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【芸能・社会】

長門裕之さん死去 77歳 最愛の妻・南田さん亡くして1年半

2011年5月22日 紙面から

2009年10月、最愛の妻だった南田洋子さんの葬儀を終え、妻への思いを語る長門裕之さん=東京都港区の増上寺で

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 ベテラン俳優の長門裕之(ながと・ひろゆき、本名・加藤晃夫=かとう・あきお)さんが21日午後5時20分ごろ、東京都内の病院で死去した。77歳だった。死因などの詳細は不明。長門さんは数多くの映画やドラマに出演し、存在感のある演技派として活躍した。妻で女優だった故南田洋子さんとのおしどり夫婦ぶりでも知られた。葬儀の予定などは未定。

 長門さんは、京都市出身。妻は女優だった故南田洋子さん、実弟は俳優の津川雅彦(71)、父は戦前の映画スターとして知られる沢村国太郎、祖父は「日本映画の父」と呼ばれる映画監督のマキノ省三という芸能一家に生まれた。

 1940年、6歳のとき映画「続清水港」でデビュー。56年に南田さんと共演した「太陽の季節」で主役の青年を好演、人気を集めた。同映画での共演がきっかけで2人は交際、結婚したという。

 その後、今村昌平監督の「にあんちゃん」や「豚と軍艦」などに主演、悲哀とユーモアを感じさせる演技派として活躍。「にあんちゃん」ではブルーリボン主演男優賞を受賞するなど演技力に高い評価を得た。

 その後も映画「日本侠客伝」シリーズ、「赤ちょうちん」、テレビドラマ「池中玄太80キロ」「おていちゃん」など数々の作品に出演、名脇役として重要な役どころをこなした。

 また、「水戸黄門」「鬼平犯科帳」、大河ドラマ「篤姫」などの時代劇でも、滑稽さや重厚さなど多彩な味わいのある役どころを巧みに演じ分けた。

 2009年に亡くなった南田さんとは、おしどり夫婦として知られ、音楽番組「ミュージックフェア」の司会を2人で65年から約16年間務めた。南田さんが認知症であることを2008年にテレビ番組で公表、介護の様子が放送され話題になった。 

 その一方で、1985年に過去の女性関係をつづった「洋子へ」を出版して話題を呼ぶなど破天荒な一面もあった。

 ◆映画監督の大林宣彦さん(73)の話 長門裕之さんには次の映画に出てもらおうと思っていた。急なことで驚いている。芸の道に尽くした俳優。戦中の「無法松の一生」の子役から日活の全盛時代、映画の低迷期、そして現在まで日本映画の栄枯盛衰に全部付き合った人。妻の南田洋子さんを亡くした後、「これで私は芝居が変わります。見ていてください」と話していた。その姿が見たかった。

◆「好敵手だった」実弟・津川雅彦しみじみ

 午後11時ごろ、津川が長門さんの自宅マンション前で会見に応じた。「急だったんでビックリしている。昨年、心臓の大手術をして弱ってたんでしょう。外見は元気でも、中身はガタがきてたんでしょうね…」と声を落とした。

 この日病院で昼すぎに意識がなくなり、危篤の連絡が来たのは午後3時すぎだった。自身は臨終には間に合わなかったという。

 最後に会ったのは3日前。長門さんは役者として復帰するためのリハビリで病院に入っており、「次の映画にも出てもらうよ」というと「よし」と、復帰に意欲を燃やしていたという。

 「昨日まで元気だったのに…心臓だけじゃなくてダメージあったんでしょうね」。死因については「肺炎がきっかけで、動脈硬化もあって…合併症でしょう」と話した。

 「とても安らかな、いい顔をしていた。今ごろ(亡くなった妻の南田洋子さんに)会っているでしょうね」としみじみ。

 一方で、「厳しいアニキだった。ある意味好敵手で、とにかく目指して、目指して…兄弟仲は今が一番良かったんじゃないかな。70歳を過ぎてグダグダ生きるより、華々しく死ぬ方がいいと思っているので、アニキはすてきに死んでくれたな」とも語った。

 ただ、遺体には話し掛けていないと言う。「今はまだ語る言葉はなくて…死んだと思うのも嫌で、踏ん切りがつかないんです」と目を潤ませた。

 

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