最強女子高生・神村エリカインタビュー【後編】
最強女子高生・神村エリカインタビュー【後編】
ムエタイ世界二冠女王にして、RENAからダウンを奪った“最強女子高生”神村エリカのロングインタビュー。
後編となる今回は、神村がいかにして世界のベルトを2本持つまでになったのか。18歳の“最強女王”の濃密なキックボクサー人生を振り返ってもらった。
このインタビューを読めば、神村エリカの意識の高さがわかるはず。6月4日(土)『RESE 78』新宿FACE大会では、初のメインイベントで、世界六冠王の強豪シルビア・ラノッテ戦も決定。RENAとのライバル関係も含め、神村エリカの輝きを見逃すな!(聞き手/堀江ガンツ)
――今回は神村選手の経歴をあらためて伺いたいんですけど、キックボクシングを始めたきっかけはなんだったんですか?
神村 もともと空手を小学生の頃からやっていて、最初は和道流っていう防具を付けて寸止めで顔面アリっていうのをやってたんですよ。でも、引っ越しを機に道場を変わって、入門するとき「すぐ飛び級できる。黒帯になれるよ」って言われてたんで、頑張ってたんですよ。
――流派が違うとはいえ経験者だから、すぐに飛び級できる、と。
神村 それで、しばらくして進級試験を受けたんですけど、組み手で相手をボコボコにしちゃったんですね。
――いきなり相手をボコボコですか(笑)。
神村 自分としてはとにかく「勝ったら進級できる」と思ってたんで、完全に倒すまでやってやろうって感じだったんですよ。でも、そこの師範の教えが「やさしさは力なり」だったんですね。
――じゃあ、いきなり教えに反する組み手をしちゃったわけですか。
神村 そうなんですよ〜。だから私は一方的にボコボコにしたんですけど「勝てる相手にそこまでしなくてもいい」ってことで、全然上げてもらえなくて。組み手だけじゃなくて、型もずっと一生懸命やってたんですけど、やっぱりダメで。それで「もうやめた」って辞めちゃったんです。
――自分を認めてもらえなかったことで、辞めてしまった、と。
神村 だから、辞めたあとはちょっとグレちゃって、中学も行かないでぷらぷら遊んでて。
――へえ、そんな時期があったんですか。
神村 そのとき、親が「ヤバい」思ったようで。親はもともと格闘技が好きだったので、キックボクシングの山木ジムに連れていかれたんですね。
――ご両親も凄いですね。中学生の娘をキックボクシングのジムに送り込むというのも。
神村 私はもともとヤンチャで、習い事でもピアノをやるとかは考えられなかったと思うんですよ(笑)。グレてたときはケンカとかもひどかったんで。
――そんな路上の実戦経験も豊富でしたか。
神村 ま、ちょっとですけどね(笑)。しかも学校にも行ってなかったんで、なんとか更生させようと思ったんでしょうね。
――キックのジムだったら規律も厳しいだろうし、エネルギーの発散先としては最適なんじゃないか、と。
神村 でも、ジムに入ったものの、そこでも最初は全然まじめにやってなくて、練習も月に1、2回しか行かずにほとんど遊んでたんですよ。でもある日、会長から「おまえはちゃんとやれば世界チャンピオンになれるから、明日から毎日ジムに来なさい」っていうふうに言われたんですね。その言葉が私のなかでは大きくて。その頃、あまり大人の人に期待されたりすることってなかったんですよ。ずっと「お前はダメだ」みたいにしか言われてなくて。
――初めて自分を認めてくれて、期待してくれたのが会長だった、と。
神村 そうなんです。それまでは大人の人からは否定しかされてなかったんで。髪の毛も金髪のキンキンでしたからね。
――キンキンでしたか!
神村 キンキンでしたね(笑)。だから否定しなされてなかったのが、「ちゃんとやれば世界チャンピオンになれる」って言ってもらえたので、「ここはいままでの大人の人とは違うかも」って思ったんですね。だから会長に言ってもらったことがすべての始まりでしたね。
――そこから、その気になって真剣にキックに取り組み始めた、と。
神村 完全にその気になりましたね(笑)。「自分もチャンピオンになれるんだ」って思って。そして最初はアマチュアの試合に出て、中学卒業直前にプロになってって感じですね。
――女子中学生でプロキックボクサーっていうのも凄いですね。そして、高校も行かずにプロに専念しようとしたんですよね?
神村 はい。高校には行かないって決めて、1年間はデニーズで働きながらやってましたね。
――それは「自分の進むべき道はキック」と中学時代で決まっていたからですか。
神村 そうですね。練習が私のすべてだったんですよ。「練習の妨げになるものはいらない」って感じだったんで、「練習時間が減るなら進学はいいや」ってなりました。いまは通信で高校通ってるんですけど、当時はそう思ってましたね。
――でも、キックボクサーになったことで、それまでの生活とはまったく違う生活になるわけじゃないですか。友だち付き合いなんかもできなくなると思うんですけど、そこはスッパリと断ち切ったんですか?
神村 もうそこはスッパリですね。友だちも、本当に私を前から知ってる友だちは、私がプラプラするのをやめてキックを始めたら「やっと立ち直ってくれたのね」みたいな感じだったんですよ。でも、グレてたときは中途半端に広く浅く付き合ってた友だちが多くて。べつに私がそこからいなくなっても気にされるわけでも、心配されるわけでもない。それぐらいの関係でしかなかったんですよね。
――なるほど。じゃあ、キックを始めたことで自分にとって本当に大事な人は誰なのかもわかったというか。
神村 そうですね。ジムで礼儀や、人との接し方も教えていただいて。やっぱり「人としてどうあらねば、周りは付いてきてくれないんだよ」っていうことも教えてもらいましたから。
――本当にキックとの出会いが神村選手をすべて変えたんですね。でも、中学から始めて16歳で世界チャンピオンになったわけですよね。それだけ早い段階で駆け上がっちゃうと、その先の目標を見失ったり、達成感でその後のモチベーションを保つのがたいへんになったりはしませんでしたか?
神村 みんなによく聞かれるんですけど、それはまったくないですね。
――ありませんでしたか。
神村 私の経歴を紙の上だけで見るとトントン拍子で簡単にチャンピオンになったように見えるんですけど、私にとっては1試合1試合が凄く重かったですし。そのときの練習量から何から、ほかの選手とは違うと思ってやってきてるので。みんなが考えているほど、甘くはなかったんですよ。それにチャンピオンになったからといって、ここがゴールじゃないし。やっぱり自分はもっともっと強い選手と闘っていきたいし、世界にはまだまだ強い選手がたくさんいるんで。全然、まだまだこれからですね。そして最後は男子と試合して終わりたいなって思ってるんで。
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- Move:Special Interview
- 2011.05.13 Friday