「日本同情」中国メディアに党が大慌て(下)
月刊FACTA 5月23日(月)13時45分配信
※上からの続き
東日本大震災の報道は、このタブーを初めて打ち破った。日本の被災地に入った市場系メディアの記者たちは、政府系メディアとは違う視点のニュースを続々と送り、中国での震災関連報道をリードした。結果として、政府系メディアの論調も市場系メディアのそれに引っぱられる格好になったのである。
中宣部はこれに慌てた。市場系メディアの報道の大半が日本の被災者に深く「同情」し、混乱の中でも秩序を失わない日本人に「敬意」を表するものだったからだ。さらに、日本に記者を派遣しなかった各地の地方紙も市場系メディアの現地報道を続々と転載。その結果、政府系メディアの影響力低下がますます顕著になってしまった。
市場系メディアの記者は、政府系メディアの記者のような「政治的に正しい記事」を書く教育は受けていない。日本に対する無知による誤報も少なくなかったが、総じて言えば、日本に関して客観的かつ公正な報道がかつてないほど大量に行われた。と同時に、インターネット上では政府系メディアの報道姿勢に批判の声が噴出した。世界の関心が日本の震災に集中しているというのに、政府系メディアの新聞第1面トップは相変わらず両会だったからだ。
メディアの日本同情が民衆の政権批判に転化すれば、共産党政権にとってはとんだトバッチリだ。中宣部は緊急の通知を出し、震災関連報道の比率を下げて両会の報道を優先するようメディアに改めて命じた。さらに、日本駐在を正式に許可されたメディア以外の記者は直ちに帰国するよう指示。報道の中で日本人が「冷静に」「秩序正しく」行動していることばかり強調しないことや、日本の建物の耐震性を四川大地震で倒壊した中国の建物と比較しないことなど、具体的な内容にも口を挟み始めた。
なかでも四川大地震との比較は敏感な問題だった。四川大地震では手抜き工事の小学校の校舎が倒壊して多数の子供たちが犠牲になったが、地元政府や建設業者の責任はうやむやにされ、民衆の怒りを買った。一方、東日本大震災では津波の被害を除けば倒壊した小学校はなく、被災者を支える避難所になっている。彼我の落差の大きさを記者たちが率直な驚きをもって伝えたため、中宣部は看過できなくなったのだ。
もちろん、市場系メディアの震災報道は好意的なものばかりではない。特に福島第一原発の危機に関しては、日本政府や東京電力の対応を厳しく批判する記事が相次いだ。しかし皮肉なことに、中宣部は原発事故関連のネガティブ報道も制限せざるを得なかった。両会で承認された第12次5カ年計画(11〜15年)で、中国政府が原子力発電の大々的な推進を決定したばかりだったからだ。
■「中国茉莉花革命」には逆風
ところが、ネガティブ情報を絞りこみ、自国の原発の安全性ばかり強調したため、もともと政府を信用しない一般市民の恐怖心をかえってあおった。3月17日には「ヨウ素の入った食塩が放射性物質の体内取り込みを防ぐ」というデマが流れ、食塩を買い占めようとする民衆が全国のスーパーに殺到した。
日本の震災に関して複数の市場系メディアが独自報道を展開したことは、中国の一般市民が日本社会の実像に目を向ける思わぬ転機になった。と同時に、報道機関としての政府系メディアの権威を一段と失墜させてしまった。中宣部は今後、市場系メディアによる独自の海外報道への締めつけを強化するはずだが、覆水盆に返らずである。
ただ中宣部の一人負けだったのかと言えば、必ずしもそうではない。日本の震災は、直前まで盛り上がっていた「中国茉莉花(ジャスミン)革命」への人々の関心をかき消してしまった。共産党政権にとっては棚からボタ餅である。とはいえ、今後のリビア情勢次第では「散歩」を装うデモの呼びかけが再燃する可能性もある。毎週日曜日、大都市の広場には今も大勢の警察官が配備され、厳戒体制が続いている。
(月刊『FACTA』2011年5月号、4月20日発行)
東日本大震災の報道は、このタブーを初めて打ち破った。日本の被災地に入った市場系メディアの記者たちは、政府系メディアとは違う視点のニュースを続々と送り、中国での震災関連報道をリードした。結果として、政府系メディアの論調も市場系メディアのそれに引っぱられる格好になったのである。
中宣部はこれに慌てた。市場系メディアの報道の大半が日本の被災者に深く「同情」し、混乱の中でも秩序を失わない日本人に「敬意」を表するものだったからだ。さらに、日本に記者を派遣しなかった各地の地方紙も市場系メディアの現地報道を続々と転載。その結果、政府系メディアの影響力低下がますます顕著になってしまった。
市場系メディアの記者は、政府系メディアの記者のような「政治的に正しい記事」を書く教育は受けていない。日本に対する無知による誤報も少なくなかったが、総じて言えば、日本に関して客観的かつ公正な報道がかつてないほど大量に行われた。と同時に、インターネット上では政府系メディアの報道姿勢に批判の声が噴出した。世界の関心が日本の震災に集中しているというのに、政府系メディアの新聞第1面トップは相変わらず両会だったからだ。
メディアの日本同情が民衆の政権批判に転化すれば、共産党政権にとってはとんだトバッチリだ。中宣部は緊急の通知を出し、震災関連報道の比率を下げて両会の報道を優先するようメディアに改めて命じた。さらに、日本駐在を正式に許可されたメディア以外の記者は直ちに帰国するよう指示。報道の中で日本人が「冷静に」「秩序正しく」行動していることばかり強調しないことや、日本の建物の耐震性を四川大地震で倒壊した中国の建物と比較しないことなど、具体的な内容にも口を挟み始めた。
なかでも四川大地震との比較は敏感な問題だった。四川大地震では手抜き工事の小学校の校舎が倒壊して多数の子供たちが犠牲になったが、地元政府や建設業者の責任はうやむやにされ、民衆の怒りを買った。一方、東日本大震災では津波の被害を除けば倒壊した小学校はなく、被災者を支える避難所になっている。彼我の落差の大きさを記者たちが率直な驚きをもって伝えたため、中宣部は看過できなくなったのだ。
もちろん、市場系メディアの震災報道は好意的なものばかりではない。特に福島第一原発の危機に関しては、日本政府や東京電力の対応を厳しく批判する記事が相次いだ。しかし皮肉なことに、中宣部は原発事故関連のネガティブ報道も制限せざるを得なかった。両会で承認された第12次5カ年計画(11〜15年)で、中国政府が原子力発電の大々的な推進を決定したばかりだったからだ。
■「中国茉莉花革命」には逆風
ところが、ネガティブ情報を絞りこみ、自国の原発の安全性ばかり強調したため、もともと政府を信用しない一般市民の恐怖心をかえってあおった。3月17日には「ヨウ素の入った食塩が放射性物質の体内取り込みを防ぐ」というデマが流れ、食塩を買い占めようとする民衆が全国のスーパーに殺到した。
日本の震災に関して複数の市場系メディアが独自報道を展開したことは、中国の一般市民が日本社会の実像に目を向ける思わぬ転機になった。と同時に、報道機関としての政府系メディアの権威を一段と失墜させてしまった。中宣部は今後、市場系メディアによる独自の海外報道への締めつけを強化するはずだが、覆水盆に返らずである。
ただ中宣部の一人負けだったのかと言えば、必ずしもそうではない。日本の震災は、直前まで盛り上がっていた「中国茉莉花(ジャスミン)革命」への人々の関心をかき消してしまった。共産党政権にとっては棚からボタ餅である。とはいえ、今後のリビア情勢次第では「散歩」を装うデモの呼びかけが再燃する可能性もある。毎週日曜日、大都市の広場には今も大勢の警察官が配備され、厳戒体制が続いている。
(月刊『FACTA』2011年5月号、4月20日発行)
最終更新:5月23日(月)13時45分
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