東日本大震災の罹災(りさい)証明書や支援金の申請に訪れる住民でごった返す宮城県石巻市役所。窓口業務の処理件数は通常の5~10倍に上る。復興対策室や復興の都市計画を担う基盤整備課も新設された。水没した庁舎1階に入る商業施設「エスタ」は9日に営業を再開した。
復旧・復興に向けてようやく歩み出した同市だが、今もまだ消息のつかめない親類や知人の安否情報を得ようと市役所にやってくる人の姿が絶えない。しかし、その市も住民の安否を把握できずにいる。市役所2階の片隅に置かれた、避難所ごとの「避難者名簿」が数少ない生存確認手段だ。書式もバラバラの手書きの分厚い紙の束。同級生を捜すため仙台市太白区から車で来た保護司、鈴木和夫さん(77)は「生きていることを信じて気長に全部見るしかない」とひたすら名簿を繰り続けた。
合併で広域になった人口約16万人の石巻市は、死者数も約3000人と市町村別で最も多い。震災直後のピーク時、市の把握できた約260カ所の避難所には、市民の約3人に1人にあたる5万人以上が避難した。避難者数は今では約7600人に減ったが、避難所を出た住民の行き先をすべては追えない。家族などから警察に届け出のあった行方不明者数は4月4日発表の2770人から更新されないままだ。大津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部では、世帯、小集落ごと流された住民がいるとみられ、誰が行方不明になっているかすら把握できていない。
住民の数と住所の把握は自治体運営の基礎だ。災害弔慰金や義援金の配布、税減免の手続き、仮設住宅の提供といった震災対応業務にとどまらず、徴税や有権者数の確定、地方交付税の算定など、あらゆる分野に影響する。しかし、1790人いた市職員(病院、学校を含む)のうち死者・行方不明者は48人。自らも自宅や家族を失った職員が市役所の床に寝泊まりしながら避難者の対応に追われ、被災者が被災者を支援する極限状態の中、住民の所在確認は後回しにせざるを得なかった。木村伸・防災対策課長は「町内会単位で確認してもらうのが一番早いが、津波で地域ごとなくなっているところもあり容易じゃない」と深刻さを口にする。
同市は05年の1市6町の合併以来約350人の職員削減を進めてきた。市の幹部からは「どこの自治体も合併と行革をやってきた。平時の業務量に合わせた人数で災害時に対応できるのか」との声も漏れる。国策の「平成の大合併」の結果、市役所業務は住民の所在確認すらできないパンク状態。だからこそ国・県からの迅速な支援が必要なのだが、あふれ返る課題に比べて行政を担うマンパワーが圧倒的に不足している。
「復旧のスピード感がない。国の職員に市の対策本部に入ってもらい、中央と直接やり取りしたほうが早く進むのではないか」。亀山紘(ひろし)市長は訴える。【横田愛】
毎日新聞 2011年5月23日 東京朝刊