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【芸能・社会】

長門裕之さん通夜 400人が参列 笹野高史、下ネタの春歌を捧げる

2011年5月24日 紙面から

長門裕之さんの遺影が飾られた祭壇=東京都港区の善福寺で(稲岡悟撮影)

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 21日に消化管出血のため77歳で亡くなった俳優長門裕之さんの通夜が23日、東京・元麻布の善福寺でしめやかに営まれた。雨の中、中井貴一(49)、笹野高史(62)、三田佳子(69)をはじめ、芸能関係者ら約400人が参列。愛嬌(あいきょう)ある長門さんに思いのたけを伝えようと、笹野が共演した映画「寝ずの番」(弟の津川雅彦が監督)で歌われた、下ネタ満載の春歌を披露するほほえましい一幕もあった。告別式は24日午前9時半から同所で行われる。

 最初に弔辞を読んだ中井は出演した「寝ずの番」の撮影を思い返し、「泣いて笑っての楽しい撮影でした。こんなに早く迎えが来るとは残念でなりません」と吐露。長門さんの妻で女優の南田洋子さん(故人)に触れ「再びおしどり夫婦として楽しい時間をお過ごしください。よき教えを胸に役者道に精進してまいります」と誓った。

 続いた笹野は長門さんへの初メールに富士山の写真を送信したが、エロチックな写真を期待していた長門さんが、不満そうな様子だったと明かし、その悔いを晴らすように、「不謹慎かもしれませんが」と断った上で、春歌「ちょんこ節」を8番まで朗々と歌い上げた。

 笹野によると、中井とは前日、弔辞の段取りを打ち合わせ、中井から「ぼくは正統派の二枚目ですから」と機先を制せられたので、笹野が春歌を担当することになったという。報道陣に笹野は「長門さんに喜んでもらえたと信じていますが、歌っているときは孤独だった」と話した。

 ひつぎには洋子さんの服や写真、映画や舞台の大入り袋、長門さんの日記帳、愛用の帽子などが入れられた。

 法名は「極芸院釋浄晃(ごくげいいんしゃくじょうこう)」。芸を極めて観客を明るく照らし、あの世へ旅立ったという意味が込められているという。

 ◆昭和9年会の仲間の俳優藤村俊二(76)の話 (一昨年亡くなった妻の南田)洋子ちゃんのところへ早く行きたかった、自分で望んで行った気がします。(笹野の弔辞は)うれしがっていると思いますよ。自分らしい通夜をやってくれている、ってね。

 ◆タレント萩本欽一(70)の話 「おれも礼服を持ってるぞ」と最後のジョークを言いに来た。手を合わせ、もうちょっと待ってね、遊びに行くからと、友人の気分でひとこと言ってきました。遺影を見ていたら「オレにジョークでも言ってから帰れ」と思って。すてきな俳優さんがいなくなりましたね。

 ◆俳優水谷豊(58)の話 長門さんは人をとりこにする不思議な魔力があって、共演すると、また芝居をしたくなる人でした。そして、会うといつも褒めてくれた。「豊ちゃん、王道来たね〜」とおっしゃってくれたことを覚えています。

◆西田「玄太は泣いている」

 長門裕之さんと日本テレビの人気ドラマシリーズ「池中玄太80キロ」で共演した俳優西田敏行(63)が23日、仕事先で長門さんのふ報について「“玄太”は大声で泣いていると思います。役者西田敏行としては現実を受けとめきれずにいます」とつらい胸の内を吐露した。

 ふ報は、津川雅彦からのメールで知らされたという。西田は「『兄貴が逝った』という短い文章でしたが、かえって悲しみを感じた。『池中玄太−』でご一緒させてもらった時はアドリブ合戦だった…」と思い出をかみ締めていた。

 「池中玄太−」は、1980年から3シリーズとスペシャル版が放送された。西田はカメラマンの主人公・玄太を、長門さんは上司の通信社写真部長を演じた。

 

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