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僕が所属していたチーム・ポルティと同じく、ジャン・ルイージ・スタンガ監督が率いるチーム・ミルラム。メインスポンサーのミルラムはドイツの乳製品メーカーだ。メンバーはわりとドイツ人とかオランダ人が増えたね。僕らのころのほうが国際的だった。スペイン、スイス、オランダ、オーストリア、ロシア、ウクライナ…。そして公用語はイタリア語なので、みんな辞書をもって歩いていた。

チームミルラムはジャンニ・ブーニョ(イタリア)のように活躍した選手がいた時期もあるし、フランス人のリュック・ルブランをエースに持ってきたりとか、いろいろな動きに監督が慣れている。だからペタッキを持ってきても、なんとでもなる。いろいろな動きがしやすいチームだよね。

今のチームミルラムは、ペタッキが来たことによってスプリンターのためのチームになっている。ワンディ、あるいはステージレースの区間優勝を狙うチームだ。チームミルラムの前身であるチームポルティは、ブーニョが絶対的なエースだった。しかしブーニョがダメなときにジャモリディネ・アブドジャパロフ(ロシア)がロンド・ファン・フラーンデレンやツールでポイント賞を3回獲得するなどして輝かしい成績を上げ、ある時期チームポルティの広告はアブドジャパロフになった。ブーニョの穴をうまく埋めた形だ。

このように、チームはいつも、スポンサーが逃げていかない、うまいやり方を考えているんだ。

チームポルティでは「このメンバーでフランスのチームになったら孤立する」「絶対に渡り合っていけない」とよく言われた。そう、国によってチームのメンタリティが違うからだ。

イタリア人はわりと「みんなで盛り上がっていこうよ」、という感じがある。ただ単に陽気という訳ではなく、イタリア人もいろんな側面を持っている。ただ、基本的には「みんなで明るく頑張っていこう」という感じがあるのだ。

これに比べてフランスのチームは少し斜に構えるところがあるような気がする。選手がそれぞれ自分自身の考え方を持っていて、ラテンだけれど単純に陽気さを表さない。だから、より思慮深くないとうまくいかない。

当時のドイツは真面目一徹、という感じだった。Tモバイルのレース運びを見ていても、もうちょっとうまく回せばいいじゃないか、という思いはある。スペインのチームにもスペインらしさがあり、そのなかでもバスクは特別なものが感じられる。

ベルギー、オランダはすごく寒くて、天気がどんどん変わる。そのせいで気むずかしそうなイメージがある。実際にそういう選手もいるけど、そんななかでやっているからこそ、逆に陽気な選手がいたりとか、そういうギャップも面白い。
日本ではどんなスポーツでも企業お抱えが多くて、実業団という特殊な状況で行われていることが多い。実業団の自転車チームは、会社の組織の一部、例えば総務部の管轄のように見られることが多い。

でも、本来のプロチームの場合は、チームを運営する会社がちゃんとある。チーム名が変わっても、そこのカンムリが替わったから名前が変わるだけなんだ。まず、チームを運営する会社ありき、そこを理解してほしい。

チーム・ポルティ時代に僕がいたのは、イル・ガビアーノという会社。スタンガが実質的には社長のようなもの、あれはスタンガ株式会社みたいなものだった。そこが、シャトーダックス、ゲータレード、ポルティ、その後コルパックやドミナバカンツェなど、ちょっと低迷して今はチームミルラムというチームになっている。将来もチーム名は変わっていくのだろう。
その中で使っているスタッフ、チームには選手と同じくらいの数のスタッフがいるのだけれど、それらはみんな、多少の入れ替わりがあるにしても割と古いままだったりする。昔からのマッサージャーがずうっとチーフでいたりとか。

チームのスタッフの構成を説明しておこう。一番トップはもちろんジェネラルマネージャーで、その下にディレクターが3人いる。彼らはいろいろなレースで監督を務めるのが主な仕事だ。ディレクターと同じくらいの地位で、ドクターが3人。メインになる人間が1人と、普段はどこかの病院に勤めていて、いろんなレースで随行してくれる人がいる。その下がマッサージャー、そしてメカニックとなる。選手は1チーム18〜25名くらいだ。

ドクターは大事だ。選手たちの生理的な、または運動生理学的な見地から、ビタミンとか、ミネラル、鉄分とかをどういうタイミングで摂ったらいいかを指導するのはとっても重要な役割なんだ。

ピーキングという点でいえば、選手は、春先なら3ヶ月くらい、シーズン中は1ヶ月半くらいでピークをつくる。そのリズムをドクターはつかんでいなければならないので、乳酸値を測定したり、出力を求めたり、いろんなテストをして選手の状態を見なければならない。

選手の成績はそのまま来年のチームのスポンサーのあり方に影響するし、お金が増額されないといい選手を呼んでこれない。そういう悪循環に陥らないためにも、ドクターの役割は大きいんだ。

ウルリッヒが東ドイツで走っていた頃、ビタミン関係の摂取量は一般イタリア人と比較して5倍くらいだったそうだ。僕らも当時たくさん摂っていて大丈夫だったから、ビタミンに関する害というものはないと想像できる。僕は大学の頃から、映画『ロッキー』を見てからは、シマノレーシングで国内を中心に走っていた頃まで、ずっと生卵を毎日6個食べていたよ。ただし、それはスピードを付けたり、超回復を促すためには役立つけど、ロード選手としては筋肉がやたらに付くのも良くないので、摂取量のコントロールが必要になるんだ。選手としての成長期と成熟期によっても適正な量があるし、脚質によっても変わるので様々な条件を考慮して、自分のものにしていくしかないな。
プロツールを走るようなチームは、基本的にジロとかツールを「確実に」目指さなきゃいけない。だから、最低でもどのくらいのラインで走るように、と、絶対にそれを中心とした布陣にはする。あとは、スポンサーのある国のレースを勝てるようにする。そして、チームは2つの体制を持っている場合が多い。クラシックに強い選手を持っていて、春先にどーんと行けるチームが1つ。中盤勝負の、ジロとかツールを走る組がもう1つだ。
そういう2チームを編成して、トレーニングの内容も変えていく。Aチームのほうがシーズン全体を通してみたら成績はショボいけど、春先には仕上がっている状態をつくっている。Bのほうは特定のレースを走る。もちろん、コンディション等で入れ替えもある。

ツールなどのレースに出ると、たとえ総合優勝を狙うことができないチームであっても、区間優勝は獲りにいかなければならない。平坦であれ山であれ、狙わないことには出場している意味がない。レースも半ばが過ぎて、総合でのタイム差が開いてからであったら、そういう動きができるはず。だから、中堅以上の選手は、後半になっても体力を残しているんだ。

例えばポルティにいたウクライナのウチャコフは、ツールもジロも区間を獲ったことのある実力者。レースの前半は余力を残して終えて、後半勝負という狙いで走っている。だからそういう選手は、前半のステージのレース終盤に、ボトル運びなどをやらなくていい。そこではチームの役に立たなくていいんだ。

もちろん、ある程度は動く。エースを守る動きはするけど、圏外に出たときはグルペットでゆっくり走ればいい。それは監督から指示されていることだ。
チームは、ヨーロッパの隅々にまでレースに行く。それは、スポンサーの要望によることが多い。サエコ(エスプレッソマシンなど)やポルティ(掃除機など)のように、家電製品メーカーがメインスポンサーの場合、スポンサーは製品をヨーロッパ中に売りたいはず。そういう場合はヨーロッパ中から選手をとるし、選手が所属している国を走るということになる。たとえば、オーストリアを走るレースなんて滅多にないけど、スポンサーがそこに製品を売りたければ、走ることになる。つまり、スポンサーによって走るレースは違ってくる。スポンサーによって、チームにとっての大事なレースが変わってくるのも当たり前だ。
選手の給料は、毎年の契約のときに決まる。日本のプロ野球と同じような感じだ。ただ違うのは、プロ野球の場合はメディアにガンガン出て、これくらい活躍すればこのくらいの金額、というのが予想されている。

それに比べると、ヨーロッパの自転車プロ選手は1000人くらいがメジャーなレースで走っていて、ほとんどの選手はUCIが規定する最低限の年俸だ。金額は日本の同年代のサラリーマンの年収くらい。何千万円ももらっている選手はわりと少なくて、その中で、ツールとかジロに勝つような選手になると、数億から10億円以上もらっている選手ももちろんいる。

たとえばかつてのチームメイト、マウロ・ジャネッティがワールドカップ3勝した翌年、彼の年俸は10倍になった。それ以前は中堅のアシストとして年収500万円くらいだったのが、そこから飛躍して、一挙に10倍だ。そして、いまやサウニエル・ドゥバルのジェネラルマネージャーを務めている。
つまり、ほとんどの選手が最低の年俸で走っている。なんでそういう状態でも走るかというと、この競技が好きだからというのが一番の理由だろう。回りの人たちは喜んでくれているし、心の支えがあって、プロ意識も高い。
自分のチームはファミリーのようなものだ。ホテル暮らしは多いし、家族同様の存在になるんだ。でも、その中でも『自分で生きているんだ』という意志がないと続かない。いつ放り出されるか分からないからね。だからみんな気にしているんだ、「役に立っているかどうか」ってことを。

うちのチームに、ツール・ド・フランスのTTで4位以内に入っているくらいのオランダ人選手がいた。平坦はそれこそオートバイのようにエースを引っ張るし、落車があっても彼がそばにいてくれたら大丈夫、というくらいに信頼されていた。そこそこ上りもこなした。それくらい絶対的な信頼のある選手でも、チームカーのなかでボソリと『俺ってチームの役に立っているかなあ。スタンガはどういう風に思っているんだろう』なんて言うくらいだった。みんな不安感がありながら、でもプロ意識を持って走っている。

だから、チームのお荷物になっているようじゃダメだ。アマチュアのうちから、どんなことがあってもリタイアしない、どんなことがあってもくじけない精神力を持たないと。プロ選手というのは特別な存在である、と理解してほしい。なりたい選手はいっぱいいるんだ。あの中では、日本の頂点に立ってから向こうに行っても、一介のアシストにも足らないという状態になってしまいかねない。あそこで生きていけるというのは、別府史之選手のような特別な存在だけだ。
プロとして走っていく上で、絶対苦手なところは潰すし、秀でているところは伸ばしていく。そういうことは徹底する。そんななかで、僕は上りが得意だと自分では思っていたのだけど…。

向こうへいって、ギヤを踏んでいるつもりが「そのギヤじゃ軽い」と言われて、ダンシングを多用するように変わった。ダンシングを多用しないと絶対についていけなかった。

例えば、ジャパンカップのあの上りは、アマチュアでそこそこ走れる人でもキツいと思う。でも、あれが丘に思えるくらいじゃないといけない。あのくらいならスプリンターが行っちゃうんだ。

また、休みの日でも2時間は走るというのが基本的にはある。レース当日だって、例えばTTは30分とか1時間で終わることが多いけど、その前に3時間は走る。とにかく走りながら体調を整えるのが普通だ。時間を乗っていく、というのが苦じゃない選手でないと、プロにはなれない。
また、選手として成長していくには経験が必要だ。あるカテゴリーを走らないと、そのカテゴリーの走りを覚えない。アマチュアのレースは、ドーンとスタートして、がむしゃらに150kmくらい走ってそれで終わるけど、150kmプラス1時間、2時間というレースは、別の世界なんだ。

だから、理想を言えば21、22歳でプロになって、大事に育ててもらうのが一番いい。自分で鍛えなくちゃいけない日本と違って、向こうではレースに出ることによって鍛えられるので、精神力で持たせている人は、もし適応したら海外で伸びるはずだ。実業団チームのダイハツ・ボンシャンス飯田なんかの動きはいいよ、オススメするね。
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