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川から津波が 海見えぬ山あいの集落まで爪痕 宮城

津波は津谷川を逆流し内陸部の新明戸地区の集落をのみ込んだ=3月11日午後3時55分ごろ(気仙沼市本吉総合支所提供)

南三陸町を襲った大津波は、遠く離れた内陸部にも大きな被害をもたらした=4月中旬、南三陸町志津川小森

「向こうの山の辺りに白波が見えた」と指さす阿部さん。自宅には床上1メートルまで津波が押し寄せた=4月中旬、女川町女川浜新田)

 東日本大震災の大津波は、海が見えない場所にある山あいの集落をものみ込み、多くの命を奪った。海岸線から離れているにもかかわらず、濁流が来襲した地区を見ると、ある共通項が浮かび上がる。津波は、河川をすさまじい勢いでさかのぼっていた―。

◎内陸4キロ油断突く 気仙沼・本吉

 気仙沼市本吉町津谷で家電販売店を営む狩野昭夫さん(76)と妻カツ子さん(69)は、赤牛漁港近くの親類宅で地震に遭遇した。

<声失う光景>
 「津波が来る。避難しないと」。2人は車でJR本吉駅近くの自宅に向かった。親類宅から約3キロ西にあり、海からは距離があるので安全だと考えたという。
 家に戻って倒れた物などを片付け始めたとき。「ゴー」という地鳴りのような音がした。カツ子さんが外の様子を確認しようと玄関を開けると、水が押し寄せてきた。
 ひざまで達した水に、流されそうになったカツ子さん。昭夫さんが服を引っ張って助けた。2階に逃げ込んだ2人は、周囲の光景に声を失う。
 どろどろとした黒い水が辺り一帯を覆い、近所の十数戸はなくなっていた。自宅1階が水没するのを見てカツ子さんは「次はうちが流される」と観念したという。家は持ちこたえたが、水が引くまでの約30分間は生きた心地がしなかった。

<警戒心薄く>
 狩野さん宅がある津谷新明戸地区から海は全く見えない。小高い山も点在し、景観は内陸部のようだ。住民の津波への警戒心は薄かった。
 油断を突くように、津波はとてつもない破壊力を保ちながら、津谷川をさかのぼってきた。気仙沼市本吉総合支所によると、新明戸地区周辺で7人が死亡、1人が行方不明となっている。
 津波は津谷川の支流の馬籠川にも入り込んだ。平行する国道346号をのみ込みながら山間部を進み、最終的に河口から4キロ以上さかのぼったとみられる。

<国道に濁流>
 気仙沼市の会社員山内大輔さん(30)は国道346号を車で走行中、馬籠川を伝ってきた濁流にさらわれた。国道を押し寄せてくる水とがれきが目に入り、急停止したがなすすべがなかった。
 山内さんは割れた窓ガラスから車外に脱出し、九死に一生を得た。付近ではワゴン車が流され、5人が亡くなっている。
 山あいにまで爪痕を残した大津波。地元の人たちは口をそろえる。「こんな内陸まで津波が来るなんて考えもしなかった」
(末永智弘)


◎危険区域外町覆う 宮城・南三陸

 「地震後は自宅にいて、のんびり構えていた。津波がここまで来るとは、夢にも思わなかった」
 宮城県南三陸町志津川秋目川の首藤寛さん(76)は、未曽有の出来事に驚きを隠さない。
 自宅は志津川湾から直線距離で約3キロも内陸にあるが、床下浸水し、畑も水をかぶった。津波は八幡川などを通じて上流へと駆け上がり、水しぶきやほこりを舞い上げながら、辺りの鉄道の線路や建物を破壊した。
 「なんぼ大津波でも、ここまで来たら、志津川の町は全滅だ」と首藤さん。
 首藤さんの自宅から500メートルほど下流域にある小森集落も、甚大な被害を受けた。約15戸の大半が流失。十数人が亡くなった。家の中にいて犠牲になった人が少なくないという。
 無事だった高橋良子さん(32)は、3月11日の信じ難い光景が脳裏に焼き付いている。
 地震から約50分後の午後3時35分ごろ。自宅近くの高台(高さ約10メートル)に避難した。濁流は八幡川に収まりきらず、町全体を覆う。大きな漁船や8トンの保冷車、家の屋根が次々と流されてきて、自宅は1階が浸水した。
 集落は1960年のチリ地震津波では被害を受けなかった。浸水危険区域には入っておらず、津波に対する訓練はほとんどなかったという。
 高橋さんは「ここまで津波は来ないだろう、という油断があった。今後は大きな地震が起きたら、高い所へすぐに逃げるよう、周囲にも徹底したい」と自戒している。(大泉大介、水野良将)

◎想定縛った「チリ」 宮城・女川

 海が見えない場所にある宮城県女川町女川浜の清水地区。1960年のチリ地震津波では浸水を免れたが、大震災の津波は容赦なく襲い多くの犠牲が出た。生き残った住民は口々に「想定外だった」と言う。
 「地域の住民が想定していたのは60年のチリ地震津波の規模。逃げ遅れて亡くなった人が多い」。清水地区最北の清水3区の青砥祐信区長(69)が語る。
 清水3区には117世帯、340人が暮らしていた。青砥区長によると、約20人の死亡が確認され、41世帯の行方が分かっていない。青砥区長は「ここより海に近い1、2区はもっとひどいだろう」と話す。
 清水地区は、石投山(456メートル)の麓から蛇行して女川湾に注ぐ女川に沿って南北に伸びる山あいの集落。女川湾からは500メートル〜2キロ離れ、海抜は5〜10メートルだ。
 津波は谷間に沿って川と道路をさかのぼり、湾から約2.1キロ離れた林の中にまで達した。
 地区で最も湾から離れた女川浜新田の漁師阿部学さん(76)宅も水に浸った。阿部さんは「家の前から普段は見えない白波が見えた。波がかなりの高さだったのでは。津波が来ると思ったが、まさかここまで到達するとは思わなかった」と振り返る。
 清水2区の女川浜日蕨、石田義幸さん(58)は、義父(90)から昭和三陸津波(1933年)で清水地区が津波で壊滅状態になったと聞かされたことがあったが実感は持てなかったという。
 石田さんは「住民は直近で経験したチリ地震津波のことばかり頭にあった。港の近くから『ここなら大丈夫』と清水地区に避難してきて被害に遭った人もいた」と語る。
(勅使河原奨治)


◎速さ陸地以上、早く避難を 東北大・真野教授

 津波が川をさかのぼって流域に大きな被害を与えるメカニズムを、東北大災害制御研究センターの真野明教授(応用水理学)に聞いた。
   ◇
 川は河口で海とつながっているので、津波が入り込みやすい地形だ。陸地で最も低い場所を流れている地形的要因も大きい。
 建物や樹木が存在する陸地よりも、川の水面や堤防の内側は平らで摩擦抵抗が小さく、津波のエネルギーが衰えない。その結果、遠くまで津波がさかのぼる。
 都道府県が管理する2級河川は、国管理の1級河川と比べ堤防が強くなく、大きな津波が浸入するとあふれたり決壊したりしやすい。両側を斜面に囲まれている沢では、あふれた水の行き場がなく、高台まで到達する可能性がある。
 川を逆流する津波は、陸地を進む津波よりも速い。海の方ばかり警戒していて、上流からあふれた水に背後から襲われることもあるので注意が必要だ。
 津波のとき、川の近くはとても危険なので、一刻も早く川から離れ高台に避難してほしい。


2011年05月07日土曜日


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