『伝説のプロレスラー、マッチョ死す』−。 複数の米メディアによると、現地時間20日早朝、サベージさんはフロリダ州のハイウエーを愛車「Jeep ラングラー」で走行中に心臓発作を起こし、中央分離帯を飛びだして反対車線道路脇の木に激突。病院に救急搬送されたが、全身打撲などして死亡した。
事故処理に当たった地元警察によると、「車は100キロ近いスピードが出ており、心臓発作でコントロールを失ったようだ」と話している。同乗していた妻、リンさんは軽傷だった。
サベージさんは日本でもおなじみのハルク・ホーガン(57)とのタッグで人気となり、シングルでも1988年、WWF王者に君臨。その後、ホーガンと“仲間割れ”して敵対関係となり、また“復縁”するなど紆余曲折のストーリーがウケ、トップレスラーとなった。94年にはライバル団体のWCWに契約金600万ドル(当時のレート約7億5000万円)で電撃移籍している。
日本には90年にWWF、全日本プロレス、新日本プロレスの3団体合同で開催された「日米レスリングサミット」(東京ドーム)で初来日。ここで対戦した天龍源一郎との試合が好勝負となり、その後、両者は日本のマットで対戦を繰り返し、一時はタッグも結成した。
サベージさんは経歴もユニークだった。米マット界デビューは73年だが、その時点でも、米大リーグのマイナーリーグで捕手としてプレー。シーズンオフの“バイト”でリングに上がっていた。
所属はカージナルスなど3球団で、カ軍では日本のプロ野球、ロッテ、ヤクルトなどで活躍したレオン・リーさん(58)とチームメートだった。その後、右肩を故障し、野球を引退するまで二足のわらじは続いていた。
また、女性が憧れる男性の肉体美を形容する言葉として、いまは普通に使われている「マッチョ」も、実はサベージさんが草分けで、ニックネームがそのまま日本に根付いたとされている。
近年、プロレスはセミリタイア状態で、タレントやラップミュージシャンとして活動。2002年公開の映画「スパイダーマン」では“Bon Saw McGraw”として出演。スパイダーマン役の俳優、トビー・マグワイア(35)と劇中でプロレスも演じた。
サベージさんの突然の死に、かつての盟友、ホーガンは自身のツイッターで「彼の死に衝撃を受けています。彼は不屈の人でした。彼がいなくなり、私はとても寂しい」とつぶやいた。
(紙面から)