多目的ホールを埋めた市民200人の熱気と、前2列の国会議員席との温度差は歴然としていた。
4月26日、国会衆院第1議員会館であったエネルギー政策転換を目指す超党派勉強会の初会合。社民党政審会長の阿部知子の呼び掛けで集まった与野党議員30人のうち、脱原発を明言した議員はわずか。「ゼロから白紙で勉強する」(元自民党幹事長の加藤紘一)と中立にこだわる議員が際立った。
「フクシマ」の原発事故は世界中を震撼(しんかん)させ、ドイツ首相のメルケルが脱原発へ政策転換を図る方針を表明し、イタリアも原発再開議論の無期限凍結を決めた。
ところが「原発不信」震源地の日本の首相、菅直人は、5月1日の国会答弁でも「クリーンエネルギーにもっと重点を置く」と述べるだけで、原発にどう向き合うか、明確な方針は打ち出さない。野党からも「直ちに脱原発と結論を出すべきときではない」(公明党代表の山口那津男)と先送りの声が上がる。
■温床
原発は1973年の第1次石油ショックを機に建設が加速。74年には電気料金の一部を地域振興策に充てる電源開発促進税法などが制定され、立地自治体を道路やハコ物建設で懐柔する仕組みが整えられた。そこに政治家や業界の利権の温床も生まれた。
大小の原発事故や不祥事隠しが発覚しても、政官財の鉄の結束が国民の批判をはね返した。
世界は違う。旧ソ連チェルノブイリ原発事故、地球温暖化対策、世論…。原発大国の米国やフランスなどを除き、多くの国は脱原発か否かで大きく揺れ続けた。
一方、政権交代後も続く日本の原発推進政策は、成長著しい新エネルギー分野で日本の国際競争力を奪った。米シンクタンクによると、2010年の世界の発電容量は、風力や太陽光などの再生可能エネルギーが原子力を上回った。ところが、日本メーカーはかつてトップだった太陽光発電の世界シェアを落とし、風力発電でも欧米や後発の中国勢に水をあけられた。
■外圧
「二酸化炭素削減を果たすには原子力エネルギーに頼るしかない。安全基準を高めることは必要だが(日本を含めて)選択肢はない」。福島第1原発事故の先行きが読めない中で来日したフランス大統領サルコジは、3月31日の記者会見で日本が脱原発に向かわないようくぎを刺した。原発輸出国として、原発不信が世界に広がるのを恐れる。
外圧だけではない。経済財政担当相の与謝野馨は「電力を原子力に頼る状況は抜け出せない」とけん制する。危険性は伏せられ、国民的議論を避けながら、国策で膨らんできた原発。教育現場やマスコミを含め社会全体で推し進めてきた政策からの転換を政治はなおもためらっている。
4月24日。子ども連れなど市民約4500人が脱原発を訴え東京電力本店までデモ行進した。「『3・11』後、市民の誰もが原発問題の当事者になった」。参加した作家の雨宮処凛(かりん)は、市民の意識変化を強く感じた。
政治はどっちを向いて、将来を描くのか-。5月26、27日にフランスである主要国(G8)首脳会議。冒頭スピーチを託された菅が原発事故とこれからのエネルギー政策に言及する。 (敬称略)
=おわり
=2011/05/03付 西日本新聞朝刊=