デビュー②

そのうちね。
初めは流されたストリップデビューの話。

懲りずに再び言った。

ロック 東洋 現在私の所属事務所

どこがいいんだ?聞かれても
ストリップ=加藤茶 
の私には、区別もつかないしわからない。

そんな最中、
TSに出演予定のある事務所の先輩が
急に辞める事になって、出ることになった。
マネージャーとTSに行って、初めて見るストリップ

驚いた。

綺麗なお姐さんが、かろやかに踊る姿に
加藤茶のイメージが、音を立てて崩れた

素敵~♪
楽しいと話していた意味が、少しわかった気がした

その直後
セーラー服着た人が出てきて、なんだか過激な・・・


驚いた。


あれ?

直視出来ず途中で出てしまった。

一気に不安が募る。
あんなにかろやかに踊れないけど
過激なのも出来ない。・・困った。
自分から言った以上ひけない
もう逃げられない


1997年6月9日レッスン初日

気が重くなりながらレッスン場に向かった。
振付に入って「ほっ」
途中衣装屋さんが来て、好きなものを選ばせて貰える

順調に進むレッスン。
記憶力が良い方なのか、サクサク進んだ

レッスン二日目は、一瞬で終了。
先生と二人、野球中継見ながら雑談
終演後のステージレッスンまで一旦帰宅する事に

ステージレッスンの為、TSに向かうと
テケツ横の階段にいた方にサインを求められる
そのまま翌日の為に並んでいた
今では考えられないが、そんな時代だった。

ステージレッスンもあっという間に終了した。

取り立てて緊張もなく、時が過ぎ初日を迎える事になった。




pota443pota443  at 06:34  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

デビュー①

21920161


1997年6月11日 TSミュージックからデビュー

ストリップをやりたいと言ったのは、その1か月位前だった気がする。

友達と花やしきに行ったり、買い物にROXに行ったり
浅草ロック座界隈を、子供の頃からウロウロしていた私ですが
お決まりのように
加藤茶さんのあのイメージしかなかったストリップ。

当時の知人(ロック所属のAVさん)が、
楽しそうにストリップの話を話すのを聞いて
AVから逃げられるかも?そんなきっかけだった。

劇場デビューの半月前に、AVのデビュー作が発売になっていた
今では、デビューしてすぐ劇場に出る事が多くなったが
当時は、ある程度こなしてからストリップにデビューする流れだった。

公式プロフィールでは、初体験は14歳になっているが
実際は、高校に入ってからで
AVデビューする時点で、
お付き合いした男性3人の経験しかない私には
面接から苦痛の日々だったし、そんな私が必要とされる訳もない

風俗業界から流れてくる子が増えてきた時期で
とびぬけたルックスもなく、NG項目がてんこ盛り
清純より大人っぽい雰囲気なのに、下ネタ苦手 経験も少ない
お話にならない商品だったと思う。

面接で書き聞かれる
性感帯は?イク時ってどんな感じ?どんな体位が好き?
一人Hは週何回?どんな風にするの?延々と続く質問に
口ごもる日々。

見かねたマネージャーが回答を準備して
こう言われたらこう言う!と、練習させられたのを忘れない。
何日も続く面接まわり

メーカーに向かう途中、表参道のイルミネーションの渋滞に嵌って
あっ
今日は、クリスマスなんだ!と、すっかり忘れてた社長と私だった。


今と違い
前髪一つ切るにも、事務所に確認してからでないと怒られ
ガン黒メッシュ アムラーなんて言葉が流行っていた時代に
髪の毛染める事も肌を焼くことも許されなかったが
今となっては、お陰で 肌を痛めずには済んだと感謝かな?

事務所が借りてくれたマンションで、
四方八方近所にマネージャーが済んでいて、
22時過ぎて自宅に電気がついていないと
昨日なんでいなかったんだー!と、怒られた日々。
携帯にポケベル 両方持たされた
365日24時間連絡がつかない事はないと、言う理由だ。

不意打ちにポケベルが鳴る事があった
30分以内に事務所に連絡しないと、これまた怒られる

AV女優って、楽して稼げるものじゃないの?

何度思っただろう?

TV・雑誌・新聞 媒体と呼ばれるものは
Vの宣伝も兼ねてるので、
普通のアルバイトの日給と変わらないか
半分くらいの時もある

デビュー作の本編の撮影が数日 パッケージ撮りが1日

それから発売まで数か月掛かる。

あれ?
普通に働いてる時より生活きつくなってきたぞ?


そんな事も何度かあった。


今になれば、色んな所に行って
色んな人に出会った日々なので
もっと肩の力を抜いて出来ていたら、話せてたらよかったな
と、思うこともあるが、
その時があったから今があるのかもしれない
私がいつも 何に対しても思う事。


厳しかった事務所だけど、感謝している。

この事務所に入るまでに、いくつか事務所を移動した
デビュー作が決まったのに逃げた事もある
(絶対いけない事)
脱ぐ勇気を持てなかった。
怖くなって逃げ出した。

そんな私を拾って、契約を取ってきてくれた事務所
当時、大きな事務所だったから出来た事だと思う。

温泉のロケに行っても
一人だけ先に寝かされ

朝は叩き起こされて、温泉入るぞ!と、
会長と並んで入った

ご飯食べに来い~と、会長の家に呼ばれ

若かった私には、自由になりた!ほっといて欲しい!
家を出た意味がない!!など、色々思ったけれど

お父さんのような会長の暖かさを、今は感謝しています。












pota443pota443  at 05:31  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ!