- 佐渡の偶然
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2010.08.11 Wednesday
2010年8月7日 佐渡航路
毎年恒例の高校の同級生5人との級友旅行で佐渡に行った。
埼玉から新潟までは車で4時間半、さらに佐渡航路での船旅
が2時間半。合計7時間。この時間的な‘遠さ’もさる事なが
ら、海の向こうの佐渡は、未知への興味がひとしお強く、
恰も外国にでも行くような、これまでの旅行とはちょっと
異質な予感がどこかに有った。
事実、その予感は、少しばかり形を変えはしたが、やはり
どこか異質な展開を見せる事になったのである。
予算的な関係で埼玉からの車は新潟の港に置いて、佐渡に
渡ってからはレンタカーを借りた。
「ひとみちゃんにしよう」。いつもの事ながらレンタカー
のナビゲーターの‘女声'には、我々の独自の愛称を付ける。
「ひとみ」はあの佐渡でかの国に拉致された「曽我ひとみ
さん」に因んだのである。佐渡に因む「女声」として「曽我
ひとみ」さん以外に浮かんでこなかったからである。
我々は時折、「ひとみちゃん、そうじゃないだろう」等と逆ら
って、自分達の感性でドライブルートを決めることもあった
が、「ひとみちゃん」はそれでも辛抱強く、けなげに我々を
目的地に導いてくれた。
金粉ソフトクリーム
事件が起きたのは二日目の事である。
これは一体何の因果であろうか、「ひとみ」となずけたレン
タカーのカーナビが、何とも劇的な場所に連れて行ったの
である。
この日も、車のナビ「ひとみちゃん」に案内されて、ある
老舗の酒蔵に行った。この酒蔵では酒以外にも酒を使った
ゼリーやお菓子も売っていた。
「このお菓子、おいしいですよ如何ですか?」店の若い女性が
そう勧めてきた。
「美味そうだけど、でもちょっとカロリー高そうだな。どの
くらいカロリー有るのかな?」
「カロリーですか? あー、ラベルには書いてませんね。
すみませんちょっと分かりません」。
そんな、やり取りをして、結局はそのお菓子は買わなかった
のだが、どうも、その若い店の女性が何処かで会った事が有
る顔だった。
しばし、考える。え??、ん??。あの娘?まさか・・。
それはあまりに出来すぎだろう。
2010年7月8日 佐渡小木港 たらい船
そばにいた級友のW君にに聞いてみる。
「あの娘、ブリンダに似てない?」
W君の反応は薄い。
そうだよな、気のせいだよな、第一ブリンダは、確かホテル
で働いているはずだもんな。そう思い直して、外に出ると、
その娘は団体のバスに手を振って向かって別れを告げていた。
やはり、ブリンダに似ている。
今度は、S君に聞いてみた。
「あの娘、ブリンダに似ていない?」
「あー、そう言えば似てるな。」
よし、聞いてみよう。 彼女が店に戻るところを待って聞い
てみた。
「あなた、失礼ですが、もしかしたら曽我ひとみさんの娘さ
んではありませんか?」
「えー、はい、そうです。」
やはり、そうだった。 彼女こそがかの国に拉致されて、
帰国した曽我ひとみさんと夫のジェンキンス氏の二女の曽我
ブリンダさん、その人だったのである。
2010年 佐和田海岸
マスコミも拉致帰国家族のプライベートな生活に配慮してか、
とりわけ子女のその後についてはあまり触れる事はない。
それゆえに、その後の彼らの、とりわけ日本を知らない子女
達の日本への適応がうまく行っているのかどうか、気になる
所では有った。
ブリンダさんは、当初の報道では佐渡のホテルに勤めている
と聞いていた。今の職場が、ホテルと掛け持ちなのかどうか、
或いはホテルは辞めたのかどうか、それは分からないが、
少なくとも、日本語に関してはとても流暢だだった。私との
会話では、外国人が話す日本語の癖は全くなく、ネイティブ
そのものの日本語であった。そして、団体客のバスを腰を深
く曲げてお辞儀をして手を振って送り出す仕草は、全く日本人
のそれで、日本への適応が相当に進んでいる事が窺われて、
なんだかホットしたのだが・・。
佐渡金山 露天掘り跡
ブリンダさんに写真を一緒に撮ってもいいか尋ねたら、
「いいですよ」と応えてはくれた。今、手元にはその時撮った
数枚のブリンダさんの写真が有る。しかし、このブログに
その写真を載せる事は控えておこうと思う。
写真に写っているブリンダさんは、少しうつむき加減で、
はにかんだ様子である。それはあたかも「店の宣伝はしたいが、
プライベートの事はあまり知られたくない」。という心情が
有り有りと見えるからである。
ブリンダさんの事についてもう一度考える。
本人は果たして本当に日本に来たかったのであろうか?
母と祖母は拉致されて北朝鮮に行った。突然とこれまでの過去
を消された。ブリンダさん本人も、多感な少女期に突然とこれ
までの過去を消されて日本に来た。「母さんは、拉致の苦しみ
を私に体験させたいの?」。そう、思っているのかもしれない。
人はそれぞれに、何かの運命に翻弄されてはいるのだろう。
しかし、突然に過去を消し去られる悲しみは私には理解できる
術がない。せめて、ブリンダさんが、良い人と巡り合って、
暖かい家庭を築き「母さん、やはり日本に来て良かった」と言え
る日が来る事を・・・・。
とき園の看板
せんべいをキャッチするかもめ
「カーナビの名前は、このブログに書く為に後から付けた話
ではないか?」。
佐渡での一通りの話を会社の同僚にするとそう言った。
もし、私が同僚の立場であったら、多分私も何処かに彼と同様
に疑いの眼を向けるに違いない。しかし、それは、今回の話が
それだけ不思議な偶然だった事を逆に証明してくれたようでも
あり、こやってブログの話題として取り上げるきっかけと
なった。 おわり。
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