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> No.386[元記事へ]
ロム男さんへのお返事です。
> > ここら辺からもう少し論理に幅を持たせて頂けないでしょうか?
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> > では【なぜ日恭上人は、あるいは日蓮正宗は謗法したのか??】
> > その理由を貴殿の言葉で説明してくだされば幸いです。
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> 軍部の圧力に屈した。護法より、自己保身、一宗の保身を優先させた。
重要なことを書かれておられますね。「護法より・・」とございますが、貴殿の言う「護法」とは具体的に何を指しているのでしょうか?
> 牧口先生は神札を受ける事で
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> 「一宗が滅びるのことではない。一国が滅びることを、
> 嘆くのである。宗祖大聖人のお悲しみを、おそれるのである。いまこそ、“国家諌暁”
> の時ではないか。なにをおそれているのか知らん」
貴殿の御意見から察しますと、この文は全く正反対のことを牧口氏は仰せと拝察いたします。
護法の精神からゆきますと、牧口氏は当然「一国が滅びることではない。日蓮正宗が滅びることを嘆くのである」となるのではありませんか?
牧口氏に真の護法精神があったと思われますか?
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> と、仰せである。
> 宗門とは正反対ではないか!?
そうですね、正反対です。どうして正反対の立場を宗門はとったのでしょうか?
して国家諌暁を歌い上げ、牧口氏は結果的にどうなりましたか?
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> 結果、宗門は、神札を受け、神棚を祀り、信徒に伊勢神宮への遥拝を文書徹底した。
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> これは、謗法ではないのか?
謗法ですね。おっしゃる通りです。
なぜこのような方法を選んだのか? もう少し深くお考えになれませんか?
> 謗法を認めれば、平行線にならない。
> 詭弁と言うなら、謗法による焼死を「覚悟の御遷化」と美化することこそ、詭弁である!
まず謗法であったことは認めました。平行線になりません。
「覚悟の死」に関しては詭弁ではないと思います。160名ほどと聞いておりますが、この160名の僧侶は逃避できたのです。時間も十分にあったとの証言があります。
一方、日恭上人は「法衣をまとい正座して・・」とございます。遺書はありません。「覚悟の死」以外に何があるでしょう?
では失礼いたします。
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