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【放送芸能】

ニッポン放送 「大震災」で安否情報 10万人超の無事伝えた

2011年5月20日 朝刊

 学校、丸の内のオフィスビル、理髪店…。地震などの災害時、それらの拠点から、安否や周囲の状況などを知らせてもらう独自の情報ネットワークをニッポン放送は築いている。約三十年前から始め、今回の東日本大震災が初めての“本番”。十万人以上の無事を伝えることができた。アナログな手法の強みがあらためて見直されている。 (早川由紀美)

 同社がネットワーク構築に乗り出したきっかけは、一九七八年の宮城県沖地震だった。仙台市内でガスや電気、水道などが止まり、初の都市型地震災害とされる。

 「仙台は当時人口が六十四万人くらい。東京だったら、さらに大きな混乱が起きる。当時いた先輩が、ラジオはそういう時に活躍しなければいけないと、安否情報を伝える仕組みづくりを考え始めた」

 同社編成部で長く災害放送に携わった中村信郎さん(71)=日本災害情報学会事務局主管=は振り返る。

 同社は有楽町にあり、周辺にオフィスビルが多数あることに着目した。近所の強みで、電話が通じなくても同社に来てもらえば、情報を受け取ることができる。災害時、ビルごとにけが人がいないかなどの連絡をもらう「お勤め先安否情報システム」を一九八〇年四月に開始した。この年の防災の日(9月1日)に「これが災害特別報道だ」と題した特番を放送。安否情報についても模擬放送を実施した。

 反響として寄せられたはがきの中に「お父さんの安否も知りたいけど、子どもの安否も知りたい」との声があったため、八一年には小・中・高校ごとに安否情報を伝えるシステムも誕生した。公立は別のシステムがあるため、私学が対象となっている。

 その後、理髪店やタクシーから、災害発生時に周辺で被害があるかどうかの情報を寄せてもらうネットワークも構築した。「一九八九年の米ロマ・プリータ地震では、サンフランシスコ市内の何軒かの住宅火災が繰り返し放映されることで、市全体が壊滅したかのような印象を与え、批判された。安心報道を原則とするラジオでは『点』の被害だけでなく、被害がない地域も含め『面』で情報を押さえる必要があると考えた」(中村さん)

 それぞれのシステムについて、定期的に訓練や説明会を続けてきたが、実際に活用されたのは今回の震災が初めて。学校については三百七十七校中百五十校から「問題ない」との連絡があり、ラジオやホームページで十万人以上の児童生徒の無事を伝えることができた。

 東京音大付属高校の亀井健教諭は「当日は、一台の災害優先電話以外の固定電話や、携帯、メールも通じにくかった。うちはたまたま休みで生徒は少なかったが、生徒を帰宅させられない学校もあった。最低限大丈夫と伝えられる手段があることは、学校としては安心」と評価する。

 一方で、オフィスビルやタクシーなどから寄せられた情報は、今回はわずかだった。村山創太郎社長は「ネットワークは先輩が築いてくれた財産。ラジオらしい安否情報を研究していかないといけない」と話している。

 文化放送はクリーニング店、TBSラジオはタクシーと、それぞれ災害時の情報ネットワークをつくっている。

 

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