』は基本的に疑問には迅速的確に答えてくれる。今回みたいに『答えられない』というのは地味に珍しい。
 事実を隠してるという可能性も残るが、それも何か違うような感じがする。少なくともシロから悪意は感じない。たぶん。
 それに、

 ――”貴方の全てを肯定する”

 その言葉の意味はちょいと問答してみて理解した。このAIは他の”何”を蔑ろにしても俺の意志を遂行することを優先しやがる。施設でも、他人でも、知人でも、白式という機体でも、シロと名付けたAIでも、

 ”俺の命”でも。

 俺の下した命令で何かが砕けても、誰かが死んでも、誰かを失っても、機体が吹き飛んでも、AIが機能停止しようとも、そして俺が死ぬとしても。
 一欠片の疑問の疑念も抱かずに淡々と――そうただ当たり前のように俺の命令を、決断(意志)を実行(肯定)する。
 一応普段は俺の安全は他よりも優先されているようだが、それはあくまで俺がまだ死ぬ気がないからというだけ。億が一『死』を望めばサクっと自殺幇助してくれるに違いない。

 それが白式に搭載されたAI――『シロ』の根幹に設定された最優先事項。

 ちなみに『シロ』は俺が付けた愛称である。いやだって呼び方聞いたら長ったらしいコードみたいなの言うんだもの。聞き終わる前に最初の方忘れるくらいのを。
 最初は『白式』と呼ぼうかとも思ったが、話聞く限りでは『白式』そのものというよりかは『白式の精霊的な何か』っぽかったの。なので白式の白の字から取って『シロ』。飾り気はないが呼びやすいのでこれでよし。
 当のシロは名付けられた事にも、自分の名前になった単語にも特に反応も感想も示すことはなく、ただ俺の意向を受け入れた。安定の無機物っぷりである。
(それでやっぱシロには茶目っ気を出して欲しいところではあるなー)
【はい】
 とりあえずこの鈴の胸の如きまっ平らな感じはもうちょっと何とかしたい。鈴のはそのままでいいけど、こっちはどうにか出来ないだろうか。
(手始めに、そうだなー。俺ばっか愛称で呼ぶのも何だし、お前も俺の事愛称的なので呼んでみるか?)
【愛称……――では】
 シロが言葉を途切らせたのはほんの数瞬。口を開い……いやコイツの場合何て言うんだ? 回線を開いた……? ええいもう口を開いたでいいや。ともかくシロは相変わらずのまっ平らな音声を発し、

【お兄ちゃん】
「や め ろ」


 ▽▽▽

 鳳鈴音は織斑一夏の事が好きなのだろうか。

 それが現在篠ノ之箒の胸中で巨大な台風の如く渦巻いている疑問である。本来四人がけのテーブルに、箒と鳳鈴音は向い合って座していた。
 向かいに座る鈴は、睨みつけるかの如き勢いで箒に真正面から視線をぶつけてきている。可愛らしいと評して差し支えない容姿、しかし放たれる気配は正に『野生』という言葉が相応しい。それ程までに荒々しく凶暴な気を少女は発している。
 精神的にも物理的にも圧されそうになるのをぐっとこらえ、箒もまた真正面から鳳鈴音を見返す。この少女がこれほどまでも強い感情を箒にぶつけてくる心当たりはある。それこそが、ずっと胸中にて渦巻いている疑問である。
 もし眼前の少女もまた箒同様に織斑一夏を好きだというのなら――いや、もう間違いないだろう。あれ程一目瞭然に親しいのだから、鳳鈴音もまた一夏の事が好きなのだろう。
 ならば箒と鳳鈴音はライバルという事になり、激情を箒に叩きつける理由足る。
「最初っから違和感があったけど、知り合った時期で納得したわ」
 鳳鈴音が口を開く。確かに相手は一夏と随分と親しいようだが、それでも箒とてあっさりと退いてやる心算はない。仕掛けてくるのなら、返り討ちにしてくれると心を構える。
「あんたの事忘れちゃったのは、確かに”あいつ”が悪いんだと思う。それは間違いなくあいつの落ち度だわ。でもねー」
 淡々とした口調。しかし一見静かに見える言の葉の、一つ一つが積み重ねられるたびにどんどんと重さと強さを増していく。感情が塗りこまれていく。
「あんたは一夏を見てた。でもすっごく見てるようで、常にあいつを通して『別の誰か』を見てる感じがしてしょうがなかった。それは――”あんたを知ってる一夏”でしょ?」
 箒の両肩が意識に反してびくりと跳ねた。
 言葉をきちんと意識が認識するよりも早く、無意識の領域で反応する。
「忘れた事を責めるのも、記憶を戻すことを求めるのも、別に間違ってないと思うわ。それは悪くないし……もし私が同じ立場だったら、きっと同じ事しようとするでしょーね」
 鳳鈴音の言葉が遠く感じるのは、箒の思考が意識の中に沈んで行っているせいであろうか。
 再会してからこれまで、何度心の中で”一夏だったら”と繰り返した。望んだ。
 稀にある『一夏』を思わせる言動に喜んだ――それこそが正しいと思った。つまり、それ以外は、間違いだと、思っていたという事に、
「でもそれよりも前に、あんたちゃんと見なさいよ! 今の一夏が居るって事を認めなさいよ! 今の一夏はね、あんたが『要らない』って態度ぜんぶで示す今の一夏はね! 私のたいっせつな友達なの! 今の一夏が大好きな人だって居るのよ! 少ないけど! そう思ってる人は居るの! 昔の一夏が要らない訳じゃないわよ、でも今の一夏も絶対ぜ――ったい要らなくなんか無いの! 何でそれがわかんないのよあんたはァ――!!」
 感情を噴火させたかの如き言葉(咆哮)の後に、鈴はコップに残っていた水をごっごっと音を立て総て一気に飲み干した。ズダンと音を立ててテーブルに叩き付けられたコップにバシッと亀裂が入る。
「わ、私、は……」
 鳳鈴音の叫びに篭った感情は、怒りとは少し違う様に思えた。それは単に意思の提示、烈火の如きに語気を荒らげているのはきっとそれが本当に本気だから。その想いを――こうも明確に本気で想いを表現できる少女が、箒は羨ましかった。
「私は、そんなつもりは……ただ私は、会いたかったんだ……一夏に、ずっと会いたくて……それだけだったんだ…………」
 箒は、言い返す言葉を持っていなかった。ぜーはーぜーはーと息を荒げる鳳鈴音にこれ以上視線を合わせられず、自然と箒の目線はテーブルへと堕ちる。
 だからこれもただの提示。とはいえ堂々かつ強い鳳鈴音のそれと比べると、箒のものは情けないほどに弱々しかったが。
 一夏を好きだと思いながら、箒の起こした行動は否定、否定、また否定。違う違うと言い続けて想い続けた。記憶を無くしたと、異なってしまったと、ちゃんとはっきりと打ち明けられた筈なのに。その意味をまるでわかっていなかった。一方的に理想を押し付けて、願望を押し付けた。
 そもそも、だ。六年もの時間が流れた時点である程度の変化は必然ではないか。なのに箒が求めていた『一夏』は――『六年前』の一夏だ。あの最後の記憶の一夏だ。それは記憶の有無に関わらず、根本的に一夏を否定していた事になるのではないか。
「熱くなっちゃったけど。責めてる訳じゃ、ないんだ。ただ、そこだけはわかって欲しかったのよ。さっきも言ったでしょ、私だって同じ事するって。大切だったのよね、あんたも――箒も、”思い出”が」
「……ああ。絶対、一生、忘れないと思う」
「うん。わかるよ。私も持ってるから」
 言葉に顔を上げると、鳳鈴音の顔がとても近くなっていた。身を乗り出して箒に近づいた鳳鈴音が箒の手をそっと取る。割り箸を傍らに散らばっている木屑に変えた手と同じとは思えないほど、優しい手つき。
「本当に仲が良いんだな、お前と一夏は」
「うん。大事な友達。一番の友達」
「ともだち、か……羨ましいな」
「結構大変だったのよー?」
「……それでも、私はお前達のような関係が羨ましい」
 恐らく問えば問うただけ、眼前の少女は『友達』との思い出を語ってくれるのだろう。語れるほどの思い出を持っているのだろう。
 この少女が、箒は羨ましくてしょうがなかった。想い人に近しい恋敵としてではなく、こんなにも仲の良いとはっきり言い切れる友達が居る。その事が。
 篠ノ之箒に、仲がいいと言い切れる友達はこれまでほとんど出来たことがない。転校してばかりという環境も理由ではある。しかし中には、そんな箒に声をかけて、手を差し伸べてくれた人も居たのだ。
 だが心の大部分を現状への――ISという存在に対する恨みで占めていた箒は、それを拒んだ。視界に入れようともしなかった。そしてその分の孤独を埋めるように、少しでも仲の良かった一夏との思い出に執着していたのかもしれない。
 そもそも一夏との思い出にしろ、どれほどのものか。
 家が近くて、通っている道場が同じ――家族ぐるみの付き合いではあったが、家族が付き合っているから一夏と箒が行動を共にしていたと、言い換えることも出来る。
 当時の箒は相も変わらず口下手だったし、とても一緒にいて――眼前の少女のように快活でも、可愛らしくもない――楽しいと感じられる子では、無かっただろう。
 一度傾き始めた意思は、坂道を転がり落ちる石のようにぐんぐんと暗く澱んだ方向へと傾いていく。

「だったらこれから仲良くなればいいのよ」

 目の前には笑顔。
 そして、”差し伸べられた”小振りな手。
「え……」
「変わっちゃったけど、一夏はまだちゃんと居るじゃない。大体後どんだけ人生が残ってると思ってんのよ。これからもっとずっと仲良くなっちゃえばいいだけじゃない?」
「い、いいのか。私が一夏と仲良くしても…………?」
 何かすっかり忘れていたが、そういえば箒は鳳鈴音の事を恋敵ではないのかと疑っていたのだった。実際に鳳鈴音は一夏の事をかなり好いているようでもある。ならば箒が仲良くする事は好ましくないはずであるのに。
「うん。もう箒はちゃんとわかってくれたみたいだから。あ、それと」
 握っていた手を一度離して、制服の裾でせっせと拭く。
 そして鳳鈴音は、改めて篠ノ之箒に手を差し伸べた。にこにこと笑ったまま、鳳鈴音はそれ以上言葉を紡がない。しかし箒には鳳鈴音――鈴が何を言いたいのかを、恐らく正確に察していた。

 ――私とも、友達になってくれる?

「その手は、取れない」
 反射的に縋り付きそうになった手を抑えこんで、拒絶の言葉を箒は発する。だがその口元は緩んで、表情はきっと不器用な笑みになってしまっている事だろう。
「一度一夏に謝ってからにしたい。それに私の態度も……やはり改めるのには、時間が、かかるかもしれないからな。応えるのは、それからにさせてくれないか」
「うん。私、箒とは仲良くなれそうな気がする」
「そう、か?」
「そうよ」
 同年代の子と、こんな風に笑い合って話すのは果たして何時以来だろう。胸の奥がじんわりと暖かくなって、それが染み渡るように心に広がっていくのを感じながら、箒も笑う。
 この少女のように、可愛らしく笑えているだろうか。
 きっと笑えていない。だが今はまだ出来なくとも、何時かは笑えるようになりたいと、そう思いながら――





 きーんこーんかーんこーん






「………………」
「………………」
「…………ねえ。箒」
「…………何だ。鈴」
「…………今の、何だと思う」
「…………今の、何だろうな」

 本当は二人とも、聞こえた瞬間にそれが何かは理解している。
 つまりこの問答はただの現実逃避。

 ”始業のチャイム”


「「――――ち、遅刻だああぁぁっ!?」」




[26596] 2-4
Name: SDデバイス◆132e9766 ID:a13b4935
Date: 2011/05/25 02:13
 ▽▽▽

 『お兄ちゃん』

 弟もしくは妹が自身の『兄』に相当する存在に対し用いる呼称。
 何故か僕の友達はこの単語に脅える傾向がある。
 彼に居るのは『兄』でなく『姉』なので、この呼称に脅える理由は無い筈だ。こういった日常の端々に垣間見える小さな違和感をかき集めていけば、僕が彼に感じる不思議な感覚の正体も判別するのかもしれない。
しかしとっかかりがこの単語ってどうなんだ。

 ――とある人物の手記より抜粋。


 ▽▼▽

【親密な相手に用いる呼称として登録されていたのですが】
「間違ってはいないけど是非にやめてくれいや止めてくださいお願いします」
【はい】

 別にその呼び方自体に罪は全く無いし、『前』で実際に妹が居た俺にとっちゃ――確かに慣れた呼び方ではある。
 でもその呼び方で呼ばれると煮え湯というか沸騰した硫酸をタンクで流し込まれた日々が脳裏に蘇るので真面目に勘弁して欲しい。
 全くあいつは要らんとこばっかり母親に似やがってちくしょうめ。成長するたびに似てくるから、六年経った今はどれだけ凄まじい事になっているのやら。

(――――そっか。六年、経ってんだ)

 生き別れ、いや”死に別れ”た頃はまだ『子供』だった妹も、考えて見ればもう年頃になっている訳だ。年齢的に大学生でもやってるんだろうか。それとも何か夢でも見つけて走っている最中だろうか。
(…………はん)
 心配は、正直する必要無い。
 俺の妹は兄である俺より精神的にも肉体的にもずっと優秀だ。というかそろそろ人類の規格越えとるかもわからん。母親的な意味で。
 向こうで生きてた頃は『もっと可愛い妹が欲しいいやそんな高望みしない普通でいい普通がいい』って隙があれば愚痴ってた。でもいざ二度と会えなくなってみれば、あれはあれで可愛いやつだったと思えてくるから不思議なものだ。
 もうちょっとくらい、余計でも世話焼いといてやりゃ、よかっ――気持ち悪いつって蹴られるのが余裕で想像できる! ああっ、蹴られ続けた日々が脳裏に凄く鮮明に!!
(色々思っちまうけど、一番気になるのは伴侶に出会えるかなんだよなあ。滅茶苦茶凶暴だからなー……あれを嫁にしたいという猛者が果たして現れるかどうか……)
 容姿は、まあ身内の贔屓を引いてもそれなりにイイ線いってると思う。でもあいつ性格がなあ。そのせいというか絶対それが原因だと思うんだが、俺の知る限り色恋沙汰には欠片も縁が無かったように思う。正直あいつが真っ当に恋愛してる画が全く想像できん。
 見た目の割に乙女な箒とは本当えらい違い――何か今『恋愛』とか考えるとあの子の顔が真っ先に出てくるな。
(そーいや今日やったら機嫌悪かったなー)
 普段から無駄に気が強いというか気を張っている彼女であるが、思い返せば今日は朝――朝食の際からどうにもそれが顕著だったような気がする。
 今朝、といえば鈴という転校生の登場があった。しかし友達である俺はともかく、直接の知り合いでない箒が転校生くらいで心動かすだろうか。

「あ」
【?】

 『篠ノ之箒』が『織斑一夏』を好きだという事は、ちゃんと把握している。ただその『織斑一夏』と『俺』を俺はアタマの中で直接結びつけていないし、実際それは直接結びつかない。しかし俺の身に起こった特殊な事態を知らない箒は、『俺』と『織斑一夏』の根本は同一であると認識している。

(いっけね、そういや鈴って『女の子』じゃねーか)

 その認識の差がすっかりすぽんと頭から抜けていた。
 今朝の光景は、俺に取ってはただ友達とじゃれ合っていただけ。しかし『織斑一夏』が好きな箒の目には『好きな男が見知らぬ女の子と楽しそうにしている』という風に映っていただろう。つまりあれは『怒り』でなく『嫉妬』か。いや怒りでも間違ってないだろうけど。
 なんてーか、見た目と姿勢の割に本当根が恋する乙女だなあのホーキちゃんは。
(とはいえどーしたもんか、ねー)
【…………】
 『俺』が『織斑一夏』と別である以上、彼女の好意に対してリアクションを行うことは好ましくない。それは俺じゃなくてオリジナルの『織斑一夏』のやるべき事だ。
(現状維持、するしかねーんだよなあ)
 俺の中に『織斑一夏』の記憶が蘇り始めているが、最終的に『織斑一夏』が戻るかどうかは未だわからない。
 戻ると確定しているのなら――今はそれに伴うもう一つの結果は置いておく――それまでは彼女の好意に気付かぬフリをすればいい。
 しかし戻るまでに長い期間がかかる場合、また結局『俺』のままであるという可能性も、未だ残っている。その場合は箒にも事実を打ち明けた方がいいのかもしれない。
(あーもー、こういうの得意じゃねーのに)
【…………】
 これが完全に他人事ならもっとサクっと指針を決められるのだが、というかもう何回目かわからんけど本当今の俺の状態どうなってるのさ。誰か知ってる人居ないのかよコレ。
(結局は現状維持、かあ。こーゆー宙ぶらりんってのは好きじゃねーんだけどなあ)
 箒に総てを話すのは、それが良いか悪いかはともかく――俺にとって『楽』なのは確かだ。だが突きつけるには事実が不可思議で唐突過ぎる。それを、こっちの都合で15歳の女の子に叩きつけていいものか。多感な時期の『女の子』に。
(んー、兎に角。一回千冬さんに相談してみるかねー)
 そういえば千冬さんの学生時代ってどんなんだったんだろ――ああ、今と全然変わらないんだろうな。一瞬で想像できた。
【思案内容の開示を要求します】
(うわびっくりした。何どうしたのシロ急に)
【操縦者――『織斑一夏』のサポートも私の優先事項の一つです。何か重要な案件に行き当たっていることが明確である以上、私は持てる総てを用いてそれを解決に導く用意があります】
 驚いた。
 シロが長文喋ってる。
 いや長々と喋る事が無かった訳じゃない。だがそういう場合はどうも長い文章を『再生』している風で、喋ってるって感じじゃなかったのだ。
(気持ちは結構有り難いんだが、シロはこういうの向いてなさそうだからなあ)
【何故ですか】
(んー……?)
 お、何か不服そう不服そう。
(喩え話。もしお前より高性能な新型AIが開発されて。俺がその新型を褒めちぎってたらどうすればいいと思う?)
【私が問題解決に対して不向きであるという事との関係性が見受けられません】
(関係ないようであるんだなこれが。いいから答えてみ?)
【……『AIユニットを開発された新型と交換』】
(うん正解。だからお前は向いてない)
【それは正解でないという事では?】
(いや正解ではあるよ。ただ俺が求める正解ではないだけで)
【操縦者の最善でない以上、それは私にとっての正解ではありません】
 さあて。
 ある程度人生を過ごしてきたが、ヒトのように人格を持つ人工知能と接するのは流石に初めてである。なのでこっちとしてもシロとの距離感は正直測りかねている。
 初回にしてはちょっと難易度高いかもしれんが、ここは探りも兼ねて一つ問いかけてみるとしよう。
(宿題。時間制限は無し、ただし回答のチャンスは一回だけ。相方であるお前は俺をどう呼べばいいのか、俺はどう呼ばれたいのか。お前が求めるもの――俺にとっての『最善』が何なのか。考えてみな、”思うがままに”)
【時間をかける意味が理解できません。あなたが正解を提示すればそれで済む問題だと考えます】
(人間ってのは色々とめんどくさい生き物でね。無駄のない正論正解だけじゃやってけねーのさ。だからまずはそこら辺を知ってもらおーか)

【………………はい】

 戸惑いと困惑とそれと不満が混ぜ込まれていると思しき空白の後、シロは何時ものように簡潔でそっけない返事をした。
 この『宿題』には一つ、これ以上無い答えがある。とはいえシロがそれに辿り着くのは難しいだろう。目的は答えを探す過程にある思考だ。
 今切り捨てられている無駄な部分にも思いを馳せる事が出来ればよし。できなくても別によし。厳格な正論は別に悪い訳じゃない。
 知りたいのは、シロが”変われる”のか”変われない”のか。

「――ん」

(シロ、ちょっと質問。IS自体を起動せずに学園の地図とか出せる?)
【映像出力は不可能ですが、現在行っている相互通信でのナビゲートなら可能です】
(よし、じゃあちょっとナビをお願いしようか。無駄なトラブルは避けるに限る)
 
 その場でくるりと反転。
 気持ち歩を進める速度を上げ――曲がり角を曲がった瞬間に、俺は駆け出した。

 ▽▼▽

 休み時間。

 休むための時間。
 なのにどうして休み時間を経た俺はこうも疲労困憊しているのだちくしょうめ!
 あれから全体力を使い切る勢いで教室に戻った(辿り着いたとも言う)はいいが、授業に遅刻した事で織斑先生からは有り難いお説教と出席簿アタックを喰らい、トドメと追加課題である。普通に涙が出そう。俺が何をしたっていうんだ。

「織斑君、何してたの?」
「ちょっと逃走劇をだな」

 瀕死のまま授業を一つ乗り越え、次の休み時間にて隣の席の娘に問いかけられる。素直に答えたら滅茶苦茶怪訝そうな顔をされたが、実際そうなのだから仕方がない。
「そういえば篠ノ之さんも遅れてきたんだけど、もしかして一緒だったり」
「箒も遅れてきたのか。いや、そっちは知らねー、食事の後別れたっきりだし」
「そうなんだー。二組の友達が例の転校生も遅刻してきたってゆってたから、てっきり”三人”で積もる話でもしてたのかと思った」
「鈴も……?」
 にやにやと笑いながらの言葉に、俺はというと首を傾げた。
 時間に厳しそうな箒が遅刻というだけでも疑問なのに、さらに鈴が同様に遅刻してるってのはどう言う事だろうか。もしや食堂で二人に何かあったのか。
 ちらりと箒の方にさりげなく視線を飛ばす。真正面から視線がぶつかった。と思ったらものすごい勢いで箒が視線逸らした。
 ああ、これは何かあったな確実に。
 何てわかりやすい娘だ。
「ふーん、その様子じゃ本当に一緒じゃなかったんだね。じゃあ何してたの?」
「だから逃走劇だって。何か、こう明らかにちょっかい出しますよーって感じの人に遭遇してさ。面倒な事になる前に逃げたらすげー追ってくんの」
 すれ違う前にこっちが進行方向変えたから大丈夫だろうと安心してたら、何故かあの人追っかけてきたから困る。結局撒くのに休み時間と体力の概ねを費やす羽目になった。
「学園唯一の男子はもてもてだねえ。どんな人だったの?」
「えーと、ちらっとしか見てねーんだよ。確かリボンの色が二年だったな。んで髪が水色っぽくてー、何か扇子持っててー、雰囲気が独特で、後――脚が怖いくらい異様に速い」
 何度追い付かれそうになった事か。物理的なショートカットを多用してるこっちに普通に走って追い付いてくるってどういう事だよ本当。

「……………………その人もしかして『お前の事は何でも解ってるよ』みたいな表情してなかった?」

「あー、そーそーそんな顔してた。お前の総ては手の内だぜみたいな余裕綽々な感じ」
「ちょちょっと待って織斑君あの”楯無”から逃げ切ったの地味に凄いっていうかいや普通におかしいよ君」
「え、何? カタナシが何だって?」



「その人、うち(IS学園)の生徒会長だよ」






「へ?」





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