バスケット青春の詩

バスケ大好き親父の青春感動の独り言を詩にしてみました。

長女の歩んだ道…

2011-03-24 00:19:44 | Weblog
平成23年3月24日 木曜日

「長女の歩んだ道…」

3人の我が子達〜
長女、次女、
長男です。

次女と長男のことは書きました。

以前に長女のことも書いていますが…

今、長女は東京で暮らしています。

長女もバスケ人生を〜
中学、高校、大学
と歩んできました。

我が子達の〜
バスケ人生は三人三様です。

その先魁を行ったのが長女です。

彼女のバスケ人生も妹や弟以上に走り続けたものです。

……………………………

長女は私達夫婦にとって待望の第一子でした。

血液型は〜
A(Ao)型。
典型的なA型です。

自分のことより気配りのA。

気配り過ぎて、
自分を責めてしまい悩む。

相談事には、
自分のこと以上に真剣に取り組みます。

といって…
自分のやるべきことには強い責任感があります。

茶化しすぎると、
真剣に怒ります。

頑張り屋です。

体調を崩しても頑張ってしまいます。

自分のことで他に迷惑をかけるのを嫌がります。

さて、
私達家族の共通項は〜

「バスケットボール」です。

その最初の中心となったのが長女です。

長女は、
私の仕事の都合で小学校を2回転校し…

中学校も埼玉から千葉に引っ越してから入学しましたので〜

子供の頃からの友達はいません。

寂しい思いをさせてしまいました。

でも性格は明るいですよ。

普通の女の子は、中学、高校、大学
となるにつれ…

父親を〜
「くさい・うざい
・うっとしい」と…

会話さえしてくれなくなるようですが〜

長女は普通に、
それ以上に会話をしてくれたし、

今でも色々話してくれます。

彼女の人生は中学以後、

バスケがその中心でした。

弱小中学から、
180cmで走れるプレーヤーということで、

県ベスト4の強豪高校のバスケ部に入部し、

素人レベルから、
辛い、苦しい練習を耐え、

スターティング
「5」の座を勝ち取り、

その苦労が報われたと思った次の瞬間…

「右膝前十字靱帯断裂」という〜

どん底の挫折を辛酸し、

「お前のせいで、
インターハイにいけなかった!」
と顧問から言い切られ、

心に深い傷を負い…
それでも、
尚かつ〜

その悔しさを
バネにし、
顧問を見返す思いで…

バスケの1部リーグに所属する大学の女子バスケ部に進みました。

その大学バスケ部は150名近い部員がいて〜

そのうちのトップ
20名足らずが
Aチーム、

あとは、
その他大勢という区分けでした。

長女は、
いわゆる…

その他大勢の
Bチームからスタートし、

やはり彼女の持って生まれた根性で〜

Aチームに選ばれました。

私は、
長女の生活のため〜

長女の大学入学と同時に…

東京で単身生活を始め、

長女との同居生活が始まりました。

そんな中、
一緒に同居していたにもかかわらず〜

父親としての私は…

長女の変調に気付いてやることができませんでした。

このときも次女が
U-18の全日本候補に選ばれたときと同じで、

親として、
頑張ってAチームに選ばれた娘を誇らしく思い、

その陰で、
大学1年生で
Aチームに入ったことが、

どれほど、
肉体的にも、
精神的に追い込まれるものか〜

わかりませんでした。

ほんとうに、
父親失格です。

長女は、
それでも黙って
やりぬこうとしていました。

この大学に進学したのは、

バスケの推薦枠で入学しましたので…

いくらきつくても辞められないと思い。

そんな中、
大学1年生としての多くの雑務をこなし、

一方、
プレーヤーとしても覚えなければならないことが山ほどあり、

それらから逃げてはならないという強い責任感が、

彼女をがんじがらめにしていました。

辛かったと思います、苦しかったと思います。

とうとう彼女は涙で訴えました。

決して音を上げない長女が〜

涙で語ったのです。

「ご飯を食べても味がしない。

眠れない。

でも続けたい。」

娘は、
私が知らないところで、

一人で〜
病院に通っていたのです。

その後も、
娘はその体調の変調をマネージャーを通じて顧問に話し…

体調に合わせた
トレーニングを始めました。

半年くらいかかったでしょうか、

娘の自覚症状は改善されました。

しかし、
娘がバスケを再びプレーしたいという〜
望みは叶いませんでした。


「もう少し様子をみよう。

もう少しトレーニングを続けよう」
と言われ、

娘も、
いずれは、

またAチームでプレーするという思いを抱きながら頑張り続けました。

しかし、
マネージャーが顧問に伝えてくれないのです。

直接、
顧問に訴えるのは
直訴にあたるという…

時代遅れの考え方で、許してもらえない。

私は、
親として直接、
顧問に訴えようと思いましたが、

それでカムバックしたときに、

娘の立場を辛くするだけだと考えました。

そこで、
高校の時の顧問の先生に実情を話し〜

大学の顧問に話していただくように頼みました。

高校の顧問先生は話してくれたようですが、

結局、状況は変わりませんでした。

娘はいつまでも
トレーニングを続けさせられ、

ボール練習もさせてもらえず、

結局、
休部扱いになり、

それでも
トレーニングを続けましたが、

長女はバスケを諦めました。

そして、長女は…

教員課程の単位を取っていましたので〜

教員実習に母校の中学にいき、

中学の子供達に慕われ、

娘も中学の体育の教員になって子供達にバスケを教えたい。

という新たな目標を持つようになりました。

そんな中、
長女は大学を卒業しました。

中学の教員になろうと思ったのが、

卒業前のことでしたので、

とりあえず、
講師を目指しましたが…

しかし、
長女は〜
本当は自分が何をしたいのか、

これから何をすべきなのかを、

初めて自分と向き合って真剣に考えたようです。

今までは、
自分がなろうと思ったものは、

自分の本当の
「心」ではなかったようです。

どうしても、
その性格から周りに気を使い、

それが自分の進む道だと思っていたのでしょう。

今、彼女は自分の
「心」に従い、

本当にやりたいものに向かって歩み始めています。

親からみれば、
「大丈夫かな?」
と思っていますが…

結局、
これは彼女が歩む、彼女の人生なのです。

私達夫婦は、
彼女の歩みを見守っていくだけです。

彼女がその人生で疲れたときには〜

暖かく彼女を癒すことのできる家族として、

長女を迎えてあげることが〜

私達父・母としての務めなのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今〜
長女は東京で生活しています。

とりあえず、
彼女の人生を歩んでいます。

折れることなく、
崩れることなく、

夢を探しながら歩んでいます。

変わらないのは、
『バスケが好き!』という想いです。

我が子達のバスケ人生は三者三様です。

家族はバスケという競技で繋がり歩んできました。

これからも…
しばらくは、それが続いていくと思います。
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