関西行動保守の結節点
- author: kotakotaokota
- 2011年05月21日
5月28日に関西の在特会が今里から鶴橋にかけて、「無年金の在日と生活保護」に関連して街宣を打つととのことです。そして、告知文は下記の文言で終わっています。
引用
「生活保護を貰えなければ食べていけない、首を吊るしかない」という朝鮮人に「どうぞ、勝手に死んでくれ」と言える日本人が今、必要なのです。
その覚悟を問う街宣です。終わり
先日京都で行われた講演会にて、桜井誠会長は、「歴史の流れが変化するときは、混乱期→動乱期→崩壊期(殺戮期)という過程を否応なしに辿ることになります」と述べた後、この独特な歴史観に基き、「泣いて許しを請う敵を一刀両断しなければならない時期が必ずやってくる」と踏み込んだ後、最近多用する「覚悟」を「日常覚悟」と結語して聴衆に何事かを覚悟するよう伝えた模様です。
筆者はこのような歴史観の側に立ち得ませんし、例え如何なる矛盾が私達の住む社会に内包されているとしても、そしてその矛盾が鋭い政治的対峙を生み出したとしても、この、「崩壊期=殺戮期」というような一種の内戦状態が現在の日本においても「必然」であるなどとは正に理解の埒外であり、目的意識的な殺人を煽るかのような発言には怒りを覚えると同時に、歴史研究家を自称するのなら、新左翼崩壊の歴史に学べと強く指摘しておきます。
また、この氏特有の歴史観に基いて在特会会員に講演するのなら、前提として学術論文の一つも書き、批判を受けて反論なり反批判する過程を踏んでいくという「学者」として当然の責任についてはどう考えているのでしょうか。身内に御自分の歴史観を講演するのは自由ですが、それが単なる個人的見解ではその歴史観に基いて行動する会員に発生する結果について如何に責任を果たしていくおつもりなのか。
そして、上の5月28日の街宣に向けた告知文を読んだとき、筆者は早くも京都講演会の影響が出たものだと判断いたしました。氏は同時に、日本の民主主義の変質を指摘して衆愚政治と堕した現状を「専制」政治によって解決すると主張され、入管特例法を廃止する事を目的とする市民団体のリーダーと言うより、革命家を気取りだしたように思います。
筆者は、「専制政治」なるものを一概に避けるものではありませんし、国家存亡の危機を迎えた際には、危機回避のために取り得る極めて合目的的な統治形態だとも一面的には考えております。しかし、氏が専門にしておられる所謂在日問題を主要な対立点として「混乱期→動乱期→崩壊期」という政治過程を踏んだ専制政治などおぞましいだけで、主要な敵として認識しなければならない「シナの海洋覇権主義」とは、現実的にとても対峙できる代物ではないでしょう。
そしてこの、如何なる必然なのかが不明なままの3つの政治過程に備えた覚悟を求め、求められた方も「覚悟を問う」という「市民運動の枠」からはずれた活動(街宣)を提起している訳ですから、例えて言えば「ヒトラーと突撃隊」を見るようで、行動保守運動の将来について心から憂いを持たざるを得ません。
また、この街宣の告知は当初、「チョンコ」「ジジイ・ババア」が多用されており、おそらくK氏、A氏が主導しているものと思われますが、やはり内部的に批判が多かったのでしょうか、現在は「在日」あるいは「おじいさま・おばあさま」等と、反意的に敬語を使用しています。
桜井講演からこの街宣告知の流れを見ていますと、この街宣は、言うまでもなく一種の「挑発」的な性格を持つものであり、「覚悟を問う」とはその挑発的性格に見合う事態になっても構わない、むしろそれを望んでいるものと考えておりますので、参加を考えておられる皆さんには一度踏みとどまって考えてみて貰いたいと心から思います。
関西の行動保守運動がどう変化していくのか、あるいは教条主義化やカルト化の道筋を歩んでいくのか、今までの経緯(良いものも最低のものもありましたが)を知る筆者にとって、5月28日は何等かの結節点になるような気がしてなりません。
- kotakotaokota at 07:35
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この記事へのコメント
では、徳島で見せた、貴方の「覚悟」を今里なり鶴橋で見せてくれるのですね?
5月28日に、我々に抗議にやってくる貴方の勇姿を楽しみにしております。
今里のライフ前で、「在特会はヒトラー突撃隊と変らんぞ、目を覚ませ、今一度、踏みとどまって良く考えろ」と警笛を打たれてはどうですか?
なんでしたら、我々の街宣に参加されて弁士をされて、主張されても良いですよ。