2011年3月26日 20時53分 更新:3月27日 1時20分
「放射線量はそれほどでもないのに、自主避難と言われても……」。福島第1原発から20~30キロ圏内の住民に自主避難が勧告されて一夜明けた26日、福島県南相馬市では依然、約1万人が圏内で日常生活を続けている。深刻な物資不足が続く中、残った人たちの政府への不信感は深まる一方だ。【平野光芳、阿部周一、平川昌範】
「若くはないし、あきらめの気持ち。いざという時に避難できるよう、とにかくガソリンがほしい」。市内で縫製業を営む男性(57)は午前4時過ぎ、近所のガソリンスタンドに向かった。しかし50台ほどが列を作っていて、給油できたのは同9時半。「普段は給油するのは月1、2回。皆、避難に備えてガソリンを蓄えているのか」と、ため息をついた。
原発の建屋で爆発があった後、1週間ほどは福島市内の避難所や親類宅に身を寄せた。しかし居心地が悪く、放射線量も比較的低かったことから19日に帰宅した。「国や東京電力は、20~30キロ圏内の住民に本当に補償をしてくれるのだろうか」
「政府の対応がちぐはぐだ」と憤るのは、市役所近くで営業するスーパー「サイヤ」の西野茂樹社長(53)。自主避難が勧告された25日は「商品をたくさん並べて、残っている人たちを安心させたい」と、営業を再開した。26日も午後2時まで店を開いた。閉店時刻を迎えても、レジには野菜や総菜を買い求める客が消えない。ガソリン不足で仕入れには不安が残るが、これからも「立ち退けと言われるまで、営業を続けて、住民を励ます」と意気込んだ。
市内のアルバイト、三島博光さん(68)は「地元が好きだから逃げたくない。ガソリンがないから自転車で移動するしかない。実情を知らない政府の言うことは信じられない」と話した。地元ラジオ局の放送で放射線量をチェックする毎日だ。
政府方針に右往左往するのは地元の行政も同じだ。南相馬市は24日、自主避難の説明会を開催していた。市内9会場に約1600人が集まったが、希望者は166人。自主避難の勧告のニュースが流れたのは、希望者がバス5台に分乗して群馬県草津町に向かったのとほぼ同時刻だった。
市の広報担当者は「国の方針転換をもっと早く知っていたら、避難を希望する住民は増えたかもしれない。しかし、26日になっても市民から避難の問い合わせはほとんどなく、緊急避難を希望している人が多いとは思えない」。市には政府から事前に連絡もなかったという。職員は災害対応で忙しくてテレビを見るひますらない。「本当に必要な情報が入ってこないんです」と嘆いた。