ちなみに、日本政府(財務省)の為替介入は、銀行などに「政府短期証券」という債券を発行し、調達した円でドルを購入するというスタイルだ。購入したドルを現金のまま保有していても仕方がないため、日本政府は米国債を購入することになる。すなわち、日本政府の為替介入は、政府の借金を増やし(=政府短期証券発行)、アメリカ政府に貸し付ける(=米国債購入)というプロセスになるのだ。
大震災で復興のための「日本円」が必要な時に、何が哀しくて政府が借金を増やし、アメリカ政府に貸し付けなければならないのだろうか。日本政府が日銀に国債を引き受けさせるなりしてマネタリーベースを増やせば、復興の原資が確保できるのはもちろん、円の供給量が相対的に増えることで、円高も一服することになる。
さて、日銀の国債引き受けに反対する人々が言う「日銀が国債を引き受けると『歴史的に』インフレを制御できなくなる」について考えてみたい。1929年の世界大恐慌のあおりを受け、デフレ状態に落ち込んだ日本において、実際に高橋是清が日銀の国債引き受けという対策を打った。果たして、「インフレが制御できなくなる」状況になっただろうか。
高橋是清存命の時代、東京小売物価指数の上昇率は、ピークの1933年であっても6.5%に過ぎなかった。小売物価指数上昇率6.5%を「凄まじいインフレ」と評価するかどうかは、個人の価値観の問題だが、少なくとも「インフレが制御できなくなった」という言い回しは使えない。
制御不能のインフレは、軍事費が原因だった
ところで、金融政策と財政政策のパッケージという「普通のデフレ対策」により、昭和恐慌から脱した日本だが、その後の東京小売物価指数の上昇率は確かに高まっている。なぜだろうか。
実は、「普通のデフレ対策」により日本が恐慌状態を脱したことを確認した高橋是清は、政策目標を達したとして、政府支出の削減に乗り出したのである。政府支出削減とは総需要抑制策であるため、インフレ対策の一種だ。
「デフレの時には、デフレ対策を打つ」
「インフレの時には、インフレ対策を打つ」
高橋是清は、まさしく現代の政治家が忘れてしまった「当たり前のこと」を実施しようとしたわけであるが、削減される政府支出は軍事費がメインになっていた。すなわち、高橋是清は総需要抑制策として、拡大した軍事費を切り詰めることでインフレを沈静化させようとしたのである。
これに腹を立てた(これだけが理由ではないが)一部の軍人がクーデーターに走り、高橋是清は暗殺されることになる。すなわち、二・二六事件である。
二・二六事件以降、日本は軍事費の削減が不可能になり、1937年以降、日中戦争に邁進し、国内のインフレ率は高まっていく。今も昔も、戦争こそがインフレを暴走させる。日本国内で生産される武器弾薬は、次々に軍隊により消費されるが、その費用はもちろん政府支出により賄われる。政府支出にしても、GDPの需要項目の一部である。国内のリソースの多くが軍に割かれ、供給能力が高まりにくい環境の中において、需要が拡大する一方になるため、物価は上昇傾向に向かうのだ。
図2-2を見ると、日本の物価上昇は1941年以降に本格化している。もちろん、太平洋戦争勃発が原因だ。いずれにせよ、日中戦争以降のインフレ率上昇は軍事費の拡大が主原因であり、昭和恐慌時の日銀引き受けのためではない。日銀引き受けで『歴史的に』インフレが制御できなくなるわけではない。軍事費拡大による需給バランスの崩壊こそが、『歴史的に』インフレ率を高騰させたのだ。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
1996年の橋本政権も同様だが、震災復興のために財政支出が拡大すると、政府は「復興後に」緊縮財政に走ってしまう。結果、日本経済にデフレ深刻化という病をもたらすことになったわけだ。関東大震災、阪神・淡路大震災(95年)と、日本政府は2度も「間違い」を起こし、震災復興後にデフレ不況を到来させてしまった。
しかも、今回の東日本大震災に至っては、政府はなんと復興前の時点から「増税」というデフレ促進策を採ろうとしているのである。先にも書いたが、関東大震災後の日本政府は、震災被災者の生活を支援するために「減税」を実施した。
今回、日本政府が本当に復興目的で消費税をアップしてしまうと、被災者までもが負担を強いられることになる。さらに、前回も書いたように大震災後に増税を実施したようなおかしな政府は、人類の歴史に存在していない。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。それでは、歴史からも経験からも学ぼうとしない人は、果たして何と呼ばれるべきなのだろうか。