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日本の政治を嘆息するカーティスに欠落している政治学
自民党が内閣不信任案を急ぐ問題について、マスコミが言わない理由を正しく解説する必要がある。それは、賠償スキームについての態度を明確にできず、債権者(金融機関)の責任を直截に認められない立場にあるからだ。党の中には、債権者や株主の責任を国(国民負担)より重く見る者も一部いるが、それは世間向けのポーズであって、党の基本姿勢は経団連や与謝野馨と同じである。だから、この問題で世論をリードすることはできないし、民主党が賠償法案を提出して審議を始めれば、自民党の方は立場を失って有効な反論ができない。自民党の本音は、賠償法案を先送りしてもらいたいのであり、この国会で正面から審議したくないのだ。同様に、エネルギー政策についても、菅政権ほどにも脱原発の方向に踏み込めず、本格的な政策論争になれば、自らの反動的体質が露わになってしまう。震災の復興計画についても事情は同じで、復興構想会議に乗らなかったのはいいものの、自民党としてまともな対案を用意していない。五百旗頭真の復興増税案で国会論戦になったとき、自民党は対案を示して反撃できないのであり、政策能力の欠如が国民の前に曝されてしまう。早く国会を閉じたい動機は、菅政権以上に自公の側にある。そのため、ベントの遅れだの、海水注入中断だの、官邸の初動ミスを保守マスコミに突っつかせ、それを政局にして騒動し、不信任案での逃亡を正当化しようと画策しているのである。


国会を早く閉じたいのは、菅政権も同じだ。本当なら、国会を閉じるだの延長するだのの話ではなく、議員は休日も夏休みも返上して通年で審議し、復興と原発について政策論争を詰めなければならないはずである。少なくとも、被災者が避難所暮らしを余儀なくされている間は、義務として、議員は国会に張り付いているのが当然ではないか。最後の一人が避難所から仮設に移ったのを見届けて、議員は夏休みを取ればいい。賠償法案を上げないまま国会を閉会して夏休みなど、福島の被災者が許すだろうか。マスコミは、都合のいいときだけ「政局より政策」と言いながら、この原発と震災の政治では、政局ばかりに報道をフォーカスさせ、西岡発言のような些末なネタで商売を続けている。NHKも同じだ。本当なら、原発の存廃をめぐって特集を組み、本格的な討論番組を打たければならない時のはずで、国民的議論を深める場を作る責任が公共放送にはあるだろう。要するに、与野党の間で政策軸の対立と緊張がないのである。国会を占める政治勢力の間で、エネルギー政策について対立がなく、原発の継続と断絶が争点にならないのだ。意見対立は党内の内側だけにあり、それも、「脱原発」は多分に世論向けのポーズで、だから4月の地方選でも争点にならず、政治的対立軸にならないのである。菅直人は「白紙」を官邸会見で言ったが、民主党の政調がその方向で作業を始めたという動きはない。

先週(5/20)の報ステで、ジェラルド・カーティスが出演し、被災地を廻った映像を紹介しながら、震災と日本の政治について話していた。その結論は、日本には政治のリーダーシップがないという一般論であり、日本の政治家は国民に甘えているという憤懣の表明だった。被災地(東北)の避難生活者の気高さと永田町(政治家)の政治家の矮小さのコントラストに対する当惑と嘆息である。平板な一般論だが、カーティスの正論は共有できるものだ。カーティスは言う。「希望を与えるのは政府の責任である」「日本の政府がもっと早く彼らが希望を持てるような対策を作る必要がある」。震災から2か月以上が経ったが、日本の政府は東北の被災者たちが希望を持てる構想を何も打ち出していない。政府の構想どころか、政治家の言葉も聞いたことがない。東北の被災者たちは、粘り強く、我慢強く、それを待っている。狭苦しい避難所の寝場所の中で、慎ましく、静座して、言挙げせず、じっと待っている。最近はカメラが入る機会が少なくなったが、東北の、特に石巻から三陸の避難所は本当に狭い。狭いところに人が押し込められている。中越でも、16年前の阪神でも、あれほど一人分のスペースが狭くはなかった。堪えている。忍耐している姿を見ながら、想像しながら、カーティスと同じで、絶句して何も言えない。絶句することが本当だと、私は諦念し、最近は記事は報道や世論と合わせて原発ばかりで埋めてきた。言葉は辺見庸に委ねて。

政治家と官僚は狡猾に、我慢強い東北の人々の心性につけ込んで、原発の福島だけを関心の前面に出し、原発政局をマスコミに騒がせ、津波の宮城と岩手は背後に隠して放置するのだ。そして、津波被害の人々の救済を、増税の政治にスリ替えるのである。もともと、政府のTPPの政策では、高齢化した地方の第1次産業は切り捨てるというのが方針だった。その小泉改革以来の方針が通奏低音で生きていて、「集約化」などという言葉に現われるのであり、要するに、早く都会に出て来て非正規労働をやれと言っているのだ。カーティスは、復興政策立案は文化人を集めて丸投げするのではなく、指導者である首相がトップダウンで自分の言葉で語るべきだと言っている。そのとおりだろう。ビジョンでなくても、コンセプトのメッセージは政治家が発信するべきで、それが指導者の責務である。そのコンセプトが被災地の人々を勇気づけ、絶望から救い、生きる希望を与えるのだ。日本の政治家はそれを全くやっていない。被災者の方を見るのではなく、官僚の顔色を怖々と窺い、「カネを使う甘い話はするな」という官僚の厳命に従っている。政治のリーダーシップが欠如しているというよりも、政治そのものが不在なのだ。政策は官僚(と米国)が仕切っていて、政治家は木偶人形に過ぎない。カーティスの嘆息と一般論は尤もだが、政治学者はワイドショーの軽薄評論家ではないのだから、日本の政治がどうしてここまで劣化したかを分析し説明しなくてはいけない。

日本の政治の40年前を知っているカーティスは、嘗ての日本の政治が現在と同じではなかった事実を知っているはずだ。政策過程に緊張と内省があり、官僚が放埒に牛耳るままではなく、マスコミ報道に微かながらジャーナリズムの精神が宿っていた時代があった。劣化と言うかぎり、劣化する前の現実があったはずだ。批判勢力として社共の存在があり、国政をよく監視していたから、官僚の中にも与党の中にも緊張感があったのである。国民の生活や権利に目配りせざるを得なかったのだ。全く仮定の話だが、いま衆院に昔の革新勢力が150議席でも持っていれば、宮城・岩手の復興政策は40兆円規模の国債で夢のある計画が出ていただろうし、原発賠償では東電の内部留保が丸裸にされ、銀行は金融庁の指導で債権放棄を義務づけられただろう。社共が150議席持つ日本というのは、政治に政策の対立軸がある社会であり、マスコミ報道にも自由な批判精神がある世界である。日本の戦後の民主主義というのは、そのようにして実質を担保されていたのであり、現在のような劣化と腐敗を防いでいたのだ。政治家に最低限の知性と矜持を持たせ、弱い立場の国民を救うのが政治だという前提と使命を与えていた。社共が政府に憲法の拘束をかけていた。小選挙区制の下で保守二大政党になった現在、二つの政党は基本政策が同じで、選挙公約にどのような題目を並べても、それは単なる毛鉤であって、実際の政策には何も変わりがないのである。原発についても、あの「政治改革」がなければ、54基も列島に並ぶ事態にはならなかっただろう。

丸山真男は『現代政治の思想と行動』の中で、日本の政治について、「大衆的規模における自主的人間の確立が、西欧社会と比べて相対的に『左』の集団の推進力を通じて進行する」のだと指摘している(P.513)。この古典的格言は、ブログで幾度も取り上げてきた命題だが、山口二郎の「政治改革」の呪縛が止揚されるまで、何度でも言い続けなければならないと私は思う。「相対的に『左』の集団の推進力」を失ったため、日本の政治は生命力を失い、ここまでの荒廃と堕落に瀕したのである。あの欺瞞的な「政治改革」によって。われわれが道を誤って原発推進へと迷い込んでしまったのは、政治過程をつぶさに検証すれば、「政治改革」の選択によるものである事実は明瞭だ。「政治改革」以前の日本には、原発推進と原発反対の二者が政策対立する構図があり、保守(自民)がそれを推進し、革新(社共)がそれに抵抗していた。社共勢力が潰されたため、国の政策に対立が消失したのである。与野党の基本政策が同じであり、政策に対立がないから、政治は政局ばかりになるのである。国会中継は下品なヤジで充満し、意味のない揚げ足取りやはぐらかしで終始するのだ。実のある政策討論にならない。当時、政治学者たちは、右(大嶽秀夫・佐々木毅)も左(山口二郎・後房雄)も、社共勢力を無責任野党だと罵り、存在意義を否定して抹殺することに躍起になっていた。しかし、こと原発政策に限っては、本当に国民生活に責任的だったのは果たしてどの政治勢力だったのか。答えを出す必要がある。彼ら「政治改革」のイデオロ-グは、政策対立をイデオロギー対立だと嘘をついたのだ。

国民を騙して小選挙区制へ誘導したのだ。チェルノブイリの事故で盛り上がっていた反原発の気運が、国内世論から一掃され霧消するに至った過程は、まさに「政治改革」とパラレルな進行であり、「政治改革」によってもたらされた結果だと断定できる。反原発を担いだ勢力が排除されたから、反原発の世論も消えたのだ。カーティスは、「政局ばかり、ヤジばかり」と今の日本の政治を批判するのだが、その現実がどのようにして発生し定着したのか、原因と経過を掘り下げて究明しようとしない。現在の日本におけるリーダーシップの欠如は、政治だけでなく、マスコミも、アカデミーも、経済界も同じであり、リーダーシップと言う前に、その前提となる責任感や使命感や正義感を持った人間がエリートの世界に生息していない。政党は、そうした要件や資質を候補者に求めていないのであり、求めている要件は、二世の血統とか、労組の推薦とか、官僚出身とか米国留学とかの肩書きである。民主党も自民党も、新顔で立てる候補者に差異はなく、どちらから出てもいいような松下政経塾上がりが選考され公認される。候補者は最初から決まっていて、有権者からすれば、政策や人格を選ぶ条件はシステムで自動的に排除されている。平安時代の貴族支配の社会に戻っている。民主主義が制度上あるように見えて、実質的にはそれはないのだ。日本の政治にカーティスが求めるようなリーダーシップを取り戻すためには、「政治改革」を否定し、「政治改革」以前の政治の原状に回帰する必要がある。政治の世界に政策対立の契機を再生させなくてはいけない。それは、具体的には、社共の政策勢力が拡大することで実現されるものである。

カーティスの嘆息は、ここまで中身を埋めて、初めて政治学として問題解決の提案になるのだ。日本政治についての導きの糸は、常に丸山真男によって与えられる。政治学者と呼べるのは、日本では丸山真男しかいない。



by thessalonike5 | 2011-05-23 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(1)
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Commented by カプリコン at 2011-05-23 22:23 x
 日本の政治家・知識人が正論を言わないで、外国の方が的を得た事を話すのってなんか悲しいです。週末は、沿岸へ瓦礫撤去や住宅の片付けなどのボランティアに行っていますが,状況は殆ど変わっていません。政府は,被災地の方へ希望をこれっぽっちも与えていません。
 三陸の海は、本当に蘇るのでしょうか。新聞やテレビの報道を見ても個人や企業、地域の奮闘の声ばかりで、政府が具体的に何をしてくれたのかという報道は殆どされていません。震災後の瓦礫も殆どそのままのところもあります。そして、仮設住宅なんて希望する方が入居できるのは、いつになるのでしょうか。
 このままの状況では、被災地からどんどん人がいなくなり、ますます過疎が進むのでしょう。だって、住む場所も仕事場も十分確保されてないのです、このままでは、絶対復興などできる筈がないです。もっと、国の具体的な支援が必要です。
 岩手県知事の定例記者会見出ているみたいなので、見てみます。
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