学園都市
230万人の学生たちの脳を日々開発しているこの街。
その頂点とも言える七人の超能力者。
そして、その七人の超能力者の中で、つまりは学園都市の学生全員の中で、第二位を冠する人物。
姓は垣根
名は帝督
能力の名は、未元物質(ダークマター)
この世に存在しない物質を生み出し(或いは引き出し)、操作する能力。
「――なんだが、勘違いされやすいことに俺は未元物質を操作してはいるが、あくまで操作できるのは未元物質だけで、それによって生じる既存の物質、現象の変質自体を操作できるわけじゃねえ」
「ふう――ん?」
「つまりはよ、俺の能力自体は大したことはあるが、大したことねえんだよ」
「矛盾してるわよ、それ」
ドレス姿の小柄な少女が呆れたように言う。
「俺は能力を発現した時からレベル5だった。第三位のようにレベル1から這い上がったわけじゃねえし、第一位のように実験の繰り返しで能力に幅を利かせていったわけでもねえ。最初から何も俺は変わってねえ」
学園都市の、超能力者の順位というのは戦闘能力だけではない。
応用がどれだけ利くか、どれだけ有用か――に重点が置かれている。
「要するに、この世に存在しない物質を扱う俺の能力ってのは学園都市にとってもブラックボックスだらけなのさ。未元物質自体は人類にとっては全く未知の物質で、用途なんて掃いて捨てるほどあるだろうよ」
けどな、と帝督は一旦言葉を切った。
「同時にどう扱っていいのか分からねーんだ。俺の未元物質に常識は通じねえ――どこにでもある酸素や窒素が毒ガスに変わるかもしれねえし、固体に変わるかもしれねえ。そんなもんには学園都市も流石に迂闊に手を出すことが出来ない」
「だから、なのね。あなたが一応の自由を得ているのは」
「そういうこった。俺だって未元物質の性質全てを把握してるわけじゃない。もししてたら、今頃未元物質を出し続けるだけの機械にさせられてただろうよ」
嘆息。
有り得たかもしれない未来に心を馳せ、そして今という現実に安堵した。
「――で、だ」
「何かしら?」
「そろそろ交代といこうぜ、お嬢さんよ。次はお前のターンだ」
「心理定規(メジャーハート)、よ。未元物質」
「垣根帝督、だ。心理定規」
「・・・・・・そう。垣根帝督」
「おう」
「私が、あなたに対して言うことは一つしかないわ」
初対面の人間にここまで自分の能力について喋らせたのに一つだけとかナメてんのかこら、と帝督は思った。が、口にはしない。
「あなたに“スクール”に所属してもらいたいの」
「・・・・・・スクール?」
「勿論、学校に入学するなんてお気楽な解釈はしないでしょう? 未元物質」
「垣根帝督、だ」
正直に言わせてもらえば、と帝督は内心で暴露する。
(全くお前の言う通りだぜ、心理定規)
スクールと聞いたら大抵の人間は学校を思い浮かべるに決まってんだろ、という文句を口には出さない。
「その、何で俺なんだ?」
「あなたが第二位だからよ」
その物言いに些かカチンと来る。レベル5だから、という理由ならばともかく、第二位というのを強調されるのは帝督のプライドを少なからず傷つける。
「はっ、第一位にはフラれたのかよ?」
「勘違いしないで、私はそんなに尻軽じゃないの。そうね、なら言い方を変えましょうか、垣根帝督」
「あん?」
「私があなたを選んだのは、あなたが一方通行(アクセラレータ)ではなく、ましてや超電磁砲(レールガン)でもなく、未元物質だから――あなたが垣根帝督だからよ」
ずい、と帝督に顔を近づけ、真剣な表情で心理定規は言う。
「・・・・・・だから、何故俺だ?」
心理定規に気圧されながらも、帝督は言葉を何とか吐き出す。こういった経験はほとんどないのだ。
「一方通行じゃなく、超電磁砲でもなく、どうして俺なんだ?」
クス、と心理定規が笑う。そうしてゆっくりとした動作で彼女の右手が帝督の頬に添えられる。
まるで娼婦のような仕草に帝督の体がビクンと震えた。
「――第一に、金で動く人間は信用できないわ。つまりスキルアウトや低能力者、警備員。それに限らず下々の者たちね」
あなたなら金で動くことはないでしょう? と心理定規は確信している様子で帝督に言う。
「まあ、な」
金には実験の報酬やら何やらで全く困っていない。
「それに金だけ奪って逃亡、なんてことも考えられるけど、それ以上に金で動く人間は強者ばかりではないの」
それは帝督にも分からなくもない。
「第二に、名誉で動く人間は信用できないわ。レベル1から這い上がった超電磁砲、レベル6へと進化しようとする一方通行、他にも大勢の学生たち」
「おい、待て」
それは帝督も簡単には首を縦には振れない。
超電磁砲や一方通行が果たして本当に名誉の為に動いているかは分からないが、心理定規の発言をスルーは出来ない。
「でもあなたなら、名誉の為になんて動かないでしょう?」
「何をどうしたらそうなる?」
「だってあなた――第一位の座になんてこれっぽっちも興味ないでしょう?」
「・・・・・・」
言葉に詰まる。否定するのは簡単なことなのに、否定の言葉が喉から出ない。
「あなたの一方通行に対する距離単位は0、好きでも嫌いでもない、興味がない。いいえ、一方通行だけじゃない、あなたの他人に対する距離単位は須く0。今現在だってあなたは私に全く興味を持っていない」
「き、距離、単位?」
「私の能力は心理定規。対象の他人に対して置いている心理的距離を数値化する能力」
「そりゃ、随分と・・・・・・趣味の悪い能力だな」
また、心理定規は笑う。
「そんなこと言ってもあなたは私に嫌悪感を抱いてはいない。だって興味を持ってすらいないんだもの」
「そんな、ことは・・・・・・」
ない、と言い切れない。
心理定規の瞳は全てを見通しているかのように、帝督の瞳を覗いている。
「話を戻しましょう。金で動く人間は駄目、名誉で動く人間も駄目。なら、どんな人間なら良いか。その答えがあなたよ、垣根帝督」
訳が分からなくなる。
金は駄目、名誉も駄目。
だが帝督なら良い。
「俺、は・・・・・・」
金では動かない。名誉でも動かない。
では何でなら動くのか。
否、何でなら動くことができるのか。
垣根帝督という人間の原動力が何なのか、それは帝督自身にも分からない。
「答えは単純明快」
自然、喉がゴクリと唾を嚥下する。
目が心理定規から離せなくなる。
耳が彼女の声を逃さないよう研ぎ澄まされる。
「愛よ」
「――は?」
間抜けな声が出た。
「愛という感情で動く人間なら信用できる。何故なら愛は人を裏切らないから。金に釣られる人間よりも、名誉に眩んだ人間よりも、愛に生きる人間こそが信用できるのよ、垣根帝督」
だから、と心理定規は言葉を続ける。
「私があなたに愛を教えてあげるわ」
そうして、彼女は能力を発動した。
心理定規。測るだけではなく、その距離すら操る能力。真実を偽りで染める能力。
「ッ――!?」
ドクン、と帝督の心臓が跳ねた。
相変わらず目は心理定規から離せない。
五感の全てが心理定規から離れない。
「今のあなたと私の距離単位は5。そうね、例を上げるなら何度か話したことのあるクラスメートとか、その辺りかしら。尤も、あなたにとってはどうだか分からないけれど」
離せない、離れない、離したくない。
目の前の少女の姿を、初めて興味を持って目に焼き付ける。
「あらあら、そんな怖い目じゃ、まるで睨まれてるみたいだわ。じゃあ、次ね」
心理定規はもう一度二人の距離を測り直す。
今度はより近く。
「これで、10。好きなタレントとか、クラスの気になる子とか、そんな感じよ。あくまで私主観で、だけど」
そこまで聞いて、帝督が動く。
心理定規の華奢な肩を掴み、押し倒す。
が、そこまでだ。
ただ帝督は興味を持った対象である心理定規をじっくりと観察したかっただけ。
「随分、大胆なのね」
「・・・・・・まあな」
辛うじて帝督は喋ることを思い出した。
視覚と触覚だけではなく、聴覚があることを思い出し、心理定規の言葉に耳を傾ける。
「この調子じゃ、次はどうなってしまうのかしらね?」
「さあ、な」
それは帝督の方こそ聞きたかった。
こんな風に他人に興味を持ったことなど、なかったのだから。
「怖い怖い。それじゃあこれで――15。少し倦怠期の恋人、ってところね」
「っ・・・・・・!」
再び帝督の体が震える。
どうにかこみ上げる衝動を押さえ込む。
いくら心理的距離とやらを操作されようと帝督の心に常識という知識は残っている。
「うふふ、大丈夫よ、垣根帝督。だって私たちは――――相思相愛の恋人同士なんだもの」
――距離単位、20。
「遠慮しなくていいわ。あなたの愛を私に与えなさい。私の信頼に、応えてちょうだい――ああ、でもできれば」
――そして、血走った目の帝督に対し、心理定規はトドメとなる一言を発した。
「優しく、してちょうだい」
その日、帝督は初めて人の温もりを知った。
◇
「・・・・・・あー?」
しばらくして、帝督は微睡みから目覚めた。
何故か気怠い体に疑問符。体を起こし、首を鳴らして、欠伸を一つ。
ぼーっとした学園都市第二位の頭はそれだけで覚醒した。
したものの、
(・・・・・・何で俺は寝てたんだ?)
思い出せない。
(しかも何で半裸?)
思い出せない。
(隣のちょうど一人分ぐらいの布の盛り上がりはなんだ?)
思い出したくない。
しかし放置するわけにもいかない。
意を決して、帝督はその布を剥いだ。
「・・・・・・ん、な」
「――あら、おはよう。帝督」
上手く言葉が出てこない。だがありのままを描写するならば、そこには所謂生まれたままの姿の少女――心理定規が居た。
「え? いや、え・・・・・・?」
「ジャスト二時間、いい夢は見れたかしら?」
二時間。どうやらそれだけの時間、帝督は眠っていたらしい。
逆に今は起きていて、つまりこれは現実なわけで。
「お、おま、おまえ・・・・・・!?」
「心理定規よ、帝督」
いや、それは分かる。
分かってはいるが、果たして帝督の知る心理定規は自分のことをこんな気安く呼ぶような間柄だったろうか?
「め、心理定規、これは、その、どういうことだ?」
「うふふ、覚えていないのかしら。あんなに激しく交わったというのに」
記憶にない・・・・・・とは言えない。
うっすらとだが思い出した。
「今のあなたの私に対する距離単位は3。ここまでしておいて酷い人ね」
「い、いや、これはお前の能力のせいで」
「言い訳は男らしくないわよ。さあ、私と契約して暗部に落ちてよ」
「・・・・・・」
楽しそうに笑う心理定規とは逆に帝督は笑えない。
「・・・・・・・・・・・・おい」
「何かしら?」
「・・・・・・そのスクールとやらに入ったら、何をすりゃあいいんだ」
「当面はスポンサーの依頼を受けるのと、戦力の増強ね」
「依頼・・・・・・?」
「ええ、どす黒く真っ暗な汚れ仕事よ」
「汚れ仕事、ね」
全裸の心理定規から視線を外し、目を閉じる。
まるで脅かすように言う心理定規の言葉にも、帝督は何も感じない。興味を持てない。
「・・・・・・分かったよ。どうやら俺に選択肢はないらしい」
仕事とやらに興味は持てないが、心理定規には少なからずの興味を帝督は持ってしまった。たとえそれが偽りの感情でも、初めて得た感情をどうこうする術を帝督は持たない。
それに何より、知識として知っていた。
「責任は取らなくちゃならねえからな」
「紳士的なのね、嫌いじゃないわ。それに、あなたにだってメリットはあるのよ?」
「メリット?」
「言ったでしょう? 私があなたに愛を、感情を教えてあげるわ」
少女は見た目からは想像がつかないような大人の笑みを浮かべ、そう言った。
「垣根帝督、私に惚れていいわよ」