僕は、最初の水素爆発以降、政府発表の信頼度は劇的に上がったと考えています |
問題提起
御用学者リストスレで批判の多い菊池誠。他の御用学者のように、明確な原発擁護・事故隠しの姿勢は見られないのに、なぜ批判されるのか。菊池誠は(少なくとも原発に関しては)結局のところ社会に対する影響が軽微なのでわざわざ取り上げることもないという意見もあるが(有害性も他の御用学者に比べ見えにくい)批判の書き込みが相当量あることは、彼の発信内容がなにがしかの問題をはらんでいるということではないだろうか。そこで、改めてここで問題を提起してみたい。
菊池の最大の問題は、政府擁護発言や、放射線被害を過小評価する傾向である。
パニックを抑えようとしているようだが、事故や放射線のリスクを過小評価している可能性につながる。これらの発言は“センセーショナリズム”への嫌悪から来るものらしい。菊池にとっては、センセーショナリズムはそれ自体が悪であり、社会に一切存在してはならないもののようだ。
Owner Comment きくち April 10, 2011 @11:10:25
一定の評価を得ていたはずのAERAがああなってしまったことに、大きなショックを受けています。
僕はAERAを許しません。
センセーショナリズムにいいことなんかないんですよ。
それは原発の問題以前からそうです。リスクの問題がこれまでいかにセンセーショナリズムによって歪められてきたか。
これは、AERAが表紙に「放射能がくる」というキャッチコピーを付けた号のことだと想定するが、実際に放射能はきた。東京にも、核実験時代で最大の放射能が降り注いだ1963年の3倍が降り注いだことは、3月25日時点で報道されていた。
もちろん、物事が実現しさえすれば、すべての報道のセンセーショナリズムが許されるわけではない。しかし、あの号のAERAは、当時の懐疑論者が政府や東電対応へ抱いていた疑問を、見事に取材できていた。SPEEDIの指摘も、これより前に見た記憶がない。
あれをただのセンセーショナリズムだと切り捨てているのは、政府や東電の事故対応に対して懐疑的意識をまったく持っていないためだろう。
広瀬隆に対する態度も同様だ。広瀬隆の原発が抱えるリスクに対する指摘は、結局のところ正しかったのに、その意義を認めようとしないのは、センセーショナリズムがどのような結果をもたらそうとも悪だという先入観があるためだ。(しかも、本当に広瀬隆の原発リスクへの恐れがセンセーショナルなのか、という考察もされていない)
また、センセーショナリズム批判は、政府擁護と結びついているため始末が悪い。政府や東電に対し批判意識を持っているならば、どれほどセンセーショナリズム批判があろうとも
「少ないものをどれほど減らしても多いものには影響しないわけで」といった記事は書けないだろう。
政府や東電批判の意識があれば、「高濃度汚染水の流出は言うまでもなくまずい。そして低濃度汚染水放出のやり方もまずい」という論調であってしかるべきだ。その文脈の中で「ただし低濃度汚染水の放出は、流出した放射能全体の濃度そのものを本質的に高めるわけではない」と注意するならば誰もが賛同し、かつ事実について改めて意識もできる良いエントリとなったことだろう。
何よりも問題なのは、放射線リスクについてまったく無知であるのに、それを軽視する発言をするところだ。
@kikumaco
茶葉からお茶にするときに、どんだけ出るのかなあ
http://twitter.com/#!/kikumaco/status/69027055160922112
この発言の前提には「放射能の流出は言われるほど大したことはない」という思い込みがあるだろう。中川恵一の「ホウレンソウは洗えば大丈夫」や「海の魚にはヨウ素は取り込まれない」という発言と同じだ。ホウレンソウの中に放射性物質が取り込まれないという先入観があるからこういう発言になる。放射性物質の振る舞いについて、まったく無知なくせに、無害な方へ無害な方へ考えて発信する。中川にせよ菊池にせよ、環境に出た放射性物質をどれだけ研究してきたというのか?
知らないことについて、しかもこのような重大なリスクを抱える問題について、軽々と発信をしていいのかという自問が彼にわかないのは、原子力を支援したいという本音が裏にあるからではないのか。御用学者リストを作るスレでは、311以前の菊池はライトな脱原発的発言があったというが、それなら今なぜ、原発推進派や放射能安全派をもっと批判しないのか。
たとえ福島の事故が起きなかったと仮定しても、中立的に考えて原発のコストはリスクに見合わない可能性が大きいと想定できる。少なくとも改めて国民的合意を得るためのアセスメントが必要な状況だ。それは原発擁護的先入観さえなければ自明なはずである。
低線量被曝については、安全もリスクも科学的・疫学的に証明されていない中で、安全を取るかリスク回避を取るか。菊池の立場は明らかにリスク回避的ではない。「いかに回避すべきか」ではなく「いかに回避せずに済ませるか」という立場からの発信である。
このような科学者は、本ウィキの趣旨からは批判すべき対象となる(
なぜ御用学者リストを作るのか参照)。
コメント
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- @kikumaco
菊池誠
@hirakawah 僕の感じは、一部の市民運動が予防原則をマジックワードとして濫用しているので、産業側も拒否反応があるってところなんですが
@kikumaco
菊池誠
@otamaobasan そうゆうことを言ってると、御用学者と言われるのですよ(^^
まさに、そういうことを言うのが御用学者なんだとおもう。まともな学者は、
「一部の市民運動が予防原則をマジックワードとして濫用している」なんて言わず、たんたんと
事実と論理とを示すだけだろ?
やっぱり菊池はどっかねじれてる。
-- (き・くまこ)
2011-05-20 23:52:16