コーブ後見人からの報道
コメント--船長ポールワトソン
2010年 12月8日
シーシェパード自然保護団体はスコット・ウェストとその娘のエローラがヴィザ切れのために日本、太地町を離れることに残念に思っている。コーブの土地の3ヶ月間は長くて辛いものであったが帰国する以外選択の余地がない。
彼らはすぐれた仕事をし終えた。エローラは日本に着いたとき16歳であり、彼女の毎日書くブログは世界の何千何万という人たちに太地町の恐怖と自分で身を守れないイルカたちのぞっとする殺戮を広め、17歳をむかえ日本を発つ。スコット・ウエストは彼の専門である法律を後ろ盾にチームリーダーとして、出来得る境界ぎりぎりまで逮捕や国外追放無しに、日ごとに起こる太地町の殺戮を報道することができた。
スコット、エローラやそのほか多くのボランティアにとって、コーブでの残虐で愚かな殺戮を毎日毎日見続けることは困難な日夜であった。--それは、湾内に追い込まれるイルカの群れをどうにか脱出してくれるようにと望み願いながらそのイルカを見続けるストレスであり--その場の無力感で硬直しながら何もできず、その悲惨さに耐えなければならなかった。
3ヶ月間、スコットとエローラは14の異なった国々からの51人のコーブ後見人を出迎えた。彼らは彼ら自身のお金と時間を使いイルカのために日本にやってきた人々であった。
コーブでの活動はシーシェパードとコーブ後見人にとって、類のないチャレンジである。これは日本国内領海で起きていることであり、日本のイルカ殺しは日本の法律で認められている。日本のイルカへの残虐な行為が法律で認められている。日本ではイルカを捕まえて水族館に売ることを法律で認めている。シーシェパードは日本の法律に触れないように、この殺戮に対抗する方法を見つけなくてはならなかった。イルカ救出のすべての試みは法律に触れるということだけでなく、警察や水上警察、ガードマンたちに拘束され、拘置所や罰金や、更には太地町から追い出されるということであり、それらは前向きな目的に達しているということではない。
法といえども正しいことではないが、その法に従えば 我々が海でしているような介入活動はできない。しかし、正義の名前の下に日本の法のうちで、実行できる境界内で合法とされている、イルカ殺戮に反対することができる。我々のオプションは二つである。--経済的に打撃をあたえることと、残虐な行為を廃止するために日本に恥を与えること、これが全てである。
3ヶ月間の警察、水上警察、ガードマン会社へのコストは高くついているはずである。デモのパレードは世界各国で起きているし何千何万という電話やメイルやファックスが地球上の日本大使館や領事館に送られている。
以前はイルカ殺戮は通常的に監視されたり記録収集されたりは決してなかった。我々が辛抱強く、大使館への電話の集中攻撃や、コーブをコーブ後見人からガードするお金を政府が捻出し続けるなら、この残虐行為は、もはや隠しようがないし決して忘れることはできない。この太地町にボランティアを送り続ければ、我々はこの殺戮を終わらせることができるし、我々が終わりにするだろう。
忍耐力、持続性、圧力、この3つの姿勢がイルカのための勝利に導く。退却や放棄は決してあり得ない。
シーシェパード・コーブ後見人・キャンペ-ンはリーダー・リバティ・ミラーキャシニス、アシスタントがニコール・マックラレンとルパート・インホフによって引き続き行われる。彼らはこれからの3ヶ月、太地町に対しての世界の目と耳になり、このコーブでのイルカたちのことを後世に語り続けていくだろう。
いったい日本はいつまで長くこの太地の暴漢の日本を世界の恥に貶めていることを続けさせていくのだろう?いったい日本政府はいつまで、この21世紀に野蛮な行為を正当化するために、警察や警備や大使館領事館の出費を喜んで払い続けるんだろう?
シーシェパードは2003年に太地の殺戮を始めて表明しそれから7年間、この、世に知られていない汚い小さな秘密は世界で悪名高く知れ渡るようになった。長い道のりであったが世界に知られた。日本の人々も知るようになってきている。この殺戮はもはや田舎の日本の海岸にある、隠れた小さな秘密ではなくなっているのだ。
コーブ後見人はこの残虐行為を記録し続けていく。彼らは殺戮者たちを不面目にさせていくだろう。彼らは対面を暴くし太地の暴漢振りやその日々を記録し続けて、そしてこの殺戮の伝統を廃止に追い込むであろう。
世界各地からぞくぞくとコーブ後見人が太地にやってくる。この殺戮が終わるとき、終わろうとするそのとき、コーブにやってきた無私のボランティア一人ひとり、あるいは全員が名誉に値しそして彼らは言うであろう。「私たちは太地にいたんだ。私たちは私たちの体を張って太地の暴漢に話しを伝え、この身の毛もよだつ産業に終止符を打つ手助けをしたんだ。我々一人ひとりのためにそして全ての人のために。」
そして、世界各地から日本の大使館や領事館に電話をかける時間を作った何千人の人々は、「そう、我々がした全ての電話やメイルが官僚政治のものの見方に楔を打ち込み日本の国に野蛮な行為への恥を認めさせたんだ。」と言うであろう。
1977年、オーストラリアは最後の捕鯨場を閉じた。30年たった今、オーストラリアはこの地球上でもっとも熱狂的な反捕鯨国である。オーストラリア人捕鯨団体と闘ったと同様に現在、私は日本捕鯨団体やイルカ殺戮者と闘っている。が、現在のオーストラリアがそうであるようにイルカやクジラを、尊敬と敬意をもって認める日が来ることを予想している。
この闘いは勝つことができる。私が思うには日本人は今に、世界の目からあざけりの的になっているほんの少しの暴漢よりも、さらにもっと影響力を持つであろうから。日本は美術や哲学の知識をを十分にもつ、偉大で巨大な国家である。このミレニアム時代にその国家のイメージの定義としてその残忍性はまったく必要でない。
 Libby, Rupert and Nicole
|
シーシェパード・コーブ後見人・キャンペ-ンはリーダー・リバティ・ミラーキャシニス、アシスタントがニコール・マックラレンとルパート・インホフによって引き続き行われる。彼らはこれからの3ヶ月、太地町に対しての世界の目と耳になり、このコーブでのイルカたちのことを後世に語り続けていくだろう。
いったい日本はいつまで長くこの太地の暴漢の日本を世界の恥に貶めていることを続けさせていくのだろう?いったい日本政府はいつまで、この21世紀に野蛮な行為を正当化するために、警察や警備や大使館領事館の出費を喜んで払い続けるんだろう?
シーシェパードは2003年に太地の殺戮を始めて表明しそれから7年間、この、世に知られていない汚い小さな秘密は世界で悪名高く知れ渡るようになった。長い道のりであったが世界に知られた。日本の人々も知るようになってきている。この殺戮はもはや田舎の日本の海岸にある、隠れた小さな秘密ではなくなっているのだ。
コーブ後見人はこの残虐行為を記録し続けていく。彼らは殺戮者たちを不面目にさせていくだろう。彼らは対面を暴くし太地の暴漢振りやその日々を記録し続けて、そしてこの殺戮の伝統を廃止に追い込むであろう。
世界各地からぞくぞくとコーブ後見人が太地にやってくる。この殺戮が終わるとき、終わろうとするそのとき、コーブにやってきた無私のボランティア一人ひとり、あるいは全員が名誉に値しそして彼らは言うであろう。「私たちは太地にいたんだ。私たちは私たちの体を張って太地の暴漢に話しを伝え、この身の毛もよだつ産業に終止符を打つ手助けをしたんだ。我々一人ひとりのためにそして全ての人のために。」
そして、世界各地から日本の大使館や領事館に電話をかける時間を作った何千人の人々は、「そう、我々がした全ての電話やメイルが官僚政治のものの見方に楔を打ち込み日本の国に野蛮な行為への恥を認めさせたんだ。」と言うであろう。
1977年、オーストラリアは最後の捕鯨場を閉じた。30年たった今、オーストラリアはこの地球上でもっとも熱狂的な反捕鯨国である。オーストラリア人捕鯨団体と闘ったと同様に現在、私は日本捕鯨団体やイルカ殺戮者と闘っている。が、現在のオーストラリアがそうであるようにイルカやクジラを、尊敬と敬意をもって認める日が来ることを予想している。
この闘いは勝つことができる。私が思うには日本人は今に、世界の目からあざけりの的になっているほんの少しの暴漢よりも、さらにもっと影響力を持つであろうから。日本は美術や哲学の知識をを十分にもつ、偉大で巨大な国家である。このミレニアム時代にその国家のイメージの定義としてその残忍性はまったく必要でない。
|