世界の高速増殖炉開発の現状
意外なことに現在の軽水炉よりも高速増殖炉の方が、開発の歴史の上では古く、1951年にアメリカの高速増殖炉実験炉、EBR-1が世界初の原子力発電に成功しています。
ところが、その後の高速増殖炉開発の歴史は事故の歴史であり、実用化は遅々として進まず、後から開発された軽水炉が主流となり、結局主要先進国はすべて増殖炉開発に見切りをつけて中止しました。
世界は高速増殖炉に見切りをつけた
アメリカ
- 世界に先駆けて増殖炉開発を進めてきたアメリカは、また世界に先駆けて開発を中止しました。
- 1946年、世界で初めて臨界を達成した「クレメンタイン」をはじめ、7基の実験炉をつくりました。(内発電は3基)
- しかし、莫大な研究開発費を投じても、商業炉として採算が採れる見込みがなく、なによりも核拡散を促進することへの危機感から、1994年、クリントン政権は高速増殖炉を含む核燃料サイクルの研究・開発の中止を決定し、すべての実験炉を閉鎖しました。
イギリス
- イギリスは、実験炉、原型炉を各1基開発しました。
- 1959年に臨界に達した実験炉DFRは、その後燃料破損事故やナトリウム漏れ火災事故を起こし、本来の増殖炉としてではなく、照射試験に利用された後廃止されました。
- ついで、1974年に臨界に達した原型炉PFRもナトリウム漏れ火災事故を繰り返した挙句、1987年には蒸気発生器細管の大破損事故を起こしました。
- 1本の細管破断が引き金となって、わずか20秒ほどの間に40本の細管を破裂させ、70本を変形・損傷させたこの大事故は、高速増殖炉の危険性を改めて思い知らせるものでしたが、その重大さに驚いた各国の推進派グループは、この事故を極秘とし、長い間隠しつづけていました。
- ちなみに、同じような構造の「もんじゅ」では、1本の破断の影響は近接の4本にしか影響しないとの想定になっています。
- こうした事態を受けてイギリス政府は1988年に、「すくなくとも30年から40年は高速増殖炉は必要ないため5年後に運転を中止する」ことを決定し、1994年にPFRを閉鎖しました。
- イギリスの原子力産業界は、あきらめきれずにEC=欧州共同体の共同研究に参加していますが、他のヨーロッパ諸国も脱原発の方向に進んでおり、その目論見の破綻は目に見えています。
フランス
- 世界で一番熱心に原子力開発を進めてきたフランスは、実験炉ラプソディー、原型炉フェニックスに続いて、世界で唯一、開発の第3段階である実証炉スーパーフェニックスを建設しました。
- しかし、その運転実績はいずれも事故の連続で惨憺たるものです。
- スーパーフェニックスは、85年の運転開始後、ナトリウム漏れ火災、ナトリウムへの空気混入等の事故を繰り返したため、92年に政府は運転再開の条件としてナトリウム火災対策の強化、安全性についての公聴会などの実施、担当大臣の報告を命じました。
- 担当大臣は、現在のところ高速増殖炉の必要性はなく、プルトニウムなどの焼却や技術研究のための実験炉とするとの報告書を提出しました。
- 1996年には、スーパーフェニックスの研究用施設としての能力を評価するための諮問委員会が、「高速炉の工業的発展は2050年より先に持ち越される」との結論をだし、事実上の高速増殖炉開発中止を宣言しました。
- 1997年、緑の党を含む連立政権が発足し、6月にはジョスパン首相がスーパーフェニックスの廃止を宣言、98年に閉鎖されました。
- フェニックスは研究用の炉としてかろうじて命脈を保っています。
ドイツ
- もっとも劇的な方向転換を、しかも市民の強力な反対運動によって成し遂げたのはドイツです。
- ドイツでは、実験炉KNK-Uが85年に臨界に達しましたが、これもまた事故を繰り返しながら結局照射試験炉として使われ、91年に閉鎖されました。
- ついで、カルカーに原型炉SNR-300を建設し、85年に完成しましたが、市民の激しい反対運動や研究者のさまざまな危険性の指摘などを受けて州政府が燃料装荷を許可せず、ついに1991年、連邦政府も開発中止を決定しました。
- 最終的にこの炉の息の根を止めたのは、万一炉芯の損傷で核爆発反応が起こった場合のエネルギーを過小評価しており、実際は炉が絶えられないという専門家の指摘でした。
- 膨大な費用をかけて建設されながら、ついに運転されることなく廃止されたSNRー300は、その後民間会社に引き取られ、核開発の負の遺産の標本として多くの見学者を集めているとのことです。
- カルカーの場合は、燃料装荷前に踏みとどまったために放射能汚染もなく、仮に将来解体するとしても最低限の費用で済みますが、「もんじゅ」は愚かにも傲慢にも先人の失敗に学ばず、運転開始後に事故を起こしたため、膨大な放射能を抱え込んでしまいました。
高速増殖炉の事故史
高速増殖炉の歴史は惨憺たる事故の歴史です。
しかも、50年に及ぶ開発の歴史にも関わらず、本質的に同じ種類の事故を各国で、また同じ炉で繰り返していることがわかります。
この技術的ネックの巨大さは結局経済性にも波及し、高速増殖炉が実用にならないことをはっきりと証明しています。
発生時期 |
炉 |
国 |
事故の種類 |
1955,11 |
EBR-1 |
米 |
炉心溶融 |
1955 |
EBR-1 |
米 |
出力異常 |
1960 |
BR-5 |
ソ連 |
燃料破損 |
1960,4 |
DFR |
英 |
燃料破損 |
1960,8 |
BR-5 |
旧ソ連 |
細管大破損 |
1962,12 |
フェルミ |
米 |
細管損傷Na水反応 |
1963,7 |
DFR |
英 |
蒸気発生器ナトリウム漏れ |
1966,10 |
フェルミ |
米 |
燃料溶融 |
1966,10 |
ラプソディ |
仏 |
ナトリウム漏れ火災 |
1966,7 |
DFR |
英 |
蒸気発生器ナトリウム漏れ |
1967,5 |
DFR |
英 |
ナトリウム漏れ火災 |
1973,5 |
BN-350 |
旧ソ連 |
細管損傷Na水反応 |
1973,9 |
BN-350 |
旧ソ連 |
細管損傷Na水反応 |
1974,9 |
PFR |
英 |
細管損傷Na水反応 |
1975,2 |
BN-350 |
旧ソ連 |
細管損傷Na水反応 |
1976,10 |
フェニックス |
仏 |
ナトリウム漏れ火災 |
1976,7 |
フェニックス |
仏 |
ナトリウム漏れ火災 |
1978,10 |
ラプソディ |
仏 |
原子炉容器壁からナトリウム漏れ |
1980,7 |
BN-600 |
旧ソ連 |
細管損傷Na水反応 |
1982,1 |
ラプソディ |
仏 |
原子炉容器壁からナトリウム漏れ |
1982,12 |
フェニックス |
仏 |
細管損傷Na水反応 |
1982,4 |
フェニックス |
仏 |
細管損傷Na水反応 |
1983,2 |
フェニックス |
仏 |
細管損傷Na水反応 |
1984,11 |
SNR-300 |
独 |
ナトリウム漏れ火災 |
1984,5 |
PFR |
英 |
ナトリウム漏れ火災 |
1984,7 |
PFR |
英 |
ナトリウム漏れ火災 |
1987,3 |
スーパーフェニックス |
仏 |
貯蔵槽からナトリウム漏れ |
1987,6 |
スーパーフェニックス |
仏 |
貯蔵槽からナトリウム漏れ |
1987,7 |
PFR |
英 |
細管大破損 |
1988,8 |
フェニックス |
仏 |
出力異常 |
1988,9 |
フェニックス |
仏 |
出力異常 |
1990,4 |
スーパーフェニックス |
仏 |
ナトリウム漏れ火災 |
1990,7 |
スーパーフェニックス |
仏 |
ナトリウムに空気混入 |
1990,9 |
フェニックス |
仏 |
出力異常 |
1991,6 |
PFR |
英 |
潤滑油混入 |
1993,10 |
BN-600 |
旧ソ連 |
ナトリウム純化系から漏れ・火災 |
1995,12 |
もんじゅ |
日 |
ナトリウム漏れ火災 |
1998,11 |
フェニックス |
仏 |
蒸気発生器ナトリウム漏れ |
|
|
|
|
前のページへ