国際通貨基金(IMF)のストロスカーン前専務理事のキャリアが19日の起訴によって終わった。同氏は、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しく、次期大統領の有力候補といわれながら政治家としては素人とみなされていた。
先週末ニューヨークで性的暴行容疑によって逮捕される前から、同氏は何度も政治的な生死を乗り越えてきた。19日に専務理事を辞任したが、容疑は否認している。逮捕前には、来年のフランス大統領選のトップ候補とみられていた。
ストロスカーン氏は、チェスの名人だった。彼をよく知る人によると、チェスボードを見ずに遠くからでも対局ができるという。またエコノミストとしても優秀で原稿なしでスピーチをすることも多かった。
浮沈といえば、最近では、同氏は存在意義を失っていたIMFを活性化することに貢献したと評価される一方、部下へのセクハラの疑いで問題になっている。
ストロスカーン氏は、パリ郊外のヌイー・シュル・セーヌに、ジャーナリストの母と税アドバイザーの父の間に生まれた。早熟で、15歳のときには、死刑に関するスピーチで賞を受けた。最初の妻とは高校時代に出会い18歳で結婚した。
権威あるHEC経営大学院に入学したこともあって1968年の五月革命には関わらなかった。当時、彼は将来、財務相になるかノーベル賞を取ると公言していたという。財務相の座は実際に97年、社会党のジョスパン内閣で射止めた。
90年代初めは、ユーロの導入に尽力し国際的に知名度を上げた。エール・フランスやフランス・テレコムの部分民営化によって穏健な社会主義者という評価を受けた。
しかし、99年には汚職疑惑で辞職している。のちにこの嫌疑は晴らされた。
2002年には、熱心な党内政治の結果、首相への就任が確実視されていたが、社会党の大統領候補のジョスパン氏が再選されなかったため実現しなかった。
07年の大統領選では、平議員のセゴレーヌ・ロワイヤル氏に社会党の予備選で敗れた。ロワイヤル氏のように地方を回ることもなく、党本部周辺でしか運動しなかったため、無投票で選ばれることを好む、政治的には素人だという見方がさらに強まった。
そのイメージを嫌って、ストロスカーン氏は07年の選挙戦では「確かに大統領になろうと思って生まれたわけではない。しかしわたしは素人ではない」と記者団に言明したこともある。
07年9月、同氏はIMFの専務理事になった。この当時、IMFは目的を失い、世界的な好況の中で役割を模索していた。
同氏は、IMFの1945年の創立以来初めて大規模な人員削減を行い、赤字を回避するため、IMFが保有する金の一部売却を実現させた。その結果、IMFは、途上国だけでなく西欧でも重要なプレーヤーとみなされるまでに生まれ変わった。
あるIMF幹部は「彼の力で、IMFは単に存続できるようになっただけでなく中心的な役割を演じられるまでになった。こうした認識はIMFの隅々まで行き渡っている」と語った。
だが、そうした功績を上げる一方、不適切な行動が同氏とIMFを辱めた。就任から数カ月後、同氏は地位を利用して部下に性的な関係を迫ったとして糾弾された。その後の調査で、関係は合意に基づくものだったとされたが、IMF理事会は、同氏が重大な判断の過ちを犯したと結論付けた。同氏は謝罪し、専務理事としての高い期待に応えるよう努力すると述べた。
19日、同氏は、「IMFを守るため」として専務理事を辞任した。